長音と促音の有無の違いだが、短いのに三つもはいっている。 日本語を学ぶ外国人の発音練習として使えないだろうか。 意味の点からちょっと使いにくいか。
2006-02-09 (4) 22:40:12 +0900
ここからは今晩アップロードする。
2006-02-11 (6) 23:18:20 +0900
2006-02-09 (4) 02:38:02 +0900
最後の「 」の中にあるのは全角スペース。
確かハンコを作ったときにおまけでもらった革袋入りの小さな水晶球がある。 筆箱につけてあるのだが、それを見て思いついたナンセンス。
2006-02-09 (4) 01:30:22 +0900
つまり、「こういう都市伝説がある」というのが誰かの作り話、ってこと。
2006-02-09 (4) 01:28:44 +0900
私が学生のころは「教務課」といっていた。 その職には理科系出身者が向く、の意。
2006-02-09 (4) 00:53:43 +0900
Bail Antilles of Alderaan と名前が出るが。
2006-02-08 (3) 21:36:09 +0900
ヨーダはオビ=ワンからの報告でアナキンは死んだと理解しているのだろう。 パドメが危なくなるので二人はそちらにかかりっきりになるが、 シスを倒すという最大の目的を大切にするなら、 皇帝の居場所をつきとめ、こんどはオビ=ワンと一緒に、 2対1で皇帝と戦うべきではないだろうか? リハビリセンターの駐機場あたりで戦いがくりひろげられていたら、 と考えると楽しい。 オビ=ワンはまたへりから落ちそうになるような予感。:-)
ヨーダはフォースの力で(←ダブってるか!?) アナキンが死んでいないことを知っている?
2006-02-08 (3) 21:19:45 +0900
終わり近く、パドメのアパートにやってきてアナキンの行方を聞くところでそう話す。 なぜわかったのだろう? また、 アナキンは知っているのだろうか? 知っていれば、 自分もやがて使い捨てにされると思うかも。
ところで、このシーン、背景に飛んでいるエアカーが水槽の魚のようにも見える。
2006-02-08 (3) 21:12:30 +0900
帝国軍兵士にお引き取りをと言われオーガナが引き返し始める。 ここまではわかる。 問題はそのあと。 修行中の少年(演ずるはルーカス監督の息子)が現われ帝国軍兵士と戦い始める。 彼はオーガナのエアカーで逃げようとして出てきたのか? 少年を打ち倒した兵士たちはオーガナに銃口を向けるが、なぜ? 彼が去ろうとしたところへ少年が現われたんだろ? オーガナがジェダイを救いにきた、と兵士たちは理解した?
2006-02-08 (3) 20:45:35 +0900
本文ナシ
2006-02-08 (3) 19:15:55 +0900
本文ナシ
2006-02-08 (3) 19:14:53 +0900
山本マサさん(69)=同=」の「同」って? (翌日の二回目はちゃんと書いてました。)
2006-02-07 (2) 02:40:30 +0900
あるいはこれと同じものはこれ一つしかないと思うから?
2006-02-07 (2) 02:14:39 +0900
6日づけ大阪本社版掲載分。
作者は東京都の井原三郎氏。
選者金子兜太氏は《亡妻ならんか。湯婆に並ぶ二人の足
》と評している。
なお、「湯婆」には「ゆたんぽ」とふりがなあり。
冬の夜、一人で湯たんぽを入れふとんにはいり亡き妻のことを思う、 というのならよいのだが、 通夜の晩などに寒かろうと遺体に湯たんぽを使わせるのは遺体の傷みを速めるので避けたほうがよい、 と読んだことがある。
2006-02-07 (2) 02:00:29 +0900
6日づけ大阪本社版総合面。
イスラム教徒が風刺漫画を批判する理由は二つある。 (1)イスラムで至高の存在とされる預言者そのものを風刺の対象にしたこと (2)預言者の姿を絵にしたこと、だ。
イスラム教は偶像崇拝を厳しく禁じている。 預言者ムハンマドはメッカ征服時、 他宗教の聖地だったカーバ神殿の周辺にあった偶像を破壊した。 預言者の姿を描くことは偶像崇拝につながるうえ、 「不完全な人間が完全な存在である神や預言者を描くことは不可能で、不敬」 というのが、 イスラム法学者の一致した見解だ。
簡潔にまとめていると思うが、 ムハンマドが破壊した偶像はイスラム教から見れば神でないものの像だった、 ということが伝わるだろうか。 朝日新聞の立場からすると特定の神のみを神とすることはできないのだが、 「イスラム教で崇拝されている神」と 「世間では“神”と呼ばれているがイスラム教では神ではないとされるもの」 との区別をするのはそれとは別のことであろう。
それはともかく、これを読んでキリスト教との違いを考えてみた。 キリスト教においては旧約の預言者はあくまで人間なので、 それを描いても偶像崇拝にはならない。 ただし、特定の預言者を崇拝するようなことがあればそれは偶像崇拝である。 イエスこそ最大の預言者であると言えるのだが、 イエスの像を描くことは構わない。 ただし、神は描かない。 描こうとしても姿を思い浮かべることができないのだから、 当然であるが。
付) 神とイエスとの関係は三位一体論に関連してくるので私には勉強不足でまだ論じられない。
付)
記事全体は複数の記者によって書かれたものだが、
上の引用部分を含む部分には《カイロ=貫洞欣寛
》との署名がある。
また、
この記者の書いた部分には《偶像化に「不敬」と反発
》との見出しがあるが、
私は「偶像化」を「神を神ならざるものにする」の意味かと思ってしまった。
上の引用部分を読むとそうではないようだ。
2006-02-07 (2) 01:42:23 +0900
一月ほど前に買ってきた Guinness ビールだが、 缶に貼り紙がしてあるのに気がついた。 原材料とか発売元が書かれている部分だ。 缶はあちらのもので、日本語シールを貼っているのかと思ったがそうではない。 缶そのものにも日本語の文字はある。 飲み終えたあとそっとはがしてみるとビニールのシールのようなもので、 下からもほとんど同じ文字列が出てきた。 比べてみると
