Huanying xinshang Ding Fengzhang de wangye

                            


永王東巡歌

李白
三川北虜亂如麻,
四海南奔似永嘉。
但用東山謝安石,
爲君談笑靜胡沙。



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永王東巡歌      

三川さんせん北虜ほくりょ  亂れてあさの如く,
四海 南奔なんぽん  永嘉えいかに似たり。
だ 東山とうざん謝安石しゃあんせきもちうれば,
君がために 談笑して  胡沙こさを靜めん。

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◎ 私感註釈

※李白:盛唐の詩人。字は太白。自ら青蓮居士と号する。世に詩仙と称される。701年(嗣聖十八年)〜762年(寶應元年)。西域・隴西の成紀の人で、四川で育つ。若くして諸国を漫遊し、後に出仕して、翰林供奉となるが高力士の讒言に遭い、退けられる。安史の乱では苦労をする。後、永王が謀亂(?)を起こしたのに際して幕僚となっていたために、罪を得て夜郎にながされたが、やがて赦された

※永王東巡歌:安禄山の乱に際して、玄宗の皇子である永王の幕僚として、長江の中下流域を東巡して安定させた時の歌。 ・永王:李璘。永王・璘。玄宗の皇子で、四道節度使として、長江の中下流域を安定(=東巡)させた人物。なお、この後、永王の行為は「擅」(ほしいまま)であるとされ、粛宗(玄宗の次の皇帝=永王の兄)より叛乱軍と看做され紂滅された。 *唐・天寶十五年(756年)六月に玄宗は安史の叛乱軍の威脅の下で、長安から急ぎ蜀の成都に移ることとなった。その途上・長安西方の馬嵬駅附近で、皇太子・李亨が別行動を取って北上し、七月に靈武の地(朔方節度使=現・寧夏回族自治区の北方)で自ら皇帝(肅宗)となり、回紇(かいこつ=ウイグル)などの北方異民族の援軍を得て、朔北・華北に唐朝の影響力を恢復していった。玄宗はやむを得ず事後承認した。その前後、玄宗は皇帝として、永王・璘を四道節度使として、江陵から出陣して長江の中下流域を安定(=東巡)させた。やがて、兄弟間の政治権力闘争が起こり、玄宗は兄・肅宗の圧倒的な軍事力を前にして、弟・永王を暴乱と断定し、断罪した。李白は永王に見出されて、宮廷詩人としてではなく、軍の幕僚として永王の許に馳せ参じ、国家の急を救おうと意気高らかに歌いあげたのが『永王東巡歌十一首』である。『舊唐書・列傳・文苑』には李白の條があり、「(安)祿山之亂,玄宗幸蜀,在途以永王璘爲江淮兵馬キ督、揚州節度大使,(李)白在宣州謁見,遂辟爲從事。永王謀亂,兵敗,(李)白坐長流夜カ。後遇赦得還,竟以飮酒過度,醉死於宣城。」とある。永王璘が、叛乱軍とされたことに連坐して、作者・李白も罪を得た。これはその十一首の中の二。『永王東巡歌十一首』之一はこちら

※三川北虜亂如麻:(洛陽南方の伊水、洛水、河水(黄河)の)三川(さんせん)一帯を、北方異民族(叛乱軍のこと)は、乱して麻(あさ)のようにしてしまい。・三川:洛陽南方の伊水、洛水、河水(黄河)の)一帯。洛陽一帯のこと。『中国史稿地図集』下冊(郭沫若主編 中国地図出版社)19−20ページ「安禄山之亂」「史思明之亂」では、官軍と叛(乱)軍とは、渭水、黄河流域を大きな円を画くように軍隊移動がされ、主戦場は渭水以北。後世、宋・陸游は『桃源憶故人』題華山圖で「中原當日三川震,關輔回頭煨燼。涙盡兩河征鎭,日望中興運。秋風霜滿鬢,老却新豐英俊。雲外華山千仞,依舊無人問。」と詠う。ただ、陸游の場合は靖康之変を謂い、李白の場合は「安禄山之亂」(安史之亂)を指す。 ・北虜:北方異民族。北狄。安禄山の乱を起こした安禄山は、ペルシア系ソグド人と突厥系の混血なので、東北アジア人とは異なった容貌をしていた。 ・亂如麻:麻(あさ)糸が縺(もつ)れるように乱れることの形容。

