怪光一綫下蒼旻, 忽然地震天日昏。 一刹那間陵谷變, 城市臺榭歸灰燼。 此日死者三十萬, 生者被創悲且呻。 生死茫茫不可識, 妻求其夫兒覓親。 阿鼻叫喚動天地, 陌頭血流屍横陳。 殉難殞命非戰士, 被害總是無辜民。 廣陵慘禍未曾有, 胡軍更襲崎陽津。 二都荒涼鷄犬盡, 壞墻墜瓦不見人。 如是殘虐天所怒, 驕暴更過狼虎秦。 君不聞啾啾鬼哭夜達旦, 殘郭雨暗飛靑燐。 |
怪光 一綫 蒼旻(さうびん)より 下り,
忽然 地 震ひ 天日 昏(くら)し。
一刹那(せつな)の間 陵谷(りょうこく) 變じ,
城市 臺榭(たいしゃ) 灰燼(くゎいじん)に 歸す。
此の日 死する者 三十萬,
生者は 創(きず)を 被(かうむ)り 悲しみ 且つ 呻(うめ)く。
生死 茫茫(ばうばう) 識(し)る 可(べ)からず,
妻は 其の夫を 求め 兒は 親を 覓(もと)む。
阿鼻叫喚(あびけうくゎん) 天地を 動(どよ)もし,
陌頭(はくとう) 血流れて 屍(しかばね) 横陳(わうちん)す。
殉難 命を殞(おと)すは 戰士に 非ず,
害を 被(かうむ)るは 總(そう)じて 是(こ)れ 無辜(むこ)の民。
廣陵(くゎうりょう)の慘禍 未だ曾(かつ)て有らざるに,
胡軍 更に襲ふ 崎陽(きやう)の津(しん)。
二都 荒涼として 鷄犬 盡(つ)き,
壞墻 墜瓦(くゎいしゃう つゐぐゎ) 人を 見ず。
是(か)くの如き 殘虐は 天の怒(いか)る 所,
驕暴 更に 過ぐ 狼虎(らうこ)の秦。
君 聞かずや 啾啾(しうしう)たる 鬼哭(きこく) 夜 旦(あした)に 達し,
殘郭(ざんくゎく) 雨 暗くして 靑燐を 飛ばすを。
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◎ 私感註釈
※土屋竹雨:明治二十年(1887年)~昭和三十三年(1958年)。名は久泰。字は子健。竹雨は号になる。山形県人。大正、昭和前期に漢詩、漢学方面で、幅広く活躍する。
※原爆行:我が民族の怨念を詠ったもの。『□□行』は楽府題に多い。音楽の様式名。後に、楽府詩形式であることを暗示するものとして使われる。『長歌行』、『短歌行』、『蒿里行』、『兵車行』、『公子行』…。なお、『琵琶行』は少し事情が異なり、『少年行』 は別物になる。杜牧の『山行』は全くの別の義。この『原爆行』について、(内容の深刻さからいえば、適切な表現ではないかもしれないが、)表現技法は流麗で卓抜である。千古の絶唱の一。この作品は、杜甫の『兵車行』、佐原盛純の『白虎隊』の影響を受けているか。
※怪光一綫下蒼旻:あやしげな光が一筋、青空から下ってきて。 ・怪光:あやしげな光。 ・一綫:一筋。一本の糸(のように)。 ・蒼旻:〔さうびん;cang1min2○○〕青空。蒼天。
※忽然地震天日昏:不意に大地を揺るがして、空の太陽が暗く陰った。 ・忽然:ふいに。たちまち。 ・地震:「地」が「震」える。「『地』が『震』えて、『天日』が『昏』くなる」という句中の対。 ・天日:大空の太陽。 ・昏:くらい。日がかげってくらくなること。
