日 記

(2011年8月)



<Welcome from Fukushima - Konno>

◇ 暑い暑いといっているうちに、8月も末になってしまいました。
 研究室に参上しましたが、デイサービス迎え分担で、早めの帰宅。卒業生が、Facebookで、職場の悲しい出来事で大変な心境のようなので、福島の温泉にでも入ってゆっくりとともちかけました。
 丁度、土曜日に同窓会の会合などがあるというので、震災関係のミニ研究会を行おうともちかけました。土曜日の夕方、「被災者生活再建支援法」についての勉強会をやることにしました。宣伝がなされていないので、数人の参加でしょうが、教員主体の研究所と同窓生の実践活動が結び付けられたらと期待しています。ツイッターで紹介したら、6人ほどがリツイートしてくれたので、宣伝は広がりました。実際に立法の手伝いをしてくれた卒業生ですから、面白い話が聞けると期待しています。
 仙台の1年間だけの中学校生活(東華中学校)の同級生から、クラスの昼食会を10月下旬にやろうと呼びかけのメール。60人近いクラスの写真も添付して。半世紀以上前ですから、みんな若い(15歳?)。何となく、写真を見ると思い出します。
 現在は、分りませんが、元気に再会出来ればうれしいですね。女川のような小さな町の人間関係ではありませんが、それなりきに思い出します。よくまあ、転校したもんだと思います。転校生に対するいじめもなく、楽しい思い出だけです。高校が男女別学だったので、女川にしろ、仙台にしろ、多くの異性集団と交流していたのは、この時期だけですね。あの頃は、叔父の家で、姉が身の回りの世話をしてくれました(専門学校に行っていたのかな?)。その姉も、津波で行方不明のままですが、楽しい昼食会を期待しています。
 東北楽天の野球中継を見ました。テレビのチャンネルを変えている間に山崎が3ランホームラン。みつめている時は、三振が多い。球場で買った私の楽天の帽子は、7番山崎のです。結局、4対3。辛勝ですが、西武に連勝。何がきっかけで、勝っているんだろう。投手も、打者も、出場者が多いのに驚きます。野田政権ではないが、全員野球で、力を発揮しているのかな?スターの陰で、出番のない選手をいかに引き出すか、野球だけの問題ではなさそうです。それにしても、鉄平を見ないのは、寂しいが。(8/31)<6752>

 


◇ 研究室、図書館など、震災関係の論文等をコピーし、読む単調な行動。
 夕方、仙台の小・中学時代の同級生Mさんから電話あり。東京での女川出身者の同級会の件。仙台での女川出身者の写真家親子の展覧会で、同級生たちと遭遇したようだ。何か、みんな「女川」を求めているようだ。
 大津波で壊滅した女川だから、みな消滅させないよう、その仲間を手繰り寄せているのだろうか。
 今度の日曜日の東京での懇親会は、中学時代の恩師(この前、東松島のご自宅を訪問して逢いましたが)の上京の機会を選んでの集まり。恩師を囲む会になります。このひとときを大切にして、新幹線に乗ります。半世紀前の少年・少女と、昔と現在と未来を語り合います。(8/30)<6735>


◇ 月曜日です。午前、ショートスティに迎えにいって、あとは自宅で見守り留守番。
 テレビにかじりついて、総理大臣に結びつく民主党代表選挙を観戦(?)。私が予想したとおり、2位の野田氏が、決戦で海江田氏を破り当選。小沢派か、親小沢派かの対立のなかで、国民の眼を意識した結果であろう。
 国民の眼も、被災地の眼も厳しく、何か期待をもてる声はない。民主党内の結束が出来るのかが決定的だろう。なかなか大異を置いて、大同につく政治行動を取るのは、難しいことなのかもしれない。マニュフェストもあるが、脱原発依存の方向を堅持できるのかどうかが、私にとっては最大の関心。(8/29)<6716>


◇ この土日は、孫たちと過ごしました。
 昨日は、孫たち3人がお世話になっている、塩竃の保育園の「夏祭り」。天気もよく、JAで野菜類を買い込んで、東北道を北上。
 午後3時頃から、各年代のお御輿を引っ張って、デモンストレーション。小学校入学目前の組から、0歳まで。0歳は乳母車での行進。4歳児、2歳児、0歳児と、3人の孫たちですので、行進の道が少し異なるので忙しい。どうしてか、カメラを向けて、ピースをするどころか、「関係ないよ」という知らん振り。人見知りか、いやはにかみや。ああ、私の幼少の頃とそっくり。みんなの前で、親とか爺婆とかを確認するのは恥ずかしくてしょうがない。さりとて、来ていないと拗ねるし。
 見ず知らずの私に、「誰のお祖父ちゃん?」と聞いてくるさばけた子も居るのにね。でもお父さんやお母さんの頑張りで、夏祭りは大盛況。保護者による「三宅島太鼓」の披露もありました。青空のもとのお祭り。福島では、聞けなくなった外での子どもの叫び声。一日も早い解決が望まれます。
 夕方までかかって、疲れたのか夜はぐっすり。我々も泊まりました。お父さんは、夕方から夜勤・宿直です。
 午前中に、帰りましたが、一番上の孫娘が、3歳児の時に、つぶやいたことば、雑誌『ちいさいなかま』の10月号のグラビア(写真入ではないですが、イラストです)に掲載されています。「うれしくってね なみだが ポツンと でたんだよ」。まあ、うれしくて涙が出たり、いろいろな経験をして健やかに育って欲しいものです。疲れがとれるような睡眠は出来ませんでしたが、また、福島に帰ってきました。また、明日から頑張りましょう。(8/28)<6697>