http://www.sapporo-guinness.co.jp/ をあとで見てみよう。
2006-02-07 (2) 01:19:56 +0900
缶を捨てる際に気づいたのだが、 シールにもアルミのマークがついている。 缶にそもそも印刷してあるアルミのマークを覆うように貼るからである。 このシールもアルミなんだろうか? 裏側は銀色に光っているが。
2006-02-19 (0) 23:17:22 +0900
前項の続き。 リーダーズ英和辞典には roo が載っていた。 オーストラリア口語でカンガルーのことだそうだ。 カンガルーは腹にポケットがあるという点でドラえもんと共通点がある、 と考えてみると意味深いかも。 きっともう誰か考えていると思うが。
2006-02-07 (2) 01:17:28 +0900
livedoor を逆につづった roodevil は Google でかなり見つかるが、 rood が実在の単語であることに私は気づいていなかった。 roo devil と分解して意味を持たないかと思って辞書をひいて、 rood なる単語の存在を知った。
十字架上のキリスト像、十字架といった意味らしい。 「悪の十字架」か。
付) 「悪の十字架」は、年下のいとこからある時期にさんざん聞かされた。 何かと思わせておいて「開くの10時か」でデパートの開店時刻、ってやつ :-)。 「恐怖のみそ汁」→「今日、麩のみそ汁」ってのもあったかな。
2006-02-07 (2) 00:43:31 +0900
単位円の上に (cos(n²), sin(n²)) なる点をプロットしてゆく。 一周を 1 とすると n²/(2π) mod 1 なる点となるわけだ。 ここで、予想 「1/(2π) を十進小数として表わすと、 小数点以下奇数ケタ目にはどこまでいっても全ての数字が現れる」 が真であると仮定する。 すると、 n = 1, 10, 100, 1000, ... の場合だけを取り出して考えると、 小数点以下第一位にどこまでいっても全ての数字が現われるので振動する。
この予想、正しいと思うけどなー。
付) 十進の代わりに二進で表現し、n も二のベキにとる。 もしもこの部分列が収束すると 1/(2π) が有理数になる、 と言えそうな気もするが、 sin(x) がある特定の値になるような x は一般に [0, 2π[ の範囲に二つあるので、 それらを交互にとる 《“駢文数列(べんぶんすうれつ)”》 のようなものになっていたりすると困りそう。ひまがあったらまた考えよう。
2006-02-07 (2) 00:31:25 +0900
歴史的かなづかいが「かすがひ」と「かすがゐ」だから関係ないな。きっと。
2006-02-07 (2) 00:07:02 +0900
大学院の区分としては master が修士、doctor が博士、 というところから考えついただけのこと。
2006-02-07 (2) 00:04:13 +0900
2006-02-06 (1) 01:12:28 +0900
1月31日づけ大阪本社版総合面社説「麻生発言 / 天皇を持ち出す危うさ」。 麻生外務大臣の、以下のような発言に関してである。
先週末、公明党参院議員の講演者らの会合で、 小泉首相の靖国神社参拝について聞かれ、こう答えた。
「英霊からすると天皇陛下のために万歳と言ったのであって、 総理大臣万歳と言った人はゼロだ。 だったら天皇の参拝なんだと思うね、それが一番」
これに対し朝日新聞らしい批判がなされているが、 「誰それが拝んでくれたら死者が喜ぶだろう」 という宗教のあり方について全くふれられていないのが残念である。
信教の自由とは、 自分が信仰したいと思う宗教を信仰する自由である。 しかし、「誰それに拝んでほしい」という“自由”はこれとは別物だ。 (信仰の自由には信じたくない宗教の儀式に参加することを強要されないこと、 なども含まれる。念のため。)
2006-02-06 (1) 00:50:36 +0900
4日づけ大阪本社版生活面「疑問解決モンジロー」は「お守りの中身は何?」。 確かにそれなりにきちんと調べているとは思う。
作っているところの取材記で
《「写真は撮らないでくださいね。神さまの依代(よりしろ)になるのです」。
依代? 「神さまの力がここにこもるのです」
》というやりとりが載っているが、
広辞苑の説明によれば依代とは神そのものが乗り移るもので、
それを祭るもののことだそうだ。
《……祖父にあたる2代目が戦後、
家にまつられているお札を「携帯しやすいように」と、
今のようなお守り袋を考えつき、
全国の社寺を回って広めたそうだ
》
ってことはお守りって意外と新しいんだ。
時代劇に出てきたら時代錯誤というわけか。
「モンジローの感想」のコーナーを引用する。
モンジローが見たお守りの中身は、どれも祈祷前のものだった。 祈祷後、お守り袋に収まったものは見ちゃいけないの?
鈴虫寺の桂さんは「見るために包みを傷つけ、仏さまも傷つけてしまう。 お勧めしません」。 白峯神宮の北村さんも「神さまは見えないもの。 それを見ようとするのは神さまに対する裏切りです」。 聞いているうち、 袋の中に本当に神さまや仏さまがいるような気がしてきたでごザルよ。
ここに、批判精神が全くないのが嘆かわしい。 果たして神や仏が袋の中にいるのか。お守りに人を救う力があるのか。 真剣に考えたのだろうか。
付) お守りが作られる過程を取材し記事にしたことは評価する。 それが、読者から寄せられた疑問に答えることになるからだ。 しかし、 記者が無批判にお守りを作っている人の言うことを信じるのは別の問題である。
2006-02-06 (1) 00:15:02 +0900
プロテスタントでは、お守りは存在しない。 神はいたるところにいる存在であり、 人を救うのは本人の神への信仰だけだと信じるからだ。 そういう信仰を持った人には「お守り」はどう見えるか、 も取り上げてほしかった。
2010-01-14 (4) 02:08:42 +0900
山本マサさん(69)=同=」の「同」って?
