ロシアのメロディーはその甘さを味わいたいときにはよいけれど、 ドイツ音楽とは相いれないと思っている。 だから、ベートーベンが、 最も精力的な音楽を書いていた中期の弦楽四重奏曲が ロシア風メロディーを伴う「ラズモフスキー」の三曲だけであるのが残念でならない。 (次の「ハープ」「セリオーソ」は、中期とはいえ、 転換期にはいりつつあった時期の曲となっている。)
後期の5曲の弦楽四重奏曲のうち3曲は同じくロシアの貴族、 ガリツィンの依頼で書かれたが、完成した曲にはロシア風の部分はない。 そのことが、私はうれしい。
2009-06-07 (0) 01:40:47 +0900
1月25日日曜日づけ朝日新聞大阪本社版教育面の投書欄、
「聞いて聞かせて」。
二つめの
「岐阜県 団体役員 磯田譲治
」さんの「国際社会は近所にも」は、
近所にブラジル人が増えていることをあげ、
小学校で全国一律に英語を教えるとせず、
地域によってはブラジル人の使うポルトガル語を教えては、と提案する。
《外国からわざわざ外国人を招かなくても、
ネーティブの先生は地域に大勢いるのだ
》というのだが、
その増えているブラジル人の中に、
ポルトガル語が母語でない人にポルトガル語を教える教師としての訓練を受けた人が大勢いるのかどうかは、
書いていないのでわからない。
2009-06-07 (0) 01:31:18 +0900
1月25日日曜日づけ大阪本社版社説「大学生の学力 / まず入試から考える力を」。
《だが学力の質を変えるには、まず大学の入試問題を、
暗記型から思考力を試すものに変えることが先決ではないだろうか
》
というのだが、いまの数学の入試問題
--- 国公立大学ではまず論述式の問題がでる ---
も、思考力を試すものではないと考えているのだろうか?
2009-06-07 (0) 01:26:36 +0900
第二楽章がシャープ二つのニ長調。 第三楽章は単なる間奏なので飛ばすことにし、 第四楽章はシャープ三つのイ長調。 第五楽章はシャープ四つのホ長調。 第六楽章はシャープ五つの嬰ト短調。
2009-06-07 (0) 01:20:44 +0900
2月1日日曜日づけ大阪本社版教育面にあがっていた、 ある学校の「はげみ学習」の問題例。 小学校では分数をスラッシュで書くことはしないはずだ。 なぜ、小学校の教科書で組めるものが、朝日新聞に組めないのか。
付)文字どおり解釈すると、この式の最後の「÷3/5」 は3で割ってさらに5で割ることを意味する。 元々の問題の意味はそうではないであろう。
2009-06-07 (0) 01:16:31 +0900
3月7日土曜日づけ大阪本社版「天声人語」。
《ある名高い動物行動学者によれば、
子どもの年齢と好きな動物の大きさは反比例するらしい。
つまり、幼い子ほど大きい動物が好きなのだという
》。
理科系の学者が、本当に「反比例」といったのなら、 「子どもの年齢」×「好きな動物の大きさ」は一定でなければならない。 実際には負の相関があると言ったのではあるまいか。
2009-06-07 (0) 01:10:49 +0900
3月7日土曜日づけ朝日新聞大阪本社版 be on Saturday の b5 面、 「新フジマキに聞け」の、兄・藤巻健史氏のほう。
ところで、彼の名詞には英文に添えて日本語で「ティム ガィテナー」 と記されていた。現在のマスコミ表記「ガイトナー」ではなく 「ガィテナー」。マスコミも彼自身の表記を尊重すべきでは?
アルファベットでつづる場合、つづり方は発音と一切関係ない。 発音は、尋ねなければわかりようがない。 Jean は英語なら「ジーン」だがフランス語なら「ジャン」だ。 それに対し、日本語のカタカナ表記は発音を示すので、 発音通りに書かねばならない。 また、日本語にない文字の組み合わせは許されない、と私は思う。 いまの場合、「ガィ」がそれに当たる。 これはどのような日本語のオトを表すのか、不明である。
Wikipedia によると、「Timothy Franz Geithner」とつづるようである。 もしかすると、「ガ」と「イ」を別々に発音するのでなく、 二重母音であることを「ガィ」で示したつもりなのかもしれないが、 その習慣は日本にはない。 また、英語での読み方として、 -th- と -n- の間には母音ははいらないと思われるので、 母音を伴わない [t] を「テ」で音写するのは、普通ではない。
2009-06-07 (0) 00:52:56 +0900
2月26日木曜日づけ朝日新聞大阪本社版第一面の、 「事故 リフトに挟まれ女性死亡」という見出しのついた要約を引用する。
兵庫県姫路市の工場で、 荷物運搬用リフトと内部の壁との間に女性従業員が挟まれ死亡した。 リフトが到着していないのに扉が開き、 のぞき込んだところへリフトが移動してきたらしい。 県警は業務上過失致死の疑いもあるとみて捜査。
ここの二番目の文章が述べていることは、
記事本文のどこにも書かれていない。それどころか、
《リフトが到着していないのに2階の乗降口の扉が開き、
過って転落したのではないかとみて
》、
《扉が開いたのにリフトが到着していないため空洞内を確認しようとし、
過って落ちた可能性があるとみている
》と、別のことを書いている。
2009-06-07 (0) 00:42:35 +0900
本項は、けさ未明、 「朝日新聞>一面の要約に出ていることが本記事に」 のタイトルでアップロードしてしまった。 タイトル行を書きかけのまま本文を書き始め、 タイトル行を完成させるのを忘れたものと思われる。
2009-06-07 (0) 14:36:59 +0900
まずは「利敵」について調べてみよう。
新明解国語辞典第五版では「敵を利するようなことをすること
」
と説明されているが、「利する」をひくと
「うまく使う。利用する
」という意味も載っている。
これではまずかろう。
岩波国語辞典第三版は
「その言動が敵側の利益になるようなものであること
」。
これなら紛れがない。