◇ 午前中、短時間研究室に寄り、昼帰宅。午後早めに、ショートスティへの送り。その後、福島フォーラムで映画を鑑賞。上映時間がタイミングよいものですので、どうしても見たいという映画ではないが、面白そうなものを選択。3時10分からの『学校をつくろう』
 明治維新期に、アメリカへ留学し、困難を乗り越え、勉学に励んだ若き4人のサムライが、日本を変えるには学問が必要だと日本初の学校を創った。直木賞作家・志茂田景樹の小説「蒼翼の獅子たち」を基に再現。実際の学校は専修学校ー専修大学の創設の話。親友もいる専修大学の前史について初めて知ったが、維新直後の各藩出身の若者が、藩をバックに喧嘩するのも面白かった。
 戊辰戦争のせいにする話に、そんな過去のことに拘るのは・・・という下り、戊辰戦争10年後くらいの議論だから面白い。未だに戊辰戦争を云々するのは時代錯誤だとは思うが、維新後の歴史(長く続く薩長政権からの制裁)を思うと、維新後の期間では計れないのかもしれない。
 先日、知った元学長(吉原先生)の奥様の逝去について、先生の友人である静岡の佐藤先生にお知らせしておいたが、事務に問い合わせたらしい。事務関係が掴んでいないので本当だろうかとの話。職員のお家族の訃報は、現職員についてはお知らせがあるが、退職者はご本人の訃報についてのお知らせ。間違うと大変なので、事務関係者に調べてもらった。8月10日に東京でご逝去されたらしく、身内で送られたということです。震災のなか、大変でした。看病されていた先生も。落ち着いたら、福島で佐藤先生・臼井先生等とともに一緒に懇談しようということになった。
 第三番目の孫の5ヶ月目の誕生日(?)。明日は土曜日。保育園の夏祭りなので、行ってみようかなと話している。東北楽天は、今日もソフトバンクを破り6連勝。このまま続くのかな?(8/26)<6675>


◇ 木曜日。午前中は、県関係の会議。いつもは午後でしたが、諸般の事情で午前中。昼前で、議題も少なかったので、気を許したのか、後で考えると、あまり発言するんじゃなかったなと反省。その道の常識を踏まえてないのか、大人にならないと。やはり、震災のせいか、気持ちがいらついているのかもしれない。
 インターネットで、津波で流されて都会の子供たちのところに避難している家族の様子を知る。父上が、心の置き所がない様子。男は弱いのかななんて、自分を合理化する。女川の中学生を全国で受け入れてくれるが、子どもたちは、見慣れた瓦礫の山から、普通の街や生活を見ると、悲しみが深くなるという。物的な状況と心理的な状況は、微妙な関係。
 女川のミニコミ誌「うみねこタイムズ」第9号が発行されたが、女川町で共同の厨房が創設され、女川で採れた魚等を食材にして、女川の人の手で、避難所の食事を出し始めたそうだ。女川町民の健康を考えてのことだが、雇用創出、女川も着々と自立始めている。一緒に頑張ろう。
 インターネットでプロ野球をチェック。楽天が2対1で日本ハムを破り、ロッテが1対0でソフトバンクに負けて、楽天は3位浮上かな。このまま続いてくれるといいのだが。そう簡単な事ではないだろうが。楽しみではある。(8/25)<6652>


◇ 昨日・今日と研究室で、悶々としています。9月10日に研究会で報告、10月中旬に提出する雑誌原稿。テーマは確定していませんが、「東日本大震災と労働問題」「労働法の課題」です。大震災を捉える視点が、ぐらつくのです。
 大震災といっても、岩手・宮城と福島では様相が異なります。地震・津波であれば、労働災害、就業の場の確保、失業給付や休業の扱い、その実態と法理的課題になるのでしょうか。
 ところが原発被害は同じ問題とともに、収束のために原発の現場で働く従事者の安全衛生問題、雇用関係の問題があるし、放射線から避難する住民=労働者の問題、ここでも就業の場の問題、生活基盤の崩壊の問題。計画避難区域の飯舘村内での、一定条件の下での就労(現実に500人ほどが通いで働いています)の問題。どうも複雑です。関心が拡散しています。

 高齢の恩師から、「原発近くの労働基準監督署を訪ねてヒアリング調査をしたいところだが、高齢で行けない」と言われたときには、私は一番可能性があるのにサボっているなと反省。女川、津波等、行けない口実はあるのだが。被災地に居る人間に対する期待・役割を果たしていないなと反省。少し、問題を集中化して取り組んでみたい。

 女川に元気を送る会の協力者名簿に福島市在住の方がおられるので、事務局に問い合わせて電話をしました。5年先輩の加藤さんですが、働きに出ていましたが、自宅は、それほど遠くはないようです。夕方、電話を頂きました。
 行方不明の姉の同期生。姉をよく知っていました。津波の被害も、友人から聞いていたようです。しばらく懐かしい話と女川の話。長い間、外国航路に通信関係で乗り込んでいたようです。津波が結んだ人間関係です。山に登りますかと聞かれたので、きっと元気一杯の人でしょう。そのうちに、落ち着いたら、お逢いして、いろいろお話を伺いたいと思います。
 今日は、東邦銀行の育英会の奨学金給付のための理事会に出てきましたが、ここにも震災の影響がありました。震災の被害から立ち直るには、時間がかかりそうです。(8/24)<6633>


◇ 肌寒い一日でした。半袖では寒そうなので、長袖のシャツで研究室へ。今期から始まった成績提出のWeb化。心配なので、担当事務職員に聞いて、確認。
 午後は、妻が仕事で外出、アッシー君と見守り役のための帰宅。
 Facebookで、卒業生と連絡を取っているうちに、阪神大震災のときの立法に関与していたので、被災者生活支援法等の報告をしてくれることになった。だいぶ疲労しているようなので、温泉に入りに来ないかということが主目的ですが、福島で研究会を行えば一石二鳥。ロンドンから帰ってくる卒業生もいますので、有意義な研究会になるでしょう。(同窓会関連の会合に便乗しただけですが)。
 公務部門、民間部門で活躍している卒業生。この震災では、それぞれの立場で救援・支援活動に奮闘しています。津波の犠牲になった卒業生(市役所職員)も出てしまい残念ですが、卒業した学部・学類の教員の研究活動と、卒業生の活動のリンクが出来るのではと期待しています。(8/22)<6591>