5日づけ大阪本社版第一面トップ「分裂にっぽん / 東京・高島平団地から」
の一回目。
本文6段目から7段目にかけて「山本マサさん(69)=同=
」とあるが、
この「同」は1段目に
「鈴木昭次さん(50)=仮名=
」とある中の「仮名」をうけているのである。
私はこの「仮名」が強く印象に残ったのと、
すばやく読んだのとでわかったが。
さらにあと二回出てくるが、どこも字数がぎりぎりというわけではない。
2006-02-06 (1) 00:03:56 +0900
6日づけの二回目では二度目以降も「=仮名=
」となっている。
付)
《「別の人生があったかもしれないが、もう取り戻せないのか……」
》、
《「仮の宿」を抜け出せないまま年をとっていく彼らを、
だれが支えるのだろうか
》など、ぐさっとくる話ばかりである。
2006-02-07 (2) 01:35:31 +0900
2日づけ朝日新聞大阪本社版社会面「ニッポン人脈記」を読んで、 誤解していたことに気がついた。 日本人で大リーグの経験があるのは彼だけ、という時代に、 「体格などで大きなハンディがあって無理なのに無謀にも大リーグに挑戦して挫折した選手」 と思い込んでいたのだ。 こういう事情だったのか。 それに、一年ちょっとで4勝1敗8セーブは立派な成績だろう。 さらに、日本へ戻ってきて通算103勝30セーブというのも知らなかった。
2006-02-05 (0) 23:56:28 +0900
2日づけ朝日新聞大阪本社版オピニオン面「声」の、
湯浅二郎氏の投書「湯たんぽ使い / その良さ実感」。
《この陶器製のものは、かなり良質のものらしく保温力がよく、
1日たってもお湯として十分利用できるほど暖かい
》とあるのを読んで、
タイトル行のようなことを考えた。
全く外へ熱を逃がさなければ、
就寝中にふとんの中に入れて暖まるという役には立たないからである。
揚げ足取りをしているのではない。 保温力以外の何かも効いてくるはずだ、 ということに気づいたのでメモしたものである。 もしかしたら、この方が使っているふとんなどがよいのかも知れない。
2006-02-05 (0) 23:49:14 +0900
たとえば2日づけ朝日新聞大阪本社版社説「寛仁さま / 発言はもう控えては」 を読んで考えたのだが、 天皇・皇族が政治的な発言をしないということの法的根拠は何なのか。 法的根拠があるとした場合、反した場合の罰則などはあるのか、 その政治的発言を報道したマスコミは幇助罪に問われるのか。
2006-02-05 (0) 23:43:12 +0900
2006-02-05 (0) 02:23:09 +0900
本文ナシ
2006-02-05 (0) 02:21:45 +0900
本文ナシ
2006-02-05 (0) 02:20:37 +0900
本文ナシ
2006-02-05 (0) 02:19:56 +0900
本項の前後の回文は、 一月 10 日すぎに風邪で寝込んでいたときに考えたものだと記憶しているのだが、 そのころ、Phinloda 氏の「裏の裏」で 「悪意のあるソフトウェアの削除ツール(中略)をインストール中」 というメッセージの話が出ていた。 悪意のあるのは削除されるソフトウェアかツールかはっきりしない、 というのである。
タイトル行の文章は、これに関連して考えたもの。 「速い」も「赤い」も「自動車」にかかるのだとしたら 「速くて赤い」となるはず。そうなっていないということは 「速い」と「赤い」の間で切れるのであり、 「速い」はのちに出てくる「パトカー」にかかる、とわかる。 ちょっと苦しい例文だが。
2006-02-05 (0) 02:04:20 +0900
本文ナシ
2006-02-05 (0) 02:03:04 +0900
本文ナシ
2006-02-05 (0) 02:01:56 +0900
本文ナシ
2006-02-05 (0) 02:00:52 +0900
本文ナシ
2006-02-05 (0) 02:00:01 +0900
前者は架空の人名、後者は姓二つ。
2006-02-05 (0) 01:58:38 +0900
これも意味不明。
2006-02-05 (0) 01:57:19 +0900
若干意味不明。
2006-02-05 (0) 01:55:57 +0900
本文ナシ
2006-02-05 (0) 01:53:54 +0900
本文ナシ
2006-02-05 (0) 01:52:11 +0900
円山応挙の地口である。念のため。
2006-02-05 (0) 00:41:07 +0900
第三・第四楽章を“補筆”して完成させようという“暴挙”があったそうだが、 そうではなく、 第一・第二楽章の中からスケルツォ的な部分、 フィナーレらしい部分を切り抜いて第三・第四楽章としたらどうか。 そうすれば、トータルの演奏時間は増やさずに、 しかもシューベルトの音楽だけで四楽章の交響曲として完成させることができる。
スケルツォ的とは言えないかも知れないが、 第一楽章の第二主題は舞曲のようであるから、ここはどうだろうか。 などと考えてみたが、これまた暴挙だな。
2006-02-05 (0) 00:37:50 +0900
「ザ・グレート」は長すぎるが「未完成」はちょうどよい、 という意見は多いようだが、 「未完成」をもっと短く編曲して演奏しよう、という人はいないのだろうか。
第一楽章第 9-12 小節では中低弦のピチカートの上にバイオリンが十六分音符で揺れ動くような音型を弾くが、 二小節からなるものを二回くり返しているのでこれを一回にする。 第二主題に移るところでファゴットとホルンがニの音を三小節に渡ってのばすが、 これを切りつめる。 そのあとの、 コントラバスの上でクラリネットとビオラがリズムを刻むところは同じことが二小節くり返されるから一度にする。 第二主題は八小節に渡ってチェロで奏され、 次にバイオリンでくり返されるから、適当に短くする。 まん中の八小節をカットするか。
暴挙だな。
2006-02-05 (0) 00:29:08 +0900
私はシューベルトの伝記は読んだことがなく、 スコアやCDの解説などに目を通しただけだが、 第二楽章までのスコアはある人に送られて長く日の目を見ず、 第三楽章は冒頭のスコアと、トリオの初めまでのスケッチが残っている。 それで「未完成」と呼ばれているのである。
第三楽章の草稿は第二楽章までのスコアとは別に保存されていたのだろうか。 もしも第三楽章の草稿がなければ、 全二楽章からなる作品として扱われていたのであろうか。
シューベルトは完成した日を最後に書く習慣があったそうだから、 それもないと完成したとはみなされないか。
2006-02-05 (0) 00:21:39 +0900
本文ナシ
2006-02-05 (0) 00:06:08 +0900
4日づけ大阪本社版 be の b7 面 be between のテーマは「皇室典範改正」。
《女系の意味は、43%が「知っている」、
41%が「知っているつもり」と答えています
》とあるが、
「女系天皇」の「女系」は普通の「女系」とは意味が異なる。
正しく尋ねたのだろうか。気になる。
「世界で一番長くはっきりしている家系は日本の誇り
」
という意見があったそうだが、これ、
ホント? 孔子の家系が世界一と認定されていたような。
あ、天皇家のこととは言っていないか。
しかし、「女性天皇に賛成ですか?」の質問に 22% が「天皇制はない方がよい」と答え、 「男系の伝統を変えても天皇制を維持する必要は?」に 36% が「ない」と答えているのには驚いた。
2006-02-05 (0) 00:05:01 +0900
もう一つ、書こうと思っていたことがあった。
メインの質問が
「今国会で女性・女系天皇を認めるように皇室典範を改正するべきですか?
