Huanying xinshang Ding Fengzhang de zhuye




七律
        
          和柳亞子先生

            
一九四九年四月二十九日
飮茶粤海未能忘,
索句渝州葉正黄。
三十一年還舊國,
落花時節讀華章。
牢騒太盛防腸斷,
風物長宜放眼量。
莫道昆明池水淺,
觀魚勝過富春江。


******

七律             
      柳亞子先生に和す
      

茶を飮みし (ゑつ)海  未だ忘るる(あた)はず,
句を(もと)められし 渝州  葉 正に黄なりき。
三十一年  舊國に(かへ)り,
落花の 時節  華章(くゎしゃう)を讀む。
牢騷  (はなは)だ盛んなれば  (はらわた)の斷つを防げ,
風物 (とこし)へに(よろ)しく  眼量を放つべし。
()(なか)れ  昆明(こんめい) 池水は 淺しと,
魚を()るは 富春江( ふ しゅんかう)よりも (まさ)るなり。

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私感註釈

※和柳亜子先生:柳亜子さんの詩に唱和する。 *前半四句は、柳亜子に対するあいさつであり、後半四句が毛沢東からの語りかけ。新中国誕生前夜(=半年前)、共産党を代表して(柳亜子ひとりに対したのみならず)、共産党政権が民主人士(=1940年代の民主各党派に属する人々)にどう対応していくかの姿勢を示した。柳亜子の詩七律『感事呈毛主席』「開天闢地君真健。説項依劉我大難。奪席談経非五鹿,無車弾鋏怨馮驩。頭顱早悔平生賤,肝胆寧忘一寸丹。安得南征馳捷報,分湖便是子陵灘。」に応えた詩。 ・一九四九年四月二十九日:この年の春、毛沢東は、北京に入城していた。 ・和:〔わ;he
4●〕(詩歌に)唱和する。…に和す。他人が作った詩作に対して、詩を作って応えること。また、和韻は、同一の韻部(韻目)の中の韻字を使った詩作をいう(=依韻)。特に、全く同一の文字を同一配列(=次序)で使うことを特に次韻といい、同一の韻字を自由な配列で用いることを用韻といい、同一の韻部の中の文字を使うことを依韻、狭義の和韻という。 ・柳亜子:清末〜中華民国〜中華人民共和国初期(1887年〜1958年)の詩人。江蘇省の呉江の人。(清代は)同盟会会員で、文学結社・南社の社長。(中華民国時代は)孫中山総統府の秘書、中国国民党監察委員を務め、(中華人民共和国の成立以後は)中央人民政府委員、全国人民代表大会代表及び常務委員会委員などを歴任し、北京で病没した。旧体詩の中に大胆に新語を交えて独自の詩風を開拓し、郭沫若に、その慷慨にあふれる詩風を「現代の屈原」と評された。 ・先生:…さん。成人男性に対する尊称。共産党外の人士に対して使われる。なお、共産党員や他の社会主義国の人物への尊称は「-同志」。このため、「柳亜子先生」との表現には、「共産党外の人士である柳亜子さん」という意味が含まれる。

※飲茶粤海未能忘:(1926年に)広州で会ってお茶を飲んだことがが忘れられない。 ・飲茶:広東の軽食。ヤムチャ。この詩は第一句、第二句も対になっており、「飲茶」と「索句」が対になっているので、「飲茶」は「茶を飲む」と読んだ方がいいか。 ・粤海:広州。「粤」〔ゑつ:Yue4●〕は広東の称。 ・未能:まだ…ことができない。

※索句渝州葉正黄:(1945年の)秋に重慶(談判)で(柳亜子に逢った時)、詩を求めに応じて作った(ことも忘れがたい)。 ・索句:詩を求めに応じて作る。 ・渝州:〔ゆしう;Yu2zhou1○○〕現・重慶。盛唐・李白の『峨眉山月歌』に「峨眉山月半輪秋,影入平羌江水流。夜發清溪向三峽,思君不見下
渝州。」とある。 ・葉正黄:葉は、ちょうど黄ばんでいる。秋であることを謂う。ここでは、毛沢東は1945年の重慶談判の際に、柳亜子に逢った時を指す。 ・黄:黄色くなる。動詞。