◇ 雨がちで涼しい日曜日です。研究室で、前期の成績の処理。紙媒体を止めて、WEBで処理する。こういう経験は、私にとっては今年度だけだが、まあいい経験だ。慣れていないので便利さと不安さを伴う。ケアレスミスがない限り、事務合理化になる。
 前期の成績処理が終われば、講義は10月からの後期の準備となる。後期は、火曜日午後2コマ(1時から4時10分)の専門演習。みんな4年次生。就職試験が上手くいけば、あとは卒業研究。しかし、個別的な卒研に埋没しないで、最新判例の検討は、共同で行いたい。講義は夜の1コマの講義(労働と法)。金曜日の7コマ目(19:30-21:10)。前期は、月曜日1〜2コマ目で、その準備のために日曜日は暗い日曜日だったが、後期は週末の最終コマ。土日のイベントのために金曜日の夜に出かけることは難しくなるが、土日から月曜日はホッとするはず。これが最後の年・セメスター。来年3月、特任教授2年の期間が終了する。
 今度こそ、研究室を明け渡し、拠点を自宅に動かすことになる。物理的に平行移動する程の自宅のスペースはないため、研究室の図書だけでなく、自宅の図書も計画的に処分することになる。その作業を具体的に進めなければならない。一番困難なのは、自宅で研究できるスタイルをどう確立するかだ。
 一番、心残りなのは、研究。震災前は、過去の研究のまとまりをつけたいと思っていたが、実質途絶。震災にかかる研究を、研究会・原稿執筆・学会報告と予定している。逃げる訳にもいかないので、そこに研究のテーマを見つけたいが、それとともに、故郷の復興のためにその役割を果たすことなのか。予定通りは行かないのが常だが、抽象的に考えずに、一つ一つ解決していくことか。先輩同僚の奥様の急逝、元学長の奥様の訃報、そして昨日初めて知った1年先輩の奥さまと子どもさんの逝去。津波の受難とともに、立て続けの訃報に、心が重くなり無常を感ずるが、今は、目前の課題を淡々と解決することに喜びを見出すべきなのだろう。(8/21)<6575>


◇ 高校野球、優勝旗はまたもや白河の関を越えることは出来ませんでした。終わってみれば11対0。光星学院も奮闘しましたが、力及ばず。残念です。健闘を称えましょう。
 11時前、村上みどりさんの出棺に立会い、12時からの火葬に参列しました。地方公務員と教員として活躍している二人の子どもさん、そして多くのお孫さん、優しい母親、祖母との別れ、心が痛みます。
 女川町から現状報告と絵葉書2枚が送られてきました。スペースシャトル搭載のDVDに収められた鈴木里衣菜さんの『女川の大切な海』と神田瑞季さんの『生きる』。とても素敵な絵葉書です。NPO法人みちのく復興の会の発行。はがきの収益金の一部は、被災した全国と女川の子供たちに寄付されます。少し大量に買い入れて、残暑見舞いの挨拶でも書きましょうか。宇宙に飛んだ女川の子供の絵と紹介されたものです。
 女川の図書館づくりの夢、女川での動きが見えないと嘆いていましたが、詳細な準備状況のメールを頂きました。簡単ではありませんが、着々と進んでいると感じます。やはり一過性ではなく、時間をかけて寄り添って、協力したいと思います。外部の人間が、忘れた頃に実現するのが世の常です。諦めず、着実に進みたい。(8/20)<6559>


◇ 朝から高校野球を見る。8時開始なので、見てしまうと離れられない。青森代表の光星学院が準決勝。見始まった時には、栃木代表の作新学院を2対0でリードしているではないか。しかし、雨がザーザー。長い中断の後、再開。結果的には5対0で勝利。明日の決勝に進む。あるいは、念願の白河の関を優勝旗は越えるか?明日、日大三高と争う。
 昼過ぎ大学に到着。午後から開催される大学の災害復興研究所の研究会。元厚労省の課長さん(現日本社会事業大学専務理事)の宇野さんと大分大学の山崎さんの報告。災害救助法の適用を巡る諸問題を聴いて、法律家としての役割を知る。何年かおきに災害が発生する日本、慌てないで行政執行が出来るよう、災害対策基本法を頂点に、体系的な法整備をしておく必要があるし、こうした法的研究が進められる必要があろう。災害法制の勉強になった。
 夜は、映画『人間の条件』の第5部。一度見始めると止められない。明日は、最後の第6部。ここまで来ると見続けなければなるまい。高校野球の決勝戦。いい結果であればいいが。(8/19)<6546>