」
となっている。
「すべきですか?」ではなく。
2006-02-05 (0) 23:39:20 +0900
きょうの大阪本社版 be の e1 面「愛の旅人」は「東京・渋谷」、「三善英史と母」。
そこに
《歌の中で、母親は息子に夢をすがるような存在として描かれる
》
とあるが、
「すがる」は「〜にすがる」と使うのであって、「〜を」はとらないだろう。
また、写真の説明
《芸者のおえねさん方が歩くだけで
》
の「おえねさん」は意味がわからない。
「文・坂本哲史」と署名あり。 《朝日新聞>「月では地球が昇ることも推測できたはずだ」ってホント?》、 《朝日新聞>「住所表記」って「住居表示」の間違いでは?》 の人と同じ人だと思う。
2006-02-04 (6) 23:52:43 +0900
東西に道が走っていて、そこに南からより細い道がぶつかり、 T字路になっていたとする。 そこに、夜、南から自動車が近づいてきて、右折して東に向かおうとした。 ところが、そこには横断歩道があったとする。 横断者があれば、そちらが優先である。 しかし、それが闇夜であれば、横断者があるかどうかは、 交差点にはいって進行方向を東に向け、 ヘッドライトで照らさなければわからないだろう。 しかし、その時点で停車することは、東西の道が優先であることに反する。 西からこのT字路に近づき、 右折して南に向かう自動車のほうが優先されるはずだからである。
2006-02-04 (6) 23:45:57 +0900
英語の body に由来する外来語は /bodi:/ と発音されるが、 「ボディー」でなく「ボディ」と書かれることも多い。 小書きの「ィ」はその前の「デ」と組み合わさって /di/ の音になるためのものだが、 最近は小書きのカナが前の音の長音化を意味したり、 二重母音のあとの母音 --- 軽く発音される --- を意味したりすることがあるためか、 これで /di:/ だと思い込む人がかなりいるようである。
そういう人が「ボーディ」をいう表記をみると 「ボーディー」と発音してしまわないだろうか。 漢訳の「菩提」にあたる語。
付)こういう例をずっと探していた。 《そのうち、「ボディコン」を「ボディーコン」と読む人がでてくるかも》、 《Google では「ボディチェック」のほうが「ボディーチェック」よりも多い》 参照。
2006-02-04 (6) 23:07:29 +0900
岩波文庫の「般若心経・金剛般若経」(1960 年)の註で気づいた。 サンスクリットに短母音の o はないと知っていればしないはずの間違いだ。
「アヴァローキテーシュヴァラ」は正しく覚えていた。 この本で覚えたのかどうかは定かでない。
2006-02-04 (6) 23:02:49 +0900
…グリーバスがウータパウにやってくるときの船と同じ?
2006-02-04 (6) 21:57:56 +0900
DVD の解説音声がそう言っていた。 三部作を通じて分離主義者の船は同じだと。 観客が見なれているものを使ったと言っていたが、 観客の記憶にどれだけ残っているかは疑問だ。 I では関西人なまりの英語で Ah, victory! と言いながら降りてくるシーンだけ、 II ではここだけだと思う。 III では結構長く映るが、 ウータパウに着陸しグリーバスがかっこよく降りてくるまで、 私は誰が乗っているのかもわからなかった。
2006-02-05 (0) 17:38:13 +0900
倒れているオビ=ワンとアナキンの上にドゥークーがフォースで柱を倒そうとすると、 ヨーダはフォースで柱を受け止める。 それよりも、二人のジェダイをフォースで吹き飛ばすほうが簡単であろう。 III で皇帝の衛兵二人を吹き飛ばしたときのことを考えれば。 しかし、ここでは二人のジェダイは怪我をしているので、 それはできなかったのであろう。
2006-02-04 (6) 21:54:04 +0900
倒れたオビ=ワンは自分の落としたライトセーバーをフォースで引き寄せ、 アナキンに投げて渡す。
ライトセーバーは手に持っていないと刃がひっこんでしまうのかと思っていたが、 III で占領されたジェダイの神殿に侵入するときに、 ヨーダはクローン兵にライトセーバーを投げて突き刺し、 飛びついてそれを引き抜くシーンがあった。
これと同じように、ドゥークーに投げつけていたらどうであろうか。 クローン兵のようなわけにはゆかないか。
2006-02-04 (6) 21:42:55 +0900
まず左腕を切られるが、 そのときカラカラという音がするのはライトセーバーを落としたためだろう。 次に左脚を切られて倒れ込むオビ=ワンの後ろにライトセーバーが写っている。
武器を失ったオビ=ワンが、 そのあと左脚を傷つけられるだけで済んだのはなぜだろう? ドゥークー側から見ると、 左腕を切ったとわかれば、 次の一撃では手足を切断しようと狙ってくるのが普通だろう。
IV 以降に合わせるため、と言ってしまえばそれまでだが。
2006-02-04 (6) 21:37:06 +0900
普通は「I need your help.」とか「I need your power.」とか言わないか?
2006-02-04 (6) 21:32:17 +0900
…思う子はいないか? 「ごりんじゅう」は「ご臨終」と同音。
2006-02-04 (6) 21:12:33 +0900
《元号が「成るを平らぐ」なのに「成」と書いて「なる」という名前をつける親》 に書いたが、Google で「成るを平らぐ」を検索するとこのページだけが見つかる。
元号が変わったとき「『平和に成る』みたい」と言っている人を (確か)テレビで見かけたが、 「平成」を漢語として読むならそうは理解できないだろう。
2006-02-04 (6) 20:56:59 +0900
「列車が急勾配の途中の駅などで、
いったん停止した後、バックして一段高い別の線路に移り終えるや、
再び進行方向に向かって進行すること。
また、その線路
」。
これだと、一つの方向が「本来の進行方向」として決まっており、 それと反対の方向に走るのはごくわずかな区間のみ、というものに限られる。
2006-02-04 (6) 20:51:31 +0900
「月相」は the phases of the moon の訳語。 (「ムーンフェイズ」は和製英語か?)
