24日月曜日づけ朝日新聞大阪本社版の、最高裁裁判官国民審査の面を見ると、 第一小法廷、第二小法廷、第三小法廷の三つに五人ずつの裁判官がおり、 全部で十五名。 その十五名が全部集まって開くのが大法廷らしい。 前に審査を受けた印のついている人の中に、見覚えのある名前がいくつかあるが、 どんな人か思い出せる裁判官はほとんどいない。
一方、現在の天皇および皇族を思い出してみた。 何人思いつくかというと、名前は思い出せなくても、 「あのアルコール依存症で入院した……」とか、 「……にお嬢さんが確か三人」などと思い出してゆくと、 十五人は思い浮かぶ。
それで自分はいいのかな、とふと思った。
2009-08-29 (6) 00:33:57 +0900
26日水曜日づけ大阪本社版第一面の、見出し下の、
内容をごく簡単にまとめたところ。「朝日・東大調査」とある。
その面を見てみると、「朝日 東大 共同調査」とあり、
《朝日新聞社と東京大学・谷口将紀研究室の共同調査で
》
とある。
もちろん、大学が許可しない調査はできないが、
責任をもつのはあくまでもこの研究室であろう。
「朝日・東大調査」というのは適切だろうか。
2009-08-29 (6) 00:29:10 +0900
岩波文庫の「日本書紀(一)」(1994 年)39 ページの注によると、
『延喜祝詞式、鎮火祭には「美保止焼かれて石隠り坐して」とある
』。
これを読んでしまうと、女の子に「美保」という名前はつけにくいのでは。
2009-08-28 (5) 20:27:19 +0900
最初見たときはわかっていなかったが、 最後、絶体絶命に陥ったルークがレイアの名を呼び、 レイアが、それが聞こえたかのように戻ろうとするあのシーン。 VI まで見ると、 あそこでレイアにもフォースが使えたことがわかるわけだが、 では、ルーク救出のあと、ベイダーとルークのフォースによる会話は、 なぜレイアには“傍受”できなかったのか。
それは、フォースによる会話では、 最初に相手の名を呼ぶ必要があるから、と考えれば理解できる。
2009-08-28 (5) 19:28:12 +0900
III で、 執務室にいるパルパティーンがジェダイ神殿にいるアナキンにフォースで話しかける際には、 最初に語りかけることはしていない。
2009-08-29 (6) 23:21:35 +0900
今回は、 衆議院小選挙区選出議員選挙、 衆議院比例代表選出議員選挙、 最高裁判所裁判官国民審査の三つ。 同じ家族でも、どこをチェックするかのポイントはそれぞれ違うだろう。 マーカーでマークしたりして検討したい。 それなのに、なぜ一世帯に一部しかこないのか?
……と思っていたら、ふとしたことで必要な部数を入手できた。
2009-08-27 (4) 19:25:14 +0900
本文ナシ
2009-08-27 (4) 01:34:01 +0900
本文ナシ
2009-08-27 (4) 01:33:03 +0900
意味から判断して、「もっとも」の誤植のような気がして、原文にあたってみた。 περισσοτερον がそうだ。 巻末の簡易辞書には、確かに比較級のような意味があがっているが、 「severest (judgment)」ともある。
タイトル行の引用は口語訳。
2009-08-27 (4) 01:31:59 +0900
前後をもう少し引用しないと、意味がわからないかもしれない。
民衆がみな聞いているとき、イエスは弟子たちに言われた、 「律法学者に気をつけなさい。彼らは長い衣を着て歩くのを好み、 広場での敬礼や会堂の上席や宴会の上座をよろこび、 やもめたちの家を食い倒し、見えのために長い祈(いのり)をする。 彼らはもっときびしいさばきを受けるであろう」。
以上は、日本聖書協会発行の“口語訳”の 「ルカによる福音書」第 20 章第 45-47 節である。 である。 「もっときびしい」とあるが、比較の対象がない。 そこで、上に述べたような疑問が起こったのである。
2009-08-27 (4) 19:15:40 +0900
26日水曜日づけ大阪本社版社会面「最高裁裁判官の国民審査」。
《最高裁の長官は天皇に任命され、14人の判事は内閣に任命される
》
とあるが、
日本国憲法第六条の後半には
「天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する」
とある。
国民審査で審査されるのは、「指名」であって、「任命」ではない。
《中井大助
》と署名あり。
付)この記事では、やめさせたいと思う裁判官に「×」をつけ、 そうでないと思う裁判官には何もつけないというやり方も批判している。 《国民投票法>「最低投票率 50%」は「全有権者の過半数の賛成で成立」と同じ》 に書いた、私が目撃した事件も参照。
2009-08-27 (4) 01:14:33 +0900
職場でとっている毎日新聞を見ると、都市対抗野球が大きく報道されているが、 朝日新聞では小さな扱いで、私はやっていることすら気づいていなかった。 それでいいと思うのだが、 前々項に書いた最高裁裁判官の国民審査についても、 大きく扱うかどうかで読者の関心の強さは変わってくる。 こちらは重大な問題だと思うのだ。
2009-08-27 (4) 01:09:22 +0900
26日水曜日づけ大阪本社版国際面「正座や暴言 自白を強要 / 北朝鮮、現代社員に」
に、《ののしったり、電気をつけたまま就寝させたりした
》とあるが、
この「電気」は「電灯」の意味であろう。
私もその意味で「電気」という場合があるが、
ここでは電気ショックのようなものも考えられるので、
慎重にことばを選ぶべきだと思う。
《牧野愛博
》と署名あり。
2009-08-27 (4) 01:03:05 +0900
26日水曜日づけ大阪本社版社説「最高裁国民審査 開かれた選任こそ課題だ」。
《国民審査の形骸(けいがい)化より基本的な問題は、
彼らが国民からまったく見えない密室の中で選ばれてきていることではあるまいか
》。
どうやって選ばれたって、新聞はどんな人か報道することはできるはずだ。
《どんな仕事をしてきた人がどんな理由で選ばれたのか、
国民は知らされない。
