すのものの「いろいろ」(その142)

理学部は Faculty of Science だが「サイエンス学部」だとニュアンスが違う

本文ナシ

2006-02-21 (2) 01:50:07 +0900

「小原・泉ご両家」は「おはらい済み」と同音だ

前項を執筆中、誤変換で気がついた。

2006-02-21 (2) 01:48:33 +0900

携帯電話にお守りが内蔵され「おはらい済み」と書いてあったら

本文ナシ

2006-02-21 (2) 01:47:48 +0900

携帯電話の待ち受け画面がお札(おふだ)になっていたら

本文ナシ

2006-02-21 (2) 01:47:21 +0900

朝日新聞>「二遊間に割って入ろうと」は「二遊間コンビに割って〜と」?

20日づけ大阪本社版スポーツ面の、 プロ野球「巨人」のキャンプリポート。 《同じく新戦力の小坂は仁志、二岡の二遊間に割って入ろうと、 苦手の打撃向上に必死だ》 というのは、「二遊間をまっぷたつ」 に割る打球が打てるよう練習をしている、 という意味ではあるまい。 直前に 《キャンプでは、ともに新加入の李承Yとディロンが一塁の座を争い》 とあるからだ。 おそらく、「二遊間コンビに割って入ろうと」の意味なのだと思う。

「二遊間」に、 「二塁と遊撃の間」「二塁手と遊撃手」の二つの意味があるのだ。

「篠原大輔」と署名あり。

2006-02-21 (2) 01:36:40 +0900

「この日本語はおかしい」は何を根拠に言えばよい?

「休まさせていただきます」は国語辞典とその付録の活用表を見ればよい。 「千円からお預かりします」「ワタシ的には OK です」は?

2006-02-21 (2) 01:33:29 +0900

皇位は「お金で買えないもの」なのか?

買った人はいないと思うのだが、 「じゃあ買えないものなんですか」と聞かれるとわからない。 買おうとした人の話も聞かないし。

「お金で買えないもの」の定義の問題である。

付) 「お金で買えないもの」でないことを示すには、 誰かが買ってみせればよい。

2006-02-21 (2) 00:48:21 +0900

きょうの補筆箇所

2006-02-20 (1) 02:34:45 +0900

土曜日の散歩記録

この二回とも八坂をあがったが、 途中でドブの水があふれて、そこから下流は坂全体に水が流れていた。 雪どけで水の量は多い。 歩行者が歩く階段は水をかぶっていないからよいが。

先々週は中央公園で催し物をやっていた。フードピアだったかな。 でも屋台が出ているだけに見えた。 先週は中央公園は工事中。 大和地下で買ったギネスビールを飲もうとしたのだが、 いつも缶の口を洗う水飲み場が囲いの中で使えない。 トイレで洗った。

2006-02-20 (1) 00:36:26 +0900

朝日新聞>最近の紙面では「ライブドア」を「LD」と略している

しかし、「ライブドア」は Livedoor と一語につづるのでこの略記はおかしいのでは。

……という話を書いたつもりでいたが、見つからない。

今回書こうと思ったのは、 「いや、GHQ が General Headquarters の略なんだから、これでもいいのだ」 ということだった。

2006-02-19 (0) 23:27:53 +0900

「お〜いお茶」の「抹茶入り緑茶 水出しティーバッグ」を飲み終えた

職場の生協で、半額、200 円ちょっとで売っていたので二箱(20袋) 買って飲んでいた。 賞味期限が三月までで、「水出し」と銘打ってあり、 氷入りで冷たくいれた写真が載っているから、 こんどの夏まで売れないかも知れないと思って安くしたのだろう。

しかし、説明書きを読むとお湯でだしてもいいのだ。 最初、そうやって飲んでいたが、 1リットルはいるサーバーはないので、小さいサーバーを使うことにしたが、 何度もお湯をかえて飲もうとすると、うまくはいらないし、 飲みすぎてお腹がいっぱいになってしまう。

二袋か三袋をそうやって飲んだあと、 「袋をはさみで切って葉を取り出し、普通の急須でいれればよい」 と気がついた。 一袋で数回飲めるから、ずいぶん長い間これを飲んでいた。 おかげで、前に買っておいた普通の緑茶が賞味期限を少しすぎてしまった。

2006-02-19 (0) 23:08:03 +0900

シスの復讐>22 歳のアナキンと 38 歳のオビ=ワンがよくあれだけ戦えるな

プロ野球選手でいえば大学出の新人と引退が近いベテランぐらい違う。 オビ=ワンは、剣の腕前はともかく、体力的に苦しいのではないか。 もちろん、それを修行でカバーしているのがオビ=ワンの偉いところだ。

2006-02-19 (0) 23:01:15 +0900

スター・ウォーズ>IV のベイダーは III のオビ=ワンよりも 4 つだけ年上

III でアナキンは 22 歳、オビ=ワンは 38 歳。 IV はそれから 20 年後だから、ベイダーはまだ 42 歳なのだ。

2006-02-19 (0) 22:59:02 +0900

スター・ウォーズ>III のアナキンは I のオビ=ワンより 3 歳も若い

I でアナキンは 9 歳、オビ=ワンは 25 歳。 III はその 13 年後だから、アナキンは 22 歳にしかなっていないのだ。

2006-02-19 (0) 22:57:46 +0900

衆院選>選管のチラシにある小選挙区・比例代表の用紙の色は覚えなくてよい

Phinloda 氏も似たことを書いておられたと思うのだが、 昨年九月の衆院選の選管のチラシには小選挙区の投票用紙は何色、 比例代表は何色、と書いてあったので、 逆に投票してはいけないと一所懸命覚えていったところ、 用紙に文字で明記されていたのであった。 (最高裁裁判官の国民審査は裁判官名が書かれているので間違いようがない。)

2006-02-19 (0) 22:20:44 +0900

「生殺与奪」の中で「格」の名前になってないのは「殺」だけか

「生格」「与格」「奪格」はある。 「殺格」ってのはないだろうな。

2006-02-19 (0) 17:52:59 +0900

二つの長方形が与えられたとき、片方に他方がはいるための条件は?

箱状のものをロッカーに入れたいのだが、ロッカーの入り口が狭く、 斜めにしないとはいりそうにない、という状況を想像してほしい。

「底辺の長さ a, 高さ b の長方形を、 底辺の長さ x, 高さ y の長方形の中にいれることはできるか?」 という問題を考える。 θ だけ傾ければはいるとすると

となる。 第一式を、 左辺に単振動の合成の公式を使って r sin(θ+α) の形にすることで解き、 第一式を満たす最小の θ が第二式を満たすかどうか調べればよいのだが、 a, b, x, y の式ですっと書けないだろうか?

a, b のほうを固定したとし、この長方形がちょうどはいる長方形の底辺の長さ x と高さ y との関係を求める、という問題にもなりそうだ。

2006-02-19 (0) 17:19:21 +0900

大正天皇のいわゆる「遠眼鏡事件」

Wikipedia の「大正天皇」の項にある、次の説明は納得しやすい。

(大正天皇から直接聞いたというお付きの女官証言によれば)、 ある時、議会で勅語が天地逆さまに巻きつけてあったので、 ひっくり返して読み上げ、随分恥ずかしい思いをした。 このようなことがないよう、 詔書を筒のように持って中を覗いて間違っていないことを確かめて読み上げようとしたものだ (平成13年3月14日付朝日新聞)

