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狂気と凶器<4> | |||
上の階層と微妙にルールは変わったものの、俺とダンテのゲームはまだ続いていた。 回廊みたいにフロアをぐるりと一周する廊下は、一応の安全地帯。でも、気を抜く訳には行かない。だから俺は息を切らせて細い通路を突っ走り、体当たりする勢いで丸いドアをくぐって、幾分広い室内のいっとう奥に見える、これまた丸いドアの内側へと転がり込む。 リレーでバトンを渡す走者よろしく、走りこんだままの勢いで燃えているスイッチに掴みかかる。もう、押すとか操作するとかいう感じじゃなくて、殆ど台座に突っ込んでようやくほっと息を吐く自分の小心さが、ちょっと情けなくなった。 「ってぇ…」 それでもなんとか二つ目のスイッチに辿り着いた俺は、狭苦しい小部屋の中で台座に掴まったまま膝を折り、その場に座り込んだ。 腕と、肩と、脇腹と脚に掠った弾丸の痕が、まるで猛獣にでも引っ掻かれたみたいに見える。っていうかアイツ、マジで性格悪ぃって。判ってたけど。 上の階層と違って、この階層のスイッチは近付くと現れる壁の張り巡らされた部屋の奥にあった。ちょっと見何もないだだっ広い部屋に柱が立ってるだけの空間は、入ってみると意外にも、入り組んだ迷路のようになっている。その迷路を細々と曲がりながら全力疾走し、正面から姿を見せた赤色魔人を躱して逃げる俺を追いかけながら、アイツは、一番広い背中だとか、致命傷を与えられるだろう頭だとか、一発で動けなくなるだろう足の骨なんかを避けて、器用に、弾丸を俺の身体の外周に掠らせて来た。 つまりは嬲り殺しか? いやいや、殺し、まで行かない辺りが、非常にムカつく。 冷たい無機質な台座に抱きついて座り込んだ俺は、床に広がる血をぼんやり眺め深く溜め息を吐いた。ああ、もー、こんなのヤだ。とか思ってみたけど、変な意地張ってここまで来たからには、引き返す事も出来ない。 威嚇射撃でもない、実質的に体力と気力を削り、恐怖を植え付ける脅し。 普段なら温度なんか感じないのに、全力で走り続けたのとか撃たれ続けてるのとかで身体が火照ってるのか、頬を寄せた石造りの台座が冷たくて気持ちいい。ここで少し眠って気力と体力を回復するってどうだろう? とかも思うけど、その間あの魔人が黙って待っててくれるワケはないからと諦め、俺は重く垂れ下がって来ようとする瞼を無理矢理持ち上げた。 しん。と耳の内側で静寂の音がする。 今、この世はどうなってるんだろう。今、あの魔人はどこに居て何を考えてるんだろう。今、俺の仲魔たちはどんな気分でいるんだろう。 台座に凭れ掛かったままふと息を吐き、微かに震える指先で太股の外側を舐める鮮血を掬うと、抉れて焼け焦げた皮膚に鋭い痛みを感じた。アイテムで回復するか、仲魔の誰かを呼び出すか暫し考えてから俺は、台座に押し付けていた肩を引き剥がし…。 そのままバランスを崩してばたりと横たわった。 俺の見てない世界はもしかしたら存在してないのかもしれないと思う。本当は、この、ボルテクス界なんてのは俺の乏しい想像の産物で、誰も、何も、ひとつも、全然、「現実的」には存在してないのかも。 「…バカくせー。だったら、あんな赤色いらねっつの」 もしこの世界が、本当にそんな都合のいい「俺の想像」だったなら、俺を恐怖させ、俺を奮い立たせ、それと同じ力で怯えさせ失望させ、俺の知らない「存在しようとする力」を振り翳して俺を追い詰めるあんな赤色なんか、居るワケねぇ…。とか失笑混じりに呟き無意識に目を閉じて、ゆっくり深く息を吸う。少しだけ休もう。ほんの少し。眠るのではなく、ただ…目を閉じて。
うとうとと浮き沈みする意識。 不意に、何か暖かいものが肩に触れ、首筋に触れ、頬を撫でる夢を見た。 すぐに離れて行きそうになったそれを捕まえようと、俺は手を伸ばす。 握り締めたそれは、微かに、俺の手を握り返した。
