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狂気と凶器<9> | |||
この世にあるのは悪意ばっかだと俺が言うと、あいつは悪魔だらけだしなと答えて笑った。 全て? 全てだ。例外は? 例外なんてねぇ。あんたも。お前も。仲魔も。みんな悪魔だ。悪意。悪意か。うん、あんたも。そうだな。あ、俺、あんたのそういうトコ嫌いかも。そうか? うん、嫌い。そうか。だってあんたさ。なんだ? 好き勝手喋ってるように見えて、肝心な事はひとつも言わねーじゃん。言って欲しいのか? 判んね。俺はお前の、そういう所が気に入ってるのかもしれねぇな。そういうトコ? ああ。どういうトコ? 判らない流されてると言いながら。うん? 肝心なところじゃ一歩も退かねぇ。俺は。いつだって、決める事は出来ただろ? 俺は。本当に流される事だって、出来たはずだぜ。俺は。コトワリとかいうヤツを突っ撥ねたのだって。俺は。誰かがお前に言わせた訳じゃねぇだろ? 俺は。従うって楽な方法もあったはずだ。俺は。ここまで来るのだって。俺は。誰かが行けと言った訳じゃねぇだろ? 俺は。引き返せたはずだぜ。俺は。でも、お前は、来た。俺は。そして、進むと、俺に、言った。俺は。
「俺は!」 佇む悪魔狩りを包囲する、俺たち。飽和した空気が破裂する音を伴って忽然と空中に浮かび出たサラスヴァティとクシナダヒメが高速で回復魔法を展開。既に事切れているケツアルカトルとヴァリキリーの亡骸はそのままだったけど、吹き飛ばされたはずのオオクニヌシの腕が猛烈な勢いで再生され、血に染まったオセの傷もみるみる塞がる。 「ぐだぐだ抜かすな、うんざりだぜ、少年。この世を占めるものが悪意だろうが悪魔だろうが、今の俺たちにゃ関係ねぇ。 血を流し屍を晒して絶望しろ。 闘って闘って戦って荒れ狂え。 俺が消えてもお前が消えても、世界なんか変わりゃしねぇぜ? だから、少年。 本気でこの世に喧嘩売るってんなら、甘えた言い訳なんぞ捨てな。 全て、お前が決めた。 お前が決めたんだよ」 だから、少年。とあいつはもう一度、酷く柔らかく微笑んで、囁いて、その唇の端から覗く牙を、剥いた。 俺たちに、ではなく。 「闘え。闘え。闘え。闘え。闘え。闘え。闘え闘え闘え闘え闘え。 HURRY! HURRY! HURRY! HURRY! HURRY! HURRY! HURRY!」 BLAME!! 頭上に掲げられた銃口が火を吹き、俺たちを急かす。 「大丈夫だ、大丈夫。お前の不安なんてどうでもいいさ。なるようにしかならねぇ。NO. 思い通りになるように、なんでもかんでも捻じ曲げて叩き折ってやれ。そういうモンだ。それでいい。闘え、少年。でなきゃ徹底的に抗え、少年。お前に出来るのはそれだけだ。今はたったそれだけでいい。余計な事に気を取られるのはナシにしようぜ? 興醒めだろ。お前は俺の事だけ考えてればいい。それでいい」 早口でたたみかけられる台詞の内容と口調の温度差に、背筋が薄ら寒くなる。興奮した様子で言ってくれればいっそ気楽に聞き流せる、一方的な押し付け。なのにその声は酷く落ち着いていて、だからこれは本当に本物の本気なんだって判って、こいつは間違いなく狂ってるんだと、俺はその時になってようやく思った。 これは、赤色の魔人。悪魔狩り。今まで遭遇して来たどんな魔人よりも凶悪で危険。 その赤は「死」だ。全てを塗り潰そうとする。俺も、仲魔も、そして、自分自身さえ。 両手に握っていた白と黒の鉄塊をホルスターに収めた赤色が、コツ、とブーツの踵を鳴らして、一歩、俺に近付く。