すのものの「いろいろ」(その253)

終点の方南町駅の駅番号が m 03 なのは、あと二駅の延長予定があるのか?!

本線の荻窪、南阿佐ヶ谷、新高円寺、東高円寺、新中野が M 01 から M 05 で、中野坂上が M 06 である。 方南町支線は、方南町、中野富士見町、中野新橋が m 03 から m05 で、 次の中野坂上と番号が連続する。 方南町が終点なのに m 03 なのはそのためであって、 m 01, m 02 に当たる駅ができる予定はないのだと思う。 そのまま延ばせば、大宮八幡前あたりに m 02 が、 井の頭線の西永福近くに m 01 ができそうだが。

2011-07-09 (6) 00:06:18 +0900

回文「泣き女、避難、起きな」(なきおんなひなんおきな)

泣き女に、起きて避難せよと言っている。 前に 《回文>「泣き女・多難 / 翁」(なきおんなたなんおきな)》 を書いていた。

2011-07-08 (5) 02:02:05 +0900

回文「米騒動、有働染子」(こめそうどううどうそめこ)

「有働染子」は架空かも知れない人名。

2011-07-08 (5) 02:01:08 +0900

サイゼリヤ>ペペロンチーノのダブルとドリンクバー2つを注文した二人連れ

先日のこと。 隣のテーブルに座った二人連れが、 ペペロンチーノのダブルサイズとドリンクバー2つを注文していた。 ウェイトレスが「ドリンクバーおひとり様は単品になりますが」 というようなことを言っていたが、 普通サイズのペペロンチーノとドリンクバーを2つずつ注文したほうが安い という誘導はしていなかった。

ダブルサイズは二人が注文したことにしてドリンクバーの値段を決めてもいいと思うがなあ。

(ドリンクバーは、単独で頼んだ場合、 ほかのメニューと一緒に頼んだ場合よりも高くなる。 その差額は、 普通のペペロンチーノ2つとダブルサイズのペペロンチーノの差額よりも大きい。)

2011-07-08 (5) 01:55:13 +0900

宗教上の理由からアイコンを使わない人っているかな? 言葉だけでも。

偶像と結びつくからいけないと避ける人、 使うことは使うが、アイコンという名はイコンに通じるから使わない人、 など。

2011-07-08 (5) 01:52:23 +0900

ブラウザ内でC言語の使えるサイトはないか?

ある枠の中にC言語のソースファイルを打ちこみ、 実行ボタンを押すと、 スクリプトがそれを解釈して実行し、 出力結果は窓の中に現れる、というようなもの。 入力は、枠の中に打ち込む。

フィルターのようなプログラムのときは、 ユーザがファイルからある枠内にコピー&ペーストして入力し、 別の窓の中に現れた出力をユーザがファイルにコピー&ペーストして保存する。

たとえば、JavaScript で、C言語のプログラムを解釈し、 エミュレートするプログラムを書けばいいんだよな。

2011-07-08 (5) 01:47:28 +0900

企業ごとに導入している“サマータイム”だが、真夏にはどうなる?

時計の針を一時間すすめるサマータイムもそうなのだが、 猛暑がくる前の季節にはよいものと思われるのに対し、 真夏になると、夜は一時間早く床につくから寝苦しいし、 早く起きてもすでに暑い。 仕事が終わればかんかん照りの中を帰ることになる。 どうなるか。

2011-07-08 (5) 01:43:56 +0900

プロ野球の負け越しはあとで挽回可能だが、大相撲の負け越しは取り消せない

プロ野球の「負け越し」は勝ち数より負け数のほうが多いとき、その差を言う。 だから、残り試合が多く残っていれば、 挽回して「勝ち越し」でシーズンを終わることが可能。 それに対し、 大相撲の「負け越し」はいったん決まったらその場所中には消えることがない。

2011-07-08 (5) 01:40:51 +0900

「ロの字」に机を並べた会議室の中央のスペースはもったいない

実際には保管庫などのスペースになっていて、 バーチャルリアリティーで向かいの人が見えるようにするとか。

2011-07-08 (5) 01:38:18 +0900

「先、行かない?」と「裂きイカ、ない?」は同音だ

本文ナシ

2011-07-08 (5) 01:36:42 +0900

人は歴史から絶対に学ばない、ということが歴史の教訓だ

7日木曜日づけ大阪本社版 「エネルギー政策のゆくえ」で、 石破茂・自民党政調会長が 《人は歴史から絶対に学ばない、ということが歴史の教訓だ》と話している。 この教訓も絶対に学ばれないわけで、と考えだすとおもしろい。

2011-07-08 (5) 00:59:37 +0900

朝日新聞「天声人語」>夏の朝に「冷気」とは? 眠るのも有効な利用法

7日木曜日づけ大阪本社版掲載分。 “サマータイム”、すなわち、 いまは企業ごとに独自に行なっている始業・終業時刻のくりあげの話だ。

夏の朝は5時には明るい。 天然の照明と朝の冷気を無駄にするのは、思えばもったいない》 とあるが、明るいとはどういうことか? 夜明けがきているという意味なら、 東京では、三月末から九月末まで、ずっとそうだ。 日の出の意味なら、九州・沖縄では5時より早くなることはないようだ。

朝の冷気とあるが、熱帯夜が明けたあと、どうして冷気がやってくるのか?

仮に冷気がやってきたとして、 「思えばもったいない」とあるが、夏場はしっかりと睡眠をとることも大切だ。 だから、その時間を睡眠にあてるのは正しい使い方とも言える。

付) 関係はないが、文中に「じわり広まっている」とある。 「じわりじわり」なら岩波国語辞典第三版に載っているが。 「いらっとする」などと同じ、短縮化か?

2011-07-08 (5) 00:43:20 +0900

STAEDTLER のペンシルホルダー 900 25 を机から落としたら、凹んだ

いすの足に当たったらしい。 おそらくアルミニウム製で、それなりの重さがあるので衝撃が強く、 凹んだのであろう。 使う分には一切さしつかえないが。

ペンは落としてはいけない、という当たり前のことをまた思い出せてくれた、 と考えよう。

2011-07-07 (4) 23:12:01 +0900

「被る(かぶる)」の広まりには、「ダブる」の影響があるか?

昔なら、とりたい授業が二つ同じ曜日・時限に開かれていると知ったとき、 「ダブった」のでとれない、と言ったものだが、 最近の学生は「かぶった」である。 「ダ」と「か」の違いだけなのが、こんなに速く広まったことと関係していないか?

2011-07-07 (4) 02:33:25 +0900

六月23日木曜日のNHKラジオ「実践ビジネス英語」を聞きそこなった

テープに録音してあると思っていたのだが、 録音し忘れたか、上から別の放送を録音してしまったのか、ない。 ストリーミングで聞ける期間の終了後に気づいたので、聞きそこなったことになる。

非公開の日記によると、この日はサイゼリヤで少々飲みすぎて帰ってきて、 翌日の授業の準備をしたとある。 録音し忘れ、ストリーミングで聞けばいいやと思って、忘れてしまったのか。 録音したものは、原則として、 もしも録音されていなかったらストリーミングで聞ける期間に聞くことにしている。 だから、翌週に必ず気づくと思っていたか。

「まいにちフランス語」を優先した結果とも言えるから、まあ、いいか。

あるいは、「次にここから聞こう」とカセットをテレコにセットしておいたのを、 「次はここに録音」とカン違いしたのかも。

2011-07-07 (4) 01:37:44 +0900

ここから先はこれからアップロードする。

2011-07-07 (4) 23:19:22 +0900

今日の補筆箇所

2011-07-07 (4) 01:06:44 +0900

「そでの下」とは、ワイロをそこから取りだすのか、そこに収めるのか?

