ラテン語の単語・句は、英語の中で、使おうと思えば無制限に使えるだろう。 しかし、「英語になっている」と言われるのはある範囲までで、 それを越えたものは「ラテン語を引用した」と言われるであろう。
中国語と日本語の間の関係はどうであろうか。 私には、漢籍に使われた語は何でも日本語の中に日本語として使ってよい、 と思っている人がかなりいるように思われる。
2009-05-31 (0) 20:24:23 +0900
Yahoo! のトップからリンクをたどっていける読売新聞のページの一つ
(5 月 27 日 3 時 26 分配信)では、
「卒業せず、大学に残りたい
」と容疑者が言ったことが、
大学院進学を希望したと混同されているように読める。
付) 大学を卒業せずに大学院に進学することで大学に残るのは不可能ではない。 学部の3年を修了した時点で、 大学は卒業せずに大学院に進学することが可能だからだ。 でも、そのことを言っているわけではないようだ。
2009-05-31 (0) 20:16:06 +0900
ここ金沢市の中心、香林坊にある大和百貨店とそのとなりのアトリオは、 地下1階ではどこが境目かわからないほど一体化している。 そのあたりに、一つだけ、 BGMとしてクラシック音楽が流れているスピーカーがあるのだ。
ちょっと前、そこでオルガン曲が流れているのを耳にし、 ヴァルヒャがバッハのオルガン曲を弾いた全集 --- 確か新旧二種あった --- をまだ十分に聴いていないことを思い出し、 いま死んだらもったいないな、と気づいたのだった。
2009-05-31 (0) 20:05:51 +0900
中央大学の事件は、いちおう容疑者の逮捕に至った。 刃物で刺したというのが容疑者の自供からもはっきりしたが、 そこでふと思ったのが、もしも万が一、元指導教官 --- 現在は同業者という関係になる --- と研究集会などの休み時間にトイレに行こうとした際、 待ち伏せしていた敵に元指導教官が目の前で刺されたら、ということである。
スター・ウォーズのエピソード I, 「ファントム・メナス」では、 先に進んでいってしまったクワイ=ガン・ジンがダース・モールに刺されたあと、 弟子のオビ=ワン・ケノービは前にも増した闘争心をもって敵と戦い、 最後は師のかたきを討つ。 あれを思えば、私もぼんやりはしていられないわけだが。
2009-05-31 (0) 19:54:19 +0900
日曜日の散歩コース途中の某所で見かける美猫だが、 きょうはおらず、別の猫二匹が、いつもとはやや違う位置にいた。 警戒心が強いのか、ちょっと近寄るとすぐ逃げる。 後ろから「にゃー」という細い声がしたので振り返ると、 そこにいたのがその美猫だった。 自分が人間の気を引いて、その間に二匹を逃がそうという行動だったのかも。
2009-05-31 (0) 19:49:57 +0900
「日本標準時(JST)プロジェクト」 のページからゆける、電波の出し方を記したページの一つ、 これによると、 電波時計のための電波に乗ってくるのは「通算日」であって、 「月」と「日」ではない。 電波時計が、内部でこれを「月」「日」に換算しているのである。 私は、それを、 そのほうが送ってくるデータのビット数が少なくて済むからだと思っていた。
しかし、ちょっと考えてみればそうではない。 通算日は 0 〜 255 の 8 ビットでは収まらず、9 ビットが必要となる。 月は、0 〜 15 の 4 ビットに収まり、日は 0 〜 31 の 5 ビットで収まる。 つまり、同じなのである。
では、なぜ通算日なのだろう? 一つ思いつくのは、一時期、 ISO が一年の中のある日を表すのに通算日を用いるのを標準とする、 と決めていたことがあった、という事実だ。 つまり、きょうなら、ことしの「151」日目という書き方を標準とし、 「05-31」などの書き方は従とする、という案である。 (……と記憶しているだけである。 いついつの時期はこれが標準だった、のように、 標準化の歴史を記したものを調べる必要があるな。)
2009-05-31 (0) 19:08:32 +0900
本項は、全くのカン違いだった。
すべてのデータは、十進の各位の数が二進で送られてくるのだった。 よって、通算日は 2 + 4 + 4 = 10 ビット。 同じようにすると月は 1 + 4 = 5 ビット、日は 2 + 4 = 6 ビット必要となり、 月+日のほうが 1 ビット多いのだった。
2009-06-05 (5) 23:16:25 +0900
某団体の冊子の表紙に、「ますます加速する〜」という句を見た。 「〜」は、この団体にとって、積極的に取り組むことが求められる運動である。 「ますます加速する」は、 それを時間の関数とみたとき、二階微分が正だと言っているに過ぎない。 現在の動きが逆行、すなわち、負の速度をもっていたとすると、 それの絶対値が小さくなっていると言っているだけである。 つまり、その運動を(正の意味で)行なっていて、 それがますます進んでゆく、とは限らないのである。
Google で「ますます加速する」は約 16,400 件。
付) 上では二階微分が正としたが、 「ますます加速する」を「ますます加速度が増す」と理解すれば、 三階微分が正であるという意味になる。
2009-05-28 (4) 20:55:18 +0900
漫才師の中田カウスさんに脅迫状が送られてきた事件で、 筆跡鑑定うんぬんという話が報道されている。 このあと、どうなるかはわからないが、 しばらく、筆跡鑑定というものが話題にのぼりそうだ。
昔だったら、 「同一人物にまちがいない」というような発表で十分だったかもしれないが、 現在の DNA 鑑定では確率を添えて発表するのが普通になっている。 筆跡鑑定でも、確率いくらでと言うようにならないだろうか。
狭山事件の筆跡鑑定について、 もう一度、現代の鑑定技術をもって再検討し、 確率いくらぐらいで同一人物と判定されるのか、 検討する必要があるのではないか、と思っているのだが。
2009-05-27 (3) 01:22:09 +0900
2009-05-27 (3) 01:19:51 +0900
前項のようなことを考えると、 エ段の長音は ê で書き、 エ段の次にイがきた場合のみ ei とするほうが望ましいかもしれない。 《「ソメイヨシノ」の「イ」にフランス語のトレマのような記号をつけては》、 《ソメイヨシノはローマ字で書くなら someï-yosino とする?》 参照。
2009-05-27 (3) 01:15:27 +0900
歴史的かなづかいの「ヒ」が「イ」に変わったと考えれば、 /karei/ ではなかろうか。このあたりの規則はよくわからないけど。
そうなら、ローマ字で書く際に kareï とすることが考えられる。
2009-05-27 (3) 01:12:17 +0900
岩波国語辞典第三版の付録
「現代かなづかいと歴史的かなづかいの対照表」の「エ段の長音」のところには
「ええ」「ねえさん」だけがあがっており、
《東京を中心とする東部方言では、
右以外にも、エ段の長音に発音するものがあるが、
右以外はすべて、歴史的かなづかいでも、現代かなづかいでも、
