望大陸
于右任
葬我於高山之上兮,望我大陸;
大陸不可見兮,只有痛哭!
葬我於高山之上兮,望我故鄕;
故鄕不可見兮,永不能忘!
天蒼蒼,野茫茫,
山之上,國有殤!
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大陸を 望む******************
我を 高山の上に 葬れかし, 我が大陸を 望まん;
大陸 見ゆ可(べ)からざれば, 只だ 痛哭せん!
我を 高山の上に 葬れかし, 我が故郷を 望まん;
故鄕 見ゆ可(べ)からざれば, 永(とは)に 忘る 能(あた)はず!
天 蒼蒼として,野 茫茫たり,
山の上, 國に 殤 有り!
◎ 私感訳註:
※于右任:1879年~1964年。右任は字にあたり、名は伯循になる。陝西省三原の人。青年時代日本に渡り、孫文と知り合って同盟会に入会する。帰国後上海で『神州日報』》を創刊して社長となり、報道界で活躍する。やがて、国民党幹部となる。その後、国民党政府軍が大陸から敗退後、台湾監察院院長の職に就き、そこで晩年を過ごす。この作品は八十三歳の時の作で、亡くなる三年ほど前、故郷を偲んで作った。現在、中台交流促進の一つの象徴とも謂える詩作である。
※望大陸:大陸を望む。 ・大陸:中国本土のこと。「臺灣」という表現に対して、本土をこういう。臺灣側でよく使われる。作者は、大陸より臺灣に来たが、当時は敵対していたという国際情勢と政治体制の違いから、大陸へ戻れず、このように偲んで詠った。
※葬我於高山之上兮:わたしの遺体は、高い山の上に葬ってほしい。 ・葬我:わたしの遺体を葬る。 ・於高山之上:高い山の上に。 ・兮:語調を整える虚辞。上句の末尾や、一句のなかの節奏に附くことが多い。上代詩によく見られる。
※望我大陸:我が大陸を 望まん。わたしに郷土の大陸を見せてほしい。
※大陸不可見兮:大陸が見ることができない(のであれば)。 ・不可見:見ることができない。見ることが叶わない。
※只有痛哭:ただ、ひどく声をあげて泣くのみである。 ・痛哭:慟哭する。 ・只有:ただ、…のみが。 ・痛哭:慟哭する。酷く泣く。
※望我故鄕:わたしの故郷の方を眺めて。 ・故鄕:ふるさと。後出の『敕勒歌』を引用するように、内陸陝西省三原の出身。
※永不能忘:いつまでも…を忘れない。いつまでも「天蒼蒼,野茫茫,山之上,國有殤」ということを忘れていない。いつまでも大陸の空の青さ、原野の広さ々としたさまを覚えていて、忘れるということはない。 ・永不能…:いつまでも…を…ない。
※天蒼蒼,野茫茫:空は青々として、原野は広々として果てしが無い。北朝齊の斛律金の民歌『敕勒歌』に「敕勒川,陰山下。天似穹廬,籠蓋四野。天蒼蒼,野茫茫,風吹草低見牛羊。」と大陸の草原の情景を歌ったものがある。ここは、それを使うことで、広々とした大陸への思いを表している。
※國有殤:国には、祖国のために若死にした者がいる。 ・殤:〔しゃう;shang1〕わかじに。二十歳以前に死ぬこと。(外地にあって)わかじにすること。國殤という場合は殉国の士。国のために命を捧げた者を傷(悼)むこと。また、その対象。死国。『楚辭』の『九歌』の中に『國殤』「操呉戈兮被犀甲,車錯轂兮短兵接。旌蔽日兮敵若雲,矢交墜兮士爭先。凌余陣兮余行,左驂殪兮右刃傷。霾兩輪兮四馬,援玉兮撃鳴鼓。天時墜兮威靈怒,嚴殺盡兮棄原野。出不入兮往不反,平原忽兮路超遠。帶長劍兮挾秦弓,首身離兮心不懲。誠既勇兮又以武,終剛強兮不可凌。身既死兮神以靈,魂魄毅兮爲鬼雄。」がある。
◎ 構成について
韻式は「aaBBBB」。韻脚は「陸哭 鄕忘茫殤」で、平水韻入声一屋(陸哭)、下平七陽(鄕忘茫殤)。「忘」は平声、去声の両韻であるが、去声の義と用法が中心になる。尤も、杜甫の『夜宴左氏莊』「風林纖月落,衣露淨琴張。暗水流花徑,春星帶草堂。檢書燒燭短,看劍引杯長。詩罷聞呉詠,扁舟意不忘。」と平韻の扱いである。それゆえ、この作品も、平韻と見ていいだろう。次の平仄はこの作品のもの。
●●○○○○●○,●●●●;(韻)
●●●●●○,●●●●!(韻)
●●○○○○●○,●●●○;(韻)
●○●●●○,●●○◎!(韻)
○○○,●○○,(韻)
○○●,●●○!(韻)
2003.10.31 11. 3完 11. 5補 11.10 2010. 2.24 |
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