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記事No : 1800
タイトル Re^2: 他業、自業、他得、自得、そしてその先
投稿日: 2012/12/20(Thu) 10:04:47
投稿者桃青

全ての私が受ける全ての結果は、

ある部分は他業他得、ある部分は自業他得、ある部分は他業自得、ある部分は自業自得で、それらは分かちがたく一体となっている。

「選択の結果」を主張する人々というものは、
この一体となっているものの、一部分だけを看て、
「選択の結果」を言いう。
しかもそれは時に、「選択の結果」ですらない・・・すなわち、その者の行為と結果に因果関係すらない場合でも、その者が結果を受けているというだけで、結果を受けている者にその全ての結果責任を押し付けることに使われる。

ちなみに某M教には、悩みごと、困りごとを指導者に相談に行くと、
それはあなたの選びの結果、なので自己処理しなさい。と突き放されたというお怒りモードの体験談をしばしば見かける。
 (確かに、指導者というもの、時には、相手を突き放すという手段も必要だろうと思うが、突き放す根拠が「選びの結果」では、相談した方はやり切れないんじゃないかなー。)
 
ただ、某M教には、そのように「自己責任」で突き放す姿勢を「厳しくて好きだ。」と言うかたもおられる。
(そういうひとはたいてい突き放す側。)
こういう「(自己責任で)突き放す姿勢が好き。」という感覚は、「自分の身は自分で守る。」と銃を所持する権利を手放さないアメリカ人の感覚にも通じるのかな、と思うが・・・。

しかし、ねー。
日常の安心安全を個人の「自己責任」だけで確立しようとしたら、スーパーマン(超人)にでもならなければ無理なんじゃないでしょうか。
アメリカでは、金持ちが自己責任でカネにあかせて万全のセキュリティ設備を施した高い塀とカネで雇ったガードマンに守られたエリアに住んで、やれ安心、と思っていたら、そのガードマンやメイドに殺されるという事件も珍しくないようだ。

社会の問題を全て「選びの結果」「自己責任」しておけば、解決できるということは絶対ない。
なぜなら、結果というものが、好ましい結果も好ましくない結果も、個人の「選びの結果」だけで、出て来るものではないからです。


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