「けい」「げい」「せい」「ぜい」「てい」「でい」
などのようにエ段のかなに「い」を添えて書き表す
》
とある。
これに従うなら、もしも「カレイ」を /kare:/ と発音するなら、 歴史的かなづかいでも「カレイ」でなければならないことになり、 これは事実に反する。 よって、この注意書きに従うなら、/karei/ と発音しなければならないだろう。
ところで、 こうすれば、「カレーライス」の「カレー」と発音で区別することができるわけだ。
付) 岩波国語辞典第三版は「ねえ」も見出しに載せている。 「ええ」「ねえさん」以外もまだ例があるということだ。 「ね」を見よ、となっているが、単語として存在することは間違いあるまい。
2009-05-31 (0) 23:59:59 +0900
後者については 《プロ野球>「9回終わって同点」は先攻のビジターチームの勝ちとしては?》 を参照されたい。 ある意味で似ているかな、と思ったので、 それなのに後者を主張する人は少ないな、と。
付)その後、 《プロ野球>延長戦>コイン投げで「次の回へはいるか」を決めるとしたら?》 と考えるようになった。2009-05-27 (3) 00:57:51 +0900
普通の辞書には載っていない漢字の並びを、 日本語にはいった漢語として音読みする必要がある人というのは、 どのくらいいるのだろうか? 漢字で書かれた文献を研究する人はそうか。
あとは子の命名か。
2009-05-27 (3) 00:55:59 +0900
前項に関連。ほかに、呉音、唐音、漢音などの区別も必要だ。
2009-05-27 (3) 00:54:16 +0900
「六法」などの場合、ポウとはなるが、ボウとはなることはないのでないか。 漢和辞典で「訪」を見ても、ボウになることがあるというのは、 用例に目を通さないとわからない。
2009-05-27 (3) 00:49:32 +0900
本文ナシ
2009-05-27 (3) 00:40:35 +0900
かなで書くと「こおりづけ」「こうりづけ」と異なるが。
後者を授業で初めて聞くと、意味がつかめないかも知れない。
2009-05-27 (3) 00:37:45 +0900
本文ナシ
2009-05-27 (3) 00:36:49 +0900
答えは 《「南中」という言葉はあるが「北中」はないみたい / 「正中」なら OK ?》 参照。
2009-05-27 (3) 00:34:41 +0900
確かまだ書いてはいなかったが、先日、ふとほしくなって買ったのだ。 《三菱鉛筆から、芯が回転し続けるシャープペンシル「クルトガ」が出たが》 に書いたシャープペンシルである。 ペン先が筆圧で引っ込む力を利用してペン先を回転させるしくみであるため、 書いていて弾力が感じられる。
なぜか、この弾力を感じると、 自動的に芯が繰り出されているようなカン違いをしてしまう。
2009-05-27 (3) 00:02:53 +0900
本試験の問題によく似た問題を出すと予告してあるので、 少しだけ変えて出すつもりである。 時間の都合により、家で作ろうと考え、帰り際にあわててかばんに入れたら、 解答例を書いた紙ではなく、問題用紙そのものを持ち帰ってしまった。 これでは、もう一度解かねばならないではないか。 (「本試験の問題によく似た」というのは、解答がよく似たものになる、 との意味であった。そうでない種類の問題もありえるので、念のため。)
2009-05-26 (2) 22:24:29 +0900
第一楽章は嬰ハ短調で書かれており、 最後は、三小節にまたがる嬰ハ長調の主和音のあと、 嬰ハの音をユニゾンでのばして、終わる。 その次の瞬間、休符をはさまずに、ニ長調の第二楽章へ続く。 冒頭の音は、ニ音のユニゾンである。
要するに、なんの前ぶれもなく、いきなり半音上がって第二楽章が始まる。 その割には、不思議な感じがしないな。
2009-05-26 (2) 21:46:16 +0900
手元のCD3枚を聞いてみたが、 音楽は完全にいったん止まってから第二楽章が始まる。 上の説明で「その次の瞬間」と書いたのは間違いだった。
2009-05-31 (0) 22:41:22 +0900
録音したのをいま聞いている、昨年十一月後半のNHKラジオ 「実践ビジネス英語」で松下クリスさんが lip service と言った(ようだった)ので、 英和辞典をひいてみたら、載っていた。
「リップサービス」は和製英語と聞いて、 ずっとそうだと思い込んでいたのだが。 何か別の語と混同したか。
なお、辞書には聖書に由来するとある。イザヤ 29,13
《主は言われた、「この民は口をもってわたしに近づき、
くちびるをもってわたしを敬うけれども
》(口語訳) かと思ったが、
欽定訳では lips は出るが service なる語は見えない。
2009-05-26 (2) 20:24:16 +0900
「"lip service" bible」で検索してみたところ、 マタイ 15,8 を挙げている英文サイトもあった。 もっとも、この箇所は上のイザヤ書からの引用であるが。
一方、「リップサービス 和製英語」で検索すると、 日本語のサイトで、これは和製英語だとしているページも見つかる。 単なるお世辞の意味で使うと意味がずれるから和製英語と言えなくもないか。
2009-05-31 (0) 22:58:18 +0900
「プログレッシブ和英中辞典第2版」で「リップサービス」をひくと、 lip service とはしていない。 やはり、意味がずれているという意味で和製英語というべきなのか。
2009-06-02 (2) 20:30:00 +0900
「〜らしいのだ」は普通に使う言い方だが、よく考えてみると、 「らしい」は推量、「だ」は断定の助動詞で、 相反する二つが並んでいるようにも見える。 「〜らしい」と推量したと断定している、と考えればいいのだろうか。
2009-05-26 (2) 20:12:29 +0900
某掲示板で見たので、Google で検索してみると、いくつかあるようだ。
「のだ」と「らしい」がたまたま並んだ、 「〜のだ。『らしい』と書いたのは〜」 とか、 「その句は『〜のだ』らしい」のようなもの --- いまの二つは私が作った例 --- なども見つかるが。 (もちろん、「"のだらしい"」と二重引用符で囲んで検索している。)
2009-05-26 (2) 20:06:39 +0900
箇条書きのネストの実験をしていて。
<ul> を </ul> に変えるとどうかな?
2009-05-25 (1) 19:51:39 +0900
グリーバスは厳密にはドロイドではなくサイボーグだが、 外見は完全にドロイドである。 そのグリーバスが、 冒頭の議長救出作戦の中で、ポッドで自分の戦艦から脱出する。 あれは、IV 冒頭で、R2-D2 と C-3PO が、 同じくポッドでオルデラーンの外交船から脱出するシーンと重なっていたわけだ。 全く気がついていなかった。
(完全に同じことのくり返しは不可だが、くり返すことは悪いことではない、 というのが馬琴が八犬伝のどこかに書いていたこと。)
あれ? でも、レイア姫の船は帝国軍戦艦に捕縛されたんだよな。 なんで脱出できたんだっけ?
