Huanying xinshang Ding Fengzhang de zhuye
蒙古来



 
 
     『日本樂府』         
          蒙古來  
                       頼山陽

筑海颶氣連天黑,
蔽海而來者何賊。
蒙古來 來自北,
東西次第期呑食。
嚇得趙家老寡婦,
持此來擬男兒國。
相模太郞膽如甕,
防海將士人各力。
蒙古來 吾不怖,
吾怖關東令如山。
直前斫賊不許顧,
倒吾檣 登虜艦。
擒虜將 吾軍喊。
可恨東風一驅附大濤
不使羶血盡膏日本刀。



******

蒙古 來たる

                       
筑海の 颶氣  天に連なりて 黑く,
海を蔽ひて 來る者は 何
(いか)なる賊ぞ。
蒙古 來
(きた)る  北 自(よ)り 來たる,
東西 次第に  呑食を 期す。
嚇し得たり趙家の  老寡婦を,
此れを持し 來りて擬す  男兒の國に。
相模太郞  膽 甕の如く,
防海の將士  人 各ゝ 力
(つと)む。
蒙古 來
(きた)る  吾(われ)は 怖(おそ)れず,
吾は怖る  關東の 令 山の如きを。
(ただ)に 前(すす)み 賊を斫(き)り  顧(かへりみ)るを許さず,
吾が檣を倒し  虜艦に登り,
虜將を擒
(とら)へて  吾が軍 喊(さけ)ぶ。
恨む可
(べ)し  東風 一驅して大濤に附し
羶血をして  盡
(ことごと)く 日本刀に 膏せしめざるを。

*****************

◎ 私感註釈

※頼山陽:安永九年(1780年)~天保三年(1832年)。江戸時代後期の儒者、詩人、歴史家。詩集に『日本樂府』、『山陽詩鈔』などがある。この作品は、詠史詩集ともいうべき『日本樂府』にある。雄渾で歯切れ
備後 三次 頼山陽の伯父頼杏坪役宅 
        伊勢丘人先生撮影・提供
北九州圖
良く、日本人離れした驚嘆すべきものである。

※蒙古來:元寇のことをいう。文永の役(文永十一年:1274年:至元十一年)弘安の役(弘安四年:1281年:至元十八年)。「蒙古」は民族名。「元」は、中国での王朝名で、「大元」は漢風の正式国名。=「大元ウルス」。元寇については、中国側の正史『元史・本紀・世祖三』に元から日本への働きかけの国書「皇帝奉書日本國王:朕惟自古小國之君,境土相接,尚務講信修睦,況我祖宗受天明命,奄有區夏,遐方異域畏威懷德者,不可悉數。………以至用兵,夫孰所好,王其圖之。」と日本の朝野を沸騰させた有名な一文がある。また、『元史・本紀・世祖八』には、対日戦の具体的な準備が、『元史・世祖九』には対日戦略が、『元史・外夷・高麗/日本』には日本との戦闘が詳しく記録されている。これは、その事実に基づいた詠史の楽府詩である。このことをこの詩の作者頼山陽は自著『日本外史』巻之四に「仆檣架虜艦,登之擒虜將王冠者安達次郞、大友藏人踵進。虜終不能上岸,収據鷹島。時宗遣宇都宮貞綱,將兵援實政。未到閏月,大風雷,虜艦敗壞。少貳景資等因奮撃鏖虜兵。伏尸蔽海。海可歩而行。虜兵十萬,脱歸者纔三人。元不復窺我邊,時宗之力也。」と記述している。後世、梁川星巌は『松永子登宅觀阿束冑歌』で「筑紫之北海之,有石百丈可爲。我欲因之陵溟渤,周覧八覘九。杳杳天低卑於地,魚龍出沒浪崔嵬。落日倒銜高句驪,滞冤流鬼渺悠哉。我時魂悸不能進,屏氣且息覇家臺。覇家臺下三千戸,鐘鼓饌玉稱樂土。中有松生磊人,招我滿堂羅尊俎。酒酣笑出阿束冑,妖鐵不死兀顱古。塞垣光景忽在目,搖搖風鶏羽。嵯哉生乎何從得,如斯之器世未覩。憶昔大寇薄此津,旌旗慘憺金革震。是時天靈佐我威,叱咤雷車走輪。須臾萬艦飛塵滅,能生還者僅三人。此冑無乃其所遺,古血模糊痕未泯。方今承平日無事,擧國銷兵鋳農器。雖然邊謀豈可疎,瀕海諸鎭嚴武備。異時蠢兒重伺我,請君手掲此冑示。作歌大笑倚欄角,風聲駕潮如鐃吹。」のように作り、作者の父・頼春水は『擬送人從軍』で「滄海爲池山是城,艨艟報警曷須驚。請看昔日鯨魚腹,葬得胡人十萬兵。」と詠う。