◇ 研究室にいると、隣の研究室のT先生が見えられ、教育学部時代の同僚で名誉教授だった故村上健先生の奥様ガ、昨夜、病院で亡くなられたとの話。以前震災後の一人住まいが大変と思い、訪ねてお逢いした時は、元気だったので、ビックリしてしまいました。2年前に健先生を亡くされ、1年前に偲ぶ会で集まった時に、健先生が残した9編の絵本。一つ一つ、製本化するとの夢を抱いていました。そして、既に、2冊が完成し刊行されていました。有難くも、頂いて本棚に飾っています。原作・健先生ですが、奥様が本として仕上げました。夫婦の合作でしょう。奥様が働いて、健先生の研究を助けて、家に居る健先生が、子どものために自ら書いた絵本です。
 重い病気など、別れを覚悟している別れと異なり、何か信じがたい。我々は、大学院時代の20代前半からの長いお世話を頂きました。10年の秋田で空白をおいて、福島で再会し、また30年間。直流のような健先生を支えて、温かく、時には厳しく導いてきた奥様の笑顔を、また失ってしまいました。満州生活を経た奥様の水餃子の正月料理を、小さな子どもたちと頂いた夕べを思い出しています。
 健先生同様、告別式は行わず、家族で静かに見送られるそうです。長い間、ありがとうございました。
 昨日の夕方は、福島フォーラムで、久し振りの映画鑑賞。「コクリコ坂から」。宮崎吾朗監督、宮崎駿企画脚本の作品。テレビでも親子の競演で話題になりました。何か、学生時代を思い出させるような、清々しいジブリの作品。偉大な親と同業を進む大変さを感じます。頑張れといいたい。
 仙台のテレビ会社から、女川の図書館構想について聴きたいという取材申込みがありましたが、未だ夢の段階と答え、時期を待ってもらいました。それにしても、何か具体的にしないとと思い、女川在住の方に相談のメールを出していますが、なかなか難しいのでしょうか。今のところ、反応はありません。部外者の、無責任な提案にならないようにしたいものです。やはり、そこに住んでいる人々の気持ちを理解し、協働の作業にしなければならないでしょう。そのためには、「焦らない」ことが大事でしょう。(8/18)<6524>


◇ 大学は、今日まで夏期休暇(計画年休)。昨日は、大学・研究室に行きましたが、守衛さんに届出て、鍵を借りて研究棟に入ります。日曜日のようにカードでは入れません。昨日も午後から帰ってきて、高校野球の東北代表を応援。残念ながら能代商業は、延長線で惜敗しましたが、善戦しました。今朝は、また青森県代表の光星学院(八戸)が第一試合(ベスト8)、真面目に(?)テレビ観戦。唯一の東北代表となりました。東北代表は、初戦敗退が多かったが、最近は、いいところまでいっています。東洋大姫路ですので、なかなか大変なようですが、1対1で頑張っています。
 インターネットで、京都造形芸術大学が、「女川町総合運動場仮設住宅およびコミュニティ施設の建設に関わるボランティア募集」という学生向けの学長緊急メッセージを見つけました。同大学教授として就任予定の坂茂さんが、女川の仮設住宅を設計することが縁のようです。仮設住宅もユニークで、壁面収納で十分な収納スペース確保するとのこと。付帯するコミュニティ施設として、集会所、マーケット、図書室、アトリエとして利用される生涯学習センターを建設する予定とのこと(音楽家・坂本龍一氏寄贈/日本画家・千住博氏による寄贈)。8月末から1月ほど、工事とともにボランティア学生が女川に行くことになるでしょう。非常に有難い話なので、千住学長宛てに御礼と必要な協力申し出のメールを大学事務に差し上げたところ、早速、事務の方から、「まずは、この度の震災および原発事故による被害につきまして、心よりお見舞いを申し上げます。また、この度は私どもの学長の千住宛にご丁寧なメールをいただきまして、どうもありがとうございました。いただきましたメールは千住本人にも届けさせていただきまして、「是非行動をともにしましょう」と伝えて欲しい旨連絡がございました。本学も少しでもお役に立つことができればと思っておりますので、どうか今後ともよろしくお願いいたします。」と。
 私にとっては、全く未知の大学ですが(酒田の東北芸術工芸大学と連携が強い大学のようですが)、本当に有難い話です。防災・生業もありますが、教育・文化・スポーツなど、私の最も関心の深い分野ですが、図書館・絵本館も含め、懐の深い街づくりができればと期待しています。
 朝、病院に勤める長女から、女川の仮設でお母さんたちがバック製作して、病院のバザーで売りたいので、材料の布切れがないかと電話。次女は、三沢市から病人を大学病院へ救急搬送するため、一緒にくる医師が居ないため急遽、列車で三沢の病院に向かっているとのメールあり。お盆だが、のんびりしているのは、我々老親だけ。あっ、光星学院は、2対1で東洋大姫路を破りました。大昔、三沢高校の決勝戦を思い出しました。
 今日は、自宅で、学生に提出させた社会保障法のレポートを読むことにしましょう。2回出させたので、200件位あるでしょうか。暑いですが頑張りましょう。(8/17)<6493>


◇ 高湯温泉の高原荘から帰ってきました。この宿は、教育学部時代の同僚(大先輩)の親戚の宿ということで、長い間お世話になってきました。代は変わったようですが、元気な女将さんやご主人にお逢いできました。震災後、初めてなので、またそれ以前からご無沙汰していました、元気な様子で何よりです。高湯特有の硫黄泉の温泉、久し振りにゆったりしました。原発事故のせいか、お客さんが激減し、大変な状況が分ります。原発事故の影響の広範囲さを確認せざるを得ません。
 昨日14日は、南相馬市の鹿島支所まで直行。そこで井上先生や木下先生等、金沢・関西の先生方を待ち合わせ。南相馬の被災状況の把握です。鹿島地区の被災地を見て、道の駅で、市議からの生活保護、仮設住宅などの状況のヒアリング。そして6号線を南下、20`圏内の通行止めのところまで、6号線沿いの被災状況を見てきました。
 福島への移動の途中、飯舘村役場に寄り、日直の知り合いの職員から状況のヒアリング、隣の特別擁護老人ホームも見せてもらいました。建物もそっくりそのまま、それが故に異常です。盗難防止などの為に、見守り隊の皆さんが多く集まり、車も多く、その場面では活気がありました。村内の工場も操業継続して500人ほどが働いているという。どのくらい時間がかかるかわかりませんが、必ず復興できると感じます。その胎動がはじまっているような気がします。
 陸前高田から福島駅に降りた愛媛大学教員(ゼミ卒業生)も乗せて、7人で信夫山の蕎麦屋(角屋)で、夕食。ここもお客さんは激減。味はいうまでもありませんが、広々とした空間に心が重い。腹ごしらえをして、高湯温泉へと相成りました。夜は、温泉の後、遅くまで楽しい語らいでした。研究者として、被災地の復旧と復興をどうするか、話し合いました。(8/15)<6469>


