竹溪閑話
((前年度)令和元年度(2019年度)はこちらです。 ((次年度)令和三年度(2021年度)はこちらです。 ------------- 杜甫の『落日』、「…千憂」か「…千愁」か 盛唐・杜甫に『落日』「落日在簾鉤,溪邊春事幽。芳菲縁岸圃,樵爨倚灘舟。啅雀爭枝墜,飛蟲滿院遊。濁醪誰造汝,一酌散千憂。」がある。 その最後は「…千憂。」となっている。その意は、多くのうれい。千載の憂い。永遠に解けない憂い。死の憂い、だ。だが、ここの「憂」を「愁」とするのもある。ただし、その場合は後出の重みのある詩の趣は該当しなくなろう。 『古詩十九首』之十五・『生年不滿百』に「生年不滿百,常懷千歳憂。晝短苦夜長,何不秉燭遊。爲樂當及時,何能待來茲。愚者愛惜費,但爲後世嗤。仙人王子喬,難可與等期。」とあり、東晋・陶潛の『遊斜川』に「開歳倏五日,吾生行歸休。念之動中懷,及辰爲茲游。氣和天惟澄,班坐依遠流。弱湍馳文魴,闥J矯鳴鴎。迥澤散游目,緬然睇曾丘。雖微九重秀,顧瞻無匹儔。提壺接賓侶,引滿更獻酬。未知從今去,當復如此不。中觴縱遙情,忘彼千載憂。且極今朝樂,明日非所求。」とあり、同・陶潛『飮酒・二十首』其七に「秋菊有佳色,露其英。汎此忘憂物,遠我遺世情。一觴雖獨進,杯盡壺自傾。日入羣動息,歸鳥趨林鳴。嘯傲東軒下,聊復得此生。」とあり、盛唐・賈至の『對酒曲』に「春來酒味濃,舉酒對春叢。一酌千憂散,三杯萬事空。放歌乘美景,醉舞向東風。寄語尊前客,生涯任轉蓬。」とある。 (令和二.九.) 南宋・呂祖謙の『野歩』の「幽人不可覿」 南宋・呂祖謙 に『野歩』「石梁俯清流,苔髮明可數。茅簷春晝長,寂寂亭陰午。鳥啼花徑深,風絮浩無主。幽人不可覿,棊聲時出戸。」があり、「幽人不可覿:がある。五字目を「親」字ともする。「幽人不可親」だ。 ・覿:〔てき;di2●〕会う。見(まみ)える。「幽人不可覿」とするか「幽人不可親」とするか。意味上は、どちらも(それなりに)通じるが、平仄上では「幽人不可親」の方が相応しい。理由は:「◎ 構成について」を見ていただくと分かるが、平仄の配列から見ると「幽人不可親」の方が適切だ。(各聯の)韻脚は「数午主戸」で平水韻上声七麌。また、韻脚とならない句の第五字は、「覿」字以外は平声となっている。「●○●○○,○●○●●(韻「数」)。○○○●○,●●○○●(韻「午」)。●○○●○,○●●○●(韻「主」)。○○●●◎(覿/親),○○○●●(韻「戸」)。」と。ここは「親」字と見た方が、平仄上では自然だ。 (令和二年十月三十日) ----------------- このページのトップへの 前年度・令和元年度(2019年度)はこちらです。 次年度・令和三年度(2021年度)はこちらです。 |
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