※筑海颶氣連天黑:筑紫の海に、神風となった颱風は、空一面に真っ黒になって(、強い風と殺気が満ちている)。 ・筑海:筑紫の海。筑前の海。現在で謂う博多湾や広く玄界灘。 ・颶氣:〔ぐき;ju4qi4。○● 註:「颶」は
になり、現代語とは異なる〕つむじ風。颱風。熱帯地方に発生する暴風。ハリケーン。ここでは、文永の役、弘安の役ともに吹き来たった神風となった颱風を指す。 ・連天:天にまで連なる。遙か果てまで、ずっと広がっているさまをいう。趙『江樓書感』「獨上江樓思渺然,月光如水水連天。同來翫月人何處,風景依稀似去年。」 や、李清照の『點絳唇』に「連天衰草,望斷歸來路。」 がある。 ・黑:(空一面)真っ黒になっている。颱風による強い風と殺気をいう。

※蔽海而來者何賊:海を覆うばかりの勢いで、(大艦隊で)やって来たのは、どのようなやつらなのか。 ・蔽海:海を覆って。蒙古水軍の艦船が多く、勢威が強大であることを謂う。 ・而:…(っ)て。ここでは、順接の接続詞。 ・何賊:どのようなやつらなのか。 ・何:いかなる。 ・賊:詩詞では、君主や国家などに叛逆する者や、異民族の軍勢の表現に使うことが多い。

※蒙古來 來自北:モンゴルがやって来た、北の方よりやって来た。 ・來自北:北の方よりやって来た。 *元軍が上陸した博多湾や、駐留した玄界灘は、日本の陸上から見ると北に向かって広がっており、実際に海岸から望んだ情景に一致する。
    頼山陽 『日本樂府』 蒙古來

※東西次第期呑食:世界の東西の地域の国々を併呑していくことを狙って。 ・東西:世界各国。具体的には、併呑した欧亜大陸の東側にある金、南宋、高麗の国々や、西側のセルジュク・トルコ、キエフ侯国(西遼、西夏)等の国々を指す。 ・次第:だんだんと。 ・期:めあてをつける。期待する。待ちもうける。 ・呑食:(諸国を)併呑する。

※嚇得趙家老寡婦:(元は)南宋王朝を脅かして、(対日)戦争協力をさせて。 ・嚇得:脅して。脅した結果。・得:…て。動詞に附いて、動作の結果、方法を表す。 ・趙家:南宋の王朝。「趙」は、南宋の皇帝の姓。 ・老寡婦:年老いた後家。南宋の摂政皇太后の謝氏のことになるか。伝国の玉璽をもって投降し、結果として(対日)戦争協力をたことをいう。その事実を蹈まえての南宋の皇太后に対する表現となっている。時間軸を中心に見ると、高麗の降伏⇒文永の役⇒南宋の滅亡⇒弘安の役となり、軍陣の様相が変化した。文永の役では、高麗軍を元が率いる形であったのものが、南宋の滅亡後は、南宋軍も戦争協力をし、高麗軍(東路軍)と南宋軍(江南軍)が主体となった元軍が来寇し、弘安の役が始まったことを指している。『元史・本紀・世祖八』には、どこの誰がどう部署していったか。誰が、どういう形で戦争を遂行させようとしていたのか。そのことを長期に亘って編年体で月日をを追って、具体的な作戦、人員、物資の異動、協力体制の組織、発言などのデータがこと細かく記録されており、日本側では二度の戦役になったが、元側では、世界戦略の下に、長期に亘っての対日戦争を周到に準備しており、日本側で書かれた歴史の裏面を見るようで、(不謹慎、不適切な表現になるが)なかなか興味深い。が、……繰り返される人の世の業(ごう)の恐ろしさを見る思いもする。蛇足になるが、この戦争は元側の事情だけで終わった。「(元世祖至元)二十三年,帝曰:「日本未嘗相侵,今交趾犯邊,宜置日本,專事交趾。」(『元史・外夷・日本』)ということである。

