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狂気と凶器<2> | |||
深く息を吸い、覚悟を決める。 頭の中は極力空っぽにする。 思考という鎖は必要なく、ただ、思うままに行動し発言すればいいと思う。 頼むぞ、俺。がんばれよ。 そして、負けるな、俺。 ここで最も重要なのは、第一声だ。……多分。
趣味の悪い梯子を背にして、俺は待つ。時間という感覚が朧に麻痺した世界だけれど、そう大した時間じゃないような気がした。瞬き一回かもしれないし、もしかしたらカグツチ一周かもしれないし、とにかく俺は、全身をがちがちに固めた緊張を保ったまま、待った。 目の前の、丸いドアが持ち上がる。 「…来たな、少年」 まず見えたのは、黒いブーツの爪先。それから、深紅の革パンツと、翻る長いコートの裾。背にした剣の切っ先。厚みも幅も俺よりあって、無駄なく引き締まった頑丈そうな身体。大袈裟に広げた両手に前見た二丁の拳銃はなく、ただ、艶消しした黒革の手袋に包まれた指が、軽く開いている。 そして。 「また会えると思ってた…。大当たりってヤツだな」 体温が低そうなで端正な顔に表情を生むのは、あの、透明で冷たい蒼い目。一歩進むたびさらりと揺らめく銀糸に霞んだそれが、ぴたりと俺に据えられている。 水色のドロップを彷彿とさせる。ううん。水色のドロップを見る度思い出してた、あの蒼色。 ああ。なんだろ…。酷く気持ちが浮ついてる。俺を待ってたんだって判ってる、赤と銀色、それから蒼。あんたはどうだか知らないけど、俺は二度とあんたになんか会いたくなかったよ。そう思ってるのに、なんだか妙に嬉しい気がする。 俺は、笑いそうになった。 堪らなく嬉しくなった。 すげーよ、あんた。ホント。だって俺の期待とか、ちっとも裏切ってねーもん。 「っつーかあんたぜってーおかしいって」 だから俺は何も考えずに、口を衝いて出ようとする言葉を、目の前の、赤色で銀色の悪魔狩りを眼にして、その低い声と蔑んだ笑いを感じて思った全てを、相手に話す隙も与えず言い切ってやろうと唇を開いた。 「おかしい、ぜってー。こういう時は「また会ったな」だろ、ふつーさ。っていうか日本語としてそうだと俺は思うんだけど、あんたやっぱ外国人? だからなの? 不幸な行き違いでお互い誤解したまま別れた恋人同士がその誤解に気付いて、んで、数年後に再会したって今時流行らないシチュエーションの恋愛ドラマでだって、ここで「また会えると思ってた」なんてクセー台詞吐かねぇっつの。つか俺はあんたになんか会いたくありませんでした、マジで。だってあんた俺の話とかちっとも聞いてくれねーし。だからって何か俺に、あんたに判って欲しい事とかあるワケじゃねーけどさ。とりあえず俺あんたに勝てるって夢にも思ってねんだよ、今でも。だって俺、あんた、本気でおっかねーから。だってさ、武器持ってる悪魔とか結構居たりするし、それなりに対処して来たつもりだし、これからも対処しなくちゃなんねーって思うけど、あんた反則な。そんな冗談みてーにバカでけー二丁拳銃ほいほいぶっ放すようなあんたと素手で喧嘩してーやつなんか、正直クレイジー? 残念だけど俺は正気。だから俺はあんたになんか会いたくなかった。こんな、薄暗いし気味悪いし空気淀んでるしってサイアク落ち込みそうな場所でさ、それも。判る? 判るよな。大体あんた重ね重ね非常識なんだよ。だってあんた魔人なんだろ? だったら地上? っていうの? とにかく上だろ、上。魔人が出ていいのは上! 待ち伏せとかはあんたに辿り着くまで他の連中にも目いっぱいされたから今更とやかく言わねぇけど、空気読めよ、空気をさ! きっぱり言うけど俺は!」 俺は。そこで大きく息を吸い…そのままぎくりと硬直した。 まさか指まで突き付けはしなかったもの、言いたい放題言った俺をそいつはじっと見ていた。なんとなく笑いたいような、もしかしたら怒っているような感じに、微妙に歪んだ薄い唇の端が引き攣っている。 そして俺は、次に口を衝いて出そうになった台詞に驚いて、本当に、自分自身が判らなくて、完全にフリーズした。 「――――――――――俺は、なんだ? 少年」 どっち方向なのか判らない微かに震える声で、悪魔狩りが俺に問う。 「何か俺に言いたいんだろ? だったら今ここで洗いざらい言っちまえよ」 見つめる先で首を傾げた男の気安い仕草に、今度は俺がびくりと震える。 「あ…」 言うなと、俺に俺が警告する。 「あんたが…」 言ってしまえと、俺が俺に囁きかける。 「………あんな事、言うから…」 半分以上空気で掠れた声は、俺のものじゃないみたいに聞こえた。 「生きてろなんて…あんたが…言ったから…」 決別でもなく。 罵倒でもなく。 拒絶でもなく。 無意識に固めた握り拳と、声が震えた。 「会いたくない会いたくないって四六時中考えて、燭台の火が燃えるたびあんたかもしれないってそう思って、いつの間にかこんな地獄の底まで来ちまってたんだよ!」 