※三十一年還旧国:三十一年ぶりに国都(・北京)にかえってきて。 ・三十一年:毛沢東の北京を空けていた年数。毛沢東は、1919年に北京を離れ、1949年に北京に還ってきたその間の年数。 ・還:(行き先から)かえる。くるりと帰る。 ・旧国:旧国都。北京を指す。

※落花時節読華章:晩春に、あなた(=柳亜子)の詩文を読ませていただいた。 *毛沢東が柳亜子の『感事呈毛主席』を読んだことを指す。 ・落花時節:花の散る時期、晩春を謂う。 ・華章:采華溢れる詩文。転じて他人の作った詩文。

※牢騒太盛防腸断:(柳亜子よ、)ぐちが、あまりにもひどすぎると、体に差し障る(だろう)。 ・牢騒:不平。不満。ぐち。 ・太:あまりにも。ひどく。はなはだしく。あまりにも…すぎる。望ましくないことを表すことが多い。 ・盛:旺盛である。激しい。 ・腸断:はらわたが断たれること。はらわたが断たれるほどの辛い思い。≒「断腸」

※風物長宜放眼量:景色は、常にゆったりとして幅広い視野に立って見ているのがよろしかろう。 ・風物:風物(ふうぶつ)。景色。 ・長:つねに。=常。 ・宜:〔ぎ;yi2○〕よろしい。正しい。筋道にかなう。よいとする。よろしく…べし。 ・放眼量:「放眼」は、目をあげ見わたす、視野を広める、視界を開く、目を向ける、の意。 ・放:思う存分にする。おおきくする。「放眼量」は、「幅広い視野に立つ」「広い視界を持つ」意として使い、「放眼…」を韻脚とするため、「放(開胆)量」などを捩ったもの(ではなかろうか)。(その場合の「量」は〔りゃう;liang4●〕なのだが…)。

※莫道昆明池水浅:(柳亜子よ、)「(北京の)昆明池は浅くて程度が低い」とは言いなさるな。 ・莫道:言うなかれ。言いなさるな。…は言うに及ばず。 ・莫:…するな。…するなかれ。副詞。 ・道:言う。 ・昆明池:昆明湖のこと。北京の北西、頤和園にある人工湖。ここでは北京を謂う。 ・浅:(水が)浅い。(程度が)低い。

※観魚勝過富春江:(いなかの)富春江畔で魚を眺める(≒隠棲する)よりも(こちら・北京)の方がまさっている(ことだろう)。/富春江畔で隠棲するよりも、北京で新中国建設に参加した方がよろしかろう。柳亜子の詩七律『感事呈毛主席』の「安得南征馳捷報,
分湖便是子陵灘。」に応えた。 ・勝過:…よりもまさっている。=勝於。=勝似。 ・富春江:浙江省を流れる川。銭塘江の上流で、桐廬と富陽の間を謂う。柳亜子が隠棲したいとする場所で、「分湖便是子陵(故郷である分湖の畔を、厳子陵が隠棲後に釣りをしたという富春江の子陵灘と同じように見なして、私も隠棲したい)というのに答えて、ここで富春江を出した。子陵灘は、後漢の厳光(字は子陵)が隠居後、富春江でつりをした場所。






◎ 構成について:
 七言律詩。 平韻の一韻到底。脚韻は、「忘黄章量江」で、七陽だが江は三江で、盛唐以降は、通押しない。現代語では、−ang韻で同一韻母になる。この作品の平仄は次の通りである。


   ●○●●●○,(韻)
   ●○○●○。(韻)
   ○●●○○●●,
   ●○○●●○○。(韻)
   ○○●●○○●,
   ○●○○●●。(韻) 
   ●●○○○●●,
   ○○●○○。(韻)

 は、ここでは両韻を表すのに使う。「量」は名詞(数量)ではだが、動詞(はかる)では
 
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1999.6月
2001.2. 1
     2. 2
     2. 3
     2. 4完
     5.31
2013.2.25
    〜2.27

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