学生の線形代数学の演習問題につき合っていたら tUtPAPU という行列の積が出てきて。
「シスの復讐」に毒されているな。
付) これは二次形式の演習で、 A は対称行列、P は直交行列。U は対角行列であり、 かけた結果は対角成分に +1, -1, 0 だけが並ぶ直交行列になっている。
2006-01-29 (0) 23:48:34 +0900
あまり聞かない。 前者は、英語ではときどき聞く。
2006-01-23 (1) 21:30:49 +0900
きょうが旧暦の十二月24日、クリスマスイブである。 先週末は、旧暦の冬至ということでユズ湯にはいった。 お正月に皮だけ使ったユズが残っていたので、それをガーゼなどに包んで。
付) 冬至は天文学上のものなので新暦も旧暦もない。 新暦の日付を旧暦に移しても、何の意味もないのだ。ここが冗談。
2006-01-23 (1) 02:31:06 +0900
本文ナシ
2006-01-23 (1) 02:21:06 +0900
先週の土曜日、職場で、雪の積もった橋の上を歩いた。 雪は機械でかいてある。 かいてあるのはやや東よりの部分。 西側は私のももあたりまで雪が積もったままだ。 途中で、その雪の上に足跡がついているのに気がついた。 “お茶目な学生が手に持った靴でつけたのかな? それにしてはずっとついているな” と思い、確かめてみたところ、雪が固まっていて上を歩ける! ちょっとうれしくなって雪の上を歩いたが、 しばらくして、 「西側の手すりが私のひざまでしかない!」ということに気がついて少々こわくなった。 しかし、降りるには雪をかいたところに飛び降りるしかなく、 そこは雪が凍って氷になっているのでへたをすると滑る。 「まあそのうちなんとかなるさ」 と橋のたもとまできたら、 車止めの石のところだけ雪がとけ、 それをステップにして下りられるようになっていた。 先に歩いた誰かがこういうふうに雪をのけておいてくれたのか。
雪の上を歩けることがわかってうれしくなり、 研究室のある建物の周辺でも雪の上を歩いていたら、 事務の人に見つかってしまった。
2006-01-23 (1) 02:16:22 +0900
先週の土曜日は、午後、職場の某センターで仕事。 夜は「つきあい」で行くところがあり、 その前に腹ごしらえをせねばならないのでバスの時刻に合わせて出ることにした。 ぎりぎりまで仕事をしていて、 誰もいないけど一応スクリーンセーバをかけてトイレに行き、 戻ってはずそうとしたら、 パスワードが合わなくてはずせない! あせればあせるほど間違える。
2006-01-23 (1) 02:08:23 +0900
これ以後はこれからアップロードする予定。
2006-01-29 (0) 22:54:00 +0900
姉サザエにかつがれたカツオ。
2006-01-23 (1) 00:53:27 +0900
きのうの「ちびまる子ちゃん」で宮大工の話が出ていたので思いついたもの。
2006-01-23 (1) 00:51:55 +0900
きのう放送分。 舞台は1970年代のはずなので、お姉ちゃんに 「ロシアなんて国あったっけ?」とまる子が聞き返したりしそうなところであるが、 そういうシーンはなく、ソビエト連邦の名も出なかった。
2006-01-23 (1) 00:48:56 +0900
前者が略語、後者が名前の下半分であることから、 広辞苑などを見てもきづきにくいだろう。
2006-01-23 (1) 00:44:31 +0900
英独仏が、日本人が学ぶべき三大外国語だった時代は終わったのかも知れないが、 私の心の中ではいまもそうである。 この三文字の下に共通してつく漢字はあるだろうか、と考えてみた。 「英語」「独語」「仏語」 のようにイギリス・ドイツ・フランスの意味である漢語は除外する。 思いつかないので二つずつにしてみたらタイトル行の二組があった。 残る「英*/仏*」はあるだろうか?
漢和辞典を見たらあった。「英名/仏名」。英語の名前、フランス語の名前ではなく、 すぐれた評判、ほとけの名、の意味である。
2006-01-23 (1) 00:35:48 +0900
22日づけ朝日新聞大阪本社版に掲載された
「入試センター試験 問題と正解」の第一日目分。
《問題文中の「前ページ」「次ページ」などは問題冊子のページです
》
とある。なるほど。
この註釈、去年までもあったかいな。
しかし、新聞紙面で2ページに渡る「国語」「英語」 では1ページ目の終わりに「(次のページへつづく)」とあり、 2ページ目の初めに再掲されている「国語」「英語」の見出しと同じ行に「つづき」 と書かれている。 これは元の問題にはなかったのではないかと思われるのだが。
2006-01-23 (1) 00:25:39 +0900
22日の大阪本社版 be on Sundays の第7面、「読みました」。
《埼玉県所沢市・泉信一さん
》が少し前の電波時計の記事について
《……生活にあれほどの精度が必要なのか疑問です。
時間に縛られた暮らしより、ゆとりをもって生活してはどうでしょう
》。
私はNHKラジオの語学番組を録音する際に大いに役立てているが、 それも長めの録音時間をもったテープを用意すれば解決はする。 ただ、それだと再生の際に前の番組の最後を聞くことになる。 それも「ゆとり」だと言われればそれまでなのだが。
私は正確な時計を持つことと時間に縛られた生活をすることとは別だと思っている。 しかし、この二つは関連づけて論じられることが多いようである。
2006-01-23 (1) 00:17:57 +0900
「制度」を「精度」に訂正した。 私が本項を書いた際の誤変換と思われる。
2006-04-30 (0) 03:11:43 +0900
けさの大阪本社版 be on Sundays の第5面、
「休眠特許」は「糸切らずウキ取り換え」。
《滋賀県守山市の平賀数雄さん(64)
》。
その結果できたのが、側面に切れ込みを入れたウキだ。
切れ込みから浮きの真ん中に糸を入れると、 内側の器具に引っかかり、糸が抜けない。 もう一度糸を折りたたむように切れ込みに入れ、 引っかかりのない方向に糸を引き抜くと、 簡単にはずれる。 04年、特許(特許番号3541242)を取った。
記事からはこれ以上はわからないのだが、 《携帯電話のストラップからクリップをはずすにはもう一度通したのち引き抜く》 とちょっと似ていないか。 「引っかかり」にもしかけがありそうなので、全く同じではないと思うが。
2006-01-22 (0) 23:52:31 +0900
