轉燭飄蓬一夢歸, 欲尋陳跡悵人非, 天敎心願與身違。 待月池臺空逝水, 蔭花樓閣漫斜暉, 登臨不惜更沾衣。 |
轉燭 飄蓬 一夢に 歸り,
陳跡を 尋ねんと欲して 人の非なるを悵(うら)む,
天は 心願をして 身 與(と)違(たが)は敎(し)む。
月を待つ 池臺 空(むな)しく 逝(ゆ)く水,
花を蔭(かく)す 樓閣 漫(あふ)るる斜暉,
登臨 惜まず 更に 衣の沾(ぬ)るるを。
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◎私感注釈
※浣渓沙:詞牌の一。馮延巳の作ともする。
※轉燭飄蓬一夢歸:世事や歳月の移り変わりは速やかで、風に吹かれて飛び流離(さすら)うヨモギのような境涯になってしまったが、夢で(過去の栄華の時に)戻った。 ・轉燭:〔てんしょく;zhuan3zhu2●●〕世事や歳月の移り変わりの速やかな喩え。杜甫の『佳人』に「絶代有佳人,幽居在空谷。自云良家子,零落依草木。關中昔喪敗,兄弟遭殺戮。官高何足論,不得收骨肉。世情惡衰歇,萬事隨轉燭。夫婿輕薄兒,新人已如玉。」とある。 ・飄蓬:風に吹かれて飛び流離うヨモギの一種で、風に吹かれて流離うさまを謂う。この「蓬」は、クリスマスリースのようになって、風に吹かれて地上を転がる根無し草。デラシネ。「轉蓬」のこと。映画『黄土地』にその転蓬、飛蓬の様子が描写されている。曹植の『吁嗟篇』に「吁嗟此轉蓬,居世何獨然。長去本根逝,宿夜無休閑。東西經七陌,南北越九阡。卒遇回風起,吹我入雲間。自謂終天路,忽然下沈泉。驚飆接我出,故歸彼中田。當南而更北,謂東而反西。宕宕當何依,忽亡而復存。飄周八澤,連翩歴五山。流轉無恆處,誰知吾苦艱。願爲中林草,秋隨野火燔。糜滅豈不痛,願與根
連。」
と詠われている。 ・一夢歸:夢で(過去の栄華の時に)戻った。南唐・李煜の『子夜歌』に「人生愁恨何能免?銷魂獨我情何限?故國夢重歸,覺來雙涙垂!高樓誰與上? 長記秋晴望。往事已成空,還如一夢中!」
や『紅楼夢』 終章の詩「説到辛酸處,荒唐愈可悲。由來同一夢,休笑世人癡。」
などがある。李煜の『浪淘沙』「簾外雨潺潺,春意闌珊。羅衾不耐五更寒。夢裏不知身是客,一餉貪歡。 獨自莫憑欄,無限江山。別時容易見時難。流水落花春去也,天上人間。」
と、これも夢で故郷へ帰っている。後世、日本でも、良寛は『半夜』で「回首五十有餘年,人間是非一夢中。山房五月黄梅雨,半夜蕭蕭灑虚窗。」
と使う。
※欲尋陳跡悵人非:昔の思い出の地を尋ねようとしたが、恨めしいことに人は変わっていた。 ・欲:…ようと思う。…たい。 ・尋:たずねる。 ・陳跡:旧跡。 ・悵:〔ちゃう;chang4●〕歎き恨む。うらむ。いたむ。愁え歎く。失意のさま。 ・人非:自然の事物は変化することなくそのままであるが、人はそうではなく、人をめぐる環境や時間(年齢)には過去と違う新たなものがある。(わたしという)人を取り巻く環境が、過去と比べて大きく変わったことを謂う。「物是人非」のこと。陶潛の『歸去來兮辭』に「歸去來兮,田園將蕪胡不歸。既自以心爲形役,奚惆悵而獨悲。悟已往之不諫,知來者之可追。實迷途其未遠,覺今是而昨非。」とある。後世、李清照は『武陵春』に「風住塵香花已盡,日晩倦梳頭。物是人非事事休,欲語涙先流。 聞説雙溪春尚好,也擬泛輕舟。只恐雙溪
舟,載不動,許多愁。」
。と使う。
※天敎心願與身違:天は、わたしの嘗ての願い事(平安な生活)と、今のわたしの境涯=身(虜囚)とを大きく違えてしまった。 ・天:天帝。天地万物の主宰者。造物主。自然に定まった運命。天命。 ・敎:…に…(を)させる。…をして…しむ。使役表現。 ・心願:心からの願望。念願。神仏などに、心の中でかける願。 ・與-:…と。 ・身:ここでは、我が身のことになる。 ・違:たがう。違える。李白の『把酒問月』「靑天有月來幾時,我今停杯一問之。人攀明月不可得,月行卻與人相隨。皎如飛鏡臨丹闕,綠煙滅盡淸輝發。但見宵從海上來,寧知曉向雲閒沒。古人今人若流水,共看明月皆如此。唯願當歌對酒時,月光長照金樽裏。」とある。