ただ、あとでこうも思った。

あとで考えればそうだけど、そのときはとっさに中をのぞいた、 ということはありえるわけで、 上に引用した説が間違いと決めつけているわけではない。

2006-02-19 (0) 16:07:30 +0900

ぬれた手が拭ける携帯電話を作ったらきっと売れるな

けさの be on Sunday の5面、「とれんどサーチ」に 《財布、定期券、スケジュール帳……。 サラリーマンのポケットの中身のうち、 携帯電話に入らないのはハンカチだけだと言われる》 とある。 細沢礼輝と署名あり。

ということは、外側が特殊な材質でできていて、 手を洗ったあと手の中でころがすようにすると水分がとれる、 という携帯ができたら売れるだろうな。 温風が出てもいいんだけど、そいつはちょっと無理だろう。

2006-02-19 (0) 15:29:20 +0900

朝日新聞>「ラボアジェ」って書いてる / 「ラボアジエ」じゃなくて

けさの be on Sunday の2面、「わくわくbook」に。 内村直之と署名あり。

「ラボアジエ」を「ラボアジェ」だと思っていた話》 参照。 《「ラボアジエ」でなく「ラボアズィエ」と書けば「ラボアジェ」にならない…》 でもネタにした。

2006-02-19 (0) 15:11:50 +0900

聖徳太子はきょうだい婚で生まれたのか……。

だから、祖父は欽明天皇ひとりだけだ。 お年玉もらうとき不利だったかも、なーんて考えてしまう。 二人の祖母は姉妹なので、曽祖父も二人しかいない。 一人は継体天皇、もう一人は蘇我稲目(=馬子の父)である。

高等学校のとき使った日本史の教科書に系図が出てた。

2006-02-19 (0) 14:48:01 +0900

皇位継承>歴代の天皇は男系を何代さかのぼると天皇だった人物に至るか?

神武天皇は初代だから至るはずがないので除外。 成務天皇までは父親が天皇だったので「1代」。 仲哀天皇は、 父の日本武尊は天皇になっておらず、 日本武尊の父親が景行天皇だったから「2代」。 このように数える。

「2代」はほかにも例があるが、 それより多いのは継体天皇の「5代」、 後花園天皇(第102代)、光格天皇(第119代)の「3代」だけのようだ。 (北朝の天皇も天皇とみなして数えた。 そうでないとすると、後小松天皇(第100代)は「4代」となる。)

皇位継承に「伝統」を重んじる考えの人は、 5代を超えてさかのぼらないと天皇に至らない人物が継承することに抵抗があるのかな、 と思ったので数えてみたもの。

付)継体天皇とその先代の武烈天皇は、 それぞれから見て(男系の)五代前の先祖が応神天皇である。 現皇太子から五代さかのぼると明治天皇の父である孝明天皇になる。

2006-02-19 (0) 14:35:17 +0900

山本山から「京風茶づけ」が出ている

香林坊大和地下で見た。 山本山の(いわゆる)ホームページにも載っている。

京都でひとのうちを訪問した際「お茶づけでも食べてって」と言われたら --- 実際は京言葉で言われるのだが ---、 それは「帰ってくれ」という意味だと聞いたことがあるので、 京都のお茶づけというのは存在しないもののことかと(以下略)。

同じページには「ブラジル新茶」というのも出ている。 南半球で日本茶に適した木を育てれば、半年ずれた時期に新茶が出せるわけだ。 なるほど。考えたことがなかった。

2006-02-19 (0) 14:19:43 +0900

スター・ウォーズ>オビ=ワンは敵を倒す以外に剣を使ったことがあるか?

クワイ=ガンは通商連合の宇宙ステーション内で、 扉を破るのにライトセーバーを使った。 アナキンは II でザムのエアカーのガラスを破るし、 サンドピープルの家に穴をあけるのにも使った。 また、対ドゥークー戦では足元のケーブルもライトセーバーで切っている。 III ではエレベータの箱の天井を破っている。

III の削除されたシーンの一つには、 議長救出作戦の途中でオビ=ワンとアナキンがライトセーバーで床に穴を開け、 燃料タンクに逃げ込むシーンがあった。

2006-02-19 (0) 13:51:16 +0900

きょうの補筆箇所

2006-02-19 (0) 03:13:28 +0900

朝日新聞>「笑金へタレのチクリ箱」は誤植では --- 「へ」はひらがな

17日づけ大阪本社版の中ほどのテレビ面。 「きょうのテレビ」の中の、 「朝日系 夜9・00」の「笑いの金メダル」に 《新企画「笑金へタレのチクリ箱」が登場する》 とあるが、これは「笑金ヘタレのチクリ箱」ではあるまいか。 「へ」がひらがなになっているが、カタカナの「ヘ」が正しいのではあるまいか、 というのである。

あとには、 《関西弁で小心者というような意味で使われる“ヘタレ”》 など、数回「ヘタレ」が登場している。

2006-02-19 (0) 02:09:28 +0900

朝日新聞>「疑問解決モンジロー」「大安・仏滅のいわれは?」

18日づけ大阪本社版生活面「疑問解決モンジロー」は「大安・仏滅のいわれは?」。 岡田芳朗・女子美術大名誉教授に聞いている。

ところで、「今日は大安」ってどう決めるのだろう。

岡田さんによると、 旧暦では各月1日に六曜が決まっていた。 たとえば1月1日は先勝、2月1日は友引だ。 これを起点に各月の2日以降は、六曜を順番通りに並べていたという。 「それを太陽暦にあてはめると、一見規則性がなく神秘的に見えるんです」

並べていたという」じゃなくて現在も並べているのだ。 この点がはっきりしない。

その結果、 「月」と「日」を足して6で割った余りで決まるだけのもの、 という説明を加えるほうがわかりやすくないか? そう思うのは数学屋だけ?

付) 「俗信」という言葉が使われているが、私が子どものころはよく 「そんなのは迷信だ」という言い方があったっけ。

付) 《「友引は元来、『共引』で、勝負なしの引き分けという意味。 葬式とはまったく関係ないんです」。そう話すのは、 国立歴史民俗博物館の新谷尚紀教授》。 私は以前 《六曜「先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口」の順を覚えた》 に「「先勝・友引・先負」は“勝ち―引き分け―負け”と覚える」と書いたが、 「友引=引き分け」は、 実際にそうだと聞いて結びつけたのではなく、 自分でこじつけたつもりになっていたような記憶がある。

2006-02-19 (0) 01:47:53 +0900

朝日新聞>もうこの作者の漫画を載せるのはやめてくれ! 紙面の無駄遣いだ

18日づけ大阪本社版オピニオン面の一コマ漫画 『省庁名物「激甘 だんごぅ」』。 団子の折りを開けたところの絵で、 団子には人の顔が書かれ、「あん」が髪の毛のように見え、 ふたには「天下り だんごぅ」と書いてある。

それだけ。

「談合」と「団子」を掛けるのは例の 「三兄弟」の歌が流行したときにさんざん聞いた。

作者は

でとりあげた「はちのじ・やすひこ」氏。

付)その右に、帝京平成大教授(漫画・風刺画論)の清水勲氏が 「ムハンマド風刺画事件」に関連して「民衆へ配慮足りぬ漫画家」という文章を書いている。 非常に共感できる文章である。そこに 《西欧社会では、反論として「表現の自由」を強調し、 盾にする声が強いようだ。 しかし、自由にはそれなりの責任と説得力が伴う。 今回の作品は、それにしてはレベルが低いように思える》 と書いている。 並んだのは偶然かもしれないが、苦笑。 その意味では笑える漫画だった。

2006-02-19 (0) 01:17:48 +0900

「計画的犯行」というのはどのくらい前から計画していた場合に言う?