◇ お盆で、近くの広場で盆踊り及び花火大会ということで、孫一家が来ています。
 さすがに、近くでみる花火にはびっくりしたようです。大音響が耳に支障がないか、気がかりです。近所子供たちは、放射線の見えない心配を打ち消すように、この宵を楽しんでいるようでした。田圃の中の花火ですが、明日は、女川でも花火が打ち上げられるとのこと。津波の被災地では、多くの犠牲者とともに、花火をみるのでしょうか。
 大学は夏休みで閉鎖していますが、忘れ物を取りに研究室へ。東京で働いているゼミ卒業生が、仙台への帰省の途中、福島に立ち寄りました。駅前の喫茶室でお茶を飲みながら、ご両親と愛犬が福島まで迎えに来るというので、一緒に昼食を取ることになりました。震災以来、ご無沙汰している山菜料理の店「魚菜草」。震災のショックで、なかなか足が向きませんでしたが、日常化へのいいきっかけになりました。お店も震災の影響を受けているようですが、いつものように、皆さん、元気で何よりでした。お店の雰囲気、食べ物に満足していただけたようで、嬉しいです。お父さんは、仙台一高の10年先輩、共通の知人の話で盛り上がりました。
 今日は、関西の社会保障法研究者と南相馬で合流します。岩手から福島まで、被災地の視察です。福島県内部分だけ、同行することにしました。戻って、高湯温泉で研究の打合せを行うことにしています。
 今日も、暑い。孫たちとの交流で、少々睡眠不足ですが、安全運転で出発することにしましょう。(8/14)<6455>


◇ お盆に入ったのか、例年のごとく、帰省する車の渋滞のニュースです。今日は日航ジャンボ事故から26年目の日。追悼の行事が放映されています。今年は震災の犠牲者の追悼とダブり、特に悲しみを大きくしています。
 午前中は、近くの病院への定期的な診察の為に送迎。午後はショートスティへの送迎。お盆ですが、入所者が多い。お盆に入所者が激減する病院の入院者とは異なります。
 鶴岡東と聖光学院の試合がありました。いずれも、惜敗。東北勢は頑張りました。また、次に力を蓄えましょう。(8/12)<6438>


◇ 女川町の復興計画策定委員会の最終回のため、あさ、8時に出発をし、午後9時に帰宅しました。委員会は、午後1時半からですが、その前に女川高校に立ち寄って話を伺い、また生涯学習課の元木先生を訪ねることにしていたの、急ぎました。
 東北道・三陸道は、想定外の渋滞で焦りました。新潟から委員会に参加する福留先生を、石巻のイオンで乗せて、女川へ。アポイントの15分ほど遅れてしまいましたが、いいお話を聞きました。
 女川高校の小泉校長先生と葛西教頭先生からお話を聞きました。2年後に廃校が決まり、女川での普通高校の歴史は幕を閉じますが、少子化が最大の要因。地域社会における高校の役割を感じているので、残念ですが、後継で設置される特別支援学校(高等部・全寮制)を、いかに地域社会で支え、地域づくりの一翼としていくかが課題でしょうか。大学の特別支援教育の研究機関の誘致が必要と、考えています。県教委と大学、そして町の支えが必要でしょう。今後とも、協力が出来たらということで、また連絡を取ることにしましょう。
 急いで昼食。生涯学習課の元木先生を訪ねました。長年、女川の教育現場で活躍されていますので、話題は広がります。絵本館、生涯学習、図書館づくりなど、尽きません。一歩一歩、基盤作りをしていく必要があるでしょう。委員会終了後、「ちゃっこい絵本館」を訪問しました。思った以上に、温かい明るい感じで、好印象です。夏休みでこどもは居ませんでしたが、小学校のスペースを利用しているので、特に通学バスの待ち時間などに利用する生徒が多いようです。絵本館の第2番目の開設も近いようで、蔵書増加と、利用増加が期待できます。絵本館の受付の方が、津波で犠牲になった姪とその長女をよく知っており、いろいろ思い出話をしてくれました。
 委員会は、最終回・最終答申の日ということで、取材者が多く、びっくりしました。いろいろ経緯はありますが、最終の「復興計画」では、防災、産業、住環境に加えて、第4の柱で「保健・医療・福祉」、第5の柱で「人材育成」を掲げました。公聴会などで批判の多かった「集約化」については、ここでは掲げず、「町と各集落は、今後とも話し合いの場を設け、将来の集落について考えることを重ねることにより、新たな漁村像、地区協働のまちづくりに取り組みます。」としました。今後、合意と財源などの状況を踏まえ検討することになります。これを基盤に、さらに実施に向けて進んで欲しいと思います。
 女川の委員会は、継続の扱いになりますが、ひとまず終了。友人・鈴木さん(会長)とともに女川を7往復ほどしましたが、本当に有難かったです。脱原発の福島ビジョン提案の多忙の中で、大任を果たしていただきました。脱原発を掲げる彼だからこそ、原発を抱える女川の計画策定に大きな役割を果たせたと思っています。まずは、感謝。(8/10)<6403>


◇ 研究室からの帰り、福島労働局に立ち寄る。大学に来る予定だったが、免許更新の講義のため大学は車で一杯なので、来ても駐車ができないと、帰りに私が寄ることにした。議事録署名のついでに、震災関連の労働問題について、最近の統計等をいただく。今のまま行くと、雇用保険切れが10月末で約3100人、1月末で約2400人、2月末で約4700人。失業給付が切れる時が大変な時期だが、何とか「仕事を通じて所得を得られる環境」の実現が課題。
 水産業の研究で活躍している浜田先生に、いろいろ教えて欲しいとのメールを差し上げたら、すぐに返信をいただき、また、未刊行の原稿まで送っていただいた。若い先生だが、鋭い分析で、漁業・漁村の抱える課題の社会科学的分析。いろいろと女川の復旧復興のためにも教えていただこう。
 学生時代の友人、詩人として活躍している斎藤紘二さんから、第三作目の詩集を送っていただいた。『海の記憶』(思潮社2011.7.31)。沖縄を素材に、戦争批判・平和の詩集である。瑞々しい情感が、行間に滲み出ている。
 明日は、女川へ。委員会も最終回。最終答申を出す予定。福島は37度の猛暑の予想。復旧復興も、次の段階に進む。(8/9)<6385>