※一刹那間陵谷變:ほんの極めて短い時間の間に、山河の様子が変わってしまった。 ・一刹那間:ほんの極めて短い時間。ちょっとの間。 ・刹那:極めて短い時間。ちょっとの間。 ・陵谷:丘と谷。孟浩然の『傷山雲表觀主』「歸來一登眺,陵谷尚依然。」では、山や谷といった自然の風光の意で使われているが、白居易の『宿清源寺』では、「虚空走日月,世界遷陵谷。」と、天上に対しての「地上」の意で使われている。
※城市臺榭歸灰燼:都市の建築物は灰燼に帰してしまった。 ・城市:都市。街。 ・臺榭:うてなと高殿。ここでは、「亭臺樓榭」の意で、高殿、御殿、建物群の意使われている。李白の『江上吟』「屈平詞賦懸日月,楚王臺榭空山丘。興酣落筆搖五嶽,詩成笑傲凌滄洲。功名富貴若長在,漢水亦應西北流。」の用法に同じ。 ・歸灰燼:丸焼けになる。跡形もなく消え失せる。 ・灰燼:〔くゎいじん;hui1jin4○●〕灰と燃え残り。
※此日死者三十萬:この日の死者は、三十万人になる。 ・此日:この日。昭和二十年八月六日。広島に原爆が投下された日。 ・死者三十萬:死者は、三十万人になる。「死者三十萬」は名詞句ではなく、これだけで、文を構成している。
※生者被創悲且呻:生き残った者は、けがをさせられて、悲しみ、同時に呻いていた。 ・生者:生き残った者。 ・被創:けがをさせられる。創傷を負う。 ・悲:かなしむ。動詞の用法になる。 ・且:同時に。かつ。〔A(動詞)+且+B(動詞)〕。 ・呻:うめく。
※生死茫茫不可識:生死は、広くてぼんやりとして、見わけて知ることができない。 ・生死:生きていることと死んでいること。 ・茫茫:広くてぼんやりとしているさま。 ・不可識:認め悟って把握することができない。みわけて知ることができない。
※妻求其夫兒覓親:妻は夫を捜し求めて、子どもは親を捜し求めている。 ・妻:つま。後出「夫」に対応している。 ・求:もとめる。後出の「覓」に、その義は同じ。平仄は異なるが。前者が○で後者が●。 ・其:〔き;qi2○〕その。「妻求其夫」「兒覓親」という句中の対があり、「妻求夫」と「兒覓親」の語調を整え、節奏をあわせるために用いている。 ・夫:おっと。 ・兒:こども。 ・覓:もとめる。
※阿鼻叫喚動天地:非常な惨苦のあまり、泣き叫んでの救いを求める(声)は、天地を震わせている。 ・阿鼻叫喚:〔あびけうくゎん;e1bi2jiao4huan4◎●●●〕死後に絶え間なく刀山剣林などで苦しみを受ける地獄のこと。阿鼻叫喚地獄。 ・阿鼻:梵語。不断の責め苦を受ける。八大地獄の一。 ・叫喚:さけびよぶ。どなる。 ・動:どよもす。うごかす。白居易の『長恨歌』に「漁陽鼙鼓動地來,驚破霓裳羽衣曲。九重城闕煙塵生,千乘萬騎西南行。翠華搖搖行復止,西出都門百餘里。六軍不發無奈何,宛轉蛾眉馬前死。」とある。
※陌頭血流屍横陳:街頭には、血を流した屍体が横たわり並べられ。 ・陌頭:〔はくとう;mo4tou2●○〕:東西に通ずる道の上で。街頭で。 ・血流:血を流した…。血の流れた。 ・屍:しかばね。屍体。死体。 ・横陳:横に並べる。横たわり寝る。
※殉難殞命非戰士:国難に際して、生命を落としたのは、戦士ではなくて。 ・殉難:国難に際し生命を捨てて国のために尽くす。 ・殞命:〔ゐんめい;yun3ming4●●〕命をおとす。死ぬ。『終戰の詔勅』「帝國臣民ニシテ 戰陣ニ死シ 職域ニ殉シ(じ) 非命ニ斃レタル者 及(および)其ノ遺族ニ想ヲ致セハ(ば) 五内 爲ニ裂ク」を受けていよう。 ・非:…ではない。
