詩詞世界　碇豊長の漢詩　毛沢東詩詞　長征

　　　　　　　　　　
　　　　　　　　　　
　　　　　七律　長征

紅軍不怕遠征難，
萬水千山只等閒。
五嶺逶迤騰細浪，
烏蒙磅礴走泥丸。
金沙水拍雲崖暖，
大渡橋橫鐵索寒。
更喜岷山千里雪，
三軍過後盡開顏。

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紅軍は　遠征の難(かた)きを怕(おそ)れず，
萬水(ばんすゐ) 千山(せんざん)も　　只(た)だ　等閒(とうかん)。
五嶺( ごれい)　逶迤(ゐい)として　　細浪(さいらう)を騰(お)こし，
烏蒙( うもう)　磅礴(はうはく)として　　泥丸(でいがん)を走(はし)らす。
金沙(きんさ )　水拍ち　　雲崖(うんがい)　暖かく，
大渡(だいと )　橋　橫たはりて　　鐵索(てっさく)　寒し。
更に喜ぶ　岷山(びんざん)　　千里の雪，
三軍過ぎたる後　　盡(ことごと)く　顏を開（ほころ）ばす。

私感注釈

※七律　長征：遠くに征伐に行く。江西省の井岡山や瑞金の根拠地の紅軍が、一九三四年夏に、国民党政府軍の数度に亘る包囲攻撃を受け、革命の根拠地を支えきれず、江西省根拠地から撤退し、追撃を受けながらも、苦難の末、一年後、陜北根拠地にたどり着いた。この一連の軍旅を指す

。盛唐・王昌齡の『出塞』に「秦時明月漢時關，萬里長征人未還。但使龍城飛將在，不敎胡馬渡陰山。」

とある。

※紅軍不怕遠征難：赤軍は、遠征が困難であるのを恐れない。　・紅軍：中国労農赤軍。中国共産党の軍隊。地域、時代で八路軍、新四軍などと呼ばれた。１９４９年の建国（直前）以降は、人民解放軍。　・不怕：怖くない。平気である。心配しない。　・怕：〔は；pa4●〕恐れる。怖（こわ）がる。現代語（中国語）では、極めて基本的な語。「一不怕苦，二不怕死（的革命精神永放光芒！）」（一に苦しみを恐れず、二に死を恐れず）、「下定決心，不怕犧牲，排除万難，去争取勝利！」

と使われる。　・遠征：遠方の敵を征伐しにいくこと。　・難：〔なん；nan2○〕困難である。難（むずか）しい。なお、難」多音字で、〔なん；nan2○〕は形容詞で、困難である・難（むずか）しいの意。〔なん；nan4●〕は名詞で、わざわい・難儀・災難の意。ここは韻脚なので、前者の意。

※萬水千山只等閒：多くの川や多くの山（があっても、）意に留（と）めない。　・萬水千山：（●●○○）多くの川と多くの山。　*この句のこの部分は「●●○○（仄仄平平）」とすべきところなので、このように表現する。もしも「○○●●（平平仄仄）」とすべきところの場合は、「千山万水」とする。ただし、「千水万山」（○●●○）や「万山千水」（●○○●）とはしない。「平仄平仄」（前者）、「仄平仄平」（後者）となり、独特の調子がなくなる。なお、「山」は冒韻とも考えられる（「山」：平水韻上平十五刪で押韻の「難丸寒」：上平十四寒韻、「閑顔」：上平十五刪韻と重なる）。後出・「岷山」の「山」も同様。　・只：ただ…。…だけ。…にすぎない。　・等閒：意に留めない。たいしたことはない。なんのその。また、なおざりにする。ありきたり。ここは、前者の意。

※五嶺逶迤騰細浪：五嶺山脈は、くねくねと続いているが、（紅軍にとっては）さざ波を起こっている（程度にしか感じない）。　・五嶺：五嶺山脈のこと。大庚嶺、騎田嶺、都

嶺、萌渚嶺、越城嶺で、江西省、湖南省、広東省、広西省にまたがってある山々。　・逶迤：〔ゐい；wei1yi2○○〕長く連なるさま。曲がりくねっているさま。くねくねと続いているさま。ななめに行くさま。　・騰：跳びあがる。跳ぶ。踊らす。　・細浪：さざ波。

※烏蒙磅礴走泥丸：烏蒙山は広大で限りがなく、土団子を転がした（ように稜線がでこぼこと続いている）。　・烏蒙：烏蒙山のこと。山の名前で、雲南省禄勧県にあり、北側には金沙江が流れている。山上には十二の峰がある。　・磅礴：〔はうはく；pang2bo2○●〕広大で限りのないさま。満ちふさがるさま。広く行きわたるさま。盛んである。広大である。　・走：前に進む。金・段繼昌の『一溪』に「一溪流水走靑蛇，春在江邊漁父家。竹外寒梅看欲盡，淸香移入小桃花。」

