私の主張  平成二十八年七月十日更新 (これまでの分は最下段)    「契冲」のホ-ムペ-ジに戻る

國語改革七十年に思ふ

(「國語國字」第二百五號 平成二十八年五月二十一日)

 

 

昭和二十一年十一月十六日、「現代かなづかい」と「當用漢字」が内閣告示として發令されてから今年で七十年を迎ふ。世にこれを「戰後の國語改革」と呼ぶが、十三日前に公布の日本憲法の表記を否定して「日本」とし、以後權力を握つた國語審議會からの「建議」による「告示」、「依命通知」をマスコミ文化人が率先して人民に強制する役割を果して來た經緯は、憲法を一時停止し、臨時政府首長の布告に知識人の絶對服從を要求するに似て、當に「革命」と言へるものであつた。

かうした流れに昭和三十五年以來、異議申立てを續けて來た國語問題協議會は、

一、今後の御審議に當りましては當然のことながら國語の表記は、漢字かな交り文によることを前提とし…、 (昭和四十一年第八期國語審議會第一囘總會に於ける中村梅吉文部大臣挨拶)

二、この表(假名遣)は、科學、技術、藝術その他の各種專門分野や個々人の表記にまで及ぼさうとするものではない(昭和五十六年「常用漢字表」及び同六十一年「現代仮名遣い」告示の前書き)

などの「言質」を取る成果を擧げたものゝ、殘念ながらその後の進展なく、逆に行政側はこれら告示類は内閣に對してのみ強制力ありとする一方で、公用文作成の要領や學習指導要領など「要領」を通じて實質的な強制力を強め、平成二十年には文部科學省主任教科書調査官著書の形で文語文への現代假名遣適用を提案し、同二十二年告示の常用漢字表では上記前書きに

ただし、專門分野の語であつても、一般の社會生活と密接に關連する語の表記に就いては、この表を參考にすることが望ましい

の一文を追加したが、世間には殆ど知られてゐない。

周知の如く、上記の「成果」も、その一は昭和三十九年吉田富三先生の「吉田提案」によつてゐるし、その二は昭和三十年福田恆存先生の「國語改良論に再考を促す」を嚆矢とする一聯の「私の國語教室」論文が牽引したものである。今日このやうなメッセージの發信が跡絶えてゐることが行政の獨走を許してゐる。

以上を踏へ、當協議會の今後の活動に就き考へてみたい。

 

初めに國語といふ日本人全てが主體的に係はるべき文化としての問題を、七十年もの間限られた數の委員で構成する「國語審議(分科)會」による強權的體制を今後ともこのまゝ續けてよいのかといふ問題がある。しかもその「布告」たるや例へば、

大學の理系學部の學部長クラスの副委員長は、「私は國語のことは全く暗い人間でございますが、これは文部省でいろいろお練り下さつた案でございまして、廣い配慮のなされた案でとてもいい案だと存じます。御意見のある方もいらつしやいませうが、私はこの案に全く贊成でございます」と發言して平然としてゐる。委員の多くが默つて頷いてゐる。結局原案がその儘認められて行く。(大野晉『日本語と私』)

といふ状態が「建議」權消失の今日まで續いてゐる事への疑問から出發せねばならない。

 

客觀情勢としては、最早「現代仮名遣い」と「常用漢字」(以下新字・新かな)を一擧に廢止することは殆ど不可能に近い。更に議題に上りつゝある憲法改正は必然的に憲法原文の新字・新かな化を誘起し、上記前書きの削除も懸念される。幸ひ國語分科會はその開催を公示し、傍聽や結論に就いての意見も募集してゐるから、當協議會としては積極的に反應して行くと共に、折角先人が獲得した成果を積極的に活用して、博く國民各位に訴ふるメッセージを發信してゆかねばならない。

發信すべきメッセージの内容そのものは正字・正假名の復活といふことで當協議會内部では已に合意の所であり、然らばこれを如何に表現し、發信して行くかの工夫こそ吃緊の課題と言へよう。その場合、特に考ふべきは國民一般各位の意識である。殆どの人は「國語改革」を次のやうに考へてゐるのではないか。

一、日本語の文字は、漢字、平假名、片假名と三種類もあり、非常に複雜で一般庶民は滿足に使ひこなせない。これを簡素化する提案は明治時代からあり、敗戰によつて守舊派の妨害がなくなり、占領軍の後盾もあつて漸く實現した

二、書き言葉は話し言葉の記録の爲のものである。話し言葉は變るものであるから、書き言葉もそれに從つて變らなければならない

三、新字・新かなは七十年の實績を踏へて定著してゐるのだからこれを今更正字・正假名に戻すことは不可能だし無駄なことである

我々はこれらの「常識」を簡潔叮嚀に論破することから始めなければならない。本稿の末尾に筆者の反論を敢て附録に掲げた。「占領軍の後盾」に就いては別稿に讓る。

 

さてさうした反論を如何にして世に問ふかが次の問題である。上に擧げた文部科學省主任教科書調査官の著書は平成二十年平凡社新書「かなづかい入門」として發行のものであるが、當に上記三項目を前提の主張があり、それへの反論を同じ出版社から刊行出來れば、平成の假名遣論爭を提起できるのではないか。

また同書では文語文への新字・新かなの適用を謳ふ中で、告示前書きにある「この假名遣は、主として現代文のうち口語體のものに適用する」に對して、「新假名遣が口語文體の爲のものであることが強調されてゐるといふ印象がある」と不滿を表明してゐるが、事程左樣に、文語體は正字・正假名が當然との氣風が未だ殘つてゐる今こそ、文語文の讀み書きを講習するなども重要であらう。

