2004年12月26日づけ大阪本社版社会面の、沖縄の陶芸家、
金城次郎さんの死亡記事。92 歳とあるが、最後には
《戸籍上は12年生まれだが、出生届が1年遅れていて実は11年の生まれだ
》
とある。
24日に亡くなったそうなので、実際の年を書いているとしたら、
12月26日から31日までに生まれたことになる。
2005-02-15 (2) 02:42:11 +0900
2004年12月26日づけ大阪本社版オピニオン面「ことばの交差点」
は丸「○」と零「〇」をとりあげている。
その中に
《ただ見た目はそっくりです
》とあるが、私には一目で違いがわかるぞ。
校閲部の人がそれでどうする。:-)
付)
導入部の、飲み屋で見かけたという
《「○天、ちく○、一○○」
》の「一○○」は正しくは「一〇〇」だが、
わざとこうしたのだろう。
2005-02-15 (2) 02:34:30 +0900
2004年12月26日づけ大阪本社版生活面、
奈良女子大助教授の長坂大氏の「住まいいろいろ」。
オランダの運河の話で、
《オランダでは、さくを設けるのは最小限にして、
子どもに徹底した教育をほどこす。
泳げるようにする、おぼれそうな人がいたら助ける、の2点である
》
を読んで、「おぼれそうな」にひっかかった。
「おぼれている」ではないのか?
《朝日新聞>「おぼれる」と「おぼれかける」/ 英単語 drown の影響か?》 参照。
「おぼれそうな」は、私なら、 泳げないのに一人でゴムボートに乗っている子どもとか、 まだ泳ぐべき距離が半分ぐらい残っているのにかなり疲れてしまった人などに使う語だ。 運河は泳ぐところではなさそうなので、 落ちた人がいて自力であがれそうもなければ即「おぼれている」と私はみなす。 落ちた途端にわかるのだから、「おぼれそうな」はありえない。
2005-02-15 (2) 02:21:51 +0900
http://www.meiji-u.ac.jp/は明治大学ではなく明治鍼灸大学
2004年12月26日づけ大阪本社版の広告で知った。 あれ、このときも最後のスラッシュいるんだっけ? 書いてあるとおり引用しといたけど。
2005-02-15 (2) 02:18:10 +0900
たとえば2004年12月26日づけ大阪本社版トップの、 被災者支援法の記事。都道府県知事へのアンケート結果が 「○×△」で示されているが、「○」と「×」はバランスがよいものの、 「△」が細すぎてどうにもおかしいのだ。 「○」の上に「△」があると、 人形の頭が三角帽子をかぶっているようにも見える。 それほど細い。
2005-02-15 (2) 02:16:48 +0900
肺を輪切りにして写した何枚かのフィルム」
タイトル行の引用は2004年12月26日づけ大阪本社版第一面
「治療革命」の第1部、第4回から。
見ているのは本人らしいのでおかしいなと思ったら、少しさきに
《肺が数十ケ所で輪切りされたような画像が得られる
》とあった。
切ってなくても輪切りというのか。
(タイトル行の引用も見出しからではない。)
2005-02-15 (2) 02:12:46 +0900
十円札とかはまだ使えると聞いたことがあるから犯罪か。 でも、和同開珎とかはいいんじゃないかな?
2005-02-15 (2) 01:53:29 +0900
本文ナシ
2005-02-15 (2) 01:51:30 +0900
手元の第三版を見ていて、気がついた。 「起きる」の文語形が「おく」であるというのとは性質が違うだろう。
と思ったが、凡例に
《形容動詞以外の活用語で、文語の活用の型、
または語形が口語とちがう場合は
》
とあるから、いいのか。
この場合は語形が違うのだ。
2005-02-15 (2) 01:50:43 +0900
山嵐が坊っちゃんに尋ねた言葉。(←ウソ。)
2005-02-15 (2) 01:39:49 +0900
移旋を紙の上でやろうとしたが未完成に終わった、と。
2005-02-15 (2) 01:38:04 +0900
本文ナシ
2005-02-15 (2) 01:36:08 +0900
ハマジが校内放送でナレーターをつとめることになった、という設定。 「憲孝」は「ちびまる子ちゃん」に登場するハマジの本名である。
2005-02-15 (2) 01:35:20 +0900
本文ナシ
2005-02-15 (2) 01:31:52 +0900
本当はスミルノフ氏が乗ってはいけないのである。
2005-02-15 (2) 01:30:26 +0900
しびれくらげが「ゲラくれ!」と言って「ビシッ!」と攻撃してきた。
2005-02-15 (2) 01:27:53 +0900
宇津井建志は架空の人名。
2005-02-15 (2) 01:26:18 +0900
宇津井健という俳優名を借りてきて 「宇津井健、神経痛」(うついけんしんけいつう)、 「宇津井健氏は神経痛」(うついけんしはしんけいつう) とすることもできたのだった。 これは有名なものらしい。 宇津井健の名前は本稿を書いた時点で知っていたはずだが、 なぜそうしなかったのかは思い出せない。
2006-06-23 (5) 01:57:11 +0900
囲碁の話だと思ってほしい。
2005-02-15 (2) 01:24:33 +0900
後者は擬音語。
2005-02-15 (2) 01:22:18 +0900
ここでは「飯田」は濁らないで読むとする。
2005-02-15 (2) 01:20:53 +0900
「見む」は文語。
2005-02-15 (2) 01:19:27 +0900
姓二つ。
2005-02-15 (2) 01:17:06 +0900
モーツァルトは交響曲の緩徐楽章ではティンパニやトランペットを休ませるようだが、 もしも仮にベートーベンのように使っていたとしたら、の話である。 この楽章では、 使うとしたら短調に変わって曲調が激しくなる第二主題の部分だろう。 《モーツァルト交響曲第39番第二楽章の第二主題はヘ短調とロ短調》 に書いたように、 第二主題は提示部ではヘ短調、再現部ではロ短調で現れる。 だから、もしも提示部ではヘを、 再現部ではロを中心に叩くことにしてヘとロのティンパニを使っていたら、 ベートーベン「フィデリオ」のフロレスタンのアリアよりも前に増4度 (=減5度)に調律されたティンパニが現れるところだった。
しろうと考えだが、 ヘやロが鳴っているところではその音でティンパニを鳴らしても悪くはないだろう。 第二主題のところで、ヘやロがどれだけ使われているか、 少し細かく見てみよう。 提示部。
付) この楽章は変イ長調なので、ヘはその第六音、 ロ=変ハは平行短調の第三音に当たる。
2005-02-15 (2) 00:16:23 +0900
2005-02-13 (0) 02:56:30 +0900
massangeana 氏の 「いろいろ」 (ブログ化される前のもの)の 2004年12月08日のところに、 ひらがなの「へ」とカタカナの「ヘ」が同じかどうかという質問に答えるとしたら、 という話題が出ている。 非常に納得のゆく回答だが、そもそも、 別の字であるとはどういうことなのかがわからなくなってきた。
音素が別物だというには、その違いだけで区別できる語のペアの存在を示す。 それと同じようなことはできないだろうか?