それじゃまるで俺がこいつに会いたがってたみてーじゃねーか、俺のばかっ! と勢いで叫んですかさず自分に突っ込んだ、瞬間、目の前の悪魔狩りは。 俺の初めて見る顔で、本当に堪え切れないとでもいうように吹き出し、片手で顔を覆って大爆笑し始めた。 びっくりした。本気で。言いたい事を言い切ってすっきりするはずの俺が、どうしていいのか判らなくなるくらい、そいつは笑った。心底可笑しそうに。いかにも愉快そうに。下手したら目尻に涙まで溜める勢いで男は笑い、俺はおろおろと狼狽える。 何か、とんでもない事を言ってしまったような気になって、実際そうなんだろうけど、俺は今すぐここから逃げ出したくなった。色んな意味で。でも多分梯子の上では仲魔たちが待ち受けてて、何もなかったよーん、とか白々しく尚且つ軽薄に笑いながら帰還しようものなら、うるせー根性なし、とかつって蹴り戻されるに違いない。 かと言って、目の前の悪魔狩りの発作が収まって会話が続く…かどうかは定かじゃないけど…のもかなり怖い。 っていうか、こんなによく笑う外国人とふたりっきりでアマラの底に佇んでるのも、相当怖いけど。 「い………いつまで笑ってんだよ!」 それで俺はついにキレた。笑われているのに耐えられなくなったのかもしれない。 固めた握り拳を振り回して癇癪を起こした俺を圧しとどめるように、悪魔狩りは軽く上げた左手を顔の前で左右に振って見せた。右手では相変わらず顔を覆ったままで、腹の底から湧くような笑い声はなくなったものの、赤いコートの肩は未だ小刻みに震えている。 「つまりだ、少年」 ふーっと笑い疲れて深い溜め息を吐いてから、悪魔狩りがあの薄蒼い目だけを俺に向けて来る。最初に見た冷たい光の緩んだそれは妙に親しげで俺はまた戸惑い、「うん…」と、いつも仲魔にするみたいに、いかにも子供っぽく頷いてしまった。 「……………。お前がここまで来ちまったのは、俺のせいなのか?」 一瞬、悪魔狩りがおかしな顔をする。といっても、微かに片方の眉を吊り上げて、首を傾げただけだったけど。それが何に対してなのか判らないまま、俺は「多分」と曖昧に答えた。 「なら、気が済んだだろ?」 「………え?」 丸いドアを背に、やや俺をハスに構えるような格好で顔に手を当てていた悪魔狩りが、ゆっくりと腕を下ろす。下ろしながら爪先を俺に向け、言いながら身体全体で向き直り、それは凄く隙のない、流れるような動作だった。 「お前は生きてここまで来て、もう一度俺に会った。それで、気が済んだだろ?」 おまけに、言いたい事も綺麗さっぱり言ったようだしな。と皮肉に口の端を引き上げて付け足され、俺は慌てて言い訳しようとする。 瞬間、だった。金属音を金属音だと理解するよりも速かったと思う。吸った息が言葉になる暇もなかった。 魔法のように出現してヤツの手に握られた象牙色の拳銃が向けられるまでに俺は、瞬きさえ出来なかった。 「おめでとう少年。生きてるって素晴らしいと思わねぇか? そう思うなら後ろを向きな。そして振り返らずに走れ。お前が取るべき選択肢はそれだけだ。 そうだろ? 少年」 さっきまで死ぬほど笑っていたのとは別人みたいに凶悪な笑顔で、悪魔狩りが銃を掲げたままゆっくりと踏み出し、無意識に後退った俺を追い越して背後へと回る。つうかこの状況で後ろを取られては、はいそうですね、と逃げ出す訳にも行かなくて、俺は目だけを動かし赤いコートの軌跡を追い掛けた。 「…ここから先は子供の遊び場とはワケが違う。もし俺の忠告を無視して妙なマネなんぞしたら」 ズドンッ! だ。と悪魔狩りは、指を掛けたトリガーを引く真似をして、軽く銃口を上空へ逸らして見せたらしかった。 見つめられてるんだろううなじに、ひりひりした緊張が走る。剥き出しの背中を嫌な汗が舐め、急激に冷えた指先が、さっきまでとは趣の違う震えに襲われた。 やっぱり…、来なきゃ良かった。 おかしな事を言った俺を笑ってくれたひとはもういなくて、ここには、俺の命とか…俺とか…どうでもいい、ただ「狩るもの」と「狩られるもの」がいるだけで、俺と赤色魔人の間には、他には何もなかったんだと思い知る。 俺は、落胆したんだと思う。もしかしたら。自分でも何を期待してたのかよく判らないけど、何か判りたくてここまで来たんだと、そう思う。 でも、やっぱりこの世界は。
世界は、好き勝手に回ってる。内向きの力で。 点在するコトワリという引力。 中空に留まるカグツチという引力。 そのどれでもない「力」も。
ひとりでは、砂に埋もれた地面に真っ直ぐ立つ事さえ出来ない俺を、どこか、どこかへ、追い遣ろうとするのか。
嗚呼。
俺は、知らず俯いていた顔を正面に向け、かっきり百八十度踵を返して、銃を構えたまま佇む赤色のコートに向き直った。 「ここであんたに会えてよかった…。 やっぱ俺、あんたなんか………、大っ嫌いだ」 情けないくらいに掠れた、震える声でそう吐き捨てた俺は、悪魔狩りの顔から視線を外してヤツの肩先を躱し、俺の頭上を過ぎるだけの蒼い瞳から逃げるように、梯子へ手をかけた。
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