「んにゃあぁ?」 すぽん。と意識が覚醒して、俺は瞼を上げた。 ヤベェ…。マジ寝てなかったか? 俺。 とはいえ、それがどれほどの時間だったのか、このボルテクスには「時間」なんて正常な単位存在してないから、判らないんですけどね。 ぼんやりと、おかしな夢を見ていたような気がする。でも、記憶が曖昧で、夢そのものの輪郭もはっきりしない。だから俺はぽりぽり額を掻きながら身を起こし、その場に座り直した。 「…あ、怪我とかけっこー回復してる…」 思わず寂しがりや風に呟き、皮膚に張り付いたまま乾いている血をパタパタ叩き落す。体中に走る殆どの傷は半ば塞がっていて…。って、ちょっと待て! 「ヤバくね?! それって!」 俺は反射的に跳ね起き、何も考えずに、目の前のドアから外へ飛び出した。 「よう、少年。生きてたのか?」 「うわあお…」 で。飛び出した勢いでフィルム逆再生並みに綺麗に、もう一回背中から小部屋に飛び込む。 「あーーー。おはよございます」 っていうかぐんもーにん、と言い直しつつかなーり引き攣った笑顔で手を上げて見せれば、ふん、とさも面白くなさそうに鼻で笑われた。どーせ、英語の成績とか悪かったですよーだ。 「たっぷり休養取って気分爽快って顔だな、少年」 「違う違う! 今の、休養違うから」 閉まりかけた円形のドア? をゴツイブーツで蹴り上げたダンテがにやにやしながら言ったのに、俺は慌てて首を横に振り、狭い部屋の床に広がった深紅の血溜まりを指差して見せた。 「失血し過ぎで気ぃ失ってた!」 「そのまま二度と目覚めないでくれてもよかったんだがな」 いかにも大袈裟に肩を落して溜め息を吐いた悪魔狩りの俯いた顔を恐々見つめつつ、引き攣った笑みを口の端に浮かべる俺。 「…………死んだモンと勘違いして、どっか行ってくれてよかったのに…」 「生ぬるい体液だくだく垂れ流して震えてたんじゃ、勘違いも出来やしねぇだろ」 言って、ダンテはもう一度大儀そうに肩を竦めてからコートの裾を翻し、俺に背を向け歩き出そうとした。 「だったら!」 そこで俺は、反射的にその赤を呼び止めていた。 「…だったら、蹴飛ばしてでも起こせば良かったじゃねーかよ、俺を、さ。折角付けた傷とか、折角溜まった疲労とか、全部じゃねーけど、回復…しちゃってんだぜ、俺」 だって。 今の話の流れで行ったら、ダンテは倒れた俺を、今見つけたワケじゃない…んだよな。ああ、血が出てるって思って、ああ、震えてるって思って、それを、どんな気持ちでかは知らないけど、こいつ、黙って見てたんだよな? 「狩り…」 ぽつ、と向けられたままの背中が呟きを漏らした。 「狩りってのは、スポーツなんだぜ? 少年。狩猟民族なら話は別かもしれねぇが、今の俺とお前の間にあるのは、単純に、追うものと追われるものって関係だけだ。お前がこのゲームをどう解釈してるかなんてのは、問題じゃねぇ」 微かに顔を俯けて薄笑みの口元を俺に見せた悪魔狩りが、「ふん」と鼻で笑う。 「お前は、俺のルールで追い回される獲物だ。獲物の活きが良ければ、それだけエキサイティングなハントが愉しめるってモンだろ? なぁ、少年」 右手に握った象牙色の拳銃で自分の肩を軽く叩いた赤色が、言いたい事だけ言ってさっさと遠ざかって行く。 「…な…んだよ、それ…」 でも俺には、酷く掠れた声でそう言い返すのが精一杯だった。 だから。放置したって言いたいのかよ。 だから。こんな近くに居たのにただ放っておいたのかよ。 あんたがこの狩り(ゲーム)を楽しむために。 弱って、血塗れで震えながら眠る俺を。 だから。ただ、見てたのかよ! 急激に、目の前が真っ赤に翳る。身体の内側で暴れ出そうとする「気持ち」を抑えるために、俺は…遠ざかって消えようとする赤い背中から目を背けるように、硬く瞼を閉じた。