「への音」と「ヘの音」というのを考えてみたのだが、少々お下品である。 (前者は「屁の音」と書きたいが常用漢字でないのでかなにしたもの。)
2005-02-13 (0) 02:48:13 +0900
「massangeana のいろいろ」。 旧暦の新年をもって再開されるあたりがいかにも massangeana 氏である。
2005-02-13 (0) 02:31:09 +0900
2004年12月23日づけ朝日新聞大阪本社版生活面、「私の 10 円」。 いろいろな人が何回ずつか書いていて、金額はそのときによって違う。 この日はソムリエの田崎真也氏の最終回であった。
内容は、小学校3年生のころ、十円玉を拾い、 最初は自分のものにしてしまおうと思ったが、じっと考えて交番に届けたという、 ときどきある話である。 (決して陳腐だとけなしているのではない。念のため。)
すると、そのお巡りさんは、自分の財布を取り出し、 「いい子だね!これはごほうび」と言って、 違う10円玉をポケットに入れてくれた。
「自分の財布
」の「自分の
」、
「違う10円玉
」の「違う
」はどちらも短いことばだが、
状況を極めてわかりやすくしている。
試しにこれらを省いて読んでみてほしい。
お巡りさんが出したのが誰の財布だかわからないし、
ポケットに入れてくれた十円玉が拾った十円玉なのかどうかもわからなくなってしまう。
田崎氏自身がこのような簡潔でわかりやすい文章を書いたのか、 それとも編集部で手を入れてこうなったのかはわからない。 どちらにせよ、 《朝日新聞>「手で追いやったのがバーンスタインだった」の意味》 とは大違いではないか?
2005-02-13 (0) 02:24:02 +0900
西暦はキリスト教に由来するが、いまではそれを離れ、世界で最も広く使われている。 しかし、それでもいやだという人のためには、適当な数を足すか引くかして、 すなわち、 ナザレのイエスの生誕とは別のときを出発点にして数えればよいだろう。
「紀元前 * 年」は負の数のようなもので、計算がめんどうだ。 歴史で扱うすべての年が正になったら便利だろう。 《ユリウス日最初の日を含む年を第 1 年としたら》 でもそのように考えてみたのだが、換算がめんどうである。
思い切って、10000 を加えてしまったらどうだろう? 今年は 12005 年となる。 換算が簡単なだけでなく、 どちらで計算してもグレゴリウス暦によるうるう年の入れ方が同じ、 というメリットもある。 10000 が 400 で割り切れるからである。
(後者のメリットだけを考えるなら 4000 を加えればよいだろう。 ことしは 6005 年。)
付) こういうことも考えられるな、と言っているだけで、 積極的に推奨しているわけではない。
付) 日本はグレゴリウス暦を採用していながら適当な定数だけずらしている。 元号による呼び方はそのようなものである。 こういう風にしている国は日本以外にどれだけあるのだろうか? 日本だけ 12005 年にするか。:-)
2005-02-13 (0) 01:59:00 +0900
ウィキペディア「人類紀元」参照。
2024-08-12 (1) 00:50:17 +0900
この姓の投手が開幕投手をつとめる、と。
2005-02-13 (0) 01:45:26 +0900
コリドオは英語の corridor からはいった外来語の古風な表記。 「コリドオ、踊り子」でもよいのだが、少し長くしてみた。 どっちみち意味不明。
2005-02-13 (0) 01:41:17 +0900
本文ナシ
2005-02-13 (0) 01:38:43 +0900
最初は「肥溜め」と書いて「こえため」と読ませようと思っていたが、 かな漢字変換したら「肥えた目」になったのでそっちにした。
「肥たご妙子」(こえたごたえこ)とするも可。
2005-02-13 (0) 01:34:57 +0900
子どものころ、ジャガイモとハッカは食い合わせになると言われ、 ジャガイモを使った料理を食べたあとはハッカのドロップは避けていたが、 どうやらウソらしい。
これを信じている人がハッカを口にした直後に馬鈴薯を強いると、 というような状況。
2005-02-13 (0) 01:28:44 +0900
プロメテウスとエピメテウスからそう類推する人もいるかも。
2005-02-13 (0) 01:24:39 +0900
タイトル行の引用は2004年12月23日づけ大阪本社版国際面見出しから。 一瞬、少女が買春している、すなわちお金を出して男性を……!? と思ったが、 本文を読むとそうではなく、少女が売春を余儀なくされているという、 昔からよくある話であった。
「少女売春横行」ではどうしていけないのか。
買うほうの罪を強調したいのかもしれないが、
意味を逆にとられかねない言い方は不適切では。
見出しは記者ではなく編集者がつけることもあるだろうから、
本文から《10代前半の少女買春が問題になっている
》や
《児童買春は世界各地の観光地で大きな問題になっている
》
も引用しておいたほうがよいだろう。
望月洋嗣と署名あり。
付)
本項の趣旨とは関係ないが、少女らの収入について
《一夜の収入は約2千シリング(約3千円)という
》、
《収入は客1人につき500シリング(約700円)だという
》
とあるが、
2000 シリングが 3000 円なら 500 シリングは 750 円ではないか。
有効数字一桁で統一しているとも言えるか。
2005-02-13 (0) 01:08:12 +0900
「買春」は、少し前なら「売春婦を買う」と表現されたであろう。 ところが「売春婦」が使われなくなったので別の表現が必要になり、 そこで「買春」ということばができたのではあるまいか。 (「売春の相手をする」じゃなんだか逆みたいだし。)
2005-02-15 (2) 20:58:56 +0900
11日づけ大阪本社版社会面「徳島文理大また出題ミス / 入試3年連続
/ 点検6回見逃す」に
《放物線と直線で囲まれた部分の面積比を求める問題だったが、
直線の説明にミスがあり、
求める面積が存在しなかったという
》。
面積が存在しないと言われると、
ルベーグ可測でない図形だったみたいだ。
実際には「囲まれた部分」が存在しなかったのではあるまいか。