けさの大阪本社版 be on Sundays の第5面、「技あり」は
《飲料缶のトップにある奇妙な形=写真左=は、新タイプの口金だ。
「Z−END」という
》の話。
いま主流となっている「ステイオンタブ」について
《フタの一部が飲料内に入り込むことへの不潔感もあった
》
とあるのでぶっとんだ。
これを書いた人は「不潔感」を 「あるものを不潔だと思うことにより生じる感情」の意味で使っている。 そうではなく、「不潔だという感覚を与える何か」の意味であろう。 私はそのつもりでずっと使ってきた。 たとえば、 「旅行のときは歯ブラシをすぐにカバンにしまうので乾かない。 次に使うとき湿ったままなので不潔感がある」のように使う。 これを「湿ったままの歯ブラシへの不潔感」とは絶対に言わない。
関連する「ひとこと」の欄に「武居克明」とあるのでこれが筆者の名前か。
2006-01-22 (0) 23:39:45 +0900
21日づけ大阪本社版オピニオン面の一コマ漫画 《「成人式」もまるで「子どもの日」!?》。
手前の路上では“いかにも不良”といった感じの若者が四人で酒を飲んでいる。 背景は建物で、 一人の年配の人物が「成人式」と書かれた看板を取り込んでいるところのようである。 この人物の頭上には困惑を示すようならせんマークがついている。 建物の屋根にはもう一人の人物がいて、 屋根から高く立てられたポールに三匹のこいのぼりを上げているのか、 あるいは下ろしているところである。 この人物の頭上には怒っているようなシンボルがついている。
意味がわからん。 最近の新成人は子どものようだ、といいたいのか。 しかし、こいのぼりを上げているのか下ろしているのかがまずわからない。 上げているのだとしたら、 《まるで「子どもの日」》と思った職員が上げているのだろう。 でもそんなことするだろうか。 相手が子どもだと思ったらこいのぼりを上げる? 普通、そんなことはしない。 下げているのだとしたら、 このこいのぼりは手前で酒を飲んでいる若者たちが勝手に上げたのだろう。 でもそんなことできるだろうか。 市役所などの公の建物で。
それともう一つ。「子どもの日」の本来の主役であるはずの子どもたちのほとんどは、 この若者たちのような見苦しいことはしないはずだ。 子どもたちに失礼ではないか?
作者は
あと、こいのぼりに吹き流しがない。
付) 《20歳になる前に成人式をすれば酒飲んだやつはすぐ捕まえられて便利かも》はこれを見て思いついて書いたもの。
2006-01-22 (0) 23:22:35 +0900
21日づけ大阪本社版社会面の、ライブドア関連の記事
「特産品提携販売 / テレ東打ち切り」の最後、
《毎週水曜日放送の「いい旅・夢気分」のホームページ(HP)と、
ライブドアデパートのHPをリンクさせ、
1月から4回実施する予定だったが、打ち切った
》。
HTML のしくみが頭にはいっている人は、 二つのホームページAとBに対し 「AとBをリンクさせ」という言い方はしないのが普通である。
2006-01-22 (0) 23:17:03 +0900
2006-01-22 (0) 23:15:25 +0900
本文ナシ
2006-01-22 (0) 17:46:35 +0900
いまは何ともないが、20歳代の終わり近くまで、 私はイヤホンもヘッドホンもだめだった。 聞き始めるとすぐに耳が痛くなるのである。
そういう理由では免除とかにはならないだろうなあ。 診断書を提出すればスピーカーから流れる音声で受験可、 とかしてくれればよいが、そういう話は聞かない。
それと、最近、 風邪をひいたときなどに耳がつまったような感じになり聞こえにくいときがあるのだった。 こういうのもリスニングの際は不利。
2006-01-22 (0) 15:06:37 +0900
けさの大阪本社版第一面。 見出しには「リスニング不具合続出 / センター試験 75会場・97人再試」 とあるが、本文では「再テスト」と書いている。 「受けた」と過去形で書いてあるので、 これはきのうの試験後に残って受けることになっていた試験のことだ。 問題は同一なのだろうか、それとも別?
社会面の関連記事。
一人めは滋賀大で受験した受験生の例。
ここでは「再試験」と三度書き、「再テスト」はない。
《試験が終わるまで会場で待ち終了後、
午後7時10分から同じ会場で1人だけの再試験。
試験から再試験の間は友達との会話は許されなかった
》
とあることから推測すると同一問題だろうか。
そうだとしたらかなりまずいだろう。
会話以外にも答えを伝える方法はありえるからだ。
二人めは大阪市立大で受験した受験生。
《再テストは受けなかった
》とある。
しかし、
《試験後、試験監督に涙ながらに伝えると、
再試験を受けるかどうかを30分間で決めるように言われた。
だが、再試験会場の神戸大が遠く、
2次試験の勉強にあてる時間が短くなるため断った
》
とあるので、これは後日行われるもののようだ。
本来の試験中に訴え出てその日の終了後に行われるのが「再テスト」、
後日受けるのが「再試験」と使い分けられているようにも思える。
別々の記者が送ってきた原稿をまとめる際に不統一が起こったのではあるまいか。
付) だいたい書き終えてからセンターのホームページを見たら、 「再テスト」「再試験」「追試験」についていろいろわかった。 まず、当日(きのう)の夜、残って受けるのが「再テスト」。 リスニングだけのようだが、問題は同一とある。 再テスト対象者が多く、当日実施できない場合は1週間後に別の問題で 「再試験」となる。 これは事故や病気で受けられなかった者が受ける「追試験」 と同一の期日であるので、それと同じ問題を使うのかも知れない。
付) 機械の不具合で「再試験」の場合、 交通費はセンター持ちにするのが当然、という主張もあろう。 「再テスト」でも、 貸切バスで高校単位できている場合には一人だけあとから帰ることも考えられる。 能登半島の先のほうから金沢市まで受験にくる高校はあったと思うので、 そういう場合は公共交通では帰れない可能性も。
付) 耳の形によっては、イヤホンが耳から抜け落ちやすいことがある。 ばんそうこうなどで固定することは許されたのだろうか?
2006-01-22 (0) 14:01:54 +0900
シューベルトの交響曲のうち「未完成」が好まれる理由として、 「ザ・グレート」は長すぎるから、と言われることがある。 では、なぜ「未完成」「ザ・グレート」の各楽章はあれだけの長さがあるのだろう?