※四海南奔似永嘉:くにじゅうで南に避難したのは、永嘉(えいか)の乱の時(に似ている。 ・四海:国中。世の中。四方の海の内。また、四方のえびす。ここは、前者の意。 ・南奔:南の方に逃げ出す。『晉書・列傳・王導』「晉國既建,以(王)爲丞相軍諮祭酒。桓彝(桓階の弟、桓温の父)初過江,見朝廷微弱,謂曰:「我以中州多故,來此欲求全活,而寡弱如此,將何以濟!」憂懼不樂。往見(王),極談世事,還,謂(周)曰:『向見管夷吾,無復憂矣。』過江人士,毎至暇日,相要出新亭飮宴。中坐而歎曰:『風景不殊,舉目有江河之異。」皆相視流涕。惟(王)愀然變色曰:「當共力王室,克復~州,何至作囚相對泣邪!』衆收涙而謝之」。というように、その苦悩が伝えられている。 ・永嘉:晋の懷帝の年号で、307年〜312年の間。ここでは永嘉の乱のことをいう。永嘉の乱とは、西晋末に起こった北方異民族(匈奴)の王・劉聡による叛乱のこと。八王の乱が起こり、晋室の勢力は後退し、五胡(匈奴・鮮卑・羯・氐・羌の五民族)が自立するようになり、やがて南匈奴の劉淵が漢王と称して自立。やがて、皇帝の位に就いた。劉淵の子・劉聡は、西晋の都・洛陽を陥落させ、懐帝を漢の都・平陽に拉致して、二年後に殺した。やがて、西晋は滅び、その後亡、五胡十六国時代になる。その契機の変乱。

※但用東山謝安石:ただ東山に隠棲していた謝安石(しゃあんせき)同様に百万の大軍を大破することができる人物を用いたのならば。 ・但:ただ…ならば。 ・東山:元・浙江省上虞県西南(杭州湾南岸)にある。大蘭山や会稽山や若邪山の辺りになろうか。『中国歴史地図集』第四冊 東晋十六国・南北朝時期(中国地図出版社)27−28ページなどにはない。 ・謝安石:謝安のこと。東晋の政治家。名臣。字が安石。ここでは作者・李白のことをいうか。後世、南宋・辛棄疾は、『念奴嬌』登建康賞心亭,呈史留守致道「我來弔古,上危樓、贏得闖D千斛。虎踞龍蟠何處是?只有興亡滿目。柳外斜陽,水邊歸鳥,隴上吹喬木。片帆西去,一聲誰噴霜竹?   却憶
安石風流,東山歳晩,涙落哀箏曲。兒輩功名キ付與,長日惟消棋局。寶鏡難尋,碧雲將暮,誰勸杯中香H江頭風怒,朝來波浪翻屋。」と詠う。

※爲君談笑靜胡沙:君(永王)の為に、いとも容易(たやす)く、かつての軍師のように談笑の間に、異民族が巻き起こしている戦塵を静めてしまうことだろう。 ・爲君:君主のために。ここでの「君」とは永王のことになる。 ・談笑:話したり笑ったりする。余裕のある態度を表す。後世、宋・蘇軾の『念奴嬌』 「大江東去,浪淘盡、千古風流人物。故壘西邊,人道是、三國周カ赤壁。亂石穿空,驚濤拍岸,卷起千堆雪。江山如畫,一時多少豪傑。   遙想公瑾當年,小喬初嫁了,雄姿英發。註綸巾,
談笑、檣櫓灰飛煙滅。故國~遊,多情應笑我,早生華髪。人間如夢,一樽還酹江月。」や、宋・劉克莊の『賀新カ』「北望~州路,試平章 這場公事,怎生分付? 記得太行山百萬,曾入宗爺駕馭。今把作握蛇騎虎。加去京東豪傑喜,想投戈、下拜真吾父。談笑,定齊魯。兩河蕭瑟惟狐兔,問當年 祖生去後,有人來否? 多少新亭揮泪客,誰夢中原塊土?算事業須由人做。」にと詠う。 ・靜:静める。動詞として使う。 ・胡沙:異民族が巻き起こす戦塵。


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◎ 構成について

 韻式は、「AAA」。韻脚は「麻嘉沙」で、平水韻下平六麻。この作品の平仄は、次の通り。

○○●●●○○,(韻)
●●○◎●●○。(韻)
●●○○●○●,
●○○●●○○。(韻)

2008.9.17
     9.18
     9.19



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