9日づけ大阪本社版トップ記事「男児殺害認める供述」のわきに 『「自宅で首絞めた」』の見出しも見える。 自宅がひものようなものだと、それを首に巻きつけて殺害した、 ということも考えられる。 ハンモックで暮らしている地域など。
2006-06-10 (6) 02:30:23 +0900
6日づけ大阪本社版の、吉行理恵さんの「惜別」記事。
父親と1歳で死別したため
《父親の思い出がなく、
母親が原作者である連続テレビ小説「あぐり」(97年)を見て、
「面白いおとうさんだったのね」といった
》とあるのだが、
一瞬、「見て」の主語を「母親」と誤読してしまった。
「AがBであるCを見て」と形式だけを抜き出すと、 「BであるCをAが見て」とも言い換えられるが、 ここはそうはできない。 「原作者である連続テレビ小説」はありえないからである。
2006-06-10 (6) 02:20:16 +0900
7日づけ大阪本社版科学面 『ネットで流行「アインシュタインの予言」/ 日本絶賛、「本人と無関係」』。
アインシュタイン博士が日本をべた褒めしたとされる 「アインシュタインの予言」という文章が、ネットや一部の書籍で広まっている。 だが実は、博士とはなんの関係もない言葉が孫引きで広まっただけだと、 東京大学の中澤英雄教授(ドイツ文学)が主張している。 調査でたどり着いたのは、シュタインという法学者の言葉とされていた文章だった。
本来、「言った」と主張する側が根拠(出典)を示すべきで、 それを示せないかぎり「言った」という主張は認められないはずなのだが、 なんで否定する側が調べなければならないのか。
アインシュタイン研究者の板垣良一・東海大教授(物理学史) の話 この言葉は、 アインシュタインのものではないと断言できる。 彼はキリスト教徒でもユダヤ教徒でもなく、 「神」にこだわらない人だった。 日記や文献を詳しく調べてきたが、彼が天皇制について述べた記録はない。
「絶対に言っていない」とは言い切れないのだが、 言ったという証拠がないうえに似たような発言の記録がないと専門家が言うなら、 「言っていない」であろう。 (厳密に言えば「言ったとはいえない」なのだが、 この言い方を正しく理解できない人も多いので、避けたほうが無難。)
外国の研究者はどう思うだろう? 日本語“訳” しかないなら英語・ドイツ語などに訳して見てもらうことになろうが。
付) 元は「一つのシュタインの予言」だったのが、 「一つの」の「アイン」が「シュタイン」とくっついてしまっただけ、 とか想像してみた。(たぶん違う。)
2006-06-10 (6) 02:08:29 +0900
4日づけ大阪本社版文化面「にっぽんの知恵」の「今日のお題」は「マンガ」(上)。 日本のマンガである。
関西学院大学教授の宮原浩二郎氏が「鳥獣戯画」について
《マンガのルーツとして
(中略)
特に人気を集めるのはなぜなのでしょうかね
》と尋ねたのに対し、
同じく関西学院大学教授の奥野卓司氏が「鳥獣戯画」について
《動物を擬人化して描いた点でしょう。
それは現代のアニメの発想にもつながっている。
人間と動物が霊的につながっているなどとすることは、
キリスト教世界ではありえない
》と語っているが、
たとえば、西洋の寓話や童話に出てくる、
人間と同じようにものを言う動物たちはどうなのか。
ディズニーのアニメには動物が主人公のものもあるが、
キリスト教界から否定されているいう話は聞かない。
地の文として
《「鳥獣戯画」の背景には人間だけでなく、
動物のほか万物に霊が宿ると考えるアニミズムのにおいがある
》
とあるのだが、私は動物たちしか見た記憶がない。
機会があったらよく見てみようと思う。
いや、背景ににおいがあるだけだから、見てもわからないのか? 実物を嗅がないと。
文末に「今井邦彦」と署名あり。
付)ふと思い出したのだが、いま、 自動車が主人公の、 たぶん米国製のアニメのテレビCMが流れている。 「ちびまる子ちゃん」「サザエさん」の時間帯だったと思う。 あれもアニミズム?
2006-06-09 (5) 01:12:39 +0900
11日づけには「下」が掲載された。 合わせて読んでも、 マンガやアニメが海外、 特に米国のそれから受けた影響について全くふれられていないので、 全てが日本人の発明であるかのような誤解を生じかねない。
2006-06-12 (1) 02:02:16 +0900
日本でいえば、明治初期に不定時法から定時法への切り換えが行われたときだ。 だから、真に必要なら、従来の時計をすべて捨ててでも切り換えるべきだと思う。
付) UTC との時差が毎日変わるのは大変なようだが、 インターネットを使えば、 きょうの(たとえば)フランスとの時差はたちどころにわかる。
2006-06-09 (5) 00:57:46 +0900
5月24日づけ大阪本社版文化面「思想の言葉で読む21世紀論」は「時熟」。 「揺らぐ人間の時間感覚」という見出しもある。
真ん中の三分の一ほどは
《オリエント古代思想の研究で知られる比較文明学者の岡田明憲氏
》
の説を紹介しているが、
《「未来に向かって一直線に進む時間意識のために、
現代人は先への距離や時間を少しでも縮めようとする強迫観念にとらわれてきた」
》
の中の「時間」は時間そのものではなく、所要時間を指しているのではあるまいか。
《近代文明は時間も人間が自由に管理できるはずだと考え、
技術で時間を速めようとした
》という場合の「時間を速める
」
というのはどういう意味か。
「時間を速める
」と、
同じことをするのにかかる時間は長くなると私には思える。
(そう思うのが「近代文明」の時間観に毒されている証拠なのかも知れないが……。)
最後の三分の一ほどは、
《歴史学者の成田龍一氏(日本女子大教授)
》に聞いたもので、
《日本人は100年あまり前にも大きな時間意識の変化を体験した。
明治の新政府は新しい時間も西欧から導入。
地域ごとにもバラバラだった時が、
