Huanying xinshang Ding Fengzhang de zhuye




 
 
              
       白虎隊

                       佐原盛純

少年團結白虎隊,
國歩艱難戍堡塞。
大軍突如風雨來,
殺氣慘憺白日晦。
鼙鼓喧闐震百雷,
巨砲連發僵屍堆。
殊死突陣怒髮立,
縱橫奮撃一面開。
時不利兮戰且退,
身裹瘡痍口含藥。
腹背皆敵將何行,
杖劍閒行攀丘嶽。
南望鶴城砲煙颺,
痛哭呑涙且彷徨。
宗社亡兮我事畢,
十有六人屠腹僵。
俯仰此事十七年,
畫之文之世閒傳。
忠烈赫赫如前日,
壓倒田横麾下賢。



******

白虎隊 

少年 團結す  白虎隊,
國歩 艱難
(かんなん)  堡塞を 戍(まも)る。
大軍 突如  風雨 來
(きた)り,
殺氣 慘憺
(さんたん)  白日 晦(くら)し。
鼙鼓
(へいこ) 喧闐(けんてん)  百雷 震(ふる)ひ,
巨砲 連發して  僵屍
(きゃうし) 堆(うづたか)し。
殊死
(しゅし) 陣を突きて  怒髮(どはつ) 立ち,
縱橫
(じゅうわう) 奮撃して  一面 開く。
時 利あらず  戰ひ 且
(か)つ 退き,
身には 瘡痍
(さうい)を 裹(つつ)み  口には 藥を 含む。
腹背
(ふくはい) 皆な敵  將(まさ)に 何(いづく)にか行かんとす,
劍を 杖
(つゑつ)き 閒行(かんかう)  丘嶽(きうがく)を 攀(よ)づ。
南 鶴が城を 望めば  砲煙 颺
(あが)り,
痛哭 涙を 呑みて  且
(しばらく)く 彷徨(はうくゎう)す。
宗社
(そうしゃ) 亡(ほろ)びぬ  我が事 畢(をは)る,
十有六人  屠腹
(とふく)して 僵(たふ)る。
俯仰す 此
(こ)の事  十七年,
(これ)を畫(ゑが)き 之(これ)を文にして  世閒に傳ふ。
忠烈 赫赫
(かくかく)  前日の如く,
壓倒す 田横
(でんわう) 麾下(きか)の賢(けん)

*****************

◎ 私感註釈

※佐原盛純:明治期の会津若松の漢学者で、旧制会津中学、私黌日新館にて漢文科の教鞭を執る。天保六年?(1835年?)~明治四十一年(1908年)。盛純は名。字は業夫。号して豐山。別号は蘇楳。幼名は佐輔。幼にして学を好み、江戸に遊学する。明治維新後、郷里で教鞭を執る。明治十七年、日新館館長中條辰頼の依頼により、この作品を作り、剣舞とともに飯盛山の墓前に奉納されたという。

※白虎隊:会津藩の少年隊の一つ。慶応四年(1868年)三月、会津藩は軍制改革を実施、洋式兵制に改めるとともに、年齢別に白虎、朱雀、青龍、玄武の四隊に編制したのうちの一つで、十六~十七歳の少年で編制された。戊辰戦争での会津戦争で、会津藩の危機が迫るや、白虎隊は前線に出動、戸の口原の戦いに敗れた少年隊は、飯盛山まで後退。城下より砲煙が上がるのを見て、宗廟社稷と運命を共にすべく、二十名全員自刃した。この白虎隊隊士の行為を、作者は、秦末漢初の斉王・田横の麾下五百名が君王・田横の自決を追って殉死したことに擬えて、昂らかに謳いあげた。そうすることによって忠義を顕彰し、同郷の護国の英霊に謝してその鎮魂を祈願したものである。この詩、幕末・安積武貞の『劍舞歌』「日出國兮有名寶,百鍊精鐵所鍛造。光芒電閃夏猶寒,風蕭蕭兮髮衝冠。請看日出男兒膽,踏白刃兮犯礮丸。犯礮丸兮陷堅陣,縱橫搏擊山岳震。有死之榮無生辱,不須將臺受約束。」の影響を受けたか。