18日づけ朝日新聞大阪本社版トップ「2園児刺され死亡」。 『「けさ、犯行を決意」供述』との見出しもある。 本文には 《「けさ、送っていく子どもを殺そうと決意し、 台所から包丁を持ち出した」と供述」》と。

一方、社会面には 「用意した包丁 / 犯行は計画的」の見出しの元、 「影山任佐・東京工業大教授(犯罪精神医学)の話」として 《あらかじめ包丁を用意していたことから計画的とも言える》とある。

あさ思いついても計画的は計画的か。 サラ金の宣伝にある「ご利用は計画的に」はそうではないと思われる。 分野によって意味が違うのであろう。

2006-02-19 (0) 01:10:09 +0900

朝日新聞>「三者三論 --- 皇位継承と政治」を読む

17日づけ大阪本社版オピニオン面。

元経産相の平沼赳夫氏。

皇室典範の見直しについて、 《皇族が入られ、三権の長が加わる皇族会議で十分にご意見をうかがいながら、 議論すべきだ》と主張しているが、 皇室典範第三十七条には 「皇室会議は、この法律及び他の法律に基く権限のみを行う」 とある。 皇室典範を改正するかしないかという問題を議論する権限はあるのだろうか。

(皇位が)125代男系で続いてきたという家系は、 世界中どこを探してもない》の「皇位が」は聞き手の補いであろう。 もしもこれがなく、単に男系で続いてきた、というだけだと、 何を「家系」と呼ぶかにもよるが、 全ての人は、任意の代数だけ、男系で続いてきているのである。 その人から「父親の、父親の、父親の、……」とたどってゆき、 そこから戻ってくればよい。

「125代」は神武天皇からの代数なので、 歴史的に実在がはっきりしない天皇を含めてよいかという問題はあるが、 それはさておき、 神武天皇は現天皇の「124世代前」ではないことにも注意しておこう。 それは同じ天皇が二度即位している例があることから明らかだが、 日本史年表の系図で数えてみたところ、「71世代前」にあたるようである。 同世代間の継承があるから、代数は世代数より多くなる。 もしも、ある“家”の、 どの世代にも二人ずつの男子が生まれ続けたとし、 彼らすべての間で何かが継承され続けてゆくとすると、 世代数で言えば7代目までで2の7乗ひく1、すなわち127代に達する。 (ヒープソートを思い出すこと。)

皇太子さまは45歳だし、秋篠宮さまは40歳になられたばかりだ。 126代、127代はもう決まっているのに》と述べているが、 次の代、次の次の代が誰になるかは決まっていない。 決まっているのは皇位継承順位である。

2006-02-18 (6) 02:10:42 +0900

平沼氏は 《三笠宮寛仁親王殿下が、まず小さな機関誌で(女系容認に反対だと)発表された。 殿下は天皇とは近いご親族ですから、天皇のご意志は明確に分かっているはずだ》 と述べているが、宮内庁のページで調べたところ、 男系だけを見れば従兄弟であることがわかった。 (母親どうし、あるいは母親と父親との間の血縁関係はなさそうである。)

それと、ふと気になったのは、 結婚で皇族を離れた元皇族女性であれば政治的な発言もできるのに、 なぜほとんど聞かれないのだろうか、ということだ。 皇族に準ずる立場として控えているのか、 あるいは女性は発言すべきでないと考えられているのか。

京都産業大教授(日本法制文化史)の所功氏は 《もし男子が誕生されても、ほかの同世代の男子皇族はおられず、 将来の不安は解消されない。 今秋以降の国会で典範を改正し、女帝や女系も認めることが必要だ》 と述べる。

現在の典範では、 旧典範で容認されていた側室の庶子を否定。 旧典範と同様に養子も認めていない。 この制度のもとでは、 天皇や皇太子に男子が生まれなければ、 宮家に皇位が移るが、 その宮家も昭和22(1949)年10月、 連合国軍総司令部(GHQ)の政策で11宮家が皇籍を離脱し、 直宮3家しか残らなかった。

数々の制限の下で、 男系・男子に限って皇位を継承していくことが難しいのは自明のことだ。 ただ慣習を墨守し、 50年余りも皇室の将来を真剣に考えてこなかった政治家や言論人などは、 無責任とのそしりを免れないだろう。

旧典範との違いとして嫡出子に限られることをあげているが、 Wikipedia などで調べてみたところ、

のようである。 だから、 新旧の典範の違いが皇位継承を難しくしているという指摘は当たらないように思う。 難しいから女性天皇・女系天皇を認めるように典範を改正しよう、 と主張しているわけだが、 その主張は、宮家の縮小を除けば、戦前の時代にも当てはまる。 現典範になってからの50年ではなく、 旧典範の時代をも批判しなければならなくなるのではあるまいか。

戦前は宮家が多かったから問題なかった、と主張する場合、 もしも廃止された宮家から皇位継承者が実際に出ていたら、 前例がないほど系図をさかのぼらないと先代の天皇と共通の祖先に至らなかったであろう、 という問題が生じる。 (それでもいい、と考えるならそれでもいいのだが。)

付) 「直宮3家しか残らなかった」とあるが、 それ以降、宮家がこれだけに限られたわけではない。 新しい宮家もできている。

付) それともう一つ。 「女帝や女系」を認めれば皇位継承は安定するのか、 という問題もある。 おそらく、「ある家系に男子が生まれなくなることはあっても、 子が一切生まれなくなることはありえない」と仮定しているのであろう。

付) 念のため。 継承権のある人を増やしたほうがより安心だからそうしよう、 という主張が間違っていると言っているのではない。 ただ、「あなたの論法だと、あなたの批判している“それ”だけでなく、 “これ”も批判することになりませんか」と言っているのである。

付) 書いているうち、すでに誰かが同じことを書いているのを読んだような気がしてきた。 旧典範のもとでも、皇室には必ずしも多くの継承者がいたわけではない、 という議論である。

2006-02-19 (0) 17:01:09 +0900

皇太子さまは45歳だし、秋篠宮さまは40歳になられたばかりだ。 126代、127代はもう決まっているのに》と述べたということだが、 127代は、もしも皇太子に男子が生まれれば、その男子になる可能性が高い。 つまり、皇太子に男子は生まれないと決めつけたことになると思うのだが。

2009-06-06 (6) 23:58:14 +0900

シスの復讐>オビ=ワンが R2 に「通信機のスイッチを入れろ」というのは…

…おかしいよな。 スイッチ切ってたらその声も聞こえないんだから。

2006-02-18 (6) 00:14:17 +0900

シスの復讐>議長救出作戦でアナキンが R2 に言う「船に留まれ」は単数

「I need you to stay with the ship.」と単数で言っている。 乗ってきたアナキン機のことを言っているのであろう。 オビ=ワンの戦闘機も入れれば二機なのだが。

2006-02-18 (6) 00:08:53 +0900

「きょうの体育は校庭十周」と言われたのにその場でくるくる回り始め…

…、「十周、見回しました」で終わりにするやつ、いないかな。

2006-02-17 (5) 20:41:07 +0900

シスの復讐>アナキンの行方は警備用立体画像の続きを見ればわかったかも

実際にはオビ=ワンはパドメから聞き出そうとするのだが、 シディアスが再度 「ムスタファーへ行け」 と言っているのが録画されていればそれでわかったはず。

2006-02-17 (5) 00:56:29 +0900

オビ=ワンは皇帝がアナキンに 「go and bring peace to the Empire.」 と言っているところで再生を止めてしまう。 このすぐあとに「急げ、ムスタファーへ!」などと言っている可能性は高い。