「ゲッソー」はスーパーマリオに出てきたイカのキャラ。 水中面における最大の敵。
2006-02-04 (6) 19:26:11 +0900
神父損、じゃなかった、シンプソンのパラドックスについて、 Phinloda 氏の「裏の裏」で読んだ。 私の言葉で述べてみる。 (「神父損」は MS-IME97 が最初に変換したもの。)
ある病気の患者に対し、 ある特定の療法を試した場合と試さなかった場合のそれぞれにつき、 治癒した人、治癒しなかった人の数をまとめてみたとしよう。
試した | 試さなかった | |
---|---|---|
治癒した | a11 人 | a12 人 |
治癒しなかった | a21 人 | a22 人 |
この療法を試した場合の治癒率は a11/(a11+a21) であり、 試さなかった場合の治癒率は a12/(a12+a22) である。 この療法に効果があると判断されるための条件は a11/(a11+a21) > a12/(a12+a22) であろう。 これは (a11+a21)/a11 < (a12+a22)/a12 と同値であり、 さらに a21/a11 < a22/a12 とも、 a11a22 - a12a21 > 0 とも同値である。
以上は男性に関するデータだったとし、 女性に関するデータを別に集めたとしよう。 今度は人数を bijで表わすと、 この療法が女性に効果があると判断される条件は b11b22 - b12b21 > 0 である。
ところが、 男性、女性のそれぞれについてこの療法が効果ありと判断されるのに、 男性女性を一緒にすると効果ありと判断されないことがあるのだそうだ。 それは、次のような問題と同値である。
ここで a11 + a21 = a12 + a22 = b11 + b21 = b12 + b22 (= k > 0) と仮定してみよう。 これは、 男性・女性、この療法を試した・試さなかった、の四つのグループについて、 人数が同じであることを意味する。 妥当な仮定であろう。 このとき、 det(A) > 0 となる条件は a11 > a12 である。 これは計算でも出るが、 元の問題に返って考えれば 「det(A) > 0」も「a11 > a12」 もこの療法に効果があると判断される条件と同値だから、 明らかである。 同様に det(B) > 0 は b11 > b12 と同値。 det(A+B) < 0 は a11 + b11 < a12 + b12 と同値であるから、 この仮定の元では上のような例は作れない。
a1 = (a11, a21), a2 = (a12, a22), b1 = (b11, b21), b2 = (b12, b22) で四つのベクトルを定義する。 その終点も同じ記号で書くと、det(A) は 「原点 0, a1, a2 を頂点とする三角形の(符号つきの)面積の二倍」 に等しいのだった。 det(A+B) = det(a1+b1 a2+b2) = det(A) + det(B) + det(a1 b2) + det(b1 a2) だから、 det(A) > 0 かつ det(B) > 0 の仮定の元で det(A+B) < 0 となるためには、 最後の二つの項のどちらかが負であってその絶対値が大きくなければならない。
| | | ・a1 | | ・b2 |・a2 | | ・b1 −+−−−−−−−− |のような感じであろうか。実際に数を入れて計算し試行錯誤すると
( | 2 | 1 | ) | + | ( | 3 | 5 | ) | = | ( | 5 | 6 | ) |
5 | 3 | 1 | 2 | 6 | 5 |
逆に、本来は効果がある(resp. ない)ものを、 恣意的に母集団を分けて率を計算することで 「どの集団にも効果がない(resp. ある)」 と偽ることができそうだ。 たとえば、 「この治療法は早生まれの人にも遅生まれの人にも効果があった」と言っているが、 この病気と生まれ月の間には関連があるとは思えず、 実は全体としてはこの治療法に効果がないのを、 無理に早生まれ・遅生まれに分けることでどちらも効果があるかのように見せている、 など。 三つ以上に分けることも考えられる。
付) 単純に治癒率を比較することで効果あり・なしの判断ができたかどうか、 統計学はほとんど忘れてしまったのでわからない。 その点はご容赦のほどを。
付) Google で検索したところ、英語でも paradox と言うようであるが、 論理学で言うところの paradox が起きているわけではない。 anomaly ぐらいが適切な気もするが。
2006-02-04 (6) 15:18:29 +0900
det(A) < 0 のとき、A = X + Y かつ det(X) > 0, det(Y) > 0 とできるか、 という問題が残っていた。 出てくる行列はすべて自然数を成分とする、と制限してしまうとできない。
( | 2 | 3 | ) | = | ( | 1 | 2 | ) | + | ( | 1 | 1 | ) |
2 | 2 | 1 | 1 | 1 | 1 |
正の実数でよいことにすると、次のようにして、できることがわかる。 A = (a1 a2) と列ベクトルで書こう。 det(a1 y) > 0, det(x a2) > 0 となるベクトル x, y で成分が正の実数であるものは存在する。 A = (εx a2-εy) + (a1-εx εy) と分解できるが、
2006-02-05 (0) 14:29:45 +0900
2006-02-03 (5) 01:18:32 +0900
先日、 《どこかにしまいなくしてしまったようなので、A4サイズの下敷きを購入》 に書いた下敷きを研究ノートにはさんだまま、 古き師の元へ研究打ち合わせに行った。 そのノートのコピーをとってこようという話になり、 「これはおいていったほうがいいだろう」 と言われたので私は下敷きを持って待っていた。 “これはライトセーバーとは話が違うな”と思ったのだが、 金沢に戻ってから、「帝国の逆襲」の cave と全く同じだと気がついた。
別に何も出なかったみたいだったけど。:-)
2006-02-03 (5) 01:06:15 +0900
先週の土曜日のこと。 街中での某お仕事を終え、食事も済ませて、職場へ行った。 土曜日は休業日なので暖房ははいっていない。 しかし、この冬はあまり寒さを感じないので、大丈夫だろうと思って行ったのである。