2009-05-25 (1) 19:46:57 +0900
2009-05-24 (0) 23:13:03 +0900
三すくみは、三角形の頂点に三匹の動物がいるとし、 辺には、食う動物のほうから食われる動物のほうへ向きをつけると、 その向きに沿って、三角形の周を一周できる。 これが、「すくみ」のミソなのではあるまいか。 三角形を面とする多面体の頂点に動物を一匹ずつおき、 各面にうまく向きをつけたら、それで「すくみ」ができないだろうか。 正四面体と正二十面体は、一つの頂点に集まる三角形の数が奇数なので、 うまくゆかない。うまくゆく可能性があるのは、正八面体のみである。
正八面体の頂点に、六種類の動物を一匹ずつ置く。 十二本の辺に矢印で向きをつけ、どの面を見ても、 周囲の辺を矢印の向きに沿って回ると面の回りを一周できるとする。 これはできる。 問題は、向かい合った位置にある頂点どうしである。 どっちが勝つとしても、三勝二敗か、二勝三敗となる。 しかたがないので、これは引き分けとしてみようか。
真上から見ると、左の図のようになり、 上半分のピラミッド状の部分を取り除くと、右の図のように見える。 頂点の名前は、まだ見ないで、矢印の向きがこれで合っていること、 これ以外にはすべてを逆向きにしたものしかないことを観察されたい。 (「△」「▽」は矢印の先の代用である。)
A――――――→B A――――――→B |▽ /↑ |▽ /↑ | \ / | | \ / | | \ △ | | \ △ | | C | | c | | ▽ \ | | ▽ \ | | / \ | | / \ | ↓/ △| ↓/ △| b←――――――a b←――――――a頂点の名前は、正反対の位置にある動物が引き分けることから、 正反対の位置にある組は同じアルファベットの大文字と小文字にした。 そこで、よく見ると、八つの面すべてが、A→B→C→A (あるいはいくつかを小文字で置き換えたもの) になっている。
これは、じゃんけんを、左右どちらの手で出してもいい、と決めたようなものである。 たとえば、右手のグーがA、左手のグーがa、……。 これでは「六すくみ」という意味がない。
2009-05-24 (0) 22:46:52 +0900
「上半分のピラミッド状の部分を取り除くと、左の図のように見える」 と書いていたが、左の図ではなく右の図だったので、訂正した。
2009-05-27 (3) 00:31:43 +0900
一番シンプルなすごろくは、振り出し --- このことばも何年かぶりに思い出した --- からスタートしてサイコロの目の数だけ進み、 最後、上がりまで進んで数が余っていれば、その数だけ戻る。 そういうルールだった。 たとえば、上がりの4つ手前で6が出れば2余るので、2つ戻って、 2つ手前で次の番を待つ、ということになる。
この手のすごろくでは、上がりの6つ手前以内にはいったら、 以後、どんな目が出ても、上がりの5つ手前以内から出ることはない。 そして、それ以後、毎回、上がる確率は 1/6 である。
……ということに気づいたのは、 いくつぐらいのときだっただろう? でも、 振り出しから上がりまで、 全体で必要な回数の期待値を計算しようと思ったことはなかった。
振り出しから n だけ行ったところが上がりのすごろくで、 最初の段落に書いたようなルールだとし、 上がるまでに振るサイコロの回数の期待値を E[n] とする。 n が 4 以下だと、上がりの一つ手前で 6 が出た場合、 振り出しよりも戻らなくてはならなくなる。だから、考えない。
n が 5, 6 のとき、初めてサイコロを振るときから、常に、確率 1/6 で上がりである。 《確率 p で起こる事象が初めて起こるまでの回数の期待値は 1/p なんだ》 の結果が使えて、回数の期待値 E[5], E[6] は 6 となる。 (実は、その計算をしていたことを忘れて、もう一度、 メモ帳の上で計算しながら原稿を書いてしまい、 見比べたらその項目の計算ミスを発見した。修正しておいた。)
n が 7 のとき、一回では上がれない。 しかし、一回目の目がいくつであっても、二回目以降は確率 1/6 で上がりである。 よって期待値 E[7] は E[5], E[6] に 1 を加えた 7 である。
n が 8 のとき、 一回目に 1 の目が出ると、そのあとは期待値 7 である。 一回目に 1 以外の目が出ると、そのあとは期待値 6 である。 こういうとき、E[8] = (1/6)*(7+1) + (5/6)*(6+1) = 43/6, という計算をしていいんだっけ? 43/6 はおよそ 7.166666666667 である。
n が 9 のとき、 一回目に 1 の目が出ると、そのあと 43/6 で、 一回目に 2 の目が出ると、そのあと 7 で、 それ以外だとそのあと 6 だから、 E[9] = (1/6)*(43/6+1)+(1/6)*(7+1)+(4/6)*(6+1) = (1/6)*(49/6)+8/6+28/6 = (49+48+168)/36 = 265/36 かな? これはおよそ 7.361111111111 だ。
n が 10 のとき、 E[10] = (1/6)*(265/36+1)+(1/6)*(43/6+1)+(1/6)*(7+1)+(3/6)*(6+1) = (1/6)*(301/36)+(1/6)*(49/6)+(1/6)*8+(3/6)*7 = (301+294+288+756)/216 = 1639/216 で、これはおよそ 7.587962962963 である。
n が 11 のとき、 E[11] = (1/6)*(1639/216+1)+(1/6)*(265/36+1)+(1/6)*(43/6+1)+(1/6)*(7+1)+(2/6)*(6+1) = (1/6)*(1855/216)+(1/6)*(298/36)+(1/6)*(49/6)+(1/6)*8+(2/6)*7 = (1855+1806+1764+1728+3024)/1296 = 10177/1296 で、およそ 7.85262345679 である。
n が 11 以上のとき、 E[n] = (1/6){(E[n-1]+1)+(E[n-2]+1)+(E[n-3]+1)+(E[n-4]+1)+(E[n-5]+1)+(E[n-6]+1)} となり、 これは (E[n-1]+E[n-2]+E[n-3]+E[n-4]+E[n-5]+E[n-6])/6+1 となる。
付)上に書いた「という計算をしていいんだっけ?」はそのうち考えよう。
2009-05-24 (0) 22:13:38 +0900
こう考えればよいのだった。 すごろくとは、上がりの手前に無限個のマスが置かれたものとする。 振り出しは、そのどこかのマスである。 もしも振り出しを上がりの2つ手前のマスに置いたとし、 6の目が出たら、4つ余るので、振り出しよりも2つ手前に戻る。 そういうゲームだとする。 このゲームは、振り出しが上がりの5つ以上手前に置かれた場合は、 普通のすごろくと同じである。
上と同様に、振り出しが上がりの n だけ手前にあるすごろくで上がるまでのサイコロを振る回数の期待値を E[n] と書けば、n が 1 から 4 まででも意味をもつ。 そして、それは 6 に等しい。 なぜなら、毎回、確率 1/6 で上がれるからである。
こうしておくと、上に書いた漸化式 E[n] = (E[n-1]+E[n-2]+E[n-3]+E[n-4]+E[n-5]+E[n-6])/6+1 は n が 7 以上で意味をもつ。 コンピュータで数値実験をしてみると、この数列は 公差 2/7 の等差数列に近づいてゆくようである。
2009-05-31 (0) 21:15:31 +0900
前項参照。水羊羹(ようかん)を食べていて気づいた。
2009-05-24 (0) 21:53:22 +0900
《落語「禁酒番屋」に出てくる「水カステラ」は辞書に載っているか?》 に出る、あれである。正体は酒。