※被害總是無辜民:被害は、いつも罪のない民である。 ・被害:害をこうむる。害を受ける。 ・總是:いつも。いつでも。前記の意で「そうじて これ」と読むべきところ。「すべて これ」と読むよりも、より適切になろう。 ・無辜:〔むこ;wu2gu1○○〕罪のないこと。転じて、罪のない人を巻き添えにする。 ・無辜民:罪のない人。前出『終戦の詔勅』に「加之(しかのみならず) 敵ハ新(あらた)ニ殘虐ナル爆彈ヲ使用シテ 頻(しきり)ニ無辜ヲ殺傷シ慘害ノ及フ(ぶ)所 眞ニ 測ルヘ(べ)カラサ(ざ)ルニ 至ル」というのを受けている。
※廣陵慘禍未曾有:広島の惨禍は未曾有のことであり。 ・廣陵:広島のこと。 ・慘禍:いたましい災害。 ・未曾有:〔みぞう;wei4ceng2you3●○●〕これまでにまだ一度もなかったこと。
※胡軍更襲崎陽津:外国軍は、さらに、長崎(の港)を襲った。 ・胡軍:えびすの軍。外国軍を貶めて謂う。ここでは、米軍を指す。本来は「征胡の軍旅」の意。戎昱の『逢隴西故人憶關中舍弟』に「莫話邊庭事,心摧不欲聞。數年家隴地,舍弟歿胡軍。毎念支離苦,常嗟骨肉分。急離何日見,遙哭隴西雲。」とあり、明治・大正・昭和・徳富蘇峰の『時事感懷』に「進駐胡兵颯爽過,滿都齊唱太平歌。隨波逐浪非吾事,滄海橫流竟奈何。」とある。ここでは、「胡軍」という語彙よりも、「胡賊」や「-寇」等がより相応しいが、当時使えない状況下にあったろう。 ・更:その上。さらに。 ・襲:おそう。襲撃する。ここでは、空襲することになる。 ・崎陽津:長崎の港。 ・津:〔しん;jin1○〕(川などの)渡し場。船着き場。
※二都荒涼鷄犬盡:(広島と長崎)の二つの都は、すさまじく、生き物の気配が絶えてしまい。 ・二都:二つのみやこ。ここでは、広島と長崎を指す。 ・荒涼:すさまじい。荒れ果てて寂しい。 ・鷄犬:鶏と犬。人家の建て込んだところで、人と共に生活している小動物で、鶏や犬とはいうものの、それを通じて庶民の平和な営みを表現する。鶏狗。晉の陶潛の『桃花源記』「晉太元中,武陵人捕魚爲業,縁溪行,忘路之遠近,忽逢桃花林。夾岸數百歩,中無雜樹。芳草鮮美,落英繽紛。漁人甚異之,復前行,欲窮其林。林盡水源,便得一山。山有小口。髣髴若有光。便舎船從口入。初極狹,纔通人。復行數十歩,豁然開朗。土地平曠,屋舍儼然,有良田美池桑竹之屬。阡陌交通,鷄犬相聞。」。これは、人家の建て込んだようすをいう。 ・盡:つきる。死に絶えること。
※壞墻墜瓦不見人:崩れ落ちた壁に、落ちてしまったカワラの廃墟には、人気(ひとけ)がなくなってしまった。 ・壞墻墜瓦:〔くゎいしゃうつゐぐゎ;huai4qiang2zhui4wa3●○●●〕崩れ落ちた壁に、落ちてしまったカワラ。廃墟となったさま。 ・不見人:人気(ひとけ)がない。人がいない。人を見かけない。
※如是殘虐天所怒:このような残虐は、天の怒るところであり。 ・如是:かくのとおり(である)。このように。 ・殘虐:むごたらしい。そこないしいたげる。前出『終戰の詔勅』の青字部分参照。 ・天所怒:天がいかるところである。 ・【所+〔動詞〕】:単音動詞(一字の動詞)の前について、その動詞を名詞化する。「…するところ」。