最近の SNS でのことであるが、公用文作成の要領を、そのまゝ忠實に「ブログ」に適用させようとする書込に對し本會の安田倫子理事が疑問を呈した所、贊成、即ちこれは假名で書け、これは漢字を許容すると一々強制することへの拒否の書込が多く寄せられた。正しい主張は受容れられるのであり、國民は「偉い先生」が何も言はないからと言つて國語分科會の布告に無條件に從つてはゐないこと、前の大戰で軍部の布告に國民は聲を擧げずとも批判的であつたことに引較べられよう。茲にこそメッセージ發信の意義がある。

 

その他小學校から英語、大學の授業も英語でと、高度の知識、教養には國語より英語と言はんばかりの風潮への異議申立て、正字・正假名の出版を拒否された著者への支援活動など幅廣く發信して、國語は行政のみが司るものではなく、國民一人一人が主體的に造つて行くものといふ意識を滲透させて行くことで、來るべき憲法改正に於ける表記改變を防ぐことにも繋げて行きたい。(引用部の表記は地の文に統一)平成二十八年四月十八日

 

   

こゝで述べた戰後の國語改革に對する國民一般の評價に通底するものは、書き言葉は話し言葉の記録用といふ西洋言語學御墨附の理論である。これに從へば書き言葉は何よりも利便性、效率性を求められる。翻つて國語の書き言葉に就いて考へると、漢字傳來による書き言葉の「生れ」に於ては慥かに話し言葉の記録が大きな役割であつた。しかし、漢字を音と訓の二方向に使用するといふ「育ち」を通じて、次第に話し言葉から獨立するに至つた。これは書き言葉が意思傳達のみならず、文化遺産の保存傳承を擔ふに至つたことを示し、その故にこそ藤原定家は寫本作業の必要性から假名遣を發想し、契冲は記・紀・萬葉にその典據を求め直したといふ歴史を持つ。このことは國語の現代を含む全時代を通じて共通の表記を可能とする意味で、正字・正假名を主張する唯一最大の根據でもある。これは古典の傳承を容易にするだけでなく、表記の不變により、話し言葉の永續的安定にも貢獻するものである(母:はは→はわ→はは)。

なほ漢字の正字形保全に就いても、漢字廢止が撤囘された以上、學習上からも「正字形」を忘れる不利は明らかである(専←專、団←團、伝←傳、転←轉、囀)。

このやうな考察を基本に前述の今日一般に行はれてゐる國語改革への評價を檢討してみる。

 

一、文字が漢字、平假名、片假名の三種あるのは、書き言葉の利用促進を目指す「育ち」に伴つて傳來時單一の漢字が分化成立したものであつて、記・紀・萬葉の表記と比ぶれば、その進化は明らかである。

二、國語の書き言葉が話し言葉から獨立してゐるのも、進化の一端であり、「話すやうに書け」といふ現代でも口頭では「ら拔き」で喋つても、書き言葉にする時は「れる」「られる」の區分を匡して違和感はない。

三、定家の假名遣は契冲による改訂まで五百年、今日はそれから更に三百年、また「改革」後七十年を閲して正字・正假名を遣ふ人は已に稀である。それにも拘らず前記「かなづかひ入門」では歴史的假名遣を主張する人を攻撃し、その現代文への適用を激しく批判してゐる。革命政權が前政權の完全抹殺を試みるに同じく、そこには或る後めたさがあると感じさへするが言過ぎであらうか。正字・正假名は靜かに復活の時を待つてゐる。

(巨\申閣 代表   本會理事)

市 川   

昭和六年生れ

平成五年 有限會社申申閣設立。

正假名遣對應日本語IME「契冲」を開發。

國語問題協議會常任理事、文語の苑幹事、契冲研究會理事。

 

これまでの私の主張(ホームページ掲載分)日附降順

憲法改正と表記の保存(「國語國字」第二百號 平成二十五年十一月三日)

 和字正濫鈔の序に見る契沖の假名遣論の本質(契沖研究會「理」第十七號 平成二十五年五月二十五日)

 古典の日の制定に寄せて 「東京グラフィックス」第六百三十五號 平成二十五年一月號

−正字・正かな運動實踐のために−(二)「國語國字」第百九十七號(平成二十四年四月二十五日)

―正字・正かな運動實踐のためにー(一)  「國語國字」第百九十三號(平成二十二年四月一日

論語臆解    「國語國字」第百九十三號(平成二十二年四月一日

上代特殊假名遣臆見 ―日本語變換ソフトからの管見―「國語國字」平成十九年二月二十三日(第百八十七號)に掲載

正字・正かなの印刷環境 ――「東京グラフィックス」平成十八年十二月號(Vol.45 No.561)に掲載

教育再生への視點  ――「當用漢字」、「現代かなづかい」告示六十年に思ふ――

桶谷秀昭著「日本人の遺訓」を讀みて(文語の苑「侃侃院」)

「契冲」正字・正かな發信のために「國語國字」第百八十五號(平成十七年十一月十一日)

忘れられる歴史的假名遣   「假名遣腕試し」に思ふ−「國語國字」第百八十四號(平成十七年十月十日)

朱鷺、信天翁、歴史的假名遣

「契冲」の獨白――字音假名遣を考へる――(「月曜評論」平成十六年四月號掲載)

パソコン歴史的假名遣で甦れ!言靈 (『致知』平成十六年三月號(通卷三四四號))

    法律と國語

國語問題最近の十年を顧みての戰略提案

 文語の苑掲載文二篇

電腦時代を支へる契冲・宣長の偉業

昭和の最高傑作 愛國百人一首飜刻  たまのまひゞ  出版に協力して

文字鏡契冲と國語問題

文化と歴史的假名遣