2009-05-24 (0) 21:48:30 +0900
《地名「邑楽(おうら)」の読み方は /o:ra/ か /oura/ か》 に書いた「邑楽」である。 「オーラが出ている」のオーラと同音、ということになる。
2009-05-24 (0) 21:44:43 +0900
……あることになる。「小惑星」と同音だ、というだけなのだが。 Google では見つからない。こういう書き方はない、ってことかな。 ここまで略すなら「昭九製」とするか。
2009-05-24 (0) 21:40:32 +0900
「アンドロイド」をひいたら「人造人間」へ転送されていて、 「ウルトラセブン」に登場したというのはすぐわかった。これは前項に書いたあれ。 「ウルトラQ」にも出たというのだが、こちらはしばらく考えてしまった。 「人工生命M1号」がそうだった。
2009-05-24 (0) 21:34:29 +0900
…、たぶん。 うっかり、スター・ウォーズの「ドロイド」で初めて知った語、 といいそうだった。 ただ、当時は頭の中でアンドロメダと結びつけていたかもしれない。
2009-05-24 (0) 21:30:42 +0900
2009-05-24 (0) 02:50:34 +0900
きのう、大学に出て、ふと、 おととい実施した中間試験の答案はどこへ置いたのだろうと気になり、 さがしたがなかなか見つからず、ちょっとあせった。 きのう会場まで往復に用いたリュックサックに入れたまま、 リュックサックを、よくしまう場所にしまったのだった。
2009-05-24 (0) 02:46:07 +0900
……、そうではなく、昔ながらのデザインだった。 チェスゲームは斜め上からの表示がデフォルトで、 真上から見た平面的表示もできるようになっていたので、 もしかして電卓も、と期待したのだが。
2009-05-23 (6) 23:35:07 +0900
本文ナシ
2009-05-23 (6) 21:47:34 +0900
平行な三つの円(=平行な三つの平面との交わり) ができると子どものころ図鑑で見たのだが、 記憶がおぼろげだった。
こう考えればよいのだ。 北極星は一年じゅう、天球上で静止して見える。 すべての恒星は、北極星のまわりを回っているように見える。 太陽は、一年をかけて恒星たちの間を巡ってゆくが、 一日の間だけに注目するならば、動いていないに等しい。 つまり、どの一日を考えても、北極星の回りを回っているように見える。
2009-05-23 (6) 21:38:31 +0900
いまこの「いろいろ」全体に grep をかけていて、気がついた。
2009-05-23 (6) 21:23:56 +0900
この話、書いたと思ったが書いてなかったようだ。
USB メモリをはずす際、
「このデバイスはコンピュータから安全に取り外すことができます
」
というメッセージを見てからはずすが、
ノートパソコンの裏側に USB 端子があったとして、
後ろへ手を伸ばそうとしてうっかりテーブルの上のカップを倒し、
はいっていた熱いコーヒーで火傷をした、
「安全に取り外せる」といっていたのに、と訴える人はいないだろうか?
付)Wikipedia の「マクドナルド・コーヒー事件」は読んだ。
2009-05-23 (6) 21:21:22 +0900
カーソルを動かして、
画面上の「ハードウェアの安全な取り外し」
をクリックするのがめんどうなときがある。
どうせ取り外しのため USB 端子のそばに手をもってゆくのだ。
そこに、取り外しボタンがつけられたら便利ではないか? そこを押し、
しばらくして画面に
「このデバイスはコンピュータから安全に取り外すことができます
」
というメッセージが出たらはずしてもよい、という過程は現行と同じで。
もし可能だとして、 パソコン本体側にボタンがつくのか、 USB メモリの側にボタンがつくのかは私にはわからないが。
2009-05-23 (6) 21:06:12 +0900
赤道というのは地表に仮想的にひかれた線である。 地上の点でその赤道の上にある点は、 「赤道直下」とも「赤道上」とも呼ばれると思うのだが、違いは?
実は赤道は幅のある帯で、その表側が赤道上、裏側が赤道直下、 なんてことはないよな。
「赤道上空」は、地表ではなく上空をさすから、明らかに違う。
2009-05-23 (6) 21:04:03 +0900
のばすところを「〜」で表すと「ネタ繰り〜してる間に〜出ていってくれ」。 落語家の奥さんが貧乏に耐えられず出ていってしまう様子。(ウソ。)
ネットで検索したところ、元歌は沢田研二の「勝手にしやがれ」(だと思う)。 いま Google で「ネタ繰りしてる間に」を検索したら、 元々の歌詞が「ネタ繰り」だとカン違いしていた、というページ 2 件を含む、 4 件のみ。
「ネタ振り」なら同音だから聞き違えても不思議はないが。 「ネタ振り」は Google で 90900 件だから実際にある語だろうが、 私は正確な意味を知らない。
2009-05-23 (6) 20:54:42 +0900
あれはパソコン通信の時代だった。 キーボード上で N, T, T のキーのカナを読むと「ミ」「カ」「カ」になる、 というだけのことで、電話代のことを「ミカカ代」などというのが流行していた。
「html」でそれをやると「くかもり」になり、 「くか」「もり」と分解すると「久賀」「森」 と姓が二つになる。それだけの話。
2009-05-23 (6) 19:07:32 +0900
帰りのバスで、元同僚の先生と、日が長くなってきたという話から、 赤道上ではどうだろう、という話になった。 正午の太陽が、天頂よりも夏は北へ、冬は南へ寄ることはわかったが、 どの方角から日が昇るのだろう、という問題は、 ちょっと考えたが、わからなかった。
次のように考えればよいのだった。 夏至のときを考えよう。 いま自転軸と直交する方向から地球をながめているとする。 太陽の光は真横からさしている。 赤道上のある点が、昼と夜の境目、すなわち、日の出か日の入りである。 その地点から太陽の方を見るということは、 その点を通る(地球の)接線で太陽を通るものを求めるということである。 それは、明らかに、赤道の接線よりも北に 23.5 度だけ向いた方角である。 よって、真東から北へ 23.5 度だけずれた方向が日の出の方角、 真西から北へ 23.5 度だけずれた方向が日の入りの方角、となる。
2009-05-23 (6) 19:01:32 +0900
こんどの月曜日の計算機の授業は、ほかの授業の中間試験などで忙しかったので、 「一回休み」風な内容にしようと考えている。 そこで、ネタ繰りをして 「子どものころ遊んだすごろくに『一回休み』ってありましたよね」 と、何年かぶりに「すごろく」という語を口にしてみたら、 鼻濁音化せずに発音しているようだ、と気がついた。 鼻濁音で発音すると、「〜六」という人名のような気がしてしまう。
「五・六」と結びつけて理解していたのだろうか? すごろくにはサイコロがつきものだし。
ただ、何度も言っているうち、鼻濁音化していたような気もしてきて、……。
2009-05-23 (6) 18:59:36 +0900
クワイ=ガンは、ナブーでの戦いのあと、生きてコルサントに帰るつもりだったはず。 いくつかの遺品が残ったと思うのだが、 その整理は弟子だったオビ=ワン・ケノービにまかされたのだろうか。 その過程で、アナキンの母親の写真などが出てきはしないかと、 まだそれを考えている。
2009-05-22 (5) 00:44:54 +0900
きのう、先学期の科目の再試験をした。 私は解答例を前日までに必ず作り、最後の問題チェックをする。 ところが、再試験直前になって、それがどこにいったかわからなくなってしまった。 受験者にぽろっと見えてしまうと困るのである。 数分考えてしまったが、某所に隠しておいたのだ、と気がついた。 これも老化現象か?