国民審査が形骸化している根本的な原因はこうしたことにある
》。
総理大臣だって、そうやって選ばれる場合があったではないか。
選ばれた時点で、新聞が、どういう経歴の人で、 裁判官をつとめたことがあるなら、どういう裁判でどういう意見を述べた人か、 細かに書けばよいではないか。そうしないのはなぜか。
付)天皇については、皇室典範で継承順位が決まっているので、 国民に選択の余地はない。 それなのに、新聞は天皇の経歴などは細かく書いている。
2009-08-27 (4) 00:54:05 +0900
きのう、出がけに郵便受けを見たら、残暑お見舞いのはがきが二通、はいっていた。 信号機が青になるのを待ちながら、ぼんやり考えていたら、 「我が良き友よ」の「暑中見舞いが返ってきたのは秋だった」は 「立秋をすぎていた」の意味なのかも、と気がついた。 いままでずっと、九月になってから、とか考えていたのだ。
2009-08-27 (4) 00:39:27 +0900
動詞の連用形に「手」をつけて「書き手」「読み手」とすることで、 「著者」「読者」などの漢語をいいかえることができる。 「著者」「読者」はすでに日本語に定着しているし、 同音異義語がほとんどないので問題ないのだが、 これと同じ方法で、漢語を避け、耳で聞いても、 ローマ字やカナで書いてもわかりやすいことばに置き換えられる場合がある。 しかし、「話し手」は「話して」と、 「与え手」は「与えて」と誤解される恐れがあるのでうまくない。 (いま使っているカナ漢字変換では、「与え手」は変換候補に含まれていない。)
付) 七月ごろのメモに
よみて かきて はなして あたえてと書いてあり、しばらく、意味が思い出せずに考えてしまった。
2009-08-27 (4) 00:34:28 +0900
《回文>「勘吉はチキンか」》参照。
2009-08-27 (4) 00:32:37 +0900
本文ナシ
2009-08-27 (4) 00:31:12 +0900
歴史的かなづかいでは、「姪」は「めひ」であり、 この書き方で /me:/ と読むことはあり得なかったので、 /me:/ と誤読されることはなかった。 (読む人に、「姪」は「めひ」であり、このつづり字が /me:/ と発音されることはない、という知識があれば、の話だが。)
現代かなづかいでは、「姪」も「銘」も「めい」だから、 後者につられて前者も /me:/ と発音される可能性がある。 だが、だから現代かなづかいはだめだ、という批判を読んだ記憶がない。
付) ローマ字では、私は「姪」も「銘」も mei と書くと考えていたが、 最近、後者のみ mê と書くことも考えている。
付) 《魚の「カレイ」(旧かなではカレヒ)の発音は /kare:/ か /karei/ か》、 《私は「姪(めい)」を /mei/ って発音してるな》 参照。
2009-08-27 (4) 00:19:56 +0900
本文ナシ
2009-08-26 (3) 21:47:10 +0900
ベートーベンの「交響曲第九番」。
第二楽章のティンパニは F のオクターブに調律される。 音楽之友社のスコアの、堀内敬三氏による解説によると あの音形は「怒号」だそうだ。 スケルツォの展開部初めのあたりで、Ritmo di tre battute になった直後。 強拍がティンパニの(完全な)独奏という部分があるが、あそこはヘ長調だ。
一方、第三楽章の終わり近くに二度鳴り響くファンファーレ。 “警告”という人もいるし、恍惚のクライマックスと考える人もいるようだ。 それはともかく、あの最後に残る音も F である。 (ただし、ティンパニは F にも調律されているがあそこでは鳴らない。)
全曲を通じて、 ニ短調の平行長調であるヘ長調になる部分が非常に少ないことと合わせて、 なんか、気になる。
2009-08-26 (3) 20:51:39 +0900
この曲の主調 --- 慣例として第一楽章開始部の調性をもってそういうことが多い --- はニ短調である。 (厳密に言えば、「第九」の開始部はイ調 --- 長調とも短調ともつかない --- であるけれど、調号がフラット1個なので、ニ短調といわれるのであろう。)
ほかに、かろうじて楽譜が読める私が、 ヘ長調であると気づいたのは、 第一楽章の第 287 小節の前後(再現部にはいる少し前)、 第四楽章の第 435 小節以降(管弦楽のみによる間奏部分で、 二度目に属調で主題がでるところ)。
2009-08-27 (4) 19:02:37 +0900
イスカは鳥の名。
2009-08-26 (3) 02:28:54 +0900
途中から味方は馬車を持つようになり、 戦闘中も実際に戦う外のメンバーと中にいるメンバーを入れ換えられるが、 敵モンスターの中には、馬車の扉を閉めてしまい、 この入れ換えをできなくしてしまうものがいた。
もしも敵にも馬車に乗っているのがいたら、 味方のうちの力の強そうなやつに扉を閉めさせておいて外の敵から順に倒す、 ってのもありだったような。
2009-08-26 (3) 02:22:26 +0900
本文ナシ
2009-08-26 (3) 02:21:51 +0900
最初は「雨期・冬期」としていたが、 「右記登記」のほうが意味がありそうかな、ということで。
2009-08-26 (3) 02:18:59 +0900
前半と後半のつながりはない。
2009-08-26 (3) 02:18:16 +0900
25日づけ朝日新聞大阪本社版芸能面の、山形交響楽団の記事。
常任指揮者、音楽監督が
《「CDを作ると演奏水準が格段に上がる。
録音を聞き直せば自然にピッチやリズムの議論になるから」
》
と言っているが、この場合の「ピッチ」とは、
オーケストラ全体のピッチのことだろうか、
それとも、奏者が出す一つ一つの音の音程のことだろうか?
プロでも、後者が問題になることがあるんだろうか?
2009-08-26 (3) 02:10:01 +0900
25日づけ朝日新聞大阪本社版「検証 昭和報道」の 96 回目。
玉音放送は《電波の出力を6倍に増やし、
さらに短波でアジア中に発信された
》そうだが、時差はあったんだろうか?