次に気になるのは、敵側の利益になる言動をさすのはわかったが、 味方の不利益になるかどうかは問われないのか、という点だ。 敵の利益すなわち味方の不利益とは限らない。
2009-06-07 (0) 00:33:29 +0900
うーん。どうなっているんだ。
2009-06-07 (0) 00:16:21 +0900
2月26日木曜日づけ。 一つの単語が二行に渡るときは決まった場所で切り、ハイフンを入れる、 というルールが守られていない。 前の行末ぎりぎりまで文字が書いてあると、次の行頭にスペースを入れている。 つまり、単語と単語の間のスペースが行のかわりめにきた場合、 それは表記から消える、という規則を理解していない。
あの朝日新聞が英文の正しい組み方も知らないか、とばかにされそうだ。
2009-06-07 (0) 00:09:52 +0900
2月25日水曜日づけ朝日新聞大阪本社版「あしたを考える」は 「時効 見直し機運」。
こうした選択肢にかかわらず焦点になるのは、 過去の事件にさかのぼって見直しを適用できるようにするかどうかだ。 適用されなければ、いま見直しを訴えている被害者遺族の思いは、 かなわないことになる。
前回の改正では、 改正後に発生した犯罪に限り、延長された時効が適用された。 ドイツのように、ナチスの犯罪を裁く目的もあって、 さかのぼれる仕組みにした国もあるが、 日本では憲法がさかのぼって処罰することを禁じているため、 適用の是非に関する学説も分かれている。
私が一番知りたいのは、すでに時効になり、 “真犯人”が名乗り出た事件について、時効を延長した結果、 その“真犯人”を処罰することができるようにできるのかどうか、なのだが。
《時効までの期間を延長する際の制限事項はあるのだろうか?》、 《時効までの期間が延長されるが、今後起こった犯罪にのみ適用されるのか?》 参照。
2009-06-06 (6) 23:46:43 +0900
3月1日日曜日づけ朝日新聞社説「靖国合祀判決 / 歴史に向き合った判断を」。 この社説の趣旨よりも、次の点が気になった。
判決はいう。 原告の主張は、合祀に対する不快の心情や靖国神社への嫌悪の感情としかいえない。 権利の侵害が認められるのは強制や不利益を伴ったときだけだ。 合祀は信教の自由に基づいて靖国神社が自由に行えることで、 強制や不利益を与えない。 だから遺族の法的利益が侵害されたとは認められない、という理屈だった。
これだけを読むと、誰がどんな宗教を始めて、 そこに誰を合祀 --- その宗教に合祀という概念があるとしての話だが --- しようとも構わない、ということだろうか。 たとえば、淫靡な儀式を伴う、 邪教とでもいうべきものの“神”として合祀された場合はどうなるのだろうか。 その場合は「不利益を伴った」と言えるのだろうか。
付)
2月27日金曜日づけ朝日新聞大阪本社版社会面記事によると、
《遺族以外の第三者は合祀の事実を知り得ないのだから名誉やプライバシーの侵害も認められない
》とも判断されたそうだ。
だから、上に書いたようなことは違法になりそうだ。
2009-06-06 (6) 23:26:28 +0900
2月22日日曜日づけ大阪本社版オピニオン面「耕論」は
「ワークシェア 何めざす」。
その中の、弁護士「中野麻美さん」のインタビューの中に
《駒切れの短時間契約で複数の職場をかけもちするから
》とある。
普通、「細切れ」か「小間切れ」と書くと思うのだが。
将棋などで駒が切れたことを「駒切れ」ということはあるかもしれないが、
ここはそういう意味ではない。
(google で検索したところ、別の意味もあるようだ。)
2009-06-06 (6) 23:17:01 +0900
砂漠の上を飛んでいる。砂が目にはいらないだろうか?
2009-06-06 (6) 21:55:44 +0900
処刑開始前の、遠くから見たシーンでは影は柱の後ろに落ちている。 (一番よくわかるのは、迫ってくる怪物たちも一緒にうつっているシーンである。)
オビ=ワンは、迫ってくるカニの怪物の攻撃を一度はかわし、 二度めで、自分を柱につないでいる鎖を切らせることに成功する。 このとき、柱に傷がつくのは正面、すなわち太陽に向いている側のように思えるが、 次では陰の側になっている。画面左端に隣の柱が見えるので、 太陽の向きが急激に変わったとしか思えない。
カニの怪物が倒す柱は、その二本左に、パドメを襲った怪物が見えているので、 オビ=ワンがつながれていた柱であろう。 しかし、ここでは太陽が横からさしている。 そのあと、遠くから四本の柱がうつると、 確かに、オビ=ワンがつながれていた柱だったとわかる。 二本隣の柱の上にパドメが見えるからである。 このときはまた正面から日がさしている。
ジオノージアンが大砲で柱を倒すときは、斜めから日がさしているようだが、 よくわからない。
その衝撃で怪物の背中に乗っていたアナキン、パドメ、オビ=ワンが落ちるが、 その後、アナキンがひとりで二本の柱の前で雑魚ドロイドと戦うシーン。 左奥に、パドメを襲った怪物が死んでいるのがうつる。 その二本の柱の、もしも左側に柱があったとしたら、 たとえ柱が爆破され、倒されても根本が残るだろうに、 と思うあたりに、何もない。ということは、この二本の柱は、 パドメがつながれていた柱と、その隣の、空いていた柱である。 そうすると、裏から日がさしていることになり、おかしい。 また、ジオノージアンが倒した柱はアナキンがつながれていた柱だったとわかる。
戦車をひく動物にまたがったパドメをアナキンが追うシーン。 右後ろに二本の柱、死んでいる怪物がうつるが、ここも後ろから日がさしている。
ジャンゴが倒されたあと、背景に倒された柱が見える箇所が何度かあるが、 回りにほかの柱がないので、よくわからない。
ジェダイたちが劣勢となり、一箇所に集められてくるところ。 右奥に立っている二本の柱が、その右に倒れている柱が見える。 柱の影はよく見えないがジェダイたちの影の方向はまちまちである。
ヨーダがクローン軍団を連れてきてからは、 動きが速くてほとんどわからない。