均一で直線的な近代時間に統一された
》とあるのだが、
これは、
不定時法から定時法への移り変わり、
地方時から標準時への移り変わりといった、
時刻の呼び方の変化を指しているのだろう。
(これは氏の説の“まくら”であって、本体ではない。)
文末には「編集委員・清水克雄」と署名がある。 情報化・デジタル化の時代になって時間感覚が変わってきたという話にまとめたいようだが、 何をもって「時間感覚」と言おうとしているのかが、まったく伝わってこない。 数十年前に言われていた「スピード化」 ですでに現われていた変化のように思えるのだ。
付) 「少しずつ夏時間」をまた取り上げているのは、この記事を読んで、 明治初期に時計の“総入れ換え”が行われたことを思い出したからでもある。 次項に続く。
2006-06-09 (5) 00:25:22 +0900
手元にある 1999 年の理科年表では夏至の「日暮」は 19 時 38 分か 39 分。 約2時間時計を進めてあるわけだから、22 時 10 分ごろまで明るいわけだ。 すごい。
……と思ったが、時計を進めたからといって明るさが変わるわけではない。
が、 一年を通じて同じ時刻に起きる人の場合、 冬至にも起きる時刻に外が明るいなら、 夏至の朝にはこの“ずれ”の2時間半かそれよりも長い時間、 太陽光を無駄にしているわけだ。
2006-06-09 (5) 00:13:45 +0900
夏至には時計が2時間半ほど進んでいるから、 いま朝食、昼食、夕食をそれぞれ7時半、12時、 19時にとる人が時計の上で同じ時刻に食事をとるとすると、 それぞれ5時、9時半、16時半となる。
2006-06-09 (5) 00:08:31 +0900
本文ナシ
2006-06-09 (5) 00:03:07 +0900
けさの朝日新聞大阪本社版国際面「特派員メモ」はローマから、「いたずらな風」。
筆者はもちろん郷富佐子氏である。
《日本を離れて花粉症から解放されたと喜んでいたら
》とある。
タイトルは最終段落の
《面倒な風も、名前で呼ぶといたずらっ子みたいで愛着がわいてくる
》
からきているのだろうが、
何かがまくれあがったりするというのではなく、
砂を運んできたり、砂嵐だったり、吹き飛ばされそうになったりするんだそうで、
ちょっと合ってない気もする。
2006-06-08 (4) 23:23:03 +0900
けさの朝日新聞大阪本社版社会面「自殺対策法制求め署名提出」を見て、 かつて、抗議の焼身自殺がよくあったのを思い出した。
2006-06-08 (4) 23:20:29 +0900
こう正しく読んでいれば、 《「室生犀星」と「スロー再生」は響きが似ている》 と思わなかったかも。
注) Muroü の ü は u をその前の o と区切って発音することを示している(つもり)。
2006-06-08 (4) 01:40:16 +0900
…アドバイスしなくていいんだろうか。 彼は、ベイダーが両足とも機械であると知っているわけだし、 機械の足を蹴ると自分が痛いだけであることはグリーバスとの戦いで身にしみているはずだ。
2006-06-08 (4) 00:42:53 +0900
おお、今回は先生がパンタロンを。70年代ファッションか。 今週もなんとなく“頭痛顔”だった。
二つのキーフレーズというところでミカエルさんがまたチョキを出した。 そのあとも二度ほど。
ミカエルさんが腕時計を見ながらキーフレーズ 「Quelle heure est-il?」を言ったので不自然だなと思ったが、 腕時計が止まっているので人に時間を聞いた、と考えればいいのだった。
スケッチの出演者が不自然に足を開いてこっちを向いて立つときがあるが、 口元がよく見えるようにそうしているのだろうか。
「Il est 〜heure(s)….」の字幕。heure(s) の前後にスペースがないが、 わかるからいいと考えたのだろう。 なお、これを読む際、先生が組んだ手の指を動かしてリズムをとっているのが、 字幕の「est」の文字のあたりに見えていた。 「est」と「heure(s)」の間、および「heure(s)」のあとに時間をとるためだ。
いくつかの時刻の言い方をミカエルさんに尋ねるところで、 先生の目が宙をさまよっていた。 決めてあった時刻を思い出していたんだろうか。:-)
「je viens / vous venez」の字幕。 二つの下線を比べると、viens の下線は左が少し短かった。
「ch を見るとローマ字読みをしてチュと言いたくなるかもしれませんが、
フランス語にはチャ行の音はないんです
」と先生。
そう読みたくなるのはローマ字の中でもヘボン式の場合だけだろう。
ヘボン式ローマ字は英語式ローマ字だから、結局は「英語読みして」なのかも。
それと、「チャ行」ってあるんだろうか。
これがあるなら「シャ行」もありそうだ。
(新日本式ローマ字で考えるなら「ツァ行の拗音」?)
ミカエルさんが「Quel àge avez-vous?」 を読んだあと先生のほうを見ると先生がにらみ返す、ってシーンがあったが、 先生のお年はいままでにならった数詞の範囲でないから聞くなって意味だったり……しないよな。 (79 までやっている。)
「Quelle est votre chanson préférée ?」の字幕で、 下線で主語を示した際、最後の疑問符まで下線が引かれていた。変では。
ケーキぼくのためかな、とミカエルさんが冗談を言ったところで、 自分の胸を人差し指でさしていた。 親指でさすのはなに人だったっけ?
Avec Ananda のコーナーで、 日本のマンガ単行本をフランス語に訳して出版したものが写った。 文字は横書きだが、開き方は日本の縦書きの本と同じだった。 絵を裏焼きにすると左右が逆になって不自然になることがあるから、こうしたのだろう。
ところで、日本語からはいった manga はなぜ男性名詞になったんだろう?
