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脩竹不受暑 得琴字 | ||
德川光圀 |
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脩竹垂垂坐翠蔭, 不知九夏溽蒸侵。 此君借取涼風手, 彈得無絃靖節琴。 |
脩竹 垂垂 として 翠蔭に坐し,
知らず九夏 溽蒸 の侵 すを。
此 の君 借取 す 涼風の手,
彈 じ得たり 無絃靖節 の琴 。
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◎ 私感註釈
※徳川光圀:江戸前期の水戸藩主。寛永五年(1628年)~元禄十三年(1700年)。頼房の三男。字は子龍。号は梅里。幼名千代松。藩制創業を継ぎ、『大日本史』編纂、勧農政策を推し進めた。藩士の規律、士風の昂揚を図り、水戸学の精神の基礎を定めた。名君の誉れ高く、後世『水戸黄門漫遊記』がつくられた。
※脩竹不受暑得琴字:長く伸びた竹は、暑気あたりしない。 詩会で作詩する際、「琴」(=平水韻下平十二侵に属する字)を割り振られた。 ・脩竹:〔しうちく;xiu1zhu2○●〕長い竹。長く伸びた竹。=修竹。 ・受暑:暑気あたりする。≒中暑。 ・得琴字:琴の字を得た。詩会で、作詩する際、「琴」の韻字(=平水韻下平十二侵に属する字)を割り振られ、それを韻脚として作詩することを謂う。「琴」は平水韻下平十二侵にあり、「侵琴陰尋林臨針沈深淫心欽衾吟今襟金音…」等がある。
※脩竹垂垂坐翠蔭:長く伸びた竹の葉の垂れかかった葉陰に坐れば。 ・垂垂:(葉の)たれているさま。また、だんだん。徐々に。ここは、前者の意。 ・坐:すわる。王維の『竹里館』(竹里館)「獨坐幽篁裏,彈琴復長嘯。深林人不知,明月來相照。」とある。 ・翠蔭:みどりの葉かげ。木陰(こかげ)。緑陰。=翠陰。 *「蔭」か「陰」か。それについては、「蔭」は〔いん;yin4●〕で、「陰」は〔いん;yin1○(yin4●)〕。現代(中国)語でも同様に“绿阴(=綠陰)”〔lǜyīn(文語音:lùyīn)〕。韻脚(侵・琴・陰は平水韻下平十二侵)でもあり(「蔭」は平水韻去声二十七沁)、ここの「脩竹垂垂坐翠蔭」句は、「脩竹垂垂坐翠陰」とする方が好ましい。
※不知九夏溽蒸侵:(竹林の緑陰では)夏の三ヶ月間の蒸し暑さが侵してくるのが分からない。 ・九夏:夏の九十日間。夏の三ヶ月。 ・溽蒸:〔じょくじょう;ru4zheng1●○〕むしあつい。湿気が多くてあつい。むす。=蒸溽:〔じょうじょく;zheng1ru4○●〕。
※此君借取涼風手:「此君(しくん)」(=竹)は、涼しげな風の手を借りて。 ・此君:〔しくん;ci3jun1●○〕竹の別名。晋の王徽之が竹を好み、「何可一日無此君邪。(何(なん)ぞ一日もこの君なかるべけんや)」(『晉書・王徽之伝』:中華書局版541ページ 二一〇三頁十行目)と言った故事に基づく。 ・借取:かりとる。かりる。
※彈得無絃靖節琴:(竹藪の竹は、風の手で)陶淵明の(奏(かな)でた)無弦琴(むげんきん)を弾(ひ)いている。(=竹藪に涼しげな風が当たって、竹藪から陶淵明の無弦琴のような音が立ち上った)。 ・彈:〔たん(だん);tan2○〕(弦楽器を)奏(かな)でる。(弦楽器を)ひく。 ・-得:…した結果。…して。【動詞/形容詞+得】の形で、進行状況・結果・程度を表す補語を導く。 ・無絃:無弦琴のことで、隠者である陶淵明が持っていた琴。弦の張っていない琴の躯体に過ぎないものをいうのか。具体的な琴の躯体では無く、抽象的な琴なのではないのか。ここでの弦の無い琴の躯体を、酒を飲みながら撫弄したという行為が、「音律を解さない人」だったからか、それとも、「世間への反骨心からの行為」であったか。ここでの場合、具体的な琴の躯体では無く、抽象的な琴なのではないのか。後出の昭明太子の言うところも、「彼は仮に音律を解さずとも、その存在自体が音楽であった」と、言っているのではないのか。*昭明太子蕭統の『陶靖節(淵明)傳』に「淵明不解音律,而蓄無絃琴一張,毎酒適,輒撫弄以寄其意。」とあることによる。李白は、陶潛を詠って「陶令去彭澤,茫然太古心。大音自成曲,但奏無弦琴。」と使い、王昌齡は「客來舒長簟,開閤延清風。但有無絃琴,共君盡尊中。」とし、白居易自身にも『丘中有一士』「丘中有一士,守道歳月深。行披帶索衣,坐拍無弦琴。不飲濁泉水,不息曲木陰。所逢苟非義,糞土千黄金。」にも同様の語が出てくる。具体的なイメージがなかなか湧かないが、「無絃琴」や「無弦琴」が陶潛の生活を象徴することばであることは、よく伝わってくる。中唐・白居易の『訪陶公舊宅』に「我生君之後,相去五百年。毎讀五柳傳,目想心拳拳。昔嘗詠遺風,著爲十六篇。今來訪故宅,森若君在前。不慕樽有酒,不慕琴無絃。慕君遺榮利,老死此丘園。柴桑古村落,栗里舊山川。不見籬下菊,但餘墟中煙。子孫雖無聞,族氏猶未遷。毎逢姓陶人,使我心依然。」とある。陶潜の『帰去来兮辞』(歸去來兮辭)に「歸去來兮,請息交以絶遊。世與我以相遺,復駕言兮焉求。悅親戚之情話,樂琴書以消憂。」
とある。 ・靖節:陶淵明(=陶潜)
のこと。諡により、世に靖節先生と呼ばれる。 ・琴:きん。隠者や教養人の嗜むべきものとしての楽器。陶潜の『帰去来兮辞』(歸去來兮辭)「歸去來兮,請息交以絶遊。世與我以相遺,復駕言兮焉求。悅親戚之情話,樂琴書以消憂。」
にもあるとおり、隠者を暗示する語である。もっとも陶淵明は無絃琴という。ここは王維の六言詩『田園樂七首』之七の「酌酒會臨泉水,抱琴好倚長松。南園露葵朝折,東谷黄粱夜舂。」
によるか。李白の『山中與幽人對酌』に「兩人對酌山花開,一杯一杯復一杯。我醉欲眠卿且去,明朝有意抱琴來。」
とある。
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◎ 構成について
韻式は、「AAA」。韻脚は「陰(蔭)侵琴」で、平水韻下平十二侵(「蔭」字については、上記訳註参照)。この作品の平仄は、次の通り。
○●○○●●◎,(韻)
●○●●●○○。(韻)
●○●●○○●,
○●○○●●○。(韻)
平成26.4.26 4.27 4.28完 6. 4補 |
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