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一言で説明すると…1789年から続いた「フランス革命」が共和国8年の憲法で幕を閉じます。待っていたのはナポレオンの軍事独裁。独裁者を倒した革命は、新たな独裁者を作りました。革命は終わりました。 |
1799年11月11日(ブリュメール20日)の午前2時、あらかじめ示し合わせて残留していた少数の議員達は、シエイエスとの共謀の元に憲法の改正を票決しました。ついで彼らは、三人の臨時執政(シエイエス、ナポレオン、ロジェ・デュコ)と改正憲法を作成する委員を任命しました。クーデターは成功したのです。
シエイエスを初め、このクーデターに加わった人々はナポレオンに絶対権力を与えるつもりなどもちろん少しもありませんでした。彼らの考えていたことは、
総裁政府は弱体で左右から揺さぶられ続けている。 |
↓ |
強い行政機関が必要である。 |
↓ |
だからと言って独裁は許されない。 |
と言うことでした。特にシエイエスは、このような体制を「下からの信頼、上からの権力」という原則にのっとって作り上げようとしていました。ナポレオンの軍事独裁を最も警戒していたのです。 しかし、このような考え方は、早くも独裁を狙っていたナポレオンが認めるはずはありません。
結局、軍事力の前には何もできませんでした。ナポレオンはシエイエスが作成した憲法草案に悉く異議を唱え、最後には半ば命令的に修正しました。
そして、ブリュメールのクーデターからわずか一ヶ月で、ナポレオンに権力が集中する仕組みの憲法が制定されたのです。シエイエスの完敗です。シエイエスが「革命を始まらせ、革命を終わらせた男」と言われるゆえんです。
立法権--4つの新しい機関ができ、極端に分散化し、無力化しました。
行政機関--ナポレオン、カンバセーレ、ルブランの三人の執政からなります。任期は10年で、最初の執政は憲法によって指名されましたが、三人は同等ではありません。
1799年12月15日、新しい憲法は公布されました。
公布は次の言葉で締めくくられていました。
「憲法が創設する諸権力は、強力かつ安定しており、市民の諸権利及び国家の諸利益を保証するのに必要充分である。市民諸君、革命はこれをはじめた諸原則の上に確立した。革命は終わったのである。」
「革命は終わった」という言葉は1789年からさまざまな人に言われつづけてきました。そして、この言葉を最後に言ったのはナポレオンでした。
有名な小話があります。新しい憲法が公布されたとき、太鼓の音や人々の声で、憲法を説明する声は聞き取りにくかったそうです。二人の女性が次のような会話をしました。
「ちっとも聞こえなかったわ。」
「私は一言も聞き逃さなかったわ。」
「で、憲法には何があるっていうの。」
「ナポレオンよ」
革命は終わりました。嵐のような革命の後には、ナポレオンの軍事独裁が待っていたのです。ナポレオン、この時30歳の若さでした。
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