すのものの「いろいろ」(その115)

朝日新聞「プロ野球短信」>「統合された近鉄」の意味

1日づけ大阪本社版スポーツ面「プロ野球短信」の 「楽天の初代選手会長に礒部」に 《礒部は統合された近鉄最後の選手会長で》とある。 一瞬どういう意味か考えてしまったが、 “統合された結果できた近鉄”ではなく、 “オリックスと統合された近鉄”の意味だったのだ。

2005-02-02 (3) 01:05:26 +0900

朝日新聞>最近、表の数値に全角と半角を混ぜるので見にくい場合がある

1日づけ大阪本社版第一面の 『合併自治体 / 「在任特例」適用6割 / コスト差額220億円」。 都道府県別の表から、一部を引用する。

福 岡 8 7 10.0
佐 賀 4 2 1.6
長 崎 8 4 7.3
熊 本 10 8 7.2
大 分 9 4 5.0
宮 崎 − −   −
鹿児島 6 0   0
わかりにくい理由は次の通り。 普通に書けば
福 岡  8  7 10.0
佐 賀  4  2  1.6
長 崎  8  4  7.3
熊 本 10  8  7.2
大 分  9  4  5.0
宮 崎  -  -  ---
鹿児島  6  0  0.0
とでもなろうか。

2005-02-02 (3) 00:58:07 +0900

きょうの補筆箇所

2005-02-01 (2) 02:58:24 +0900

漢語はどんなにむずかしくても“原綴”のまま日本語の文章に取り込まれる

専門家向けでない日本語の文章の中に突然フランス語の単語を原綴のまま使ったら、 わからない人がほとんどだろう。 カナで音写しても、 フランス語の単語はカタカナ書きされることが少ないので、 わかりにくいと思われる。前に「オトン」の例をあげた。 (《フォションの店先で「オトン」というのを見たが automne とは想像できず》 参照。)

ロシア語やギリシア語になると、 ロシア文字・ギリシア文字を知っている人が少ないこともあり、 原綴のまま使って通じる可能性はぐっと減る。 アラビア語やヘブライ語になったら、まず無理だろう。

しかし、漢語の場合は、どんなむずかしい漢字を使っていても、 日本語の文章の中に原綴のまま入れていいわけだ。

(漢字は全体で一つの体系だから、 英語は OK でフランス語はややむずかしく、 ロシア語やギリシア語になるとかなりむずかしくなって、 という議論とは比べられない、と言われればそれまでだが。)

2005-02-01 (2) 01:35:35 +0900

「破綻」を「はじょう」と読むのと「比較」を「ひかく」と読むことの比較

前者はネット上でときどき見るもの。 ほかに「既出」を「がいしゅつ」と読むなどがある。 そう読むというだけでなく、そう打ち込んで漢字に変換しようとし、 出ないのでひらがなのままにしたり、誤変換したままにすることもある。 (わかってわざとやっている場合も。)

「比較」は「ひかく」と読まれることがほとんどだが、 「較」の本来の漢字音は「カウ」であり、 「ひかく」と読むのは誤読あるいは慣用である。 ほかの例としては、「輸入」の「輸」を「ユ」と読むこともそうである。 「シュ」が正しいらしい。 これらは元々は間違いだったのだろうが、 いまでは正式なものとなっている。

前者もそうなりえるのか、なりえないのか。

2005-02-01 (2) 01:23:22 +0900

冗談>旧暦の冬至だけあって、さすがに寒いな

きょうが旧暦では十二月 23 日。

2005-02-01 (2) 01:17:09 +0900

啄木の 歌集を読んで 考えた これなら俺にも 作れそうだと

岩波文庫の久保田正文編「新編 啄木歌集」(1993 年)を読んでいるのだが、 「文学部唯野教授」に引用されていた歌、有名な歌が出てきて、 「ああ、あれってここにあったの!」ということが数回。

ローマ字日記はずっと前に読んだ。 あの中にも短歌が出てくるのだが、 ふざけて作ったというような記述があるため、 あそこに載っている歌だけがああいう調子なのかと思っていたら、違った。 それに、あの中の歌も、歌集に載っているんだ。

タイトル行は狂歌か何かのようですな。

2005-01-31 (1) 21:58:32 +0900

回文>「毒蝮のシムマクド」(どくまむしのしむまくど)

「シムマクド」は架空のゲーム名で、 マクド*ルドの経営のシミュレーションをするもの。 プレイヤーは毒蝮三太夫になってハンバーガー店を開き、 「ババア」「ジジイ」「くたばりぞこない」 などの悪口雑言でおじいちゃん・ おばあちゃんを引きつけながら、お客さんを増やしてゆくのである。

付)私の回文って、 回文というよりは逆転した文字列を無理にこじつけてるって感じだなあ……。

2005-01-31 (1) 21:00:45 +0900

回文>「『眠い』は忌むね」(ねむいはいむね)

本文ナシ

2005-01-31 (1) 20:52:27 +0900

「友だちが二人結婚した」と「友だち二人が結婚した」の違い

後者はその二人が結婚した場合、かな?

2005-01-31 (1) 20:51:13 +0900

1950 年生まれのリービ英雄氏が「20世紀後半」に生まれたとは?

2004年12月12日づけ朝日新聞大阪本社版オピニオン面の 「時流自論」はリービ英雄氏。 その中に《20世紀後半に「がいじん」として生まれて、 人生の途中で日本語を読み始め、 やがては日本語を書くようになった者から見れば》 というのは自身のことを指しているのであろう。 しかし、顔写真の下には「50年、米国生まれ」とあるのであった。

二十世紀は 1901 年から 2000 年までで、 うるう日を無視して計算すれば 1950 年までが前半であり、 1951 年からが後半である。 この間には、うるう年が四年ごとに規則的にはいった。 よって、うるう日は 1901 年から 1950 年までに 12 回、 1950 年から 2000 年までに 13 回。 よって、二十世紀のまん中の日は 1951 年 01 月 01 日であったことになる。 (《(international) week number で第 53 週まである年はどのように分布する?》 の表によれば、 二十世紀の初めの日は火曜日であり、最後の日は日曜日だった。 そしてまん中の日は月曜日である。)

だから、もしもリービ英雄氏が 1950 年 12 月 31 日の夜遅くに生まれたのだとしたら、 日本時間では 1951 年 01 月 01 日の正午すぎ、 すなわち二十世紀後半の生まれとなるかもしれない。

それとも私の完全な誤読か。

2005-01-31 (1) 00:59:05 +0900

商品名「バンテリン クリーミィーゲル」は「ミィ」に「ー」が続く

2004年12月12日づけ朝日新聞大阪本社版スポーツ面の下の広告に出ている。 「ミー」でいいところを「ミィ」と書くのが流行しているようだが、 これはそれとは違うようだ。なぜなら、次に「ー」がきているから。 「ミィー」全体で「ミー」とどう違うのか、激しく疑問。

2005-01-31 (1) 00:44:41 +0900

朝日新聞>(たぶん)「二○○四年」という誤植 / これは零じゃなくて丸

2004年12月12日づけ朝日新聞大阪本社版読書面、 「ポケットから」は橋爪大三郎氏。 その最初の部分に「二○○四年」とあるのが、何となく変である。 「○」を前項の吉田秀和全集の書評中の「六〇」「七〇」と比べると、 形が丸に近く、線が細いので、マルバツの「○」であろうと見当がついた。

原文は縦書き。

2005-01-31 (1) 00:39:43 +0900

ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」の「宿命の嬰ト音」って何のこと?