あると、そこでは正午からの放送でなかったことになる。
2009-08-26 (3) 02:01:28 +0900
25日火曜日づけ朝日新聞大阪本社版オピニオン面、「アラサーが語る」
のうちのお一人、モデルの知花くららさん。
おじいさんが沖縄戦の体験者で、いろいろ聞かされていたが、
《大学時代、講義で「手榴弾(しゅりゅうだん)」という言葉が出たときに、
隣の女の子に「手榴弾って何?」と聞かれ、大ショックを受けました。
彼女が知らなかったら、彼女の子どもたちはもっと知らないことになる
》。
私は一応知っているつもりだったが、辞書を引いてみたら「てりゅうだん」
を見よとなっているもののあり、また、意味は広辞苑第六版によると
《手で投げる小形の爆弾
》云々だった。
何をカン違いしていたのか、何かを抜くなどしてから投げるだけで、
火をつけずに爆発する、と思い込んでいた。
「ウィザードリィIV」に登場した、
「オックおばさんの聖なる手榴弾」
の印象が強いのかもしれない。(あれは火をつける必要はない。)
それと、このかたが、 隣の子が手榴弾を知らなくてショックを受けたのは当然だと思うが、 教員が説明しないのが問題だと思う。 現代の普通の日本人は手榴弾は見たことも使ったこともない。 知らない可能性が高いのだ。 私は、初歩のうちは、必要なことを教えなくて学生が理解できなかったら、 それは教師の責任、という考えである。
2009-08-26 (3) 01:46:50 +0900
25日火曜日づけ朝日新聞大阪本社版科学面、 東海林靖さんの「スイカ」。
スイカは日本の夏の風物詩だ。 スイカが日本に伝わったのは、 1640年ごろとの記録が残っている。 江戸時代末期のある勘定奉行が、 シャリ感のある食感から 「西瓜は絶品なり。紅い淡雪を食らふがごとし」と日誌に書くなど、 長い間、日本人に愛されてきた。
結構、新しいんだな。 源氏物語に夏に氷を食う場面があるが、 スイカはなかったんだ。 戦国時代にも。 あと、「紅い淡雪」がうまい表現だと思ったので引用した。
2009-08-26 (3) 01:40:47 +0900
25日火曜日づけ大阪本社版社説「科学五輪 理科好き生徒増やしたい」。
喜んでばかりはいられない。 国際大会に参加することで、改めて日本の教育の弱点が浮かび上がっている。
過去の化学五輪で銅メダルをとったある高校生は、 帰国直後の模擬試験で、60点満点で10点も取れなかったそうだ。 日本の化学教育は本質的な理解を求めるより、 知識を貯えることに重点が置かれているためだろう。
そうかな? まず、その模試の平均点は何点だったのか。 それから、「だろう」ではなく、 化学五輪の化学と日本の高等学校で習う化学とでどこがどう違うのか、 そして、一般の高校生が履修する科目として、 いまの化学が適当なのか、 それとも化学五輪の化学のような内容を教えることが望ましいのか。 なぜこれらを調べて書かないのか。
私は大学受験で「化学I」を選択したが、 私が受けた大学の「化学I」の試験問題の傾向は「物質不在」 と言われていたような記憶がある。一般論ばかりで、 具体的な物質はあまり出てこなかった。 その意味では、知識を貯えることはほとんどなかったように思う。
2009-08-26 (3) 01:28:51 +0900
本文ナシ
2009-08-25 (2) 01:09:39 +0900
本文ナシ
2009-08-25 (2) 01:08:22 +0900
本文ナシ
2009-08-25 (2) 01:06:57 +0900
「悪口」と書いて「あっく」と読むのは、広辞苑第六版で確認。 「仏果」とともに、仏教用語。
2009-08-25 (2) 01:03:09 +0900
これ、日本語として正しいか、あまり自信がない。 「選らせ」 は口語の四段動詞「選る」の未然形「選ら」+使役の助動詞「せる」の連用形「せ」 と、「召され」 は口語の四段動詞「召す」の未然形「召さ」+尊敬の助動詞「れる」の連用形「れ」 と解釈できると思うが、文語ではどうか。
2009-08-25 (2) 00:54:11 +0900
帝にこう語りかけることはないと思うが。
2009-08-25 (2) 00:51:52 +0900
24日月曜日づけ大阪本社版社会面「おかあさん合唱閉幕」に載っている、 最後の団体名「ぱすてる〓とおん」の「〓」がト音記号。 一文字分の大きさ。
ハ音記号、ヘ音記号ももちろんあるんだろうな?
2009-08-25 (2) 00:42:37 +0900
24日月曜日づけ朝日新聞大阪本社版に載った。 『「一人一票」の実現のために』と書き添えられているように、 衆参両院議員の選挙の際の一票の格差についての裁判の判決に、 今回審査を受ける9人がどうかかわったかをまとめた上で、 格差を合憲とした裁判官に「×」をつけよう、という意見広告である。 「一人一票実現国民会議」という名前の団体が載せたもの。 発起人を見ると、“超党派”という感じがする。
前項同様、これも、
いくつ「×」をつけてもよい、ということがはっきり書かれていない。
座談会のような形式で、二人の弁護士が、誰と誰に
《反対の×印をつけます
》と発言しているのみ。
《投票時に名前を思い出せるよう、この一覧表を投票所までお持ちください
》
という表があるが、投票用紙で「×」を記入することになる欄は、
すべてブランクのままである。
ここに「×」を印刷して、このように投票しましょう、という広告はまずいのか。
2009-08-25 (2) 00:31:48 +0900
24日月曜日づけ大阪本社版。 日曜日に載っていれば、町に出たついでに期日前投票ができたのに。 それと、この9人のうち、やめさせたい人に何人でも「×」がつけられる、 ということが書かれていない。
2009-08-25 (2) 00:28:42 +0900
23日日曜日づけ大阪本社版、高校野球の面の、
「熱闘甲子園」の2人 今大会を語る」。
《高知−常葉橘
》と《帝京―県岐阜商
》
の二つの対戦が出ているが、前者の学校名の間の線は、明らかに短い。
ハイフンではあるまいか。後者は普通。ダッシュか。
《構成・山下弘展
》と署名あり。それにしても、校閲部は気づかないのか。
2009-08-25 (2) 00:22:54 +0900
23日日曜日づけ朝日新聞大阪本社版スポーツ面の、前日の
プロ野球、阪神―広島の試合の記事。
《前進してくる中堅手が直接捕ったか微妙な当たりだった。