2005-02-12 (6) 02:57:37 +0900
11日づけ大阪本社版「ののちゃんの自由研究」は方言がテーマだ。 その中の、見出し「対応ソフトも続々発売」のついた部分。
話している方言をそのまま、書きたい、 という声にこたえて方言対応の日本語ソフトが開発されました。 関西弁の「行かへん」をふつうに変換すると「以下編」に。 九州弁の「悲しかばい」はふつうの変換で「仮名しか倍」。 それがこのソフトを使うと「行かへん」「悲しかばい」とちゃんと変換します。
書いた人は 「かなを打ち込んでそれを漢字かなまじり文に変換するソフト」 に決まっていると思い込んでいるようだが、 普通に読んだら 「行かへん」を変換して「以下編」に、 「悲しかばい」を変換して「仮名しか倍」にしたように読める。 何をするソフトで何から何への変換なのか全くわからない。
2005-02-12 (6) 02:49:53 +0900
11日づけ朝日新聞大阪本社版のまん中の、南極支局からの見開きの記事。 越冬隊員たちの写真が載っているが、 その中に昭和基地の立て札らしきものの前で撮った一枚があり、 「昭和」「SYOWA」の文字が見える。
2005-02-12 (6) 02:41:48 +0900
11日づけ朝日新聞大阪本社版文化面、阿辻哲次氏の 『「機械で書く漢字」認めよう』。 同氏の肩書きは「京都大教授(中国文字文化史)」で、 ほかに 『情報化に対応し文化審が常用漢字見直しへ』 『現実直視し、「手書き」と二層の構造に』 の見出しもある。
第一段落は漢字廃止論の根拠のうち、 機械化できないからというものだけを説明したもの。 第二段落を引用する。
「漢字は機械では書けない」という主張は、 過去においてはたしかに事実であったが、 しかしそれは永遠の真理ではなかった。 技術者たちの努力によってコンピューターで大量の漢字が使えるようになり、 それとともに漢字廃止論の前提はあっさりくずれさった。
ここでは、漢字を覚える労力についての議論がすっかり抜け落ちている。
また、
ほとんどの人はコンピュータに漢字を入力する際に画面を見て、
正しい漢字を選択する操作をしていることも、見落とされている。
第一段落で述べられていた
《タイプライターで美しい文書を迅速に作成できる欧米社会
》
に追いついたとは私には思えない。
私自身は時にTコードによる漢字の直接入力を行なうが、
そのときとかな漢字変換で入力しているときとでは、
頭の働きが違っているように思えてならないのだ。
もう一つ、終わり近くの段落を引用しよう。
これまでは必要な漢字をすべて手で書かねばならなかった。 しかしこれからは、 かならず手書きで書けなければならない一群の基本的な漢字群と、 正しい読み方と使い方を把握できていれば必ずしも手で正確に書けなくてもよい漢字群、 というように、 漢字全体を二層の構造にわけてもいいのではないだろうか。
私には、書こうとしても書けない漢字の「正しい読み方と使い方」 をマスターできるとは思えない。 書けない漢字が使われている文章をきちんと理解しようと思ったら辞書で調べて、 間違いなくその漢字であることを確かめずにはいられない。
2005-02-12 (6) 02:31:51 +0900
二つめの引用箇所の直前の段落も引用しておくべきだった。
ただ、手書きの時代には大きな労力を必要としていた複雑な漢字が、 今は機械によって簡単に書け、きれいに印刷までできるようになったことに対しても、 客観的事実としてはっきりと目をむける必要があろう。
このことからわかるように、
「正しい読み方と使い方を把握さえできていれば必ずしも手で正確に書けなくてもよい漢字群
」
も、書く漢字なのである。
読めるが書けない、という漢字はあって当然だと思うが、
そのことを指しているのではない。
付) タイトルが 「漢字廃止論の前提は崩れ去ったか? / 読めないが書ける漢字」 となっていた。後半があべこべ。
2005-02-21 (1) 02:15:26 +0900
上の追加部分だが、 読めるが書けないから書くときはカナで書く、というのではなくて、 と言いたかったんだろうか? 思い出せない。
2006-06-23 (5) 02:05:59 +0900
11日づけ朝日新聞大阪本社版第一面「折々のうた」。
紹介されているのは久松久子氏の俳句
「梅一輪小さき歯刷子増えてをり
」である。
「歯刷子」には「はぶらし」とふりがながある。
大岡信氏はいろいろな可能性を想像しているが、
子ども用の歯ブラシであることは間違いないとしているようだ。
2005-02-12 (6) 02:15:04 +0900
実際には、 善のパーティーで悪のフロアにはいると城へ強制的に戻されてしまう、 というルールであった。 悪のパーティーで善のフロアにはいったときも同じ。 だから、もしも善悪どちらかのパーティーだけでプレイしていても、 「はいると城に戻されるエリアがある」ということには気づくしかけだった。 そうではなく、善のパーティーか悪のパーティーかでマップが変わったら、 むずかしかったのではあるまいか。
たとえば、1階からの上り階段。 上ったパーティーが善か悪かで別のフロアに着くようにする。 あるいは、善のパーティーで行くと見える上り階段が、 悪のパーティーには見えない。 どちらも、プログラミングは簡単だ。
善の2階と悪の2階があって、 位置を知る呪文 dumapic でも区別できず、でもマップが微妙に違う、 ってのはいじわるか。 たとえば、テレポートして飛ぶ先に次の階への階段があるが、 善のフロアと悪のフロアとでその位置が違い、間違うと岩に飛び込んで全滅とか。
実は善悪混合でもパーティーが組めて、 その場合は最も前だったか最も後ろだったかのメンバーの属性がパーティーの属性とされるのだった。 パーティーの並びかえはキャンプ時に可能である。 善のフロアにあるが悪のパーティーにしか見えない、 なんて階段を作るとかなり意地悪だろうな。
2005-02-12 (6) 02:05:52 +0900
最近、朝日新聞に、
タブロイド判の自動車の広告特集がはいってくることがある。
11日づけのは「日産ラフェスタ
」とあるのが自動車の型名であろうか。
「お台場、レインボーブリッジ、月島、
築地などが集まる東京の水辺を代表するスポット