2009-06-06 (6) 21:04:14 +0900
一本はオビ=ワンを襲ったカニのような怪物が倒し、 もう一本はジオノージアンが大砲のようなもので倒す。 やがてジェダイたちが追いつめられ、 一箇所に集まるところで、 画面右に二本の柱が倒れ、二本が立ったままであることがわかる。
2009-06-06 (6) 20:55:24 +0900
ここでの右打ち・左打ちとは、 両手でライトセーバーを構えるときどちらの手を上にするかを、 野球選手がバットを持つときになぞらえて言っている。
アリーナで、二人が集まり、 背中合わせになって戦うシーンでアップになるところをよく見ると、 オビ=ワンは右打ち、ウィンドゥは左打ちになっている。 しかし、その直前にはオビ=ワンが左打ち、ウィンドゥが右打ち。 持ち替える時間はないと思うのだが。 また少し経つとウィンドゥも右打ちに変わる。 ジャンゴを倒すところでは左打ち。 ジャンゴを倒したあとは左手一本で剣を持っている。 ただし、 ジャンゴを切るために回転した方向は野球でいえば右打ち打者の回転する方向である。
ウィンドゥが最初、攻撃をうけつつアリーナに飛び降りるところでは、 初めは左打ち。ジャンゴの炎攻撃をかわすときには右手一本で剣を持ち、 空中で弾をはね返すときは右手一本。 アリーナに着地し、上着を脱ぐところで、まずは空いている左手の側を脱ぎ、 右側を脱ぐときに剣を左手に持ち替え、 そのまま、左打ちの持ち方になる。
本項冒頭に書いた、二人が集まるシーンの直前、 ウィンドゥがジャンプする前にアップになるところでは、 左打ちである。
2009-06-06 (6) 20:31:36 +0900
雑魚ドロイドの撃った弾は、 ジェダイがはね返すとほぼ間違いなく撃ってきたドロイドに当たる。 それなのに、ジャンゴが撃った弾はなぜか彼には当たらない。 特別な訓練をしているという設定なのだろうか? ジェダイを銃で撃つというのは、 その弾をはじき返されて自分が死ぬかもしれないわけで、 よほど訓練を受けていないと。
2009-06-06 (6) 20:14:19 +0900
一度目はドロイド工場で、二度目は対ドゥークー戦の中で。 ちょっと間違えば腕を切られるわけで、幸運だったと言えるが、 最後はああなってしまったわけだ。
2009-06-06 (6) 20:10:47 +0900
オビ=ワン、アナキン、ヨーダと三連戦になるが、 それぞれ、違う戦い方をさせている。
《クローンの攻撃>アナキンがドゥークーの剣に斬られる理由がよくわからない》 のと、 《クローンの攻撃>ドゥークーがヨーダに完全に背後に回られるところがある》 のはちょっと残念だが。
III 冒頭の対アナキン戦を含めれば四通りか。
2009-06-06 (6) 19:53:22 +0900
新しいパソコン --- といってももうそう新しくはなくなってしまったが --- の OS は Vista で、前にも書いたように、 ウィンドウの周辺部が透けて後ろが見えるのが楽しくて、 主なソフトは最大化せず、自分で画面いっぱいの大きさにして使っている。
メールソフトの Microsoft Office Outlook は、 「すのもの」のメールアカウントのほかに本名のアカウントでも利用している。 よって、パスワードを打ち込む窓が二つ出るが、 それがぴたりと重なって出る。 ウィンドウがアクティブかどうかは「×」ボタンが赤いかどうかだけで区別されるが、 重なった下の側が赤くても、手前のウィンドウの「×」ボタンが半透明なので、 透けて赤く見えることがあるのである。
最初、これに気づかず、「打ち込んでも * が出ない」 「もう一つのアカウントのほうは、打ち込んでいないのに * が出ている」と、 悩んだものだ。
2009-06-06 (6) 18:44:05 +0900
知らずにいままで多用していた。どうしよう。
2009-06-06 (6) 18:34:14 +0900
2009-06-06 (6) 01:14:39 +0900
本文ナシ
2009-06-06 (6) 01:10:07 +0900
上のように育ってゆく、ツリー型掲示板がある。 新しいツリーを作るべく投稿する方法がある。そのメッセージは“葉”になる。 以後、そのツリーの“葉”の一つを選んで、 それに返信することでその“葉”に“葉”をつけることができる。 その場合、ある“葉”に初めてつく“葉”は親の“葉”のすぐ下の行に書かれる。 二番め以降につく“葉”は、一つ前についた“葉”の先についた“葉”たちのすぐ下の行に書かれる。
これは、現行の皇室典範における皇位継承順位と全く同じである。 上の行の人ほど継承順位が高いことになる。 故人は、故人であるという印をつけて、ツリーには残しておけばよい。 掲示板でいえば「削除」と記しておくことにあたる。
《皇位継承>後から生まれた者のほうが優先順位が高くなる現象を防ぐには》 に書いた、年齢順という案は、 書いた順に表示される掲示板と同じ規則である。
2009-06-06 (6) 00:31:23 +0900
皇位継承の場合、長男に男子が誕生したあとで、 すなわち、孫ができたあとで、男子をもうけることはまれであろう。 このため、この「いろいろ」の中に、 そういうことは起こらないと仮定して書いた箇所があったような気がする。 あったとしたら、それは間違いである。 掲示板の返信の場合は、それは決してまれではない。
2009-06-06 (6) 23:39:00 +0900
裏の木戸を嫌うのである。
2009-06-06 (6) 00:30:13 +0900
前項では「ファイルをコピーしたディレクトリ」を考えたが、 ここではそれに「そこへ」と「ところの」を挿入した文章を考え、 「ところの」の用法を考察する。 (ディレクトリがフォルダに変わったのは単に字数の関係である。)
タイトル行の言い方が正しいなら、 「そこへ」の「そこ」と「フォルダ」は同じものを指している。 これにならうと、 「私がきのう買った本」は、 「私がそれをきのう買ったところの本」となるのだろうか?