9回1死満塁。代打サヨナラ打を放った阪神の桧山は
「ショートバウンドで捕ったように見えた」。
だが、二塁に向かった一塁走者の代走赤星が帰塁してくる。
ヒーローは慌てて、赤星を二塁に行かせてから歓喜をかみしめた
》。
これだけからはわからないが、広島側から見た場合、
センターゴロ・ダブルプレイにできるタイミングじゃなかったんだろうな。
1死だから、
仮に二塁で赤星をアウトにできても一塁に打者走者が生きればサヨナラだ。
あきらめてしまうのではあるまいか。
2009-08-25 (2) 00:09:02 +0900
23日日曜日づけ朝日新聞大阪本社版「声」への、
滋賀県甲賀市の会社役員、丸田順登さんの「問題は無能な公務員の扱い」。
前の投書への反論だ。
《「公務員の大半は責任感と道徳心の強い有能な人々」という主張を認めれば、
「公務員には責任感と道徳心にかける無能な人もいる」
ということになります
》。
実際はこの人の主張するとおりだと思うが、
前者を認めると後者が導けるわけではない。
私なら、「『公務員は全員が』と言い切れないところをみると、
無能な人もいるということでしょう」のような書き方にするだろう。
よくは知らないが、前者から後者が結論できるのはどれか、 というような問題が公務員試験に出ると聞いたことがある。
2009-08-25 (2) 00:02:16 +0900
なお、 《この「いろいろ」で、一般人の投書を取り上げる場合にも投書者名を書く理由》 を参照されたい。
2009-08-29 (6) 01:51:34 +0900
23日日曜日づけ朝日新聞大阪本社版読書面で取り上げられた、 大島正二〈著〉「唐代の人は漢詩をどう詠んだか」。 わかるんなら買って読もうか。まずは図書館で。
ところで、カールグレンの生没年は「1889〜1978」とある。 石川啄木より三つ年下、芥川龍之介より三つ年上だ。 それでこの年まで生きていた。
2009-08-24 (1) 23:51:34 +0900
《イエスは羊飼いや農夫にも話しかけたっけ?》 を思い出したので、きょうは気候が適切ということもあり、 小型の新約(口語訳)をもって町へゆき、 中央公園で福音書をマタイから順に、ページ数で約半分のところまでざっと読んだ。 180 ページから使徒行伝なので、90 ページを目標に。 ルカでの「悪魔の試み」は 89 ページに登場する。
この三つの試みは、その内容まで、 小学生のころ買ってもらった「キリスト」という伝記の本で読んで覚えていた。 (同じシリーズで、最初に買ってもらったのは「豊臣秀吉」だったと思う。 「キリスト」以外は、巻末の大人向けのページに年表が載っているが、 「キリスト」にはなかったのを覚えている。 あと、パンの増加は、それぞれが持っているパンを出したため、とされていた。 イエスの十字架刑が、手足を釘で打ちつけるというのも、 その伝記で初めて知った。)
それなのに、この順序の違いには、いままで、気づいていなかった。 あと、悪魔が聖なる都(エルサレム)にはいれる、ということも、 いままではっきりとは認識していなかった。
だけど、飛び降りてみろと言うのと、 ここから見える国をあげましょうと言うのとは、 同じ高いところからではいけなかなったのか?
なお、 《なぜ悪魔はマラキ書を引用して再反論をしなかったのか?》 も参照。
2009-08-23 (0) 23:49:23 +0900
2009-08-23 (0) 23:46:41 +0900
実際には「まちまち」の後半は「く」を縦に二倍に伸ばしたような、あの踊り字。
「うつわ」が「器」なら、歴史的かなづかいは「うつは」である。 7月5日に、金沢神社に掲げられていたもの。 確か、この日は18時近くに通ったので、しまっていたが、 歌は外に出ているので、読むことができた。
2009-08-23 (0) 23:34:22 +0900
8月2日からきょうまで、ずっとこれが金沢神社に掲げられている。 「むつびあふ」の「あふ」が終止形なのか、連体形なのか、わからない。
2009-08-23 (0) 23:27:09 +0900
小学校低学年のころ、鉄棒で「ななめけんすい」というのをやった。 中学校には、ぶら下がると足のつかない、高い鉄棒があり、 本当の「けんすい」をやらされた。(最初できなかったが、 かなりできるようになった。前世紀 --- でも間違いではないが --- 全盛期には逆上がりもできたぞ。)
で、「けんすい」が「懸垂」と書かれ、かつ、本来は運動の名前ではなく、 ぶら下がる意味で、そこからあの運動の名前がついた、ということに気づいたのは、 数学で「懸垂線」を習ったのとどちらが先だっただろう?
2009-08-23 (0) 23:19:45 +0900
ギブドは、全身を包帯で巻かれたミイラのモンスター。 確か、ファミコン用の第一作めから出ていたと思うが、 いま、「時のオカリナ」の公式ガイドブックで確認した。
むかし、ある時期は、 ミイラの解体がショーとして行われていたと読んだことがある。
2009-08-23 (0) 23:16:03 +0900
かなで書けば「おきなわ・わにこ」。 二つ前のを改作したものだが、「わにこ」はなさそうか。 「久仁子」と書いて「くにこ」はあり、 「和歌子」のような名前はあるから、それらの組み合わせということで。
2009-08-23 (0) 23:09:03 +0900
ヘボン式の tsu を使ったローマ字回文は初めてかも。
2009-08-23 (0) 23:02:40 +0900
かなで書けば「おきかわ・わきこ」。 姓も名も、実際見たことはないが、 カナ漢字変換が一発で変換してくれたから、あるのであろう。
2009-08-23 (0) 23:01:33 +0900
昔は、部屋を暗くしてスライドを見たものだ。 そういうものをこれからするのか。
2009-08-23 (0) 23:00:44 +0900
日本式ローマ字で書いた場合。
2009-08-23 (0) 22:59:04 +0900
割と最近、ラジオで聞いた。 英語の発音では [gn] となるから、[g] の音が聞こえる。 ここで書いたのは日本語として発音する場合。
2009-08-23 (0) 22:55:35 +0900