パソコンで雑用をしていたが、 「ふだんより待つことができない」自分に気がついた。 このパソコンは古いのでよく待たされる。 しかし、この日は、待たされている間が耐えがたいほど長く感じられたのである。 実は、小学生のころ、ある土曜日 --- あっ、あのときも土曜日だったのか --- に、 似たことが起きた。当時は土曜日は半ドンで、午前中だけ授業があり、 給食を食べずに家に帰る。午前中の終わり近くの授業のとき、 これとよく似た気分になったのを久しぶりに思い出した。
そのうち、これはメンタルな問題ではなく、 寒くて心臓がSOSを訴えているんだ、 と気がついた。作業をしている間は気が紛れているが、 待つとそのSOSが強く感じられるようである。 そう思ったら、早く帰らないと凍え死んでしまうような気がして、 だんだんあせってきた。 お湯を飲んで少し身体を温め、バスで帰った。
もしかすると、小学生だったあのときも心臓の調子がよくなかったのかも知れない。
2006-02-03 (5) 00:26:03 +0900
いま、Tコードで日記を書いていて、前者を後者と打ち間違えた。 ローマ字入力では起こらないことだろう。
2006-02-03 (5) 00:17:18 +0900
「お通しが出た」と「お通じが出た」のほうがより自然な例か。
2006-02-04 (6) 18:43:09 +0900
「綿帆布革コンビ / カーペンターポーチ横型」。元は税込みで 4725 円だったのが 2000 円。消費税額の関係で、実際は 1999 円だった。 《日記>夕方、無料開放の兼六園でサクラを愛でる》 のころから目をつけていたやつ。
ベルトや縁は牛革(ヌメ革)なので、ちょっと豪華な気分である。 ベルトは紙で束ねられており、ほどいたら束ねてあったところとほかとで色が違う。 色が変わるのはヌメ革の特性だが、それだけ長い間売れなかったということだ。 ポケットは多いがいずれもフタはない。 そこが特徴なわけで、外出時ではなく、家庭や職場で使う予定。 携帯電話とCDプレイヤーを入れて使ってみた。 職場では会議にゆくときに筆記用具や手帳を入れるのに使えそうだ。
2006-02-03 (5) 00:04:07 +0900
先週の土曜日、横安江町アーケード街を南から北へ抜けようと思ったら、 アーケードがなくなっている! 「あーっ! けど、この道でいいんだよな」 とは言わなかった。
2006-02-02 (4) 23:34:07 +0900
先週の土曜日、 ある交差点で信号が変わるのを待っている間、 ふと見たら、意外なところに歩行者用の青信号が出ている。 ここ金沢は空襲がなかったせいで昔の道のままのところが多く、 そこも変則的な交差点だったので、 「あ、あっちへは渡れるのか!」 と思ったがよく見るとそれは信号機が店のガラス戸に反射しているのであった。
場合によっては事故の元になる。 そのときは警察が指導するんだろうな。
2006-02-02 (4) 23:29:30 +0900
本文ナシ
2006-02-02 (4) 23:28:57 +0900
「あつくしたら生じゃないじゃん」という声もありそう。
2006-02-02 (4) 23:27:47 +0900
「大文字・小文字を区別せずサーチ」はよくある。 だから、ひらがな・カタカナの区別と大文字・小文字の区別とは意味が違う、 ということになろう。
「はっきりと」は現在ではひらがなで書かれるのがほとんどだろう。 だが、「自立語は漢字をあてるのが原則」と思われていたころには、 漢字で書けなければカタカナで書く、という習慣もあった。 それに従うなら、「ハッキリと」と書くのである。 そういうケースでは「ひらがな・カタカナを区別せず」も使えたら便利かも。
2006-02-02 (4) 23:23:56 +0900
1月25日づけ大阪本社版文化面「古典評」は「寿初春大歌舞伎」。
そこに
《タイプは真逆(まぎゃく)な二組の男女を昼夜で演じ分け
》とある。
「まぎゃく」は実際にはふりがなである。
あとのほうに《次々明かされるまさかの真相
》とあるので苦笑してしまった。
「西本ゆか」と署名あり。
《Google で「真逆に」が 1680 件 / なんと読むのか?》 参照。
2006-02-02 (4) 03:11:04 +0900
…するのだが、気のせいだろうか? ふだんは見かけないような誤変換が起こり、 何度もスペースバーを連打している。
付) ちょっと体調が悪く、いろいろ義理を欠いています。すみません。
2006-02-02 (4) 03:08:32 +0900
1月25日づけ朝日新聞大阪本社版オピニオン面「声」の、 日本棋院普及指導員渡辺一弘さんの投書「碁の手順掲載 / 改革必要では」。
新聞では、プロの一局を数日から10日程度に分割して掲載する。 1日目、仮に10手まで進むと、 次の日は11手から25手といった具合。 手順は数字で表わされるけれど、 前日に続くその数字は毎日数を増す。 私の場合、80手目とか90手目になると、 目が追いつかず、紙上観戦を中止するはめになる。
《前日に続くその数字は毎日数を増す
》の意味が、
最初はわからなかった。
あがっている例では第一日目が 10 手、第二日目が 15 手と増えているので、
一日に掲載される手数が増えてゆくのかと思ったのだがそうではなく、
黒白の丸の中に書かれる数が大きくなる、という意味だった。
でも、ケタ数が増えるならばともかく、
二ケタのうちは、10 手目から 20 手目あたりだろうが、
80 手目 90 手目になろうが、関係ないのではと思ったが、
私はこんなに大きな数の書かれた図を見たことがないのに気がついた。
私は入門書を一冊読んだだけであり、
そこには石の取り方、生き方などが載っているが、
手順を示す数は大きくても 10 ちょっとである。
この投書を読んで、新聞の囲碁面を見てみたが、
実戦の経験がほとんどないので、
あちらこちらに石が打たれるのは見ても意味がわからず、
これで読み取れているのかどうかは不明である。
この方は、翌日は改めて1か2で始まれば、と提案しておられる。
2からというのは、黒は奇数、白は偶数のことが多いからであろう。
ただ、こうした場合、一局すべてが載る最後の日の図の中の数とは違ってくる。
たとえば、この日の囲碁欄には「黒83と二間にヒラいても
」
とあるが、この日は 75 手目からなので、
この方の説に従って書き直せば「黒9と〜」となる。
それが、最終日には 83 で載る。
切り抜いて見返したりしている人にはかえって不便かもしれない。
そういうことをいろいろ考えたのだが、 数が 80 以上になるとわかりにくいというのはおもしろい現象だな、 とも感じたのだった。
2006-02-02 (4) 02:48:47 +0900
1日づけ大阪本社版オピニオン面から二題。