私は単なる音楽好きに過ぎないから単なる想像だが、 やはり、ベートーベンにならったのではあるまいか。 代わりにモーツァルトにならっていたらどうだったであろうか。 全曲で30分弱の、適当な長さの曲になったのではあるまいか。
まあ、そうはいかないか。 ベートーベンの時代に生きていたんだから。 二十世紀には擬古典的な短い交響曲も書かれているが、 ああいう動きが出てくるのは行きつくところまで行きついてから、なのだろう。
付) ベートーベンと同時代の作曲家ってほかにあまり知らないなあ。 ウェーバー (1786-1826) もそうだが、交響曲は書いていたっけ?
2006-01-22 (0) 13:21:11 +0900
大和は、金沢市の中心部、香林坊にあるデパートである。 エスカレータの途中などの催し物案内に 「平成18年度 久月ひな人形陳列会」と書いてあった。 前に 《人形の久月からリカちゃんのひな人形が!》 に書いた、あの売り場だ。 あれ? ということは、あれは来年の三月用だったのか?! だって今年の三月はまだ平成17年度だろう? この三月に間に合うと思って知人にこの売り場を教えたら 「お届けは来年度の一月になります」、なんてことだと困る。
店員さんに聞いてみて、少し問答があったのち 「もしかして久月の年度は四月からではないのですか?」 と尋ねたところ、ちょっとお待ちくださいと言われ、 ややあって、久月に問い合わせた結果、 年度は七月からで、この表示はいろいろ事情があってこうしている、 とのことだった。
わかってよかったので、よくお礼を言った。 前にゆかたを着ているのを見かけた店員さんだ。
2006-01-21 (6) 23:38:56 +0900
予想:その前の名詞の“格”で決まる。 ここで「格」と書いたのはラテン語などを念頭に置いた冗談で、 最初の例だと「人を」になっているから「何人か」も対格。 あとの例は「人に」だから「何人か」も与格。
反例:「そういう人から何人かもらいました」とは言わない。 いや、言わないんだから反例じゃないか?
2006-01-21 (6) 23:37:08 +0900
最近、成人式で酒飲んで暴れるやつが毎年出る。 だったら、20歳になる前に成人式をやってしまえば、 酒飲んでいるやつは片っ端から未成年者飲酒禁止法で捕まえられるし、 酒樽とかは没収できる。 おっ、これ、なかなかの名案。
二十歳になっていないのに成人式なんて、という声もあろうが、 小学校にはいったとき同一学年だったら同じ年に成人式、 という地域だと十九歳で成人式もありえるし、 「これからの一年間に諸君は成人となります」 という趣旨でお話を聞くのもいいのでは。
ただ、これだと一浪中に成人式、ということもあるわけか。 あまりうまくない。 ええい、飲酒は21歳からにしてしまえっ!
2006-01-21 (6) 21:22:02 +0900
I から IV までのシステムでは迷宮の各階は 20 マス四方で、 対辺が同一視され、トーラスになっていた。 これでは 《トーラス上でマインスイーパ>マス目トーラスのすべての形を知りたい!》 に書いたような、対辺をずらして張り合わせたようなトーラスは実現できないだろう、 と考えていた。
が、
+---+---+---+---+---+---+---+ | |(C)|(D)|(E)| | | | +---+---+---+---+---+---+---+ |(F)| L | K | J |(N)| | | +---+---+---+---+---+---+---+ |(E)| M | | I |(O)| | | +---+---+---+---+---+---+---+ |(J)| N | | H |(A)|(B)| | +---+---+---+---+---+---+---+ |(I)| O | | | G | F |(L)| +---+---+---+---+---+---+---+ |(H)| A | B | C | D | E |(M)| +---+---+---+---+---+---+---+ | |(G)|(F)|(L)|(K)|(J)| | +---+---+---+---+---+---+---+のようにワープを置けばできそうだ。 小カッコつきの文字のあるマスがワープ元であり、 そこにきたら同じ文字が小カッコなしで書かれているマスへ飛ぶ。
(ただし、Wiz のシステムでは光はワープしない。 仮にいま目の前はろうかの突き当たりでそこがワープ元だとしよう。 ワープ先は壁のないエリアのまん中だとしても、 ワープする直前まではろうかの壁が見えている。 その意味では、上のようにワープを置くのと、 システムとして対辺をずらして貼り合わせるのとは異なってくる。)
V には
+---+ | | +---+---+---+ | | | | +---+---+---+---+---+ | | | | | | +---+---+---+---+---+---+---+ | | | | | | | | +---+---+---+---+---+---+---+ | | | | | | +---+---+---+---+---+ | | | | +---+---+---+ | | +---+のようなマップを持つ階があった。 ああいうのを、 なるべく大きく、20 マス四方の中に上のようにして実現するとしたら
!!!!!!■%%%%%% !!!!!■%%%%%%% !!!!■%%%%%%%% !!!■%%%%%%%%% !!■%%%%%%%%%% !■%%%%%%%%%%% ■%%%%%%%%%%%% ■&&&&&&&&&&&&!!!!!! ・■&&&&&&&&&&&!!!!!! ・・■&&&&&&&&&&!!!!!! ・・・■&&&&&&&&&!!!!!! ・・・・■&&&&&&&&!!!!!! ・・・・・■&&&&&&&!!!!!! ・・・・・・■&&&&&&!!!!!! ・・・・・・・■&&&&&!!!!!■ ・・・・・・・・■&&&&!!!!■% ・・・・・・・・・■&&&!!!■%% ・・・・・・・・・・■&&!!■%%% ・・・・・・・・・・・■&!■%%%% ・・・・・・・・・・・・■■%%%%%でいいのかな。実際にはこれだと 20 マス四方を少しはみだすが。 (「■」は岩で通り抜けられない。右上の空白は使わない。)
少し小さくしたうえで普遍被覆空間を書いてみた。