2004年12月12日づけ朝日新聞大阪本社版読書面の、吉田秀和全集。 評者は青柳いづみこ氏である。 その中に 《プルーストの『失われた時を求めて』の一節、 ある貴婦人の「嬰ト音のように無限に引きのばされていた微笑」を読むと、 ワーグナー『トリスタンとイゾルデ』の宿命の嬰ト音を連想してしまう》 とあるのは吉田氏が連想したように読めるが、これって何のことだろう?

2005-01-31 (1) 00:31:57 +0900

付) 「トリスタン 嬰ト音」で Google を検索してもこの書評一件しかひっかからない。 「トリスタン gis」は複数のページにあるが、 それらしきページは見つからなかった。

2005-01-31 (1) 22:00:39 +0900

先進国の子どもは科学者に暗いイメージを持つそうだが、ほかの職業は?

2004年12月12日づけ朝日新聞大阪本社版 Science&Technology 面 『世界の子どもに聞きました / 科学者ってどう見える? / 日英では「暗い」「マニアック」な印象 / 途上国「光り輝く存在」』。

では、ほかの職業はどうなのだろうか。 私の予想では、すべての職業について、 先進国のほうが途上国よりも否定的なイメージを持っている子が多いのではないかと思う。 たとえば明治維新のころを想像してみれば、 政治家になって国をよくするとか、実業家になって国と富ませるとか、 いろいろな夢があったであろう。 それらが一段落して、否定的な面が見えてきているのが先進国だと思うのだ。

だから、すべての職業のイメージの平均と比べないことには、 科学者のイメージは論じられないと思うのだが、 記事にはそういう比較は全くない。

付) 発展途上国では、学校で理科の時間に習ったことが家の仕事にすぐに生かせた、 なんてこともあるだろうと思う。 なんとかして生かせないか、と関心を持つ子も多いはずだ。

2005-01-31 (1) 00:20:31 +0900

朝日新聞>珍しく漢字ばかりの見出し「伊首相贈賄事件 / 時効・無罪判決」

タイトル行の引用は2004年12月12日づけ大阪本社版国際面の見出しから。 「・」はあるものの、全て漢字だ。 こういうのは「戒名見出し」として嫌われる、と聞いたことあり。

書いたのは郷富佐子記者。見出しをつけたのは本人とは限るまい。

2005-01-31 (1) 00:11:57 +0900

朝日新聞>ドラマのセリフとレポーターの言葉づかいは別物では

28日づけ大阪本社面テレビ面「サブch.」は 「言葉が命、軽んじたら毒に」。

毒蝮三太夫は「ジジイ」「ババア」「くたばりぞこない」 などの悪口雑言を連発するが 「クソババア」とは絶対に言わないという話をまくらに、 《そんな気持ちでドラマ「87%」(日本系)を見たものだから、 ヒロインの一人っ子が母の友人に「クソババア」を連発するのが、 とりわけ気になった。 「試写室」欄で指摘すると、知人の奥さんたちから同意の声をもらった》 とあるが、ドラマの登場人物のセリフはフィクションではないか。 それと現実のキャラクタである毒蝮三太夫の言葉づかいを一緒にするのはなんだか変。 佐々木正紀と署名あり。

ふと 《劇中の人物が医学的に正しくない命題を言うのは「差別」か?》 を思い出した。

付) 念のため付け足しておくと、 そういう違いはあるものの、 あるいは、いくらドラマでも、やっぱり「クソババア」はいやだ、 という議論なら理解できる。

2005-01-31 (1) 00:06:14 +0900

朝日新聞>南極の夏は「太陽が夜も沈まない」のか「夜がない」のか

29日づけ大阪本社版、「Do科学」面。 武田剛記者の写真の説明に 《魚眼レンズで見た南極の夏空。 太陽は一日中沈まず、夜は地平線を横に移動する》とあったので 「おや」と思った。 「夜はない」と思っていたからだ。

レンズの特性で円を描くように見える》 という解説は、 魚眼でない普通の超広角レンズでも円を描くはずだから、 必ずしも妥当ではないと思う。 (それでも、簡潔でうまいからいいと思うが。)

1時間ごとに24回多重露光》とあるが、 もしも2時間ごとの 12 回多重露光だったら、 アナログ時計の文字盤にしてみたいようなすてきな写真である。 画面中央は真っ青な空。 写っている太陽が「時」のマークになるのだ。

付)想像だが、眠る時間帯を「夜」と呼んでいるのではあるまいか。 もしもそうでないとしたら、なんて呼ぶ?

付) レンズの画角は対角線方向で言うので、 普通のカメラだと超広角レンズをつけても太陽の像はフィルムからはみ出してしまうだろう。 ここでは、像の対角線を直径とする丸いフィルムがあったとして、 と考えてほしい。

2005-01-30 (0) 23:45:07 +0900

朝日新聞連載小説「讃歌」>「リークする」の意味を取り違えていないか

29日づけ大阪本社版に掲載された第 133 回。 《事前に園子側が「ゲッター!」の記事内容をリークして、 すぐに老舗月刊誌の編集部を巻き込んで、 反撃に出たとしか考えられない》とあるが、 「ゲッター!」は主人公である園子に対し批判的であり、 《裏も取らないままに誹謗中傷記事を満載》させている雑誌である。 「リークする」は「漏らす」の意味で、意図的に漏らすことも指す。 だが、それでは意味が通じないだろう。 「先にそっと知って」の意味で使っているものと思われる。

2005-01-30 (0) 23:30:41 +0900

朝日新聞>「返り討ち」の意味を正しく理解していないと思われる

29日づけ大阪本社版芸能面の、中村獅童の「丹下左膳」。 《だが、藩士の兄を切腹から救おうと家老に直訴して返り討ちにあい》 と書いているのは、「返り討ち」の意味を正しく理解していないのであろう。 かたき討ちをしようとしてかたきに殺されるのが返り討ちであるから。

2005-01-30 (0) 23:24:01 +0900

「鳥肌が立つ」を興奮した際に使った小林多喜二はわかって使っているのでは

きょうづけ朝日新聞大阪本社版オピニオン面「ことばの交差点」は「鳥肌が立つ」。

感動した際に使うケースが朝日新聞の紙面で目立ち始めるのは80年代半ばですが、 小林多喜二の「不在地主」(1929年)に 「身体に鳥膚が立つ程興奮を感じた」との表現があり、 新しい用例とばかりも言えません。

この例は、 「恐怖感を覚えるほど興奮を感じた」という意味ではないかとも思うのだが。 もしそうなら、本来の意味はわかったうえでこのような場合にも使ったことになる。 こうやって使っているうち、 だんだんに本来の意味が忘れられてゆくことは容易に想像される。

このコラムにはそういう指摘はなかった。

2005-01-30 (0) 23:05:17 +0900

朝日新聞連載小説「讃歌」>首を痛めた人にはビオラは重くてつらいかも

主人公は元はバイオリンを弾いていたが、いまはビオラを弾いている。 しかし、事故で首を痛めたという設定だったはずで、 そうだとすると、バイオリンよりも重くて大きいビオラは首に負担が大きいから、 構えるだけでつらいのではないかと思うのだが。

2005-01-30 (0) 22:52:06 +0900

朝日新聞連載小説「讃歌」>コンサートでの挨拶って録画されているものかな

きょうづけ大阪本社版掲載分の第 134 回に 《それより少し早く、ワイドショーでは、園子の舞台上での 「最後の挨拶」が放映され》とあるが、 これは少し前の回にあった、 コンサート終了後に主人公のビオラ奏者が舞台から “これでしばらく消えます”というようなことを述べたくだりを指す。 コンサート会場はふつう撮影禁止なので、主催者側が録画していたか、 録画を許可していたのでなければ、映像は残らないと思うのだが。

2005-01-30 (0) 22:47:43 +0900

Turing が Riemann 予想を間違いだと証明しようとしたとはどういう意味で?