秋月のページ」 の掲示板「政治・外交」に 「知恵をだせ=そでの下になにか入れろ、という意味か?」 というタイトルでの書き込みを見たので、タイトルのようなことを考えてみた。

広辞苑第六版、ネットで見た「大辞泉」によると、前者のようだ。

2011-07-06 (3) 20:46:31 +0900

Windows>Shift キーを4回押した状態でパソコンを放置すると、…

…次にそのキーを押すと「固定キー機能」のウィンドウが開くので、 大文字で始まるパスワードなどを見抜くことができるのでは、 と考えたが、そうはならない。 Shift キー単独で5回目の押し下げ、 離しが起こらないといけないようだ。

2011-07-06 (3) 18:49:37 +0900

きょうの補筆箇所

2011-07-06 (3) 03:09:18 +0900

置換群>二つの置換の合成の転倒数はそれぞれの転倒数の和と mod 2 で等し

一つの置換を選び、固定する。 それをあみだくじで実現したときの横棒の本数の偶奇は一定である。 そのことは、 横棒を一本加えるか減らすかすると転倒数が1だけ増すか減ることからわかる。 以下に例で示そう。

次の図で、「+===+」で示した横棒はまだないとする。 上から順に、「←」で示した矢印のところでの転倒数を見てゆくと、

|   |   |   |   |
|   +---+   |   |
|   |   |   |   | ←
|   |   +---+   |
|   |   |   |   | ←
|   |   |   +===+
|   |   |   |   |
+---+   |   |   |
|   |   |   |   | ←
|   |   +---+   |
|   |   |   |   | ←
1ずつ変わっている。だから、 「+===+」で示した横棒を加えると、 それ以降の転倒数の偶奇は入れ替わる。

二つの置換をあみだくじで実現し、縦につなげれば、 合成を実現するあみだくじができる。 あとは上で述べたことを使えばよい。

2011-07-06 (3) 02:53:42 +0900

上で、 誤って《「+===+」で示した横棒を加えると、 それ以降の転倒数は1だけ増すか減る》と書いていたのを、 《「+===+」で示した横棒を加えると、 それ以降の転倒数の偶奇は入れ替わる》に改めた。 次が反例。

1  2  3  4             1  2  3  4
|  |  |  |             |  |  |  |
+--+  |  |             +--+  |  |
2  1  3  4 転倒数 1    2  1  3  4 転倒数 1
|  |  +--+             |  |  +--+
2  1  4  3 転倒数 2    2  1  4  3 転倒数 2
|  |  |  |             |  +==+  |
|  |  |  |             2  4  1  3 転倒数 3
+--+  |  |             +--+  |  |
1  2  4  3 転倒数 1    4  2  1  3 転倒数 4

直接に証明することもできた。

σ と τ とを { 1, 2, ..., n } の上の置換とする。 σ の転倒数は #{ (i, j) | i < j かつ σ(i) > σ(j) } だった。 同様に、 τ の転倒数は #{ (i, j) | i < j かつ τ(i) > τ(j) } となる。 τσ の転倒数 #{ (i, j) | i < j かつ τσ(i) > τσ(j) } を考察しよう。集合 { (i, j) | i < j } は次の四つの集合の disjoint union である。

σ の転倒数は #C + #D である。 少し考えると、τ の転倒数は #B + #C であることがわかる。 τσ の転倒数は #B + #D だから、mod 2 で計算すると #B + #D = #B + #D + 2#C = (#B + #C) + (#C + #D) となって、 τσ の転倒数 = τ の転倒数 + σ の転倒数 (mod 2) がわかる。

2011-07-06 (3) 18:38:40 +0900

「すべての人が救われる」と信じたらもはやキリスト教ではないのではないか

5日づけ朝日新聞大阪本社版「こころ」面、 「被災地 自問する宗教者」。

川上直哉・仙台市民教会牧師(37)は 「被災地の宗教者は自らの宗教性を問い直している。 『キリストを信じれば救われる』ではなく 『すべての人が救われる』と信じられるかどうか。 本当の意味で信仰が試されていると感じる」と話す。

同じ記事の続きの「超宗派で連携、心のケアに軸足」。 《伊佐恭子》と署名がある。 《近代以後、 社会福祉は国の役割になり、 宗教は社会的活動から遠ざかっていた》 とある。 キリスト教会の目的は、神を礼拝することであって、 信者以外をも対象とした社会的活動は付属にすぎない。 社会的活動の活発さのみに注目するのが、 信仰に対する現代のマスコミの間違った見方であると私は思う。 外国の教会については、 災害で建物がほとんど残らなかったがミサや礼拝はいつものとおり続けてゆく、 というのが記事になるのを見るのだが、 今回の大震災についてはそのような記事を見た記憶がない。

2011-07-06 (3) 02:02:46 +0900

置換群>逆置換の転倒数は元の置換の転倒数に等しい

第一の証明: 置換 σ の転倒数は #{ (i, j) | j < i かつ σ(j) > σ(i) } だった。 i' = σ(i), j' = σ(j) と置きかえると、これは #{ (σ-1(i'), σ-1(j')) | σ-1(j') < σ-1(i') かつ j' > i' } に等しい。これは #{ (σ-1(i'), σ-1(j')) | i' < j' かつ σ-1(i') > σ-1(j') } に等しく、さらに #{ (i', j') | i' < j' かつ σ-1(i') > σ-1(j') } に等しい。これは置換 σ-1 の転倒数である。

第二の証明: 置換 σ の転倒数は、背の順のたとえで言うと、 学生たちを学籍番号順に並べたとき、 「自分より前にいる(=学籍番号が若い)が自分より背の高い学生の数」 を各自に申告してもらい、 それを加えたものだった。 置換 σ-1 は、 同じ学生たちを背の順に並べたとき、 「自分より前にいる(=背が低い)が自分より学籍番号が大きい学生の数」 の和に等しい。 ほんのちょっと考えると、両者は等しい。 (最初の定義の 「自分より前にいる(=学籍番号が若い)が自分より背の高い学生の数」の和を 「自分より後ろにいる(=学籍番号が大きい)が自分より背の低い学生の数」 の和としてもよいのと同様に、 「自分より前にいる(=背が低い)が自分より学籍番号が大きい学生の数」 の和は 「自分より後ろにいる(=背が高い)が自分より学籍番号が若い学生の数」 の和に等しいことに注意。 「自分より前にいる(学籍番号が若い)が自分より背の高い学生の数」は 「自分より後ろにいる(=背が高い)が自分より学籍番号が若い学生の数」 と同じである。)

例。
τ12345
54132
自分より前で自分より大きい数の数01223
τ-112345
35421
自分より後で自分より小さい数の数23210

第三の証明: 置換 σ の転倒数は、 それを実現するあみだくじの横棒の数の最小だった。 σ を実現するあみだくじは上下を逆にすると σ-1 を実現するあみだくじになり、 σ-1 を実現するあみだくじは上下を逆にすると σ を実現するあみだくじになる。 このことから、すぐにわかる。