2009-05-22 (5) 00:24:27 +0900
いまざっと楽譜を見てみた。 E 線の解放弦の2オクターブ上の音 --- フラジオレットで容易に出せる --- が6本目の加線上の一音上なので、ここまでは普通に使われるのだろう。
全音の「スコアリーディング」によるとその長三度上の Gis までが音域。
ベートーベン「クロイツェルソナタ」第二楽章第二変奏の最後の音は、 上の二つの音の間の F であるが、少し前から「オクターブ上で」の記法になっている。
2009-05-22 (5) 00:14:22 +0900
《Office Outlook では閲覧ウィンドウを出しておいたほうが効率がよいな》
に「Delete キーを連打して文書末まで削除し終えると、
今度は BackSpace キーに変わるようなものか?!
(エディタだったら便利かどうかわからないな。
携帯電話で文書を作成しているときの CLR キーの働きはこれだ。)
」
と書いたが、携帯電話の CLR ボタンは、全文を削除した後に押すと、
「保存しないで終わる」の意味になる。
代わりに「確定」ボタンを押せば全文を削除した状態で保存される。
(場合によってはその文書そのものが削除される。)
ちょっと前、エディットを始めたが気に入らず、 元に戻そうとして CLR ボタンの長押しをして全文を削除したところで、 CLR と間違えて確定ボタンを押してしまい、文書を失ったことがあった。 その場合、いきなり(=全文削除をせずに)電源ボタンを押すと、 内容を廃棄して編集を終了するかどうかの YES/NO 画面になる。 こちらを使うべきなのだった。
付) いま確認したら、確かに「内容を破棄して」と出たが、 破棄されるのはいま行なった編集であり、内容ではない。 これを見て、その文書がなくなってしまうと誤解してはいけない。
2009-05-21 (4) 23:50:18 +0900
私の感覚では、「メモがき」はメモのように書かれたものを指し、 「メモかき」はメモを書く行為をいうように思う。
2009-05-21 (4) 23:47:33 +0900
本文ナシ
2009-05-21 (4) 23:46:40 +0900
作中ではっきりとは語られないが、お腹に子を宿したまま死んだ、 というふうに偽装された遺体が葬儀の際に見えていた。
しかし、両親、侍女など、 彼女の遺体に接することのできる人たちすべてに口止めができただろうか? 口止めをするためには、 生き残ったジェダイたちの味方についてもらわねばならない。 それは可能だろうか? ナブーは、皇帝パルパティーンの出身地でもある。 彼に近い立場の人も中にはいただろう。
両親にしてみると、実は子を産んで死んだ、とわかれば、 その子、すなわち自分たちの孫に会いたいだろう。 パドメの形見となるわけだから。 子は死んだ、と偽れば、パドメと一緒に葬ってやりたい、と言われるだろう。
もしかして、と思ったのだが、 現実世界よりもはるかに医学が進んだあの世界のことである。 パドメの遺体になんらかの施術をして、 あたかも妊娠中に死亡したように見せかけることができたのではあるまいか。 つまり、子宮内に何かを入れてお腹をふくらませるのである。
2009-05-21 (4) 20:11:31 +0900
そう、だよな? 母親とパドメは I で会っている。
2009-05-21 (4) 20:08:20 +0900
アナキンがジェダイになったことは、 タトゥイーンではどのくらい知られていたのだろう? II のワトーの言動からすると、彼は知らなかったようだ。 十年前のポッドレースで、 一度に初完走・初優勝という、奇跡に近い結果を残したアナキンである。 一方、ジェダイといえばあの世界の(ある意味での)エリート層であろう。 あのアナキンがジェダイになった、 といううわさがタトゥイーンにまで伝わっていても不思議はないのだが。
その後、クローン戦争が始まると、 ジェダイに対する関心がより高まるような気がする。 でも、タトゥイーンは田舎の星だから知られていないのかも。
知られていたとすると、 旧三部作でスカイウォーカー姓を名乗っていたルークに危険はなかったのかな、 と気になる。
2009-05-21 (4) 19:47:37 +0900
現実の世界の刀は、訓練によって抜くスピードをあげることにより、 いくらでもはやく相手に切りかかれるようになるだろう。 しかし、ライトセーバーの場合、 スイッチを押してから刃が出るまでの時間はどうしようもない。
少し先のことを予期する能力がジェダイにはあるから、 前もってスイッチを押す、ということになるのだろうか。 たとえば、II でオビ=ワンが背後から銃を手にせまるザムを切ったシーンなど。 I の最後、ダース・モールを切ったときは、 フォースでスイッチを押しながら引き寄せたのだろうか?