きょうづけ朝日新聞大阪本社版読書面、 カール・サバー著、黒川重信監修、南條郁子訳「リーマン博士の大予想 / 数学の未解決最難問に挑む」(紀伊国屋書店)、評者は最相葉月氏。

コンピューターの基礎を築いたアラン・チューリングのように、 リーマンが間違っていることを証明しようとした人もいる (その可能性は否定されていない)》というのは、 リーマン予想が偽であるということを証明しようとした、 という意味だろうか?  そうではなくて、 リーマン予想が ZFC から独立であることを示そうとし、 予想することが誤りだと言おうとした、 という意味ではないかとも思うのだが。

付)「コンピューターの基礎を築いた」は “黎明期のコンピュータ製作にたずさわった”と解釈されると困るよなあ。

付) もひとつついでに。 《この素数分布に規則性があると予想したのがリーマンである。 ところが、証明せずに亡くなってしまった。 困ったのは後世の数学者である。数学の根幹にかかわる重要な問題だったためだ。 リーマン予想が証明されれば解ける定理が五百余あるのだから》 とあるが、別に困ってはいないだろう。 「解ける定理」もことばづかいが変。

2005-01-30 (0) 22:36:27 +0900

朝日新聞>「ザァー」という表記の擬音語

きょうづけ大阪本社版サイエンス面「技のある風景」は「耐えるノートパソコン」。 その冒頭に《ドン、ガタガタ、ザァー》とある。 次を読むと水をかけられる音だとわかるが、 「ザー」「ザアー」のどちらとも違うのか。どういう音なのか。

2005-01-30 (0) 22:25:43 +0900

更新記録 --- 「未読の朝日新聞の数」を新設、メールアドレス表示を変更

すのものの「未読の朝日新聞の数」》 を新規作成。 いままで、月末ごとにその月の分だけを書き足して「いろいろ」に載せていたが、 長丁場になりそうなので。

当然、トップページからそのページへリンクをはったが、 そのついでに、前からやろうと思っていた、 迷惑メール除けのためのメールアドレス表示の変更を行なった。

トップページの「メールアドレスについて」を削除。 その内容は次の通り。 (ただし、迷惑メール除けのために半角の「@」を全角の「◎」で置き換えてある。)

メールアドレスが ZEM97513◎biglobe.ne.jp から sunomono◎muf.biglobe.ne.jp に変わりました。 実体は同一ですので従来のアドレスに送られても着きますが、 こちらからお送りするメールのアドレスはすべて新しいものになります。

一番下に、 <ADDRESS> ... </ADDRESS> ではさんだ中に 「&lt<A HREF="mailto:sunomono◎muf.biglobe.ne.jp">sunomono◎muf.biglobe.ne.jp</A>&gt」 とも書いていたが、 これを削除。 (ここでも「@」を「◎」で置き換えてある。)

代わりに「連絡先」として 《メールアドレスは sunomono◎muf.biglobe.ne.jp です。 「◎」は「@」で置き換えてください》 と書いた。

さらに、何箇所かで同様の置き換えを行なった。

2005-01-30 (0) 22:19:12 +0900

「まとまった雪が降るでしょう」の「まとまった」は辞書に出ていない?

「まとまった雪が降るでしょう」と聞いて雪のかたまりが降ると思う人は……》 と 《天気予報は「25センチほどのまとまった雪が降るでしょう」と言うけれど》 を書いたときには私は珍しい表現だと思っていたようだが、 《きのう作った新語「雪浮かれ」>表日本の人が裏日本で雪を見て浮かれること》 では自分でも使っている。

手元の辞書では、広辞苑第五版が「まとまる」の例文に 「まとまった金を用意する」を載せているが、 「まとまる」の説明から意味がわかるとは思えない。 小銭ではなく札束で、というような意味にとられてしまいそうだ。

「かなりの量の、無視できない量の」ぐらいの意味になるかと思うが。

2005-01-30 (0) 22:05:16 +0900

ちびまる子ちゃん>OHPのことをスライドと言っていた

きょうの放送分。影絵の話。 次の時間はスライドだと言っていったが、 運んでいたのはOHPのプロジェクターだった。 スライドを知らない世代が作っているんだろうなあ。

(その前の話では久しぶりにたまちゃんのお母さんが登場。 お父さんはブランデーグラスを手にしていたが、 私もブランデーは好きなので、この点でも意見が合いそうだなあ。)

2005-01-30 (0) 19:29:42 +0900

回文>「もらい泣き尽きない らも」(もらいなきつきないらも)

「らも」は故・中島らも氏のファーストネーム。

2005-01-30 (0) 19:26:10 +0900

日本語では「質問する」ことは「そうではないかとお節介をやく」こと?

29日づけ朝日新聞大阪本社版生活面「言いたい」のうちの、 「レジの質問、過剰では」。 短いので全部を引用する。51 歳の事務員の投書である。

毎朝、コンビニエンスストアで昼食用のおにぎりを買って出勤しています。 店員から「温めますか」ときかれるたび、 「すぐパクつくように見えますか?」という言葉が、ノドまで出かかります。 スーツ姿の私は誰が見ても「今から仕事」の格好なのに……。 渋い顔をしていると、店員は不思議そうな表情をします。

スーパーでも「カード持っていますか」「お箸、お付けしますか」ときかれます。 質問が過剰な気がして仕方がないのですが。レジは淡々と行ってほしいと思います。

「質問が過剰である」という主張の内容はわかるが、 だったらスーツ姿うんぬんは関係ないのではないか。 「温めてほしい人は自分から申し出るようにして、レジでは聞かないでくれ」 という主張なら理解できる。 しかし、『誰が見ても「今から仕事」』 とおにぎりを温めないこととどういう関係があるのだ?  「今から仕事」だからここでおにぎりを買って急いで食べて、 ということは考えつかないのか。

……というようなことはここで言っていてもしかたがないし、 来週にでも反論が載るだろうからおいておくことにして、 日本では、 「質問をする」イコール「そうではないかとお節介をやく」 と解釈されがちなのではないか。

英語では「きょうは出かけるか」と肯定疑問文で聞かれても 「きょうは出かけないか」と否定疑問文で聞かれても、 出かけるなら Yes だし、出かけないなら No である。 それに対し日本語では、出かけそうだと思えば「出かけますか」と、 出かけそうもないと思えば「出かけませんよね」のように聞く。 それと、相手の言ったことを肯定するなら「はい」、 否定するなら「いいえ」で答えることから、 「はい」と答えることのほうがはるかに多いと思われる。 このことから、「いいえ」と答えることが不快な人がいるのではあるまいか。

投書に戻ると、 「渋い顔をしていると、店員は不思議そうな表情を」ということは、 店員がけげんに思ってこの人の顔を見るのだろう。 返事をしていないのではあるまいか。 「はい」「いいえ」で「淡々と」答えることが、 レジ係が「淡々と」作業をすることにつながると思うぞ。

付) 引用の間違いがないかもう一度読み直してみたのだが、 この人はおにぎりを温めてもらってその場で食べる人たちへの侮蔑意識・ 嫌悪感があるのではあるまいか。

付) 毎朝おにぎりを買っているそうだけど、 毎日同じことを聞かれるのがいやなら、 先に自分から「温めなくてよい」という方法がある。 私は職場の生協で「袋いりません」と実行していますぞ。

2005-01-30 (0) 16:44:45 +0900

朝日新聞>「カジュアルフライデー」と「ドレスアップマンディ」の違いは?