2011-07-05 (2) 21:17:24 +0900

第四の証明

座標平面にすべての (i, σ(i)) をプロットする。 (i, σ(i)) と (j, σ(j)) を結ぶ線分が右下がりのとき,そのペアは転倒している。 この図を直線 y = x に関して対称移動すると, (i, σ-1(i)) をプロットしたことになる。 右上がり(resp. 右下がり)の線分は対称移動しても右上がり (resp. 右下がり)である。

2018-01-20 (6) 00:05:57 +0900

「メモ帳」の置換機能は、ギリシア文字でも大文字小文字の区別をしない

「大文字と小文字を区別する」をオフにしておくと、 s と S が区別されないのはわかる。 しかし、σ と Σ をも区別しようとしないのには驚いた。 全角文字では大文字小文字の関係は考えない、と思い込んでいたようだ。

2011-07-05 (2) 21:07:24 +0900

きょうの補筆箇所

2011-07-05 (2) 02:08:46 +0900

長音階、短音階の中で、増四度=減五度の音程にあるものは?

長音階の場合、F-C-G-D-A-E-H という完全五度をなす列を考える。 これを並べ変えると C-dur の音階が得られる。 この両端の F と H だけが増四度=減五度だと気づけば、 ほかにはないことがわかる。 (音程は、完全五度をなす列の中での距離で決まる。)

c-moll の場合、 As-Es-B-F-C-G-D-a-e-H となる。a と e は使われないので小文字にした。 As と D もそうだし、F と H もそう、ということになる。 そして、これら四つだけを大文字で始めて As-es-b-F-c-g-D-a-e-H としてみると、短三度おきに並んでいることがわかる。 これらが減七の和音をなす。

ある長調の属七の和音の音をすべて含む長調は、その長調のみ》 にやや関連。 F と H を含む属七の和音は C-dur のものだけだ。 これと異名同音の Eis と H を含むのは Fis-dur, F と Ces を含むのは Ges-dur である。すなわち、 五度圏で C-dur の正反対にあたる調性である。

2011-07-04 (1) 23:43:29 +0900

チェロ四重奏曲なるものがあればチェロ+(バイオリン+ビオラ+チェロ)?

バイオリン+ビオラ+チェロ×2という構成の四重奏曲はないものか、 と考えているが、「弦楽四重奏曲」と呼ぶと混乱する。 ピアノ四重奏曲ならピアノ+(バイオリン+ビオラ+チェロ)だから、 それにならってチェロ四重奏曲と呼んだらどうだろう、 と戯れに考えてみたもの。

Google で検索すると、この名称の曲は実在するようである。 しかし、楽器編成はわからなかった。 四本のチェロかもしれない。

2011-07-04 (1) 23:11:36 +0900

英語の spicy を「酸っぱいし」からきていると思うやつはいないか

本文ナシ

2011-07-04 (1) 23:01:26 +0900

「有馬千」(ありま・せん)さんって実在するだろうか

本文ナシ

2011-07-04 (1) 18:35:18 +0900

きょうの補筆箇所

2011-07-04 (1) 02:42:28 +0900

朝日新聞>「はじめてのバッハ」(《吉田純子》と署名)のつっこみどころ

朝日新聞>「G線上のアリア」をG線だけで弾けると気づくのは“発見”か?》 に書いた、6月27日月曜日づけ大阪本社版文化面「はじめてのバッハ」 (《吉田純子》と署名あり)。 つっこみどころが多すぎて、なかなかとりかかれなかったので遅くなった。

まず、作曲家バッハの紹介に 《代表作は「主よ、人の望みの喜びよ」「シャコンヌ」など》 はないだろう。 「シャコンヌ」は無伴奏バイオリンのためのあの大シャコンヌのことだろうが、 単に「シャコンヌ」と書いたら初めての人はわからないだろう。 「主よ、人の望みの喜びよ」はおそらく編曲のほうを言っている。 続いて 《「インベンションとシンフォニア」などは、 ピアノを学ぶ人にとって今なお必須のレパートリー》 とあるが、あれは初級から中級向けであって、プロはほとんど人前で弾かない。 「レパートリー」と言えるかどうか。 「レパートリー」と言うなら、「平均律」だろう。 有名さの点では「トッカータとフーガニ短調」に勝るものはあるまい。 (最近は偽作説も出ているようだが。)

バッハの似顔絵の後ろに楽団員が描かれているが、 トロンボーンは当時あったのだろうか?

管弦楽組曲第三番の Air の鍵盤楽器用編曲譜の上に 《特定の思想や現実を描いていない純粋な器楽曲なので、 聴く人のあらゆる心境をうけとめるカウンセリングのような役割を果たすことができる》 とあるが、まず前半。 クラシック音楽の器楽曲の大部分は、この 「特定の思想や現実を描いていない純粋な器楽曲」に当てはまってしまうだろうから、 あまり意味がない。後半。 この曲を受け入れるには、いわゆる西洋音楽を知っていなければならない。 ユニゾンのほかは完全五度のみが協和音程、という時代があったらしいし、 明治時代の日本では 「ファ」と「シ」のないヨナ抜き音階は受け入れられても長音階は無理、 という人がかなりいたのだと思う。 また、カウンセリングとは、相手の話を聞き、 それに対しことばなどを返す行為であって、 いくらバッハの楽曲が優れていると言っても、それは無理だろう。

18小節もの旋律が緩やかに歌い継がれる。 息の長く美しいメロディーを書かせたら、 古今東西バッハの右に出る人はいない》 とあるが、全18小節で一つのメロディー、ではないだろう。 少なくとも、前半6小節と後半12小節には分かれる。 そこに反復記号がついているから。 後半は、すぐにそう言いきれるだろうか? 私の知っている限りでも、 チャイコフスキーの交響曲第四番の第二楽章冒頭のメロディーは長い。

この楽譜は一段鍵盤の楽器では弾けない。 第三小節に、第一バイオリンがのばしている A と同じ音を第二バイオリンが弾く箇所があるから。 それと、ビオラの音は最初はト音記号のほうに、 途中からはヘ音記号のほうに書かれており、 それがつながっていることが示されていない。 矢印で示すのが普通である。

楽譜の下には 《バロック音楽では、 高音部の旋律とともに低音の動きが音楽の骨格をつくっている。 鍵盤奏者は低音をもとに、自在にハーモニーを乗せて即興演奏する》 とあるが、 前半はバロック音楽に限らず、かなりの音楽に当てはまるだろう。 後半。「自在にハーモニーを乗せて即興演奏する」だと、 バスのメロディーだけあっていればどんな和音を乗せるかは奏者の自由、 ともとれる。実際には数字で和音が指定されている。

きょうはここまで。

2011-07-04 (1) 02:01:09 +0900

「平均律クラヴィーア曲集第1、2巻」 はジャズのキース・ジャレットの挿し絵のところに出ていた。

楽譜だが、装飾音符の長さを間違って解釈しているように思う。 装飾される音符と装飾する音符の長さを同じにするもの、 と誤って理解していると思う。

さて、本文。 《「G線上のアリア」は、 名曲ぞろいの「管弦楽組曲」に含まれる小品。 華やかな管楽器がない、 弦楽器だけのアンサンブルだ》とあるが、 管弦楽組曲を一曲(一楽章)ずつわけて「名曲ぞろい」 と言っているのだろうか、それとも四つの組曲が四曲とも名曲で、 という意味だろうか? このアリアにも通奏低音は参加するので、 「弦楽器だけ」は誤り。