※持此來擬男兒國:この(南宋の軍兵を)もって、男兒國である日本国に(武器を)構えにやってきた。 ・持此:この(南宋の軍兵を)もって。 ・來擬:(武器を)構えにやってきて。 ・擬:さしあてる。 ・男兒國:日本国をいう。文政己丑年に出版された『日本樂府』の註記には「本邦古名廬洲。廬:國語男兒也。」この「廬洲」とはヲノゴロ(島)=自凝=淤能碁呂(嶋)(袁能許呂)で、伊邪那岐命と伊邪那美命(『古事記』表記に拠る)(『日本書紀』の表記:伊奘諾尊、伊奘冉尊)によってコヲロ、コヲロと造られた我が国のこと。「男兒(をのこ)」≒「をのころ」(をのごろ)というわけである。個人的
『古事記』淤能碁呂嶋
な見解であるが、「男兒國」は、「雄々しくて勇武を尚ぶ我が日本」と解した方がずっとすばらしいと思うのだが。いささか、今日の日本の実態と懸け離れているのが難と謂えば難だが……。

※相模太郞膽如甕:鎌倉幕府の執権北条時宗の肝は、豪胆なことカメのようである。 ・相模太郞:鎌倉幕府の執権北条時宗のこと。 ・膽:肝。きも。豪胆なこと。太っ腹なこと。 ・如甕:カメのように極めて大胆で、太っ腹なこと。「甕」だけだと、酒(壷)をイメージする。

※防海將士人各力:海の護りをする武士たちは、おのおの奮闘努力する。 ・防海將士:海の護りをする武士たち。 ・人:人々。 ・各:おのおの。 ・力:つとめる。努力する。動詞。

※蒙古來 吾不怖:モンゴルが来ても、わたしは怖れない。 ・蒙古來:モンゴルが来て(も)。 ・吾:わたしは。一人称主格。 ・不怖:おそれない。

※吾怖關東令如山:わたしは、(モンゴルを恐れることはないが、)關東(の鎌倉幕府の)威令をおそれる。 ・吾怖:わたしは…をおそれる。 ・關東令:鎌倉幕府の命令。 ・關東:鎌倉幕府。 ・令:命令。威令。 ・如山:山のように大きく揺るぎないものの譬喩。

※直前斫賊不許顧:ひたむきに進み向かって来寇者を切り倒すことだけで、後退することを許さない。 *ここは「關東令如山」が実際の戦闘に顕れた姿になる。 蛇足になるが、我が軍の本拠地である大宰府は、『元史』では「太宰府」の方を使う。 ・直前:ひたむきに進み向かう。前出『日本外史』巻之四(写真:右下)によれば河野通有らの奮戦のさまをいう。「河野通有
,矢中其左肘,通有。」 ・斫:〔しゃく;zhuo2●〕(刀で)ざくりと切る。断ち切る。 ・賊:来寇者。 不許顧:後退を許さない。 ・不許:許さない。 ・顧:かえりみる。ここでは、後退することになる。

※倒吾檣 登虜艦:日本の(小型船の)ほばしらを切り倒して、(それをハシゴとして、大型の)敵艦に攀っていく。 *具体的な戦闘場面になる。 ・倒:たおす。日本の小型船のマストを切り倒す。 ・吾檣:日本の(小型船の)ほばしら。マスト。 ・登:(それをハシゴとして、大型の敵艦に)攀っていく。前出『日本外史』「
仆檣架虜艦登之擒虜將王冠者安達次郞、大友藏人踵進。」の部分に該る。 ・虜艦:敵艦。 ・虜:異民族の敵を貶めて表す語。豪放詞で通常に使われている。胡虜、韃虜…と。蛇足になるが、「(胡虜を)やっつける」意の語は「驅逐」などを使う。

