「文学横浜の会」

特集

「 箱 根 駅 伝 」

  目次
 はじめに
1、何故、面白いか
 <マラソン>  <駅伝>  <箱根駅伝の面白さ>
 <2024年のみどころ、予想、振り返って> R05/12/26、R06/01/13

 <2023年のみどころ、予想、振り返って>
 <2022年のみどころ、予想、振り返って>
 <2021年のみどころ、予想、振り返って>
 <2020年のみどころ、予想、振り返って>
 <2019年のみどころ、予想、振り返って>
 <2018年のみどころ、予想、振り返って>
 <2017年のみどころ、予想、振り返って>
 <2016年のみどころ、予想、振り返って>
 <2015年のみどころ、予想、振り返って>
 <2014年のみどころ、予想、振り返って>
 <2013年のみどころ、予想、振り返って>
 <2012年のみどころ、予想、振り返って>
 <2011年のみどころ、予想、振り返って>
 <2010年のみどころ、予想、振り返って>
 <2009年のみどころ、予想、振り返って>
 <2008年のみどころ、予想、振り返って>
 <2007年のみどころ、予想、振り返って>
 <2006年のみどころ、予想、振り返って>
 <2005年のみどころ、予想、振り返って>
 <2004年のみどころ、予想、振り返って>
 <2003年のみどころ、予想、振り返って>
 <2002年のみどころ、予想、振り返って>
 <2001年のみどころ、予想、振り返って>

はじめに

 私の正月の楽しみの一つは「箱根駅伝」を観る事である。

 そんな正月の過ごし方になってもう何年になるだろう。 一日約五時間、二日続けて十時間、殆どテレビの前に釘付けになる。 そんなに面白いの? 厭きないね。 と言われても、厭きないし面白いのだ。

 何年か前、沿道で応援したくなって、スタート場面をテレビで観て、 何処に行けば選手の通過時間に間に合う、と予め予定をたて、目的地めがけて家を飛び出た。 勿論レースの流れが気になるから、ラジオを持参した。 携帯テレビも持って行ったが、予想した通り、車内では何の役にも立たなかった。

 駅伝のコースに出るには自宅からだと、一番近い場所でも一時間半近く掛かる。 通勤で利用する私鉄からJRに乗り換え、目的の駅に着いた時は既に自宅を出て二時間近く経っていた。 自宅から一番近い観戦ポイントは横浜駅の近くだが、いつも人がびっしりで、目的地にはしなかった。 JRに乗り換えて平塚駅で下車し、歩いて駅伝コース行く。通過予定時間には確実に間に合う。 と、まあ、そんな計画だった。

 テレビで五時間釘付けになって観ていても、目の前を通過するのはほんの一瞬で、 「あ、来た来た」から、見えなくなるまで五分もかからない。当然と言えば当然だが、 音声では聞いていても、レースがどうなっているのか気になる。 それ以来、テレビの前で、じっくり観戦するのが一番だと悟った。

 今度沿線で応援する時は、沿線の何処かに宿を取って応援しようと思う。となると温泉宿がいい。 通過する時だけ外に出て、後はテレビ観戦…。 まだ実現はしていないが。

 1、何故、面白いか

 駅伝、とりわけ箱根駅伝がなぜ面白いか、それは一言では語れない。 私は他の駅伝も観るし、マラソンも観る。駅伝の面白さは襷を繋ぐ事で状況が変化する事にあり、 マラソンの面白さは一人の走者が時間とともに変化する事であろう。 その変化には決められたルールや絶対的なものはない。 意外な展開があり、ドラマチックな展開もある。

 <マラソン>

 マラソンのように長い距離を走るとなれば、どんなに強い選手でも絶対に勝てると言う保証はない。 距離を走れば走るほど、選手自身の体調が多く影響する。 いや、体調そのものが勝者を決める、と言っても過言ではない。 時々刻々変化する気象条件も体調に大きな影響を与える。 益々、予測不可能なドラマなのだ。