29日づけ大阪本社版生活面「疑問解決モンジロー」は 「男のカジュアル進まない?」。 「カジュアルフライデー」は何度か出てくるのだが、 終わり近くに 《「今はドレスアップマンディなんですよ」。アパレル業界の人に言われた》 とあるが、「ディ」は /di/ を表わすのが原則だ。 本当に /maNdi/ と言われたのだろうか? 英語の Monday に由来する「マンデー」ではないかと思うのだが。 《紳士服メーカーなどが01年から、 スーツの需要を喚起しようとキャンペーンを展開しているそうだ》 とあるので、そのキャンペーンの表記のまま書いているのかも知れない。

国立大学の「附属小学校」などを朝日新聞は「付属」と書く。 漢字は新聞社の規則で書き直すがカナは直さない、 ということか。

2005-01-30 (0) 16:24:24 +0900

朝日新聞>双子の年齢をそれぞれに書くこともあるんだ

29日づけ大阪本社版社会面「昼寝中火事、3人死亡」に 《孫で双子の*ちゃん(2)と*ちゃん(2)と見られる》と。

2005-01-30 (0) 16:12:47 +0900

指環>炎を越えるには「かくれかぶと不可」とヴォータンに頼んでおいたら?

「ワルキューレ」の最後でブリュンヒルデが父親ヴォータンに 「かくれかぶとをかぶった人も不可」とオプションの注文をつけておいたら、 「神々のたそがれ」の悲劇は起こらなかったかも。

2005-01-30 (0) 16:07:09 +0900

回文>「完全性定理、×リ井邸戦前か」(かんぜんせいていり×…)

「×りい」という姓をまん中にはめ込めば完成なのだが、 何が適当かわからないのでこのままにしておく。 「堀井」「鳥井」「刈井」「栗井」などなど。

はめ込んでも意味不明であることに変わりはない。 完全性定理について*リ井邸で勉強会をしたのは戦前だったか、とか。

「不完全定理、×リ井邸戦前寡婦」(ふかんぜんせいていり×…) にすると余計わからんな。

2005-01-30 (0) 15:59:36 +0900

引越し料金が大安の日は高めの業者もあるのか……

チラシを見て知った。 三月末や週末が割り引きにならないのはわかるが、 この日はなぜ? と思ったら大安。 それでこのカレンダーには六曜がはいっているのか。

引っ越し先へ事前に何度か行ける場合は、 “吉日”に手で持てるような小さなものを持っていってその日に引っ越したことにし、 あとから残りの荷物を運び込んだことにする、という方法もある。 気にしないのが一番なのだが。

2005-01-30 (0) 15:19:06 +0900

国語力の調査でとんでもない誤答があるが、それは苦しまぎれに書いたのでは

書き取りにせよ、言葉の意味を問う問題にせよ、 とんでもない誤答で笑ったりあきれたりしてしまうのがあるが、 そういうのを書くのは、 「試験では何も書かなければ零点に決まっているんだからとにかく何か書け」 と子どものころから教え込まれているせいではないか。

調査を離れて、生活の中において、 書こうとしている語の書き方がわからなかったり、 出会った語句の意味がわからなかったりした場合、 “あきらめて”辞書をひくという選択もある。 それに合った状況を調査でも作り出すなら、 「わからなければ、無理に答えず、空白にしておいてください」 と指示してから調査を始めるべきだろう。 これだととんでもない誤答はかなり減るかもしれない。

付) ふと思い出したのだが、小学校で 「こういうときあなたならどうしますか」 といったタイプのアンケートに答える前、 注意書きに“試験ではないので、 正解が決まっているわけではないから、自分の思った通りに答えるように” とあったような記憶がある。

2005-01-30 (0) 02:24:18 +0900

「こんなとき、死んだ〜さんが生きていたら…」「死んだら生きてないだろ」

……という意味なし会話を考えてみた。

2005-01-30 (0) 02:11:33 +0900

税金もNHK受信料のように不払いが許されると政治に民意が反映されるかも

きょうの朝日新聞大阪本社版トップ 「NHK / 海老沢氏ら顧問辞任 / 橋本会長緊急会見 / 批判受け一転」。 《視聴者から抗議や批判が殺到する中で》とあるが、 受信料不払いが増えていることも無視できなかっただろう。

2005-01-29 (6) 23:21:42 +0900

margarine(マーガリン)を逆からつづると eniragram(エニラグラム (?))

なんだか意味がありそうな感じの語。 Google で何十件かヒットするのが不思議。

2005-01-29 (6) 23:03:13 +0900

意味なし回文>「針ねずみ、水練りは」(はりねずみみずねりは)

本文ナシ

2005-01-29 (6) 23:01:44 +0900

きょうの補筆箇所

2005-01-29 (6) 02:03:57 +0900

「漢字の読み書き調査」で誤読した児童は、語そのものは知っているのか?

28日づけ朝日新聞大阪本社版社会面の「子供が間違う漢字は?!」。 (間違いの例も見出しにあがっていて、どれで代表させたらよいか迷うが、 これにしておこう。)

文部科学省所管の財団法人「総合初等教育研究所」(岐阜県) が27日に公表した漢字の読み書き調査の結果から》 というのだが、 誤読された語について、 子どもがその語を知っていたかどうかの調査はしているんだろうか。 たとえば、「三日月」を「さん日月」と読む誤答があり、 正解率は 17 パーセントだとあるが、間違えた児童も 「みかづき」という語は知っているのか、 それとも語そのものを知らないのか。 「みかづき」を知らないとは思いたくないが、 自然と親しむ機会が少ないと、知らないことも考えられる。 ほかに誤読の多かった例としてあがっている「米作(べいさく)」 「川下(かわしも)」「肥(こえ)」は、語として知らない可能性が高い。

付) 《「すずしい木かげ」を37%が「小かげ」と書いた》とあるが、 「小陰」「小蔭」という語もある。岩波国語辞典第三版にも載っている。 上代特殊かなづかいで書くなら「木かげ」は kökagë, 「小かげ」 kokagë である。

付) 「折を見て」は私なら「折りを見て」と書くけどな。 こうすれば「せつをみて」と読み間違えられる可能性はより低くなるだろう。

付) 「漢字の読み書き」というが、 正しくは漢字で書かれた語・書かれるべき語の読み書きではないだろうか、 と最近考えている。 「三日月」という表記は、大人は慣れているが、 かなり例外的な読み方である。「三日」は「みっか」なのだから。 漢字の読み書きを覚えれば漢字で書かれる語が読み書きできるようになる、 と考えるのは単純すぎるように思われる。

もう少し、記事から引用しておこう。 《間違いを類型化すると、読みでは音訓の取り違え》が目立ったとし、 その例として「米作」を「こめ作」と読むのがあがっているが、 これは「音訓の取り違え」ととらえるのではなく、 「米作(べいさく)」という語を知らないと考えるべきなのではあるまいか。

2005-01-29 (6) 01:51:07 +0900

「ラインの黄金」幕切れのラインの乙女の三重唱はほんとに変ト長調?

