記事No | : 1798 |
タイトル | : Re: 介護の花びら |
投稿日 | : 2012/12/18(Tue) 11:32:23 |
投稿者 | : 桃青 |
介護の日々に、母との間にふーっと流れる暖かいもの。
もしかしたら、これがあるか、無いかが、御住職の言われた「それまでどういう関係を築いてきたかによる。」ということなのでしょうか・・・。
介護のブログを読んでいると、父親にはすーっと寄り添えるが母親にはそれが出来ない。
というかたもあれば、その反対に母親はすーっとで、父親はダメ。
というかたもいる。
すーっと寄り添えると、介護の苦労もなんのその、という感じですが、寄り添えない場合は苦痛の悲鳴をあげることになる。
すーっと寄り添えるが、寄り添えないか、は理屈ではないので、難しいですね。
親のほうは、どんなに愛情込めて、接していても、子供がその愛情を受け止められないということもあるでしょう。
そういう場合、親も辛いが、子供も辛いでしょう。
母と私の場合は、たまたま呆ける前の母と私の長い歴史の中で「すーっと流れる暖かいもの」があっただけで、それは、たぶん、ほんとうにたまたま、なんだと思う。
同じように、例えば、数多の介護ブログのかたがたが、父母や配偶者にすーっと寄り添えるのも寄り添えないのも、相手と本人のどちらに問題がある、ということでもなく、「たまたま」なのじゃないかしら?
恋愛なら、通じない愛、片思いの愛、温度差のある愛。など当たり前のこととされるのに、
親子になると、通じない愛の存在が否定されるのは、何故なのだろう。