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                         登岳陽樓
                    
            
                        唐 杜甫

昔聞洞庭水,
今上岳陽樓。
呉楚東南坼,
乾坤日夜浮。
親朋無一字,
老病有孤舟。
戎馬關山北,
憑軒涕泗流。


   
           **********************

              岳陽樓に 登る

昔 聞く  洞庭の水,
今 上
(のぼ)る  岳陽樓。
呉楚  東南に 
(さ)け,
乾坤 日夜  浮かぶ。
親朋  一字 無く,
老病  孤舟 有り。
戎馬
(じゅうば) 關山の北,
軒に憑
(よ)りて  涕泗(ていし) 流る。
             ******************

◎ 私感訳註:

※杜甫:盛唐の詩人。712年(先天元年)〜770年(大暦五年)。字は子美。居処によって、少陵と号する。工部員外郎という官職から、工部と呼ぶ。晩唐の杜牧に対して、老杜と呼ぶ。さらに後世、詩聖と称える。鞏県(現・河南省)の人。官に志すが容れられず、安禄山の乱やその後の諸乱に遭って、流浪の一生を送った。そのため、詩風は時期によって複雑な感情を込めた悲痛な社会描写のものになる。

※登岳陽樓:岳陽樓に登る。 ・岳陽樓:湖南省岳陽市市街の北西、岳陽城の西城門上の楼閣。楼は、三層二十メートルの黄色瑠璃瓦葺きで、各層の軒先が天に向かってぴんと跳ね上がった、特徴のある楼門で、「岳陽門」の額が掛けられている。岳陽楼は、西は洞庭湖に臨み、遥か対岸の君山を望む。北は長江を扼しており、この場所はちょうど洞庭湖と長江の接点になっており、両方を抑えている。そのため、三国の呉の時代に水師(水軍)の閲兵台となり、後、唐代に楼閣が建てられた。やがて兵火に遭い、北宋時に再建された。多くの詩人に洞庭湖と倶に歌われた。本サイトでは、宋の戴復古の『柳梢』『岳陽樓』「袖劍飛吟」がある。北宋の范仲淹の『岳陽樓記』で、とりわけ有名になる。

※昔聞洞庭水:以前に(言い伝えで)聞いていた洞庭湖。 ・昔聞:以前に(言い伝えで)聞いていた洞庭湖に。 ・聞:〔ぶん(もん);wen2○〕きく。きこえる。 〔ぶん(もん);wen4●〕知れわたる。耳に入る。 ・洞庭水:洞庭湖

※今上岳陽樓:(そして)今、実際に(洞庭湖畔の)岳陽樓にのぼる。 ・今上:今、(実際に)のぼる。
岳陽楼前より岳陽門と洞庭湖を望む。
大陸旅游倶楽部三國志篇より賜る

※呉楚東南:呉楚の地方は東南部分だ裂けていて。 *「呉楚 東南にけ」というよりも「呉楚  東南 け」の方がしっくりするが、ここは伝統に従う。 ・呉楚東南:南国「呉楚」の地方は、東南部分が裂けて(洞庭湖となった)。この場合と同様の意味で、孟郊の『渭上思歸』「獨訪千里信,回臨千里河。家在
呉楚ク,涙寄東南波。」がある。少なくとも当時の者は、こう感じていたのだろう。また、『列子・湯問』にも「(女補天の故事の後)其後共工氏與爭爲帝,怒而觸不周之山,折天柱,絶地維;故天傾西北,日月星辰就焉;地不滿東南故百川水潦歸焉。」とあり、東南が低くなっていることが分かる。『楚辭・天問』に「墜何故以東南?九州安錯?」と同じく東南側が下がり、川が注いでいくことをいう。蛇足になるが、この部分の続きが陶潜詩『游斜川』の「曾城」のことについて触れている。また、清末に孫文が「半壁東南三楚雄,劉カ死去霸圖空。尚余遺艱難甚,誰與斯人慷慨同。塞上秋風悲戰馬,~州落日泣哀鴻。幾時痛飮黄龍酒,攬江流一奠公。」として使っている。 ・呉楚:長安の者にとっての遥かな南国。戦国時代の呉と楚の二国。現在の江蘇、浙江省と河南、湖北、湖南省になる。  ・東南:南東方向。南東の部分。 ・坼:〔たく;che4●〕裂く。裂ける。割れ目。唐・孟浩然の『望洞庭湖贈張丞相』「八月湖水平,混太C。氣蒸雲夢澤,波撼岳陽城。欲濟無舟楫,端居恥聖明。坐觀垂釣者,徒有羨魚情。」に同じ。 *なお、この句の解釈は、「(洞庭湖によって)呉と楚は、東と南に分けられた」ともする。

※乾坤日夜浮:天にある太陽と月が昼と夜で入れ替わって、湖水の上を常に浮かんでいる。 ・乾坤:〔けんこん;qian2kun1○○〕天地。(日月、男女、陰陽)ただし、ここでは天にある太陽や月と取らないと意味が通じにくい。「乾坤」は、易の用語でもあり、「天地」というときよりも、抽象的な響きを持つ。 ・日夜浮:(太陽と月が入れ替わって)、湖水の上を常に浮かんでいる。『水經・湘水』註に「洞庭湖水廣五百餘里,日月若出沒其中。」とある。

※親朋無一字:親戚や朋友からの手紙は一文字すらなく。 ・親朋:親戚と朋友。「親戚と朋友」の意で「親友」という語があるが、「親友」は
○●で、●●となるべきところで使い、「親朋」は○○で、○○のところで使う。それ故、この表現は、替えられない。 ・一字:短い手紙。一言の便り。

※老病有孤舟:老いと病気の我が身一つである。 ・老病:ここでは、老いと病気。 ・孤舟:(ぽつんと)一つ(だけ)の小舟。孤独であるということを、湖上の景を兼ねていう。

※戎馬關山北:戦闘が山の向こうでおこなわれており。 ・戎馬:〔じゅうば;rong2ma3●○〕兵馬、軍馬。転じて、戦争。 ・關山:関所となる山々。故郷の周囲の山。

※憑軒涕泗流:高殿に上り、欄干に寄りかかって、遠くを眺めやって物思いに耽ると、涙が止めどもなく流れてくる。 ・憑軒:手摺りによる。高殿に上り、欄干に寄りかかって、遠くを眺めやって物思いに耽ること。詩詞での慕情、望郷、詠史、慨世等の常套表現。 ・涕泗:〔ていし;ti4si4●●〕涙と鼻水。





◎ 構成について

 韻式は「AAA」。韻脚は「塋城聲」で、平水韻下平八庚。次の平仄はこの作品のもの。

   
●◎○●●○○,(韻)
   ●●○○●●○。(韻)
   ○○●●○○●,
   ○●○○○●○。(韻)


2003.11.11完
     11.13補
      6. 1
2005. 6.20
2007. 4.28

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