「海外メディア深読み」は論説委員の高成田享氏。
北京の大衆紙「新京報」は「活力門的錬金術」と題する記事を載せた。 「活力門」は英語の「ライブドア」を意訳したもので、 その発音は「フオリーメン」でホリエモンの音に近く巧みな表記だ。
これは「巧みな訳語だ」が正しいだろう。 「フオリーメン」という音写が先にあってそれにこれらの漢字を当てたのなら 「巧みな表記」とも言えるだろうが。 (『英語の「ライブドア」』もやや変。そういう英語はないからだ。)
もう一つは「声」の『「てふてふ」と短歌朗詠され』。
西田実さんの投書である。
皇室行事「歌会始の儀」をテレビで見た際の、(おそらく)字幕の話だが、
《短歌は日本の古い文芸であるため、
表現は旧仮名遣いになっている
》とある。
こちらは逆に「表記は旧仮名遣い」だろう。
(「表現」が不適切とは言い切れないが、
和歌の表現といったらまずは言葉づかいを指すと思う。)
この投書ともう一つを
「古語を聴き……」という見出しでまとめたのは編集部だろうが、
この投書には古語はほとんど登場しない。
引用されているのは現代語としても理解できるものばかりである。
また、この方は「てふてふ」について
《小学2年生の時、ちょうちょと読むのだと、
先生から指導されて以来
》と書いているが、
「ちょうちょう」と読むのが正しいと思う。
じゃあ、現代かなづかいの「ちょうちょ」は旧カナではどう書くのか、
と言われるとわからないが。
2006-02-02 (4) 02:31:00 +0900
1日づけ大阪本社版掲載分の見出しは「千日手指し直し」。 二つ載っている図と記譜がどういう関係なのか、すぐにはわからなかった。 大きな図のほうは千日手が“始まる”直前のもの。 千日手の手順は本文中に書いてある。 記譜と小さな図 --- 指了図 --- は指し直しの最初の部分。 一手目に先手は 106 分、後手は 120 分を費やしているように書かれているのは、 指し直しの場合の持ち時間のルールによるものらしい。 そして、「第1譜」とあるところを見ると、 千日手になったほうの試合(?)の記事はこれだけか。
2006-02-02 (4) 02:22:22 +0900
そして、「作る:作ろう=繕う:?」の「?」に当てはまるのは「繕おう」であり、 ローマ字で書けば cukuroô である。
本項のローマ字は新日本式。
2006-02-02 (4) 02:18:27 +0900
1日づけ大阪本社版テレビ面「キュー」は「役者育ててほしい大河ドラマ」。 筆者は「ライター・島崎今日子」氏である。 以前、OCR に由来する誤字が多くて
《木下藤吉郎役の柄本明が、
馬を駆る舘ひろしの信長の後から走っていく場面など、
ドンキ・ホーテとサンチョ・パンサのようであったわな
》
とあるが、ドン・キホーテならぬドンキ・ホーテといえば、
「ひょっこりひょうたん島」だっただろうか。
《「ドン・キホーテ」をお店の名前として覚えた子が人名だと知ったとき》
参照。
実は名前しか覚えていない。どんなキャラだったかは完全に忘れてしまった。
2006-02-02 (4) 02:08:39 +0900
第一段落が書きかけだったのを忘れてそのままアップロードしてしまったようだ。 この「いろいろ」の初期のころによく取り上げていた。 たとえば 《朝日新聞コラム「キュー」の誤植》 など。
2006-02-11 (6) 23:29:00 +0900
サンスクリットをほんの少しかじったもので、 うれしくて岩波文庫の「般若心経・金剛般若経」(1960 年)をざっと読んでみた。 原語が載っているといちおう発音できるのがうれしい。
148 ページの註にもあるように、 インド人は大きな数を掛け合わせて非常に大きな数を表現しようとするが、 小さな数でもベキ乗を考えればすぐに大きな数が作れる。 たとえば、10 の 32 乗を三回掛け合わせても 10 の 96 乗になるにすぎないが、 10 を「10 の 32 乗」乗すればものすごく大きな数となる。 そういうことは考えなかったのかな。
2006-02-02 (4) 01:58:14 +0900
きょう放送されたスキットは否定疑問文に Yes/No で答える際にうっかり間違えて、 というものだった。 番組最後の自由な会話では、ゲストのアニータさんが 「You are doing a great job, everyone. Don't lose your motivation.」 と言うともう一人のゲストのゲーリーさんが 「Yes. Please keep up the good work. Until next time.」 と続けていた。
この「Yes」は「Don't lose your motivation.」 という命令文に賛同の意を表わしたものと理解したが、 それで正しいのだろうか? もしも、 きょうのスキットの内容に合わせてわざと間違えてみせたのなら、 すぐに訂正があると思う。 そうでなかったから、たぶん正しいのだろう。
ジーニアス英和辞典は "Don't ask him about it." "Yes, I will." という例文を載せている。 これは相手の命令に反して「いや、私は聞くよ」と言っているのだが、 上の例は聴取者への命令だったわけで、やや状況が異なる。 うーん。どっちなんだろ?
2006-01-30 (1) 20:58:30 +0900
本項はこれからアップロードします。
2006-02-02 (4) 00:47:08 +0900
先日東京へ行った際、 新宿の京王百貨店の地下で買い物をしたのだが、 そのとき、すぐ近くの京王電車の乗り場案内図のローマ字表記を見て知った。 ずーっと「たかおざんぐち」だと思っていた。
この MS-IME97 は「たかおざんぐち」だと変換しないや。
2006-01-30 (1) 03:09:48 +0900
鍵をなくしたときのために合鍵を持つ、ということがあるが、 落としたキーが悪意のある人に拾われた場合、 「合鍵を持っていてよかった」では済まされない。 盗難などのおそれがあるからだ。
そこで考えたのだが、合鍵ではなく、 「第二キー」があるような錠は作れないものだろうか? ふだんは 「第一キー」で開け閉めをする。 もしもその第一キーをなくしたことに気づいたら、 そのときはスペアの第二キーを使う。 ただし、第一キーと第二キーは同じキーではない。 どちらを使っても錠を開け閉めできるが、 第二キーを一度でも使ったら、 それ以後は第一キーでは開け閉めができなくなるように、 錠と二つのキーを作るのである。 技術的にはそれほどむずかしくあるまい。
第一キーでも閉めることはできるようにしておくほうが便利かな?