※少年團結白虎隊:少年(たち)は、「白虎隊」に編制されて。 ・少年:わかもの。現代日本語の指す「少年」と漢語のものとには、相違がある。李白の『少年行』「五陵年少金市東,銀鞍白馬度春風。落花踏盡遊何處,笑入胡姫酒肆中。」や、唐の崔國輔『長樂少年行』「遺卻珊瑚鞭,白馬驕不行。章臺折楊柳,春日路傍情。」や、王維も同様『少年行』「新豐美酒斗十千,咸陽遊侠多少年。相逢意氣爲君飮,繋馬高樓垂柳邊。」、唐・沈彬の『結客少年場行』「重義輕生一劍知,白虹貫日報讎歸。片心惆悵清平世,酒市無人問布衣。」のような雄々しい雰囲気も持っている。 ・團結:軍の編成と結団することをいう。藩の兵制を軍制改革で洋式兵制に改め、年齢別の白虎隊に編制されたことを指す。 ・白虎隊:四隊の中、最年少の藩士子弟による部隊。白虎、朱雀、青龍、玄武は、それぞれ東西南北に属する四神の名称であるが、実際の防禦陣地の位置関係とは関係がなかったようである。なお、四神の白虎は西を鎮(まも)る。

※國歩艱難戍堡塞:国家の命運が多難な折、とりでをまもることとなった。 ・國歩:〔こくほ;guo2bu4●●〕国運。国の歩み。国の運命。国の前途。 ・艱難:〔かんなん;jian1nan2○○〕なやみ。苦しみ。難儀。苦難。困難な目にあうこと。 ・戍:〔じゅ;shu4●〕(国境を)まもる。国境線を防衛する。 ・堡塞:〔はうさい(ほさい);bao3sai4●●〕とりで。

※大軍突如風雨來:政府軍の大部隊が、突如として風雨のごとくやって来て。 ・大軍:多くの軍勢。ここでは、明治元年(1868年)の会津戦争での政府軍のことになる。五方面から会津若松に進攻してきたようだ。 ・突如:急に。不意に。突然に。「大軍突如風雨來」という構文は、悩ましい。意味は「大軍が突如として風雨のごとく來る」で、「大軍突(然)如風來」の義になる。 ・風雨:風雨のように。疾風迅雷のごとく。 ・來:くる。動詞。

※殺氣慘憺白日晦:殺気は薄暗く地に満ちて、天日も暗くなった。 ・殺氣:人を殺そうとするはりつめた気配。 ・慘憺:〔さんたん;can3dan4●●〕殺伐の気。心のいたむさま。いたましいさま。なげかわしく悲しいさま。「慘澹」〔さんたん;can3dan4●●〕は、暗い情勢の形容。あたりがうす暗くなって、気味が悪く恐ろしい感じのするさま。なげかわしく悲しいさま。 ・白日:白昼の太陽。 ・晦:〔くゎい;hui4●〕くらい。(月や日が、かくれてわからなくなって)まっくらやみの状態。梁川星巌の『松永子登宅觀阿束冑歌』に「筑紫之北海之, 有石百丈可爲。 我欲因之陵溟渤, 周覧八覘九。 杳杳天低卑於地, 魚龍出沒浪崔嵬。 落日倒銜高句驪, 滞冤流鬼渺悠哉。 我時魂悸不能進, 屏氣且息覇家臺。 覇家臺下三千戸, 鐘鼓饌玉稱樂土。 中有松生磊人, 招我滿堂羅尊俎。 酒酣笑出阿束冑, 妖鐵不死兀顱古。 塞垣光景忽在目, 搖搖風鶏羽。 嵯哉生乎何從得, 如斯之器世未覩。 憶昔大寇薄此津, 旌旗
慘憺金革震。 是時天靈佐我威, 叱咤雷車走輪。 須臾萬艦飛塵滅, 能生還者僅三人。 此冑無乃其所遺, 古血模糊痕未泯。 方今承平日無事, 擧國銷兵鋳農器。 雖然邊謀豈可疎, 瀕海諸鎭嚴武備。 異時蠢兒重伺我, 請君手掲此冑示。 作歌大笑倚欄角, 風聲駕潮如鐃吹。」とある。

※鼙鼓喧闐震百雷:せめつづみが鳴り響いて、多くの雷鳴が響き渡る。 ・鼙鼓:〔へいこ;pi2gu3○●〕せめつづみ。騎兵が馬上で鳴らす鼓。白居易の『長恨歌』に「漁陽
鼙鼓動地來,驚破霓裳羽衣曲。九重城闕煙塵生,千乘萬騎西南行。翠華搖搖行復止,西出都門百餘里。六軍不發無奈何,宛轉蛾眉馬前死。花鈿委地無人收,翠翹金雀玉掻頭。君王掩面救不得,回看血涙相和流。」とある。  ・喧闐:〔けんてん;xuan1tian2○○〕騒々しくてごたごたしている。鼓の音のさわがしいさま。雷や車馬の音のかまびすしいさま。 ・震:ふるわす。(雷鳴を)起こす。 ・百雷:多くの雷(鳴)。「震百雷」は前後の関係から、鼙鼓のさまになろう。ただし、詩全篇からその意味を見れば、「震百雷」は、巨砲の音ととるのが通りやすい。ただ、後者のように語法を乗り越えて恣意的に取ることは、本来不適切である。