最後、先生が「〜に登場いただいた〜さん」とおっしゃるのだが、 この言い方、ちょっとひっかかる。 私なら「登場していただいた」と言うだろう。 でも、「ご搭乗いただきまして」なら私も言うか。
2006-06-07 (3) 22:25:32 +0900
Pause-Café ではミカエルさんたち三人が日本のアニメの主題歌をフランス語で歌い、 先生が「わあ、よく覚えてますねー」。 大学にはいったばかりのころ、 クラスコンパや合宿でアニソン歌って女子学生にほめられたというかばかにされたことを思い出した。 :-)
2006-06-12 (1) 01:07:28 +0900
『すのものの「タイピング練習プログラムの採点アルゴリズム」(その2)』。 それに伴い、前に 《更新記録>「タイピング練習プログラムの採点アルゴリズム」を完成させた》で書いたページは「その1」と改めた。 URI は変わっていない。
2006-06-07 (3) 02:38:02 +0900
「開区間 I の各点 x に対し、 x を含み I に含まれる開区間 Ix が存在して〜を満たす。 集合族 {Ix}xεI に対し……」 のように議論が進むことがあるが、 Ix が x に依存しなければこの集合族は一元集合である。 それでも {Ix} と書くのは、x ごとに集合が決まっている、 という感覚なのだろう。 ということは、I からある集合族への写像を考えている、ということになろうか。 上の例では I の部分開区間全体の集合への写像である。
すべては集合であるという考えに基づくと、 集合族 {Aα}αεΑ は結局のところ、 とある写像 Α→Β にほかならない。 でも y = x² を集合族と思ったら変だよなあ……。
2006-06-07 (3) 00:36:51 +0900
旧三部作では帝国軍兵士が、新三部作ではドロイド兵が「やられ役」で、 主人公たちはこいつらをいくら殺しても構わない、という「お約束」になっている。 でも、 おそらくルークが人を殺したのはデス・スター内でレイア姫を救おうとしたときが初めてで、 それなりのセリフがあってもおかしくないような。 そして、ハン・ソロが 「どうせこいつらはクローンなんだからいくら殺してもいいんだ」 とか言いそうな気がする。
2006-06-07 (3) 00:18:20 +0900
密輸品を隠すところだっけ? あれはハン・ソロのアイディアだと思っていたが、 III でオビ=ワンがパドメ機で密航するシーンがあったことから推測すると、 オビ=ワンのアイディアだった可能性も。
2006-06-07 (3) 00:14:09 +0900
IV でファルコン号にオビ=ワンも乗っていたことをベイダーが気づくのは、 フォースを感じたからだろう。 オビ=ワンがフォースを使う前だと記憶しているので、 いわば、フォースが“もれて”しまったのである。 パルパティーン議長がシスであることにジェダイたちは気づかないが、 それは、フォースが“もれない”よう相当な努力をしていた、 ということなのだろうか。 たとえば、III 冒頭の救出作戦では戦艦の不時着という生命の危機にさらされる。 あのときフォースを使ってしまえば、 命は助かってもジェダイたちに気づかれるおそれがあったわけだ。
シスにはわかるがジェダイにはわからない? I で、 クワイ=ガンがアナキンのフォースを感じていたような記憶があるが。
2006-06-07 (3) 00:05:05 +0900
《シスの復讐>上りエレベータは 31174 なのに下りは 3224 だ》 だけど、あの世界の数字は地方によって読み方が異なり、 それでオビ=ワンとアナキンとで違う読み方をした、って解釈は苦しいな。
2006-06-06 (2) 23:58:52 +0900
「1564」なら「人殺し」、「3-7564」なら「皆殺し」か。
2006-06-06 (2) 23:21:39 +0900
「大江戸」が出てくる、というだけ。 「大江戸川」という言い方があるのかどうかは知らない。
2006-06-06 (2) 23:19:46 +0900
……。 「そんなこと言わないで教えてくれよ。親友じゃないか」 と無理に聞き出したら首がにょろにょろっとロクロ首のようにのび、 「だから『話すと長くなる』って言ったじゃないか」とうらまれる。
超自然的な存在に「決して話してはいけない。 話せば首が長くなる」と口止めされていた、という設定。
2006-06-06 (2) 19:26:35 +0900
楊貴妃だったりクレオパトラだったりするのでは。
2006-06-04 (0) 22:07:48 +0900
19時のNHKテレビのニュースを見ていたら、 秋田の小1男児殺害事件に関連して、 「けさから始まった事情聴取は半日たった今も続いています」 というようなことを言っていた。 「けさから今までなら半日じゃなくて一日じゃん!」と思ったが、 およそ12時間という意味では半日だ。 辞書を見てもよくわからない。 「半日仕事」という用例が出ているものがあるが、 それって何時間の仕事? その人の一日の仕事時間によるんだろうな。
2006-06-04 (0) 19:49:34 +0900
ここからあとは、都合でアップロードしていませんでした。これからします。
2006-06-06 (2) 23:47:06 +0900
歌の文句にそうあるから。 《「雪がとけると何になりますか」に「春になる」と答えることについて》 参照。
2006-06-03 (6) 00:14:15 +0900
一段なら「0123456789」と「1234567890」の両方がありえると思うのだが、 二段だと「12345」「67890」に限ると思っていたのでちょっと意外だった。
2006-06-03 (6) 00:12:00 +0900
書いたけど出さなかった、じゃなくて。
2006-06-03 (6) 00:10:55 +0900
日の出が毎日同じ時刻になるよう夜中に少し時計をずらす夏時間を導入したら、 というのを少し前からまた考え出した。 《日の出が6時50分になるよう時計をずらせば夏至の日の入りは21時25分》 参照。
そのずらしは、 《時計を毎日ずらす夏時間は「うるう分」を導入すれば時刻の記録に混乱がない》 に書いたように、 午前3時ごろに正あるいは負の「うるう分」 を入れることで解決すればいいと考えているが、 その「午前3時」はその夏時間における「午前3時」だから、 いまの時刻で言えば一定ではないのだった。 夏至には0時35分ごろになる。
電波時計の電波を利用して時計をずらすとすると、 ずらした時刻のあとに自動受信することが必要になり、 夜のほうが受信しやすいというから、 そのためには、いったい、何時ごろにしたらよいのだろう?
実現性はゼロに等しいから考えてもしかたないのだが。
2006-06-02 (5) 23:24:52 +0900
今回は四月五月の復習だ。 今回も、出張先のホテルでまず見て、留守録しておいたのも見た。
先生の雰囲気がどこか違っていた。 鎮痛剤のテレビCMに出てくる、頭痛がしているお母さんみたい。
スケッチが二本あったが、いずれも、いつもと異なり、 いつもスタジオにいる「副局長」と「局員二人」が演じている。 (「局長」(=先生)も出ればいいのに。)
スケッチで、「Peter」は字幕では「ペーター」になっていた。英語読み?