広い音域をたゆたう旋律に対し》とあるが、 音域は短十度。 少し手の大きな人なら、ピアノで片手で同時に鳴らすことが可能な音程である。

2011-07-05 (2) 00:36:22 +0900

英語ドイツ語フランス語で同じつづりの単語に、as(独語は As)があった

英語ドイツ語フランス語で同じつづりの単語。 外来語ならあるだろうが、そうではなくて、意味は当然別々で、 というものを、 高校2年でフランス語を学び始めてからずっと考えていた。 (ドイツ語は中学3年と高校1年のとき学習していた。)

さきほど、「まいにちフランス語」 の最終回をテキストを見ながら聞いていて気がついた。 as だ。フランス語では avoir の直説法現在形二人称単数の形、 ドイツ語では、私は音名の As に気づいたが、 辞書によると、英語の ace にあたる語でもあるようだ。

フランス語の as に気づかなかったのは、 tu でなく vous を使う文を多く見ていたから、 のような気がする。

2011-07-04 (1) 01:18:57 +0900

「心理学」が「理学」で終わるからとの理由で理系なら、「天文学」は文系?

「論理学」「倫理学」も、ふつう文系に属するが、「理学」で終わっている。 では「文学」で終わる理系学科は? と考えていて、気がついた。 「〜ぶんがく」と読まないのでしばらく思いつかなかった。

元ネタは 「Phinloda の裏の裏ページ」。

2011-07-03 (0) 23:16:10 +0900

Google は駅周辺の地下通路のストリートビューは作ってくれないものか

初めての場所で乗り換えるときなど、ネット上で予行演習ができると助かる。 いま試しに丸ノ内線の新宿―新宿三丁目の通路にあたる部分を見てみたが、 見えたのは地上の風景だった。

2011-07-03 (0) 22:12:22 +0900

動画「BACH - Air on the G String - SARAH CHANG」はG線だけで弾いてない

ピアノ伴奏は、前半のくり返し時の第6小節後半のバスの音型から、 「G線上のアリア」のものと思われる。 後半はリピートなしだが、最後の小節は右手は一番カッコ、 左手は二番カッコを採用しているようだ。

それと、最初の音を上げ弓で出しているので驚いた。 (手元の「G線上のアリア」の譜では下げ弓を指定。)

さらに、原曲のニ長調で弾いている。 (絶対音感はないので、midi で冒頭の Fis の音を出して比べてみた。)

どこが「G線上のアリア」なんだ、と言いたくなる。

2011-07-02 (6) 02:25:32 +0900

「G線上のアリア」は単に移調しただけでなく、バスの動きを変えている

手元にあったのは Carl Fischer 社のビオラ版。 バッハの原曲では前半6小節と後半12小節がそれぞれ単純にくり返されるが、 「G線上のアリア」では、くり返し時の6小節目のバスを原曲の ソラシドレファミレから G の音の二分音符に変えている。 最終小節後半は、原曲では D の二分音符。 一回目は、それをドソミドと分散和音でさがるように変えている。 前半も、第二バイオリンの装飾音符を単純化している。

ピアノ伴奏譜はおそらくバイオリン用のものの流用。 ビオラ譜との間で指使いの指定に違いがみられる。 ビオラ譜は、くり返し時にも全く同じに弾かせるようになっていると思うが、 くり返し記号を使わず、二度書いている。

長九度さげた結果、ソロバイオリンは、 伴奏のピアノまたはオルガンよりも低い音を出しているところが多い。

2011-07-02 (6) 01:20:50 +0900

手元にあるカラヤンとリヒターのCDで確認したが、 くり返した二度目の第6小節後半のバスは動かないようだ。 手元にある全音楽譜出版社のスコアが違っているということか。

2011-07-05 (2) 01:06:26 +0900

「夢・恋・人。」の藤村美樹はキャンディーズ時代と髪の分け方が逆だが……

別人説などはないのであろうな。 先日のスーちゃんの通夜・葬儀の際はキャンディーズ時代の分け方に戻っていた。

2011-07-01 (5) 22:39:35 +0900

midi のピッチベンドは BW の引数の末尾一ケタまで正確ではないのでは?

すのものの「midi のピッチベンドで純正律を(その1)」』 でいろいろ試しているが、mml の BW の引数としては、 長三和音の第三音は根音よりも 561 だけ低く、 第五音は根音よりも 80 だけ高く設定するのが適切なようである。 しかし、和音によってうなり方が違うような気がする。

BW の引数は 1 単位で設定できるが、 パソコンの midi プレイヤーが丸めてから処理していると考えても、説明がつく。

いま、ある大工が、棚作りを引き受けたとする。 この人は、注文は1センチメートル単位で受けるが、 実際の作業は一位を四捨五入してから行なうとする。 18 センチメートルおきに、 たとえば床から 100, 118, 136 センチメートルの高さに棚を作ってくださいと注文すると、 四捨五入して 100, 120, 140 センチメートルの高さに棚を作ってくれる。 これなら実際には 20 センチメートルおきで等間隔。 しかし、108, 126, 144 センチメートルと注文すると、 四捨五入して 110, 130, 140 センチメートルとなり、 等間隔ではなくなってしまう。

2011-07-01 (5) 21:54:00 +0900

葬儀屋>死者が生き返った場合のキャンセル料は?

葬儀屋からみると取りにくいような気がするし、 家族などからみるとおめでたいからいくら払ってもいいような気もするし。

「キャンセルせずに、生前葬ということでいかがですか」と持ちかける手があるか。

2011-07-01 (5) 20:22:37 +0900

「わからない」「かわらない」は最初の二文字の転置だが、聞き間違わない

日本語のネイティブなら、この二語を混同することはないと思う。

別の例を先に思いついたのだが、そちらは忘れてしまった。

2011-07-01 (5) 20:19:10 +0900

スター・ウォーズ>ジェダイに勝てる唯一の兵器、droideka(s) をもっと…

…登場させてもよかったような気がする。 重要な箇所には常に配置されているとか。 それじゃジェダイが勝てないから話が進まないな。

2011-07-01 (5) 20:06:17 +0900

シスの復讐>ムスタファーに droideka(s) がいないのはなぜ?

