ナポレオンの優秀な弟。
ナポレオンより6歳年下。ブリュメールのクーデターは、彼の冷静な行動がなかったら頓挫していた。しかし、その功をたのんでわがままな行動が多く、執政時代には内務大臣となったものの兄とは衝突しがちで、その地位は剥奪された。
1800年にはマドリッドの大使となったが、ここでも兄と衝突。ナポレオン帝国の安泰のため、エトルリア王の未亡人と結婚するよう兄に説得されたが、別の女性と結婚し、兄との亀裂は決定的となる。イタリア、イギリスと住まいを変え、アメリカに行く途中、英国船に拉致される。
1814年にローマに戻り、百日天下の間にナポレオンと仲直りをし、兄を助けるために再びフランスに戻る。王政復古の際、イタリアに帰り、そこで亡くなる。
やさしのリュシル |
ルイ16世下の富裕な大蔵省の役人の娘としてパリに生まれる。莫大な持参金があり、求婚者が引く手あまただったが、リュクサンブール公園で出会った貧乏で貧相でちょっと変わっている11歳年上の青年カミーユ・デムーランと(不思議なことに)恋に落ちる。しかしながら、あまりにも不釣合いな相手に父は猛反対し、二人の交際を認めなかった。
1789年、ネッケルが罷免されるとカミーユは、パレ・ロワイヤルで「民衆よ、武器を取れ」と呼びかけ一躍革命の寵児となる。カミーユがジャーナリストとして成功を収めると、リュシルの父もようやく二人の結婚を認め、ここに7年越しの恋が実った。
リュシルはジャコバン派の夫の思想を心の底から信じ、夫が憎むもの(反革命派や過激派など)を全て憎み、家庭の中ではこれ以上ないほどの内助の功を発揮する。しかし、恐怖政治が進められていく中、夫はロベスピエールらとうまくいかなくなり、ダントン一派としてジャコバン・クラブを除名され、逮捕される。
夫の逮捕で気がおかしくなったリュシルは、夫を救い出そうとあらゆる手を尽くすが功を奏せず、カミーユはダントンらとともに処刑される。一方、リュシルは暴動を起こそうと企んでいると疑われ(100%ありえないのに)、そのまま逮捕、処刑。
夫カミーユは処刑の際、恐怖に震えていたがリュシルは「もうじきまたカミーユに会えるのだから幸せだわ」と嬉々として断頭台に登ったと言う。