※驕暴更過狼虎秦:驕って、あらあらしいさまは、虎狼のような秦以上である。 ・驕暴:おごって、あらあらしい。 ・更過:さらに過ぎる。それ以上である。 ・狼虎秦:『史記・秦始皇本紀・第六』「秦王爲人,蜂準,長目,摯鳥膺,豺聲,少恩而虎狼心,居約易出人下,得志亦輕食人。」と秦の凶暴さをいう。
※君不聞啾啾鬼哭夜達旦:あなたは分からないのか、夜通しで、朝になるまで続く亡者の忍び泣きを(そして)。 *ここの部分は杜甫の『兵車行』「君不見青海頭,古來白骨無人收。新鬼煩冤舊鬼哭,天陰雨濕聲啾啾。」を蹈まえている。 ・君不聞:諸君、聞いたことがありませんか。詩をみている人(聞いている人)に対する呼びかけ。樂府体に使われる。「君不見」もある。そこでは詩のリズムが大きく変化する。使用法は、七言が主となる詩では「君不見□□□□□□□」とする場合が多いが、必ずしも一定でない。岑参に「君不聞胡笳聲最悲,紫髯綠眼胡人吹。」、李白「君不見黄河之水天上來,奔流到海不復回。君不見高堂明鏡悲白髮,朝如靑絲暮成雪。」 顧況「君不見古來燒水銀,變作北山上塵。藕絲挂身在虚空,欲落不落愁殺人。」李白の『將進酒』「君不見黄河之水天上來,奔流到海不復迴。君不見高堂明鏡悲白髮,朝如青絲暮成雪。人生得意須盡歡,莫使金樽空對月。」 前出・杜甫の『兵車行』「君不見青海頭,古來白骨無人收。新鬼煩冤舊鬼哭,天陰雨濕聲啾啾。」、白居易『新豐折臂翁』「君不聞開元宰相宋開府,不賞邊功防黷武。又不聞天寶宰相楊國忠,欲求恩幸立邊功。邊功未立生人怨,請問新豐折臂翁。」などがある。 ・啾啾:〔しうしう;jiu1jiu1○○〕死者の魂が泣く声。悲しげに泣く声。小声で泣く。しくしく泣く。前出・杜甫の『兵車行』紫字参照。 ・鬼哭:亡霊が(しくしくと)泣く。亡霊がひそやかに泣く。「鬼哭啾啾」。 ・鬼:〔き;gui3●〕幽鬼。亡霊。 ・夜:夜(から)。 ・達:達する。およぶ。とどく。 ・旦:あさ。朝。日の出の時。あした。
※殘郭雨暗飛靑燐:崩れ残った建物に夜雨がしとしとと降って、青白い燐光が飛ぶさまを。 ・殘郭:崩れ残った建物。 ・雨暗:(夜に)雨がしとしとと(降り)。 ・飛:(青い燐光が)飛びはじめる。この構文では他動詞、使役的なものとなる。 ・靑燐:青い燐光。屍体が多く放置されたところでは、青い燐光の発することがあるという。
◎ 構成について
韻式は「AAaAAAAAAAA」。韻脚は「旻昏燼呻親陳民津人秦燐」で、平水韻上平十一真(旻人親陳津秦民呻燐)、上平十三元(昏)、去声十二震(燼)。次の平仄は、この作品のもの。
●○●●●○○,(韻)
●○●●○●○。(韻)
●●●○○●●,
○●○○○○●。(韻)
●●●●○●●,
○●●○○●○。(韻)
●●○○●●●,
○○○○○●○。(韻)
○○●●●○●,
●○●○○○○。(韻)
○○●●○●●,
●●●●○○○。(韻)
●○○●●○●,
○○●●○○○。(韻)
●○○○○●●,
●○●●●●○。(韻)
○●○●○●●,
○●●●○●○。(韻)
○●○○○●●●●●,
○●●●○○○。(韻)
平成16. 4.28 4.29完 4.30補 12. 5 12.12 平成17.11.12 11.19 平成23. 2.24 平成27.9.16 |
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