記事No | : 1793 |
タイトル | : 選びの結果、自己責任という思想 |
投稿日 | : 2012/12/10(Mon) 11:42:34 |
投稿者 | : 桃青 |
さて、某M教は、世界中に「選びの結果」「自己責任」という思想を宣教して回っているが、別に某M教の宣教を受けなくても、どこでどう思いついたのか、耳にしたのか、眼にしたのか
「選びの結果」「自己責任」を言いたてる者は珍しくない。
さて、
*その者が受ける結果は、全てその者の選びによって決まる。
というのは真理なのだろうか?
某M教会員はこんな論法を得意とする。
「私がお前を攻撃するのは、お前が私に攻撃されるようなことをしたからだ。全てはお前の選択の結果だ。選択の結果は受けなければならないのだ。」
まるで、DV夫のセリフのようだ。と、笑っている場合ではない。
この論法にはまるが故に、DV夫の妻は「殴られるのは私が悪いからだ。」と、夫の暴力に抵抗できなくなるのだ。
しかし、某M教会員から攻撃を受けるのは、全て攻撃を受ける側の選びの結果なのだろうか?
この場合、某M教会員には、少なくとも「攻撃する」と「攻撃しない。」という二つの選択肢があり、「攻撃する」を選択したのであるから、攻撃される側から見れば、某M教会員の「選択の結果」を受けて攻撃されているということになる。
このように、現実世界は、自分の「選びの結果」を自分が受けるということもあるし、他人の選択の結果を受けることもある。
という世界である。というのが真実なのだ。