!!!■%%% !!■%%%% !■%%%%% ■%%%%%% ■&&&&&&!!!!!!■%%% ・■&&&&&!!!!!■%%%% ・・■&&&&!!!!■%%%%% ・・・■&&&!!!■%%%%%% ・・・・■&&!!■■&&&&&&!!! ・・・・・■&!■%・■&&&&&!!! ・・・・・・■■%%・・■&&&&!!! !!!!!!■%%%・・・■&&&!!! !!!!!■%%%%・・・・■&&!!■ !!!!■%%%%%・・・・・■&!■% !!!■%%%%%%・・・・・・■■%% !!■■&&&&&&!!!!!!■%%% !■%・■&&&&&!!!!!■%%%% ■%%・・■&&&&!!!!■%%%%% ・・・■&&&!!!■%%%%%% ・・・・■&&!!■■&&&&&&!!! ・・・・・■&!■%・■&&&&&!!! ・・・・・・■■%%・・■&&&&!!!途中でめげたが、大体の様子はわかった。
付) わかって書き始めたつもりだが、だんだん頭が混乱してきた。
!!!!!!%%%%%% !!!!!%%%%%%% !!!!%%%%%%%% !!!%%%%%%%%% !!%%%%%%%%%% !%%%%%%%%%%% &&&&&&&&&&&&!!!!! ・&&&&&&&&&&&!!!!! ・・&&&&&&&&&&!!!!! ・・・&&&&&&&&&!!!!! ・・・・&&&&&&&&!!!!! ・・・・・&&&&&&&!!!!! ・・・・・・&&&&&&!!!!! ・・・・・・・&&&&&!!!!! ・・・・・・・・&&&&!!!!% ・・・・・・・・・&&&!!!%% ・・・・・・・・・・&&!!%%% ・・・・・・・・・・・&!%%%% ・・・・・・・・・・・・%%%%%岩なしバージョン。 「%」と「!」は 11 マス、「&」と「・」は 12 マスで、 その意味ではちょっと不釣り合いなバージョン。
2006-01-20 (5) 23:54:09 +0900
普遍被覆空間の絵
□ □□□ □□□□□ □□□□□□□▲ ■□□□□□▲▲▲ ■■■□□□▲▲▲▲▲ ■■■■■□▲▲▲▲▲▲▲ ■■■■■■■△▲▲▲▲▲ ■■■■■△△△▲▲▲ ■■■△△△△△▲ ■△△△△△△△ △△△△△ △△△ △から始めればよかったのか。 ただし、ここでは基本領域の頂点は一マスとした。 (これを以下「奇数タイプ」と呼ぶ。)
基本領域の縦横はここでは 7 マスであるが、一般に奇数 2n+1 となる。 周期として (n, n+1) と (n+1, -n) がとれて、 基本領域の面積は |-n²-(n+1)²| = 2n²+2n+1 となる。
二マスなら
□□ □□□□ □□□□□□ □□□□□□▲▲ ■■□□□□▲▲▲▲ ■■■■□□▲▲▲▲▲▲ ■■■■■■ ▲▲▲▲▲▲ ■■■■■■△△▲▲▲▲ ■■■■△△△△▲▲ ■■△△△△△△ △△△△△△ △△△△ △△で、周期として同じく (n, n+1) と (n+1, -n) がとれる。 よって、基本領域の面積も同じ。 (こちらは「偶数タイプ」と呼ぶ。)
基本領域を四つに割るならこうだ。
■ ■ ■■■ ■■□ ■■■■■ ■■■□□ ■■■■■■■ → □□□ □□□ ■■■■■ □□■■■ ■■■ □■■ ■ ■ ■■ ■□ ■■■■ ■■□□ ■■■■■■ ■■■□□□ ■■■■■■ → □□□■■■ ■■■■ □□■■ ■■ □■
上の例を、最初のほうに述べたL字型にしてみると
■■■ ■■■ ■■■ ■■■■ ■■■■ ■■■■ ■■■■になる。(ほかの形もありえるだろうが。)
一般には左辺の長さ 2n+1, 幅 n+1 であり、 右上には横 1 マス、縦 n マスの欠けができる。
Wiz 風に、壁で表現したもの。 単独の「+」は区切りを示すためのもので、 Wiz ならば何もない。
+ +---+ + + +---+- -+ + + + + | | : E : + + +---+ + + +- -+ + + + + | | + + +---+ + +---+ + + + + + | | | + +---+ + + +---+ + + + +---+ + +---+ | | | | +---+ + + + + + + + + + +---+- -+ + | : : E : +---+ + + + +---+ + + + + + +- -+---+ | | | | | + +---+ + + + +---+ + + + +---+ + + | | | | + + +---+ + + + +---+- -+ +---+ + + +左のが奇数タイプ、中と右は偶数タイプ。 偶数タイプは一マス余るので、そこをエレベータにしてみた。 「E」と書いたのがそれ。 四方がドアになっている。 中と右の違いはそのマスをどこに置いて書いたかだけの違いである。
2006-01-22 (0) 17:47:33 +0900
Outlook で返事を書いていたのだが、 それは申し込みのメールになるので、一件一通としたほうがよさそうだ。 共通の文面もあるので、ある程度書いてから二通に分けたい。 そのやり方がわからず、苦労した。
開いてから、「下書き」の中のを削除。 それから保存し、「削除済みアイテム」から復活させればよい。
付) 別々に返信を作成し、本文はコピーするやり方もあるが、 それだとあて先や Cc がコピーされない。
付) オブジェクトをコピーして二つにするというのは基本的な操作だが、 メールにはそれがないわけだ。
2006-01-20 (5) 23:47:24 +0900
…何と言うだろう」という思いが浮かばなかっただろうか。 「彼を育ててくれ」というのがクワイ=ガンの遺言だったにもかかわらず、 アナキンを倒すべく戦っているのだから。
ああ、なんでいままでこれに気づかなかったんだろう。
2006-01-20 (5) 00:20:20 +0900
無料でポストに放りこまれる情報誌に子どもの写真が載るページがあるのだが、 そこで見た名前。
2006-01-20 (5) 00:10:43 +0900
…一もうけしようと考えたかも。 アナキン・スカイウォーカー二世として売り出すのである。
2006-01-19 (4) 22:41:11 +0900
…どうかなと最初見たときから思っている。 オビ=ワンがルークを抱いてタトゥイーンに降りるシーンか、 おじさんの家に歩み寄るシーンで終わったほうがよかったのでは。
2006-01-19 (4) 22:39:55 +0900
「アナキン」と呼びかけるんだったかな、 それとも「スカイウォーカー」だったかな、と考えていて気がついた。 ヨーダがオビ=ワンに呼びかけるところはある。 たとえば III の終わり近く、オーガナ上院議員の宇宙船の中で。
2006-01-19 (4) 22:04:58 +0900
III の、ジェダイ寺院の一室で、アナキンがヨーダに自分の夢について話し、 助言を得ようとするところ。 ヨーダは「アナキン」と呼びかけていた。
2010-01-26 (2) 23:27:13 +0900
アナキンが「議長救出に成功」と R2 に連絡し、 R2 はアナキン機の通信機で味方に連絡、というようなことは考えなかった?
