「Wish Matrix」

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 オイラたちの前には、深緑の海が広がっている。
その中に、宮殿のような建物が一つ、孤島のようにぽつんと浮かんでいた。
(あれがきっとミラージュパレスね。ジャングルを西から回り込んでいけば辿り着けそうよ!)
フェアリーの言葉に従い、オイラは歩き出そうとした。そのとき、カランと何かを蹴飛ばした。
何だろうと思い足元を見ると、そこには古ぼけた鏡が一つ転がっていた。
「カガミ…?」
「さっきこんなのあったっけ?」
オイラはそれを拾い上げ、注意深く覗き込んでみたが、特に変わったところは見られない。普通の鏡だ。
「とにかく、持っていこうぜ。何か隠された力があんのかもしんねぇし」
「ねぇじゃあさ、それ私が持っててもい〜い? けっこうイケてるデザインだし」
「こんなもん持って何するんだよ?」
「何よ。女のコが鏡持ち歩くのはジョーシキじゃん」
……どういう常識なんだろうか。女の人ってよくわからない。
シャルロットもこんな風に鏡を持ち歩いているのだろうか。そんなことをふと思った矢先、
アンジェラは早速その鏡を覗きながら化粧直しをはじめていた。
「うわっ! 厚化粧!!」デュランが大げさに叫ぶ。彼はいつもこうだ。
「何ならデュランもお化粧してみる? 美白にしたげるわ!」
「イヤだね!!」
…また二人は競争…競走をはじめてしまった。
(ホントに仲いいわねあの二人)
「そうだね」
 フェアリーと笑い合った後、オイラも二人の後を追うように早足でその場を離れた。
「おいケヴィン、フェアリー!」
ようやく競走をやめたのか、その途中で出くわしたのかはわからないが、
デュランが前方から走ってくるなりこう叫んだ。
「この先行き止まりだぜ! ホントに西から回り込んでけばいいのか!?」
「えっ!?」

 西回りに続いている獣道をデュランに案内されて進んでいく。
すると、少し高めの崖がオイラたちの目の前に立ちはだかった。
 崖の下には、アンジェラが疲れたように座り込んでいた。
「どうだった、アンジェラ?」
「ダメよ…他に道はないわ。この崖を登っていけとでも言うのかしら」
アンジェラはゆっくりと腰を上げ、崖を恨めしそうに見上げた。
  カランッ
「あっ」
立ち上がった拍子にさっき拾った鏡を落としてしまった。
アンジェラはふぅっとため息をつくと、体を屈め、鏡を拾い上げようとした。
 が、
「きゃあっ!!!」
鋭い悲鳴を上げ、鏡を勢いよく放り投げてしまったのだ。
「どうしたんだ!?」
「…ピ………」
アンジェラの声は震えていた。体も声に負けじとがたがた張り合っている。
「……ピエ…ロ……」
「なんだって!?」
オイラは声に反応するように鏡に駆け寄り、素早くそれを拾い上げた。そして、崖を背にしてそっと覗き込んでみる。
「!!!」
オイラの後ろに、死を喰らう男が写っていた。奴は大きな鎌を構えて崖に溶け込んでいたのだ!
「そこだっ!!」
オイラは鏡を崖に押しつけるように思い切り突き出した。
鏡が太陽の光を反射させ、あたりに一瞬まぶしい光が満ちる。
「うっ!!!!」
声がした。この不気味な声…絶対忘れるものか!
「死を喰らう男!!」デュランとアンジェラがハッと身構える。
光の去った後、崖の前に現れたのはまぎれもなく死を喰らう男だったのだ。
「チッ、よく見破ったネ。後ろからバッサリやろうと思ってたのに。
 神獣を全て倒してくれたから、アンタらはもう用なしだからネ」
少し悔しそうな口調だ。コイツでも悔しいとか思うことがあるのだろうか。
でも、キサマらはもうオイラたちに用がなくても、オイラたちにはまだキサマらに山ほど用があるんだ!
「これ以上キサマらの好きにさせてたまるものか! ヒースさんとマナの剣を返してもらうぞ!!」
 オイラの宣告は闘いの開始を告げるゴングだった。