2006-02-24 (5) 23:30:31 +0900

シスの復讐>一人でジェダイ会議室で待つ際、アナキンは自分の席に座るんだ

前の会議のときと同じく、ヨーダの席から反時計回りに四つ隣。 私なら、誰もいないのだからとほかの席にも座ってみるが。

2006-02-16 (4) 22:24:11 +0900

シスの復讐>グリーバスに発砲した直後のオビ=ワンは描かれない

発砲するオビ=ワンは二度映るが、 二度とも、すぐに画面は撃たれたグリーバスに切り換わる。 反動で後ろに下がるから、よほどよくつかまっていないと落ちると思うのだが。

2006-02-16 (4) 22:10:17 +0900

お〜いお茶新俳句>「妹のかぜ治らないまま じょ夜のかね」に感動

先日、 出張からの戻りの電車の中で飲もうと買った「お〜いお茶」 のペットボトルに書いてあった、小学生の俳句。 よかったのであとでメモしようと思い持ち帰ったのにうっかり捨ててしまった。 記憶を元に Google で検索したら見つかった。

伊藤園:お〜いお茶新俳句大賞 第十五回受賞作品」 の中の「佳作特別賞その1」の一つだった。

妹のかぜ治らないままじょ夜のかね 富山県 中村円香 10 歳

そうそう、これこれ。 普通、「お〜いお茶」に書いてある子どもの俳句は「子どもらしい発想だな」 などと感心し、まあ、それで終わりなのだが、これはそうじゃない。 10 歳の子の妹だからそれ以下の年だろう。 お正月がうれしくてたまらない年ごろのはずだ。 その前日の大みそか。 例年ならテレビで紅白歌合戦とか見て家族はにぎやかに過ごすのだろうが、 寝ている妹を気づかって、あまり大きな声も出せなかったりしたのではなかろうか。 「きょう一日寝ていればお正月は元気になるよ」と親に言われて寝ていた妹なのに、 除夜の鐘が鳴り始めてもまだ治らない。 そういう光景を想像し、電車の中で涙がにじんできたのを思い出した。

散文的な解説になってしまった。どうも済みません。

2006-02-16 (4) 00:36:47 +0900

「東京へ行ってメジャーになる」と出てったのにバイト中に溶鉱炉へ落ち…

…とけてメジャー(←金属製の巻尺)になっちゃった、って人もいるかもしれないな。

2006-02-16 (4) 00:34:11 +0900

きょうの補筆箇所

2006-02-15 (3) 01:27:54 +0900

防人に行って、あるいは元寇で戦って亡くなった人ってまつられてたっけ?

靖国神社にはまつられてないよね?

2006-02-15 (3) 01:07:23 +0900

「男系だ女系だって言ってないで男女みんな仲良くしなくちゃ」とカン違い…

…している人はいないか? 皇位継承問題。

2006-02-15 (3) 01:05:37 +0900

倉井さんが亡くなって「倉井死す(クライシス)」

単に同音というだけ。

2006-02-15 (3) 01:04:33 +0900

「お降りの方は押してください」と書かれたボタンは全部押さねば、と思う人

ワンマンの乗合バスは降りるときにブザーを押す。 「お降りの方はこのボタンを押して下さい」などと書いてあるが、 すでに誰かが押してランプが光っていればもう押す必要はないし、 ましてや、こう書いてあるボタンを全部押す必要は全くない。 しかし、文字どおり解釈し、 「ここにもボタンがある! あ、あそこにも!」と、 全部押そうとしている人はいないだろうか? 「いっぱいあって押しきれないよう!」 となりそうな気がする。

2006-02-15 (3) 01:00:27 +0900

バチラー「アイヌ・英・和辞典」のアルファベットに添えられたカナは?

A の項の初めに大きく A の字が掲げられているが、 その直後に「ア」が添えられ、「A(ア)」となっている。 この「ア」はどういう意味だろう?

全部書くと ア、ビ、チ、デ、エ、フ、Gは欠く、 ハ、イ、Jは欠く、ケ、Lはカナを欠く、マ、ン、オ、ピ、Qは欠く、 ラ、サ、テ、ウ、Vは欠く、ワ、Xは欠く、ヤ、Zは欠く。

2006-02-15 (3) 00:39:55 +0900

朝日新聞>「ムハンマドに帰依する人」って書いてるけどだいじょうぶか?

きょうの大阪本社版オピニオン面 「政態拝見」は『靖国問題の迷路 / 「心の自由」ですむのなら』。 筆者は編集委員の根本清樹氏である。

そこに《ムハンマドに帰依する人と、キリストに帰依する人の心に、 優劣をつけることはできない》とあったのでぶっとんだ。 ムハンマドは預言者だ。「アッラーに帰依する人」だろう。 (じゃあ「キリストに帰依する人」は「ヤハウェに帰依する人」 じゃないのか、と言われると、不勉強でよくわからない。)

付) 小泉首相の靖国神社参拝については、 朝日新聞は主としてA級戦犯をまつっていることを問題とし、 日本国憲法の政教分離の原則の観点から論じないのが残念だと感じていたが、 これもそうだ。

2006-02-14 (2) 23:36:18 +0900

米国のホテルで障害者用客室に健常者の予約を入れてよいのは何日前から?

きょうの朝日新聞大阪本社版オピニオン面「声」の、 菅川美也子さんの投書「障害者用客室 一般に開放を」。 不正改造を行なった東横インの社長が 《「障害者用の部屋が使われるのは年に1度くらい。 それ以外は空き部屋になってしまう」と弁明》したのに対し、 《仕事で泊まる米国のホテルでは、 障害者用があてられることは珍しくありません》と述べる。 確かに、障害者が泊まらないときは健常者を泊めてもいいだろう。

しかし、ホテル側が「この日のこの障害者用客室にはもう障害者は泊まらないだろう」 と判断し、 健常者の予約を受けるのが許されるのはいつなのだろう? もしも、 かなり早い時点で許されてしまうと 「障害者用客室は空いていますか?」 と問い合わせがあったときに「もういっぱいです」 「障害者の宿泊予約があったのですか?」 「いえ、健常者でいっぱいです」となって、 「障害者用客室なのに健常者で占められていて障害者が使えない」 といった苦情がくる可能性がある。 (この苦情はわざとあいまいなことばで書いた。)

一方、国や地方自治体の規則で、たとえば「三日前」というように期限を決め、 「その時点で予約がはいっていない障害者用客室には健常者の予約をいれてもよい」 と決めてあれば、それはルールだからしかたがない。 このルールだと、 障害者がホテルを予約する場合、 三日前だともう健常者の予約がはいっていて障害者用の部屋があっても使えない、 ということがありえる。 それは障害者にがまんしてもらう。 その代わり、 ホテル側は障害者用の部屋がほとんど使われないという状態を避けられるから、 障害者用の部屋を積極的に設けることができるだろう。

米国ではこんなふうになっているのではないかと想像したが、 違うだろうか? あるいは、あとから障害者の予約がはいった場合、 「差額はうちのホテルでもちますから、 ○○ホテルに代わっていただけませんか?」 と健常者予約客にもちかけたりするのかな、という気もしている。 飛行機が予約を取りすぎたとき、 「**ドルあげますからあとの便に代わってくれる人いませんか?」 と呼びかけるらしいが、それと似た発想である。

この方は 《ホテル側も「障害者用を提供してはいけない」 なんて思うのはやめましょう》と書いておられるが、 そういう理由でふだんは空き部屋のままなのか、 あるいは何かほかの理由があるのか。