※巨砲連發僵屍堆: ・巨砲:大砲。 ・僵屍:〔きゃうし;jiang1shi1○○〕たおれた屍体。たおれたしかばね。 ・堆:うずたかい。積まれている。やまのように積まれた物の山。

※殊死突陣怒髮立:決死で、敵陣を突撃すれば、憤怒のため髪が逆立って。  ・殊死:〔しゅし;shu1si3○●〕決死。死ぬ覚悟を決める。 ・突陣:ここは、「敵陣を突撃する」意になる。 ・突:〔とつ;tu2●〕つく。ぶつかる。急に攻撃する意。 ・陣:〔ぢん;zhen4●〕じんだて。軍隊の配列。 ・怒髮:憤怒のための髪の形相で、髪が逆立つこと。『史記卷八十六・刺客列傳第二十六』には、燕の壮士・荊軻が易水で訣別の『易水歌』を歌ったときに慷慨して髪が逆立ったと記されている。「太子及賓客知其事者,皆白衣冠以送之。至易水之上,既祖,取道,高漸離撃筑,荊軻和而歌,爲變徴之聲,士皆垂涙涕。又前而爲歌曰:『風蕭蕭兮易水寒,壯士一去兮不復還!』復爲羽聲慷慨,士皆瞑目,
髮盡上指冠。於是荊軻就車而去,終已不顧。」とある。初唐・駱賓王の『易水送別』に「此地別燕丹,壯士髮衝冠。昔時人已沒,今日水猶寒。」とあり、南宋・岳飛の『滿江紅』には「怒髮衝冠,憑闌處、瀟瀟雨歇。抬望眼、仰天長嘯,壯懷激烈。三十功名塵與土,八千里路雲和月。莫等閒、白了少年頭,空悲切。   靖康耻,猶未雪。臣子憾,何時滅。駕長車踏破,賀蘭山缺。壯志饑餐胡虜肉,笑談渇飮匈奴血。待從頭、收拾舊山河,朝天闕。」と詠う。共に慷慨決死の感情の表れである。 ・立:(憤怒のために髪が)逆立つ。

※縱橫奮撃一面開:方々に奮戦しながら、血路を開いた。 ・縱橫:〔じゅうわう;zong4heng2◎○〕自由自在に。思うままに動いて。どこにまでも。混乱しながら。 ・奮撃:奮戦する。奮闘する。 ・一面開:そこにいる者全員で揃って、一方面に一斉に攻撃をしかけて、血路を開くこと。「開一面」のことで、「開」を韻脚とするためにこうなった。

※時不利兮戰且退:時節、時運は(わたしたちに)利することなく、戦いながら退却した。 ・時不利兮:時節、時運は(わたしたちに)利していない。秦末/漢初・項羽の『垓下歌』「力拔山兮氣蓋世,
時不利兮騅不逝。騅不逝兮可奈何,虞兮虞兮奈若何。」に基づく。『垓下歌』の意は、(その)勢威は山をも(改造して)引き抜き、気概は広く天下を掩っていた。(しかし、)時節、時運は(わたしに)利していなくて、(愛馬)騅(すゐ)は進もうとしない。 ・時不利:時節は(わたしに)利していない。兵員・武器も食糧も尽き、漢軍四面皆楚歌という具合に全ての運が尽きようとしている。ここもやはり、句中の対で、「騅不逝」と揃いになっている。 ・時:時節。時運。「とき」と名詞として読む。副詞としても考えられるが、その場合は「ときに」と読む。 ・兮:〔けい;xi1○〕語調を調え、リズムをとるための助辞。上代詩歌に多い。 ・戰:たたかう。戦闘する。 ・且:〔しゃ(しょ、そ);qie3●〕…をしながら…をする。かつ。〔A(動詞)且B(動詞)〕で同時並行の動作を表す。 ・退:退く。後退する。