2006-01-19 (4) 21:48:38 +0900
そう連絡したら、味方機は攻撃をしないで議長たちの脱出を待つ、 あるいは助けるのでは、と考えたのである。
(ちょっとわかりにくいかと思ったので補った。)
2009-06-05 (5) 19:24:06 +0900
答え:右回り。
2006-01-19 (4) 21:40:30 +0900
冒頭の議長救出作戦。 エレベーターを待っているオビ=ワンとアナキンの元へ droideka(s) が三台ころがってきた。 こいつらはシールド発生装置を持っており、 シールドをはってから弾を撃ってくる。 よってジェダイがライトセーバーで弾をはね返しても倒せない。
しかし、ここでは、よく見ると、 一台目が撃ち始めたときには二台目はまだシールドをはっていないし、 三台目ははるかに遅れてやってくる。 一台目の撃った弾を二台目三台目に向けてはね返せばこの二台は倒せたかもしれないのだ。
2006-01-19 (4) 21:32:47 +0900
だから、droideka(s) 側から見れば、 三匹そろってから弾を発射するべきなのだ。 離れていれば、ジェダイの側からは攻撃の手段はない。
2006-02-08 (3) 20:53:04 +0900
ほんの8秒ぐらいの間に、 コクピットのアナキンの目から見たカット、 コクピットのアナキンを前から見たカット、 R2を前から見たカット、 アナキン機から後方を見たカット、 アナキン機を後ろから見たカット、 それに真横から見たカットと切り換わる。
スロー再生してじっくり確かめるとまちがいなくアナキン機は右ネジの方向に回転している。 商売柄からは、こういうのは一瞬でわからなければいけないのだが。
2006-01-19 (4) 21:18:49 +0900
たとえばベイダーが瀕死状態になり、 父を救うにはお前が暗黒面にはいるしかない、と誘惑していたら、 どうなったかわからないのでは。
2006-01-19 (4) 21:15:41 +0900
そのほうが絵にしたときおもしろいのだろう。
2006-01-19 (4) 21:11:28 +0900
グリーバスが “ジェダイの技ならドゥークー伯爵からすべて教わった” と言って戦いが始まり、 オビ=ワンは最後、最もジェダイらしくない武器の一つである、 銃でグリーバスを倒す。 この二つには関連があるのか?! グリーバスの声帯模写をしていて気がついた。
2006-01-19 (4) 21:01:27 +0900
漫然と見ているのではなく。 実例は次項に。
2006-01-19 (4) 21:00:25 +0900
無料でポストに放りこまれる情報誌に赤ちゃんの写真が載るページがあるのだが、 「成」と書いて「なる」と読ませる名前があるのには驚いた。 元号が「平成」、すなわち「成るを平らぐ」なのによくつけるなあ。
ほかにも「なる」を造語成分に持つ名前はあるが、字まで同じとは。
2006-01-19 (4) 19:15:59 +0900
答え: 漢字一文字で略したときにその漢字がほぼ左右対称。 「日」「英」「中」「西」。
2006-01-19 (4) 00:43:33 +0900
ぶつけ合って、相手のをはじきとばしたら取れるやつ。 左手で回すやつがいると回転方向が逆になるので戦術が変わってくるような。
辞書によると「べいごま」と書くらしいがよく 「ベーゴマ」と書かれていたと思うのでタイトル行はこちらにした。
2006-01-19 (4) 00:43:33 +0900
8日の日曜日のNHKラジオ第一放送のアナウンサ。16時すぎ。
私はしばらく意味がわからなかった。 金額の意味の「額」なら鼻濁音になるがこの場合は鼻濁音化しない、 と思い込んでいたから。
2006-01-19 (4) 00:40:33 +0900
たとえばその子の指紋でドアが開くとか。
2006-01-18 (3) 23:27:30 +0900
北鉄バスの IC カードはバスの中で運転手に現金を渡して頼むと使える金額を増してくれる。 その際、合成音声で「積み増ししました」と流れるのであるが、 これがパウロの手紙を思わせるのであった。 タイトル行の引用はロマ書 5,20 の後半である。 「めぐみもいやませり」と読む。
2006-01-18 (3) 02:15:53 +0900
幼なじみだった妻を呼んで結婚した」って変じゃない?
17日づけ大阪本社版アジア面「アジア人 社会」の5回目、 「スイスでタミルの呪縛」。最後まで読んだら郷富佐子氏の署名があったので、 戻って読み直した。
タイトル行の引用はその写真についているもの。
2006-01-18 (3) 00:36:32 +0900
17日づけ大阪本社版社会面。 長音符はカタカナと使うものであって、 ひらがなで書くなら「ろおかる」だ、という考え方もあるようだ。 ふりがながあるのは日本人風の名前だからで、 カタカナで書かれる外国人名にはつかないわけだが、 ということは、 もしも「ヴ」の字を含む芸名の日本人の死亡記事が載ったら、 「う」に濁点をつけた文字がふりがなに使われるのではあるまいか?