いたら、ニーモディアンはそれを使って防戦しただろうに。

2011-07-01 (5) 20:04:24 +0900

作図題は、定規とコンパスだけではできない。鉛筆が必要。それに紙。

というのはもちろん屁理屈。 定規は、二点にあててスイッチか何かを押すとその二点を通る直線が書ける機能内蔵、 と考えるべきだろう。 コンパスには鉛筆が内蔵されているんだから、 定規が鉛筆を内蔵していてもいいと思う。

2011-07-01 (5) 02:22:09 +0900

「G線上のアリア」の原曲の第一バイオリンのパートをA線だけで弾いた例は

すべてA線で弾いたら、 編曲の「G線上のアリア」を長九度あげてひいたのと全く同じ運指になるのでは、 と思っただけ。

ビオラは最高弦がA線である。 むかし習っていたときのことを思うと、あの C までは出せる。 このアリアでは第二バイオリンは第一より低い音域を弾くから、 ビオラ三丁とチェロでも演奏できるということか。

2011-06-30 (4) 19:26:06 +0900

「G線上のアリア」の愛称は、日本では原曲にも使われているようだが

前項の続き。

なお、そのページには 「ヨハン・ゼバスティアン・バッハの《管弦楽組曲第3番》のうち、 「アリア」楽章に付けられた愛称」 とあるが、そのページから他言語へのリンクをたどってドイツ語版を見ると、 そこは「Orchestersuiten (Bach)」のページ。 訳せば「管弦楽組曲(バッハ)」である。 英語版は「Air on the G String」。 そこには編曲版のことだけが載っている。

2011-06-30 (4) 19:21:16 +0900

朝日新聞>「G線上のアリア」をG線だけで弾けると気づくのは“発見”か?

27日月曜日づけ大阪本社版文化面「はじめてのバッハ」 (《吉田純子》と署名あり)に 《原曲はニ長調だが、 19世紀のとある大バイオリニストが、 ハ長調にすると、なんとこのG線1本だけで旋律が弾けてしまう、 ということに気付き、演奏会で披露したのが愛称の由来と伝えられている》 とある。

Wikipedia の「G線上のアリア」には 《愛称の由来は、 19世紀後半になってアウグスト・ウィルヘルミが、 ニ長調からハ長調に移調させると、 この曲がヴァイオリンのG線のみで演奏可能なことに気づき、 ヴァイオリン独奏用にそのような編曲を施したことにさかのぼる》。 ちなみに 《最終更新 2011年2月6日 (日) 15:00 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)》 とある。

音域はピッチの基準となる A 音から一オクターブと少し上の C までの短十度。これなら、やたらに音が跳ばない限り、 バイオリンやビオラの弦一本で弾けることは明らかで、 “発見”の名には値しないと思う。 そうやって弾くと独特の味わいがあると気づいたのは発見だと思うが。

2011-06-30 (4) 19:04:39 +0900

返却に備えて、答案のコピー。効率を上げる工夫を三つ、した

昨日15時ごろに再開したときは、 絶対に今日中には終わらないと思った線型代数学の試験答案の採点だが、 後半の逆行列の計算は採点がしやすく、なんとか、終えることができた。

きょうの授業の際に返却するので、コピー機でコピーをとった。 まとめてコピー機に吸い込ませてコピーする同僚もいるが、 私は機械が苦手なので、一枚ずつ、裏表、コピーしている。 これが結構かかる。いま持っているクラスは80名ちょっとと、 いままで私が体験した中では最大人数であるから、 かかる時間も長い。

答案はコピー機に向かったとき後ろにある棚においてある。 そこから一枚ずつとり、表をコピー、裏をコピーして、 同じ棚の上の別の山に積むのである。

最初のうちは、答案一枚ごとに足の位置を変えていた。 答案をとりあげるときは棚の方を向き、 コピーするときはコピー機の方を向くように。 これは無駄だと気がついた。 コピー機が右手側、棚が左手側、 そしてややコピー機のほうを向くように足の位置を固定し、 上体をひねって向きを変えることで、無駄な足の移動を省いた。

そのときは、 「棚のほうを向いて次の答案を手にとる、 コピー機のほうを向いて表のコピー、続いて裏のコピー、 棚のほうを向いて答案を置く、 次の答案を手にとり……」というパターンのくり返しだった。 これだと、棚のほうを向いて答案を置き、 次の答案を手にとっている間、コピー機は仕事をしていない。 これでは時間がもったいない。 そこで、次のようにした。 「コピー機のほうを向いて表のコピー、続いて裏のコピー、 その間に棚のほうを向いて次の答案を左手にとり、 コピー機のほうを向いて、 裏のコピーが終わったらすぐに次の答案の表をコピー、 その間に棚のほうを向いて済んだ答案を別の山に積む」 のくり返し。 これで、コピー機が休んでいる時間がなくなる。 これは、私が、右利きだが左手もかなり使えるのでできた方法である。 コピーの済んだ答案は右手でつかみあげ、 即座に、左手にもった次の答案を置いていた。

しかし、これだと、一枚の答案を処理するごとに、 二度、からだの向きを変えることになる。 そのうちの一度、すなわち、 次にコピーする答案を左手でとる際は、 棚のほうを向く必要はないと気づいた。 後ろ手でも十分つかめるからである。

これが、今回の最終形態であった。 いちおう書いてみると、 「コピー機のほうを向いて表のコピー、続いて裏のコピー、 その間に左手で、後ろ手で次の答案をとり、 裏のコピーが終わったらすぐに次の答案の表をコピー、 その間に棚のほうを向いて済んだ答案を別の山に積む」 のくり返し。

ベルトコンベアを使った工場などでは、 こんな工夫は“して当たり前”のことだろう。 コピーが済んだ答案を振り向かずに置けるよう、 棚の位置を変えるなどすればさらに効率は上がるが、 それは私の一存ではできないことになっている。

付) 上のくり返しパターンの記述では、 終わりまで行ったら冒頭に戻るのではなく、 途中に戻る。どこに戻るかは明らかだと思うので、書かなかった。

付) この作業をしながら、きょうはこれを「いろいろ」に書こう、 と考えていたのだった。

2011-06-30 (4) 00:17:56 +0900

「踊りを踊る」「舞を舞う」を混ぜて「踊りを舞う」「舞を踊る」と言ったら

……おかしいかな? 「舞を踊る」は言うような気がする。

2011-06-30 (4) 00:15:26 +0900

野崎コンビーフより怖い、線型代数学の試験のぐちゃぐちゃな解答

一次方程式系(連立一次方程式)を解く問題だから、 わかっている学生にとっては「一本道」の変形である。 しかし、 行きあたりばったりに変形して紙面一杯に書き散らし、 最後の結果が違っている答案がある。 そういう答案は、 どこで間違えたかを見つけてそこまでの部分点をつけるのに、 数倍の時間がかかる。

見た瞬間の恐怖感は野崎コンビーフをはるかに上回る。

2011-06-28 (2) 23:22:17 +0900

きょうの補筆箇所

2011-06-28 (2) 02:53:55 +0900

朝日新聞「天声人語」>「新暦なら今ごろ」ってどういう意味?

27日月曜日づけ大阪本社版掲載分。 《〈夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡〉の句も、 新暦なら今ごろだという〉とあるが、 立春から何日目とか、二十四節気のどれから何日後、 として今年に当てはめれば、新暦も旧暦も関係ないはず。

Wikipedia によると、 《元禄2年3月27日(新暦1689年5月16日)》に出発、 平泉でこの句をよんだのは旧暦《5月13日》。 閏月はなかったようなので、出発の45日後ぐらいか。 この年の新暦では6月30日ごろになりそうである。 この年の旧暦は、新暦5月下旬初めの節気が4月の初めにきていると思われるから、 季節に比べて暦が遅れていることになる。 夏至をすぎてまだ5月13日であることからもそうだとわかる。

2011-06-28 (2) 02:03:55 +0900

同じお休みの日なのに、土曜日は青、日曜日は赤なのはなぜ?