先生の 「Franz と Jennifer と一緒に文を作ってみましょう」 の「Franz」「Jennifer」がフランス語式発音になっていた。 前は日本語式に「フランツ」「ジェニファー」だったような。 《NHKフランス語会話>四月 03 日(月曜日)放送分》、 《NHKフランス語会話>五月 08 日(月曜日)放送分》 参照。
ミカエルさん演じる気持ち悪い花屋さんが出るスケッチを見た直後の先生の表情が 「なに〜? これ?」って感じだった。 「いかがでしたか〜?」のセリフもいかにも気持ち悪そう。
「Il y a」の否定形「Il n'y a pas」の説明の際、「y は母音なので」と説明された。 ふだんは「母音で始まる単語の前では」と説明されるが、「y」は母音一つだけだ。 母音で始まると言って間違いではないのだが、 不審に思う視聴者がいるといけないと考えてこう言われたのだろう。
フランス語のアルファベの中では、 G と J が、日本語の中で普通に使われている英語風の名称と逆の感じになるのだった。 今回、先生のお名前 SUGIYAMA のつづりを言う練習を一緒にやって、間違えた私。^^;
先生の「ミカエルが言っていたように」の「ミカエル」は日本語式発音だった。 そのあとの呼びかけも。
2006-06-02 (5) 23:21:34 +0900
この回ではなかったかと思うのだが、 先生が bonne idée とおっしゃったのに字幕に出なかったような。
2006-06-12 (1) 01:13:56 +0900
「Il n'est pas」や「Je n'ai pas」でも、 est や ai を「母音なので」と説明されていたかな? (上で 「母音で始まる単語の前では」と書いたのは、正しくは 「母音または無音の h で始まる単語の前では」。)
2006-08-09 (3) 23:43:16 +0900
「Bonne idée」は、Pause-Café でミカエルさんがアルファベのおさらいをしようと言ったところで、だった。
2006-12-10 (0) 21:07:23 +0900
本文ナシ
2006-06-01 (4) 23:51:34 +0900
先日の東京出張で、 私の乗っていた山手線が(確か)新宿駅についたとき。 一番前で待っていた人が乗り込もうとせず、 ドアの上に手をついてからだを支え、「それでは……。電車がきましたから……」と、 携帯電話を切ろうとしているが、相手はなかなか切らない様子。 その後ろで待っていた人たちが追い越して先に乗ってきた。 ああいう場合、 車内での通話はしないことになっているとわかっていてもとにかく乗ってしまい、 中で切る人が多いと思うのだが。律義な人だ。
2006-06-01 (4) 23:46:26 +0900
ほかにこれに似た言い方はあるだろうか。
2006-06-01 (4) 23:44:53 +0900
……「呼ばれてなくても返事していいんですね?」と言い返されるおそれあり。
「代返ではない、私たちは先生の指示に反した行為はしていない、 先生が勝手にカン違いして出席扱いしただけ」と言われるかも。
2006-06-01 (4) 23:39:23 +0900
ちょっと前に、飛行機内に 「お客さまの中に時速 150 キロ以上の球を投げられる方はいらっしゃいませんか」 とのアナウンスが流れるテレビCMがあったと記憶しているが、 どういうシチュエーションだったのかはよく見ていなかった。 (ついでに言えば、なんの広告だったかも思い出せない。)
ふと気づいたのだが、 飛行中の機内で野球のボールに仕込まれた時限爆弾が発見され、
2006-06-01 (4) 23:27:43 +0900
27日づけ大阪本社版社会面「留守番の3児、火災で死亡」。 この面の右上のおよそ三分の一ぐらいを占めている。 その下半分は「いつも一緒 雨で家に?」という見出しで区切られているが、 亡くなった三児の名前にまたふりがながついており、 年齢もくり返されている。母親の名・年齢もだ。
別の地域・版では別の面にあった記事を一つの面にまとめたため、 こういうことになったのではあるまいか。想像だけど。
2006-05-27 (6) 21:32:34 +0900
『すのものの「タイピング練習プログラムの採点アルゴリズム」』 である。 2001 年の四月から五月にかけてのタイムスタンプで書きかけになっていたファイルを元に数時間で書き上げた。
(だったらなぜもっと早く仕上げなかった? という声がありそうだが、 説明を厳密なものにしようとしすぎて行き詰まっていたようである。)
2006-05-26 (5) 23:43:01 +0900
丑松は人名。
2006-05-26 (5) 00:24:16 +0900
前項の続き。
私が電卓を使うのは 98 + 自作 FEP + Vz で日記を書く場合である。 自作 FEP に電卓モードをつければよかったか? たとえば、 あるキーで ON/OFF し、ON の間は 「テンキーは電卓の操作キーとみなす」というようなもの。 入力した数や結果は最下行に出て、それをキー入力とみなすこともできる。 スクロールとかは普通にできるわけだから、 マルチタスクと同じように使えるはずだ。
いまさらアセンブラ使う気もしないしな〜。
2006-05-26 (5) 00:12:04 +0900
二十年近く前に買ったカード型の CASIO SL-760 は液晶か太陽電池かがだめになり、 表示が薄くなって使えなくなってしまった。 先日の東京出張の際に量販店を見たが、 カード型はもうほとんど売られていない。 出先では携帯電話の電卓機能を使う人が多いからだろう。 大きな荷物を持って帰りたくなかったので、 帰ってから職場の生協で買うことにした。
で、きょう買った。どうせ持ち運ばないのだからと考え、 あまり小さくないのにした。980 円だった。 買ってから気がついたのだが、 このサイズ --- ワイシャツの胸ポケットにはいるサイズ --- だったら東京で買って持って帰ってもよかった。 もっと大きなのを買うつもりだったのだろうか? テンキーみたいなのを。
2006-05-26 (5) 00:01:17 +0900
本文ナシ
2006-05-26 (5) 00:00:01 +0900
私なら報告するだろう。
もちろん、彼女もニュースとしては聞いていると思われる。 でも、II で彼女や自分の命を狙ったドゥークーを倒したということは、 個人的に伝えるのが普通だと思うのだ。
2006-05-25 (4) 22:19:53 +0900
スケッチではいつも脇役だった年配の男性が活躍。ちょっとうれしかった。
「On y va?」の説明のところで、先生の向かって左側の髪が後ろではねていた。 ここだけだったので、いくつかに切って収録し、つないでいるのであろう。
ミカエルさんの発音のコーナーで「三つ目」は指をフランス式に出していた。 (前回は、チョキで「二つ」を表現していた。)
スケッチの字幕はセリフの長短によって文字の大きさが変わるのだが、 ある画面で、poids だけ文字が大きかった。
大道芸人の字幕に一度だけ「ポンピドー」と出た。 ほかはすべて「ポンピドゥー」。 (これと、すぐ上のは、放送時に気がついた。)
付) フランス語の前には中国語をやっているが、 あの最後のくだらない寸劇、なんとかならないものだろうか?