◇ オープンキャンパスが終わって、駐車場も開くかと思いきや、最大限の渋滞(?)。止める所がありません。全県の先生方が免許更新の講習会で来ています。殆んどが車でですので、溢れています。探しても探してもなく、やむなく研究棟の玄関前に「違法」駐車。2度ほど、行っては出て行く車はないかと探してもありません。2時頃になって、かすかに開いたスペースに駐車。ああ、エネロス。
 女川一小の校長先生の話、その主人公は行方不明の姪の二女。東京新聞に取り上げられたらしい。
 講義のレポート、質問票などの個人別チェックなど、後始末。機械的ですが、試験、レポート、質問票などを総合すると、個人カルテ(?)が出来ますが、どうしても終了してからになってしまいます。結構真面目に、立ち向かっている感じです。
 車での帰路は、稲妻の光の中で、首を縮めて帰ってきました。雨ではないが、福島盆地のあちこちに、雷の光の足が伸びてきます。辛うじて、家に辿り着きました。(8/8)<6366>


◇ 今日、日曜日は、大学のオープンキャンパス。大勢の高校生が来ていることでしょう。駐車場もないし、役目もないので、自宅で過ごしました。定期試験の採点、なんとか終わりました。これからレポート、質問票の読みが残っています。しかし、一山越しました。
 高校野球、岩手県代表の花巻東高校⇔帝京高校の試合をテレビ観戦。強豪に粘りに粘り、残念ながら8対7で敗れましたが、大健闘です。勝たせてやりたかったが、やむを得ません。
 今朝の朝日新聞、そして姪(長女)からのメールで、行方不明だった姪(三女)の娘(中学生の莉菜ちゃん)の遺体が確認されました。既に遺骨になっていますが、DNA鑑定で確認され、父と妹の所に引き取られ、お寺に納められるとのこと。現実になると悲しみも新たですが、供養をすることもできるでしょう。莉菜ちゃんの母、祖母は、まだ見つかっていませんが、先週日曜日、葬儀を終えました。
 孫一家(長女)は、今日も女川に入りました。0歳ー2歳ー4歳のちびっ子を連れて、よくまあと呆れています。遠方の二女も、女川に元気を送る会、女川復興ファンクラブと、やってくれています。父親の郷里だからと、行動してくれていますが、率直にうれしい。犠牲になった親戚も喜んでくれているでしょう。テレビは仙台七夕をメイン会場に、東北の祭り、鎮魂の祭りをやっていました。
 昔、子供時代、私の父親が、長い竹に提灯をつけ、亡くなった先祖が間違わないで家に帰ってこれるようにと建てていたことを思い出しましたが、実家も今は全く更地になってしまいました。石巻の灯篭流しを見て、女川湾に船型の灯篭を流してくれたことを思い出しました。東北の祭りは、みなお盆近くで、生者と死者の出会いの場なのでしょうか。そんな季節になりました。(8/7)<6346>


◇ 広島被爆66周年の日。テレビは平和記念式典を中継しています。菅首相も出席・演説していますが、広島の原爆と、福島の原発爆発事故が取り上げられています。核に対する脅威をアピールしていました。
 大学研究室から駅前・「コラッセふくしま」へ。「福島・阪神 専門家・研究者 交流懇談会」。関西と東京から多数の専門家・研究者が来てくれました。被災三県で、連続して同様の企画をしています。「阪神・淡路まちづくり支援機構」、「兵庫県震災復興研究センター」、「災害復興まちづくり支援機構」(東京)から20名以上が見えていました。特に、阪神大震災からの復興計画実施の経験は貴重なものでした。開会ギリギリにいったもので、空いているところに座ったらなんと司会者・報告者の席。他の席はないので、邪魔にならないようにしていたのですが、最後に、前学長だからということ挨拶をさせられました。単に情報収集目的で行ったものですから、困りました。
 郷里女川の被災、葬式を3分の1終了している段階、女川の復興計画のなかでの原発の位置づけの福島との相違、被災三県の状況や課題の違いを全部見ていただくことは有難いこと。広範な地域に研究者などの少なさ、また相互に連携が希薄なことなどを話し、今後ともご支援をお願いするという趣旨の話をしただけでした。県内の弁護士や不動産鑑定士なども見えられていたので、何とか新たな動きが進めばいいなと思います。
 夕方、高校野球・福島県代表の聖光学院が、延長の末、5対4で1回戦突破。これを確認して、いつもディサービス・ショートスティでお世話になっている施設の盆踊りへ。小雨のため屋外でのお祭りはやめ、屋内大ホールでの盆踊り。高齢者の熱気でむんむんとしていました。幸せな老後の生活であることを祈っています。(8/6)<6327>


