辛棄疾(号して稼軒)は、南宋の憂国詞人で、十二世紀後半から十三世紀初頭 にかけて活躍した人物である。詞の世界では、北宋の蘇軾と並んで、豪放詞派の巨人である。
彼が生まれた頃の宋は、北方の民族女真族(現・満洲民族)の国家・金 によって圧迫され、何度かの抗争と曲折があり、岳飛等の活躍もあったが、
結果としては、淮河を国境とする江南半壁に逐いやられた、そのような南宋の時代である。
この時代に、歴城 (現・山東省済南)に官吏の子として生まれた。つまり、準敵地に生まれたわけである。
そのため、反・金国の気運も高まり、各地で抗金の決起があり、辛棄疾も二十二歳の時、故郷済南付近の山で、
武装蜂起に加わった。その後、南向(南渡)を決め、官に就くとともに、民族闘争を強烈に推し進めることにした。
辛棄疾は他の詞人とは違い、崇文尚武の両道の人である。その戦いの日々の熱情と民族の咆哮とが詞に凝縮され、愛国(憂国といった方がより正確)の至情の結晶が、今日なお「稼軒集」として伝えられている。
辛棄疾詞の魅力は、単に憂国の章句を連ねる慷慨の詞ではなく、彼自身の浮沈を繰り返した経歴から社会や人生に対する洞察力に富み、人情の機微を謡い、人生の苦さを詠み、時には艶やかな詞も詠んでいるところから来る奥深さであろう。その意味では蘇辛と一くくりされてはいるが、独特の味わいのある作風である。しかしながら、やはり、千古の興亡を詠じた作品は秀逸である。
赤壁磯頭千古浪!!
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詩詞の字句に異動がある場合は、出来得る限り、原初のものとされている方を採用しました。但し、意味の通りが極めて悪いと思われる場合のみ、通用の方を採用しました。その場合は、その旨を記しています。
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