2006-05-25 (4) 00:51:15 +0900
《ケヤキでできた「線香入れ」を買う --- 鉛筆入れにするつもり》 に書いた線香入れに鉛筆を入れておくとケヤキのいい香りが鉛筆に移るので、 書いていて楽しい。 では、ケヤキで鉛筆を作ったらどうなるのだろうか、などと考えて。
2006-05-25 (4) 00:47:20 +0900
7日放送分の、相席の話の、たまちゃんの回想シーンで。 座席が向かい合って固定されている昔の普通列車の、窓の下に灰皿がついていた。
《ちびまる子ちゃん>お正月スペシャル(?)の温泉へ行く話》 参照。
2006-05-25 (4) 00:43:43 +0900
ヨーダならできそうな気もするが。
2006-05-25 (4) 00:35:57 +0900
実射影平面? 複素射影平面? などと突っ込まないように。
2006-05-25 (4) 00:04:52 +0900
あれ? 「実射影直線? 複素射影直線? などと突っ込まないように」 と書こうとして間違えたのかな?
2006-10-24 (2) 01:55:18 +0900
大暑から処暑までは31日と7時間ぐらいである(らしい)。 もしも大暑の数時間後に朔がくる年があったとする。 次の朔は処暑より30時間以上前だ。
あるタイムゾーンで大暑と朔が同日になったとすると、その日から七月が始まる。 次の朔は処暑の前だから、そこからが八月。 朔が大暑の翌日になる別のタイムゾーンがあったとすると、 そこではその朔から始まるひと月は中気を含まず、閏月になる。
「ことしは閏七月があるから秋が長い」と考える人は、 あとに述べた地域では秋が長く、先の地域ではそうでない、 と考えるのだろうか。 これが北半球であって夏時間を採用していれば夏時間実施中の季節だ。 その際の閏月の決め方は? その国の標準時(日本では東経135度の時刻) を用いていいのだろうかなど、まだまだ疑問は残る。
付) そもそも、 日本の国立天文台の発表する時刻と時差から単純に他のタイムゾーンの “旧暦”を作っていいのだろうか、という疑問があるのだった。
2006-05-24 (3) 23:44:19 +0900
去年も今年も冬至は12月22日だが、 旧暦では去年は21日、今年は3日だ。 日付が戻っているわけだが、そういう年には --- 厳密に言えばこれらの冬至を含む月の間には --- 閏月がはいる。それがことしの閏七月である。 中気を含まない月を閏月とする、というのが現行のルールだが、 もっと簡単なルールは作れないだろうか。 (ごくまれにだが、中気を二つ含む月があることもある。)
去年の旧暦十一月は29日までだった。 よって、冬至のあと月末までは8日が残っていた。 一方、今年の旧暦十一月は冬至の前に2日だけ過ぎている。 この「8」と「2」から、閏月を置く位置を決められないだろうか。 閏月を入れられるのは 「去年の十一月のあと」から「今年の十月のあと」までの12箇所。 それを「8」と「2」で“比例配分”し四捨五入すると閏八月になる。 現行ルールとはひと月ずれるが、非常に簡明に閏月を入れるべき位置が決められる。
“比例配分”という用語を使わなくても、 上の「8」「2」がいくつだったら閏何月を置く、と決めてしまえばそれでもよい。 また、冬至でなく春分などを基にしても構わない。 (閏月の位置は一般には変わるだろうが。)
《旧暦>「夏に閏月がある」ための必要十分条件は「夏至が新月に近い」》 にやや関連していた。
2006-05-24 (3) 23:04:58 +0900
買ったときは17センチメートル強だから、 半分も使わないうちに持ちにくくなるわけだ。
正確に測ったことがなかったので。
2006-05-24 (3) 23:00:08 +0900
テキストファイルで使える文字は全角文字と半角文字だけで、 それ以外の大きさの文字を使うことはできない、 と説明することがあるが、 原稿用紙のマス目を文字で埋めてゆくときと同じ、とも言えるわけだ。
2006-05-23 (2) 22:21:35 +0900
《時計を毎日ずらす夏時間は「うるう分」を導入すれば時刻の記録に混乱がない》 では“日の出は毎日6時になるように”と考えてみたが、 冬至前後には時計を標準時よりも50分ほど遅らせることになり、 日の入りが16時前になってしまう。 これでは不都合だろう。
では、 毎日の日の出が冬至のころの日の出の時刻になるようにしたらどうか。 すると、夏至のころには2時間25分ほど時計を早めることになる。 日の入りは2時間25分遅れて21時25分ごろ。 いまごろでも21時の日の入りだ。
夏時間を導入するなら、ここまでやらなきゃ意味がない、という気もするな。
2006-05-23 (2) 21:35:21 +0900
理科年表には日曜表が載っている。 何年の何月の日曜日は何日と何日、というだけの表である。 一方、確か、どこかに、 何月は何日まであるということを定義したものがあったはず。 それと、何年はうるう年かどうか、というのも理科年表に載っている。
これらのデータを合わせると十二カ月のカレンダーが書けて、 日曜日とそうでない日を区別することができる。 しかし、「七日ごとに日曜日を置く」とは決めていないのではあるまいか、 日本国として正式には。
2006-05-23 (2) 20:54:48 +0900
昼間は絶対に受信できない位置においてあったにもかかわらず。 九州局を受信していた。
2006-05-20 (6) 20:30:31 +0900
オビ=ワンは冥界のクワイ=ガンから 「R2-D2 と C-3PO が脱出してルークの元にやってきたから、もうすぐくるぞ」 とか聞かされていたのだろうか?
