花間集

荷葉杯
　　　　　　　　　　　　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　唐・蜀　韋莊

　　　　　　　　　　　　　　　韋荘

記得那年花下。 深夜。 初識謝娘時。 水堂西面畫簾垂。 攜手暗相期。 惆悵曉鶯殘月。 相別。 從此隔音塵。 如今倶是異�ｸ人。 相見更無因。

　　　 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

　　　　　　荷葉杯

　　　　　　　　　か　　　　　　　　　　　　　もと
記し得たり　　那の年　花の下。


深夜。

　　　　　　　　　しゃぢゃう　　　　し
初めて　　謝娘を　識りし時。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　ぐゎれん
水堂の　　西面は　　畫簾　垂れ。

　　　　たづさ　　　ひそか
手を攜へ　　暗に　相ひ期す。




ちうちゃう　　　　　　　　　　　　　　　　　　なごり
惆悵たり　　曉の鶯　　殘の月。

あ
相ひ別れ。

これ　　よ
此　從り　音塵を　　隔つ。

　いま　　　　　　とも　　これ
如今　　倶に是　異�ｸの人。

あ　　　　まみ　　　　　　　　　　　　　　　　よし
相ひ見ゆるに　更に　因　無し。

****************** 私感訳注： ※韋莊：唐末、蜀の詞人。 ※荷葉杯：詞牌の一。詞の形式名。双調　五十字。換韻。詳しくは　「構成について」を参照。『花間集』では、双調五十字の『荷葉杯』は、韋莊の二首のみで、その外は、温庭の三首、顧夐の九首とあるものの、全て単調二十三字である。 　　この詞は花間集　韋荘の『荷葉盃』其二である。上片は二人の出会いの場の心ときめく回想であり、下片は、遙かな地に去った人を追想し、寂しく一人すごしているさま。詞では前半と後半とで、時間や場面を変え、変化や展開を印象的に描写することが多い。 ※記得那年花下：あの年、花の咲くもとで…（以下の句）…だったのを覚えている。　・記得：（俗語・現代語）…を覚えている。（「記」は、覚えている。記憶している。ここの「得」は、（記憶に関する動詞のすぐ後に付く）接尾辞で、「認得…」、「記得…」などのように使われる。）李清照は『永遇樂』で「落日熔金，暮雲合璧，人在何處？染柳烟濃，吹梅笛怨，春意知幾許。元宵佳節，融和天氣，次第豈無風雨？來相召，香車寶馬，謝他酒朋詩侶。　　中州盛日，閨門多暇，記得偏重三五。鋪翠冠兒，撚金雪柳，簇帶爭濟楚。如今憔悴，風鬟霜鬢，怕見夜間出去。不如向、簾兒底下，聽人笑語。」と使う。現代口頭語では“記得”で、恰も一つの動詞のように使う。える。う、という意味はない。　・那年：（俗語）あのとし。彼（か）のとし。　・那：〔だ（な）；na4●〕あの。彼（か）の。あれ。離れたものを指す指示詞。文語の「彼」に近い。　・花下：花のもと。花底。 ※深夜：深夜に。 ※初識謝娘時：はじめてあの娘（こ）を知った（時）。　　・初識：はじめて知り合ったとき。　・謝娘：「あの女性」の意。固有名詞ではあるが、詞では、若くて美しい女性を指す。あの女（ひと）。マドンナ。なお、詞牌に謝秋娘があり、『楽府雑録』に「始自朱崖李太尉鎮浙西日，爲亡妓謝秋娘所撰。」とある。蛇足だが、女性から見た場合、「すてきなあの男（かた）」は、檀郎という。これも固有名詞から変化したもの。 ※水堂西面畫簾垂。水辺の建物の西側（の部屋）でりっぱなカーテンを下ろしていた（所で）。　・水堂：水辺の建物。 南宋・陳與義の『雨過』に「水堂長日淨鴎沙，便覺京塵隔鬢華。夢裏不知涼是水，卷簾微濕在荷花。」と使われる。　・畫簾：綺麗に彩色を施した簾。立派なカーテン。 ※攜手暗相期：手を執（と）り持って、ひそかに次の会う機会を思い定めていた。　*以上が前闋。甘い思いの回想。　・攜手：手を持つ。手をつなぐ。攜〔けい；xie2○〕＝携に同じ。　・暗：ひそかに。　・相期：時間を決めて会うことを心に定める。デートを期す。ここは動詞としての用法。 ※惆悵曉鶯殘月：怨めしいのは、明け方に鳴き始める鶯の声や、沈みかけの月で（夜が終わって朝になり、愉しい時間は、あっという間に過ぎてしまった）。　・惆悵：恨み嘆く。　・曉鶯：明け方に鳴き始める鶯の声。　・殘月：沈みかけの月。有り明けの月。曉鶯殘月は、男が現在は、独り寝で、明け方まで悶々としていることを暗示している。 ※相別：わかれてから。 ※從此隔音塵：それ以来、音信は絶えてしまった。　・從此：（…て、）それ以来ずっと。　・音塵：（現代語）音信、たより。　・隔音塵：消息、通信がないこと。音塵は、音信、たより。前出・陳與義の『雨過』に「水堂長日淨鴎沙，便覺京塵隔鬢華。夢裏不知涼是水，卷簾微濕在荷花。」と使われる。 ※如今倶是異�ｸ人：今は、（あなたもわたしも）どちらもともに遠く離れてしまった異郷の人の間となってしまった。　・如今：いま。　・倶是：ともに　これ。是は、ここでは、接続詞、副詞の語尾として使われている。正是、恰是、最是、須是、総是などと同じ働きの「是」。一般的には「是」は、…は…である。これ。主語と述語の間にあって述語の前に附き、述語を明示する働きがある。〔A是B：AはBである〕。　・異�ｸ人：異郷の人。遠く離れてしまったことを云う。 ※相見更無因：会いたいものの、この上、理由が（みつけられ）ない。　*ここまでが後　 ・無因：便りがない。寄る辺がない。無由。 ◎　構成について 　　双調　五十字。換韻。全ての句が押韻する。押韻の平仄が入れ替わる多彩な詞。　 　温庭、顧夐の単調二十三字の荷葉杯の詞調は分かるが、韋莊の双調五十字のは分からないので、作品から導き出した。 　　　　●●○○●。（a仄韻） 　　　　○●。（a仄韻） 　　　　●●○○。（B平韻） 　　　　○●●○○。（B平韻） 　　　　●●○○。（B平韻） 　 　　　　●●○○●。（c仄韻） 　　　　○●。（c仄韻） 　　　　●●○○。（D平韻） 　　　　○●●○○。（D平韻） 　　　　●●○○。（D平韻） 　 となる。 　押韻は、換韻で、韻式は「aaBBB　ccDDD」。 韻脚:「下夜」は第十部去声で、「時垂期」は第三部平声で、「月別」は第十八部入声で、「塵人因」は第六部平声。

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