」
や「オープンカフェ&フレンチレストラン
」
を背景に、この自動車とその持ち主兼運転手らしき人たちが写っているのだが、
いくつかの写真には隅に小さな字で
「※通常は、クルマの乗り入れはできません
」と書かれている。
使えない方法で使ってみせている写真である。
防水でない腕時計の広告にその時計をして泳いでいる写真を載せるようなものだろう。
どういう意味があるんだろうか。
それはともかく、 これを見て思いついたのだが、 「こんなところに自動車を乗り入れるヤツがいるかよ〜」 といいたくなるような場所に自動車を持ち込んでの写真である。
まず思いついたのは銭湯だ。 カランが並んでいて、からだを洗うところに自動車を持ち込み、 持ち主兼運転手は湯船につかっているという図。
次に思いついたのは火葬場のかまの前。 東京の火葬場しか行ったことがないが、 霊柩車が着くとストレッチャーのような台車を寄せてそこへ棺を乗せ、 押してかままで運ぶから、おそらく、 やろうと思えば自動車をあそこまで持ち込むことも可能なはず。
もう一つ思いつかないかと思ったのだが……。
2005-02-12 (6) 01:52:30 +0900
大相撲の土俵はどうだろう? 英米人らしき男性が自動車と一緒に土俵に上がり、 「ヒョーショージョー」とか読み上げている図。 (英語では自動車を代名詞 she で受ける場合があることにも注意。)
2005-02-12 (6) 12:33:05 +0900
2005-02-11 (5) 02:18:38 +0900
新暦では、同じ日付なら太陽の昇る高さ・出ている時間などは毎年同じであること、 それに対し旧暦では、 地球の公転周期が月の公転周期で割り切れないことから毎年同じにはならないこと、 など。 それ以前に、 月の満ち欠けや季節による太陽の動きの変化もきちんと教える必要がある。
そうやって教えてゆけば、 旧暦に対する無知に由来する旧暦礼讃もなくなろうというものだ。
2005-02-11 (5) 01:30:00 +0900
2004年12月20日づけ朝日新聞大阪本社版「折々のうた」に
《漁期の十二月、一月ごろの雷鳴は、鰤起しと呼ばれ、
呼び名そのものも景気がいい
》と書いておられるが、
あれが鳴ると、ああ、今年の冬も裏日本で過ごすんだなあ、
と暗い気持ちになるのだった。
《人間世界では、そら一雨くるかもしれぬと、
そそくさ傘の用意
》で文章を締めくくっておられるが、
ブリ起こしの季節になれば空はどんよりと曇り、
いつ雪や霰(あられ)が降ってくるかもわからないから、傘は手放せない。
夏の青天に雷が鳴り渡る様子を想像して書かれたのではあるまいか。
付)
紹介されているのは中山純子氏の俳句
「鰤起し一喝をもて傘忘れず
」である。
2005-02-10 (4) 23:37:18 +0900
葱味噌は右に置いてね、の意。
2005-02-10 (4) 23:32:55 +0900
私の感覚では arui wa なのだが、 岩波国語辞典第三版によると aru + i + wa だそうだ。 じゃあ aru i wa なのか!? と思ったが、 岩波古語辞典は「あるい」という見出しを立てている。 「い」は接尾語だそうだ。 これなら arui wa となる。
わかちがきは慣習の問題なので、 著しく非科学的でない限りどう決めてもよい、というのが私の考えである。 現代語においては意味の上ではこれでひとまとまりだから aruiwa と一語にすべきだという意見もあろうが、 wa は助詞の「は」のような気がするという意見が多ければ、 実際にそうなのだから、arui wa と書けばよい。
2005-02-10 (4) 23:20:06 +0900
岩波国語辞典第三版(1979 年)は机上版(1982 年)も持っているのだが、 そこに通読の計画を書いたメモがはさまっている。 どこに注意して読むかというのだが、
いずれも、日本語のローマ字書きの研究を念頭に置いていたようである。 「じぢずづ」を特別視しているのは、まだ新日本式ローマ字を知っておらず、 日本式を検討することを考えていたのだと思う。
それから二十年ほど経った。 助詞・助動詞のリストアップなどは、今では電子辞書を使えば簡単だろう。
ところで、最近、日本語力の低下が語られているので、 この際、辞書を端から端まで読んでみようかと思いたった。 意味を間違えて覚えている語があればここで正しく覚え直そう、というのである。 試してみたところ、この辞典だと、1 ページあたり 3 分から 5 分で読めそうである。 本文は 1192 ページだから 100 時間はかからない。 十分にやってみる価値はあるのではなかろうか。
総革装(非売品、1985 年)も持っているが、 こちらは寝る前に寝床の中で読むのに使えるぞ。
付)ただし、 間違って「ある」と思い込んでいるニュアンスには気づかないかもしれない。 《「羅列」は否定的なニュアンスを持つ語だと思っていた》 に書いたように、 私は「羅列」を否定的なニュアンスを持つ語だと思っていたのだが、 これが間違いだと知ったのは、 知人とメールのやりとり中に話が合わなくなったときだった。 辞書をひいて、否定的なことは何も書かれていないと気づいたのだが、 辞書を通読する際には、 書いてあることに気づくのは簡単でも、 書かれていないことに気づくのは難しいかもしれない。
2005-02-10 (4) 22:53:04 +0900
思い出せないというのは、手が覚えているはずなのに打てないというのである。 職場のパソコンから ftp するときとか、 家のパソコンから TeraTerm ではいるときは問題ないのに。 先日も同じ症状が起きた。
2005-02-10 (4) 22:07:45 +0900
某氏が自分のブログで禁酒宣言をしたが、禁・宴会はしないようだ。 禁酒してもその代わり食べ過ぎてはあまり意味がないから、 飲み食いの欲を押さえる、とすべきではないかと思うが、 長いので単に「禁欲」と言ってしまいたくなる。 しかし、これでは知識欲も禁じてしまうことになるので、 学問をする人には向かない。
2005-02-10 (4) 22:04:13 +0900