《「う」に濁点って JIS になかったっけ? カタカナの「ヴ」はあるけど》、 《朝日新聞>「檸(れ)檬(もん)」というふりがなのつけ方は正しいか?》 参照。
2006-01-18 (3) 00:23:57 +0900
17日づけ大阪本社版第一面の「阪神大震災 きょう11年」の表。
4万3792人 1万 683人や
24万9180棟 46万 357世帯のように、 万未満は算用数字を用い、「万」を区切りに使って書いている。 その際、千位が 0 の場合はそこは空白とする。
欧文式に三ケタごとにカンマを置くよりは読みやすいだろう。 一つの試みとしては評価するが、 空白とするよりは 0 を書いたほうがいいように思う。
2006-01-18 (3) 00:17:30 +0900
トノサマガエルが吉原へ行ってみた。 カエルのような姿勢だと馬鹿にされると思い、 立ち上がって店の前にきて、 「その、右から3人めの、これこれの服を着たおいらんがいい」 と言ったところ「そんな子はうちにはいませんが」と言われた。 実はカエルがそっくり返ったものだから目が後ろへ行って後ろが見えていた。 その子は向かいの店の子だった、というのだが、 もしそうなら、カエルにはその遊女の上下が逆さに見えていたはずである。
前項の続きでした。
2006-01-17 (2) 01:30:52 +0900
左から右に組む欧文の中に出てきたとき、 読む方向が変わらないで済む。 ヘブル語の教科書がそういうふうに書かれていたら、 それで勉強した者は旧約聖書を上下逆さに持って読めばよい。 下から上へ読むことになるけど。
……と思ったが、 イスラエルで看板の文字を読もうとしたら股の間から逆さになって見るしかないではないか。 あるいはブリッジ。それはいやだ。
2006-01-17 (2) 01:30:52 +0900
……、それで同じ方角を向くのだとしたら、 号令をかける前から同じ方角を向いていなければならないのだった。
みんなバラバラの方角を向いていて、 とにかくそこから右に90度向きを変えるけど変えたあとの方角はまたバラバラ、 ということもありえるのだ。
さらに。 「右」「左」は「上」と「前」が決まって初めて決まる概念である。 東を向いた人が二人いたとし、 一人は頭を上に、もう一人は頭を下にしていたとすると、 前者は「右を向け」で南を向き、後者は北を向く。
2006-01-17 (2) 01:21:44 +0900
カナで書けば「かていのもんだいいだんものいてか」となる。 「仮定の問題、階段も退いて、か」ともできる。
2006-01-17 (2) 01:19:37 +0900
鯨岡隆夫は架空の人名。 彼を第一候補として調整が始まった、というような意味。
《回文>「鯨ら軸」(くじららじく)》 の拡張形。
2006-01-17 (2) 01:09:33 +0900
本文ナシ
2006-01-17 (2) 01:07:07 +0900
「みんな集まれ!」のように。
「書け」「読め」「起きよ」「逃げよ」のような命令形は、 一般にはあまり使われない。
2006-01-17 (2) 01:03:54 +0900
本文ナシ
2006-01-17 (2) 00:52:07 +0900
ちょっと音が似ているので。
2006-01-17 (2) 00:49:55 +0900
テレビCMですみに小さく「モデル図」 と書かれているのがずるく思えたりすることがある。
2006-01-17 (2) 00:47:15 +0900
……あったっけ。だいぶ前。 「いいタイムを出したことがある」の意味である。
2006-01-17 (2) 00:45:55 +0900
前項の続きである。
おとといの日曜日の午後、NHK総合テレビとNHKラジオ第一放送で 「全国都道府県対抗女子駅伝」を中継していた。 全部で9区あるうちの、7区の終わりあたりから見聞きし始めた。 「たすきを渡す」「たすきをつなぐ」の言い分けに興味を持ったからである。 気がついたことを以下あげてゆく。
「九人がたすきをつなぐ」とは言えるが 「九人がたすきを渡す」とは言えないわけだ。 (「渡すのは八人めまでだから」という揚げ足取りではなく。)
「渡す」には「渡る」という自動詞もあるが、 「渡りました」が“言えない”のか、と途中で気がついた。 私なら「たすきが渡りました」と言うところで 「たすきがつながりました」と言っていた。 「渡った」「渡した」も言わないようである。
(私は、 「渡す」と「渡る」が別の動詞だということにしばらく気づかないで聞いていた。 そのくらい、私の中では“同じ”動詞なのだが、 ある人にとっては片方のみが自分の語彙のうちにあり、 他方はないということもありえる。 また、ある活用形だけが言えない、ということもある。 言い間違いの例だが、 プロ野球の解説者が「ありえる」を四段とカン違いし 「ありうります」と言っていた例がある。 「蹴る」は五段動詞なので可能動詞「蹴れる」があるがこれを「ら抜き」 とカン違いして避け、「蹴られる」という人も多い。)
渡す側は「つながった」、渡された側は「もらった」と言っているようである。 「つながれた」ではなく。
京都府チームで八区を走った中学生がインタビューを受けていた。 インタビュアーは質問の中で「渡した」を使ったが、 彼女は「つないだ」を使って答えていた。 (月曜日の朝日新聞スポーツ面によると、 亀岡中の小川智香選手のようである。)
「たすきをつなぐ」は、 NHKのアナウンサーだけが使うのでなく、 選手の間にも広まっている言い方のようである。 次の日曜日は男子の駅伝が放送されるらしい。 興味のある方は見てみては。
付) 「つなぐ」には自動詞「つながる」のほかに他動詞の別の形 「つなげる」もあるのだった。 これは「つなぐ」の可能動詞と同じ形である。
2006-01-17 (2) 00:09:01 +0900
上で《「ありえる」を四段とカン違いし》と書いているが、 《「ありえる」を四段動詞「ありうる」とカン違いし》の意味である。
2011-01-24 (1) 02:08:30 +0900
きのうの日曜日、14時ごろにNHKラジオ第一放送をつけたら、 駅伝の中継をやっていた。 あいかわらず「たすきをつなぐ」と言っていたので 《NHK 金沢のアナウンサがニュースで「たすきをつなぐ」と言っていた》 を思い出したが、 「たすきを渡す」とも言ったような気がしたので、 「各区間の走者がそれぞれたすきを持っており、 “バトンタッチ”の際にはそのたすきを次の走者のたすきに結んでつなぐ」 ということもありえるのだ、と気がついた。 これだと、 最後の選手はかなり長くつながったたすきを持ってゴールにはいることになろう。
気になったのでテレビをつけたら、 次に走る選手はたすきは持っていなかった。 そして、前の走者からたすきを受け取って走り出していた。 やはりたすきは「渡す」のであって「つなぐ」のではないようだった。
(次項へ続く。)
2006-01-16 (1) 23:44:17 +0900
昔、百人一首の歌を1トラックに一首ずつ収めたCDが出ていた。 CDプレイヤーのシャッフル再生機能を使えば読み手の代わりをする、 というのである。 しかし、CDは 01 から 99 までの 99 トラックなので、 百首すべてを「1トラック一首」で収めるわけにはいかない。 確か、最後の二つは同一トラックにはいっていて、 トラックよりも下位の「インデックス」で分かれていたように記憶しているが、 それでは厳密には百首をランダムに再生できるとは言いがたい。