ほうと赤く、赤々と紅く燃える炎のようなスイッチに指先で触れ、俺は深く溜め息を吐いた。 その吐息に吹き消されたかのように炎が消し飛んで、数瞬、熱はないものの熱さを想像させる光がちりと収束し、小さな部屋の中に静けさと寒々しさが満ちる。 最後のスイッチは切った。 途中、何度か追跡者…もう名前を思い出すのもイヤでイヤでしょうがない赤色のアレ…の手に捕らえられそうになりながらも、都合五つのスイッチを解除した俺は、忘れていた身体の痛みを思い出して眉を寄せ、そのまま、自分で自分を抱き締めがくりと膝を折った。 正直、途中でどれだけ撃たれたのか、よく覚えていない。一旦小休止して体力と気力の回復には成功したけど、直後に聞かされたアイツの台詞のおかげで内に溜まった怒りが正常な判断力を奪ったのは否めず、判っていながら廊下ぎりぎりまで誘い出したヤツに氷塊を叩きつけたり雷撃を浴びせたりと、全く持って無駄な行為に及んでしまった。 それがアイツの目論見だったのかどうかは、判らない。 そもそも、俺にはアイツの目的が判らない。このゲームの意味すらも。そしてあいつは、俺がそれを考える…意味はないと言った。 俺は、獲物でしかないんだって…。 それまで抑えていた激しい恐怖と震えに襲われた俺は、自分の身体を抱き締めて床に膝を突き、眩暈のするような肩の痛みに耐えかねて、ついに低く呻いた。殆どが体表を舐めるように掠るだけだった弾丸が一発だけ、左肩の骨を砕いて中で停まっている。そこが、酷く痛む。 「……っ…」 傷口が熱い。 俺は奥歯を食いしばり、左腕の付け根辺りで口を開けている傷に、指を突っ込んだ。 真正面から弾を撃ち込まれたのは、これ一箇所だけだった。というか、あの時、ほんの少し前だけど、わざと立ち止まった俺の背後で歩調を緩め、「もう降参か?」と皮肉な笑いを含んだ声で煽るアイツを咄嗟に振り返らなければ、この傷も他と同じに肌を掠るだけだっただろう。でも俺は振り返ったし、アイツは引き金を引いた。 銃声と同時に身体が吹っ飛んで、緩やかにラウンドした通路の壁に背中から激突した俺が霞む視界を振り上げた時、なぜなのか、あの赤いコートは硬直していた。冷たいくらいの無表情と蒼い両眼から注がれる零下の視線には、微塵の変化もなかったけど。 その隙を突いてアイツの足元に滑り込んだ俺が床に描いた、赤い筋。跳ね起きて、かっこ悪くもよろめき、傷のある左肩を壁に擦った俺の腕を掴もうと伸ばされた、黒革の手袋。 それに捕まったら一からやり直しなんて冗談じゃねぇとばかりに、体内に残った弾丸がじりじりと肉を焼く感触に冷や汗を滲ませながらも左腕で振り払ってやると、ここでもなぜなのか、アイツはあっさりと手を引っ込めた。 だから走って逃げて。 この部屋に逃げ込んで。 今、スイッチは押された。 「うっ…は……く………っ!」 健全な青少年として、痛がって悦ぶ性癖はない。断じて。でも、アイツの握った拳銃から飛び出した弾丸を身体の中に残しておくのが酷く屈辱的で、俺は自分の傷口を指で掻き回し、触れた筒状の金属を抉った。 腕に当たってから床に転がり落ちた弾丸が、カン、と妙に曇った音を小さな室内に響かせる。…シャレなんねぇくれーでけぇ…、とか本気で蒼褪め、っていうか、またもや失血し過ぎで蒼褪めてるのかもしれないけど、俺は眉間に修復不能な皺を寄せて唸った。 サラスかクシナダを呼んで回復して貰うかどうか、真剣に悩んだ。悩みながらふらふらと立ち上がり、血色の足跡を残して小部屋を出る。 痛みが他の感覚を麻痺させていた。 怒りとか苛立ちとか、そういうものも血と一緒に流れ出てしまったような気がする。 そのままの勢いで廊下に出た俺は、胡乱な瞳で左右を見回した。今度はアイツ、何しやがったんだ? さっきまでと違って、えらく薄暗くねー? ここ…。 二度、三度と左右を確認して、あの赤色の気配がないのを入念に確かめてから、重たい一歩を踏み出す。今待ち伏せしてねーって事は、この先、下の階層に下りる梯子の辺りにでもいんだろ、あの性悪魔人め。とか内心苦々しく思いつつ、ふん、と鼻を鳴らして天井を見上げる。 こうなったら意地でもアイツぶっ飛ばして、この先に進んでやるから見てろよ。 それにしても、なんて不安定な廊下なんだろう。なんか、罠? とか発動しちゃってんだろうか。気がついたら回廊がベルトコンベヤーになったみたいに自動で移動してて、ただ立ってるだけなのに視界がぐるんぐるん回って、どうしようもなく不安定だ。 でも進むんだ。と俺は、顔を正面に向け直して一歩踏み出した。 そのつもりだった。 ぶつっ。と俺の意識が吹っ飛んだのは、踏み出した踵が床を捉えるよりも…前だったけど…。
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