いつから星(「★」)の数で値段を表わすのをやめたのか、 いますぐにはわからないが、1982 年の目録ではもう星は消えている。 だから、「若い人」でなくても、知らないのが普通なわけだ。 それなのに、年配の教員の中にはまだ 「これは岩波文庫にはいっていて、星の数は、正確には覚えていないけど、 星二つか三つぐらいの厚さですから、ぜひ読んでください」などと言う人がいる。
2005-02-10 (4) 21:51:35 +0900
ギリシア語については最近書いた。 ラテン語については 《ラテン語の入門書は発音を最初に説明して済ますだけだが、これでいいのか?》 を参照。
2005-02-10 (4) 01:42:33 +0900
ギリシア語の入門書で、音節の切り方のところを見てみると、
「語頭に立ちうる子音結合は単子音と同様に扱う
」
(田中美知太郎・松平千秋「ギリシア語入門 改訂版」(岩波書店、1962 年)、
「単子音および語頭に立ち得る子音群
(辞書で2つ以上の子音が並ぶ形で始まる単語を参照のこと)
は
」(大貫隆「新約聖書ギリシア語入門」(岩波書店、2004 年)
とあるので、そのような子音の組み合わせを知っておく必要がある。
ギリシア語新約聖書の巻末の単語集からひろってみた。 (この表で、 たとえば σ のところは、σ にこれらが続く組み合わせ、すなわち σβ,σθ,σκ,σκλ,σμ,σπ,σπλ,στ,στρ,σφ, σφρ,σχ の組み合わせがある、と読む。)
付) これで、字母 λ の名称 λαμβδα が λαμ-βδα と切れることがわかった。 すっきりした。
付) 並んでいる子音を音節に分けることがギリシア語文法においてどういう役割を果たすのか、 いま一つよくわからない。
2005-02-10 (4) 01:27:02 +0900
massangeana 氏がブログでこの話題をとりあげてくださった。 大きな辞書を見たところ、まだある、とのこと。 くわしくは「massangeana のいろいろ」を。
2005-02-13 (0) 02:34:52 +0900
きのうは金沢も暖かく、雪がかなりとけた。 勤務先で、 前は雪で歩けなかった中庭の雪がだいぶ減っていたので、 歩けるようになったかと思い歩いてみたら、 雪のないように見えるところにかき氷のような状態になって水がたまっていて、 ひどい目にあった。 まん中のほうだけ雪がとけ、とけた水が流れる先がなかったらしい。
某所で「ブラックアイスバーン」という語を覚えた。 英語とドイツ語を合わせた、和製外国語らしい。 ふとこれが頭に浮かんだ。
2005-02-10 (4) 01:10:20 +0900
本文ナシ
2017-02-14 (2) 01:16:20 +0900
旧暦の日付で「一年後」は、 閏月がはいらなければ約 354 日後、 はいれば約 383.5 日後になる。 前者なら約 11.25 日前になり、 後者なら約 18.25 日後になるわけだから、 季節は必ずずれる。
年によって季節との対応がずれることにふれずに旧暦を礼讃している人は、 実際には二年続けて旧暦を使うこともしてない、と考えてよいだろう。
2005-02-10 (4) 01:00:35 +0900
動くのは影ね。
2005-02-10 (4) 00:58:08 +0900
…のを見た。
2005-02-10 (4) 00:36:52 +0900
某ブログで、同窓会が「もしも一億円あったらどうする?」 の話題で盛り上がったとの話が出たので、 「拾う」という回答を書き込んでみたが全然うけなかった。
2005-02-09 (3) 22:23:11 +0900
もちろん、「ワイル 空間時間物質」を検索しようとしていたのであるが、 ついうっかり「ぶしつ」と打って変換してしまったのである。 《「ぶしつ」と打って「物質」が出ると思っていた》 参照。
どんなページかはほとんど見なかったのでわからない。
2005-02-09 (3) 22:19:04 +0900
かなで書けば「あらとひ・ふるどあ」、読みは「あらとい・ふるどあ」となる。 「新樋古扉」と書くことも考えられよう。 ヒトラアはヒトラーの古風な表記である。
2005-02-09 (3) 22:02:26 +0900
ペンネームにどうかなというのである。 姓は「利那須屋」なんて書き方も考えられる。
2005-02-09 (3) 01:56:41 +0900
以前は奥村晴彦さんのゲストブックに書いたりしたものだが……。 massangeana さんはお元気そうだけどあのブログに書くわけにはゆかないしな……。
2005-02-09 (3) 00:02:40 +0900
冒頭の弦楽四部の部分。 そのまま打ち込めるが、ああいったしんみりした曲は向かないようだ。
2005-02-08 (2) 21:12:59 +0900
「六日市の地位皆無」(むいかいちのちいかいむ)ともできるけど、 意味不明となる。
付)7 日夜はアップロードできなかったので 8 日夜に行なう予定。
2005-02-07 (1) 20:51:57 +0900
全体の意味はよくわからないんだけど、 朝日新聞の見出しにもこのくらいわかりにくいのはあるぞ。:-)
2005-02-07 (1) 01:45:14 +0900
出エジプト記第 7 章からの、モーセとアロンがファラオと対決する部分。
第 10 章後半の暗闇の異変では、第 24 節に
「ファラオはモーセを呼んだ
」(岩波版)とあるだけで、
同箇所の注にあるように
「いつも一緒に呼ばれていたアロンへの言及がない
」。
その理由を訳者の木幡藤子氏・山我哲雄氏は述べていないが、
「暗闇の中ではアロンは呼べない」と考えたらどうだろうか。
なぜ呼べないかというと、「アロンは耳が聞こえないから」
と考えるのが一つの解になる。
ファラオがモーセとアロンを呼んでいたときは、
モーセには言葉で、アロンには身振りで呼びかけていた。
だから、暗闇の中ではモーセを呼ぶことはできても、アロンを呼ぶ方法はないのである。
きっと違うと思うな。
付)その直前に
「すべてのイスラエルの子らには、
彼らの住んでいるところで、光があった
」とあるが、
ファラオたちはその光の中へ出ることはできなかったと考えることは不自然ではあるまい。
2005-02-07 (1) 01:42:13 +0900