付) ちょっと、 《ホテルの違法改造と電車の優先席に健常者が座っていることとは話が別では》 で紹介した投書を思い出した。

2006-02-14 (2) 22:57:49 +0900

部屋のドアがあまりにゆっくり閉まるので、 不審者に侵入されないか不安に思うこともあります》 とあるのだが、 これはドアの閉まる速さを客室係が調整できれば解決するだろう。 宿泊者が希望する場合のみゆっくり閉まるようにすればよいのである。

2006-02-19 (0) 01:03:58 +0900

この投書が提唱していることを、 駐車場にやってきた健常者が、 健常者用があいているのに障害者用の駐車スペースに自分の自動車をとめてしまうことと混同してはいけない。 これは、ホテルで言えば、健常者に、 健常者用がまだあいているのに障害者用の部屋を使わせてしまうことにあたる。

また、駐車場管理者が、 障害者用以外がいっぱいになったら健常者でも障害者用スペースにとめさせるというルールを採用することとも混同してはいけない。 ホテルは予約してから行くのが普通であるが、駐車場はそうではない。 障害者用スペースが健常者の自動車でふさがっていたところへ障害者がきた場合、 どれだけ待てばあくのかが予測できないのは問題であろう。

(ただし、 私は混同して議論しないようにと言っているだけであって、 そうすることがいいのかよくないのかはよくわからない。 完全にいっぱいになったときは障害者もあきらめてくれ、 という考え方はありえると思う。 また、これは駐車場のタイプにも依存する。 「キーはフロントにお預けください」というタイプの駐車場なら、 障害者がきた時点でどこかに空きがあればスタッフが移動すればよいから、 問題は軽減されると思う。 しかし、健常者の自動車が列を作って待っているところに障害者がきた場合、 障害者を優先するのかどうか、という問題が発生するだろう。 これについては 《身体障害者用もあるトイレに一列並びするアルゴリズム》 が関連する。)

2006-03-11 (6) 21:24:30 +0900

朝日新聞>「べ平連」の誤植 --- 「べ」はひらがな

きょうの大阪本社版文化面『ベトナムの悲劇 今も訴え / 「発掘された不滅の記録」展を見て』。筆者は作家の小中陽太郎氏。 そこに 《べ平連(ベトナムに平和を!市民連合)が》とある。 この「べ」はひらがなだ。 あとから 《ベ平連事務局長》が出てくるが、こちらは正しい。 カタカナになっている。

2006-02-14 (2) 22:52:14 +0900

すのもの、7階の外の避難用ベランダを歩く

職場で7階にある教室の様子が見たくなった。 四月からの授業の下見である。 ドアには錠がかかっているが、 南側の外に避難用ベランダがあるのに気がついた。 私の研究室のある建物にはついていないのだが、 某同僚の研究室の外にはついている。 その人がそこに出て窓ガラスを拭いたりしていたぐらいだから私も出てみて大丈夫だろう、 と思って出た。 きょうはリヒャルト・ワーグナーの命日だし。 (彼は高いところにのぼるのが得意だったらしい。)

コートはじゃまなので脱いで置いておいた。 リュックとウエストポーチはつけたまま。

幅は 70 センチメートルぐらいだろうか。 腰の高さに手すりが一本あるだけだ。 手すりを支えている縦の棒は数メートルに一本。 だから、まちがって横に足を踏み出せば落ちてしまう。 床は、道の下に水が流れているところなどで見かけるような、格子状になっている。 下が見えるのでちょっと怖い。 5階まである建物とつながっているため、 出たところは2階のような感じ。

右に進んだら、エアコンの室外機があった。 リュックを背負ったままでは通れない。 おろして手に持つ。しかし、ここは外壁があるのであまり怖くない。 と思ったら、その先は本当に7階だ。 この建物は変則で地上が1階ではないため、5階に相当するのかな? と思ったが、 あとで下から確認したら6階だった。 手すりをしっかりとつかみ、一歩ずつ足元を確認しながら進む。

教室をのぞき、机の配置、イスの数などを調べる。 風が吹いているし、手を離すわけにはゆかないし、でメモはとれない。 半分ぐらいまで進んだところで、横に棒が渡してあった。 手すりと建物とをつなぐ棒である。 それを超えるとしたら手すりの上に足を上げることになる。 それをくぐるとしたら手すりの下に頭を下げることになる。 いずれにしても落ちそうで恐ろしく怖い。 引き返してきた。

建物にはいるところが、また怖かった。 片手に窓を、もう一方の手に窓枠をつかんではいることになるが、 もしも窓がはずれてしまったら、と心配したのである。 出るときは中にいて外の手すりがしっかりしていることを確認してから出た。 はいるときはそうは行かない!

2006-02-13 (1) 23:30:20 +0900

後日見たところ、 横に棒が渡してあるところには縦の棒がない!  くぐろうとすると脇には何もないわけだ。

2006-02-21 (2) 22:22:23 +0900

きょうの補筆箇所

2006-02-13 (1) 02:40:12 +0900

梅原猛>そのアイヌ人の世界観こそ「人間中心」ではないのか?

1月28日づけ朝日新聞大阪本社版文化面「戦後60年を生きる」は 「梅原 猛の心」の「下 アイヌ文化」。 《アイヌ語で贈り物を意味する『ミヤンゲ』は、 『土産』の語源と推測できる》としたあと、 次のように述べている。

梅原さんはアイヌの人々の世界観にも注目している。

「アイヌの社会では熊を、 おいしい肉と皮をミヤンゲとして人間の世界を訪れたマラプト(客人)と考えます。 殺すときには、感謝を込めて丁重に、 熊の魂をあの世に送る祭りをする。 それにより、熊はまた再びこの世にやって来てくれる。 死と再生を永遠に繰り返す思想です」

こうした自然と共生し、 生命の無限の循環を理想とする世界観が、 環境破壊など近代文明がもたらした問題を解決する鍵になるという。

「人類は、小麦農業と牧畜によって西洋文明、西洋哲学をつくり上げた。 それは、人間が自然を支配する人間中心主義だった。 科学によって世界を認識し、技術によって支配する。 現代のすばらしい文明をつくりながら、 一方で環境破壊などももたらした」

この、アイヌ人と熊の関係は前にも梅原氏の文章で読んだことがある。 私は、これこそ「人間中心」の世界観ではないかと思った。 熊が自分を 「おいしい肉と皮をミヤンゲとして人間の世界を訪れたマラプト(客人)」 と考えていないことは明らかだし、 猛獣に食われて命を落とす人間が自分を 「おいしい肉をミヤンゲとして猛獣の世界を訪れたマラプト(客人)」 と思わないのも明らかだからだ。 あるいは、現在で言うなら、 ガンで余命わずかな人が自分を 「おいしい肉をミヤンゲとしてガン細胞の世界を訪れたマラプト(客人)」 と考えるだろうか?