◇ 暑さが戻ってきました。32度の予測でした。昼過ぎ、駐車場から車を出そうと外気温をみたら、なんと40度。暑いです。
 福島大学の震災復興研究所の呼びかけの本宮・いわきの仮設住宅の見学に出かけました。佐々木次長さんに案内を頼んでおりました。乗用車3台に乗り込んで。まずは、福島市郊外の松川工業団地に建築した仮設住宅。飯舘村の方々が入居しています。中央の大手の建てた企画住宅が基本で、数は少ないが木造の住宅もありました。やはり、日常生活を送るには、買い物など、車を動かせない高齢者などは、心配になります。
 次の本宮市の恵向(えむかい)公園に建設中の仮設住宅。130戸ほどですが、福島県が取り入れた公募型で参入した地元業者が施工。南会津に本拠を置く、「ログハウス」の会社。県内の木材を90%以上使うことが条件。木のぬくもりを感じます。集会所、グループホーム等も木のぬくもり。まだ入居していないので、中を見せていただきました。買い物などの心配は同じですが、仮設住民に対する支援が、今後の重要課題になってきています。午後の会議のために、いわき行は断念。大学に戻りました。
 研究室にも寄らないで、まっすぐ「コープふくしま」の本部へ。定例の理事会です。遅れている総代会を来月に控えて、その準備(議案書など)。勉強不足なので、ついつい質問してしまいますが、後で考えると皆さんが当然のことと考えていることなので、恥ずかしい思い。仮設住宅住民への支援を強化すべきではないか、みやぎ生協との関係強化と県内他生協との連携の関係などですが、今までの長い歴史の中で疑問の余地のないことらしいので、時間をとってすまない感じ。新しい理事への事前教育の話になって、申し訳ない。聞いていたが、忘れてしまったのかもしれない。年ですから許してください。経営上の観点を重視しつつも、生協だからできる活動が強くなることを望んでいます。そうでなければ、やる意味を見出せない。
 早めの帰宅となったので、久し振りに近くの本屋にドライブ。本が一杯、目の前にあるのは、なにか新鮮。震災前は、運動のために徒歩で来ていたのですが、放射線のせいか、歩かない口実を見つけてしまいました。そろそろ、ウォーキングを再開しようかなと考えています。それとラジオ講座の復活(テキストだけがむなしく積み重なっています。)。
 南は台風が大荒れ。被害が拡大しないことを祈っています。(8/5)<6313>


◇ 構内の放射線の強いものを収集して、駐車場の下に閉じ込める作業をしているため、駐車場が工事中で、いつになく駐車場が満杯。
 毎日、山の上の駐車場に置いています。昼間でも、車は多いが人通りがない。最近、近くでも子熊が発見されているので、何か気になる。真昼間だが、繁みからにゅっと熊が顔を見せたら大変。大きな声で鼻歌(?)を歌っていくという、笑い話のような行動。
 女川の復興計画案についての、感想・意見を送信し、来月の研究会や原稿のための準備をしていたが、なかなかピッチが上がらない。騒然(?)とした中だが、やるべきことを着々とするしかないと考えている。
 来秋の学会のシンポジウムでの報告を予定されているが、その担当の理事さんたちが、被災地視察の帰り、福島で打合せをしたいという。心は千々に乱れて、冷静な理論活動をする心のゆとりはないが、こうした周囲の善意の力を借りて、研究者としての責めを果たしたいと思っている。
 退職後の特例の再雇用・特任教授の任期も、あと半年。もう少し、研究のまとめをやりたいと思っていたが、困難になってしまった。「まとめ」はできそうないが、まとまらなくても、可能な限りは走り続けるしかないと思っている。車で聴いているさだまさしの「人生の秘密」、「人生の贈り物」と思うことにしましょう。「♪並んで座って沈む夕日を一緒に眺めてくれる 友が居れば 他に望むものはない♪」
 鶴岡に住む学生時代の妻の友人Gさん(私もよく知っていますが)から、自家製の珍しい野菜などの宅急便が届きました。大きなイチジク、駄々茶豆など、新鮮な野菜。甘く、美味しいイチジクを頬張りました。妻のお礼の電話を横で聞きながら(東北楽天の試合をボリュームを下げて、見ていたのですが)、昔のこと、昔の友人のこと、放射能のこと、広がる話題に、昔を思い出していました。懐かしいですね。新鮮な野菜に不足していると心配してくれたのでしょう。ありがたい。(8/4)<6293>


◇ 大学の研究室に参上。雑用処理。
 娘の情報で、女川に絵本を送ってくれる方々がおり、ダンボール12箱がスタンバイ。なかなか受領の見通しが立たないので、紹介のあった女川の生涯学習課の元木先生に電話。絵本だけでなく、可能であれば、女川の総合図書館の可能性を聴こうと思いました。
 我が母校、女川一小でも長い間教鞭を取られており、女川の教育への情熱もビンビンと伝わってきました。行方不明の姪の読書活動も覚えていただいていました。来週、女川に行くときに、短時間ですがお逢いすることにしましたが、楽しみです。
 娘に伝えたら、早速電話したらしく、娘の勤務する病院に親戚が入院していること、奥様の実家も近所らしく、その偶然に驚きとともに、うれしく電話で伝えてきました。なにか、不思議な縁です。
 女川の委員会活動も、最終盤。親戚の葬式も9月には終わります。今後は、女川の復興計画の遂行を遠くから注視することになりますが、頻度は少なくなっても、継続的に女川に関わっていきたいと思います。
 地元・福島での活動を進めていないので、県町村議長会の吾妻さんに電話連絡。議員研修で一緒に活動していましたが、必要があれば、特に役場が避難している町村自治体等への支援方法を考えることにしました。また、明後日には、大学の研究所の皆さんと本宮の仮設住宅の視察に入ることにしました。
 学生は定期試験中ですが、精神的・経済的負担も重なるのにみかねて、呟きました。「放射線を気にしながら勉学を続ける大学生の精神的・経済的負担も、大変だ。せめて、被災地の大学に学ぶ学生の授業料負担を軽減できないだろうか。国立大の場合、標準額53万円余の授業料を、半額にする等。授業料収入を前提にしている弱小大学には、交付金の増額(10億円?)で可能。私学補助増も。」。早速、賛成の反応もありましたが、遠く(鹿児島県)に在住している方から、「金銭より若い命を被曝させるな 被爆地大学はまっ先に学生を避難先に移せ 識者揃いの経営陣が模範行動を示せ 若い人達 今から子作りをする人は即刻避難するべきだ」とのツイート。うーん、厳しい。何もしないのなら、「せめて」と呟いたつもりだったが、厳しいね。福島に住む、住まざるを得ない多くの学生に、「せめて」の気持ちだったのですが、短文で真意を伝えるのは難しい。(8/3)<6276>