うちの宗教は祖霊崇拝を取り入れた日本式の仏教だったので、 「慰霊」には全く抵抗がなく、意味のある行為だと思っていたが、 死後の「名誉回復」は何の意味があるのかと考えていた時期があった。 本人は死んでいるんだから、 いくら名誉回復してあげたって意味がないじゃないの、と思っていたのである。 しかし、「慰霊」をしたら本当に霊を慰めることができるかどうかも、 考え方次第である。 霊が存在しないと考える人にとって慰霊に意味がないのはもちろんだが、 生きている人間がどんなことをしても死者の霊の受ける待遇を変えることはできない、 と考える宗教もある。 ユダヤ教も、キリスト教も、基本的にはそうであろう。 (ただし、ユダヤ教においては、遺体が手厚く葬られないことは死者の不幸である。 たとえば、サムエル前書の最後の部分。 そのことと、慰霊をすることとは別のことだろう。)
2005-02-07 (1) 01:26:25 +0900
6日づけ大阪本社版国際面「イタリア人記者を拉致 / バグダッド / 軍の撤退要求」。
郷富佐子記者の記事である。
最後には拉致された記者について
《アフガニスタンなど紛争地での取材経験は豊富だったという
》とある。
郷記者自身もバグダッドに行っていたことがあるわけで、
同じような事件に巻き込まれていたかもしれない。
それを思うと、
日本でのうのうとこんなものを書いている自分がつまらない存在に思えてくる。
2005-02-07 (1) 01:13:03 +0900
きょうづけ大阪本社版読書面、石井茂著「量子コンピュータへの誘い」。
評者は作家の天外伺朗氏。
そこに
《すでに通常のコンピュータでは数十億年かかる因数分解が、
瞬時に解けることが数学的に証明されている。
因数分解は、今日の暗号の基本のため、これは通信の安全性にとって大問題だ
》
とあるが、これは素因数分解のことではないのだろうか?
付) 素因数分解は「解ける」とは言わない。 多項式が一次式にまで因数分解できることは 「その多項式=0」なる方程式が解けることだから、 その場合には「解ける」と言ってもいいかもしれない。 でも、普通は言わないだろうな。
2005-02-06 (0) 23:26:18 +0900
きょうづけ朝日新聞大阪本社版読書面の、
ジョン・L・カスティ著、寺嶋英志訳「プリンストン高等研究所物語」(青土社)
の書評。評者は米スタンフォード大学名誉教授の青木昌彦氏。
その中に
《どんな無矛盾な論理体系にも、
証明することも否定することも出来ない命題のあることを示し、
論理にもとづく知識の限界を明らかにしたゲーデル
》とあるが、
「どんな無矛盾な論理体系」には何らかの修飾語がつくはずだ。
命題論理の公理系は無矛盾であり、完全なのだから。
2005-02-06 (0) 23:19:43 +0900
きょうづけ朝日新聞大阪本社版スポーツ面、
プロ野球阪神タイガースの記事に
《岡田監督は、「ブラウンは制球がよく、球も重そうだ」と期待していた
》
とある。
これは、決して、ブラウン投手が球を重そうに扱っているという意味ではない。 重くて、投げても捕手まで届かない、なんてことはあるはずがない。
2005-02-06 (0) 23:15:20 +0900
きょうづけ大阪本社版社会面の、「愛知乳児殺害
」の記事。
《会社員
……さん(34)の次男
……ちゃん(11カ月)
の頭部を、無言のまま刺したらしい。
刺し傷は、頭頂部から下あごまで達するほどで、
男児は病院に運ばれたが、間もなく死亡した
》。
ここで「次男」が「男児」に変わったのはやや珍しい。
「次男」のまま使うのがいまのマスコミでは普通だろう。
容疑者は《男児の姉(3)をけり上げ、
近くにいて姉をかばおうとおおいかぶさった安城市内の女性(24)に対しても、
殴ったりけったりしたという
》とあるが、
「姉をかばおうと」の「姉」は主語である「安城市内の女性」の姉ではなく、
「男児」の姉だと思われる。
(前に「男児」と言い換えたのは、ここのためかもしれない。
「次男の姉をかばおうと」では血縁関係にあるように読まれかねないからである。)
2005-02-06 (0) 22:59:30 +0900
きょうづけ大阪本社版社会面の、中村四郎さんの死亡記事に
《自宅住所は公表していない
》とあった。
普通は「自宅は公表していない」である。
2005-02-06 (0) 22:55:57 +0900
きょうの大阪本社版(石川版)テレビ面、
午前7時30分からの石川テレビ「報道2001」に
「二期目日米は?べーカー大使
」と。
テレビ面は普通と違う活字を使っているので判断に苦しんだが、 MROテレビ午後2時30分からの『東レパンパシフィックテニス・決勝 「ダベンポート×シャラポワ」』の「ベ」、 およびNHK教育午後3時からの「しゃべり場」の「べ」と比較して結論を得た。
わかったときにはかなり息が切れていた。としをとったか。
2005-02-06 (0) 22:53:46 +0900
怪獣図鑑の架空解剖図でメフィラス星人の脳のことを 「いつも悪いことばかり考えているメフィラス脳」 などとと書いているのがあったとか。
それにならうなら私の架空解剖図は 「いつもくだらないことばかり考えている すのもの脳」 などとなりそうだ。
2005-02-06 (0) 22:34:21 +0900
幼いころ兄と航海中に難破し、人食い人種の島に流れ着いた。 彼らが兄をしばりあげたので「兄、食べる気?」と聞いた、 なーんて超・くだらないことを考えてしまう。
2005-02-06 (0) 22:29:50 +0900
2005-02-06 (0) 00:58:08 +0900
「リカア」は「リカー」の古風な表記。 「根上松」は兼六園のが有名。
2005-02-05 (6) 23:05:02 +0900
わかったようなわからないような。
2005-02-05 (6) 23:04:16 +0900
後半は架空の人名。 でも、実在しても全く不思議ではない。
2005-02-05 (6) 22:59:20 +0900
最終回ではたまたまゾフィーが命を二つ持って地球を通りかかったのでウルトラマンもハヤタも命が助かったが、 事前にウルトラマンのほうからM78星雲に 「事故を起こして地球人の命を奪ってしまったので大至急、命を届けてほしい」 と連絡することは可能だったんだろうか?