西洋文明を「人間中心主義」ととらえるのも一面的だ。 ユダヤ・キリスト教は「神中心」なのだが、 神を認めない人にはこのようにしか見えないのだろう。

2006-02-13 (1) 01:59:38 +0900

梅原氏が紹介しているアイヌ人の熊に対する見方は、 思想と呼べるようなものなのだろうか? 「思想」 ということばは、あまりにいろいろな意味で使われるので。

死と再生を永遠に繰り返す思想」のほうが、 「再生するんだからいくら殺しても大丈夫」につながるかもしれない。 そうなるか、そうならないかは、再生すると考えるか、 人間は自然を支配するのだと考えるかによるのではなく、 殺しすぎるかそうでないかのみで決まるような気がする。

日本語の7割ぐらいはアイヌ語をもとに説明がつくと思う》 と述べているが、この説はどのくらい支持されているのだろうか?  「ミヤンゲ」を Google で検索すると十数件しかない。 「マラプト」は四十数件。 (バチラー「アイヌ・英・和辞典(第四版)」(岩波書店、1938 年)によれば Marapto は「祭」の意味。これではあるまい。)

(大野晋氏はタミル語説起源説である。 どちらも朝日新聞はかなりもちあげているようだが、 二人に日本語の起源について論じさせる企画はないのだろうか?  アイヌ語もタミル語起源だ、と aufheben しちゃう可能性もあるか。)

2006-02-14 (2) 23:51:06 +0900

1月31日づけ朝日新聞大阪本社版「文化総合」 面の「反時代的密語」には、氏は次のように書いている。

動物ばかりか植物や山や川さえも本来人間と同じような存在であるとすれば、 狩猟採集によって生活する人間にとって一つの道徳的難問が生じる。 それは人間が、本来人間と同じ生き物を殺さねばならないということである。 これについてアイヌ社会では次のように考える。 たとえば熊はあの世では人間と同じ姿で生きているが、 人間の世界を訪ねるとき、 おいしい肉と毛皮をミヤゲ(土産)として持ってくる。 ミヤゲはアイヌ語では「ミアンゲ」といい、身をあげるという意味である。 人間は熊の意思に従ってそのミヤゲをいただき、 その代わりに礼を尽して熊の霊をあの世に送る。 そのようにして送られた熊の例があの世へ帰り、 礼を尽して送られてきたことを仲間に話すと、 「それでは俺も行こう」と、翌年の熊の豊猟が期待される。

似ているが、最後の部分は前の引用では簡略化されていた。 また、アイヌ語のカナ表記が「ミアンゲ」となっていること、 および、「身をあげるという意味である」と語源もが説明されていること、 などが異なる。 このバージョンも、私が上に書いたように、熊を人間に読み替えて読んでみてほしい。

このような思想は、何万年の間、狩猟採集生活を営んできた人類が、 動物を殺すことに罪を感じつつも殺さずには生きていけない人間の生活を肯定するために考え出した苦肉の思想ではなかろうか。

そういう思想こそ、 神によって理性を与えられている人間は理性なき動物の生殺与奪の権をもっているのでいくら動物を殺してもかまわないという思想よりはるかに、 生きとし生けるものにやさしい思想ではなかろうか。

梅原氏の書いたものを前から読んでいれば、 ここで批判されている思想がキリスト教であることはすぐわかる。 しかし、熊から見た場合、どちらにせよ殺されてはかなわないだろうし、 「いくら動物を殺してもかまわない」と聖書が主張しているかどうかも疑問だ。 少なくとも新約聖書は主張していないように私は思う。

もう一つ。聖書が仮にそう主張していたとしても、それも 「動物を殺すことに罪を感じつつも殺さずには生きていけない人間の生活を肯定するために考え出した苦肉の思想」 とみなすことが可能ではなかろうか。 信仰を「苦肉の思想」で説明してしまうやり方には賛成できないのだが、 仮にその立場に立つとすれば、である。

2006-02-19 (0) 17:41:55 +0900

朝日新聞>「2n」を一文字に詰めた縦書き用の活字があるんだ

12日づけ大阪本社版第一面「天声人語」は数学五輪。 問題例として 《「nを割り切る相異なる素数はちょうど2千個ある。 2n+1はnで割り切れる。 この条件を満たす正整数nは存在するか」》 に使われている。こんなのまであるのか〜。

2006-02-13 (1) 01:54:14 +0900

自転車を運転しながらヘッドホンステレオを聴くのは

2005年7月30日づけ朝日新聞大阪本社版スポーツ面の、 「柔道 清水明子(渋谷教育渋谷)」。 《減量のため自宅から高校まで約15キロを徒歩通学していたが、 階級を上げてからは自転車通学。 自転車をこぎながら、好調だった海外遠征時に流行した曲を聴いてリラックス》 とあるが、これはヘッドホンオーディオで聞いているのだろうか。

ソニーのヘッドホンオーディオは「運転中は使用しない」としているが、 自転車の運転については明記されていない。

ラジカセなどを自転車に積み、 スピーカーから出た音を聴いているなら問題はないと思われる。

2006-02-12 (0) 19:12:01 +0900

小林古径「髪」は裸体画か?

2005年7月30日づけ朝日新聞大阪本社版文化面の、 「小林古径展」の記事『裸体意識させぬ「髪」』。 この絵に描かれている若い女性は上半身裸であるだけなので、 人前で授乳することが普通であった時代には「裸体」 と意識されなかったかもしれない。

「編集委員・森本俊司」と署名あり。

2006-02-12 (0) 19:06:40 +0900

私は詰将棋のルールがよくわかってないな

攻める側は王手の連続で攻めなければいけないこと、 盤面になく攻めるほうの持ち駒でもない駒は攻める側の王を除いてすべて守る側の持ち駒であること、 は知っている。

7日づけ朝日新聞大阪本社版の「初級(3手詰め)」が、 答えを見てもわからなかった。 「……が奇妙な開き王手で3三に合駒が利かない」というのだが、 そこに合駒を打つと3手では詰まなくなる。

無意味な合駒はしない、もルールにあったっけ?

いまネットで調べたらあった。ほかにもまだあって、 そういうのを前提とした上で “ただ一つ”解が決まるのがよい詰め将棋とされるらしい。

2006-02-12 (0) 18:08:12 +0900

「試写」って英語では preview っていうのか

いまNHKラジオのニュースで「試写会」と言っているのを聞き、 プログレッシブ和英中辞典第二版をひいてみたら。

2006-02-12 (0) 18:04:26 +0900

旧暦>「閏月のある年は立春が二度くる」は正しくないの?

7日づけ朝日新聞大阪本社版アジア面「亜州見聞」の「今年は結婚ラッシュ」。

中国で広く使われる「農暦」では、 ことしは13カ月、385日あり来年2月17日まで続く。 2300年に12回しかない特別な年だ。 春の訪れを告げる2月初めの「立春」が2回訪れることとなり、 忠誠を象徴するイヌ年と重なることで、縁結びの年と言われる。

旧暦では立春は年内にくることも年が明けてくることもある。 ほぼ半々と聞いたような記憶があるので、 後者のようなケースに前者のようなケースが続けば当然、 立春が二回くる年になると思っていたのだが、そんなに珍しいのだろうか。

365.25 / 29.5 = 12.38... だから、 まず、閏月のある年は三年に一度ぐらい、と思ってよい。 13カ月は 29.5 * 13 = 383.5 日となるから、ことしはそれより少し長い。 それは確かだ。

広辞苑第五版によると大寒、立春、 雨水はそれぞれ概略で一月 20 日、二月 4 日、二月 19 日にくる。

一月        二月
2         3 0        1
0123456789011234567890123456789
#              #              #
一方、閏月のある年は 29.5 * 13 = 383.5 日あるので、 太陽暦の一年である 365.25 日よりも 18.25 日長い。 年の初めを A で、終わりを Z で書くと次のようになる。
一月        二月
2         3 0        1
0123456789011234567890123456789
#              #              #

----------------------Z
     A-------------------------
これが年によって横にずれるのだが、 A は大寒(一月 20 日)よりも右になければならず、 Z は雨水(二月 19 日)よりも左になければならない。 最も左にあるとき、 最も右にあるときをそれぞれ書くと
一月        二月
2         3 0        1
0123456789011234567890123456789
#              #              #