とある。　・泥丸：土団子。 *難しい語で、『毛沢東詩詞大観』（増訂本　蔡清富・黄輝映編著四川人民出版社 1998年成都）

に拠れば、『後漢書・隗囂傳』に「王元謂隗囂曰：元請以丸泥爲大王東封函谷關」や『漢書・蒯通傳』に「邊城皆將相告白，‘范陽令先下，而身富貴’，必相率而降，猶如阪上走丸也。」とあり、「走泥丸」で「（紅軍の）次第に勢いよく（転がるかのように進む）さま、勢いよく進むさま」、「（烏蒙山の稜線が土団子を転がすときのように）高いところからでこぼことして低くなっていくさま、稜線がでこぼこしているさま」をいう。

※金沙水拍雲崖暖：金沙江の流れは、波打って高い崖は暖かく。　・金沙：金沙江のこと。長江の上流。ここでは、雲南省を流れている部分。　・水拍：波打つ。原詩は、「金沙浪拍…」だったが、「同一詩篇中に浪字を二度使用しないように」との助言を受け入れて「金沙水拍…」と改作した。

　　このことに付き、このページを御覧になった趙先生から次のようなお便りを頂きました。真に興味深い内容なので、御本人の了解を得て、以下に紹介させていただきます。
　「……、実は「浪」を「水」に直した方がよいと毛に進言したのは私（注：趙先生）の母校の歴史学の教授で羅元貞先生という方でした。毛からのお礼の手紙は後に同先生のお守りになり、紅衛兵の迫害を逃れることができたそうです。……」「……手許に１冊の「毛沢東詩詞集」があり、注釈では、５７年１月はじめて「詩刊」（注：中国主出版の詩歌・詩歌理論に関する月刊雑誌）に掲載されたときはすでに「水」に直されていると説明されています。毛の言葉として「不相識的朋友建議改的」が引用されています。ところが、同じ本に載っている１９６２年１月１２日の墨跡の写真では変わらずに「浪」になっています。　……」
　　お便りを拝見して、実に歴史の襞を垣間見る思いが致しました。ありがとうございました。（’９９．８．３１）　・雲崖：高い崖。　・暖：暖かい。金沙江突破の時は一九三五年五月で、実際にも暖かかったということだった。ただし、次の句で「鉄索寒」と、「寒」で対句表現している。そちらの表現との関係もあろう。清・石達開の『入川題壁』「大盗亦有道，詩書所不屑。黄金若糞土，肝膽硬如鐵。策馬渡懸崖，彎弓射胡月。人頭作酒杯，飮盡仇讎血。」

と関係があろうか。

※大渡橋橫鐵索寒：大渡河に（瀘定）橋が架かっており、鉄のロープ（鉄の鎖）冷え冷えとしている。　・大渡：大渡河。四川省西部を流れる岷江最大の支流。　・橋：瀘定橋。清・康煕四十四年（１７０５年）に建造が始められた、鎖で出来た吊り橋。　・鐵索：鉄のロープ（ケーブル）。鉄の鎖。

※更喜岷山千里雪：その上、喜ばしいのは（紅軍は数々の難所をくぐり抜けることができて、）岷山の遥かに広がる雪を越えて。　・更喜：その上、喜ばしいのはの意。紅軍は五嶺の山々・烏蒙山・金沙江・大渡河の橋と数々の難所をくぐり抜けることができ、その上更に岷山の雪を越えて、陜北根拠地近くにたどり着けたうれしさを謂う。　・岷山：〔びんざん；Min2shan1○○〕青海省、甘粛省、陜西省、四川省に繋がる山脈。　・千里：長大な里程を謂う。

※三軍過後盡開顏：紅軍の三方面軍（＝紅軍一方面軍・二方面軍・四方面軍）が通過できた後、ことごとく顔をほころばしていた。　・三軍：全軍。古典では、「三軍」は、諸侯の軍。なお、「六軍」で皇帝の軍。毛沢東自身の詩談（『毛沢東詩詞大詞典』

）によれば、毛沢東は「紅軍一方面軍、二方面軍、四方面軍を指す」とのこと。「陸海空の三軍でもなければ、古代の晋国のいわゆる上軍、中軍、下軍でもない」とも述べている。　・盡：ことごとく。　・開顏：顔をほころばす。にっこりする。

◎　構成について：
　七言律詩　　平起式　　この詩の場合は次の通りである。　　
　　　　　○○●●●○，
　　　　　●●○○●●。
　　　　　●●○○○●●，
　　　　　○○●●●○。
　　　　　○○●●○○●，
　　　　　●●○○●●。
　　　　　●●○○○●●，
　　　　　○○●●●○。
原則をふまえた正確な作詩である。　なお、「」「磅」 [更]（「さらに」は仄）「過」は両韻である。「蒙」は現代語では多音字であるが、上声は「蒙古」を指すので、ここでは平声である。
韻式は「AAAAA」で、韻脚は：「難」、「閑」、「丸」、「寒」、「顔」で、「難、丸、寒」は、平水韻寒韻（-an韻）で、「閑、顔」は平水韻刪韻（-ien韻，（-ian韻））。