もしも可能だとすると、 悪いやつがウルトラマンになりすましてオレオレ詐欺、 ということも考えられる。
2005-02-05 (6) 22:57:22 +0900
……いないだろうか。
2005-02-05 (6) 00:31:10 +0900
シリカ球は電球の一種。
2005-02-05 (6) 23:01:21 +0900
4日づけ朝日新聞大阪本社版スポーツ面、「ノリ、ドジャースに決定」。
そこに《ドジャースのエーシー興梠・アジア担当取締役は
》とあった。
「興梠」には「こおろぎ」とふりがなが。
これを見て、
《「興梠」と書いて「こうろぎ」と読む姓があるのか……》
を思い出した。
《参院新議長の扇千景氏ってかなで書けば「おおぎ・ちかげ」なのかぁ》 もあったっけ。
2005-02-05 (6) 00:20:28 +0900
2005-02-04 (5) 02:44:02 +0900
元同僚から、ご母堂が水害にあった際の話を聞いたことがあった。 実家に電話が通じないので心配になって近くの知り合いに電話すると、 それじゃあ見に行ってあげようということになり、 ゴムボートで近づくとまっ暗な二階でご母堂はじっとしていて、 階段まで水があがってきたのでもうおしまいかと思っていたところをあやうく助け出された、 という話だったと思っていたのだが、 しばらく経ってからその元同僚に 「こういうことがありましたが、お母様はお元気ですか」 という話をしたところ、 全然違っていて、実は、 何日か経っても電話が通じないのでかなり離れた知り合いに見に行ってもらったら、 あのときは階段まで水があがってきて、 もうおしまいかと二階でじっとしていたと語っていた、という話だった。 ゴムボートでの救出は私が作り出した完全なデマだったのだが、 私は絶対に聞いたと思い込んでいた。
大笑いしたあとで、 デマってこうやって発生するんだね、怖いね、としみじみ語り合ったのだった。
2005-02-03 (4) 21:30:30 +0900
《朝日新聞>郷富佐子記者は 20 年前にイタリアの高校を卒業、奨学生だった…》
の補遺で紹介した留学体験記によると、南の島で
《取材目的を説明するために「バンブーダンス」を踊ったこともある
》そうだ。
それとは別に、確か、朝日新聞で読んだのだが、
バグダッドでは身を守るため全身を布で覆い、
現地の女性に変装して取材に出かけたこともあったと書いておられた。
この二つがごっちゃになり、 「イスラム圏のある国で取材のため変装して踊った」という話になると、 タイトル行のようなデマが発生することも十分考えられるな、と思ったのだった。
(念のために繰り返しますが、 タイトル行に書いたデマは私が「こういうデマが流れたら困るな」と考えたデマです。 決して本気にしないでください。)
付)デマがどう発生するかの実例については次項を参照。
2005-02-03 (4) 21:22:07 +0900
ひろったばかりのときは魔術師だけが装備できて、 スペシャルパワーを解放すると魔術師系呪文の使用回数がすべて 9 になる。 しかし、二度めにスペシャルパワーを使うと、 こんどはすべての呪文を忘れてしまうのである。
だから、一度使ったら即座に捨てるのが普通の使い方だが、Coin of Power とドレインされて経験値を稼ぐ技をくり返し使ってレベルを上げたキャラに使わせて、 友だちに「こいつは戦士一本やりでここまで育てたんだぜ。 呪文全然覚えてないだろ?」などと自慢する際に使えるのだった。 一度スペシャルパワーを使うとすべてのキャラが装備できるようになるのはこのため? ……じゃないとは思うけどさ。
2005-02-03 (4) 20:15:25 +0900
フジアキコは科学特捜隊の隊員。 「空の贈り物」(メガトン怪獣スカイドン登場)の野点(のだて) のシーンのスチールを使い、この名前でペットボトル入り緑茶を売り出したら ---、買うのはウルトラ世代だけだろうな。
2005-02-03 (4) 18:46:59 +0900
科学特捜隊本部でアラシ隊員がシラア「たくみと恋」(岩波文庫) を読んでいるのを見たイデ隊員が驚いて発したことば(という設定)。
岩波文庫総目録によると、Schiller の作品のうちこれだけが 「シラア」としている。ほかはシラーとかシルレルとか。
2005-02-03 (4) 18:43:29 +0900
本文ナシ
2005-02-03 (4) 18:42:07 +0900
本文ナシ
2005-02-03 (4) 18:41:11 +0900
「小田中(おだなか)」は姓。
2005-02-03 (4) 18:39:42 +0900
竜宮城へやってきた浦島太郎はタイやヒラメの舞い踊りを楽しんだが、 カレイがいないので乙姫にこう尋ねてみた。
2005-02-03 (4) 18:37:45 +0900
前者は洪水を起こす直前に神が地上を見て発したことばであり、 後者はノアが方舟の扉を閉める直前に言ったことばである、かもしれない。
2005-02-03 (4) 18:34:20 +0900
「里佳」は人名。
2005-02-03 (4) 18:32:46 +0900
リヨン (Lyon) は地名。
2005-02-03 (4) 18:24:47 +0900
台本では、ワルトラウテが帰った直後に、 グンターに化けたジークフリートがやってくることになっている。 でも、ワルトラウテはワルキューレなんだから、 戦死すると決まっていないジークフリートには見えないはずだ。 だから、すれ違う演出にしてもいいのかも。
ただし、その場合、ワルトラウテは「あの人誰かしら?」と思うに違いない。 宅配便の配達だとは考えないと思うぞ。
2005-02-03 (4) 01:54:16 +0900
2日づけ朝日新聞大阪本社版文化総合面、「オフステージ」。 書いているのは指揮者の大植英次氏である。
78年8月、米国タングルウッド音楽祭。 懸命に「運命」をピアノで弾いていると、 「お前、なかなかいいぞ」と、 たばこをふかしたおじさんが口をはさんできた。 邪魔だった。 英語をあまり理解できなかった僕に、 次々と話しかけてくる。 つい「向こうに行ってください」って。 その人がレナード・バーンスタインだと知ったのは、その直後のことだ。
