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一言で説明すると…内外の危機をひとまず脱却したあと、ロベスピエール派は、ダントンを中心とする「寛容派」とエベールを中心とする「過激派」の二派と対立しました。 |
公安委員会は、「恐怖政治」、「国民総動員令」、「経済統制」によって、内外の危機をひとまず切り抜けることができました。しかし、皮肉なことに危機の克服こそが、彼ら自身の危機の始まりだったのです。
人々の共通の危機感が薄らでいったとき、ダントンらが恐怖政治を軽減しようとしたのは、彼自身が安楽な生活を求めたからばかりとは言えません。戦勝は人々の緊張をやわらげ、恐怖政治の継続に疑問を持たせました。山岳派内部の分裂が始まりました。
しかし、恐怖政治は強化されていきました。
1793年8月24日、一切の株式会社が禁止されました。それに伴い、植民地の貿易会社であるインド会社も解散することになり、その清算をめぐってファーブル・デグランティーヌ、シャボーなどの山岳派の幹部が50万リーブルを不正に受け取りました。それをインド会社事件と言います。彼らは「恐怖政治」を転覆させ、ブルジョワジーにもっと都合のいい社会を作ろうとしたのでした。その罪を問われて彼らは1月13日に逮捕されました。
また、この事件にはダントンも深く関わっていると言われています。
内部分裂はロベスピエール、サン・ジュスト、クートンの「三頭政治」と、次の2派の闘いという形を取りました。
名 称 | 「寛容派」 | 「過激派」(あるいは「急進派」) |
左 右 | 右 派/腐敗 | 左 派/暴力 |
政 策 | 諸外国と妥協する。礼拝の自由を主張。実業界とのつながりを持つ。恐怖政治を終わらせたい。 | キリスト教を排除する。もっと革命を進める。食糧暴動を起こす。 |
支持基盤 | ブルジョワジー | 民衆、サン・キュロット |
中心人物 | ダントン | エベール |
主要人物 | カミーユ・デムーラン、ファーブル・デグランティーヌ、シャボー | モモロ、ロンサン |
「悪徳に対して戦え!」
それを合図にしてエベール派の指導者は「市民を腐敗させる計画」を持っているという理由で逮捕され、3月24日、処刑されました。
ロベスピエールは、革命を共に戦ったダントンを処刑することにずいぶん悩みましたが、とうとう、汚職まみれで革命に情熱を失った彼を断罪することを決意しました。
3月30日、ダントンは、やはりロベスピエールの友人でもあるカミーユ・デムーランその他と共に逮捕されました。
しかし、ダントンは屈強な人間でした。彼は法廷で熱弁をふるいました。彼の雄弁に圧倒された判事は無罪にしようかと思いましたが、結局、4月5日、処刑されました。
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