ミステリ&SF感想vol.220

2016.01.13
『キングレオの冒険』 『薔薇の輪』 『誰かの家』 『髑髏の檻』 『月世界小説』



キングレオの冒険  円居 挽
 2015年発表 (文藝春秋)ネタバレ感想

[紹介と感想]
 京都の街で次々と起こる、“ホームズ譚”になぞらえたような怪事件。日本探偵公社に所属する名探偵キングレオこと天親獅子丸は、従兄弟で助手の天親大河とともに、事件解決に乗り出す。その行く手に待ち受けるのは……?

 先に刊行された『シャーロック・ノート 学園裁判と密室の謎』と同じく*1〈ルヴォワール・シリーズ〉“パラレルワールド”の物語となっている、円居挽の新シリーズ第一弾。日本探偵公社に所属する探偵のトップ10――“十格官{デカロゴス}”の第三席を占める、名探偵キングレオこと天親獅子丸と、助手をつとめながら推理小説家を目指す天親大河のコンビを主役に据えた、痛快な冒険ミステリ(?)となっています。

 向かうところ敵なしのエキセントリックな超人探偵・獅子丸に、常識人として振り回されっぱなしの助手・大河*2――それでいて互いに深く信頼し合っている、二人の特別な関係(意味深*3)がまず目を引きます。アーサー・コナン・ドイルによるシャーロック・ホームズ譚の、ホームズとワトソンをエスカレートさせたような(?)関係ともいえますが、興味深いのは助手である大河の方も常人以上の推理能力を備えている点で、探偵役の獅子丸があまり説明しようとしない超絶的な推理――“獅子丸が何を考えているか”を大河が推理する、ある種メタ的な推理を介して読者に伝えられる形がしばしば見られるのが面白いところです。

 各篇ではホームズ譚を下敷きにした事件が扱われており、そのアレンジの手際も大きな見どころ。正直、ホームズ譚は(『緋色の研究』を除いて)遠い昔に読んだきりであらかた忘れているのですが、各篇の中で(ネタバレにならない程度に)元ネタの作品が紹介してあるのが親切です。また、事件がホームズ譚に“見立て”られている(一応の)理由も用意され、全体の流れの中にうまく組み込んであるところもよくできています。

「赤影連盟」
 三日前の夜に公園で殺された男。着ていたコートは犯人に持ち去られたが、靴下の中に隠されていた手帳には、事件の翌日以降に起きた出来事がいくつか予言されていたのだ。さらに手帳には、数日後の日付とともに“アカイカゲ ワタシハコイツニコロサレル”と記されていた。そして獅子丸は、奇妙な募集広告を出して……。
 元ネタはいうまでもなく「赤毛連盟」ですが、そちらと違って奇妙な募集広告を出すのは探偵たる獅子丸の方で、探偵の不可解な行動が謎となっているのが面白いところです。それを含めて、一つ一つはやや小粒なネタをうまく組み合わせてあるところが光る作品です。

「踊る人魚」
 このところ京都の街で流行っている脱法ドラッグ、“踊る人魚”。警察の懸命の捜査にもかかわらず販路は不明なままだったが、獅子丸はドラッグの流通に、“踊る人魚”という名前を知っていれば通じる暗号が使われていると指摘する。そして翌日、獅子丸がセッティングした新入社員との会食の最中、天啓を受けた大河は……。
 元ネタの「踊る人形」と同様に暗号テーマとなっている作品。とはいえ、暗号そのものは元ネタとまったく異なり、作中で“極めて実用的な暗号”とされているとおり、なかなか巧妙です。また、ある小道具の使い方が面白いと思います。

「なんたらの紐」
 急死した姉は、義父に殺された――と獅子丸に訴えてきた双子の妹。司法解剖の結果は睡眠時無呼吸症候群による窒息死だったが、話を聞いてみると経緯に不審な点がある上に、姉は死に際して妹の携帯電話の留守番メッセージに“なんたらの紐”と奇妙な言葉を残していたという。しかし義父には強固なアリバイもあり……。
 「まだらの紐」を元ネタにした作品で、ダイイングメッセージの“なんたらの紐”には苦笑を禁じ得ませんが、プロットもかなり元ネタに沿っていて、さてどうなることかと思っていると、何とも愉快な(だけではない)トリックが飛び出してきてニヤリとさせられます。