《AがBにCを紹介したいと思っているとき、「紹介したい人」とは誰のこと?》 でとりあげた「紹介したい人」で考えると、 「AがBにその人を紹介したいところの人」、 「Aがその人にCを紹介したいところの人」、 「その人がBにCを紹介したいところの人」となるのだろうか?
ただ、ここにさらに、別の「その人」が登場すると、困る。 「その〜」は「ところの」と組むためだけに使う、というのでは不便すぎる。
2009-06-06 (6) 00:18:59 +0900
この言い方の場合、たいていは、コピー先を尋ねているのである。
2009-06-06 (6) 00:17:20 +0900
誕生日占い、血液型占いは前者に属し、 亀のこうらのひびとかで占うのは、後者に属する。
2009-06-06 (6) 00:13:52 +0900
本文ナシ
2009-06-06 (6) 00:12:44 +0900
職場の湯沸かし場にはガスコンロとやかんがあるが、 一人分のお茶のためにお湯を沸かそうとすると、 どれだけ水をいれたらいいかがわからない。 やかんが大きすぎて、目分量ではうまくゆかないのである。 茶わんで水をくんでいれる方法もあるが、 口をつける茶わんで水をくむことのに抵抗がある人がいるかもしれない。
そこで考えたのが、そのやかんのふたを利用すること。 ふたには穴があいているので水はもるが、 毎回、同じ程度のすばやさでやれば同じ量の水がくめる。
2009-06-06 (6) 00:02:57 +0900
「原水禁」「原水協」というときは「原水」だけで「原水爆」の略語になるが。
職場の流しについている浄水器を見て。
2009-06-05 (5) 23:57:35 +0900
終わりのあいさつの前に 先生「英会話は」 ゲスト二人「聞けば聞くほど」 先生「そして」 ゲスト二人「話せば話すほど」 先生「上達します」 と言う回があるが、 前の男性ゲスト、 ジェリーさんの日本語がまだ外国人の日本語であるのに対し、 ジェフさんはかなり日本語がうまいので、 日本語が(おそらく)母語である先生と、 そうでないゲストとの発音の対比のおもしろさは前のほうがあったような気がする。
2009-06-05 (5) 22:34:46 +0900
このジェフさんはジェフ・マニングさん。 私は、もしかしたら、いままで、 ジェフ・クラークさんとごっちゃにしていたかも。 ジェフ・クラークさんは、大杉正明先生といっしょに担当しておられた方。
2009-08-18 (2) 20:25:18 +0900
コルサントが“首都”だから、医療もコルサントが一番進んでいるだろう。 ジオノーシスからいったんコルサントに帰って義手をつけるのが自然に思えるが、 パドメをナブーに送っていったという話からは、 直接ナブーへ向かったようにも思える。 そして、最後の結婚式のシーンではすでに義手をつけている。
ナブーからタトゥイーンはコルサントへ行く途中にあり、 タトゥイーンからジオノーシスはコルサントからジオノーシスよりずっと近い、 という話だった。 だから、いったんコルサントへ寄ったとしたら、 パドメにとっては遠回りになりそうだが、 上院議員なのだから、首都でしかるべき報告などをしてもおかしくない、 という気もする。
現実の世界よりはるかに医療が発展しているので、 どこで手術を受けても同じなのかもしれない。 V のルークは船の中で受けていたし。
2009-06-05 (5) 00:11:25 +0900
II の最後ではアナキンは apprentice と呼ばれているが、 III のオープニングのあの字幕ではオビ=ワンと合わせて 「two Jedi Knights」と出る。
2009-06-04 (4) 23:57:34 +0900
アナキン、パドメ、オビ=ワンがアリーナで七体の droideka に囲まれるが、 あれは、 「アルゴ探検隊の大冒険」に登場した七人の骸骨剣士にならったのだろうか?
2009-06-04 (4) 23:50:50 +0900
まだ漢字がよく読めなかったころ、うちにあった歌本に「折り返し」とあったのが、 なぜか「おりかえし」と読めて、そう覚えていた。 しかし、大きくなってしばらく、歌本に「折り返し」とあるのに出会わず、 「繰り返し」はときどき見かけたので、 「繰り返し」とあったのを勝手に想像して「おりかえし」と読んでいたのかな、 と思っていた。(そういう例がほかにあったので。)
日本基督教団の讃美歌(1961 年)の 103 番などに 「おりかえし」とあるのを見て、安心した。 リフレインの訳語であろう。
2009-06-04 (4) 21:33:14 +0900
2009-06-04 (4) 03:03:47 +0900
前項を書いていて気がついた。
2009-06-04 (4) 02:57:10 +0900
3月11日水曜日づけ大阪本社版国際面 『「ヒンドゥー至上」過熱』「女性飲酒など目の敵」 「インドで反欧米・他宗教排斥」。
若者 40 人がパブを襲い、
《酒を飲んだり踊ったりしていた女性らを表に引きずり出し、
暴行した
》とあるのだが、
この「暴行」は、前後関係からして、本来の意味だと思うが、はっきりしない。
2009-06-04 (4) 02:50:38 +0900
3月11日水曜日づけ朝日新聞大阪本社版社説 「ケータイ漬け / 目の前の友と向き合おう」。
「ケータイを家に忘れでもしたら、 とても憂うつな気持ちで過ごすことになります。 誰かから着信があったら……。 自分からメールを送った時など、 返事が返って来なければ不安で仕方なくなります。 嫌われているのかと。 この機器によって友情を確かめているのです。 依存症なのでしょうか」