          頼山陽 『日本外史』巻之四
※擒虜將 吾軍喊:敵の大将をいけどりにしたので、我が軍からは喊声があがった。安達次郞や大友藏人の奮戦をいう。 *当時の日本(作者)側の価値観として「生きて囚虜の辱めを受けず」というのがあり、現代日本人が感じる以上の強烈なものが、この句にはある。 ・擒:とらえる。いけどりにする。とりこにする。 ・虜將:夷狄の武将。敵の高級武官。 ・吾軍:我が(日本)軍。 ・喊:勝ち鬨の大声があがる。喊声があがる。

※可恨東風一驅附大濤:残念なことは、勝利の春をもたらした神風がさっと駆けつけて、敵艦をことごとく大波に渡し委ねてしまって、(鎌倉武士の日本刀に充分に夷狄の血を吸わせられなかった)ことだ。 ・可恨:恨めしいことには。残念なことに。「可恨」は、「東風一驅附大濤,不使羶血盡膏日本刀。」までかかる。 ・東風:春風。日本側に勝利の春をもたらした風。ここでは、神風の意で使われている。詩のはじめでは「颶氣」であったものが、長閑(のどか)な「東風」となったことで、事態の推移を言外に表現している。 ・一驅:さっと駆けつける。 ・附:わたす。ほどこす。付す。敵艦をことごとく大波に渡し委ねて、藻屑と沈没させてしまったことを謂う。 ・大濤:大波。ここでは、颱風のうねりのこと。

※不使羶血盡膏日本刀:日本刀に充分に夷狄の血を吸わせなかった。 *幕末・鍋島閑叟は『偶成』で「孤島結團意氣豪,西南決眥萬重濤。黠奴若有窺邊事,
羶血飽膏日本刀。」と使う。 ・不使:…させない。 ・羶血:生臭い血。夷狄(異民族)の血のこと。これも豪放詞で通常に使われている。 ・盡:ことごとく。 ・膏:血あぶら。釁(ちぬ)る。ここでは後者の動詞として使っている。 ・日本刀:日本刀。鎌倉武士の武勲。

               ***********




◎ 構成について

換韻。韻式は「aaaaaaBbbCC」。韻脚は「黑賊北食國力」入声十三職(國食力北黑賊)。「艦喊」上声二十九(艦喊)、上平十五刪。「山」は韻脚ではなかろう。「濤刀」下平四豪(刀濤)。「蒙」は普通になるが、国名の場合はになる。次の平仄はこの作品のもの。

●●○●○○●,(韻)
●●○○●○●。(韻)
●●○ ○●●。(韻)
○○●●○○●。(韻)
●●●○●●●,
○●○●○○●。(韻)
○●●○●○●,
●●●●○●●。(韻)
●●○ ○●●,
○●○○●○○。
●○●●●●●,(韻)
●○○ ○●●。(韻)
○●● ○○●。(韻)
●●○○○●●○。(韻)
●●○●●○●●○。(韻)

押韻は、下記の赤字、青字、紫字の部分。上古の『詩経』等の交韻があり得れば、黒字部分も韻脚になるが、『日本楽府』と名づく故、その範は漢代になり、おそらくは、意図していまい。やはり、「怖」「顧」を押韻とし、「山」は平声なので韻を踏んでいないとみ、「艦」「喊」で押韻するとみる。楽府体とみて、後者の方がよいか。
筑海颶氣連天

蔽海而來者何

蒙古來 來自

東西次第期呑

嚇得趙家老寡

持此來擬男兒

相模太郞膽如甕,
防海將士人各

蒙古來 吾不

吾怖關東令如山

直前斫賊不許

倒吾檣 登虜

擒虜將 吾軍

可恨東風一駆附大

不使羶血盡膏日本


平成16.2.29
      3. 4
      3. 5
      3. 6完
      3.12補
      3.13
      3.14
      5.21
平成17.11.22



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