 



| 昔聞洞庭水, 今上岳陽樓。 呉楚東南坼, 乾坤日夜浮。 親朋無一字, 老病有孤舟。 戎馬關山北, 憑軒涕泗流。  | 
岳陽樓に 登る******************
昔 聞く 洞庭の水,
今 上(のぼ)る 岳陽樓。
呉楚 東南に(さ)け,
乾坤 日夜 浮かぶ。
親朋 一字 無く,
老病 孤舟 有り。
戎馬(じゅうば) 關山の北,
軒に憑(よ)りて 涕泗(ていし) 流る。
 に登る。 ・岳陽樓:湖南省岳陽市市街の北西、岳陽城の西城門上の楼閣。楼は、三層二十メートルの黄色瑠璃瓦葺きで、各層の軒先が天に向かってぴんと跳ね上がった、特徴のある楼門で、「岳陽門」の額が掛けられている。岳陽楼は、西は洞庭湖に臨み、遥か対岸の君山を望む。北は長江を扼しており、この場所はちょうど洞庭湖と長江の接点になっており、両方を抑えている。そのため、三国の呉の時代に水師(水軍)の閲兵台となり、後、唐代に楼閣が建てられた。やがて兵火に遭い、北宋時に再建された。多くの詩人に洞庭湖と倶に歌われた。本サイトでは、宋の戴復古の『柳梢』『岳陽樓』「袖劍飛吟」がある。北宋の范仲淹の『岳陽樓記』
に登る。 ・岳陽樓:湖南省岳陽市市街の北西、岳陽城の西城門上の楼閣。楼は、三層二十メートルの黄色瑠璃瓦葺きで、各層の軒先が天に向かってぴんと跳ね上がった、特徴のある楼門で、「岳陽門」の額が掛けられている。岳陽楼は、西は洞庭湖に臨み、遥か対岸の君山を望む。北は長江を扼しており、この場所はちょうど洞庭湖と長江の接点になっており、両方を抑えている。そのため、三国の呉の時代に水師(水軍)の閲兵台となり、後、唐代に楼閣が建てられた。やがて兵火に遭い、北宋時に再建された。多くの詩人に洞庭湖と倶に歌われた。本サイトでは、宋の戴復古の『柳梢』『岳陽樓』「袖劍飛吟」がある。北宋の范仲淹の『岳陽樓記』 で、とりわけ有名になる。
で、とりわけ有名になる。 。
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| 岳陽楼前より岳陽門と洞庭湖を望む。 大陸旅游倶楽部三國志篇より賜る | 
 :呉楚の地方は東南部分だ裂けていて。 *「呉楚 東南に
:呉楚の地方は東南部分だ裂けていて。 *「呉楚 東南に け」というよりも「呉楚  東南
け」というよりも「呉楚  東南  け」の方がしっくりするが、ここは伝統に従う。 ・呉楚東南
け」の方がしっくりするが、ここは伝統に従う。 ・呉楚東南 :南国「呉楚」の地方は、東南部分が裂けて(洞庭湖となった)。この場合と同様の意味で、孟郊の『渭上思歸』「獨訪千里信,回臨千里河。家在呉楚ク,涙寄東南波。」がある。少なくとも当時の者は、こう感じていたのだろう。また、『列子・湯問』にも「(女
:南国「呉楚」の地方は、東南部分が裂けて(洞庭湖となった)。この場合と同様の意味で、孟郊の『渭上思歸』「獨訪千里信,回臨千里河。家在呉楚ク,涙寄東南波。」がある。少なくとも当時の者は、こう感じていたのだろう。また、『列子・湯問』にも「(女 補天の故事の後)其後共工氏與
補天の故事の後)其後共工氏與 爭爲帝,怒而觸不周之山,折天柱,絶地維;故天傾西北,日月星辰就焉;地不滿東南,故百川水潦歸焉。」とあり、東南が低くなっていることが分かる。『楚辭・天問』に「墜何故以東南傾?九州安錯?」と同じく東南側が下がり、川が注いでいくことをいう。蛇足になるが、この部分の続きが陶潜詩『游斜川』の「曾城」
爭爲帝,怒而觸不周之山,折天柱,絶地維;故天傾西北,日月星辰就焉;地不滿東南,故百川水潦歸焉。」とあり、東南が低くなっていることが分かる。『楚辭・天問』に「墜何故以東南傾?九州安錯?」と同じく東南側が下がり、川が注いでいくことをいう。蛇足になるが、この部分の続きが陶潜詩『游斜川』の「曾城」 のことについて触れている。また、清末に孫文が「半壁東南三楚雄,劉カ死去霸圖空。尚余遺
のことについて触れている。また、清末に孫文が「半壁東南三楚雄,劉カ死去霸圖空。尚余遺 艱難甚,誰與斯人慷慨同。塞上秋風悲戰馬,~州落日泣哀鴻。幾時痛飮黄龍酒,攬江流一奠公。」
艱難甚,誰與斯人慷慨同。塞上秋風悲戰馬,~州落日泣哀鴻。幾時痛飮黄龍酒,攬江流一奠公。」 として使っている。 ・呉楚:長安の者にとっての遥かな南国。戦国時代の呉と楚の二国。現在の江蘇、浙江省と河南、湖北、湖南省になる。  ・東南:南東方向。南東の部分。 ・坼:〔たく;che4●〕裂く。裂ける。割れ目。唐・孟浩然の『望洞庭湖贈張丞相』「八月湖水平,涵虚混太C。氣蒸雲夢澤,波撼岳陽城。欲濟無舟楫,端居恥聖明。坐觀垂釣者,徒有羨魚情。」
として使っている。 ・呉楚:長安の者にとっての遥かな南国。戦国時代の呉と楚の二国。現在の江蘇、浙江省と河南、湖北、湖南省になる。  ・東南:南東方向。南東の部分。 ・坼:〔たく;che4●〕裂く。裂ける。割れ目。唐・孟浩然の『望洞庭湖贈張丞相』「八月湖水平,涵虚混太C。氣蒸雲夢澤,波撼岳陽城。欲濟無舟楫,端居恥聖明。坐觀垂釣者,徒有羨魚情。」 に同じ。 *なお、この句の解釈は、「(洞庭湖によって)呉と楚は、東と南に分けられた」ともする。
に同じ。 *なお、この句の解釈は、「(洞庭湖によって)呉と楚は、東と南に分けられた」ともする。| 2003.11.11完 11.13補 6. 1 2005. 6.20 2007. 4.28 | 


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