2006-05-20 (6) 20:28:07 +0900
最後のムスタファーでの戦いの中で、 二人がフォースを使って力比べをするところがある。 しかし、フォースにも作用反作用の法則が成り立つなら、 相手がフォースを使って自分を押そうとしたら、 自分もフォースを使って押し返すには及ばない。 反作用で相手は押し返されるはずだからである。
うーん、わからん。
2006-05-20 (6) 01:49:33 +0900
小満、夏至、大暑を含む月がそれぞれ四月、五月、六月だから、 少し考えるとこうなると思う。 同様のことは春、秋、冬にも成り立つ。 《今年の「裏・旧暦」を作ってみた》 の表を見ると、今年は秋分が旧暦2日にあたり、閏七月がある。 どのくらい近ければ閏月があるかは、季節によりそうだ。 冬の閏月は珍しい。
「夏に閏月がある年は夏が長い」と主張している人がいるそうだが、 「では夏至が新月に近い年は夏が長いんですか?」
付) 絶対にそういうことがないとは言き切れないが、そう主張するのと同じことになる。 一方、こう言い換えてしまうと、 天文学に関するトンデモを持ち出して正当化しようとする人もでてきそうな。
2006-05-20 (6) 01:45:20 +0900
前者だと、欠点が何かと区別がつきにくいようにも読める。 リンクのはりたし作業中に 《日本語>アルファベットに、英語だけに依存しない呼び名をつけよう!》 を読んで気がついた。
2006-05-20 (6) 00:52:26 +0900
付)最初は「二転び一置き」という、逆の動作を考えついた。 そこから逆に考えて上の「一転び二起き」になったもの。
2006-05-20 (6) 00:12:48 +0900
(前項から続く)比べると今回の先生の顔年齢は15歳、 いや、20歳ぐらい若返っている! 髪型も違うような。
[y] の音の「例を2つ」のところで、 ミカエルさんがチョキのようにして指を二本出していた。 親指と人差し指を出すんじゃなかったっけ、フランス人は? 「2つ目」 というところでも。
先生は、「-er 動詞」の「-er」をフランス語の字母のように発音していた。 前のラジオ講座でも初めはそうだったが、 だんだんに日本語式の「ウーエル」になっていったっけ。
21 から 30 までの数詞を習ったが、 ここでは chiffre と言っていた。
2006-05-20 (6) 00:00:53 +0900
先生は白い服の上に花の刺しゅうのついた黒いカーディガン。 (←相変わらず語彙が貧弱なもので、 これじゃそこらのおばさんの服装を描写しているのと変わりません。 今回で打ち切ります。)
この情報局はパリのどこにあるの、という“楽屋落ち”。 前には「アフリカのタイコを習っていたが東京では叩けなくて残念」 って言ってたのに。:-)
ミカエルさんが発音について説明するところでよく出てきた le son を leçon と誤解していたことに気づく。 それで意味がわからなかったんだ。
月の名前を説明しましょうというところで先生の「いいですね」 にも字幕がついていた。
最後のスタッフたちの“寸劇”で、先生は「ジェニファー」と言っていた。 フランス語では先生の発音でも「ジェニフェール」に近く聞こえる。 日本語とフランス語で言い分けているのであろう。 こういう例、探せばほかにも、ほかの言語でも、あると思う。
ここで先生が笑ったときの顔年齢と(以下、次項に続く)
2006-05-19 (5) 23:55:24 +0900
「フルフェイスのヘルメット着用のかたお断り」と書いてあるところがある。
2006-05-19 (5) 22:31:56 +0900
女性を「雌豚(めすぶた)」と罵るのはよく聞くが、 この人は「豚雌(とんめす)」と言ったのである。 しかし、これもハラスメントである、といった状況。
2006-05-18 (4) 21:10:42 +0900
2006-05-18 (4) 03:01:23 +0900
3月5日づけ朝日新聞大阪本社版 be on Sunday の第一面「あっと! デ〜タ」は
「つらくても今のままがいい」。
《生まれ変わったら、男性になりたいか、
女性になりたいか
》という調査のお話。
《男性は昔も今も「生まれ変わったら男性に」が8割以上で、変わらない。
だが女性は全く違う
》というのだが、
「いまの生(せい)の記憶があるのかどうか」と
「もしもいまと同じ性別を希望したら同じ肉体が与えられるのかどうか」
がわからないと、答えられないのではあるまいか。
男子は20人にひとりが色覚障害をもつ。
色覚障害を持たない男性が男性に生まれ変わる場合、
ランダムに男性の肉体が与えられるとするのだとすると、
いまとは違う色の見え方に生まれ変わる可能性が結構あるわけだ。
だったら女性 --- はるかに色覚障害をもつ可能性が低い ---
を選ぶことも考えられる。
注) 私は色覚障害に対する偏見を持っているわけではない。 ただ、「いまの色の見え方が変わるのはいや」という人がいるのではあるまいか、 と言っているだけである。 そもそも、人は生まれ変わることはできないのだから、 考えても意味のないことなのだが、 それにしても仮定をはっきりさせないと答えようがないと思うのである。
2006-05-18 (4) 01:38:11 +0900
3月8日づけ大阪本社版文化面「こころの風景」は中島たい子氏の「スケール感」。
《海外に行く時は、
事前に滞在地の地図をなめるように見る
》んだそうだ
《が、実際に現地に行くと、自分が想像していたのとはかなり違っていて、
そんな準備は役に立たないことの方が多い。
特にアメリカの場合は、スケール感の違いで予測を裏切られる。
近くに図書館があるから歩いて行ってみようと思ったら、
着くまでに日が暮れて、タクシーで戻ってくることになったりする》
んだそうだが、地図の縮尺の見方はご存知ないのだろうか。
2006-05-18 (4) 01:30:43 +0900
3月8日づけ大阪本社版文化面「単眼複眼」は
「身の回り品に息づかい / 山本五十六の遺品展」。
そこに
《戦死時に着用していたという白い下着には、
血痕なのだろう淡い朱の色が残っている
》とある。
「AなのだろうB」という言い方は普通でないように私には思われる。
渡辺延志と署名あり。
2006-05-18 (4) 01:24:48 +0900
ソ連が崩壊してからだいぶ経つ。 ソ連型の社会主義の失敗を知らないでかっこいいと思う若者がいないのはなぜ?