複数種のCDを用意し、 それらからランダムに選んだ一枚をシャッフルプレイすることにしたらどうなるか。 百首のうち一首を選び、その歌をどれかほかの歌のあとに、 同一トラックに入れると仮定する。 どの歌のあとに入れるかは99通り。 この99種のCDを用意しておき、 その中の一つをランダムに選んでシャッフル再生すれば公平か? 答えは否。 その歌が最初に読まれることがないからだ。あるいは、 これでは 99 * 99! 通りの再生方法があるがほしいのは 100! 通りだから、 と考えてもよい。
その歌がどれかほかの歌の前に、同一トラックにはいっているCDも追加するか。 確率 100 分の 1 でそれら99枚から選ぶことにすればよいが、 全部でCDが 198 枚いるのと、 CD決定に時間がかかるときはその歌が最後になることはないと“読まれる” 可能性があるのとで、あまりうまくない。
CDは1枚で、その歌は取り札からはずしておく、とするのが現実的か。
2006-01-16 (1) 23:23:52 +0900
誰も紅茶を飲まないのにポットにスプーン1杯の葉をいれてる人っていないだろうか。
注) 人数分+1杯のリーフをいれろというなら0人で飲む場合も1杯入れるのか、 というジョークである。
付) 「+1」するのは英国の水の場合だそうだ。 日本の水はずっとお茶が出やすいので、 必ずしもその必要はないと聞いた。 私は濃いのが好きなので「+½」することは多い。
2006-01-16 (1) 23:17:43 +0900
10日づけ朝日新聞大阪本社版国際面「そこにある壁」の8回目は 「妻帯神父、村八分に / カトリック / 世俗に戻っても差別」。 筆者は郷富佐子氏である。
ローマ・カトリックの聖職者には独身が義務づけられる。 結婚した神父の多くは破門扱いとなり、 ひっそりと教会を去る。 バチカン裁判所などで複雑な手続きを経ると正式に聖職者の義務から外れることができるが、 法王が認めない限り独身の義務は免除されない。
「スター・ウォーズ」シリーズのエピソード II, 「クローンの攻撃」 ではアナキンがパドメへの恋とジェダイの掟との間で悩む、 ということになっているが、 映画そのものからはそれがあまりはっきりと感じられない。 ジェダイの掟がどうなっているか説明されないからだ。 そこで、たとえば上の引用のような説明が作品中にあったらなあ、 と思ったのだった。
付) タイトルと本文とが違ってるんじゃないかと思った人、いません? :-)
2006-01-11 (3) 01:49:17 +0900
10日づけ朝日新聞大阪本社版第一面「天声人語」。 仙台での乳児連れ去り事件の話。次のような段落で始まる。
旧約聖書のイザヤ書に、こんな一節がある。 「闇の中を歩む民は、 大いなる光を見/死の陰の地に住む者の上に、 光が輝いた」(新共同訳)。 赤ちゃんがさらわれた仙台市の光ケ丘スペルマン病院の 「光ケ丘」の由来だという。 スペルマンは、1955年の病院創設に力を尽した枢機卿の名前だ
「光ケ丘」には「苦しみを通して喜びを見い出すの意味がこめられています」 と病院のホームページにはある。 幸いにして無事に戻ったが、 小さな命が引きずり込まれた闇は深かった
このイザヤ 9,1 の句は、 新約マタイ 4,16 に引用されていることでキリスト教徒にはなじみの深い句である。 そこでは明らかにイエスが光と言われているのであるが、 この「天声人語」はそのことに一切ふれていない。 (同病院のホームページを見たが、キリスト教に基づく病院であった。 ユダヤ教だとすると新約は関係ないことになる。)
最後は
《生後10日余りの命が、
50時間の闇を抜けて、両親のあたたかい光に包まれた
》。
聖書の言葉がこういう風に字面だけで取り上げられることが多いのは残念である。
付)同病院のトップページにあるロゴでは「光ヶ丘」と「ヶ」を小書きにしている。
付)引用中の「見い出す」の表記は同病院のホームページにあるもの。 普通は「見出す」とすると思う。
2006-01-11 (3) 01:04:42 +0900
雪道をがたがた走る帰りのバスで 「早く都へ帰りたい!」と心の中で叫んだら気がついた。
2006-01-11 (3) 01:01:31 +0900
HTML の規則に違反していたのを直しました。 このころは、「<」 などには最後にセミコロンがつくことを知らずに書いていたようです。 メールで指摘してくださった方に感謝します。
なお、この項目は 「すのものの「いろいろ」へのはしがき」 にも引用されていますので、 そこも直しました。
付) この「いろいろ」には複数の方がコメントを寄せてくださり、 感謝の気持ちでいっぱいですが、 当方の時間の都合で全てを生かしきれていません。 初めて寄せてくださった方のを先にする傾向があるため、 よく寄せてくださる方のが後回しになっています。 どうも済みません。
付) 各項目に a name タグをつけたいまとなっては、 はしがきは、リンクを並べるだけでもいいのだった。 そのうち直すか? (←自分用メモ)
2006-01-11 (3) 00:53:03 +0900
2006-01-08 (0) 02:58:06 +0900
7日づけ大阪本社版文化面。
「にっぽんの知恵」は新春スペシャルで、
「今日のお題」は「銭湯」、その「上」である。
《哲学者・評論家の鶴見俊輔さん、
たこ焼き研究などで知られる生活文化研究家の熊谷真菜さん、
座長で武庫川女子大教授の高田公理さんに語り合っていただいた
》。
鶴見さんは「銭湯は日本の民主主義の原点です」と説く。
「だって銭湯といえば、皆お互いが裸でしょ? 完全に無防備なのに、 見知らぬ人が入ってきても、殴り合わないし、 殺し合いにもならない。ひたすら一緒に湯につかり、 しばらくすると出てゆく。 こういうルールが偉大な民主主義を育てる。 『体験の中に根付いた憲法』だといってもよろしい。 それを私は『銭湯デモクラシー』と呼んでいます。 というのも、聖書は『はじめに言葉ありき』と説く。 そこでは民主主義がまず言葉で語られます。 それに対して銭湯デモクラシーは、 けんかをしない、殺し合わない、いわば 『態度の民主主義』にほかならない」
ヨハネ伝冒頭を完全に誤読している。 あそこの「ロゴス」はそういう意味ではない。
そのあとの、 ベトナム戦争時に米軍の脱走兵を銭湯に連れていった話がいいだけに、 なんだか惜しまれる。
付) 江戸時代に、 身分の違う者が風呂で一緒になる機会はどのくらいあったのか。 本で調べてみよう。 (←自分用メモ)
2006-01-08 (0) 02:33:10 +0900
1日大阪本社版掲載。
「国内有数の伝統仏教教団・浄土真宗本願寺(本山・西本願寺)
門主の大谷光真氏さん(60)と、
仏教に詳しい作家の五木寛之さん(73)
」と紹介がある。
大谷 私は、 一度、 お寺でないところで暮らしなさいという親の配慮で、 高校は京都を離れ東京に行きましてね。 高校時代で一番印象に残っているのは、 クリスチャンの友だちから 「仏教は偶像崇拝の教えだ」と軽蔑したように言われたことです。
五木 若いころは、 漠然と世間の見方に感化されて発言することもありますけれども、 宗教を俗な知識で簡単に扱うと、間違いが多いようです。
大谷 危険でもありますね。
このクリスチャンの友だちの発言が
「漠然と世間の見方に感化されて
」の発言であり、
「宗教を俗な知識で簡単に扱
」っているという趣旨の発言だろうか?