◇ 午後、ショートスティ帰りの迎えに行く予定なので、午前中だけ大学研究室へ。
 女川町の復興計画策定も最終盤。10日の最終回の会議で、最終答申と相成ります。その前に、素案に対する意見も求められているので、再度、素案を読みながら、ささやかですが感想に近い意見を書いていました。
 雇用の創出で、水産業など地場産業の復旧や復興のための仕事への地元雇用の拡大は含んでいますが、なかなかそれ以上にはなりません。自然エネルギーの課題も出しているので、新たな産業興しが必要と考えています。その際、地場産業と資源を踏まえながら、住民議論を経て、企業の誘致も避けるべきではないのではないかと考えています。進出企業の労働関係や地場産業破壊の悪事例を批判してきた身としては、はみ出しそうですが、民間資本をタブーにしては復興は困難ではないかと考えているからです。隣の市に吸収されないで、自律して進んでいくには、自前の資本力ではなかなか難しいという残念な判断です。
 いろいろお願いして、新しく建てる「教育・文化・スポーツ」の柱。学校教育というと、女川では小学校と中学校に止まっていますが、殆んどの町民が高校進学するので、これとの関連。既存の高校を廃校にするという段階で、ここにも困難がありますが、町民の高校進学及び大学進学への支援をどうするか、考えなければなりません。
 また既存高校の後継として考えられている特別支援学校(高等部)を、地域社会の活性化の一助にすべきではないか(高齢者と障害者に優しい街づくりなど)。そんなこともあり、知り合いの大学長にさんに電話して、そのための研究機関の進出が考えられないかとの懇談。奇想天外でもなく、工夫次第のような感想も持ちました。そして、幼児から生徒、成人、高齢者の利用も可能で、女川の貴重な資料も備える、離半島まで手の届く(移動図書館)ような「おながわ総合図書館」(仮称)も意見として出したいところ。既に、夢のホームページを作っていますが・・。具体化は容易でないでしょうが、全国の支援を期待して、歩みだす必要があるのではないでしょうか。
 津波から安全だというだけでは、人は住まない。誇りある生業の可能性があり、また教育・文化・スポーツ等が活発であり、住むことへの「誇り」が欲しい。
 親戚の葬式も終わりつつあり、委員会も終わりつつあるので、現場にいて一緒に行動は難しくなりますが、肝腎の女川に住む人々の意向と生活を大事にしながら、外から支援し続けて生きたいものである。(町外の支援者の「特別町民制度」の創設を、他方でお願いしているが。)
 夜は、東北楽天対埼玉西武の野球中継をBS11で観戦。八戸大から入った塩見投手の力投で、4対1で楽天が快勝。楽天の投手陣、田中だけでなく、岩隈の復帰、永井、そして塩見と希望が持てそう。何とか3位に入って、優勝を争えればいいのですが。(8/2)<6254>


◇ 8月になりました。淡々と、月日が過ぎていきます。今年の年賀状は、「喪中につき」かなとポツリ。これを機に、この風習をやめようか、少なくとも印刷することはやめようか。そんな社会的地位でもないしと、すねてみる。

 先週、講義が終了した「社会保障法」。今日は定期試験です。変則的授業でしたの、講義ー定期試験で成績をつけますが、レポート2回、毎回の質問票などの提出を追加資料にすることにしました。
 質問票のタイプリングは機械的仕事で空しいこともありましたが、翌週の講義にプリントして渡すことにしました。890件になりました。思い切って、私の感想・質問への解答も書くことにしました。結構、他の学生の意見も知り、また、こちらの言葉足らずの点を補えたと思います。アンケート調査でも、褒めてくれる学生が多かったと自己満足。
 受講希望者が130人ほど、2教室で120人以上の出席。まじめな学生が多くなったようです。お陰で試験の点数付け、レポートを読む仕事が多くなりました。

 女川町の復興計画策定委員会の仕事も、8月10日で最終回。最終答申の予定です。最後になって、医療・保健・福祉関係と教育・文化・スポーツの柱を建てることができそうで、心の復興を考える立場からは、嬉しい。
 あまり話題になってこなかった女川の高校。私の中学時代は、石巻高校女川分校(定時制)で、女川には昼間の普通高校はありませんでした。その後、女川高校が新設されて時には、何か女川発展の希望を見えた気がしました。地域社会にとって、地域に愛される高校が存在していることは、地域社会活性化の重要な柱と思ってきたからです。しかし、過疎化・少子化の波の中で、女川高校は定員割れが続いてきました。地域社会が、なんとか女川高校を守り立てようとする運動に大きな、期待をかけてきました。
 女川高校は、閉校が予定され、今年の新入生は最後の入学生になってしまいました。施設は、県内の障碍をもつ生徒の教育の場に転換するということです。それ自体、大切なことですが、女川に普通高校が消滅することは、地域社会の活性化の上からも残念なことです。そんな思いも募って、女川高校の小泉校長先生にお話を聞くことにしました。女川の復興計画(案)のなかで、小中校生の語句は出てきますが、高校生(また大学生)のことばは出ません。教育と産業の担い手養成が、地域社会の中で自足的に出来ていないのです。敗者復活戦になるかもしれませんが、教育的機能の強化の為に、何が出来るか、聞いてみたいと思いました。楽しみにしています。

 午後、早めに帰宅し、家族の送迎。昨日の疲れか、睡魔がきつい。年のせいでもあるのでしょうが、睡眠十分にして元気を取り戻すことが第一ですね。涼しいくらいの気温でいいのですが、また、地震で中途覚醒にして欲しくない。地震よ、動くなら、寝る前にお願いします。(8/1)<6233>


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