 いったいどれくらい闘っていたのだろうか。気がつくと崖の前に一人立っていた。
体中傷だらけで、元々赤かった道着が血でさらに紅く染まり、月明かりに照らされて鈍く輝いていた。
 目の前には道化師のような格好をした人間…に似た外見の生き物…が二匹、
死体のような、抜け殻のような、人形のような感じで草に埋もれ転がっている。
「…オイラたち……勝ったんだ」ぼそっと呟いた。実感はわかない。
前に倒れているのは死を喰らう男の分身…身代わり人形…ダミー…何と言えばいいのかわからないが、
とにかく、ヤツ本体ではないのだ。
“ワタクシは死にませんよ。またどこかでお会いするかもネ”
アイツが消える直前に残した捨てセリフだけが耳に残っている。
 しかし、止めこそ差せなかった、あのピエロに深手を負わせたことは間違いない。
しばらくはオイラたちの前には現れないだろう。いや、現れないでほしい。
 オイラは大きくため息をつき、あたりを見渡した。共に死闘を闘った仲間の姿を探す。
いた。デュランは草の上に腰を下ろし空を見上げている。
アンジェラはデュランの傍らで仰向けになり、やはり空を見上げていた。
「…綺麗な夜空だな」
オイラと同じく全身血まみれのデュランが、誰に言うでもなく答えた。
「何か…世界が滅ぶなんてウソみたいね」アンジェラもデュランと同様だ。
 オイラも天を見上げる。闇の中に光る大きく丸い月と、それに負けじと煌く無数の星々がオイラを出迎えた。
このまま見つめ続けたら、そこに吸い込まれて自分も輝きの一部と化してしまうのではないか。
そんな考えが浮かび、たやすくそれを否定できないほどの、綺麗な空だった。
「私、ずっとこうしていたいな…このまま空を見ていたい。急がなきゃいけないのはわかってる。でも……動けない」
アンジェラの呟きはさわっとした風に乗って、夜空へ溶け込んでいった。
「…俺もそうだ。まだ決着はついてねぇって頭ではわかってんのに、体が動いてくれそうもねぇ」
わかる。体はそう簡単には動いてくれないだろう。何せ、あれだけの死闘を演じた後なのだ。
 それに、もしかしたら天の月と星が、オイラたちを呪縛しているのかもしれない。
「休もう」オイラは言った。「急がなきゃいけないのはわかってる。でも、ムリしてやられちゃっても意味ないよ。
 お空のお月さんとお星さんもそう言ってるみたいだし」
「…ケヴィン、オマエいつから詩人になったんだ?」
がさっと音がした。デュランが草の上に寝転がった音だ。
「シジン……何それ?」
「キザなこと言う輩のことだよ。女のケツ追っかけてるような野郎に多いな」
「……オンナノケツ?」
 旅に出てからいろいろなことを学び覚えたが、まだわからないことは沢山ある。
でも、一番わからないのが熟語と世俗言葉だというのはさすがに情けないか。
「好きな女のことしか考えずに行動することを、女のケツを追っかけるっていうんだ。
 もっとも、中には追いかけたくねぇケツ持った女もいるけどよ」
デュランの視線がちらりとアンジェラを見た。
「失礼ね。この私の素晴らしいお尻のどこがいけないのよ!」
アンジェラはデュランにお尻を向けた。食い込みのすごい服のせいで、ほとんど丸出しに近い。
「…オマエ、その服やめろよ」
オイラもそう思う。はじめて会った頃からその服装はいかにも寒そうで派手であまりよく思えなかったのに、
ここ数日でさらに露出度と派手さが増してしまった。クラスチェンジが関係しているのかもしれない。
本人曰く「これが一番いい」らしいが、いくら何でもパンツがデュラン曰く「Tバック」なのはマズいんじゃないか?
 服装と言えば、デュランもあまりいい趣味とは言えない。…いや、はっきり言って悪趣味だ。
骨製のバイザー式兜に、肩当てが丸ごと魔物の頭蓋骨の不気味な鎧。見るからにすごいシロモノだが、
それを何の抵抗もなく着こなしてしまうデュランもすごい。趣味と本人に似合う似合わないは別問題らしい。
 オイラはあまり変わっていない。少なくとも自分ではそう思っている。
ちょっと道着の色が真紅なのは派手かな? という程度だ。
「外見なんか気にしてちゃ、明日から頑張れないわよ……ねぇ、デュラン」
「何だ?」
「…このまま、朝なんか来なければいいのにね………」
「……………」
 オイラたち三人は、密林の中にポッカリと開いた広場に横たわっていた。
急がなくちゃいけない。でもここから離れたくない。傷だらけの体に休息が必要なのは明らかだったし、
それに……
(月夜の森で、いつも見てたハズなのに)
月がこんなに綺麗だったなんて、気付かなかった。
 昔のオイラにとって、月はただ一つの光だった。月夜の森には、太陽は光を注いではくれない。
そしてカールを殺してしまった…と思い込んでしまったときからは、オイラに獣人としての力を与える存在になった。
森を出て太陽の世界へと旅立ったから、光としてはさほど重要じゃなくなっていた。
…今は光も、獣人の力も必要ない。今のオイラにとって、月とは何なのだろう?
そして、その周りに少し控えめに…しかし、大胆に輝く星は?
 ………そんなことを考えているうちに、オイラの意識は文字通り、夜空に吸い込まれるように消えてしまった。