------------------Z
 A-----------------------------

-----------------------------Z
            A------------------
となり、いずれも立春を二回含む。

あ、もしかして、385 日あるのが珍しいのかな?  13 カ月全てが大の月と仮定すると 30 * 13 = 390 日だから 5 日だけ多い。 ということは小の月が 5 カ月。よって大の月は 8 カ月となる。 大の月・小の月はほぼ半々と聞くから、これは珍しいかも。

久しぶりに鶴亀算をしてしまった。^^;

2006-02-12 (0) 17:12:09 +0900

テレビ欄に「紀子さま流……」とあって一瞬驚いたが

斜めに見て

▽紀子さま笑顔で公務
▽世界遺産流氷の知床
が一緒に見えたのであった。 9日づけ朝日新聞石川版、テレビ金沢の朝8時より前のところ。

2006-02-12 (0) 17:05:24 +0900

平沼赳夫元経産相の皇室典範改正反対論

9日づけ朝日新聞大阪本社版総合面 「首相、厳しい立場に / 典範改正に慎重論噴出」。 その下の 「海外も改正論議に注目 / 「ご懐妊」で世界の主要紙」に 《典範改正反対派の動きを紹介したのは、 仏フィガロ紙など。 平沼赳夫元経産相の「愛子さまが青い目の男性と恋に落ち、 そのお子様が天皇になられることは、 断じてあってはならない」との発言を引用し》 とあるが、 「皇太子が青い目の女性と恋に落ち、 そのお子様が天皇になられること」はあってもいいのだろうか。

これを「あってはならない」としてしまうと、 桓武天皇が問題になりかねないのでまずいと考えているのかもしれない。

2006-02-12 (0) 16:52:44 +0900

ホテルの違法改造と電車の優先席に健常者が座っていることとは話が別では

8日づけ朝日新聞大阪本社版オピニオン面「声」への、 医師、伊藤敦子さんの投書「ホテルの発想ひとごとか?」。 ホテルチェーン・東横インに関連づけた投書である。 (第一段落でそのことが述べられている。)

最後の段落は次のようである。

障害者用駐車場に「ま、いいか」と駐車するのを見かけるが、 これは東横インと同じ発想だ。 使われていなくても、本当に必要な人のために空けておく優しさが持てれば、 と思う。

これには全く同感である。 (それは「優しさ」ではない、 規則を守るのは義務だから、という“反論”はありえるだろうが。)

それに対し、まん中の、メインと思われる段落は話がずれていると思う。

電車やバスの優先席に、健康そうな人が座っているのを見かける。 「障害のある人が乗ってきたら譲ればいいや」 と私も以前、軽く考えていた。 しかし、姉が背骨の病気になってから、考えが変わった。 ツエをついて歩行は出来るが、 電車の発車時の衝撃は危険なため、発車までに必ず座っていなければならないのだ。

まず、あれは「優先席」と呼ばれているのであって、「専用席」ではない。 もしもこのような人のことを考えて「専用席」にしようと主張するのなら、 東横インの話と結びつけて論じるのは逆効果であろう。 あれは違法であるが、優先席に健常者が座るのはルールに合っているからである。

また、 電車の発車時の衝撃が危険というなら、 優先席が空いていても発車までに座れるとは限らないし、 優先席がそのような人ですでにふさがっているかも知れない。 私なら、このような場合には駅員が一緒に乗り込むべきだと思う。 関西の私鉄では車いすの人の乗り降りを当然のこととして駅員が手伝っていた。 それと同じである。 まず、赤い旗を車掌に向かって振り、合図するまで発車させるな、と知らせておく。 次に、一緒に乗り込んで、優先席に座らせる。 優先席がいっぱいなら、 普通の座席にかけている人に事情を説明して席をゆずってもらう。 席についたことを確認したうえで駅員は電車から降りて車掌に旗を振り、 発車してよろしい、の合図をする。 (すでに障害者などですべての席がいっぱいである場合は、 どうしようもないので、次の電車に乗ってもらうしかない。)

付) 「優先席に座る健常者は、 障害のある人が乗ってきたら直ちに席を譲れるよう常に準備しておかなければならない」 というのは、考えてみたら、私が通勤のバスでいつも気をつけていることであった。 これも優先席のルールにつけ加えるべきだ、 というふうに主張することもできるだろう。 それでも、譲っているうちに発車して危険だというのなら、 「停車時間が短すぎる」という主張になるかも知れない。

付) ルールを超えた“優しさ”がすべての人に求められることに対しては、 私は反発する場合があるようだ。 たとえば、税金は、働きたくても働けない人への助けとしても使われる。 収入に応じて、私はきちんと税金を払っているはずである。 それを超えて、“優しさ”があるなら寄付金をお願いします、 のように言われれば反発するだろう。

付) 山手線は一周1時間なので、30分以上乗る人はまれだ。 だから、健常者は座るな、という主張もありえる。 実際、午前中の決まった時刻まではイスが畳まれていて座れない車両もある。 それでも健常者は平気なのだから、 イスのある車両でも健常者は座らず、 障害者のために常時空けておくように、という主張である。

2006-02-12 (0) 15:39:07 +0900

朝日新聞>「基本的」の今風な使い方を見た

8日づけ大阪本社版文化総合面「刺激し続けるイプセン」は 「イプセン2006」という没後百年の記念行事について 《司会やスピーチは基本的には英語》と書いているが、 これは国語辞典に載っている「基本的」とは異なる用法である。

イプセンはノルウェーの人。

編集委員・山口宏子」と署名あり。 編集委員と言われるとなおさら気になる。

2006-02-12 (0) 15:33:25 +0900

どうして「確率」の和語は「確からしさ」であって「確かさ」ではないのか?

小学生のとき、「確率」ということばではなく「確からしさ」 --- ひらがなで「たしからしさ」だったかもしれない --- ということばを使って、確率の初歩を習った。 (《小学校のとき、「確率」じゃなくて「確からしさ」という用語で習ったっけ》 参照。)

「確率」の「確」の訓は「たしか」であるから、 「確かさ」でいいような気が、いま、ふと、した。 が、これだと意味が若干変わってしまう。 ほかにこのような例はあるだろうか?

2006-02-12 (0) 15:01:32 +0900

皇室典範>皇位を継承する確率のようなものを考えるべきなのかも

現行の皇室典範では、 皇長子が皇位を継承する可能性は 「父親である現天皇よりも長生きする可能性」であり、 普通の健康状態であればほとんど 1 であろう。 それを p としてみよう。

皇長子が存命で、皇長子の長子も存命の場合、 その皇長孫が継承する確率は p² としてよいだろう。 これもかなり 1 に近い。 (厳密には、 「天皇−皇長子」「皇長子−皇長孫」の二組の父子は年齢が異なるから、 確率も異なると思われるが、ここでは単純にどちらも p とする。)

皇長子が存命であるが皇長子に子がいない場合、 皇次子が皇位を継承する可能性は 「天皇よりも皇長子よりも長生きする可能性」 であるから、 「皇長子よりも長生きする可能性」以下となり、 これは、皇長子と皇次子との年齢差にも依存するが、 0.5 は超えるものの、1 には遠いような気がする。