《女子高校生のこんな投書が数年前、本紙に載った
》と続くのだが、
そこで、ひらめいた。
携帯電話を家に忘れてきた場合とそうでない場合とは、
携帯電話の側からも、区別ができる。
ある程度以上の時間、全く操作されなければ、
自分(=携帯電話)はご主人様に忘れられた、と判断してよいだろう。
そのとき、送られてきたメールにしかるべきメッセージを自動返信し、
かかってきた電話にはしかるべきメッセージで自動応答する、
というしくみは簡単に付けられるはずだ。
後者は、私の場合、留守番電話機能を追加で契約しているので、 すでについていると言える。 前者は、私はほかについたメールを転送してもいるので、 すべてのメッセージに返信されるのは望ましくない。 教えていない人にまで、 こちらの携帯電話のアドレスを知らせてしまうことになるからである。 あて名にその携帯電話のアドレスがはいっている場合のみ返信、 とすればよい。それは簡単なことだ。
2009-06-04 (4) 02:38:58 +0900
3月10日火曜日づけ大阪本社版社会面「人を裁く」
第5部「究極の刑」の1回目。
米国では、《執行日は事前に発表され、
死刑囚が選ぶ「最期の食事」も明らかにされる
》
とあるのだが、刑の執行の前日の夕食だとすると、
命のつきるときを意味する「最期」は不適切ではあるまいか。
なお、イエスが使徒たちと行なったのは「最後の晩餐」であって、 「最期の晩餐」ではない。 (イエスはそのときはまだ捕縛されてはいないが、 福音書の記述によれば、すでに自分の刑死を知っていた。 その意味では、死刑囚が最後にとる食事と同じである。)
2009-06-04 (4) 01:46:56 +0900
3月10日火曜日づけ朝日新聞大阪本社版に写真が載っているが、 手の形があまりよく見えない。 ネットでさがしても、正面から撮った写真がほとんどだ。 でも、右肩から生えているのは右手型、 左肩から生えているのは左手型のようだ。
2009-06-04 (4) 01:38:02 +0900
3月10日火曜日づけ大阪本社版「熊野・大和 幻視行」の第39回目、 「周老王古墳」。 「素戔嗚命」に「すさのをのみこと」とふりがなを振っている。 ほかは「天照大神」に「あまてらすおおみかみ」と振るなど、 現代かなづかいにしているのに、ここだけ歴史的かなづかいだ。
《文・桐村英一郎
》と署名あり。
2009-06-04 (4) 01:29:46 +0900
3月10日火曜日づけの大阪本社版スポーツ面。 World Baseball Classic の日本と韓国の試合結果の表の中で、 “巨人”の山口の投球回数を「0 0」としている。 ほかの投手は、「5 1/3」のようになっている、 その 1/3 のところにも0が書かれているのである。 たんに「0 」、すなわち、一回に満たない部分は空白でよいと思うのだが。
《朝日新聞>北京五輪野球日韓戦の記録が二箇所おかしい》 と同じ現象だ。 《朝日新聞>投球回数の「1 0/3」は「1」とどう違うのか?》、 《朝日新聞>プロ野球>オールスターと日本シリーズは 0/3 も表示?》、 も参照。
2009-06-04 (4) 01:21:03 +0900
3月19日木曜日づけ同紙の World Baseball Classic の記事では、 阪神の岩田の投球回数が「0 0」だ。
2009-06-22 (1) 00:53:22 +0900
3月21日土曜日づけ同紙の World Baseball Classic の記事では、 韓国チームの呉昇桓の投球回数が「0 0」だ。
2009-07-19 (0) 01:40:26 +0900
一時期、文鎮を買い集めていたが、あるときからぱったりやめてしまった。 本を開いた状態でページを押さえたいのであれば、 別の本で押さえればたいてい十分だ。 本を一冊しかもっていないのでない限り。
ただ、おもしろい形の文鎮を持っていると楽しいのは確かである。
2009-06-03 (3) 22:53:22 +0900
終わり近く、オーガナ上院議員がアンティリーズ船長に C-3PO と R2-D2 を預け、前者の記憶は消せと、 C-3PO 本人に聞こえるところで命令する。 C-3PO は、人間と変わらないほどの感情をもったドロイドである。 記憶を消されると聞いたことで、 ショックで回路に悪影響が出たりしないのだろうか?
V でわかるように、彼の電源スイッチを切ることは簡単である。 それから話したほうが無難では?
それじゃああの最後の C-3PO のセリフが聞けなくてつまらないんだけどね。
2009-06-03 (3) 20:44:11 +0900
最後、オビ=ワンがおじさんおばさんにルークを預けるところで終わるが、 どうやってあの子がアナキンの子だと証明したのだろう? オビ=ワンと彼らは初対面である。 C-3PO はおじさんやその父親のところで働いていたのだから、 記憶を消されないうちに間にはいってオビ=ワンを紹介していれば、 とも思うが、 ドロイドの言うことってどのくらい信頼されているのだろうか?
2009-06-03 (3) 19:42:39 +0900
スター・ウォーズのエピソード II「クローンの攻撃」の終わり近く、
戦いがすんでジェダイ聖堂に戻っての会話で、オビ=ワンが
「... without the clones, it would not have been a victory.
」
といい、それを聞いたヨーダが
「not victory.
」となじる。
オビ=ワンのこのセリフは、仮定法を用いていることで、
現実には勝利したと言っているのだろうか?