もう少し、真剣な答え方はないものだろうか?
「仏教は実は偶像崇拝でない」、
「偶像崇拝は悪いことではない」など、
いろいろな言い方があるであろう。
五木 宗教への過度なアレルギーもあると思います。 事件が起きると、宗教は恐ろしいと思い、 学校教育でも子どもを近づけないようにする。 修学旅行で京都の社寺に来ても、今は門前で告知するそうですね。 行きたくない人は行かないでもよい、と。 公の場に宗教を少しでも持ち込むのはいけない、 という不思議な先入観があるようです。
「参拝しなさい」「拝みなさい」と言うのはダメで、
「見学します」と言う、
という話は公立高校の教員をしていた人から聞いたことがある。
果たして、
「行きたくない人は行かないでもよい
」
というのはそこが宗教施設だからなのか。
そうではなく、
国会議事堂へ行っても最高裁判所へ行っても同じことを言う、
という可能性もある。
そうでないならそうでないとはっきり言わないと。
(私の考えでは、学級として、あるいは学校として見学すると決めたら
「私は見学したくない」というのは許されないと思うが、
いまはどうなのかわからない。
ずっと前だが、
バスが見学先についても車内でトランプゲームをしていて降りない中学生がいる、
という話は読んだことがある。)
大谷 最近、新聞で「お金を払って食事をするのに、なんで『いただきます』や 『ごちそうさま』と言わなければならないの?」と問う子がいると知りました。 動物や植物の命を食べているという根本的な問いも、 あらゆる縁が整ってようやく食卓に届くということも、 今の子には見えず、 お金との交換でしか理解できなくなったのですね。 とてもショックでした。
この子は問うているだけではないか?
「お金との交換でしか理解できなくなったのですね
」は大谷氏の解釈である。
子どもがこの質問を発するには、
「『いただきます』は『いただく』
からきているので食事を用意した人を尊敬した言い方である」ということや、
「『ごちそうさま』の『ちそう』は
『客への供応
』(岩波国語辞典第三版)である」
ということを理解していなければならない。
それらのことを理解したうえで「なぜ?」
という疑問を持つことのできる子がいるというのはなんとも頼もしいことではないか?
私はずっと、単なる決まり文句だと思っていた。
2006-01-08 (0) 01:50:24 +0900
「鴻池」はふつう「こうのいけ」と読むが、 ここでは「こういけ」と読むことにする。やや苦しいけど。
2006-01-08 (0) 01:07:19 +0900
クワイ=ガンと共にアナキンをジェダイ寺院に連れて行ったとき、 自分は trials の準備ができている、と言う。 それに合格すればパダ=ワンは卒業で一人前、というように聞こえたが、 特にそれがあったようには見えないのに、 最後にはヨーダから評議会がジェダイの騎士と認めたと伝えられる。
ダース・モールを倒したことで trials 合格? あるいは全くカン違いしているか、私は trials について。
2006-01-08 (0) 00:31:25 +0900
冒頭の空中カーチェイスのシーン。 アナキンが落としたライトセーバーをオビ=ワンがつかみ、 助手席のまん中に置く。彼が手を離すと少しころがる。 そのあと、オビ=ワンはかなり車体を傾けて着陸体勢にはいる。 このときにはアナキンの剣は席にない。 着陸後、オビ=ワンは助手席からライトセーバーを取って走り出す。
2006-01-07 (6) 19:07:17 +0900
皇帝の“ポッド攻撃”が激しいのでいったんライトセーバーを腰に収める。 そのとき、刃が出るほうを上にして腰につけようとしているように見えるのだ。 そして皇帝の投げてきたポッドを投げ返し、 皇帝が飛び降りたポッドに自分も飛び乗りつつ再び剣を抜く。 このときには普通の向きに剣をつけていたかのような抜き方である。
2006-01-07 (6) 18:23:00 +0900
ミサイルにつけまわされるところで、 II のジャンゴのことを“二人”で思い出しているのかなと。
2006-01-07 (6) 17:39:08 +0900
IV ではシールドがあった。 (後ろに集中せよと命令されるシーンがあったような気がする。)
もしもシールドがあると、 オビ=ワン機のバズ・ドロイドをアナキンが撃ってもシールドにぶつかるだけのような。
2006-01-07 (6) 17:38:25 +0900
…思っているのだろうか? キャッシークでもジェダイ寺院でも、 死んだとの報告が行くとは思われない。 オビ=ワンについてはあの高さから落ちたことをクローン兵が目撃しているが、 ヨーダについてはこれと全く違う。
単に Order 66 を出したから死んだだろう、というだけのことか?
2006-01-07 (6) 17:33:43 +0900
5日づけ朝日新聞大阪本社版総合面、「首相年頭会見(要旨)」。
一国の首相が一国民として戦没者に哀悼の念をもって靖国参拝する。 日本人からの批判は理解できない。 精神の自由に、 政治が関与することを嫌う知識人や言論人が批判することも理解できない。 まして外国政府が心の問題にまで介入して、 外交問題にしようとする姿勢も理解できない。 心の問題は誰も侵すことのできない憲法に保証されたものだ。
私は、「一私人としての参拝」であることが十分に明らかであるならば、 憲法第二十条「信教の自由」で保証されるべきであると考えている。 しかし、ここでも、「一国民として」であって、 「一私人として」とは述べられていないことに注意しよう。 (《首相はお寺についても「一人の国民として参拝した」と言うのか》 参照。)
首相が私人としての参拝ではないと自覚しているのなら、 首相は 「『首相は靖国神社を私人としてでなく参拝してよい』と主張する宗教」 を信じており、その宗教に対する信教の自由を持ち出している、 というように私には思えるのだ。 (それ以外の解釈ができない、と言っているのではない。)
ふと思い出されたのが、確かいしいひさいちの漫画に出てきた、 「税金を払わない宗教」である。 自分がそれを信じているからといって、税金を払わずに済むわけではない。 実現した場合に違法となるような主張は、 それを主張する宗教に信教の自由があるからといって実現させれば違法である、 と私は考えるのだが。
(だから、私の解釈がどこか違っているのであろう。)
2006-01-07 (6) 01:37:19 +0900