瞬間、すぐ側に寄っていたパワーが剣を握り返して一歩踏み出そうとしたのを軽く振り返った俺は、誰も動くなと視線で仲魔に伝えた。 悪魔狩りは、両方の手を肩まで差し上げ広げていた。攻撃の意思は無いというポーズ。闘えと言いながら、抗えと言いながら、それ以外に選択肢はないと言いながら、魔人は、まったく無防備にその心臓を晒し、俺の直前まで歩み寄って来る。 気持ちが沸騰する。身体中の細胞が暴れ出す。闘え。これは「死」だ。目前まで堂々と詰め寄る、比類なき終点。 オワリ、だ。 生き残り、何かを掴みたいなら、闘え。迷わずに。迷わずに。 俺は、ゆっくり一度だけ瞬きしてから、悪魔狩りの顔を見上げた。 薄暗がりの蟠る高い天井に、白銀の髪が映える。血色の悪い端正な顔には、全く温度の読めない蒼い瞳と、にやにや笑い。薄い唇の端から覗く牙は鋭くて、きっとこいつは両腕を無くしても闘い続けるために、この牙を研いでるに違いないと思った。 「…いい顔だな。貪欲なのはいい。払っても払っても食い付いて来る無様さにそそられる」 「あんたのその目が欲しいって、さっき言ったじゃん。抉り出すまで諦めねーから、俺」 「愉しませてくれよ、少年」 「うるせー、変態腐れ魔人。勝手に勃てとけ」 ハハ、と低い声が囁くように笑い、睨み上げる俺の耳元に掠るくらいすれすれまで悪魔狩りの唇が降下して来た。銀髪。凄い銀色。視界の隅を埋めるそれに、視線だけを向ける。 瞬間、耳朶を撫でたのは、そこだけやけに温度の高い濡れた呟き。
「お前は何回、俺を射かしてくれるんだ?」
悪魔狩りの、広げていた両腕がすとんと脇に垂れたと感じるよりも早く、俺は身を沈めて床を転がった。 折り重なるような銃声が、間合いを取ろうとする俺の背中を追うように通路に響く。あぶねー、マジで。あのキワドイ台詞に反応して言い返そうものなら、愉しませる間もイカす間もなく、俺がオワルとこだった。 転がって、跳ね起きて、体勢を立て直そうとする俺に隙を与えるように、正面から空を滑って現れたカラステングが悪魔狩りに向け派手に羽ばたく。下の階層に繋がる扉を背にして俺たちに向き直っていたヤツを襲う、渦を巻いた猛烈な突風。顔の前にクロスさせた腕で視界を確保した赤色が身を沈め、すうと目を細める。 闘え。と蒼い目が俺たちを見回し、見下す。 闘え。闘え。闘え。闘え。闘え。闘え。闘え闘え闘え闘え闘え。 HURRY! HURRY! HURRY! HURRY! HURRY! HURRY! HURRY! BLAME!! 無関係な悪魔たちが怯んで姿も見せない通路に蔓延した零下の空気が一瞬で沸点を突破し、俺を含み、あいつを中心にした、仲魔の全部が、悪魔の残虐性という本質を抉り出されて咆哮する。 じゃあん! と手にした錫杖の尻を床に叩き付けて地面に降りたカラスが、足裏を滑らせて高速前進。前進しながら水平に倒した長物が右から左に疾(はし)り、顔の前に交差させたままだった魔人の腕を払うなり刺突へと変化する。 胴体の中心を突き抜けるかに見えた杖の先端が、赤いコートの胸元を掠ってヒュと空を切る。速い。カラスが薙ぎ払いの勢いを殺そうと腕に込めた力を読み取ったのか、悪魔狩りは身体を大きく開いてそれをやり過ごすのと同じに錫杖(しゃくじょう)に習って腕を伸ばし、猛然と銃撃した。 BLAME!! BLAME!! BLAME!! BLAME!! BLAME!! BLAME!! ……………! カラスの、杖を保持した握り拳が爆裂し手首から先が吹っ飛ぶ。冗談みたいに散らかった血飛沫に押されて後退する黒装束。その左右を挟むように飛び出したオセとオオクニヌシが前衛に踊り出すのを見遣りつつ、後方のクシナダヒメにカラスの回復を手の動きだけで指示した。 