《朝日新聞>「手で追いやったのがバーンスタインだった」の意味》 で書かれていたのと同じできごとであろう。 こちらのほうがはるかにわかりやすい。
(でも、私なら、
《つい「向こうに行ってください」って
》のあとは省略しないだろう。)
2005-02-03 (4) 01:48:06 +0900
朝日新聞の郷富佐子記者である。
2005-02-03 (4) 01:38:56 +0900
出エジプト記第 8 章。 蛇を出せば蛙に勝てたような気もするのだが、 パロの魔術師はひたすらモーセたちのまねをしようとしたようである。
2005-02-03 (4) 01:15:12 +0900
カナで書くと「せどうか」となる。 まん中の「どう」は「ドー」と長音に読むわけだが、 そういうことを考える前に二文字ずつに切って「せど・うか」 と覚えてしまったため癖が抜けないようだ。
《「強羅」を「ご+うら」だと思っていた話》 や 《幼稚園で「おどうぐばこ」がわからなかった話》 と同じである。
2005-02-03 (4) 01:09:21 +0900
この下に「届けるように」などが省略されているのであろう。
2005-02-03 (4) 01:02:25 +0900
本文ナシ
2005-02-03 (4) 01:01:54 +0900
意味不明。
2005-02-03 (4) 01:01:04 +0900
私が語末に促音がくる語を使って回文を作ったのはこれが初めてではあるまいか。 「かなこ」は人名。
2005-02-02 (3) 22:41:31 +0900
ジークフリートがブリュンヒルデに指環を渡して出かける前にね。
2005-02-02 (3) 20:58:07 +0900
同時に声を出すところはないから不可能ではない。 日本には落語という芸があるので、 一人二役も受け入れられやすいような気がする。
ワルキューレ第一幕をピアノ伴奏で試演する際、 ワーグナー自身がジークムントとフンディングの二役を歌った、 という話は読んだことがあるが、 あくまで試演だしな……。
2005-02-02 (3) 19:29:34 +0900
たとえばミーメや大蛇の姿になってみせることは考えなかったか。
かくれかぶとが家臣たちに秘密というわけではない。 話の中に出てくるんだから。
2005-02-02 (3) 19:24:04 +0900
1日づけ朝日新聞文化面。
たとえば小泉首相が、 戦争を二度と起こしてはいけないという気持ちで、 あの無謀な戦争を始めた東条英機首相が祀 (まつ)られている靖国神社に参拝するというのはまったくの論理矛盾である。 戦争を起こしてはいけないという気持ちで参拝すべきなのは広島・ 長崎の原爆で亡くなった霊などに対してであり、 靖国を参拝するならば、 「もう一度英米と戦います」といって参拝するのが論理的一貫性をもつ行為であろう。
ここでの「論理矛盾」「論理的一貫性」の用法は、私には論理的とは思われない。 死んだ者はすべてまつられるべき者だ、 という宗教観に立つなら何ら問題はなくなるから、と考えていたが、 次のようにも考えられることに気がついた。
「雷神」をまつるのは、雷が落ちてほしくないからだろう。 そこで、雷神を鎮め、被害がないことを祈るのである。 もしも、 「東条英機首相は無謀な戦争を始める望ましくない存在であるから、 それが繰り返されないよう鎮めるためにまつるのだ」 と考えるのなら、 雷神をそうやってまつるのが論理矛盾でないのと同じように、 靖国参拝も論理矛盾ではないだろう。
また首相の「自衛隊が活動しているところは非戦闘地域だ」という言葉は、 イラク駐留の自衛隊の安全をいかに図るかというまじめな議論を抹殺する暴言といわねばならない。 しかし私のみるところ、 このような非論理的な言論を公言するのは小泉首相のみではなく、 現在日本で人気のある政治家の多くは小泉首相と五十歩百歩なのである。
この発言については 《朝日新聞>首相答弁「自衛隊が活動しているところは非戦闘地域です」》 でふれた。 私は「まじめな議論を抹殺する暴言」とは思わない。 単に質問に答えていないだけである。
付) 靖国神社はすべての死者をまつってはいないし、 東条英機首相を上のような意味でまつってもいないであろう。 それらを根拠に「論理矛盾」だなどと主張するなら、 それらの点にふれて議論を展開する必要があると思う。
2005-02-02 (3) 02:35:55 +0900
2005-02-03 (4) 21:08:42 +0900
プラトンの『ポリティア(国家)』》と
1日づけ朝日新聞文化面。
《六十年ほど前、
田中美知太郎先生のゼミに参加したことがある。
そのゼミはもっぱらプラトンの『ポリティア(国家)』を読むゼミで
》
と始まる。もちろん、原語で読むのである。
しかし、この「ポリティア」という語がなんとなく変なので、 岩波文庫解説総目録で確認したところ、 ΠΟΛΙΤΕΙΑ,「ポリテイア」であった。 (岩波全書「ギリシア語入門」によると、 長音も表記すれば「ポリーテイアー」。)
二重母音のあとのほうの母音は小書きする、 という方針であろうか。しかし、普通の読者は 「ティア」は /tia/, 「テイア」は /teia/ と思うだろうから、 かえって誤解の元だろう。
付) πολιτεια のアクセントは後ろから二文字めの ι についているので、 そこで上がるのかと思ったが、 ει が二重母音なので、実際のアクセントは ε にきそうである。 同書の初めのほうでこの規則を確認した。 見落としていたので、 何十年間も間違えて発音していた語がありそうだ。 でも、παιδευω は正しく発音していたのは不思議。 (υの上にアクセント記号がつくが、 ευ が二重母音なので実際のアクセントは ε にある。)
付) いま、先のほうを読んでいて気がついたのだが、 二重母音のあとの母音だから小書きにしたというのは当たらないであろう。 「アテナィ」でなく「アテナイ」と書かれているからである。
2005-02-02 (3) 01:25:09 +0900