「もしも P でなかったならば Q でなかっただっただろうに」の形だが、 簡単のため、 「もしも P だったら Q だっただろうに」と、 肯定形をつないだ文を考えよう。 この文章は、 「P ならば Q である」というだけでなく、 現実には「P ではない」という意味を含むと思われる。 たとえば、 「もしも私が鳥だったら、空を飛んで彼女の元へ行っただろうに」 という文章は、 「私が鳥ならば空を飛んで彼女の元へ行く」というだけでなく、 現実には「私は鳥ではない」という意味を含むであろう。 その場合、「Q である」かどうかは論理的にはわからない。 「P でないならば Q でない」は「P ならば Q である」と互いに裏の関係にあり、 それらの真偽は別々だからである。
しかし、現実には「Q である」となるのであろう。 上の例文で、 「私は鳥ではないがチョウなので空を飛んで彼女の元へ行ける」 のだとしたら、多くの人は「ばかにするな」と怒ると思う。
2009-06-03 (3) 19:23:11 +0900
この曲は、シャープ4つの嬰ハ短調で始まり、 第45小節でフラット6つの変ホ短調に調号が変わる。 そして、第54小節でシャープ5つの嬰ト短調に変わる。 シャープ系からフラット系へ移り、そしてまたシャープ系に戻るわけだ。 異名同音を利用しているのであろう。
この曲はフーガであり、 主題の頭が(階名読み、しかも長調と同じくドレミファソラシドと読んで) ソシードーであり、 また主題の頭のみに二分音符が使われるので、 比較的容易に主題の頭と、その調性がわかる。 (それ以外のことはよくわからない。)
主題の入りの部分を表にしてみよう。
シャープ4つ | 第34小節 | 嬰ト短調 |
フラット6つ | 第45小節 | 変ホ短調(嬰ニ短調) |
第46小節 | 変イ短調(嬰ト短調) | |
第47小節 | 変ニ短調(嬰ハ短調) | |
第48小節 | 変ト短調(嬰ヘ短調) | |
第52小節 | ロ短調 |
もしもこの部分をシャープ系のままに書きなおしたら、 かえって臨時記号の数は減るのではないか、と前から考えていた。 紙とエンピツでやっても散逸させてしまうだけなので、 HTML の table でやってみたのが、以下の表である。
-1 はフラットが一つつくことを、 0 はナチュラルがつくことを、 +1 はシャープがつくことを、 +2 はダブルシャープがつくことを意味する。 小カッコにはいっているのはつけることが必須ではない臨時記号である。 (0 が臨時記号なし、ではないので注意。 また、調号で gis になっているものを ges に下げる際、 ナチュラルとフラットをつける流儀もあるが、 私が元にした、全音楽譜出版社のスコアはそうなっていない。)
小節 | 現行 | 書き換え | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
Vn I | Vn II | Va | Vc | Vn I | Vn II | Va | Vc | ||
43 | dis | fisis +2 | ais +1 | es -1 | dis | fisis +2 | ais +1 | dis | |
ais +1 | cis | ais +1 | cis | ||||||
gis | h | gis | h | ||||||
es -1 | ges -1 | b -1 | dis | fis | ais +1 | ||||
44 | d 0 | f 0 | b -1 | cisis +2 | eis +1 | ais +1 | |||
f 0 | d 0 | as -1 | eis +1 | cisis +2 | gis | ||||
es -1 | es -1 | ges -1 | dis | dis | fis | ||||
d | f | f 0 | cisis | eis | eis +1 | ||||
45 | es | b | ges | es | dis | ais +1 | fis | dis | |
ges | es | b | fis | dis | ais +1 | ||||
f | f | as | es | eis +1 | eis +1 | gis | dis | ||
es | b | ges | dis | ais +1 | fis | ||||
46 | d 0 | f |   | cisis +2 | eis +1 |   | |||
b | ais +1 | ||||||||
as | es | es | gis | dis | dis | ||||
g 0 | es | fisis +2 | dis | ||||||
47 | c 0, es | g 0 | his +1, dis | fisis +2 | |||||
es | dis | ||||||||
as | des | gis | cis | ||||||
as | c 0 | gis | his +1 | ||||||
48 | c 0 | f | his +1 | eis +1 | |||||
as | f | gis | eis +1 | ||||||
ges (-1) | des (-1) | es | fis (+1) | cis (+1) | dis | ||||
f | des | des | eis +1 | cis | cis | ||||
49 | b | f | des | ais +1 | eis +1 | cis | |||
b | des | ais +1 | cis | ||||||
as | ces (-1) | ges | gis | h (0) | fis | ||||
ges | b | des | fis | ais | cis | ||||
50 | as | as | f | f | gis | gis | eis +1 | eis +1 | |
as | des | des | gis | cis | cis | ||||
b | ges | ais +1 | fis | ||||||
ces | h | ||||||||
b | b | ges | es | ais +1 | ais +1 | fis | dis | ||
g 0 | fisis +2 | ||||||||
51 | g | fisis +2 | |||||||
b | es | es | gis | dis | dis | ||||
c 0 | as | his +1 | gis | ||||||
des | cis | ||||||||
c 0 | c 0 | as | f | his +1 | his +1 | gis | eis +1 | ||
a 0 | gisis +2? | ||||||||
52 | a 0 | gisis +2? | |||||||
c 0 | f | f | his +1 | eis +1 | eis +1 | ||||
des | b | cis | ais +1 | ||||||
es | dis | ||||||||
des | des | a 0 | fis | cis | cis | gisis +2? | fis | ||
b | ais +1 | ||||||||
53 | ais +1 | ais +1 | |||||||
des | ges | fis +1 | cis | fis | fis | ||||
es | h 0 | dis | h | ||||||
e 0 | disis +2 ? | ||||||||
dis +1 | ais +1 | dis | ais +1 | ||||||
fis +1 | h 0 | fis | h |
書き換えてみて気づいたのは、 第53小節の第二バイオリンの e はシャープ系に直したら disis になるのか、 それとも e のままでよいのか、音楽を理解していない私には判断は不可能だ、 ということだ。
第51小節、第52小節のビオラ、第52小節のチェロの a と gisis も同様。 (第51小節の終わりから第52章節の初めにかけては、 ヘ長調の主和音と同じ音の組み合わせだ。そういうのを、どう理解したらよいのか、 まったくわからない。 第52小節後半では des-a-fis という音が同時に鳴るが、 cis-a-fis と思えば嬰ヘ短調の主和音と同じ。 だから、シャープ系で書くとき gisis とするのはまちがい?)