一方、明らかにゆっくりと刃を出すシーンもあったと思う。
2009-05-21 (4) 19:47:04 +0900
2009-05-21 (4) 02:23:38 +0900
五種の動物名を、正五角形の頂点に一つずつ書いておく。 正五角形になるよう、結ぶ。 そのとき、各動物は、時計回りにみて次の動物を食い殺す、と仮定する。 また、その五つの頂点を、星型に結ぶ。 このときも、各動物は、時計回りにみて次の動物を食い殺す、と仮定する。
こうすると対称性があるからもしかして、と思っただけ。 それ以上の根拠はない。
2009-05-21 (4) 02:16:23 +0900
これは「すくみ」になっていなかった。
A、B、C、D、Eが時計回りにこの順で並んでいるとし、 「食う」「食われる」の関係は上のようになっているとしよう。 AがBを食うと、残るは四匹。五角形のなごりを残して書くのは難しいので、 正方形に並べ替えて示す。(「▽」は左上・右上向き矢印の代用である。)
E――――→A ↑▽ ▽| | \ / | | × | | / \ | |/ \↓ D←――――C
2009-05-24 (0) 22:28:02 +0900
《五種類の動物間に、どれもが二勝二敗になるよう決める方法は本質的に一通り》とわかったので、 五すくみはありえないことがわかった。
2009-06-07 (0) 17:19:13 +0900
《N すくみのじゃんけん(N 通りの手を出せるじゃんけん)について》、 《本来の意味での「N すくみ」について / 「四すくみ」は存在しない》 の続きである。
n 種の動物が一匹ずつおり、そのうちの任意の二種 X, Y を選んでくると、 「X は Y を食い殺す」「Y は X を食い殺す」のどちらか一方が成り立つ、とする。
しかし、前の考察では、時間の推移について考えていなかった。 仮に、A が B を食い殺し、C が D を食い殺すが、 少しでも先に食い殺したほうが有利、などという状況は、 n すくみを考える上で不適切な気がする。
三すくみに戻って、こう考えてみよう。 A は B を食い殺し、B は C を食い殺し、C は A を食い殺すとする。
まず、A が行動を決める。食い殺せるのは B だけだから、そうするか、 あるいは何もしないか、のどちらかである。
--+- A,B | +- ...上の図では、 「A,B」が「A が B を食い殺す」を、「...」が何もしないことを意味する。
次に、B が行動を決める。しかし、食い殺されているところでは何もできないので、 そこには ### と書いておく。
--+- A,B -+- ### | +- ... -+- B,C | +- ...その次は C の番である。 一番上のケースでは C だけが生き残るので、「(C wins)」としておいた。
--+- A,B -+- ### -+- C,A -+- (C wins) | | | +- ... | +- ... -+- B,C -+- ### | +- ... -+- C,A | +- ...ここで一巡したので、また A の番となる。
--+- A,B -+- ### -+- C,A -+- (C wins) | | | +- ... -+- ... | +- ... -+- B,C -+- ### -+- A,B -+ (A wins) | | | +- ... | +- ... -+- C,A -+- ### | +- ... -+- A,B | +- ...その次の B の番。
--+- A,B -+- ### -+- C,A -+- (C wins) | | | +- ... -+- ... -+- ### | +- ... -+- B,C -+- ### -+- A,B -+ (A wins) | | | +- ... -+- ... | +- ... -+- C,A -+- ### -+- B,C -+- (B wins) | | | +- ... | +- ... -+- A,B -+- ### | +- ... -+- B,C | +- ...これは無限に続く。
ここから、 将棋・囲碁・チェスなどのゲームをコンピュータで扱う際に出てくる、 α刈りやβ刈りを行なえばいいかなと考えたのだが、 木は無限にのびてゆくし、二人ではなく三匹出てくるし、うーん。
あと、ターンが逆に回る場合も考えなければならない。 きょうはここまで。
2009-05-21 (4) 01:41:42 +0900
「無限に続く」と書いたのは、考えが足りなかった。 三匹 --- 生きていても死んでいてもよい --- 続けて何もしなかったら、そこで終わりとすべきである。 よって、二回「何もしない」が続くと、次には必ず 「どれかがどれかを食い殺す」という現象が起きる。 それが起きれば、一匹減るから、それは最大で二回しか起こらない。 ゆえに、考えるべきステップ数には上限が存在するわけだ。
2009-06-07 (0) 17:24:18 +0900
いま使っている携帯電話の(いわゆる)日本語入力法は、 「あ」「あ」「ら」と押すと、ア行の文字、ア行の文字、ラ行の文字、 からなる読みの候補が出るしくみになっている。 「終える」か何かを入力しようとしたときだろうが、 「おうら」という読みで、「邑楽」と変換されるの語あるのに気がついた。 Wikipedia によると、群馬県にある郡、町の名前らしい。
いつものように、/o:ra/ か /oura/ かが気になった。 Google で検索した画面で、この地名に関係するサイトの URL を見てみると、 ora とローマ字化しているようだ。 ということは、ôra ということか。
漢和辞典によると、音は字音かなづかいでイフ、現代かなづかいならユウだそうだ。 だから、これだけからはどちらかはわからない。
2009-05-21 (4) 01:24:19 +0900
前項の続きである。 問題用紙の印刷枚数は、履修登録者数に予備を見込んで適当な枚数を計算し、 その枚数だけコピーする。 また、私は解答用紙・計算用紙などと合わせて一人分ずつをセットにしておく。 解答用紙 --- 問題をそこに印刷しておくことも、別にすることもある --- はA3判と決めているので、それを二つ折りにし、ほかの用紙を間にはさむのである。
今回、その作業が終わったところで、別の部屋に移動し、 できたセットの数を数えてみたら、多い。 おかしいなと思ったら、移動の際、 できたセットの山に重ねて手に持った、 コピー原稿と、私が解答例を作って採点に利用するための一セットが、 混じっていたのである。 まだそこに解答例は書いていなかったので、 万が一、教室で配りかけても問題はないのだが、 いままでにはなかったミスだ。 (部数を数えて、本当によかった。)
いままでだったら、 原稿などは学生に配布する用紙とはっきり区別して持ち運んだはずである。 老化現象かも知れない、と思ったが、実は、 今回は想定外のことが起きたのだ。 履修者数が普段の倍ぐらいあるので、用意しておいた封筒に入りきらず、 第三の部屋へ行ってもう一枚、封筒を取ってこなければならなくなった。 部屋を移動したのは、そのためだった。 二つ折りにしてセットを作った部屋は教員みんなで使う部屋なので、 万が一、 私のいない間に他の教員が学生を連れてはいってきたりするとまずい。 そこで、封筒に入れて封をする前に部屋を移動することになった。 それが原因とも言える。
……とぐだぐだ書き続けることが、真に老化した証拠かもしれない。
2009-05-21 (4) 01:02:20 +0900