今ここで戦力を減らす訳には行かない。勝つんだからさ、俺たちは。勝って、俺は。 あの蒼い目を奪ってやるって、決めたんだから。 双剣の切っ先を床に擦り付けるほど下げたオセが悪魔狩りの間合いに踏み込み、裂帛の気合とともに銀光を掬い上げる。同時に、佇む赤色の脇に低い体勢で滑り込んだヌシの一刀が弧を描く。下から跳ね上がる刃。後ろから滑り来る刃。どれか一筋は身体で停めるしかない、完璧に赤色の中心で交差する太刀筋だ。 ニィと釣り上がった悪魔狩りの唇から、濡れた牙が覗く。あれは嫌だ、あれは怖い。最早どんな悪魔、どんな天使、どんな神に遭遇しても沸き上がらない麻痺した恐怖が、あの尖った先端には宿っている。 赤色が、躍った。 鋭く翻るコートの裾。長い腕がすうと伸び、ぴたりと天井を睨んだふたつの銃口。刹那で旋廻した肩の先端、オセの顔面を捉えた黒が吼え左側頭部を抉り、直後前方に倒れた黒が再度吼えれば、逞しい腕に弾丸が食らい着き銃撃された反動で大きく外に逸れる。それと同時に折れたもう一方の肘の先、背後へ向けられた白が轟と唸り、唸り続け、剣を薙ぎ払うため深く踏み込んでいたヌシの膝を撃ち抜いて、銀の軌跡が乱れた。 回避と攻撃は紙一重。隙が無い。 鮮血を散らすオセとヌシを視界に収めた俺は歯噛みしつつも、銃撃で出来た隙間から床に転がり、都合みっつの刃を潜り抜けた赤色の頭上目掛けて氷塊を降らせた。 立ち上がりの動作なしで更に前方へと飛び込んだ悪魔狩りの冷たい視線が、膝を折ったオセの元へ寄ろうとしていたパワーの上で止まる。咄嗟に発動の早い雷撃を浴びせ後退の隙を作ろうとした俺の目論みは、見事な体捌きでかわされるハメになったけど。 的を観測した空間に擬似固定してその点を狙い定めるタイプの魔法は、避け切れないワケじゃない。ただし、理論的に判っていてもそんな、魔法の発動直前に有効範囲から逃げ出すなんて荒業、俺は使いたいと思わなねー。 けど、それをやるから、悪魔狩りは悪魔狩りなのか。 赤色が、躍る。 空気中に帯電した雷が収束する直前、赤色が踵で反転し身体の前に揃えたふたつの銃口に劫火を灯す。ただでさえデカイ拳銃のとんでもない射出反動(リコイル)が長身を背後に吹き飛ばし、俺の放った雷撃は床にぶち当たって無情にも散った。 攻撃が当てられない。 俺は焦った。 突き倒されるような勢いで壁に激突するかと思われた赤色はまたもそこで身を翻し、伸ばした足、ブーツの踵で壁を掴んで目一杯身体を引き付けてから、撓ませていた膝を使って一気にそれを突き放した。あいつは全部判ってる。自分が何をしたいのか。どうしたいのか。そのためにどうすればいいのか。二丁の拳銃。背の大剣。全てがあいつそのものだった。 緩くラウンドした天井すれすれを舐めるように刷いた赤色。途中何度か堅いものが壁を叩く音がして、俺は思わず叫んだ。 「逃げろっ!」 傷ついたオセとヌシを同時に回復したパワーが俺の声に反応し、側にいたオセの胸板を力任せに突き飛ばす。 その天使の頭上まで「移動」した赤が、急激に角度を変え真下へ落ちた。同時に暗がりを断裂する勢いで抜き放たれた銀の軌跡もまた直線に急落し、背の羽を広げて退避しようとしたパワーの頭頂部を捉える。 その瞬間に音はなかった。と思う。ただ、赤色が床に片膝を置いて静止した直後、時間差でふたつ、嫌に大きくどさりと鳴って床に転がったものがあっただけだ。 ああ、もう、嫌だ…。 俺の右手に、ごおと炎が立ち上がる。 手にした大剣を軽く振ってべったり附着した血糊を払い落とした悪魔狩りの蒼が、水平に滑って俺を捉える。口の端は相変らず愉快そうに歪んでいたけど、その蒼は笑っていなかった。 