そういう問題は残ったのだが、いちおう、臨時記号を数えてみると、 現行が41、シャープ系に書き直すと54。 このままだと、現行のほうがよさそうに見える。 しかし、書き直したほうに臨時記号を伴う ais が17回現われていること、 このあと、第54小節からは嬰ト短調(a は常に ais になる)に調号が変わること、 を合わせて考えると、フラット系に変わるよりも嬰ト短調に変わったほうが、 よかったように思える。そうすれば、 臨時記号は54−17=37しか現われない。 さらに言うと、第31小節から、音楽は嬰ト短調になっているようである。 a は必ず ais になっている。 そこから調号を嬰ト短調にしてしまうと、上の表以前の範囲で、 15個の臨時記号が減らせる。
ところで、調号が嬰ト短調なのは第54小節から第59小節までの6小節だけだが、 その中ではすべての ais にはナチュラルがついて a に戻されている。
結論: 単に楽典の知識があるだけでは、 異名同音による書き換えを元に戻すのは不可能、 ということがよくわかった。
2009-06-02 (2) 23:45:16 +0900
+−−+−−+ | | | | +−−+ | | | +−−+ | | | | +−−+−−+のような表を書きたいとする。 四限が、三限か五限と必ずつながっている時間割では、 このような部分が現われるであろう。
<table border="1"> <tr><td rowspan="2">○○</td><td>△△</td></tr> <tr><td rowspan="2">△△</td><td> </td></tr> <tr><td>○○</td></tr> </table>だと
○○ | △△ |
△△ | |
○○ |
<table border="1"> <tr><td rowspan="2">○○</td><td>△△</td></tr> <tr><td rowspan="2">△△</td></tr> <tr><td>○○</td></tr> </table>だと
○○ | △△ |
△△ | |
○○ |
なんとかならないか。もちろん、
□□ | ○○ | △△ |
□□ | △△ | |
□□ | ○○ |
2009-06-02 (2) 23:12:11 +0900
「マイカー」は和製英語だが、 最近は同じく和製英語の「マイバッグ」をよく目・耳にする。 きのうから多くのスーパー・コンビニで始まった、買い物袋の有料化のためだろう。
古くからある「マイペース」も似たパターンか。 「あの人はマイペースな人だ」という言い方まである。
2009-06-02 (2) 20:23:34 +0900
3月9日の月曜日づけ大阪本社版
「在日華人」第2部「望子成龍」の「上」に
《最初の全国模試で数学や物理で偏差値70をとる中国人生徒を見て
》
とあるのだが、偏差値は「とる」ものだろうか? 偏差値は、
受験者全体の得点分布の中で自分がどのあたりにいるかを示す数値だ。
満点をとっても偏差値 70 に達しない模試もありえる。
私なら「偏差値 70 を出す」と言うかもしれない。
《林望、香取啓介、浅倉拓也、五十川倫義
》と署名あり。
2009-06-02 (2) 01:24:36 +0900
3月8日の日曜日づけ大阪本社版社会面 『「自民側立件できぬ」高官発言 / 民主、漆間氏追及へ』。
政府高官の発言が出たのは、 定期的に開かれる記者団との懇談。 メモをとらないオフレコ扱いで、 政策などの真意や背景を聞く場だ。 記者はニュース性があると判断した発言は、 「政府高官」を主語にして報じる。
発言内容を主語とし、受け身形で報じることもあるだろう。 ここでは「主語」が「動作の主体」という意味で使われているのだろう。
3月9日の月曜日づけ大阪本社版社会面
「窮余 オフレコ解除」では
《漆間氏との懇談は発言主体を「政府高官」「政府筋」
とぼかすことで報道できる慣例になっていた
》とある。
こちらは納得できる。「発言者を」のほうがさらにはっきりするとは思うが。
2009-06-02 (2) 01:14:44 +0900
3月8日の日曜日づけ大阪本社版社会面
『卒業の歌「旅立ちの日に」――響く丘』に、
《長女との思い出が残る東京から逃げ出したい一心で関東の山懐を目指し、
気がつけば西武池袋線で秩父市に着いていた
》
とあるのだが、
西武池袋線は吾野駅まで。
そこからは西武秩父線だ。
吾野で降りて、そこからは歩いたのだろうか。
西武秩父線に沿って歩くことになると思うが、
西武秩父線の駅を順にたどると、吾野駅、西吾野駅、正丸駅までが飯能市。
正丸トンネルを抜けて、芦ヶ久保駅の所在地は秩父郡横瀬町芦ヶ久保。
その次の横瀬駅は秩父郡横瀬町横瀬。
終点の西武秩父駅に至って、ようやく秩父市にはいる。
(以上の駅名、および駅の所在地は、Wikipedia を参照にした。
ほとんど、西武秩父線全線に沿って歩き通したということか。
《その日にアパートを決め、引っ越した
》
とあるので、お金がなかったわけではなさそうだ。
《編集委員・山上浩二郎
》と署名あり。
2009-06-02 (2) 00:51:24 +0900
2009-06-01 (1) 00:58:20 +0900
きのう職場に出たのは、 きょうの計算機の授業で使う二分探索のプリントを作るためだった。 いくつかの本を参考にしつつ作ったのだが、 探す値を key と書くのだと、割と最後まで思い込んでいた。 そうではなく、構造体のメンバーのうち、比較に使うものを key と呼ぶようである。
2009-06-01 (1) 00:51:45 +0900
大学院にはいったころ、カシオから安いデジタル時計が出るようになった。 そのころはまだ今年が何年かわからなくなることがあったのであろう。 というのは、その時計に、 テープに油性インクのペンで「年」を書いてはった記憶があるからである。 いまでは絶対に忘れることはない。
2009-06-01 (1) 00:48:36 +0900
夕方、職場から街中へ向かうバスを待っていたが、なかなかこない。 やっときたバスの運転手は、市内大渋滞のため、と説明していたが、 込む理由がわからない。 来週は百万石まつりで道路が封鎖されるため、 この週末に買い物を、などと考えた人が多かったのかも。
2009-06-01 (1) 00:45:29 +0900
《魚の「カレイ」(旧かなではカレヒ)の発音は /kare:/ か /karei/ か》 の追記部分参照。
2009-06-01 (1) 00:23:12 +0900
日本語の歴史的かなづかいから現代かなづかいへの変更は、 「以下の表を参考に、歴史的かなづかいとオトから、各自で変換せよ」 という形で行われた(ようだ)。 そこから、いくつかの問題が発生している。 じゃあドイツ語はどうやったの、と関心をもったのだが、あとで調べよう。