……と思う子がきっといると思う。 (前にも書いたと思うが、見つけだすのが大変そうなので、また書いた。)

2011-06-28 (2) 01:35:18 +0900

「迷いの森」は JavaScript で実現できるか。cookie を使って。

前に 《『すのものの「迷いの森」』を作った。つまらないゲームである。》 で作ったゲーム。

2011-06-28 (2) 00:40:59 +0900

きのう未明、Internet Explorer 9 をインストールした

最初、キーボードを使わずに“お気に入り” を利用する方法がわからずいらついたが、右上の「☆」だった。

本来の意味でのホームページを blank にしておくと、 IE8 では「戻る」を押してもそこへ戻ることができなかったが、 IE9 では戻れる。「よく使うサイト」が出て、 場合によっては気まずい思いをすることもあろうが。 (非表示にもできる。)

2011-06-28 (2) 00:34:30 +0900

「バチカン」を「ヴァチカン」と書く例を見た。原語は Vatican らしい

26日日曜日づけ朝日新聞大阪本社版掲載の新潮社の広告で、 塩野七生他「ヴァチカン物語」というタイトルを見た。 「ヴァ」と「バ」の区別は、 音声としての日本語にはないだろう。 それは書き分けて、/t/ と /i/ との組み合わせで容易に発音できる 「ティ」を用いないのはなぜだろう、と考えた。 「バティカン」と呼ぶのが適切だろうに。

「チ」なのはすでに日本語の慣習として定着していて変え難いが、 音声に影響しない表記のほうは「ヴァ」を用いた、と考えればよいか。

2011-06-27 (1) 23:11:47 +0900

スター・ウォーズ>「レイア」って名は日本語の「霊安室」にちなんでないか

ちなんでないだろうとは思うが。 III であのあと、 パドメの遺体はあの小惑星の医療施設の霊安室に運ばれたんだろうか、 と考えていて。

霊安室を特に設けていなければ、産室がそのまま霊安室になったわけで、 霊安室で生まれた子、ともみなせるのではあるまいか。

2011-06-27 (1) 02:23:50 +0900

新たなる希望>空中停止可能なファルコン号がデス・スター攻撃に参加しない

爆弾を撃ちこむ前に、 なぜ溝に沿って飛ばなければならないのか、作中でははっきりしない。 V の最後のルーク救出時にわかるように、 ミレニアム・ファルコン号はホバリングが可能である。 もしも下部にもハッチがあれば、 攻撃目標の穴の上に停止し、そこから爆弾を落とせば、 確実に内部で爆発したのではあるまいか。

2011-06-27 (1) 00:26:01 +0900

イザナギは死んだ神だが、神社にまつられている

死んだ人を神としてまつっている神社がある。 神話の中の神については、神話の中で死に、かつ、まつられている例がこれ。 イザナミはまだ生きているのかな?

2011-06-26 (0) 21:57:58 +0900

Wikipedia には「慰霊」の項目はないようだ。沖縄県の「慰霊の日」はある

日本だけでなく、 世界的な観点から見た「慰霊」について読めるかと思ったのだが。

「千鳥ケ淵戦没者墓苑」の項目には 「一年を通じて各種団体の慰霊行事が行われる」 と、 「アーリントン国立墓地」の項目には 「戦没者慰霊施設である」とあるが、 いずれも、「慰霊」からリンクははられていない。

2011-06-26 (0) 21:40:20 +0900

原発事故が「千年に一度」なら、どこまで許せるか? 文明の千年分の退化?

職場でとっている毎日新聞に、きのう、 前に掲載された(確か)小学生の投書に (確か)小学生から賛否両論の投書がきているとの記事があった。 そこで紹介されていた投書の中に、 「千年に一度の事故なのだから、しかたがないと考えてほしい」 という趣旨のものがあった。

そう主張するには、「千年に一度の事故なら、どこまでの被害が許されるか?」 を事前に論じ、 みんなの許可を得ておく必要があるのではなかろうか。 人類全体の文明が千年分退化すること、は許せるだろうか?

Wikipedia の 「チェルノブイリ原子力発電所事故」には次のようにある。

事故後、 放射能汚染により人が立ち入ることができなかったことから、 原発事故の直撃を受けた職員の遺体が搬出されなかった。 事故直後に無防備のまま炉の中に入った数名の作業者の行方が未だ分からず、 現在も石棺の中に数名の職員の遺体が残っているものと思われるが、 彼らの遺体を搬出できるようになるまでには数世紀に亘る長い時間がかかると見られている。

もしも、このように何世紀のちまでも影響が残るとしたら、 許せるであろうか?

2011-06-25 (6) 00:14:25 +0900

NHKラジオ「実践ビジネス英語」では someone's などが使われているな

講師の杉田敏先生が語句を説明される際。 「ラジオ英会話」なら「だれそれ」となるところ。

2011-06-24 (5) 22:53:15 +0900

「singular "they"」が定着すれば、三人称単数の代名詞とも言えるのでは

16日木曜日放送分のNHKラジオ「実践ビジネス英語」で、 a manager を次に he or she でなく they で受ける文がビニエットに登場したので、 講師の杉田敏先生が、singular "they" と説明された。

これが普及・定着すれば、 三人称単数の代名詞 he, she, it に they が加わることになるのでは。

2011-06-24 (5) 22:35:13 +0900

置換群>互換は転倒数を奇数だけ変えるので、符号は well-defined である

きょうは体調があまりよくない中、 文系向け共通教育の講義で、転倒数の話をした。 転倒数は「自分より左に、自分より大きな数がいくつあるか」 の和に等しいことを言い、それを使って 隣り合ったものの互換 (i, i+1) は転送数を 1 だけ増やすか減らすかする、 ということを示し、 「あみだくじの横棒の数 ≦ 転倒数」であり、 等号が成り立つような横棒の書き方がある、で授業を終えた。

終わったあと、戻ってきて、疲れていたがハイだったので、 一般の互換ならどうだろうかと考えてみた。 転倒数 mod 2 で符号が決まるから、奇数だけ変わるはず。 それが示せれば、転倒数から符号の well-definedness が言える。

証明:入れ換わる数は a と A とし、a < A かつ a のほうが前にあったとする。 a と A の間には、 A より大きい数が l 個、 a と A の間の数が m 個、 a より小さい数が s 個あるとする。 それを図で下のように示す。

... a [l,m,s] A ...
ここで a と A を入れ換え、下のようにする。
... A [l,m,s] a ...
...」で示した部分の数については、 「自分より左に、自分より大きな数がいくつあるか」は変わらない。 a については、その数は l+m+1 だけ増える。 +1 は A の分である。 A については、その数は l だけ減る。 a と A の間にあった数のうち、m 個だけは、 A が a に代わって左にきたことでその数が 1 だけ増え、 残りについてはその数は変わらない。 よって、全体では転倒数は (l+m+1)-l+m = 2m+1 だけ増える。

A のほうが前にあった場合は、 その逆操作で転倒数が 2m+1 だけ増えることから、 2m+1 だけ減ることがわかる。[Q.E.D.]