渡辺護「新版 リヒャルト・ワーグナーの芸術」(音楽之友社、1987)では 「ラインの黄金」の幕切れについて 「〈永遠に女性的なもの〉 の象徴としての変ト長調によるラインの乙女たちの嘆きが」 と説明されているが、実際には彼女たちの三重唱は前半が変イ長調、 後半が変ハ短調などで、変ト長調は一度も現れないように思われる。

2005-01-29 (6) 01:23:08 +0900

「マイスタージンガー」には「マジンガー」が隠されている

「フランケンシュタイン」は「フランシタイ(腐乱死体)」を含んでいる》 とやや関係あり。

2005-01-28 (5) 23:52:31 +0900

ベックメッサーとエーファが恋仲でそこに現れたヴァルターはストーカー…

…という設定の「マイスタージンガー」だと、 ヴァルターとエーファがかけおちしようとするところで破綻するからだめだな。

2005-01-28 (5) 23:49:54 +0900

ワーグナーの十の作品で母親である登場人物はエルダとジークリンデだけ?

「ワルキューレ」第三幕前半を久しぶりに聞き、 ジークリンデが子を宿していると告げられるシーンでふと気づいた。

しかし、彼女はみごもったばかりで舞台上から姿を消し、 あとはジークフリートを生んで死ぬという設定であるし、 エルダが母親であるのは「ジークフリート」だけで、 子であるワルキューレやノルンとは全く離れて眠っていたのであり、 こちらもかなり異質である。 (「ワルキューレ」 にはエルダがブリュンヒルデの母親であることが語られるシーンがあるが。)

父親であるキャラクタなら「オランダ人」のダーラント、 「マイスタージンガー」のポーグナー、 「指環」のヴォータン、アルベリヒ、 「パルジファル」のティトゥレルとたくさん登場するのだが。 おおっと、ジークリンデを母親とするならジークムントもか。

注) 「オランダ人」に登場するマリーと 「マイスタージンガー」のマグダレーネは「乳母」とされることが多く、 日本語の「乳母」は(普通)子を産んだ女であるが、 その子は登場しないし、 どうもそうではないような気がしている。 マグダレーネはダーフィットと恋仲なわけだし。 付き添いの女性ぐらいの意味?

2005-01-28 (5) 23:38:32 +0900

ワルキューレたちの動きがト書きと違ったら観客は気づくだろうか?

「ワルキューレ」第三幕冒頭では、 ブリュンヒルデ以外の八人のワルキューレのうち四人が岩山に集まっており、 あとの四人がだんだんにやってくる。 そこのところを変えて上演したら、 観客は気づくだろうか? たとえば、 既に集まっているはずの者が背景から歌い、 途中からやってくるはずの者が最初からいるとか。

途中で役を交換しちゃうとかはなしね。

2005-01-28 (5) 02:27:39 +0900

ワルキューレたちの姿はジークリンデにも見えているのか?

戦死することが決まった戦士にしか見えないんじゃなかったっけ?

2005-01-28 (5) 02:22:01 +0900

回文>「蜘蛛男、事重く」(くもおとこことおもく)

クモ男が、事が重大だったので、の意。

2005-01-27 (4) 23:14:56 +0900

回文>「楽しい篠太」(たのしいしのた)

篠太は人名。

2005-01-27 (4) 23:13:58 +0900

回文>「父親お乳」(ちちおやおちち)

父親がお乳をもらって歩くのか。

2005-01-27 (4) 23:12:49 +0900

回文>「食いにいく」(くいにいく)

本文ナシ

2005-01-27 (4) 23:11:36 +0900

回文>「波多野、その他は?」(はたのそのたは)

本文ナシ

2005-01-27 (4) 23:10:41 +0900

回文>「髑髏を六度」(どくろをろくど)

何かのまじないか。

2005-01-27 (4) 23:09:34 +0900

回文>「野坂・笠野」(のさかかさの)

どちらも姓。

2005-01-27 (4) 23:08:25 +0900

回文>「怪奇・さきいか」「怪奇さ・奇異か」(かいきさきいか)

本文ナシ

2005-01-27 (4) 23:06:54 +0900

棒引きかなづかい回文>「闘犬アンケート」(とーけんあんけーと)

棒引きかなづかいとは、 現代かなづかいのない戦前に表音的かなづかいを目指して考えられたもので、 長音は「ー」で記す。 しかし、 「たろーはあすがっこーへゆくだろー」のように「ー」がかなり目立ち、 不自然な感じがするので受け入れられなかったと聞く。

この失敗はカタカナと組んで使う長音符をそのままひらがなに用いたためであるから、 ひらがな用の長音符を作ればいけるかもしれない。

2005-01-27 (4) 23:03:46 +0900

「返り値の型は?」「AB型です」ってのは誰かとっくに考えてるだろうな

「返り値」と「返り血」が同音であることは前から気がついていたが、 どちらにも「型」があることにきょう気がついた。

2005-01-27 (4) 22:59:28 +0900

きょうの補筆箇所

2005-01-27 (4) 03:25:16 +0900

小泉首相はなぜ実弾送りつけ事件を「テロ」と呼ばないのか?

21日づけ朝日新聞大阪本社版社会面 「断固として暴力排除を / 首相」。 《小泉首相は20日、 小林陽太郎・富士ゼロックス会長宅に実弾が送られたことについて、 「どの方であれ、暴力的行為は、 断固として排除されなければなりません。 どの方でも意見を言うのは自由です」 と非難した》とあるが、 この事件こそ、本来の意味でのテロだろう。 なぜテロという語を使わなかったのか?