※待月池臺空逝水:月の出が見やすいと謂われる池のほとりのたかだいで、月の出を待とうとしても、(なかなかそのようにはならないで)空しく時間や水が流れてゆく。 ・待月池臺:月の出が分かりやすい池の畔の高台。「近水樓臺先得月」の意。 ・待月:月の出が見やすい。月の出を待つ。 ・池臺:池の中や池のほとりの高台やたてもの。盛唐・李白の『魯郡東石門送杜二甫』に「醉別復幾日,登臨偏池臺。何時石門路,重有金樽開。秋波落泗水,海色明徂徠。飛蓬各自遠,且盡手中杯。」とある。 ・空:むなしく ・逝水:流れ行く川の水 。過ぎ行く時間を謂う。年月の経過を云う詩詞の常套表現。『論語・子罕』「子在川上曰:逝者如斯夫!不舎昼夜。」
からきている。李白の『把酒問月』に「古人今人若流水,共看明月皆如此。」
とある。
※蔭花樓閣漫斜暉:花は、楼閣のために日陰になってしまい、夕日の光は楼閣ばかりに射しかけている。地上(の庭園)は黄昏時になりかかり、宵闇が迫ってきているが、抜きん出てそそり立っている楼閣は、まだ夕映に浮かび上がっている。 *これが実景の描写でなければ「蔭花(日陰になった花)」は李煜のことで、「楼閣」とは宋王朝のことで、「斜暉(夕日)」は天命のことになろうか。 *花は、楼閣のために日陰になってしまい、夕日の光は楼閣ばかりに射しかけている。 ・蔭花:ここでは、「(楼閣のために)日陰になっている花」の意で使われている。また、繁っている花。ここは、前者の意。 ・蔭:〔いん;yin4●〕日陰である。陰になっている。また、しげる。また、かげ。木蔭。ここでは、前二者の動詞として使われている。 ・樓閣:たかどの。高層の建物。杜甫の『登樓』に「花近高樓傷客心,萬方多難此登臨。錦江春色來天地,玉壘浮雲變古今。北極朝廷終不改,西山寇盜莫相侵。可憐後主還祠廟,日暮聊為梁甫吟。」とある。 ・漫:〔まん;man4●〕あふれる。いっぱいになる。また、漫然と。長々と。そぞろに。「謾」(おろそかにする。また、みだりに。やたらに。)ともする。馮延巳作とする場合は「謾」。 ・斜暉:夕日。斜陽。落暉。
※登臨不惜更沾衣:高い所に登ったために(望郷の念で)、更に衣服を涙で濡らすことになってもかまわない。 ・登臨:高い所に登って、下方を眺める。前出の「池台」「楼閣」に登ることになる。中国の詩詞で「登臨」「依(倚凭)欄」というのは、遠くの方を望みやり、故郷や親しい人々を思い起こすという心の動きを伴った行為である。また、「待月樓閣」と月を見るという行為は、家族を思いやるという気持ちの動きである。「故國不堪回首 月明中。」。そのため、後出・「沾衣」は何で衣を濡らすのかといえば、当然のことながら、懐郷の念からの涙である。ころが李煜の作であるのならば、(一に馮延巳ともある)李煜が
京に拉致された時の詞で、亡国の悲歎の中にあって、故郷を思っていた。「沾衣」を「夜露で衣を濡らす」と見る向きもあるが、百歩譲って、これが夜遊びの作とすれば「沾衣」は「夜露で衣服を濡らす」の意になろうが。前出・李白の『魯郡東石門送杜二甫』に「醉別復幾日,登臨偏池臺。」
とある。 ・不惜:惜しまない。…てもかまわない。前出・杜甫『登樓』「萬方多難此登臨」
の意。 ・更:いっそう。さらに。その上。 ・沾衣:〔てん;zhan1○〕(涙で)衣を濡らす。「霑衣」のこと。 ・沾:〔てん;zhan1(tian1)○〕うるおす。「霑」。
◎ 構成について
浣溪沙。四十二字(双調)。脚韻は、「歸非違暉依」で、詞韻第三部平声。平声韻一韻到底。韻式は「AAA AA」
●○○●●○,(韻)
○
●●○○。(韻)
○
●●○○。(韻)
●
○○●●,
○
●●○○。(韻)
○
●●○○。(韻)
2007.2.23 2.24 2.25 2.28完 2015.1.25補 |
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