※身裹瘡痍口含藥:体には刀傷を(繃帯で)包み、口には(気付け)薬を含んでいた。 ・身裹:体は…(を)つつむ。 ・裹:〔くゎ;guo3●〕つつむ。すっぽりつつむ。 ・瘡痍:〔さうい;chuang1yi2○○〕傷。刀傷。 ・口含藥:口には(気付け)薬を含む。

※腹背皆敵將何行:前も後もみな、敵になってしまい、(これから)どこに行こうか。 ・腹背:〔ふくはい;fu4bei4●●〕前と後。前後。腹と背。 ・皆敵:みな敵である。ここでの「敵」字の用法は、動詞になる。 ・將何行:どこにいこうか。まさに何(いづ)くにか行かんとす。 ・將:将然を表す。まさに…(んと)す。この字そのものは、「はた」とも読めるが、その義である「それとも」に、ここでは合致しない。

※杖劍閒行攀丘嶽:剣をつえについて、間道をひそかに行き、丘や高い山に攀(よじのぼ)った。 ・杖劍:剣をつえにつく。 ・杖:〔ぢゃう;zhang4●〕つえつく。杖につく。唐・魏徴の『述懷』に「中原初逐鹿,投筆事戎軒。縱橫計不就,慷慨志猶存。
杖策謁天子,驅馬出關門。請纓繋南越,憑軾下東藩。鬱紆陟高岫,出沒望平原。古木鳴寒鳥,空山啼夜猿。既傷千里目,還驚九折魂。豈不憚艱險,深懷國士恩。季布無二諾,侯重一言。人生感意氣,功名誰復論。 」とある。 ・閒行:〔かんかう;jian1xing2○○〕間道を行く。ひそかに行く。微光する。=間行。 ・攀:〔はん;pan1○〕よじのぼる。よじる。とりつく。つかまる。 ・丘嶽:〔きうがく;qiu1yue4○●〕丘と高い山。ここでは、飯盛山のことになる。蛇足になるが、「丘壑」や「溝壑」とすれば、壮士、志士、国士の身の捨て場所になる。『孟子巻六・縢文公・下』「志士不忘在溝壑,勇士不忘喪其元。(元:首、頭)」

※南望鶴城砲煙颺:南の方を望み見れば、鶴ヶ城に砲煙が上がっている。 ・南望:南の方を望み見る。実際には、飯盛山からでは西南方向になる。 ・鶴城:鶴ヶ城。会津若松城。 ・颺:〔やう;yang2◎〕あがる。あげる。あがる。おこす。『歸去來兮辭』に「歸去來兮,田園將蕪胡不歸。既自以心爲形役,奚惆悵而獨悲。悟已往之不諫,知來者之可追。實迷途其未遠,覺今是而昨非。舟遙遙以
輕颺,風飄飄而吹衣。問征夫以前路,恨晨光之熹微。」とある。

※痛哭呑涙且彷徨:深く歎き、涙が出そうなのを堪(こら)えて、しばしさまよった。 ・痛哭:〔つうこく;tong4ku1●●〕非常に歎く。ひどく泣き叫ぶ。 ・呑涙:涙が出そうなのを堪(こら)える。無念さをじっと我慢する。≒飮涙。 ・且:しばらく。しばし。構文から見て、前出「戰且退」の「且」とは異なり、短時間を表す。 ・彷徨:〔はうくゎう;pang2huang2○○〕さまよう。さすらう。うろつくさま。

※宗社亡兮我事畢:祖国は亡んだのだ、わたしの為(な)すべきことは終わった。 ・宗社:〔そうしゃ;zong1she4○●〕宗廟(そうべう)と社稷(しゃしょく)の意で、国家をいう。ここでは、会津藩のことになる。宗廟は、祖先の霊を祀ったみたまやのことで、古代の天子・諸侯は、宮殿の左に祀った。社稷は土地の神(社)と五穀の神(稷)のことで、天子・諸侯は、宮殿の右に祀った国家の尊崇する神霊のこと。転じて、国家。朝廷。藤田東湖の『和文天祥正氣歌』に「天地正大氣,粹然鍾神州。秀爲不二嶽,巍巍聳千秋。注爲大瀛水,洋洋環八洲。發爲萬朶櫻,衆芳難與儔。…中郞嘗用之,
宗社磐石安。」 とある。 ・亡:ほろびる。なくなる。≒亡国。 ・我事:わたしのなすべき事柄。 ・畢:〔ひつ;bi4●〕おわる。おえる。尽くす。