小泉首相がテロという語を使わないわけではないことは 《小泉首相は「拉致はテロ」というが「テロ」の定義は?》 などを参照。

付) この記事は 「富士ゼロックス 会長宅に実弾?郵送 / 9日に火炎瓶 / 靖国発言 関連か」 に付属したものである。 この会長は、 《小泉首相の靖国神社参拝について 「個人的にはやめていただきたい」と発言》したそうだ。

付) この「個人的にはやめていだきたい」だが、 私個人としては首相の参拝はやめていただきたいの意味なのか、 個人的な参拝はやめていただきたい、 すなわち公式に参拝していただきたいの意味なのか、 若干不明瞭。たぶん前者であろうが。

2005-01-27 (4) 03:24:34 +0900

朝日新聞>「ぺロッ」という誤植 --- 「ぺ」がひらがな

21日づけ大阪本社版生活面「コバタケ先生のペット通信」に 《舌先が常にぺロッと出てしまう》と。

2005-01-27 (4) 02:47:13 +0900

米国のライス次期国務長官の発言中の「街の広場の試金石」

21日づけ朝日新聞大阪本社版国際面の、 米国のライス次期国務長官の発言から。

世界は(旧ソ連の政治犯でイスラエルの政治家) ナタン・シャランスキーが「街の広場の試金石」と呼ぶやり方を適用すべきだ。

つまり、 もしある人がその街の中心部の広場に歩いていき、 そこで自分の見解を逮捕や投獄や拷問を恐れずに表明することができないのであれば、 その人間は自由社会ではなく、 恐怖の社会に住んでいるということになる。

対偶をとれば、 「広場で自分の見解を逮捕や投獄や拷問を恐れずに表明することができる」 は自由社会であるための必要条件だと言っているわけだが、 十分条件ではあるまい。 逮捕・投獄・拷問は支配者のすることだが、 それ以外の者からのテロの恐怖もあるからだ。 発言に対し、(一見したところ)政府とは無関係の者からの脅迫、 暴行などの恐れのある社会は真に自由だとは思われない。

付) ところで、 もしある人がその街の中心部の広場に歩いていけない場合には、 この命題は真なのか偽なのか? つまり、 政治犯として収容されているような場合である。 「もし」が「歩いていき」までだけにかかっており、 そう“ならば”と続いているのなら、 前件が偽なので全体は真になる。 それがはっきりわかるように言いかえるなら 「もしある人がその街の中心部の広場に歩いていくなら そこで自分の見解を逮捕や投獄や拷問を恐れずに表明することができる」 となる。たぶんそうではないと思うが。

2005-01-27 (4) 02:34:26 +0900

男子のみが継承する世襲制の場合、側室を置くことに意義があると思うが

側室を置かないと、 ひと月のうち真に“お世継ぎ”づくりに努力できる期間は限られるし、 いったん懐妊したら出産するまではいかなる努力も無意味である。 側室を何人か置けば、毎日、昼も夜も努力することができる。

その効果がどのくらいになるかは、医学的見地から計算できると思われるが。

2005-01-27 (4) 01:42:55 +0900

いまのランドセルには昔はなかったポケットとかついているのかな

ランドセルのコマーシャルが見られる季節になった。 そのほとんどは小学校入学前の子どもの親や祖父母を対象としていると思われるが、 新しい機能については二三年前に 「A4サイズの教材が入れられる」というのを聞いたものの、 それ以外にはあまり耳にしない。

全児童に電波が出る何かを持たせて、安全をはかるという話を読んだ記憶があるが、 そういうものを入れるポケットはないのか。 (最近のバッグには携帯電話を入れるポケットがついているというのがよくあるが、 まさか、ランドセルにはつけないだろう。)

外側に、防犯ブザーをぶらさげるフックをつけることも考えられる。

また、いまの子どもは発育が早いから、 ランドセルを背負っているうちに生理が始まることも多いだろう。 Google で「ランドセル 生理用品」を検索すると、 ランドセルに必ず生理用品を入れておきましょうと習った、 というようなページが見つかる。 生理用品は教科書や文房具などと比べると、 やや人目につきにくいところに入れておきたいと思うだろうから、例えば、 生理用品を入れてファスナーが閉められる、 というようなポケットがついていれば宣伝のポイントになるのではないか。 しかし、そのような宣伝はあまり見ない。 上級生になれば別に手提げかばんを持ったりするか。

(それなら、中学生高校生のもつ学生かばんも同じではないか、 と言われるかもしれないが、 それを選ぶときには本人も家族も生理のことをわかっているだろう。 それに対し、小学校にあがる前の子のランドセルを選ぶときは、 本人はまだわからないことが多いだろうし、 家族も考えつかないかもしれない、というのである。)

付)23日23時半ごろのタイムスタンプで、 いったん書いてアップロードもしたが、直後に削除し、 書き直した。

2005-01-27 (4) 00:26:24 +0900

「丸谷家」は「丸焼け」と同音だ

結婚披露宴の司会者が「**・丸谷家」 と言ったときに「**丸焼け」と聞き間違えられるような「**」を探せ。

2005-01-27 (4) 00:08:42 +0900

朝日新聞「天声人語」>それは祈りではなく「終わりの日」の預言である

けさの朝日新聞大阪本社版「天声人語」。 《「かくて彼らはその剣を鋤にうち変え、その槍を鎌に変える。 国は国に向かって剣を上げず、 戦争(たたかい)のことを再び学ばない」 ▼旧約聖書のイザヤ書(岩波文庫)に出てくる有名な言葉だ。 命を奪い合うための剣や槍を溶かし、 命を養うための鋤や鎌につくりかえる。 時代を超えて訴えかける平和への祈りである》 とあるが、 これが祈りでなく「終わりの日」の預言であることは、 すぐ前の第 2 章第 1 節を読めば明らかである。

剣を鋤に、が祈りではなく現実になりうる。 そう信じて和平への道を探るしかない》 できょうの天声人語は終わっているのでちょっと気になる。

付)それに比べればささいなことだけど、 「溶かし」て「つくりかえる」のかどうかは不明。 うち変えるだけではないかとも思うのだが。

付)祈りは、たんなる願望や想像を口に出したものとは異なる。 「凡て祈りて願ふ事は、すでに得たりと信ぜよ、さらば得べし」 (マルコ 11,24)参照。

2005-01-26 (3) 22:23:40 +0900

回文>「いかめし・煮しめかい?」(いかめしにしめかい)

本文ナシ

2005-01-26 (3) 21:53:52 +0900

「いかめしに煮しめかい?」(いかめしににしめかい)のほうが自然か。 「お煮しめ」ということもあるだろうから、 「いかめしにお煮しめかい?」(いかめしにおにしめかい)も可。

2005-10-08 (6) 00:24:16 +0900

回文>「『ルネ・デカルトに似とるか?』で寝る」(るねでかるとに…)

某所で某氏が作ったものの二番煎じ。 「カルトに似とるか?」(かるとににとるか)がコアになっている、 とも言える。

2005-01-26 (3) 21:52:24 +0900

「星一徹:星飛雄馬=アルベリヒ:ハーゲン」という演出はどうか

「神々のたそがれ」第二幕第一場。アルベリヒは登場するなり、 ハーゲンが眠っているのに怒ってちゃぶ台をひっくり返す。

2005-01-26 (3) 21:51:28 +0900

「男子優先」の世襲制で、女子が継承したあとに男子が生まれたら

先代が亡くなって娘の一人が王位を継いだが、 そのとき后は懐妊中で、のちに男子を生んだとする。 すると 《皇位継承>弟のいる天皇が、最初の子が胎内にいる間に「崩じた」場合は?》 と似た現象が起こるわけだ。

2005-01-26 (3) 02:27:21 +0900

養子でも世襲と呼べるなら「天皇公選制」も日本国憲法の下で可能なのでは

23日づけ朝日新聞大阪本社版オピニオン面「女性天皇 広がる論点」。 《皇室典範の養子禁止事項を改め、 旧宮家の人たちが養子になる形で現在の宮家を継げばよいとする意見もあるが》 《実現可能性は不透明といわざるをえない》。 日本国憲法第2条は「皇位は、世襲のものであつて」としている。 まず、これに反しないのだろうか。 反しないのだとしたら、選挙で天皇を選ぶ「天皇公選制」も可能とならないだろうか。 選ばれた人は先代の天皇の養子になるのである。

三分の二ページぐらいある記事だが、 《女性にも皇位継承権を認めた場合、両親ともに継承権がある子の継承順位は?》 で論じた問題については全くふれられていない。

2005-01-26 (3) 02:06:54 +0900

旅行の広告パンフレットの写真の「イメージです」はどこまで必要か?

