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 1.革命の原因  

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1.革命の原因
  1. 旧制度の危機絶対王政を誇っていたときにはそれほど目立たちませんでしたが、産業が発達していく内に、現体制が本質的に持っていた制度上の矛盾が露呈し始めました。
  2. 階級制度の矛盾 この時代の階級は、特権者である「貴族」「高級聖職者」平民である「民衆」「下級聖職者」の二つに大きく分かれていました。重い税金に苦しみながら、何の権利もない「平民」の怒りは爆発寸前です。
  3. 経済危機相次ぐ戦争、またアメリカ独立への莫大な投資によって国家は破産状態になっていきました。よく言われていることですが、「赤字夫人」マリー・アントワネットの浪費などこれらに比べれば微々たるものでしかありません。
  4. 啓蒙思想「三権分立」「自然に帰れ」など旧体制を鋭く批判する思想家が活躍し、貴族を含めた当時の人々に受け入れられました。これらの思想がフランス革命の精神になったのです。

iv. 啓蒙思想

一言で説明すると…「三権分立」「自然に帰れ」など旧体制を鋭く批判する思想家が活躍し、貴族を含めた当時の人々に受け入れられました。これらの思想がフランス革命の精神になったのです。

今までは「絶対君主」を正当化する「神の秩序」をほとんどの人が信じていましたが、18世紀になると、人間の理性や意志を重んじ、現実の国家やキリスト教を批判する啓蒙思想が多く現れてきました。ここでは主に四つの思想を見てみましょう


三権分立
モンテスキュー
モンテスキュー

モンテスキューはその著作「法の精神」「三権分立」という考え方を述べています。つまり、政府は国王と国民との間の契約を基礎として、立法、行政、司法の独立した三つの権力から成るべきである、と言う考えです。

現代ではごく当然の理念ですが、当時としては画期的でした。もっとも、法服貴族出身のモンテスキューの意図は、現実生活では保守的で「貴族の特権を王権の拘束から守る」と言うことだったと言われています。


重農主義 Physiocratie

「重農主義」を主に唱えたのはケネーです。ケネーは「土地こそが富の源泉であるから、その土地の生産力を増すために、「所有権」に基礎を置く国家を作り、「土地所有権の安全と自由」を保証されるべきである、と唱えました。次に主な特徴を箇条書きにします。


百科全書派 Encyclopedie
ディドロ ヴォルテール
ディドロ
ヴォルテール

1751年から1772年まで21年もかけてディドロ「百科全書」を編纂しました。

「百科全書」と言う本の性質上、今まで伏せられていたさまざまな事実を明かさなくてはいけません。彼は、この大事業の中で、

  1. 「世界にはキリスト教以外の宗教がある」
  2. 「絶対王政以外のさまざまな政治形態がある」
  3. 「よい国王もいれば悪い国王もいる」
ということを示しました。これらのことが驚くべき新事実、ということ自体、当時のフランス国民の素朴さを示すわけですが、これらの事実は、フランス革命に大きな影響を与えました。

「百科全書」の寄稿者には、グリム(「グリム童話」の兄弟です)、ヴォルテールモンテスキューテュルゴ(後の財務長官)などがいます。ルソーも「百科全書」に寄稿はしましたが、基本的思想に隔たりがあるので、「百科全書派」とは見られていません。次に主な特徴を箇条書きにします。


ルソー Roussaeu
ルソー
ルソー

ルソーの著した「社会契約論」は近代思想の礎と言われています。

その中でルソーは、国家の主権は国王でも貴族でもなく、人民にあるとし、「人民は、自己の意志に基づいて互いに契約を結び国家を構成する」と主張しています。

また、「いかなる市民も、富によって他の市民を買えるほど豊かではなく、また、いかなる市民も身売りをしなければならないほど貧しくはない」状態の中で国家を成立させるべきであるとしています。このことは、サン・ジュスト「金持ちも貧乏人もいらない」という言葉とほとんど同じです。まさに、革命思想の中核と言えるものです。次に主な特徴を箇条書きにします。


サロンとカフェ Salon et Cafe

これらの啓蒙思想を育て、広めたものとしてサロンカフェについても少し述べておきましょう。

革命前のフランス人の識字率は、男性で50%以下、女性で25%以下くらいでした(詳しいグラフはこちら→)。当時出回った啓蒙思想的な書物は、それ以外のさまざまな本と共にかなりのベストセラーになりました。この低い識字率ではいくらベストセラーでも、実際に読んだ人は少ないことは確かですが、これらの思想は読まなくてもカフェなどから広がった思想は、人々の間に伝播していき、啓蒙思想は貴族、民衆を問わず大きな流行となりました。


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ii.階級制度の矛盾へ
iii.経済危機へ
iv.啓蒙思想へ
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