「…やっぱりヘンだ」草の上に寝転がったまま、デュランがそんなことを呟いた。
「何が?」
アンジェラがごろりとデュランの側へ転がった。
「ケヴィンがだよ。初めに会ったときとは別人みてぇなんだ」
あごでオイラを差す。
「そう思わねぇか、アンジェラ?」
「別人よ。人間ってサ、大切な存在が出来るとウソのように変わるのよね」
アンジェラが意味ありげに笑った。ランプ花の森で浮かべたあの笑みだ。
「はぁ?」
「見てて気付かないの? ケヴィン君ね、あのがきんちょ司祭にホの字なのよ」
…キッパリと言わないでほしい。でも、当のオイラは夢の中なんだから文句も何も言えない。
「がきんちょ司祭…まさか、シャルロット!?」
「そうとしか、ケヴィンの行動を説明できる理由がないもの。あのクソ生意気なおこちゃまを異常に心配したり、
 会ったことすらないヒースとかいう神官を助けようと躍起になったり…私だったら、そんなこと絶対にしないわ」
「…俺でもしねぇな」
いくら聞こえてないからって、そんなにはっきり言うことはないじゃないか…。
「もっとも、どうしてあんなコにホレたのかなんかわからないけどね。
 人間が人を好きになる基準ってよくわからないものなのよねぇデュラン君☆」
言うや否や、アンジェラは一気にデュランにごろごろと近寄った。
「?」
「…こんな悪趣味な剣士にホレちゃうなんて、私ホントにおかしいわよねぇ…
 もっと強くて、カッコよくて、女性に優しい王子様にホレるハズだったのに」
 告白だった。
「………………………」
その刹那、ゆでだこが一匹見事に茹で上がった。
「……お、俺だって、好きでTバックのおてんば王女にホレたわけじゃねぇ!!!」
反射的に言ってしまったものらしい。もう少し声が大きかったら、きっとオイラ驚いて飛び起きてただろうな。
「…Tバックって、死語よ」
冷ややかな声だったが、アンジェラの顔もやっぱり赤い。
「でもいいわ。今夜は特別に許したげる」
わずかなすき間を詰め、アンジェラはデュランの顔に自分の顔を重ねた。
「お空のお月さんとお星さんもそう言ってるみたいだしね」
 そのお月さんとお星さんは、デュランに対しては「石になれ」と言っていたらしかった。

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