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同豫州訪容堂僑居 | ||
松平春嶽 |
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菲才難得濟時方, 滿肚憂思故渺茫。 一笑逢君共杯杓, 他鄕今日似家鄕。 |
菲才 得難 し濟時 の方 を,
滿肚 の憂思 故 より渺茫 たり。
一笑 君に逢 ひて杯杓 を共にすれば,
他郷 今日 家郷 に似たり。
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◎ 私感註釈
※松平春嶽:幕末の越前福井藩主。文政十一年(1828年)~明治二十三年(1890年)。越前守。名は慶永。春嶽は号。田安家出身。ペリー来航後、海防・攘夷論を主張、日米修好通商条約の無断調印に反対。将軍継嗣に一橋慶喜を推して大老・井伊直弼と対立し 、安政の大獄では謹慎処分を受けた。桜田門外の変の後に謹慎を解かれ、政事総裁に就き、幕政改革を進めた。幕末の四賢侯(越前福井藩藩主・松平春嶽、宇和島藩藩主・伊達宗城、土佐藩藩主・山内容堂、薩摩藩藩主・島津斉彬)の一。
※同豫州訪容堂僑居:伊予殿(=伊豫宇和島藩藩主・伊達宗城)と一緒に、山内容堂(=土佐藩藩主)の(京都)屋敷を訪れた。 ・同:一緒に(…する)。ともに(…する)。 ・豫州:伊豫(いよ)の国のことで、伊豫(伊予)宇和島藩八代藩主・伊達宗城のこと。幕末の四賢侯の一。 ・容堂:山内容堂のこと。容堂は号。幕末の土佐藩藩主。山内豊信。1827年(文政十年)~1872年(明治五年)。吉田東洋らを登用して藩政改革を断行。安政五年(1858年)、将軍継嗣問題にあたり一橋慶喜の擁立に尽力。井伊大老による専制と安政の大獄で、容堂は隠居を願い、幕府より謹慎の命が下った。その後、容堂は公武合体運動を進めた。慶応三年(1867年)、十五代将軍・徳川慶喜に大政奉還を建白し、公武合体論による幕府権力の温存を図った。この詩は、この時代のもの。 ・僑居:旅ずまい。仮ずまい。=寓居。ここでは、京都屋敷のことになる。
※菲才難得済時方:(わたし=松平春嶽)の劣った才能で、世の困難を済(すく)う手だては、なかなか無い(ので)。 ・菲才:〔ひさい;fei3cai2●○〕劣った才能。自分の才能の謙称。 ・難得:めったに…ない。得がたい。貴重である。 ・済時:世の困難を済(すく)う。 ・方:てだて。やりかた。わざ。方法。
※満肚憂思故渺茫:満身の憂える思いは、もとより広く涯(はて)しない。 ・満肚:体中。満身。「満腔」としないで、「滿肚」としたのは、平仄との関係。「満腔」は●○で、○○(●○)のところで使い、「滿肚」は●●で、●●(○●)のところで使うため。 ・憂思:うれえるおもい。心配な心。 ・故:もとより。ことさらに。ゆえに。 ・渺茫:〔べうばう;miao3mang2●○〕(水面などが)広くはてしないこと。遠くかすかなこと。北宋・寇準の『書河上亭壁』に「岸闊檣稀波渺茫,獨憑危檻思何長。蕭蕭遠樹疏林外,一半秋山帶夕陽。」とあり、日本・久坂玄瑞の『應天正氣歌』に「春雪壓城鴟尾高,白旗*馬振*戟。忽見暴風捲雪暗,雷霆落地聲霹靂。青龍出沒紫丹迸,高呼雲際賊首攫。嗚呼十四夜雪上巳雪,上帝暗助大義成。千歳芳名何*滅,男兒顏與櫻花明。四十七士既已*,海内艷説十七名。君不見博浪鐵椎尚方劍,蹉跌終難抑賊焔。又不見*義敬業徒切齒,胡詮椒山空憤死。九天九地渺茫際,日出處生此烈士。」
とある。
※一笑逢君共杯杓:ちょっとにこりとして、あなた(がた)に出逢って共に(副詞)酒(を酌めば)。 ・一笑:微笑する。ちょっとにこりとする。 ・逢君:あなたに出くわす。 ・共:一緒に。ともに。(副詞)。 ・杯杓:〔はいしゃく;bei1shao2○●〕さかずきと酒をくむひしゃく。
※他郷今日似家郷:よその土地(京都)も、今は故郷のようだ。 ・他郷:よその土地。=異郷。ここでは、京都のことになる。 ・家郷:故郷。
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◎ 構成について
韻式は、「AA」。韻脚は「空同」で、平水韻上平一東。この作品の平仄は、次の通り。
●○○●●○○,
●●○○●●○。(韻)
●●○○●○●,
○○○●●○○。(韻)
平成30.1.12 1.13 1.14 |
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