前々項を書くため読んでいて気がついたのだが、文語訳、新共同訳では、 強盗にあったのが男か女かわからない。口語訳には「彼」という箇所がある。 原文はよくは読めないが、αυτον でこの人を受けているようだから、 男性なのであろう。 強盗、祭司、レビ人、サマリア人、宿屋の主人が男か女かは、またの機会に考えよう。
2009-08-22 (6) 23:03:38 +0900
前項の続き。神田裕さんはこうも書いている。
《キリストは十字架にかけられた後に復活し、さらに教えを説き広めていく
》。
復活のイエスが語ったのは、むしろ今後の弟子たちの心構えであるように、 私には読める。そして、そのあとはヨハネ 20,22 にあるように聖霊を与え、 使徒行伝 1,9 で天に上げられる。
2009-08-22 (6) 22:53:44 +0900
きょうづけ朝日新聞大阪本社版「ホンネ de シネマ」。 とりあげられている映画はイタリア映画「ポー川のひかり」。 カトリック大阪大司教区の神父、神田裕さんがこう語っている。
《「善きサマリア人」
という聖書にある隣人愛を説いたキリストの話を思い出しました。
強盗に遭ってケガをした男を、司祭たちは見て見ぬふりをして通り過ぎてしまうが、
あるサマリア人が男の傷を手当てして、
宿屋へ連れて行き料金も払って主人に世話を頼む、
という話です
》
広辞苑第六版によれば、 「司祭」はカトリック、ギリシア正教、聖公会などの priest である。 それに対し「祭司」はユダヤ教も含め、いろいろな宗教の priest を指す。 「善きサマリア人」のたとえに登場するのは、あきらかにユダヤ教の祭司である。
日本聖書協会の訳は、文語訳、口語訳、新共同訳、すべて「祭司」としている。
もちろん、ここをいまのキリスト教会の立場から読み、 カトリックの司祭が、プロテスタントの牧師が、 と読み替えることは可能である。 しかし、ここでの紹介で、読み替えたほうのみを書くのは、不適切であろう。
2009-08-22 (6) 22:30:38 +0900
きょうづけ大阪本社版政策面「09政権選択」は「鉄路も空路も借金の山」。
その「キーワード」と題した補足説明の中に、
《東北新幹線八戸―新青森間
》などの書き方が見える。
私は「八戸―新青森」と書けば、中の「―」が“その間”の意味を持つので最後の
「間」は不要と思っていた。
《「武蔵ヶ辻と香林坊間で御利用の方の運賃は百円……」という車内アナウンス》 はこの「―」を「と」と読んだものと解釈できるか。
2009-08-22 (6) 22:23:55 +0900
きょうづけ大阪本社版第三面、「地殻変動」は「郵便局と町民 距離広がった」。
《かつては顔見知りの「配達さん」が弁当を広げて世間話をしたり、
通帳を預けて年金を下ろしてきてくれたりしていたが、
民営化でそんなこともなくなった
》の
「通帳を預けて」はおかしくないか。「配達さん」が主語なのだから、
「通帳を預かって」だと思う。
2009-08-22 (6) 22:20:33 +0900
きょうづけ朝日新聞大阪本社版第一面「ボルト 200も世界新」に、 「19秒19」という記録が大きな活字ででも載っているが、 これは「じゅうきゅう秒いちきゅう」と読むのだったか。
こういうのって、小学校で習ったかな? 「19.19秒」を 「じゅうきゅうてんいちきゅう秒」と読むのは習った気がするが。
「1m75」は「いちメートルななじゅうご」と読むこともあると思うが、 それは、最後に「cm」という単位が略されていると思えるからだろう。
2009-08-22 (6) 22:15:16 +0900
8月21日金曜日づけ朝日新聞大阪本社版文化面「私の収穫」は
国立西洋美術館長の青柳正規氏。
《今回の委員会でもデジタル図書館が話題となり、
そのコンテンツ自体を世界記録遺産とする検討がなされたので、
記録媒体としてのハードディスクやDVDがいかに脆弱
(ぜいじゃく)なものであり、
少なくとも3年おきにコピー(マイグレーション)
を繰り返す必要があるという意見を述べたところ、
正式記録に採用された
》。
これはわれわれにも多いに参考になる。
2009-08-22 (6) 22:09:51 +0900
きょうづけの朝日新聞大阪本社版 be on Saturday の b1 面、
人類学者のヘレン・フィッシャーさん。
写真の説明に
《「もし、きょう出会った人と結婚したら、結婚式に招待して下さい」
》
とあるのを見て、
一瞬、
「きょう『出会った人と結婚したら』」と解釈し、
出会ったその日に結婚するの?! と思ってしまった。
正しくは、 「『きょう出会った人』と結婚したら」であり、 「きょう」は副文の中の副詞なのだが、 そのことを明示する言い方はあるだろうか? 「きょう出会った人と、 いつか結婚したら」とする方法はあるが、これは「いつか」 を挿入することで「きょう」が「結婚したら」にかからないようにしたものだから、 不可とする。
前に書いた、 《「これは、私がきのう誰に会った少年です」という言い方が許されれば》 にならうなら、「もし、誰ときょう出会った人と結婚したら」になるか。 ほかの意味にとられそうだな。
2009-08-22 (6) 21:38:22 +0900
「皇族」と、アクセントのみが違う。
「後続」と「皇族」がまぎれないよう、アクセントを変えて発音し分けたら、 と考えたが、すると今度はこの「コー族」と同じになってしまいそうだ。
2009-08-22 (6) 21:31:49 +0900
3月25日水曜日づけ朝日新聞大阪本社版第2石川面、 書家、 「南苑さんの漢字の周辺」第63回、「漢字の生命力」。 筆者は書家、篆刻(てんこく)作家の北室南苑さんである。 《中国人が日本語を学ぶときは、漢字の漢音、呉音、唐音の区別も学ぶらしい》 でもこのコラムをとりあげた。
《漢字の数はいったいどのくらいあるのだろうか
》という問いで始まり、
いろいろな辞書の漢字の数をあげ、
年代がくだるとともに文字数が増えていることをあげたのち、
《このことは漢字の造字法がいかに巧みであったかという証拠だろう
》
としている。この人は、漢字の字数が増えて行ったことをもって
「造字法がいかに巧みであったかという証拠」と考えておられるようであるが、
その理由はわからない。
《世界広しといえども3千年もの長きにわたり、
大きく変化することなく、
脈々とその生命を守り続けてきた文字は漢字以外にはない
》
というのだが、そうだろうか。
ヘブル文字、ギリシア文字はまだ三千年にはならないか。
(ヘブル語は、一時期“死語”だったこともあるし。)