※十有六人屠腹僵:十六人は腹を切ってたおれた。 ・十有六人:十六人。ここは「十有九人」ともする。後者の方が史実に正確なものとなる。 ・屠腹:腹を切る。切腹する。割腹する。 ・僵:〔きゃう;jiang1○〕たおれる。たおれふす。こわばる。かたくなる。

※俯仰此事十七年:この出来事を思い返すこと十七年。 ・俯仰:〔ふぎゃう;fu3yang3●●〕うつむくことと仰ぐことで、回顧して感慨に耽るさま。西晋・張華の『壯士篇』「天地相震蕩,回薄不知窮。人物稟常格,有始必有終。年時俯仰,功名宜速崇。壯士懷憤激,安能守虚沖。乘我大宛馬,撫我繁弱弓。長劍橫九野,高冠拂玄穹。慷慨成素霓,嘯咤起淸風。震響駭八荒,奮威曜四戎。濯鱗滄海畔,馳騁大漠中。獨歩聖明世,四海稱英雄。」や、杜甫の『秦州雜詩』に「
俯仰悲身世,溪風醫颯然。」や、文天祥の『正気歌』序に「迭是數氣,當浸診,鮮不爲厲,而予以孱弱,俯仰其間,於茲二年矣,幸而無恙,是殆有養致然爾。然爾亦安知所養何哉?孟子曰:『吾善養吾浩然之氣。』彼氣有七,吾氣有一,以一敵七,吾何患焉!況浩然者,乃天地之正氣也。作『正氣歌』一首。」 とある。 ・此事:白虎隊が自刃して果てたこと。会津戦争のこと。 ・十七年:明治維新以来、数え十七年で、明治十七年(1884年)のことになり、この作品が奉献された時。1868年+16年=1884年(明治十七年)となろうか。

※畫之文之世閒傳:この(出来事を)絵に表し、この(出来事を)文章に表して、世間に伝え弘めた。 ・畫之:この(出来事を)絵に表す。 ・文之:この(出来事を)文章に表す。 ・世閒:世の中。世間。 ・傳:〔でん;chuan2○〕伝える。動詞。

※忠烈赫赫如前日:強烈な忠義心は、(なおも)光り輝いて(恰も)先日の出来事のようであり(十七年も経っていようとは、到底思えない)。 ・忠烈:きわめて忠義の心の強いこと。 ・赫赫:〔かくかく;he4he4●●〕あきらかでさかんなさま。光り輝くさま。功績や名声が盛んなさま。『詩経・大雅』に「明明在下,
赫赫在上。天難忱斯,不易維王。天位殷適,使不挾四方。摯仲氏任,自彼殷商。來嫁于周,曰嬪于京。」や、少し後世の秋瑾も『寶刀歌』で「漢家宮闕斜陽裏,五千餘年古國死。一睡沈沈數百年,大家不識做奴恥。憶昔我祖名軒轅,發祥根據在崑崙。闢地黄河及長江,大刀霍霍定中原。痛哭梅山可奈何?帝城荊棘埋銅駝。幾番囘首京華望,亡國悲歌涙涕多。北上聯軍八國衆,把我江山又贈送。白鬼西來做警鐘,漢人驚破奴才夢。主人贈我金錯刀,我今得此心英豪。赤鐵主義當今日,百萬頭顱等一毛。沐日浴月百寶光,輕生七尺何昂藏?誓將死裏求生路,世界和平賴武裝。不觀荊軻作秦客,圖窮匕首見盈尺。殿前一撃雖不中已奪專制魔王魄。我欲隻手援祖國,奴種流傳禹域。心死人人奈爾何?援筆作此《寶刀歌》,寶刀之歌壯肝膽。死國靈魂喚起多,寶刀侠骨孰與儔?平生了了舊恩仇,莫嫌尺鐵非英物。救國奇功賴爾收,願從茲以天地爲鑪、陰陽爲炭兮,鐵聚六洲。鑄造出千柄萬柄刀兮,澄淸神州。上繼我祖黄帝赫赫之成名兮,一洗數千數百年國史之奇羞!」とする。  ・前日:先日。この前。