ただ、急き立てる。 闘え。闘え。闘え。闘え。闘え。闘え。闘え闘え闘え闘え闘え。 HURRY! HURRY! HURRY! HURRY! HURRY! HURRY! HURRY! 血液を含む全ての細胞が煮え滾っていた。原型を留める俺は外殻だけで、中身にはどろどろで正体のない暗い黒い強(こわ)い感情の溶岩が詰まってる。 それを全て吐き出してあいつに突っ返してやりたい。そう。これは俺のものじゃない。これはあんたのものだ。あんたが俺の内側に捻じ込んだモンだ。 だから綺麗に返してやるよ、あんたにさ! 俺は、赤色目掛けて床を蹴った。 燃え上がる右手。炎を纏ったそれを掬うように振り上げながら、食いしばった歯の間から獣みたいな唸り声を上げて突進する俺の直前、低い体勢で水平に剣を引いた悪魔狩りとの間に、緑が割り込む。判ってる。俺は停めない。伸ばした指先から放たれた火球(かきゅう)が激しく猛りながら銀色を包もうと踊り狂い、辺りの温度を一気に上昇させた。 捨て身で悪魔狩りの視界から俺を隠したクシナダヒメの背中を、鮮血に塗れた剣先が突き破り、右に倒れるような格好で前方に転がった俺の左肩を掠った。びくりと一度だけ痙攣したクシナダがどうなったのか確かめる暇もなく、俺は、倒れかけた身体を強引に捻って劫火に包まれた右手を赤色の長い腕に食らいつかせる。 業と燃え燃え盛り全てを焼き尽くそうとする俺の「炎」が、ついに悪魔狩りの腕を焦がし脂肪の爛れる酷い臭いを撒き散らす。立ち昇る炎と煙に顔を顰めつつ床に倒れた俺は、刹那で抜き放たれこめかみをポイントした銃口から逃げるように床を転がった。 BLAME!! 短い髪を焦がした弾丸が床で弾け、その轟音に脳を揺さぶられて一瞬気が遠くなった。しかし、直後、霞みのかかった視界の中、たった一撃で絶命したんだろうクシナダの身体を蹴って埋まる刃を引き抜いた悪魔狩りのあまりな所業に、薄れ掛けていた意識が唐突に浮上した。 引き裂かれた胸から鮮血を撒くクシナダが、冷たい床に叩き付けられてバウンドし、仰向けに倒れる。このど畜生め! ぜってー許さねー! 転がって、跳ね起きて、床を掴んだ踵に力を込め高速で悪魔狩りの間合いに戻った俺は、向けられた銃を握るあいつの腕を脇に抱え込んで、力任せにそれを捻じ曲げた。 同時に、悪魔狩りもおかしな方向に腕を捻る。バキン! と妙に軽い音が響いたと思うなり、黒い拳銃がその手を離れて垂直に落下した。 一瞬虚を突かれた。何があった? と目を見開いた俺の顔を覗き込み、あいつがぱちりとウインクする。 まさか……………こいつ、へし折られる前に自分で関節外したのかよっ! 斜め下から急上昇した重たい蹴りに脇腹を抉られて、俺の軽い身体があっさり吹っ飛ぶ。床に叩き付けられる覚悟を決めた俺を寸でのところで抱きとめたサラスヴァティが回復魔法を唱える時間は、床に落ちて滑った黒い拳銃を脇から掻っ攫ったモスマンが飛び去る事で計らずも作られ、悪魔狩りは始めて小さく舌打ちしつつ、外れた左腕を自分の膝に置いて下から蹴り上げ、滅茶苦茶強引に嵌め込んだ。 闘え。闘え。闘え。闘え。闘え。闘え。闘え闘え闘え闘え闘え。 HURRY! HURRY! HURRY! HURRY! HURRY! HURRY! HURRY! 狂気の呪文。狂喜の呪文。誰も彼も正気じゃねー。闘え。闘え。それがダメなら抗え。抗えよ。「死」を捻じ伏せて滅ぼせ、消し去れ、恐怖に恐怖し跪いて屈服させろ。それがダメなら。
「大丈夫だ、大丈夫。俺はお前を、諦めない」
HURRY!
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