記事No | : 1789 |
タイトル | : 杜子春の母たち |
投稿日 | : 2012/12/07(Fri) 11:14:14 |
投稿者 | : 桃青 |
この歌の母は、なんだか
「だから私に○○して欲しい」ばかり言ってますね。
この歌はポルトガルで生まれたそうですが、ポルトガルの母は、そういうものなんでしょうか?
杜子春の母なら、おそらく「だから私に○○して欲しい。」とはひとことも言わずただ「お前に苦労かけてごめんね。」と、言うのではないだろうか。
私の周囲の人々(知人、近所のひと、介護のヘルパーさんなどなど)の中には「こんな負担は私の子供にはかけたくない。」と、言われるかたもあれば
「私のことは私の子供が見てくれて当然。」と、言わないまでも、話の内容が、「子供が面倒見てくれる」ことを前提として終始するかたもおられます。
言わば、上が杜子春の母なら、下はポルトガルの母ですね。
割合的には、どちらかというと後者のほうが多いように感じます。
あくまでも私の周囲では、ですが。
私は、「こんな負担は、私でたくさん、子供にはこんな思いをさせたくない。」です。
母も認知症になる前は、そうだったんじゃないかと思います。
でも、認知症になった今は「○○して欲しい。」のポルトガルの母になりました。