その理由について、
《最も大きな理由は、中国はこれまで他民族に侵略されはしたが、
中華文明自体は征服されずに今日(こんにち)に至った点だ。
漢字構成法が極めて巧みにできていたということも大きい
》
と説く。このあと、まだ理由は続くが、ここでも、
どういう意味において「漢字構成法が極めて巧み」なのかの説明がないので、
意味がわからない。
これが、このコラムの最終回だそうだ。
2009-08-22 (6) 18:45:01 +0900
2009-08-22 (6) 02:33:26 +0900
「わ」と助詞の「は」は発音が違う、と言い張る人には、 「花は」と「花輪」は同じ発音だ、と説明することが考えられるが、 この二つはアクセントが違う。そこで納得しない人がいたらどうしよう、 と考えていたら、「首は」「首輪」の組を思いついた。 「首はどう?」「首輪どう?」はアクセントも込めて全く同じ発音のはず。
「指は」「指輪」はアクセントが違ってだめ。
2009-08-22 (6) 02:17:04 +0900
本文ナシ
2009-08-22 (6) 02:15:20 +0900
本文ナシ
2009-08-22 (6) 02:14:40 +0900
「逆の意味」と書いたのは、 ヴァーチャル・リアリティーなどの語から 「仮想の」という訳語をまず覚えた人が多いだろうが、 それとは一見、逆の意味、の意味である。
2009-08-22 (6) 18:42:15 +0900
大学にはいって最初の解析の時間に出てきた。 先生の証明は「a < b とするとき、(a+b)/2 がそうだから」という、 いま思えば一番当然のものだったが、 私は、それを聞く前、 「a と b とを通分する。分子が 2 以上違っていたら、 その間の整数を分子にすればよい。 そうでなかったら、分母子に 2 をかけてから……」という、 まどろっこしい証明を考えていた。
2009-08-22 (6) 02:07:49 +0900
自動車の運転を習い始めたばかりの学生たちが、 「青信号は『進め』じゃなくて『進むことができる』なんだ」などと話していた。 それを聞いていて、タイトル行のようなことを思いついた。 ただ、「行け」が放任になるのは、 「行きたければどこへでも行け」のような場合に限るか。 「あっちへ行け」といえば強制になる。
2009-08-22 (6) 02:04:29 +0900
《金沢の中央公園で鳥に糞をかけられる / 後頭部を直撃、シャツも汚れた》 の続きを書くのを忘れていた。 糞をかけられたので気分が乗らず、 いつもより早めに中央公園を出て、兼六園のわきを通って帰ろうとしたら、 入園料をはらってはいるエリアとそうでないエリアとの境界が設けてない。 よく見たら、お盆のため、無料開放日なのであった。 久しぶりに、ほんの十分ほどだが、園内を散歩した。
閉まる時間が近づくと、スピーカーから、「各ゲートが閉門になります」という、 ちょっと言葉がダブったメッセージが流れるのだった。
2009-08-22 (6) 02:01:25 +0900
本文ナシ
2009-08-22 (6) 01:59:41 +0900
……思ったりしないだろうか? 世界中で、現在、 英語で emperor と呼ばれるのは日本国の天皇だけだと聞く。
2009-08-22 (6) 01:57:42 +0900
サイゼリヤなどで注文の際、これで終わりというところで「以上、お願いします」 というようにしているのだが、それでも「以上で……」 と言いかかるウェイター・ウェイトレスさんがいる。 そういう習慣になっているんだな。
2009-08-22 (6) 01:55:37 +0900
21日金曜日づけ大阪本社版掲載の、 しりあがり寿氏の連載漫画、「地球防衛家のヒトビト」。 (夕刊がある地域では20日木曜日掲載と思われる。)
男の子が三コマを使って「マニ」「フェス」「とおっ」 と叫んで変身ヒーローのまねをしているのが、 選挙でマニフェストという語が聞かれるようになった影響だ、 という内容だが、最後を「とおっ」とのばすのは正しい。 英語の manifest ではなく、 イタリア語から英語にはいった manifesto だからだ。 (英語の発音では二重母音 [ou] になるが。)
2009-08-22 (6) 01:38:31 +0900
21日金曜日づけ朝日新聞大阪本社版オピニオン面「朝日川柳」に載った、 交野市の遠藤昭さんの『九条を読んでりゃ「希求(ききゅう)」と読めたのに』 で、初めて、首相の「希求」の読み間違いを知った。 再度、日本国憲法第九条を読み返してみて、 確かに「希求」なる語が使われていることを知り、 なるほど、このかたはよく気づかれた、と感心した。
朝日新聞大阪本社版では見た記憶がないが、
asahi.com によると、
《××首相は15日の全国戦没者追悼式の式辞で
》
《「希求(ききゅう)」を「ききょう」と読み間違えた
》。
首相は、きっと、ギリシア語のクラスに出たことがないんだな。 (ギリシア語には希求法があるから。)
2009-08-22 (6) 00:46:23 +0900
二大政党制になった場合、少数党はどうなるのか、 少数意見はどうなるのか、という心配が投書などで見られるが、 二大政党制が正しく機能している場合、 少数意見は野党が取り上げるのではなかろうか。 その党の本来の政治スタンスとは少しずれていても。
2009-08-22 (6) 00:39:55 +0900
政権交代起きても…「政治変わらず」56%』
21日金曜日づけ大阪本社版第一面記事の見出し。 政権が変わったとしても、日本国憲法の中で、なんだから。
2009-08-22 (6) 00:37:41 +0900
正しくは「参議院(の勢力分布)は?」なのだが。
2009-08-22 (6) 00:22:45 +0900
おにぎりを買ってきて食べようとしたら、 まわりにビニールが巻いてあり、セロハンテープでとまっていた。 このセロハンテープは食べられない。 しかし、食べられるセロハンテープができれば、それを気にせず、 まるごと食べることができる。 できないものか。
ビニールも食べられるものと仮定する。
2009-08-21 (5) 21:31:14 +0900
世の中に矛盾があると仮定する。 矛盾があると仮定したのだから矛盾がある。
矛盾がある。 矛盾がある。 矛盾がある。