付)一度使ったら使い捨て、というタイプのパスワードと似ているかも。
2006-01-30 (1) 01:11:35 +0900
14日づけ朝日新聞大阪本社版 be の b4 面、
「フジマキに聞け」のうち左のほう、「キーはどこに行った」。
ふだんは左は「弟・藤巻幸夫
」の担当であるが、
ここしばらくはこちらも「兄・藤巻健史
」が答えている。
年末に家族でドライブ中、
サービスエリアで昼食をとったあと、自動車のキーがないことに気がついた。
なくしたらしい。
しかたなく氏が電車で家に合鍵を取りに戻り、その間、
家族は寒風の中に立っていた。
《車の盗難防止のため見張りも必要だったからだ
》。
その次に危機管理について十行ほど述べたあと、最後が
「キーはなくさないように」でなく
《自動車旅行の際には合鍵の携行をお忘れなく
》だったのには驚いた。
合鍵を持っていても、キーを落としてしまえば、 そのあとは自動車を停めるたびに、今回、 氏の家族がとったのと同じ行動が必要となる。 自動車の見張りである。 なぜなら、 キーを拾った悪人が自動車を盗むチャンスを狙いつつ、 ついてきていないとも限らないからだ。
もちろん、一人が車内で見張りをするだけでよくなるし、 合鍵を取りに戻っているあいだ足止めを食らわなくて済む、 というメリットはある。 でも、それでいいのなら、 初めから全員が自動車を離れないようにすればキーの心配はしなくて済む。 合鍵があればキーをなくしたあとも安心して全員が自動車を離れてしまう一家なら、 初めからドアはロックせず、キーはつけたままで自動車を離れればよさそうだ。 (私はそれを推奨しないけど、これと同じことのように思える、という意味である。)
付)次項に関連。
付) 氏の家族は二人とも屋外に立って待っていたらしい。 それには、犬を連れていたので建物にはいれなかったから、 という理由が添えられている。 ということは、犬もサービスエリアで降ろしたということだ。 食事の間はどうしていたのだろう? 一緒にレストランにはいったのなら、 そうやって待てばよい。 飲み物か何かを注文し、ねばるのだ。 あ、レストランは屋外だったのか? でも、年末の話とあるので、それは考えにくい。
付) しかし、なぜ、氏の家族は二人とも立っていたのだろうか? サービスエリアで犬をどうするものなのかは私にはわからないが、 食事は屋内でしたのだと仮定すると、 その間、 犬を連れてはいれたのなら、一人ずつ交替でそこで待てばよいし、 外につないでいて目が届いたのなら、そうやって待てばよい。 交替のとき、犬と自動車の両方から二人が同時に離れるのはまずいというのなら、 犬と一緒にいた家族が犬を連れて自動車のところまできてもう一人に犬を渡し、 今度は自動車の番に回ればよい。 犬を渡された家族は犬の番をする。
付)上の二つの「付」は一つにまとめられそうだが、そのままにしておいた。
付) いま、風呂にはいりながら考えたのだが、もしかして、 自動車の錠は簡単に交換してもらえるのだろうか? もしそうなら、 キーをなくしたと気づいたら合鍵を使い、すぐにそういうお店へ直行する。 そして、錠を交換してもらって旅行を続ければよい。 私も含め、家族に自動車の運転をする者がいないので、 この推理が当たっているかどうかはわからない。 でも、こういうことなら、そう書いてくれないと、 わからない読者が多いのではあるまいか。
2006-01-30 (1) 00:54:58 +0900
14日づけ大阪本社版 be の b7 面、be between のテーマは「大相撲」。 大きく出ている質問はタイトル行に書いたもの。
確か、チップが必要と聞いたことがあるので、
「チップも出してくれるなら見てもいいよな」とつぶやきつつ記事を読んだら、
《「一度は升席で見たいが、高すぎます
》という理由が載っていて驚いた。
明記されてはいないが、
載っている順番からすると「いいえ」と回答した人のひとりだと思われる。
この人は、「高いから見たくない」と考えて答えたのであろう。
これは質問のしかたが悪い。
「担当 古屋聡一」と署名あり。
付) ほかに、「いいえ」の人の理由と思われるものとしては「狭い」があがっている。 これについては、 「いまの升席の広さだとして」と仮定して答えるのが普通だと思われる。 違うかな?
2006-01-30 (1) 00:38:39 +0900
28日づけ大阪本社版 be の b7 面、be between のテーマは「トリノ五輪」。 大きく出ている質問はタイトル行に書いたもの。 「はい」が80%、「いいえ」が20%で、 「いいえ」の人だけが「その理由は?」と聞かれている。
私なら「はい」で、 理由は「郷富佐子支局長の記事が増えると予想されるから」だな。
2006-01-30 (1) 00:33:52 +0900
『すのものの「いろいろ」の目次』には 「すのものの「いろいろ」(その140) 2006-01-07 〜 2006-01-29」 のように書いているが、この日付はローカルタイムによるものである。 書き始めてから海外に出たことは一度もなく、 よって、海外で書いたことも一度もないが、 行く先によっては日付が戻ったりすることもありえる。
まあ、そのとき考えよう。
2006-01-30 (1) 00:28:37 +0900
28日づけ大阪本社版 be の e1 面「愛の旅人」。
いくつかの欄からなっているが、そのうちの「ふたり」に
《恋愛におくてそうなふたりを
》とある。
「そうな」は「そうだ」の連体形。 「そうだ」は動詞の連用形、形容詞・形容動詞の語幹は受けるが、名詞は受けない。 そして、「おくて」は形容動詞の語幹ではない。
あとに出てくる《裕福そうな香り
》は「裕福だ」が形容動詞だから問題ない。
「ふたり」の欄ではないが、別の欄に「文・加来由子」と署名があるので、 たぶんこの記者が全体を書いたのであろう。
付) 私は分かち書きについて論ずるときには形容動詞を特別扱いせず、 名詞+「だ」とみなしているが、 そのことと本項の議論の進め方とは関係がない。 ついでに書けば、私のやり方では 「おくてそうな」は okute sô na, 「裕福そうな」は yûhuku sô na と分かち書きする。 “破格”の日本語でも分かち書きはできる。
2006-01-30 (1) 00:09:01 +0900
23日づけ朝日新聞大阪本社版に掲載されている問題を見ていて気づいた。 ほかの科目では番号が 1 から始まるのに。
これは、数値を直接記入する問題が大多数であるからだろう。 確か、解答用紙には 0, 1, 2, ..., 9 の順に塗りつぶすべき丸が並び、 そのほかに符号などをマークする丸がある。 それらに混ぜて少しだけ選択式問題が出題されるため、 選択肢を 1 からにすると間違いを起こしやすいと考えたのだろう。 (選択式問題だけマーク欄を 1, 2, ... とすることは、 ほかの科目と同一の解答用紙を使うことから不可能なのであろう。)
しかし、 「2番を選ぶつもりで2番目をマークしてしまった」 というミスは起こりえる。 これを防ぐには、数値を記入する問題でも 1, 2, ..., 9, 0 の順にしておけばよいのか。 数学的には 0, 1, 2, ..., 9 のほうが“正しい”が、 日常生活では 1, 2, ..., 9, 0 だ。
《昔のタイプライターの数字キーの配列は?》 にちょっとだけ関連する。
2006-01-29 (0) 23:53:13 +0900