2009-05-31 (0) 23:52:07 +0900
芋園という姓が実在するかどうかは知らない。
2009-05-31 (0) 23:50:36 +0900
あの地域全体が日本では朝鮮半島と呼ばれること、 大韓民国が共和国であること、から。
2009-05-31 (0) 23:47:55 +0900
赤井は姓。
2009-05-31 (0) 23:46:21 +0900
本文ナシ
2009-05-31 (0) 23:45:14 +0900
井田は姓。
2009-05-31 (0) 23:43:47 +0900
「やんわり」は「やわらか」などの「やわ」と関係があると思われる。 (単独の「やわ」にはちょっと別のニュアンスが加わる。)
「ひんやり」は「ひや」、「ふんわり」は「ふわ」、 「ぼんやり」は「ぼやぼや」の「ぼや」と、同様に関係あるだろう。
では、「こっそり」「ひっそり」「もっそり」はどうか。 「こそこそ」、「ひそひそ」、「もそもそ」と関係すると思うが、 上の例が「*ん*り」だったのに対し、「*っ*り」となっている。
「もんどり」はこれとは関係なかろう。
2009-05-31 (0) 23:38:05 +0900
本文ナシ
2009-05-31 (0) 23:36:39 +0900
本文ナシ
2009-05-31 (0) 23:29:58 +0900
2022-05-16 (1) 22:15:58 +0900
話がさかのぼってゆくのではなく、 本当に、最終回がまず掲載され、その前の部分が翌日に、と連載されてゆくのである。
どういう意味があるのかは考えていない。
2009-05-31 (0) 23:28:04 +0900
仮定が偽だから。
2009-05-31 (0) 23:26:33 +0900
日本語の小書き文字「ぁぃぅぇぉっゃゅょゎ」「ァィゥェォヵヶャュョヮ」は、 そうでない文字と、大きさのみで区別されるのだろうか? もしそうだとして、 このような文字体系を使っている言語はほかにあるだろうか? 古典ギリシア語の 「下書きのイオータ」は位置も違うので紛れはないだろう。 フランス語に 2e のような書き方があるようだが、 これは数字のあとにのみつくので、やはり紛れはないだろう。 iso-8859-1 には「ª」「º」があるが、 これも特殊な用途にのみ使われるのではあるまいか。
日本語の小書き文字による誤読から生じた語には、 「カミツレ」「ウォッカ」「コンシェルジュ」などがある。 (正しくは「カミッレ」「ウォツカ」「コンシエルジュ」。)
数学をやる際には、 大文字の「C」と小文字の「c」とを、 大きさ以外の点で区別できるように書き分けられなければならない、と言われた。 「eC」と、大文字 C を e の肩に乗せて書けば小さくなるが、 それを小文字と見まちがえられては困るのである。 日本語の小書き文字についてもそれに当たるような書き分けをすれば、 読み間違いは減るだろう。
2009-05-31 (0) 23:07:07 +0900
「幸せなら手をたたこう」の2番が「幸せなら足ならそう」のようだが、 「足を鳴らす」といっても実際に鳴るのは足ではなく、足で踏まれた床であろう。 では、この「を」はどういう意味なのだろうか?
2009-05-31 (0) 22:02:53 +0900
子どものころ、 「幸せなら手をたたこう」という歌をもじって 「幸せなら尻(しり)たたこう」 などと歌いつつ友だちをぶったりしてふざけたことを思い出していたら、 気づいたこと。
「ひざをたたく」は「手でひざをたたく」の意味で、 「ひざ」は「たたく」の目的語である。 助詞「を」はそのことを示す働きをしている。 それに対し、「手をたたく」は「手で手をたたく」のではないだろう。 たいていは、手と手とをたたき合わせるのである。 この場合、「を」は目的語を示すといってよいのだろうか。 あるいは、「手をたたく」はこれで一つの熟語と考えるべきだろうか?
2009-05-31 (0) 21:54:07 +0900
《「手をたたく」は「肩をたたく」「ひざをたたく」とは意味が違うと思うが》参照。
2020-06-22 (1) 22:08:17 +0900
Google で約 914 件。前項とは異なり、 検索結果の3ページめに至っても「値を求める」の意味で使われている。 私が実際に見たのは、いまの職場に勤めるようになってからである。 (答案に使われていたのではっきり覚えている。 ただし、その学生は「求める値」の意味で使っていた。)
2009-05-31 (0) 21:48:12 +0900
一部の高校などで使われているようである。 私が実際に聞いたのは、いまの職場に勤めるようになってからだろうか。 Google で検索すると、実在する語だと思っていたのにカナ漢字変換で出てこない、 というような質問と回答が一番に出てきた。 その次からは、全く関係のない用法ばかりである。
漢籍で使われるかどうか、をもってここでは実在する語かどうかの定義としたい。
2009-05-31 (0) 21:40:52 +0900
前項に関連。 現代風に言えば十字架にかけられた日の前日の夕に行われたとして、 ユダヤ式ではそれは同じ日に属すのではあるまいか、というのである。
マタイ 16,20, マルコ 14,17 では「夕方になって」。 ルカ 22,14 では「時間になったので」。(いずれも口語訳。)
手元の小さな「聖書辞典」(新教出版社、1968 年)では
「主の晩餐」の項目に
《イエスがこの晩餐を行なった日はニサンの月の14日(共観福音書による)
か13日(ヨハネ福音書による)と問題が残されるが、
過越の食事の日と処刑の日が別の日と推測されることにより、
ヨハネの方が正しいと思える(ヨハネ 19:31)
》
とあるが、そもそも「日」が何時から何時までを指すのかがわからないので、
この文章自身が理解できない。
2009-05-31 (0) 20:49:12 +0900
ユダヤの習慣では、日没から新しい日が始まるので、 現代で言うところの金曜日の夕方からは土曜日、すなわち安息日になったはず。 しかし、私が通っていた教会では午後7時から「受難日礼拝」を行なっていた。 キリスト教の世界では、普通に、真夜中に曜日が変わると考えるのだろう。
2009-05-31 (0) 20:42:27 +0900
たぶん普通に読んで「シュットウ」だと思うが、 「出納」につられると「スイトウ」と読みそうにもなる。
職場の電気ポットについているボタンの脇に書いてある。
2009-05-31 (0) 20:41:30 +0900