皇長子の子が存命の場合、 皇次子が皇位を継承する可能性は 「その皇孫よりも長生きする可能性」以下であるから、 かなり 0 に近いといえよう。

前項の首相答弁は、 新たな皇族が誕生することでこの確率が大幅に下がることを懸念している、 と言えるのであろうか。

それをいけないと考えるかどうかは人それぞれであろう。 《女性天皇を視野に入れた皇位継承順位改定案を読む》 の末尾(補いの前)に書いたように、 皇位継承権のある人の集合だけを決めておき、 その中では年齢順とすれば、 この懸念は避けられるであろう。 (女系天皇も認めることにした場合、 皇族女性が出産によって健康を損ない、確率が下がることはありえる。)

2006-02-12 (0) 14:41:41 +0900

皇室典範改正>首相答弁「男子が生まれるまで長子の女性はどう過ごす」

8日づけ朝日新聞大阪本社版「政治・総合」面「焦点収録 予算委員会 / 衆院7日」。 小泉首相は民主党岡田克也氏の質問に対し 「仮に男子が優先的に皇位につくとなると、 (男子が生まれるまでの間)長子の女性はどう過ごしたらいいのか」 と答えているが、これに対しては、 現行の皇室典範でも、小泉首相が進めようとしていた改正案でも、 「皇長子の子孫が(皇次子よりも)優先的に皇位につくとなると、 (皇長子に子が生まれるまでの間)皇次子はどう過ごしたらいいのか」 という反論がなされそうだ。 岡田氏はしていないけど。

女性天皇を視野に入れた皇位継承順位改定案を読む》 の、昨年十一月に書いた補いを参照。

2006-02-12 (0) 14:14:38 +0900

「妊娠」すれば「出産」もほぼ間違いない、という時代になっているのだろう

前に 《コウノトリは昔は赤ちゃんをもたらしたが最近は妊娠をもたらすようだ》 を書いたが、 「紀子さま ご懐妊」 がトップ記事であるところの8日づけ朝日新聞大阪本社版総合面の、 小島功氏の一コマ漫画は「久しぶり美しいコウノトリの舞」 とあるのは「ご懐妊」を指しているのであろう。 また、 同面の社説「紀子さま懐妊 / 静かに見守りたい」にもコウノトリへの言及がある。

9日づけ同紙一面には「紀子さま ママスマイル」というタイトルで、 写真入りの記事が載っている。 体形がほとんど変わっていないのに「ママ」は早いと思うのだが。

2006-02-12 (0) 14:04:55 +0900

きょうの補筆箇所

2006-02-12 (0) 03:07:41 +0900

朝日新聞>「ひと」の欄では「郷 富佐子」と姓名間にスペースがはいる

8日づけ大阪本社版総合面「ひと」。 文末に「文 郷 富佐子」とあったので一瞬とまどった。 ふだんは「郷富佐子」と間にスペースを入れないからだ。 この欄の“署名”はこのスタイルで統一しているらしい。

10日づけ同欄では「文・写真 郷 富佐子」。

2006-02-12 (0) 02:57:48 +0900

朝日新聞>「恒河沙」は「こうがしゃ」でなく「ごうがしゃ」では?

11日づけ大阪本社版 be の b4 面「逆風満帆」は辛淑玉さんの「下」。 《無数の砂を意味する数の単位「恒河沙」に掛けてつけた》 とあるが、「恒河沙」には「こうがしゃ」とふりがなが振ってある。 私は小学生のとき以来「ごうがしゃ」だと思っていたが、 角川書店「角川漢和中辞典」(1959 年)は「こうがしゃ」だけを載せている。 新字源、広辞苑第五版は「ごうがしゃ」。

2006-02-12 (0) 02:45:21 +0900

朝日新聞>「愛の旅人」の不適切な句読点と「町から講演の依頼

11日づけ大阪本社版 be の e2 面、「愛の旅人」の続き。 きょうは「獅子文六と3人の妻」である。

文六は岩田豊雄の本名で、 特殊潜航艇で真珠湾攻撃に参加し、 戦死した若い軍人を主人公にした「海軍」を朝日新聞に連載した》。 文六は真珠湾攻撃に参加してないんだよね? だったら、 「文六は岩田豊雄の本名で、 特殊潜航艇で真珠湾攻撃に参加し戦死した若い軍人を主人公にした「海軍」 を朝日新聞に連載した」とかなるんじゃないか?

一方で、町から講演の依頼などは、はっきり断っている》って、 「町からの講演の依頼などは」じゃないのか? 「の」が並ぶのを避けるなら 「町からの講演依頼などは」。 「町から依頼の講演などは」ともできるか。 (「断った」のが「町から」でないことは前後関係から明らかである。)

文・牧村健一郎》とあり。

2006-02-12 (0) 02:35:51 +0900

シスの復讐>ムスタファーでオビ=ワンが脱いだ上着は位置が変わる

オビ=ワンが脱ぎ捨てたときはタラップの正面にあるが、 彼が少し動いたあとでは右にずれている。

2006-02-12 (0) 01:50:21 +0900

香林坊大和8階の催事場入口に pâtissrie と書いてあった

正しくは pâtisserie である。 メモしてこなかったので、 アクサンがついていたかどうかは確かでないが、 s と r が並ぶのはなんだか変で、気になってしかたがなく、 こちらは間違いなく間違っていた。

2006-02-11 (6) 19:46:12 +0900

指環>森の小鳥の正体は少年時代のハーゲン、ってのはどうかな

ジークフリート>少年時代のハーゲンと森の小鳥》 に書いたのは単なる観客へのフェイントだったが、 これは積極的にそういう演出にする、というもの。 「ミーメを信じなければよいが」とジークフリートに忠告したのはハーゲンだった、 というわけ。こうすると、 ミーメがジークフリートに殺されたときにアルベリヒの笑い声が響くのも納得できる、 かな?

2006-02-11 (6) 12:58:57 +0900

全ての子に弟か妹がいるように子を産むには

8日づけ朝日新聞大阪本社版トップ記事「紀子さま ご懐妊」に 《秋篠宮さまは02年の記者会見で、第3子について 「子どもたちが、 妹なり弟なり何かその世話をしてあげたいという気持ちがあるような印象があります」 (中略)と語っていた》とある。

そこで、ふと、次のようなことを思いついた。

ある夫婦とその子どもたちを考える。 先に生まれた子が「弟か妹がほしい」と言ったため、 それだけのために次の子を産んだとしよう。 そして、その子が大きくなり、 「それだけのために私を産んだなんてひどい。 兄弟姉妹間の差別だ。私にも弟か妹がほしい」と言ったため、 また次の子を産んだとしよう。 そして、その子が大きくなり……。 一組の夫婦がいつまでも子を産み続けることはできないから、 いつかこの話は終わりを告げる。 しかし、 片親だけが共通の兄弟姉妹でもよいなら、 次のようにして無限に弟・妹をもうけてゆくことが可能だ。

ただし、番号の違う人物は別人とする。 こうすると となるので、どの子にも弟あるいは妹がいることになるのである。

こういう兄弟姉妹って、歴史上、最大何人までいるのかな? いまも更新中、 って可能性も。

付)子 0 と子 2 との関係はなんというのだろう? 映画「スター・ウォーズ」で、 ルークのおじさんとアナキンとの関係はこれとほぼ似ている。 ただし、時間的順序が異なるし、子 1 にあたる者はいない。 「クローンの攻撃」ではおじさんはアナキンを stepbrother と言っていたっけ。

付)子 0 と子 n (n > 2) の関係も stepbrother と呼べるのだろうか? もしそうなら、 「私の stepbrother はゴルゴタの丘へ向かうイエスを見た」 という人が生きているかも知れないわけだが。

2006-02-10 (5) 01:31:51 +0900


すのもの Sunomono