2006-05-18 (4) 01:20:19 +0900
10日づけ大阪本社版社会面「ニッポン人脈記」の「外資系で挑む」9回目。
《モルモン教の宣教師。
キリスト教の中でも禁酒、禁煙など厳しい戒律を守る人たちだ
》。
2006-05-18 (4) 01:13:42 +0900
2006-05-16 (2) 01:04:57 +0900
同じ大きさの正方行列 A と B が可換であるとき、 それらと同じ大きさの任意の正則行列 P に対し P-1AP と P-1BP も可換である。 では、 たとえば 2 × 2 行列のうち、可換なものは共役を除くとどのくらいあるのだろう?
A は Jordan 標準形としてよい。 A が
[ | a | 0 | ] |
0 | a |
[ | a | 0 | ] | (a ≠ b) | |
0 | b |
[ | a | 1 | ] |
0 | a |
[ | b | c | ] |
0 | b |
答えは
付) 計算したので一応書いておこう。
[ | a | 1 | ] | [ | b | 1 | ] | = | [ | ab | a+b | ] |
0 | a | 0 | b | 0 | ab |
2006-05-15 (1) 22:55:43 +0900
先生は白い服の上にカフェオレ色のスーツ(?)。
「quel + 形容詞 + 名詞」をやったけど、名詞に後ろからかかる形容詞の場合は?
Pause Café で先生が「のみの市」を「のり……」と言いかけていた。 ミカエルさんがのみの市で買ってきたものがうつったところで背景に先生の左手が見えていたが、 指輪はしていないようだった。 先生の持ってきた銀のスプーンの話になるところで、 先生が(向かって)右を、目だけ動かして見ていた。 ディレクターとかがいたのかと思われる。
Canal Culture のミカエルさんの詩の暗唱。 字幕が bateaue となっていた。最後の -e が余分。
最後のおさらいで「quel なんとか」とおっしゃっていた。 先週分で「à どこどこ」と言っていたのは特別だったのか。
付) きょうの放送分については追って書くが、 先生が、髪型と服装のせいでものすごく若く見えた。 ミカエルさんがチョキで「2」を示していたような。
2006-05-15 (1) 22:43:27 +0900
先生は黒い服の上にカフェオレ色のカーディガン。(←またまた語彙貧弱な私 ^^;)
始まって3分ぐらい経ったところのミカエルさんの字幕に 「では 1つの目のキーフレーズです」とあったが、「1つ目の」の間違いだろう。
「11から20までの数字」の練習があったが、 フランス語では nombre(s) と言っていた。
avoir の変化をやったが、il a と elle a は言ってみなかったような。 これが一番多く出てくるのに。
「からだの一部分が痛いときも動詞 avoir を使って表現できます」と先生。 一部分じゃなくてからだ全体が痛かったらつらいだろうな、と関係ないことを考えてしまった。 また、「『à どこどこ』で『どこどこが痛い』」とおっしゃっていた。 英語番組ではこういうとき「なになに」を使うが、「なになにが痛い」は変か。
「複数の定冠詞 les」でちょっと「おや?」と思ったが、 複数名詞につく定冠詞 les, の意味。定冠詞が複数なのではない。
Canal Culture は「Entretien」。 “インタビュー”にあたる単語、フランス語固有の単語にもあったんだ。 川が流れていないようだった。と思ったら、最後、 アヒルは泳いでいた。 Loussakoumounou さんというお名前。 カタカナなら「ルサクムヌ」と五文字だが、三倍の十五文字ある! (ところで、 橋がある点でもバーチャ2の舜ステージに似ているな。)
最後のハーブ専門店店主のインタビュー。 字幕の cœur が合字になっておらず、coeur だった。 (テキストでは合字になっている。)
付)テキストにはものすごくいろいろなことが書いてある。 条件法過去形とか。読まなきゃ。でも時間がない。
2006-05-15 (1) 22:20:26 +0900
前項の続き。 I の最後のオビ=ワンが穴から跳びあがったようにフォースで岸をよじのぼれれば、 火傷を負わずに済んだはず。 おそらく、傷が重いのでフォースが使えないのであろう。 II のオビ=ワンの傷はそれほど深くはなかったと思われるが、 それでも倒れてくる柱に対し何もできなかった。
2006-05-15 (1) 20:27:15 +0900
自分を跳び越え、 より高い地点に着地しようとするアナキンをフォースで引き寄せて斬った、 と考えられないだろうか。 オビ=ワンが跳んだときにアナキンが同じことを試みるのは、 反作用でいかだがぐらつくので危険すぎる。 そこでアナキンにはそれはできなかった、と。
どういうときにフォースが使えるのかは作品からはよくわからないが、 かなりの精神統一を必要とするように思える。 戦闘中に使うには、議長救出作戦のときのドゥークー vs オビ=ワンのように、 相手よりかなり力が上でないと無理なのではあるまいか。 だが、あの局面ではオビ=ワンはすでに岸におり、アナキンとは距離があった。 集中できても不思議はない。
だったら斬らずにフォースで溶岩の川に落とすという方法も……。
2006-05-15 (1) 20:23:28 +0900
ここで「=」は同値の意味とする。
「A=B=C」が「(A=B)=C」と解釈されるとしたら C が偽のとき全体は偽。 「A=(B=C)」と解釈される場合は A が偽のとき。
2006-05-15 (1) 01:22:50 +0900
本文ナシ
2006-05-13 (6) 19:13:39 +0900
2006-05-13 (6) 00:58:08 +0900
「見当たる」と同音になっちまうから迷惑だよな、きっと。
2006-05-13 (6) 00:54:59 +0900
本文ナシ
2006-05-13 (6) 00:53:25 +0900
本文ナシ
2006-05-13 (6) 00:51:13 +0900
本文ナシ
2006-05-13 (6) 00:49:59 +0900
本文ナシ
2006-05-12 (5) 23:33:00 +0900
2006-05-12 (5) 01:03:40 +0900
本文ナシ
2006-05-12 (5) 00:06:19 +0900
本文ナシ
2006-05-12 (5) 00:05:55 +0900
本文ナシ
2006-05-12 (5) 00:05:28 +0900
「若い鹿どもがもどかしい川」(わかいしかどもがもどかしいかわ) なんてのも考えてみた。
2006-05-12 (5) 00:02:04 +0900
エマオはルカ 24,13 に登場する村の名。
2006-05-11 (4) 23:57:56 +0900
10日づけ大阪本社版オピニオン面「アントニオ・カッセーゼ氏
(旧ユーゴ戦犯法廷元所長)に聞く / 東京裁判の遺産は何ですか」。
聞き手は《ローマ支局長・郷富佐子
》氏である。
《――首相の靖国参拝を、どう受け止めますか。
「ユダヤ人大量虐殺の犠牲者を慰霊するためにホロコースト記念碑を建てたドイツと、
非常に対照的です
》とある。
この「慰霊する」の原語はなんだろう?