例: 「2 1 3 5 4」の転倒数は 2, 「4 1 3 5 2」の転倒数は 5 である。 この場合、l = m = s = 1 となっている。---

2011-06-24 (5) 21:08:59 +0900

ここから先はこれからアップロードする。

2011-06-28 (2) 02:58:00 +0900

きょうの補筆箇所

2011-06-23 (4) 02:36:18 +0900

地球外の天体で、生き物がいない星なら、原子力発電も悪くないかもしれない

事故が起きたらその星は捨てて逃げる。 あるいは、その星に住んでいた人ごと見捨てる。

いまの地球の場合は、そうやって逃げることも、見捨てることもできないのだ。

2011-06-23 (4) 02:33:28 +0900

「a ≠ 0 のとき」は「a が 0 でないのとき」と読むのか?

留学生と、日本の高等学校の数学の教科書を読んでいて、気づいた。 「a = 0 のとき」は、「a = 0」を「a が 0」と読み、 「a が 0 のとき」と読める。 「a ≠ 0」は「a が 0 でない」と読むのが普通だろうから、 タイトル行のようなことが起こるのでは?

「a が 0 に等しくない」と読んでも同様。

2011-06-23 (4) 02:23:25 +0900

「顔回」と「眼科医」は同音だな

本文ナシ

2011-06-23 (4) 02:23:25 +0900

漢字「翔」に「はばたく」という意味はあるのか?

18日土曜日づけ朝日新聞大阪本社版「声」に掲載された、 広島県神石高原町の小学生、松岡翔真(しょうま)さんの投書 「弟よ いっしょにはばたこう」。生まれた弟さんの名前について、 《ぼくの名前の一文字、「翔」が入っています。 お父さん、お母さんは、ぼくたちがいっしょに 「はばたく」という意味をこめたそうです》とあるが、 新字源によると、 「翔」の意味は「かける」「とびめぐる」、 およびそれから派生したと思われる「両手をつばさのように張って行く」 などであって、はばたくという意味はない。 そうではなく、つばさを動かさず、 滑空している様子を意味しているように思われる。

その意味があってもなくても、ご両親がその意味をこめるのは自由、 とも言えるか。

2011-06-23 (4) 01:17:13 +0900

付) 投書者名を書いた理由は、 《この「いろいろ」で、一般人の投書を取り上げる場合にも投書者名を書く理由》 をご覧ください。

2011-07-06 (3) 01:43:03 +0900

朝日新聞「天声人語」>「日本は梅雨のある五季の国」と言いきってよいか

18日土曜日づけ大阪本社版「天声人語」は 《日本は四季の国ではない。 梅雨という雨期のある五季の国だと、 俳人の宇多喜代子さんがかつて小紙に寄せていた》 とあるのだが、北海道には梅雨はない。 Wikipedia によると、小笠原諸島にもないそうだ。

また、外国人の中には「雨期」 と聞くとどしゃぶりの雨が降り続く季節を想像してしまう人が少なくないと聞く。

2011-06-23 (4) 01:07:57 +0900

家庭用エアコンは電気の全使用量のいったいどれだけを占めているのよ?

『橋下知事「停電危機にはエアコン停止を要請」 15%節電要請は拒否』 というタイトルの、産経新聞のウェブ上のニュース。

関電の説明によると、 夏場のピーク時の電力消費量のうち、 3分の2を家庭やオフィスが占め、 家庭向けの53%はエアコンに消費されているという。

家庭のエアコンが電気の全消費量のどれだけを占めているのか、 これだけでは、わかりそうでわからない。 それでいて、(2/3)*53% = 35.333...% と錯覚を起こさせる。 それを目的としているのでは、と思わせるほどだ。 これ以下であることは上のデータからわかる。

2011-06-22 (3) 21:27:25 +0900

純正律関連のファイルの追加

すのものの「純正律について」(その6)』、 『すのものの「純正律について」(その6B)』 を追加。

すのものの「純正律について」』に、 『すのものの「純正律について」(その2B)』、 『すのものの「純正律について」(その3B)』、 『すのものの「純正律について」(その4B)』、 『すのものの「純正律について」(その5B)』 について書いた。

すのものの「midi のピッチベンドで純正律を(その1)」』に 追加。midi ファイルも増やした。タイトルも変えた。

2011-06-22 (3) 02:19:10 +0900

本項は、昨日は時間の都合で最小限の記載にとどめていたが、 title を正式なものにし、リンクをはるなどした。

2011-06-23 (4) 00:56:36 +0900

「属する」の否定は「属さない」ではなく「属しない」のはず

留学生と日本語の数学のテキストを読んでいて、 「属する」の読みがわからないというので「ぞくする」だと教えたあと、 「属さない」でまたつまった。 しばらく、「どうして同じ動詞の活用形なのにとまどっているのか」 と思ってしまったが、 「属する」はサ変動詞、「属さない」は終止形「属す」の五段動詞で、 別なのであった。

母語として覚えた私には勝手に同じ動詞と思えてしまった例。

「愛する」「愛さない」も同様。 本来は別の動詞だったのが、片方の活用形は忘れられ、 一つの動詞の活用のようになってしまったのだろう。

2011-06-21 (2) 20:15:52 +0900

中国でピンインを習うとき、字母名は同時に習う英語式に読むことが多い

留学生から聞いた。

2011-06-21 (2) 20:14:26 +0900

新たなる希望>なぜファルコン号はベイダー機を追わないのか

敵はデス・スター本体と、あとはあの三機。 護衛の二機を倒したら、残りには大物が乗っていると考え、 それを追うのが普通では?

2011-06-21 (2) 20:12:22 +0900

朝日新聞>「すっげぇな」「かけねぇと」「ならんねぇべ」と小文字を使う

17日金曜日づけ大阪本社版スポーツ面 「再起の球音」の第4回。 タイトル行にあげた、小文字を使う表現が三つ出ている。 どう読ませるつもりなのか。 「すっげえな」「かけねえと」「ならんねえべ」、あるいは 「すっげーな」「かけねーと」「ならんねーべ」とは違うのか。

渡辺芳枝、木下こゆる》と署名あり。

2011-06-21 (2) 02:18:51 +0900

朝日新聞「天声人語」>英語ができないのを旧来の教え方のせいにしてないか

朝日新聞「天声人語」>dangerous の発音を「デンジャラス」と思ってないか》、 《朝日新聞「天声人語」>日本語のローマ字化案を日本語冷遇とみなしている?》 でとりあげた17日金曜日づけ朝日新聞大阪本社版「天声人語」。

書けるが話せない。読めるが聞けない。 日本の英語教育の、今日にいたる宿痾(しゅくあ)だろう》、 《今春からは小学5、6年で英語が必修になった。 コミュニケーション重視の一環という。 訳読と文法中心で育った世代には、どこか羨(うらや)ましい》 とあるのだが、文法を教えないで、どうやって I am が you のときは you are に、 he のときは he is になることを学ばせるのだろう?

それと、いままでの英語教育で、 どれだけの人が実際に書ける、読めるようになったのか。

2011-06-21 (2) 01:58:12 +0900

井上ひさしが「母語は精神そのもの」と言ったときの精神ってどんなもの?