この矛盾が生じたのは、最初に世の中に矛盾があると仮定したためである。 よって世の中には矛盾はない。
問)上の議論に適切に反論せよ。
2009-08-21 (5) 21:27:45 +0900
実際には、アルキメデスのような固有名詞は、 よほどのことがないかぎり、日本語化した形 --- ここでは Arukimedesu --- にならず、 元のつづりにならった Archimedes のような形でローマ字がき日本語にはいるであろう。
2009-08-21 (5) 21:25:37 +0900
実際には、ソクラテスのような固有名詞は、 よほどのことがないかぎり、日本語化した形 --- ここでは Sokuratesu --- にならず、 元のつづりにならった Socrates のような形でローマ字がき日本語にはいるであろう。
2009-08-21 (5) 21:21:52 +0900
意味不明。
2009-08-21 (5) 21:20:36 +0900
本文ナシ
2009-08-21 (5) 21:19:13 +0900
よく聞いたら、高校野球の中継で、「後続を断ち切る」だった。
2009-08-21 (5) 21:17:19 +0900
2009-08-21 (5) 02:33:10 +0900
20日木曜日づけ朝日新聞石川版、最終面のテレビ欄。
テレビ金沢の、午前 11 時 55 分からの「おもいッきりDON!」。
《知らぬと恥マル秘漢字特集 “和和”蘭子“長閑”な徳満“打切棒”竹山
》。
常用漢字表以外の漢字、読みを使うのは勝手だが、 それを「知らぬと恥」と書くことは、禁止されてもいいのではあるまいか。 法律で禁止するのではなく、 常用漢字表に、「この表は、 これ以外の漢字・読みを用いることを禁じるものではないが、 それらが読み書きできない人を不安に陥れるような言動は慎むように」 というような文言を入れるのである。
付)引用文中の「マル秘」は実際には丸囲みの「秘」。
2009-08-21 (5) 02:25:34 +0900
20日木曜日づけ大阪本社版スポーツ面の、
プロ野球、ソフトバンク対西武の試合の記事。
《ただし、試合後の渡辺監督の顔は晴れなかった。
「う−ん。点は入るには入ったけど……
》。
「うーん」のまん中の文字は普通は長音符だ。
それが短くて、ハイフンのようになっている。
2009-08-21 (5) 02:22:10 +0900
19日水曜日づけ大阪本社版。 「賛成」「中立」「反対」が横軸にとってあり、 たとえば「防衛力の強化」の行を見ると、 各党の候補者の考えの平均が示してある、というしくみである。
設問がおかしいと思うのは、第一番目の「憲法改正」。 同じ「賛成」でも、どの条文をどう変えるか、などで意味は全く違ってくる。
載っていない設問だが、仮に、 「所得税の最高税率を上げること」なら、「賛成」「中立」「反対」に意味がある。 しかし、 「所得税の最高税率を変更すること」だと、 同じ「賛成」でも「上げる」と「下げる」では正反対の主張で、 意味がない。
確か、 《自民党新憲法草案では最高裁裁判官の国民審査は「やる」と書いてあるだけ》 を書いたころ、自民党が新憲法草案を作った。 その改正案への「賛成」「中立」「反対」なら意味があると思う。
2009-08-21 (5) 02:12:38 +0900
これは、
《朝日新聞社と東京大学谷口研究室の共同調査
》だそうだ。
その谷口将紀氏の文章も載っている。
が、なぜ「憲法改正」としたかは何も。
2009-08-22 (6) 00:29:48 +0900
「忘れない」と書いたのは、のみ忘れることがなく、 また、のんだことを忘れてまたのむこともない、という意味とする。
もちろん、のまずに席を立てば忘れてしまうが、それはないとする。 また、食事中にのんでしまうこともないとする。
「夕食の終わる瞬間」は毎日一度必ずあり、一度かぎりである(、とする)。 だから大丈夫だと思うのだが、頭がよく働かない。
付) カレンダーを薬と一緒にしておき、飲んだら印をつけるとか、 薬に前もって飲むべき日付を書いておく、などの方法があることには気づいている。 そうしないでする方法を考えているのである。
2009-08-20 (4) 19:58:41 +0900
ブリキマンは「オズの魔法使い」に登場。 「波を切る」って言い方、あるよね?
2009-08-20 (4) 19:09:05 +0900
いらなくなったブリキが、単に捨てられないで、 こうやってまた生きる、というような意味。
2009-08-20 (4) 19:02:38 +0900
引き出物ののし紙に書く、あれ。 女性名が左、男性名が右なのは、縦書きの場合の慣習にならっている。 Jean はフランス語の男性名。
2009-08-20 (4) 19:00:55 +0900
前半後半のつながりはまったく不明。
2009-08-20 (4) 18:59:50 +0900
武蔵は人名。
2009-08-20 (4) 18:58:50 +0900
網干は姓。
2009-08-20 (4) 18:53:03 +0900
本文ナシ
2009-08-20 (4) 18:49:30 +0900
本文ナシ
2009-08-20 (4) 18:48:50 +0900
本文ナシ
2009-08-20 (4) 18:48:12 +0900
「いらえ」は「答え」の意味。
2009-08-20 (4) 18:47:06 +0900
本文ナシ
2009-08-20 (4) 18:46:23 +0900
「絹ごし」は豆腐の種類。
2009-08-20 (4) 18:45:34 +0900
一番に飛び乗るのはアナキンで、それからパドメの手をひいて引きずり込む。
前にも書いたと思うけど、 敵に背中を向けて乗ろうとするジェダイが多すぎないか? ジェダイなら、 敵のほうを向いたまま、後ろをフォースで察知しながら、 後ろへジャンプして乗れそうなものだが。
2009-08-20 (4) 18:07:01 +0900
以前なら汗がたらたら流れたのに。
2009-08-20 (4) 18:02:44 +0900
ヨーダは対皇帝戦でライトセーバーを失うが、 それが再度戦いを挑もうとしない理由ではあるまい。 オビ=ワンがアナキンのライトセーバーを取ってきているからだ。
……と思ったが、 ヨーダは小柄なので彼のライトセーバーは特別に短くできている? でも、 どこかをちょっと調整すれば長さは変えられるのでは?