《中間試験のため、連立一次方程式の問題作るのだが計算ミスばかり》 の続き。 問題を清書しようとしたら、どれが問題だか、よくわからない。 答えからさかのぼって問題を作るのだが --- このことも履修者には教えてある ---、 できた問題を解いてみて、最初の答えに戻らなければ計算ミスである。 その部分には大きくバツをつけ、 本当に問題に使えるのはどれかがわかるようにしておいたはずが、 バツのつけ忘れ。
2009-05-20 (3) 21:39:12 +0900
授業が始まる前に、プリントを配る段になって気がついた。 私は、コピーをとる際、必ず最初に一枚だけとって、 間違いがないことを確認してから履修者の数だけとるようにしているのだが。
きょう、またその機械を使ってみて、理由がわかった。 私は、コピー位置が一定になるよう、原稿を枠に押しつけて位置を決めている。 よく見たら、その枠が原稿を置くガラス面からはがれかかっていて、 よく見ずにすみに押しつけると、その枠の下に原稿が食い込む。 その結果、コピー位置がずれるのである。
わかってよかったと思う反面、そんなことに気づかずコピーしたなんて、 とも思う。
2009-05-20 (3) 21:33:54 +0900
当然、報道されて、自分の名前が有名になる。 一方で、「お前がそんな病気を発見したから」 というようなわけのわからないことを言ってくる人もありそうな。
2009-05-20 (3) 20:41:37 +0900
きのう、久しぶりにパガニーニの奇想曲のビオラ版楽譜を出してながめてみて、 全部ト音記号で書くと下の加線の本数が多くなるな、と思った。 しかし、最大でも四本にしかならない。 前々項に書いたように、バイオリンでは上に五本の加線をすることもある。 だったら全部ト音記号で書いてもいいのに、と一瞬思ったが、 普通の曲では加線の音域の音符が大部分になるだろうから、やはりうまくない。
手元の楽譜は International Music Company から出ているもので、 「Transcribed by L. RABY」とある。 全体がト音記号で書かれているのは第2曲など。 第2曲では、不思議なことに、最低音 --- C線の解放弦で弾くCの音 --- に「0」と指番号が振ってある。 この音はこれ以外の方法では絶対に出せないのだが。 「この音はCですよ」というサービスか。
2009-05-20 (3) 19:38:09 +0900
いまの楽譜の書き方で、加線は上に何本まで、下に何本まで、 と決まっているわけではないだろう。 かなり多いことがあるが、 「何本目は長く、あるいは太くする」という規則を決めたら、 読みやすくならないだろうか? 長くすることにして、 次の音符とつながってしまうなら、 その高さの加線どうしはつなげてしまうことにする。
2009-05-20 (3) 19:35:23 +0900
小学生のころ、 学校で習うハーモニカとリコーダーがいちおう吹けるぐらいには楽譜が読めたし、 その後、ビオラとピアノを少々習ったので、いちおう、五線譜は読むことができる。 ただし、ここでいう「読む」とは、ゆっくり時間をかければ、 書かれている音がピアノのキーでいうとどれに当たるかがわかる、 というだけの意味である。
スコアを見ながら音楽を聞く、あるいはスコアだけをながめる、 という習慣は中学生のころから身についており、ここ数日はベートーベンの 「弦楽四重奏曲第14番」のスコアを持ち歩いている。 そこで気がついたのだが、 チェロはちょっと加線が多くなりそうになると、 すぐにテノール記号に変わる。 たとえば、第二楽章の第 76 小節でテノール記号になり、 第 89 小節でヘ音記号に戻るが、 その間の最高音は第 81 小節から次の小節にかけてのト音であり、 仮にヘ音記号のまま書いたとしても、上に三本加線するだけで済む。 一方、バイオリンにはト音記号以外は絶対に使われない。 あまりに高い音域を書くときには「一オクターブ上」という記号をつけて書くが、 上に五本加線するなど当たり前である。 たとえば、第七楽章の第 332, 336 小節など。 なぜ、チェロは上に加線をすることを嫌うのだろう? 習慣の問題かな?
2009-05-20 (3) 19:25:04 +0900
「桑原」には「くわはら」「くわばら」両方の読み方がある。 桑原さんが、自分の姓とは違うほうで読まれても、たいていは、 怒ったりしないだろう。 中には、「漢字で書けば『桑原』だが、読みはどちらでもよい」 という人もいるかも知れない。 「桑」と「原」からなっていて、その「原」は「はら」とも「ばら」とも読める、 それが日本語だ、というふうに理解していればそうなるだろう。
ローマ字で書くようになると、Kuwahara または Kuwabara となり、 どちらかを選ばなければならない。
これを、『Kuwahara とつづるが、 「くわはら」と読むか「くわばら」と読むかは本人の希望次第、 あるいは違っていても許容範囲とみなす』とするやり方もあるだろう。
そこで思ったのだが、英語の姓で、 読み方が二通りある例はないだろうか? あれば、 上と似たような例になる。 Goldsmith のように複数の語が合わさってできた姓で、 元の形を残している発音と、そうでない発音の両方がある例がありそうな気がする。
2009-05-20 (3) 02:00:58 +0900
少し前の手書きメモに書いてあった。 何かを念頭において書いたような記憶もあるが、思い出せない。
2009-05-20 (3) 01:59:19 +0900
IV ではレイア姫の姿を記録しており、映写することができた。
2009-05-20 (3) 01:56:03 +0900
タトゥイーンで、クワイ=ガンがアナキンの家に泊まり、 船に残ったオビ=ワンとコムリンクで会話をする。 あの機械は小さいが、 アナキンの血液サンプルを送ってミディ・クロリアン値をオビ=ワンに調べさせることもできた。
いまの携帯電話のようなものだろうが、 写真を撮る機能、すなわち、 カメラ機能はついていないのだろうか? もしついていれば、 アナキンと母親が別れるとき、 最後に一枚とろう、というような風になってもおかしくないような。
そうしていたら、アナキンはさびしくなったらその写真を見ればいいし、 オビ=ワンがアナキンの母親の写真を見る機会がありそう、ということになる。 (実際には、オビ=ワンはアナキンの母親の姿を知らないと思う。 少なくとも映画作品を見るかぎりでは。 見たってどうってことない、という意見もあろうが、 母親とあの年まで暮らしていたことがジェダイの修行のさまたげになるかも、 などと言われていた割には、 ジェダイが母親について知ろうとした形跡がない。)
動く写真は、II の削除されたシーンに出てきていた。 パドメの家のシーン。
2009-05-20 (3) 01:52:03 +0900
クワイ=ガンがワトーに、乗ってきたナブーの船を見せるときに使ったあの道具。 あれは、クワイ=ガンが撮った写真のようなものなのか、 それとも、カタログの画像をダウンロードしたようなものなのか。 前者であれば、アナキンの母親の姿をおさめることもできたはずだ。
2009-06-03 (3) 19:54:11 +0900
《皇位継承>帝王切開で生まれた子が継承した例はある?》 に関連。もしも帝王切開で生まれた子が皇位を継承した場合、 「天皇より格下のローマ皇帝にちなむ名前はよろしくない」と考え、 「帝王切開」を「天皇切開」と言い換えようという動きが起こらないだろうか?
(天皇は皇帝よりも上だ、というのはどこかで読んだ説である。)
やたらに「天皇」の語をつけるのはよくない、という反対意見もあるだろう。
2009-05-20 (3) 01:42:49 +0900
…思う人はいないだろうか?