※壓倒田横麾下賢:(白虎隊の少年が忠義に殉じたことは)漢初の田横の部下が、斉王である田横に殉じた故実以上に、優れて凌いでいるものである。(白虎隊の殉忠は、)田横の部下が、主君・田横に殉じた故実を圧倒している。 ・壓倒:〔あつたう;ya1dao3●●〕すぐれて他をしのぐ。押さえつける。おしたおす。 ・田横:〔でんわう(でんくゎう);Tian2Heng2○○〕秦末漢初の人。斉王。秦末、漢初に項羽が劉邦に滅ぼされて、漢王であった劉邦が漢の高祖となって天下を統一した。その後、高祖・劉邦は「斉王・田横一統の大物は諸王として、その小物は諸侯とする。しかし、来なかったら討ち滅ぼしてしまう。」として、田横に臣従を迫った。しかし、斉王・田横は、曾てともに肩を並べて坐っていた元・同格(漢王)の劉邦に北面する屈辱に堪えられなかった。田横が言うには「漢の高祖・劉邦は、わたし(田横)の顔を見たいだけなのだろう。皇帝陛下(劉邦)のいらっしゃる洛陽も近いことだから、(わたしの首級の)形が腐って崩れることもなかろうから、御覧になることもできよう。」と、自刃して首を高祖(劉邦)に献げさせた。その命を受けた田横の食客は、高祖・劉邦の使者に従って行き、その旨を高祖・劉邦に奏上した。このことを聞いた高祖・劉邦は、涙を流し、そして田横の客であった客人に対して礼を厚くして遇し、都尉の位につけ、兵卒二千名を着けて出発させ、王者の礼遇で葬儀を執り行った。葬儀が終わるや否や、二名の食客は、その傍に穴を掘り、自分で首を切り、部下もそれに附き従った。それを聞いた劉邦は、田横の食客の行為の立派さに大いに驚いた。これらの行為を高く評価して、惜しみ悼んだ。さらに、田横の部下五百余名が島嶼に拠っていることを知って、使いを出して彼等を召し抱えようとしたが、部下たちは主君・田横が死んでいたことを知って、皆、自殺した。
(蛇足になるが、ふと山内一豊を聯想した。)『史記・田列傳』「(高皇帝)曰:『田橫來,大者王,小者迺侯耳;不來,且舉兵加誅焉。』。(田橫)謂其客曰:『橫始與漢王倶南面稱孤,今漢王爲天子,而橫迺爲亡虜而北面事之,其恥固已甚矣。且吾亨人之兄,與其弟並肩而事其主,縱彼畏天子之詔,不敢動我,我獨不愧於心乎?且陛下所以欲見我者,不過欲一見吾面貌耳。今陛下在洛陽,今斬吾頭,馳三十里閒,形容尚未能敗,猶可觀也。』遂自剄,令客奉其頭,從使者馳奏之高帝。高帝爲之流涕,而拜其二客爲都尉,發卒二千人,以王者禮葬田橫。既葬,二客穿其冢旁孔,皆自剄,下從之。高帝聞之,迺大驚,田橫之客。吾聞其餘尚五百人在海中,使使召之。至則聞田橫死,亦皆自殺。」に基づく。明末~/日本・江戸・朱舜水の『述懷』に「九州如瓦解,忠信苟偸生。受詔蒙塵際,晦跡到東瀛。囘天謀不就,長星夜夜明。單身寄孤島,抱節比田橫。已聞鼎命變,西望獨呑聲。」とある。 ・麾下:〔きか;hui1xia4○●〕将軍直属の兵士。将軍のさしづ旗(麾)のもとにある(部下の兵士の)意。 ・賢:劉邦の田横の麾下に対する褒詞。前出紫字。但し紫字の「賢」は、「二客穿其冢旁孔,皆自剄,下從之。」といった田横の客の行為に対しての讃辞。





◎ 構成について

韻式は「aaaAAbbCCCDDD」。韻脚は「隊塞晦 堆開 藥嶽 徨僵 年傳賢」で、平水韻で去声十一隊、上平十灰、入声十藥、下平七陽、下平一先。次の平仄はこの作品のもの。

●○○●●●●,(韻)
●●○○●●●。(韻)
●○●○○●○,
●●●●●●●。(韻)
○●○○●○●,
●●○●○●○。(韻)
○●●●●●●,
◎○●●●●○。(韻)
○●●○●●●,
○●○○●○●。(韻)
●●○●○○○,
●●○○○○●。(韻)
○◎●○●○○,(韻)
●●●●●○○。(韻)
○●○○●●●,
●●●○●●○。(韻)
●●●●●●○,(韻)
●○○○●○○。(韻)
○●●●○○●,
●●○○○●○。(韻)
平成17.11.12
      11.13
      11.14
      11.15
      11.16
      11.17
      11.18
      11.19完
平成19. 5.24補
平成27. 4.29



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