前項に関連。 《井上ひさしの日本語ワープロ観》 参照。

2011-06-21 (2) 01:56:06 +0900

朝日新聞「天声人語」>愛を語る第2・第3言語を「道具」と言い切れるのか

朝日新聞「天声人語」>dangerous の発音を「デンジャラス」と思ってないか》、 《朝日新聞「天声人語」>日本語のローマ字化案を日本語冷遇とみなしている?》 でとりあげた17日金曜日づけ朝日新聞大阪本社版「天声人語」。

第2、第3言語は道具だろう。 しかし、「母語は道具ではなく、精神そのものである」 と、これは井上ひさしさんが言っていた》 とあるのだが、国際結婚すれば第2言語で愛を語り合うこともある。 それを「道具だろう」と言いきってよいものだろうか。

2011-06-21 (2) 01:48:17 +0900

ここから先はこれからアップロードする。

2011-06-22 (3) 02:25:21 +0900

純正律に関するファイルの加筆・訂正

すのものの「純正律について」(その1)』に、 次を挿入。

最初に作った行の B でもその上の行の B でもなく、根音 C から見て短七度上の B, すなわち、一つ下の行の B と周波数を比較すると、(7/4)/(9/5) = 35/36 となる。

※※ 36/35 は 48.770381... セントとなり、これはかなり大きい。

すのものの「純正律について」(その2)』、 『すのものの「純正律について」(その3)』、 『すのものの「純正律について」(その4)』 のプログラムが、 定数 LI, CO の値を変えると正しく動かなかったバグを、 取り除いた。

すのものの「純正律について」(その2B)』、 『すのものの「純正律について」(その3B)』、 『すのものの「純正律について」(その4B)』 を作成。上の「その2」「その3」「その4」との違いは、 基準にする音を C ではなく A にしたことである。 どこの A を基準にするかが違う、二つの表が載っている。 この過程で、上述のバグが発見されたのであった。

「その5」に関しては、きょうの夜明け以降に。

2011-06-21 (2) 00:01:32 +0900

きょうの補筆箇所

2011-06-20 (1) 02:47:47 +0900

松井秀喜5打席連続敬遠>相手投手は毎回走者ありで五番打者と対決したんだ

「五番打者とは、毎回、走者を背負って対決したわけで、よく押さえましたね」 というような評があってもおかしくないと思う。 走者がいるから、普通ならセットポジションで投げるところ。 (実際にどうだったかは知らない。)

2011-06-20 (1) 02:42:15 +0900

ケータイの i-mode ブラウザは .mid ファイルに対応、保存も可能

だから、着メロやアラーム音として使えるんだ。

2011-06-20 (1) 00:46:48 +0900

空なる .mml ファイルから mml2mid で作った .mid ファイルを演奏すると…

… Windows Media Player が「応答なし」にあることがある。 (終了させようとしたとき。)

そんなことするわけないだろ、と思うかもしれないが、 すべての行をコメントにしたことに気づかずコンパイル、実行するとそうなる。

2011-06-19 (0) 23:25:30 +0900

「ピッチベンドによる純正律」と聞いて昔のシンセのボヨ〜ンを想像していた

純正律についてはときどき Google で検索しており、 先日書いた 「ピッチベンドによる純正律」 はかなり前に見たが、ピッチベンドと聞いて、 1970年代のシンセサイザーについていた、 レバーを倒すとボヨ〜ンと音程が変わる、あれを想像し、 やってみる気が起こらなかったのだった。

2011-06-19 (0) 22:51:46 +0900

劇中人物の箸の持ち方は、役者自身のそれ、と決まっているのだろうか?

AKB48 の「めざましごはん」のポスターはみんな箸を正しく持てていない》 を書いたとき、ネット検索して、 タレントの誰それの箸の持ち方はきたない、などと書かれているのを見た。 食べ物屋をレポートする番組であれば、 そこでの箸の持ち方はタレント本人の持ち方だろう。

しかし、ドラマの中であれば、 劇中人物の箸の持ち方、ということもある。 たとえば、スポーツ万能のタレントが、 スポーツを苦手とする役を演じれば、へろへろな走り方をしたり、 ボールを後ろにそらしたり、ということがありえる。 それを見て、あの人はスポーツが苦手、と言えば笑われる。

箸の持ち方はそうではないのだろうか? 箸の持ち方については、特別に、 常に本人自身の持ち方が現れる、と思われているのではあるまいか。

2011-06-19 (0) 22:06:56 +0900

バッハ「2声のインヴェンション」ホ長調には嬰ト短調になる箇所がある

この曲集ではシャープやフラットの多い調は避けられているとよく言われるが、 ホ長調 BWV 777 は中間部で gis-moll になる。 これは最も読みにくい短調である。 (五度あがった dis-moll は es-moll に書き換えればよい。 五度さがった cis-moll は普通に見られる調性である。)

確か Wikipedia で、当時の調律では不協和音になった、 ある完全五度を避けている、と読んだ記憶があるが、 いまは見当たらなかった。

2011-06-19 (0) 20:02:01 +0900

スター・ウォーズ>「彦六の正蔵」の声色でヨーダの吹き替えをしたら

なんとなく、考えてみただけ。 1982 年没なので、V だけなら本人も見ていたかもしれない。

2011-06-19 (0) 19:43:04 +0900

midi ファイルを途中から演奏したとき、ピッチベンドはどうなる?

先日作った I_V_I.mid を Windows Media Player で何度も再生していて、 平均律が鳴っているところで途中をとばし、 純正律のところを鳴らすと、平均律のままのような気がしてきた。 反対に、純正律が鳴っているところで前に戻ると、 平均律のはずのところが純正律で鳴っているような。

次は、平均律で長三和音を鳴らし、 次にピッチベンドで C を B に下げているので、 和音が変わったことがよくわかる。

#german

A C1 p0   @19 >c1 BW0000 c1
B C2 p42  @19  g1        g1
C C3 p84  @19  e1        e1
D C4 p127 @19  c1        c1
これの場合、後半を再生しているときに前半に戻ると音はそのまま、 前半を演奏しているときに後半にとぶと音は変わる、という不思議なもの。

次の

#german

A C1 p0   @19 BW8192 >c1 BW0000 c1
B C2 p42  @19 BW8192  g1        g1
C C3 p84  @19 BW8192  e1        e1
D C4 p127 @19 BW8192  c1        c1
なら、上述の「音がそのまま」現象は起こらない。うーん。わからん。

2011-06-18 (6) 01:17:57 +0900

朝日新聞「天声人語」>日本語のローマ字化案を日本語冷遇とみなしている?

前項でとりあげた「天声人語」は、 旧制高校の英語教育からいまの小学校の、 5・6年で必修となった英語教育へと話がうつり、 《英語重視が日本語軽視を誘わないよう、気をつけたい》とある。

最後の段落には 《振り返れば、 日本人は自信喪失期に日本語を冷遇してきた。 敗戦後には表記のローマ字化さえ浮上した。 そして今、英語を公用語にする日本企業が登場している》 とある。

単に「ローマ字化」ではなく 「表記のローマ字化」と書いている点は評価するが、 表記と言語とをまぜこぜに論じていることに変わりはない。

敗戦後には、 当用漢字と現代かなづかいという二つの大きな改革が施行された。 「思います」と発音どおりに書けば学がないと言われていたのが、 そちらが正しいことになったのである。 「體」から「体」などは、相当な字体の変更である。 それらは冷遇と考えているのだろうか?

2011-06-18 (6) 00:25:57 +0900


すのもの Sunomono