![]() |
![]() |
|
![]() |
||
自山中歸市中 | ||
一休 |
||
狂雲誰識屬狂風, 朝在山中暮市中。 我若當機行棒喝, 德山臨濟面通紅。 |
![]() |
狂雲 誰 か識 らん狂風 に屬 するを,
朝 に 山中に在りて暮 には市中。
我 若 し機 に當 たって棒喝 を行 ぜば,
德山 臨濟 面 紅 を通 ぜん。
*****************
◎ 私感註釈
※一休:室町中期の臨済宗の僧。一休宗純。應永元年(1394年)~文明十三年(1481年)。諱は宗純。号して狂雲子。後小松天皇の落胤という。五山の禅林が頽廃していくのに対して、諸国を遍歴する。後に、勅をうけて大徳寺の住持となる。詩歌、書画に秀でるとともに、禅僧でありながら酒や女性を愛して、形式や規律を否定した反骨的で奔放な叛逆の人生を送った。無念の思いがあったのだろう、そのための奇行は、やがて伝説化されて、「一休咄(いつきうばなし)」が作りだされ、現在に至るも「一休さん」として、広く親しまれている。
※自山中帰市中:寺(=譲羽山尸陀寺(しだじ))の中から(本来あるべき所の)街の中へかえる。作者・一休が四十九歳の時(=嘉吉二年(1442年))、初めて譲羽山に入り、民家を借りて住み、後に尸陀寺(しだじ)を創設した。譲羽(ゆづりは)山は、尸陀寺の山号で、朝廷に石灰を献上していた出灰(いづりは)の読みに近いことに基づく。この石灰は、御所の白壁を作るのに使われたことに因る。現・京都府西京区大原野出灰町。 ・自:…より。 ・山中:寺院の中。譲羽山。譲羽山は尸陀寺の山号。 ・歸:(本来あるべき所へ)かえる。 ・市中:街中。繁華街。京の都。
※狂雲誰識属狂風:「狂雲(=一休)」は、「狂風(=奇人/狂人)」に属していることを誰が知ろうか(だれも知らない)。 ・狂雲:一休の号。=狂雲子。一休自身を指す。 ・誰識:…とは、だれが知ろうか(だれも知らない)。 ・属:属する。 ・狂風:本来は、勢いの激しい風。激しく吹く風。ここはまた、風狂≒瘋狂の意として使う。狂気。狂人。また、世間の常識的生き方や価値観の俗悪さに我慢がならず、それへの強烈な反撥・批判として、狂人と見紛うような奇行、狂態を演じることやその人を謂う。応永二十九年(作者二十九歳)、この頃より作者は、風狂と言われ始める。なお、唐の高士・寒山も「風狂夫」。
※朝在山中暮市中:朝は山中(の寺院)にいたかと思えば、暮には(繁華な)市中にいる。 ・在:…にある/いる。 ・暮:くれ。一日のうちの夕刻。一年のうちの年末。一生のうちの老年。
※我若当機行棒喝:わたし(=一休)が、その場に応じて棒・喝(の徳山の禅風と臨済の禅風と)を行えば。 ・若:もしも(…だったら)。もし(…ならば)。 ・当機:時機を外さないで。その場に応じて。機に当たって。 ・棒喝:「(徳山の)棒」と「(臨済の)喝」と。徳山の禅風と臨済の禅風。
※徳山臨済面通紅:()徳山も臨済も、顔を真赤にすることだろう。 ・徳山:厳しい禅風の唐代の禅僧。徳山宣鑑。建中元年(780年)~咸通六年(865年)。簡州陽安県(現・四川省成都市)の人。「徳山の棒」は、「臨済の喝」と並んで有名で、徳山の峻厳な禅風を表すことば。 ・臨済:厳しい禅風の唐代の禅僧。臨済宗の開祖。臨済義玄。?~咸通七(八)年(866(7)年)。曹州南華県(現・山東省)の人。参禅修行者には厳しい喝を与えた。 ・面:顔。おもて。 ・通紅:(顔を)真赤にする。真っ赤である。「通紅」は現代(中国)語でもよく使われる語。
***********
◎ 構成について
韻式は、「AAA」。韻脚は「風中紅」で、平水韻上平一東。この作品の平仄は、次の通り。
○○○●●○○,(韻)
○●○○●●○。(韻)
●●◎○○●●,
●○○●●○○。(韻)
平成30.10.7 10.8 10.9 |
![]() トップ |