その景色が見える地点まで行くわけではない、というときは必要だろう。 でも、金沢の兼六園でもっとも有名な徽軫灯籠(ことじとうろう)の場合、 よく見かける写真のように見える地点に立つことが、 よほど混んでいない限り可能である。 ただし、紅葉や雪がその写真の通りになるとは限らない。 こういうときには、単に「イメージ」とせず、 「この写真のように見える地点から観光する予定です」 という意味のことを入れたほうがいいと思う。 現実には、苦情が出ることを恐れてか、 全てに「イメージ」と入れているようである。

2005-01-26 (3) 01:54:09 +0900

画面に映っているものについて「ネコはつきません」と断らなくてよいか?

ディスプレイの広告には「画面ははめ込み合成です」などと書かれているが、 画面にネコが映っている場合、ネコがついていると思い込む可能性もある。

2005-01-26 (3) 01:41:55 +0900

回文>「ゴミのち乳飲み子」(ごみのちちのみご)

意味不明。 もっと長い回文の中に取り込むべきものかもしれない。 「地区のゴミのち乳飲み子の口」(ちくのごみのちちのみごのくち) とすると後半は詩篇 8,2(口語訳)篇に関連してくるが、 全体の意味が不明であることには変わりがない。

2005-01-26 (3) 01:37:39 +0900

「地区のゴミのちり取り、乳飲み子の口」 (ちくのごみのちりとりちのみごのくち)。 「ゴミのちり取り」は「ゴミ」と「ちり」で言葉がダブっているが、 語源の意識があまりなく、 テーブルの上のパンくずとかを集めるのも「ちり取り」と呼んでいると、 それと区別するため「ゴミのちり取り」ということもあるかと思う。

2005-10-08 (6) 00:35:19 +0900

濁点の違いは無視する回文>「お知らせラジオ」(おしらせらじお)

本文ナシ

2005-01-26 (3) 01:36:19 +0900

回文>「痛い整体」(いたいせいたい)

実際の整体がどのくらい痛いのか、あるいは全く痛くないのか、 私にはわかりません。

2005-01-26 (3) 01:34:38 +0900

朝日新聞>「振り込め詐欺の架空請求」って、オレオレ詐欺とは全く別物では

25日づけ大阪本社版ほがらか面「ぷろむなーど」に、 《有料サイトの延滞料金がたまって》というはがきがきたが、 《問題の振り込め詐欺の架空請求だったのです》とある。 「振り込め詐欺」は「オレオレ詐欺」の言い換えだったはず。 それには該当しないだろう。それとも、私のカン違いで、 口座にお金を振り込むよう指示する詐欺はすべて「振り込め詐欺」と呼ぶのか?!

「河合」と署名あり。

2005-01-26 (3) 01:21:26 +0900

朝日新聞>「〜すべき」で止めず「〜すべきだ」としている

25日づけ朝日新聞大阪本社版国際面 『「平和維持任務」に批判 / イタリア / 兵士死亡で論争過熱」。 《「もう人道支援という偽善はまっぴら。 軍の装備を強化すべきだ」と語った》とあるが、 最近の流行にならうなら『軍の装備を強化すべき」と語った』となるところ。 筆者は郷富佐子記者。

2005-01-26 (3) 01:16:23 +0900

朝日新聞「天声人語」>旧カナ・元の漢字のままで引用する意味はあるのか

25日づけ大阪本社版に前島密「郵便創業談」からの引用がある。

かなづかい・漢字の使い方を現代風に改めてみると次のようになる。 はるかにわかりやすいではないか。 天声人語に原文のまま載せる意味がどれだけあるのだろう?

(別の漢字をあてることは避けるというなら 「晴れ」は「はれ」とするか原文のままになろう。)

2005-01-26 (3) 01:05:38 +0900

小学生対象の、「死んだ人は生き返ると思うか」の調査結果

Yahoo! トップからリンクしてあった読売新聞は 『「死んだ人、生き返る」小中学生の15%…長崎県調査』 という見出しだったので、 キリスト教などの復活の信仰からそう考える子もいるんだろうな、 と思ったのだが、本文を見るとそういうわけではない。 ただ漠然とそう思っているだけのようである。

朝日新聞には 《「死んだ動物が生き返る」と13%が答えた。 「動物は生き返りそうな力を持っている」など》。 個体は死んでも、種としては翌春“よみがえる”ことがある。 そのあたりの誤解だとすると、 理科、特に生物の知識が欠けているのかも知れない。

付) この調査って、思想信条に踏み込むことにならないかな……。

付) お盆には亡くなった人が帰ってくるという信仰がある。 その影響はどうかと思ったが、 あれは魂だけだから別か。

2005-01-25 (2) 23:46:50 +0900

政治家が振り込め詐欺を見破ったとの報道が続くと“自作自演”に走るやつも

23日づけ朝日新聞大阪本社版社会面 『中山建設相「振り込め詐欺」見破る』を読んで、そう思った。 だって、息子の衆院議員もただで新聞に名前を載せてもらえるんだから。

付) 今回の事件が狂言だといっているのではありません。 念のため。

2005-01-25 (2) 01:22:53 +0900

センター入試>監督員の指示を前もって録音しておいたら

今年のセンター入試で、規則に反して試験開始後に受験番号などを書かせたため、 実質的な試験時間が短くなったとして再試験が認められたケースがあった。

監督員はマニュアルのようなものを見ながら指示を与えているのだと思うが、 それをやめにし、前もって録音したものを流せば事故は起きないのではあるまいか。 どこかできちんと時刻を合わせて再生を始めれば、 しかるべき時刻にしかるべきことを読み上げるはずだ。

しかし、 テープが別のものとすりかわっていて全然違うものが流れたりするとまずいよなあ。

2005-01-25 (2) 00:41:58 +0900

高等学校で「現代文」を学ぶ意義から考え直すべきなのでは

今年度のセンター試験で、 教科書に載っていた文章を出してしまったミスがあり、 使える文章が限られているので問題作りがむずかしくなっているとの指摘もあった。 高等学校で現代文を学ぶ意義は何なのか、から考えるいい機会なのではあるまいか。

英語圏の高等学校での英語の時間に同様なことをしているのか、 なども参考になろう。

2005-01-25 (2) 00:36:23 +0900

朝日新聞>風水ブーム>そのL字形だと、その家の重心はそこじゃないよ

23日づけ大阪本社版生活面の、長坂大氏の「住まい いろいろ」。 今回は「風水ブーム / 運勢で設計決まるのは…」。 ある家の設計をしたところ、依頼主が風水師に見てもらいたいと言い出した。 結果は《「L字形では建物の重心が家の外になるからいけません」》 だったそうだ。 《その判断の根拠や重心の意味を尋ねても、理解できる回答はない》 と続く。