 一方、選手を追うカメラは、表情を隠さず映しだす。人それぞれ個性があり、表情がある。 走る表情にも、いや走りそのものにも個性がある。じっと後ろで走る選手、前に前にと出る選手。 急に表情が歪んたり、始めから苦しそうな表情だったり、一度苦しそうになっても蘇生したり、と観ていて厭きない。

 <駅伝>

 強い選手が一人いたからと言って、そのチームが勝つとは限らない。 例え大砲クラス(絶対的に強い選手)が二人いたとしてもだ。 走るのは個人だが、団体競技なのだ。

 選手の体調が左右する事はマラソンと同じだが、レベルの異なる選手が配置されていて、 レースの流れにも大きく左右される。ごぼう抜きなどと言って、下位にいたチームが 一人の力走で上位に出て来る事もある。そんな時の選手の走りは躍動感に満ちている。またその逆もある。

 駅伝の場合、襷を受けた位置によっては個々の実力と掛け離れた力を発揮するケースもある。 よーいどん、で走れば絶対に力のある選手でも、先に走り出した選手を追ってペースを乱され、 結果的に力を出し切れない場合も多々ある。

 そうした事が観ていて、厭きないのだ。

 <箱根駅伝の面白さ>

 箱根駅伝の面白さは、まずマラソンの面白さと駅伝の面白さの両方を備えている事にあると言える。 つまり、駅伝の区間距離が他のどの駅伝より長く、およそハーフマラソンに匹敵する。

 それに、箱根の「山」の登り降りにあると思う。それも海抜八百メートル余りの山を登る。 そんな山を駆け上がる駅伝は、富士山駅伝を除いて他に知らない。山を登る事さえ難儀に思うのに、駆け上がるのだ。 駅の階段を上り下りするだけで顎が上がってしまう私にはまさに「大変だなぁ」と思う。 そんな肉体に鍛え上げた選手に手放しで拍手を送りたい。

 長距離選手に限らず、運動選手の身体はある意味では「いびつ」である。 より早く、より遠くまで。その為には余分な筋肉や脂肪を削ぎ落とし、極限まで肉体を鍛える。 ほんのちょっとした事で故障もする。故障なしで選手生命を終える選手はまずいないだろう。

 走っている最中に急に体調がおかしくなる事もある。所謂ブレーキだ。 足、腹、或いは脱水症状によるもの。長い距離を走っているとどんなアクシデントが起るか「神のみぞ知る」だ。 今軽快に走っていても、監督はさぞ心が休まらないだろう。 苦痛に歪んだ選手の表情を見るのは忍びないが、ドラマにはない意外な展開を見ると、テレビの画面に釘付けになる。 無論、それを期待して観ている訳ではないが。

 箱根駅伝のもう一つの楽しみは、学生駅伝ゆえの楽しみだ。 つまり高校から大学に入学した新人の「その後」であり、学生時代にどれだけ成長するか見守る楽しみだ。 事実、二十歳前後の学生だから時には予想外の成長をとげる選手もいる。

 高校時代に活躍した選手が、必ずしも大学で活躍するとは限らない。 大学生になって急成長する選手もいる。陸上競技のフアンとして、新入生のその後が大いに楽しみなのだ。 高校時代に実績のあった選手、大学に入って記録が伸びた選手、社会人になって芽が出た選手、 と一人の選手を追っていくと様々だ。そうした選手を見詰めているのも楽しみの一つだ。 勿論、母校が出ていればそちらの応援にも力が入る。

 もう一つ、これはスポーツ全体に言える事だが、勝者と敗者を厳然と、時には冷酷に現出させる事だ。 しかし敗者はいつまでも敗者ではなく、勝者はいつも勝者ではない。 自明の事だが、力のあるチームが常に勝つのではなく、勝ったチームが強いのだ。

(金田)


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