2009-08-20 (4) 17:52:01 +0900
こういう言葉もあるんだな。 こうやって、どんどん漢語を増やしていって、 どうなるんだろう? 同音異義語も増えるだろうに。
2009-08-20 (4) 17:35:57 +0900
最初の Vo- は「ヴォ」としないが、途中の -vi- は「ヴィ」とする。
2009-08-20 (4) 17:35:01 +0900
別に味方をするわけではないが、ただ、そう思っただけ。 また仕事ができるようになるとしても、 それまでに一年以上はかかるだろう。 その間に髪はまた生えてくる。
2009-08-20 (4) 17:33:01 +0900
山手線の一周は何キロメートルですか、というような質問なら、 昔でいえば国鉄、いまならJRに聞けばわかるだろう。 (もちろん、実際に聞かなくても、資料に当たればわかる。)
しかし、山手線が囲む面積がどれだけかは、JRには直接関係ないから、 聞いてわかるとは限るまい。 誰か別の人が、地図を計って計算したんだろうな。 マス目を書いて数えるとかして。
2009-08-20 (4) 17:25:41 +0900
2009-08-20 (4) 02:44:20 +0900
8月19日水曜日づけ朝日新聞大阪本社版社会面下の、 「日の丸切りばり問題 / 鹿児島・××候補が謝罪」。 日の丸二枚を切って張り合わせてこの党の旗に似たものを作り、 それを掲げたというもので、写真も出ているが、 一目みて、横幅と比べ、赤い丸の直径が小さいのだ。
法律により、 日の丸は縦横比が2:3、丸の直径は縦の五分の三と決まっているそうだから、 丸の直径は横の 2/3 * 3/5 = 2/5, すなわち 40% でなければならない。 すると、左右の“余白”は 30% ずつ。 それなのに、この写真では、直径と左右の“余白”がほとんど変わらない。
だから、日の丸ではない、というつもりはないのだが、 限りなく拡大解釈されると、 白地に赤い丸が書いてあるものはすべて日の丸で、 切りばりするなどもってのほか、というような世の中になりそうで。
付)党名は伏せ字にしました。
2009-08-20 (4) 02:23:42 +0900
本文ナシ
2009-08-20 (4) 02:22:13 +0900
東京都の書類などでは大江戸線を使うようになっていないかな、 と一瞬思ったが、東京に住んでいたら、「東京都23区の面積の*倍」 もわかりやすいのだった。
「なぜ、山手線の内側の*倍の面積と言い、大江戸線のとは言われないんだろう」 となっていたタイトルを、改めた。
2009-08-20 (4) 17:24:40 +0900
19日水曜日づけ大阪本社版の、「日本一の湿地」。
《釧路湿原全体は山手線が三つ入るほどの広大さ
》とあるのは、
山手線の内側の面積の三倍以上、という意味か。
山手線が三編成はいる、という意味ではあるまい。
《田中順子
》と署名あり。
付) 厳密にいうと、地球表面を山手線は二つの領域に分ける。 そのうちの面積の狭いほう、と言わねばならないが、 そこまでは普通は言わないだろう。
付) 厳密に言うと山手線は一周じゃなく、品川―新宿―田端だったと思うけど、 ここで言っているのは山手線と呼ばれる電車が走る環状部分。
2009-08-20 (4) 02:16:21 +0900
19日水曜日づけ朝日新聞大阪本社版スポーツ面の、 ソフトバンク―西武のプロ野球の記録。西武のほうに
[指] 清 水 打指後 藤 走指右 佐 藤とある。 この場合、佐藤は代走で登場したあと、 いったん指名打者になったのだろうか? つまり、 代走した回の裏の守備では守備につかなかった? 指名打者の代走で出た選手が次の回の守備から右翼についた場合は、
走右佐 藤となる? 西武の総得点が1点なので、打者一巡はしていない。
この試合は延長12回引き分けで、最後、 打順にはいった投手の西口は1回しか投げていない。 つまり、12回裏に佐藤は右翼の守備についたのだが、 これだけでは何とも言えないようだ。
2009-08-20 (4) 02:04:43 +0900
19日水曜日づけ朝日新聞大阪本社版経済面によると、
《経営統合に向けて交渉中のキリンホールディングスとサントリーホールディングス
》
とある。
「統合したらどんな味になるんだろう?」と理屈をつけて、
いつもはどちらか一本にしている晩酌のビールを、
二本あけて飲み比べてるやつもいそうだな。
2009-08-20 (4) 02:01:12 +0900
19日水曜日づけ大阪本社版政治面。一段の三分の一にも満たない。 (そこに横書き。)
2009-08-20 (4) 01:53:45 +0900
本文ナシ
2009-08-20 (4) 01:52:36 +0900
19日水曜日づけ朝日新聞大阪本社版第一面には、金大中氏死去のニュース。 その下の「天声人語」にはこう書いている。
3度目に死に直面したのが、1973年に東京で起きた 「金大中事件」だった。白昼のホテルから韓国の情報機関に拉致され、 5日後にソウルの路上に放り出された。 軍政下の不気味な事件として、その名を日本人の記憶に刻むことになった
犯行を行なったのが韓国の情報機関だとしても、 日本の国境線を非合法に越えられたことは、日本国に責任があるのではないか。 それは、日本のどこの機関に責任があるのか。 北朝鮮による拉致事件についても、これが語られないのが、 私には不思議である。
2009-08-20 (4) 01:44:40 +0900
5月15日金曜日づけ朝日新聞大阪本社版生活面、「ひととき」
は広島県世羅町の会社員、杉原千亜紀さんの「何て聞こうか」。
このかたは、お嬢さんに、
《幼いころから繰り返し、言葉じりに「けど」をつけないように、
と言い聞かせてきた。「別にいいけど」と言われたら、
相手は「けど、なに?」と含みがあるようで、
すっきりしないはずだ
》。なるほど。そのとおりだと思う。
授業をする際にも、気をつけよう。
「この公式は便利ですけど」で切れば、じゃあなんなんだ、と学生は思うはずだ。
実は、この投書は配達日に読んだ。読んで、 「もしも、この投書の趣旨を 『ことばは「けど」で終わっちゃいけないんだ』と誤解した人がいて、 火傷したことを知らせるのに『や!』とだけ叫んでいたら?」 というつまらない話を思いついて印をつけておいたのだった。
携帯電話版広辞苑第六版で、「けど」で終わる語を調べてみた。 「けど」は「けれど」のくだけた言い方なのだそうだ。 だから、厳密に言えば、言葉じりに「けど」「けれど」をつけないように、 というべきなのであろう。
載っていたことばの一つに「低温火傷」があった。 「低温火傷」といったつもりが、相手には関西方言の「低温や+けど」 ととられる、ということもありそうだ。 (これは、「低温火傷」と単語・熟語だけを言わないで、 「低温火傷です」のように、そのあとにことばをつけなさい、 と指導すれば済むこと。)
なお、 《この「いろいろ」で、一般人の投書を取り上げる場合にも投書者名を書く理由》 を参照されたい。
2009-08-20 (4) 01:26:14 +0900