図は

\
 ■■■■■■■■
 ■■■■■■■■
 ■■■■■■■■
    \  ■■
     ・ ■■
      \■■
       ■■
       ■■
       ■■\
       ■■
のようになっていて、「・」が重心とされている。 しかし、普通の意味での重心なら、そこではありえない。
\
 □□□■■■■■
 □□□■■■■■
 □□□■■■■■
    \  ■■
     ・ □□
      \□□
       □□
       □□
       □□\
       □□
「□」で示した二つの長方形 --- 左上のは正方形に見えるかもしれないが --- だけからなる図形の重心は図の右下がりの斜め線の上にくる。 しかし、残りの「■」の部分があるから、この斜め線の上には重心はこない。

L字形では建物の重心が家の外になる》 は一般には正しくない。 長方形の一つの角をほんの少しだけ削った形が反例である。 「凸集合でないのはいけない」と言いたかったのかもしれない。 その風水師さんは。

付) 重心をそこだとしたのは風水師だろうと思う。 だって、建築家はふつう建物の重心の位置なんて考えないから。 でも、はっきりとは書かれていない。

付) 風水師が言うのは、平面図形としての重心ではなく、 なんらかの重みを加味して計算した重心なのかもしれない。 それならどこにあっても不思議はない。

2005-01-25 (2) 00:22:10 +0900

朝日新聞>「〜さんは、娘が入学した学校の理事に選ばれた」の意味

23日づけ大阪本社版 Weekly 教育面「教育改革 / 英国から」は 《……さんは昨年9月、 双子の娘(11)が入学した……校の学校理事に選ばれた》 という文章で始まる。

続きを読むと、 娘の通う学校の理事の一人にこの人が選ばれたという意味なのだが、 日本語の「は」は「僕はウナギだ」「象は鼻が長い」のように、 主語を示すのでなく、「〜について言えば」の意味になることがある。 だから、娘さんが理事に選ばれるということがこの人に起こった、 とも読めなくもない。 「〜さんは、娘が入学した学校の生徒会長に選ばれたので驚いた」 ならそちらの意味になるだろう。

わかりにくいというのではなく、 二つの意味にとれるのでおもしろいなと思ったから書きつけておく。

付) 双子なのに年齢は一つしか書かなくていいの?  零時をはさんで生まれると誕生日は違うことがあるんだけど……。:-)

2005-01-25 (2) 00:04:19 +0900

朝日新聞>《「ユシチェンコ氏」と表記してきましたが》は気になる

きょうづけの大阪本社版総合面に次のような一文が載っている。

おことわり ウクライナ大統領をこれまで 「ユシチェンコ氏」と表記してきましたが、 現地の発音に近い「ユーシェンコ氏」に変更します。

やっぱり、この「表記」は気になる。 Goethe は現在ではゲーテだが、昔はギョエテと書いたりもした。 カナでどう書こうが読むときはドイツ語式に読むよ、 という読者が対象なら「表記」の問題だろうが、 この場合は書いたとおりに読む人がほとんどだろう。

「『ユシチェンコ氏』と呼んできましたが」ぐらいがよいのではあるまいか。

2005-01-24 (1) 23:50:35 +0900

faceache(顔面神経痛などの意)はドイツ音名にある文字だけからなる

十六分音符で「f a c' e' a c' h e」を繰り返すようにして、 着メロの一つにした。

2005-01-24 (1) 18:04:03 +0900

回文>「寛太に担架」(かんたにたんか)

寛太は人名。

2005-01-24 (1) 18:02:00 +0900

回文>「やめたためや」

エレミヤ 44,15- の、天后崇拝をやめたために災いが訪れた、 と人々がエレミヤを責めるところを関西方言で芝居にしている。

2005-01-24 (1) 17:56:44 +0900

回文>「スマトラ富ます」「スマトラ、トマス」

本文ナシ

2005-01-24 (1) 17:56:02 +0900

回文>「サルトル取るさ」(さるとるとるさ)

ノーベル賞。

2005-01-24 (1) 17:55:09 +0900

きのうの「ちびまる子ちゃん」>ヒデじいの差し入れのしかたが悪いんだよな

まる子たちが寿司を争って取り合う話。 小学三年生がただの相談で集まっただけなんだから、 寿司を差し入れするといったって、 ウニ、大トロといった高価ネタの必要はなく、 カッパ巻きでも玉子焼きでもいいから、 人数分だけきちんと差し入れるべきだったんだよな。

何年か前、ちびまる子ちゃんのストーリーが停滞気味だったことがある。 ほかのアニメだったら5分ぐらいですむ話を、 30分かけて、のろのろ進むのである。 またそういう時期にはいりつつあるのではないかと若干心配。 先々週だったかの、キャッチフレーズを考える話も、 登場人物がああだこうだ言い合うだけで、 アニメの長所があまり生かされていなかったし。

2005-01-24 (1) 17:51:25 +0900

お礼をしたいがお金も品物も持ち合わせていないときに相手を祝福する

信仰が相手と共通である場合、その信仰によっては 「神様のお恵みがありますように」 と相手を祝福することが最大のお礼になりうる。

日本でそういうことはあまり考えられないな、と思ったものだから。

2005-01-24 (1) 17:47:12 +0900

きょうの意味なし>クレタ人が「くれ、足袋(たび)」と言いました

何も知らない人が「クレタ人のパラドックス」と聞いたら 「くれ足袋と」かと思っても不思議はないのでは。

2005-01-24 (1) 17:43:38 +0900

きょうの補筆箇所

2005-01-24 (1) 01:14:40 +0900

回文>「根絶やしやだね」「根絶やし矢種」(ねだやしやだね)

前者の「やだね」は「いやだね」の俗な形。

2005-01-24 (1) 01:01:45 +0900

回文>「科特隊は依託とか」(かとくたいはいたくとか)

科特隊はウルトラマンに出てきた科学特捜隊の正式な略称。

2005-01-24 (1) 00:55:28 +0900

回文>「ムジナになじむ」

本文ナシ

2005-01-24 (1) 00:54:10 +0900

回文>「五輪分離後」(ごりんぶんりご)

本文ナシ

2005-01-24 (1) 00:53:33 +0900

回文>「発育択一は」(はついくたくいつは)

何かの試験で、発育に関する択一式問題が出るとする。 その問題は、と問うているのである。

2005-01-24 (1) 00:47:47 +0900

回文>「しろしめす目、白し」「城示す目、白し」(しろしめすめしろし)

本文ナシ

2005-01-24 (1) 00:44:28 +0900

タラちゃんが箸で物を指していたけどあれはいかんな

きょうの「サザエさん」で、波平とそば屋にはいり、 先に食べ終わった波平が飲むそば湯を箸で指してそれは何かと尋ねていた。

2005-01-23 (0) 23:26:41 +0900

かき氷のうち、透明なシロップがかかっているのをなんと呼ぶか?

子どものころ、「こおりみず」と教わったと思っていたのだが、 実家に電話して確認したところ、「すい」だったと思うと言われた。

「氷水」と壁のお品書きにあって、それを「あれなあに?」と尋ね、 内容だけを教わって読みは自分で勝手につけたものと思われる。

「水道水」は「すいどうみず」でなく「すいどうすい」だったのか……?》 と似たパターンだった。

2005-01-23 (0) 17:37:18 +0900


すのもの Sunomono