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毛沢東詩詞の疑問

七律 和柳亜子先生

 わたしが疑問に思ったところを書き出しました。わたしの勝手な解釈や間違った見方かもしれませんので、お教え下されば幸いです。 

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1.「和柳亜子先生」について
                                           ('99.5.30)
 「毛主席詩詞」(人民文学出版社;1966年)の中に「和柳亜子先生」が載っています。先ずそれを見ていただきます。


  七律  和柳亜子先生
       
一九四九年四月二十九日

飲茶粤海未能忘,
索句渝州葉正黄。
三十一年還旧国,
落花時節読華章。
牢騒太盛防腸断,
風物長宜放眼量。
莫道昆明池水浅,
観魚勝過富春江。

この詩の意味

  この題は、「柳亜子先生に和す」とある。「和す」(和:he4:去声)とは、詩をいただいた時、そのお返しに、違う韻でも好いものの、おおむね同一の韻目の韻脚で作詩することでしょう。ところが、その「毛主席詩詞」の次のページには、「附:柳亜子原詩」として次のようなのが載っています。

七律 感事呈毛主席

開天闢地君真健。
説項依劉我大難。
奪席談経非五鹿,
無車弾鋏怨馮驩。
頭顱早悔平生賤,
肝胆寧忘一寸丹。
安得南征馳捷報,
分湖便是子陵灘。

 毛沢東の詩の韻脚は、「忘、黄、章、量」は陽韻。ただし「江」は江韻で、全く異なる韻目で、初唐の頃から両者の混用があったものの、韻書の普及で盛唐以降は見られなくなったことは別のページで述べました。ただ、詩韻よりもむしろ詞韻としての分類で見ればあまり問題はないでしょう(「詞林正韻」第二部で通用)。また、現代語音(北京音)でも近く、陽韻は基本的に「-ang」、江韻は「−iang」の発音をしていて、現代語で区別することは、いささか形式主義に陥る嫌いがあるかもしれません。これはまあ、通用と見ても、苦しくはないでしょう。(現代語を基準にした《現代詩詩韻》では、同一の韻目。)しかし、柳亜子のは、「難、驩、丹、灘」で、寒韻。両者は、全く違う韻目になっています。これでは和してはいません。(次韻等ではないので、同一韻目でなくともよいとも考えられますが…)。この詩は、柳亜子原詩とは、銘打っているものの、たぶん原詩ではないと推測しました。少なくとも毛沢東と柳亜子が贈答し合った詩は、この二首ではないと見ました。
 そこで、「柳亜子詩詞選」(人民文学出版社;1981年)を繙き、毛沢東に贈った詩を調べてみました。
  すると次のようなことが分かりました。
  先ず、七律「感事呈毛主席」は、「柳亜子詩詞選」の中では、「感事呈毛主席一首」(前掲書p170)となっており、製作年月日は、毛沢東の詩の約一ヶ月前の「三月二十八日夜作」となっています。時間的にはこの二首は、矛盾がありません。しかし、韻は和していません。
 そこで今度は、柳亜子の原詩は、別に有るのではないか、と少し疑ってかかることにしました。先ず、毛沢東の韻脚「忘、黄、章、量」と同じ押韻は無いものかと「柳亜子詩詞選」を繙き、探してみました。すると、ある、ある。たくさん出てきました。それも皆、毛沢東の詩と同じ四月二十九日以降、五月五日までの一週間の間に続けさまに八首ありました。しかも、他の時期にはありませんでした。
 同じ押韻の最初の詩を次に掲げます(前掲書p178)。
 
得毛主席恵詩,即次其韻

四月二十九日上午,偕鮑徳作園遊,帰得毛主席恵詩,即次其韻。

東道恩深敢淡忘,
中原龍戦血玄黄。
名園容我添詩料,
野史憑人入短章。
唐猫原有恨;
唐堯漢武
能量。
昆明湖水清如許,
未必厳光憶富江。


 これを見ると、柳亜子は毛沢東から詩をもらっています。「毛主席の御詩を得、即ち其の韻に次す」とあります。「次韻」とは、詩の贈答の際、頂いた相手と同じ韻字を使う事です。風雅交際の要件でもあります。(「柳亜子詩詞選」の再版説明によると、「長すぎる詩題は詩序にし、別に同じ意味の題を付けた」とあります。つまり、二行目が本来の詩題と謂えますが、意味は全く同じです。)
 この後一週間、同じ押韻の詩を作り続けているが、これは、主席から詩をもらった感激が、そうさせたのではないのでしょうか。
 また、毛沢東の詩句の「茶粤海未能忘」も、柳亜子が八年前の一九四一年初冬に、毛沢東らに贈った詩の一節からきています。(前掲書p93)

  (一九四一年冬)
寄毛主席延安,兼柬林伯渠、呉玉章、徐特立、必武、張曙時諸公

弓剣橋陵寂不嘩,
万年枝上挺奇花。
雲天
許同憂国,
粤海難忘共品茶
杜断房謀労午夜,
江毫丘錦各名家。
商山諸老欣能健,
頭白相期奠夏華。


「飲茶」の部分は、「品茶」となっていたり、「難忘」が「未能忘」となっていたりしますが、毛沢東の方がわざわざ柳亜子の古い詩句を使って作って、それを柳亜子にプレゼントしたことがよく分かります。おそらく、柳亜子に対して、何らかの親愛の情を示すの必要があってしたことなのでしょうが……
 こう見てくると、この毛沢東の詩題は「柳亜子先生」というよりも、柳亜子先生」等、「贈」や「呈」の方が合っているようです。(「呈」は少し不適切かもしれませんが
四月二十九日以降、五月五日までの間で、次韻の八首の題を以下に掲げておきます。


「畳韻寄呈毛主席一首」
「一九四九年『五一』節有感」(1949.5.1)
「『五四』紀念為輔仁大学附中奔流社預賦」(1949.5.)
「済南残案紀念日感賦」(1949.5.3)
「『五四』感懐」(1949.5.4)
「恭謁孫先生之霊堂有感」(1949.5.5)
「馬克思誕辰,毛主席賜宴感賦」(1949.5.5)


こう見てきますと、何かの都合で、「『主席』があげた」から「『主席』がもらった」に変わったのは、きっと「沽券」にかかわると編者が思ったのでしょう。文化大革命も始まり、毛沢東の位置づけも大きく変わっていったときですし。でも真相は、分かりません。全て想像です。あるいは、やはり、「柳亜子(贈呈:寒韻)→毛主席(それに応えて作詩:陽韻)→柳亜子(感動して連作:陽韻)」なのでしょうか…。
                               
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