人物スケッ チ た行


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フランス語のアクセント記号は、文字化けするので省略してます。正しくは書籍などを参考にしてください。

トゥレ (ジャック・トゥレ) 1746-1794
Jacques Thouret (H12.5.22.UP)

立憲議会最後の議長

ルーアン出身の弁護士。三部会には第三身分代表として参加した。シエイエス「国民議会」と言う名称を提示したとき、それに反対したことが宮廷から評価され、宮廷の後押しで国民議会の初代議長の座もシエイエスと争った。しかし、パリに脅かされ、立候補を取り消した。

立憲議会の最後の議長を務め、「立憲議会は会期を終え、使命を果たしたことを宣言する」と傍聴席に呼びかけた。のち、大審院判事。1794年、ダントン派として処刑

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トロンシェ (フランソワ・ドニ・トロンシェ) 1726-1806
Francois Denis Tronchet (H12.5.22.UP)

ルイ16世の弁護人の一人。

弁護士で高等法院司法官。三部会には第三身分代表として参加。ミラボーが死亡した時、立憲議会の議長としてラファイエットと共に先頭を歩いた。

寛容派。1792年末、ルイ16世は自分の裁判の際、マルゼルブドセースと共にトロンシェを自分の弁護士に選任した。テルミドール反動後は元老会議議員。

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ド・ローネイ侯爵(ベルナール・ルネ・ジョルダン) 1740-1789
Bernard Rene Jordan, Marquis de Launay

バスティーユの長官。

牢獄に隣接した長官屋敷で生まれた貴族で、父もバスチーユの長官だった。36歳で父から長官職を受け継いだ

1789年7月14日、バスティーユめがけてやってきた民衆に、彼は命を助けてもらう条件で降伏したが、占領後、民衆は彼の首を槍に刺し、パリ市内を行進した。

絵で見るとおり、多少陰気で旧制度に忠実だったものの、囚人に対しても不当なことはせず人柄は悪くなかったらしい。バスティーユの長官と言う以外、彼は私刑を受けるような人間ではなく、また歴史に名を残すような人物ではなかったようだ。


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