2009-05-20 (3) 01:34:18 +0900
本文ナシ
2009-05-20 (3) 01:33:21 +0900
本文ナシ
2009-05-20 (3) 01:32:17 +0900
本文ナシ
2009-05-20 (3) 01:30:57 +0900
通勤経路にメモリアルホールがある。お通夜、告別式を行なう会館である。 ゴールデンウィークのころだったと思うのだが、 通夜・告別式の看板に、かなり珍しい姓が出ていた。 これは「いろいろ」ネタに使えるな、と思いつつ歩いているうち、 なんという姓だか忘れてしまった。メモをとるべきだった。
朝日新聞の石川面にはおくやみ欄があるので、 もしかして載っていないかと(日にちを)さかのぼって見てみたが、なかった。 朝日新聞は金沢ではマイナーなので、載らないことも多いのだろう。
2009-05-20 (3) 01:24:41 +0900
互換一つで渡り合いますな。(それがどうした。)
2009-05-20 (3) 01:24:06 +0900
音韻記号で書けば /boQto:/ と /bo:Qto/ の違い。
2009-05-20 (3) 01:17:35 +0900
送信トレイから下書きに戻そうとして手がすべり、どこかへ行ってしまった。 どのフォルダを見てもない。「ツール」「クイック検索」 「すべてのメールアイテムの検索」で見つけられたが、 そのフォルダを見てもない。検索結果の画面からドラッグ&ドロップして、 ことなきを得た。このソフトは要・研究だ。
2009-05-20 (3) 01:14:41 +0900
老化現象か、とちょっと自信をなくしかけた。
付) 学生にはこんな問題が出るよと予告してあるので、 私のクラスの学生が、 このページを自分の出ている授業の教師のページだとわかったとしても、 なんの問題もない。 (あったら書かないよん。)
2009-05-20 (3) 01:11:59 +0900
私は一つの授業科目にA4サイズの紙ファイル一つをあて、 そこにその科目関連の資料を入れておく。 ファイルの背には、手書きで、 油性ペンを用い、科目名と年度・前後期の別を書いていたのだが、 ここ二三年、手書き文字に自信をなくして、書かないまま使っていた。 当然、どれがどれだかわからないから、 ほしいファイルを見つけるまでの時間が無駄になるし、 それを理由に、分けずに一山に積んである資料もあった。
以前もそれほどきれいな文字を書いていたわけではない。 ただ、パソコンに慣れてしまうと、手書き文字に自信を失うようだ。
2009-05-20 (3) 01:09:30 +0900
以前は、それほど見にくくはない文字が書けていたと思うのだが、 最近、丁寧に書き始めても気力が続かずだんだん文字が乱れてくる。 そこで、タイトル行のようなことを考えた。
2009-05-20 (3) 01:07:40 +0900
本文ナシ
2009-05-20 (3) 00:23:58 +0900
最初のうちは「可能な組み合わせ数」が多いが、 だんだん牌をとってゆくうち、一組へり、二組へりして、 やがては組み合わさる牌がなくなって、ついには負ける。 人生も同じようなものだ。そんなことを書きそうな気がする。
ところで、このゲームは「上海」なのだろうか、 「上海」というジャンルに分類されるゲームなのだろうか、 「上海」に似せて作ったゲームなのだろうか? 「上海」 を知らないからよくわからない。
2009-05-19 (2) 23:43:48 +0900
日本語では、「長蛇」は熟語だが、中国語ではどうなのだろう? 単に 「長」と「蛇」を組み合わせたものにすぎないなら、 日本語でも「長」または「長い」と「ヘビ」を組み合わせて、 「長ヘビの列」「長いヘビの列」と言ってもいいのではあるまいか。 普及しないのに一人で使っていると、本当にヘビが列を作っているかと思われるが。
「雨脚(あまあし)」は中国語「雨脚(うきゃく)」を訓読みしたものらしい。
2009-05-19 (2) 23:33:32 +0900
Wikipedia で元・プロ野球「読売ジャイアンツ」の吉村禎章選手の項を読んでいて、
あの大怪我の際に衝突した中堅手が栄村忠広選手だったと知った。
リンクをたどって栄村選手の項目を見ると、
「なお、現在パ・リーグ審判の栄村隆康とたびたび混同されるが、
まったくの別人である
」とある。
またリンクをたどって栄村審判の項目を見ると
「読売ジャイアンツに在籍していた栄村忠広とよく混同されるが、
全くの別人である
」とある。
そこで考えた。「別人」か「別人でない」かはそのどちらかであって、 「少し別人」というのはありえない。 「全くの別人」の「全く」は単なる強調であって、意味がなく、 単に「別人」でよいのではなかろうか。
Google で「全くの別人」を検索して最初のページの用例を見ると、 上の意味での「全くの別人」もあるが、 実は同一人物が、時間が経過したり、メイクの有無などで別人のように見えることを 「全くの別人」と表現しているページが多そうなことがわかる。
だから、「全くの別人」は「別人」の強めの場合と、 実は同一人物で、「全く別人のようだ」(「全く」は「ようだ」にかかる) のこと、と考えられよう。
付)指紋・声紋などで同一人物かどうかの鑑定をした場合、 別人の可能性が高いことを「まったくの別人らしい」としているページもあった。
2009-05-19 (2) 23:19:14 +0900
サイボーグ化されたあとのダースベイダーが腕組みをすることがあるが、 彼は両腕とも義手である。 腕のある人が腕組みをするのと同じような意味があるのだろうか? そもそも、その意味が何かは、私にはわからないのだが。
サイボーグ化される前のアナキンに、腕を組む癖ってあったっけ?
2009-05-19 (2) 23:09:22 +0900
「ベーダー」を「ベイダー」に変更した。
2009-08-13 (4) 21:09:31 +0900
I で、クワイ=ガンとワトーの間で、 アナキンをポッドレースに出そうと話がまとまり、クワイ=ガンが去ったあと、 ワトーがクワイ=ガンをけなすと、アナキンは腕を組む。 III と同じく、左手が下である。
2009-12-22 (2) 20:56:52 +0900
人間にはなぜ腕組みができるのか、と考えてみた。 まず両腕を前に突き出し、右の手首を左手の二の腕の上に乗せる。 ここから左手を動かして腕を組もうとしてみよう。 注意すべきことは、 左のひじは「右手首」「右肩」「右ひじ」を通る平面よりも下にあり、 その結果として、左手手首はこの平面よりも上にある、 ということだ。 (左手首を右手の下に入れ、右の脇の下あたりにもってくれば別だが。)
だから、その状態で左手首を右の二の腕の下に入れて腕を組むことは不可能だ。
よって、腕組みを可能にするためには、 右の手首を左手の二の腕の上に乗せてはいけない。 そうではなく、右手で左手の二の腕をつかみ、右手首は下げて、 左ひじが上で述べた平面よりも上にくるようにしなければならない。 これで初めて腕が組める。
付)上の幾何学的考察はあまり厳密でないかもしれない。 何を仮定しているか、はっきりさせていないからである。
付)足では、上で述べた腕組みに当たることはできないようだ。 座禅の際の座り方がそうかと思っていたが、上と同じようにしたとき、 左足首を右ももの下に入れないところが異なっている。
2009-05-19 (2) 22:55:33 +0900