2006-05-11 (4) 02:17:22 +0900
楽天―ヤクルトは16日から顔を合わせる》って変では
9日づけ大阪本社版スポーツ面「交流戦きょうから」。
プロ野球の話題だ。
《野村監督と古田兼任監督の師弟対決が注目される楽天―ヤクルトは16日から顔を合わせる
》
って何か変では。
「楽天―ヤクルト」は試合を指しており、それが「顔を合わせる」というのは。
2006-05-11 (4) 01:22:17 +0900
9日づけ大阪本社版第一面「分裂にっぽん」〈しまなみ海道から〉の第3回。
海道の通行料が高すぎる、と途中の島々の人はフェリーを使う場合が少なくない。 だが、総事業費7800億円の海道建設や、 車で訪れる観光客が費やすお金は、重要な収入源だった。
「費やすお金」というとなくなってしまう感じだ。 それが次に「収入源」と言われるのはどうも。 「落とすお金」は避けたかったか。
2006-05-11 (4) 01:17:26 +0900
この「いろいろ」の間でリンクをはるため読み返していて、 《ラバーライトランプを売っていた》と 《あの照明器具は Lava Lite ® というのか!》 に気がついた。
2006-05-11 (4) 00:59:15 +0900
オビ=ワンは聞いてないとみえて He で受けている。 冒頭の追跡シーン。 渋谷(と私は信じている :-))のクラブの入り口で。
2006-05-11 (4) 00:56:05 +0900
2006-05-10 (3) 02:45:33 +0900
本文ナシ
2006-05-09 (2) 02:13:27 +0900
ほかに、一部のページでこの「いろいろ」の項目へのリンクをはりたしましたが、 それはここには載せません。
2006-05-09 (2) 02:12:19 +0900
2006-05-08 (1) 01:22:14 +0900
《「2038 年からメールを読んでいません」--- UNIX 最後の日》 を書いたときは地方時が 32 ビットで表せなくなる瞬間が UNIX 最後の瞬間、 と考えていたようだ。 そこには地球上で最も進んだタイムゾーンは +1200 だとも書いている。 それらが正しいとすると、 いまは +1400 まであったと思うから、寿命が2時間縮んだわけだ。 +1500 ができるとさらに縮む?
2006-05-07 (0) 23:06:11 +0900
「巻かない仲間」「蒔かない仲間」というのも考えられる。 《回文>「賄いつき、きつい仲間」(まかないつききついなかま)》 を前に書いていた。
2006-05-07 (0) 21:20:54 +0900
昼間街中へ出かけたらよく似た女性の三人連れを見かけ、 最初は三姉妹かと思ったが、どうも母親と二人のお嬢さんだったようだ。 それで思いついた回文。
2006-05-07 (0) 21:17:59 +0900
涅槃について説明し始めたところ。
2006-05-07 (0) 21:17:24 +0900
「『変な人だ』と避難へ」でもいいのだが。
2006-05-07 (0) 21:09:13 +0900
前項 (《(仮称)「もっともっと二十四節気をの会」設立宣言》) の続き。それには、 二十四節気の名前が覚えにくいことが妨げになるのではあるまいか。 また、「啓蟄」「大雪」などは意味がありすぎて、 季節に合う合わないの議論が起こってしまう。 「夏至」「冬至」は季節に合わなくても文句が出ないことは ちょっと前に 《夏至が一番暑くなくても何とも言わないのに立春が寒いと文句が出るのはなぜ》 に書いた。
《立春-春分-立夏-夏至-立秋-秋分-立冬-冬至-(立春)は一年をほぼ八等分する》 に書いたように、これら八つは二十四節気から二つおきにとっていったもので、 比較的名称を覚えやすい。覚えている人がほとんどだろう。 では、残りに「〜の前」「〜の次」という別名も与えたらどうか。 たとえば、テレビなどでは「きょうは啓蟄、春分の一つ前の節気です」のように言う。 “立春と春分を2対1に内分する日”と言ってもよいかも。 ただし、時間の上でではなく太陽の運行の上で、だが。
付) 立春を「春+0」、雨水を「春+1」、啓蟄を「春+2」、 春分を「春+3」、清明を「春+4」、穀雨を「春+5」というのも考えてみた。 ほかの季節も同様。
付) 「浅春」「晩春」など、 「〜春」の形の名称を四つ用意して立春と春分以外の春の節気に当て、 平行して「浅夏」「晩夏」などと名づけると漢字二文字なので “それらしい”名称になり、かつ系統的なので覚えやすいだろうが、 すでに別の意味で使われていてまずいような気がするし、 “それらしい”だけにかえって 「“もどき”の名称を作るのか」との反対がありそうだ。 「〜の前」「〜の次」なら無難かと。
2006-05-07 (0) 20:51:44 +0900