「白面の貴公子」
 大河の妹・陽虎にボーイフレンドができたことを知って、悪い虫がついたと父親さながらに荒れる獅子丸。おかげで大河は、陽虎が送ってきた写真を手がかりにボーイフレンドの少年の素性を探る羽目に。ところが、どこで尋ねてもなぜか、誰もが少年のことを知らないというのだ。そして、苦労の末にようやく探し当てた少年は……。
 元ネタの「白面の兵士」は恥ずかしながらまったく記憶にありませんが、それはさておき。事件/謎はこれまた小粒ながら解決は鮮やかですし、別の要素――“対決”がより大きな見どころとして用意されており、印象深い一篇となっています――とりわけ〈ルヴォワール・シリーズ〉を読んだ方にとっては*4

「悩虚堂{のううつどう}の偏屈家」
 年老いた資産家が屋敷で殺害され、現場となった離れに火が放たれる放火殺人事件が起きた。屋敷から発見された物証をもとに逮捕されながら、無実を訴える容疑者に依頼された獅子丸は、師匠でもある伝説の老探偵、“和製ギデオン・フェル”こと河原町義出臣と対決することになった。白熱する推理対決の行方は……?
 元ネタの「ノーウッドの建築家」はこれまた全然覚えていないのがアレですが、本書の中で最大の分量を誇り、作者お得意の“推理対決”が中心に据えられたこの作品が白眉であることは間違いないでしょう。老獪な恩師を相手に、とある事情で窮地に追い込まれた獅子丸が土壇場で突きつける、意外すぎる真相はまさに圧巻です。そして、獅子丸がきっちりと“借り”を返す結末も印象的。

*1: 『シャーロック・ノート 学園裁判と密室の謎』には、天親獅子丸が(間接的に)登場している箇所もあります。
*2: 『今出川ルヴォワール』に登場した天親雹平と天親寅彦を原型としているところもあるようなないような……。
*3: “その筋”では、“欠落した75.5頁”が取り沙汰され(以下略)。
*4: とはいえ、〈ルヴォワール・シリーズ〉を先に読んでおいた方がいいというわけではなく、本書から先に読んでもかまわないと思います。

2015.07.01読了  [円居 挽]



薔薇の輪 A Ring of Roses  クリスチアナ・ブランド
 1977年発表 (猪俣美江子訳 創元推理文庫262-03)ネタバレ感想

[紹介]
 ロンドンで活躍する女優エステラ。彼女の絶大な人気を支えているのは、ウェールズに住んでいるという体の不自由な娘、“スウィートハート”ことドロレスとの交流を綴った新聞の連載エッセイだった。シカゴの大物ギャングで、妊娠中のエステラに暴力をふるった危険な夫のアルは、本国で服役中。秘書のバニーや友人の新聞記者ジョニー、ドロレスの世話をするキング夫妻らに支えられ、エステラの未来は順風満帆に思われた――病気のため特赦で出所したアルが、死ぬ前にどうしても娘に会いたいと言い出すまでは。そしてついにアルが相棒のエルクとともにドロレスのもとを訪れた時、怪事件が……。

[感想]
 クリスチアナ・ブランドの探偵役といえば、『緑は危険』やなどのコックリル警部や、デビュー作『ハイヒールの死』などのチャールズワース警部が代表的*1ですが、メアリ・アン・アッシュ名義で発表された本書は、『猫とねずみ』(ハヤカワ・ミステリ;未読)で探偵役をつとめたウェールズのチャッキー警部が再登場した作品です。ブランド晩年の作品で、往年の傑作群にはやや及ばない感もあるものの、なかなかよくできた作品であることは間違いないと思います。

 物語の軸となるのは、女優エステラの人気の要因となっている、障害を持つ子供“スウィートハート”をあざとく利用した“美談”で、それに乗せられている人々の反応や、冒頭から演技の才能のなさを露呈するエステラの姿も含めて、シニカルに描かれているのがブランドらしいところです。しかも、ウェールズで隠れるようにして暮らす“スウィートハート”の様子が、新聞のエッセイでは実際よりもかなり美化されていることが匂わされ、協力者たちを交えて秘密を厳守する、ある種の“共犯関係”が構築されているのが目を引きます。

 その安定した状態の中に、遠く米国で収監されていたエステラの夫アルが思いがけない一石として投じられるのが絶妙。かつてエステラにも暴力をふるった粗暴なギャングであり、今では病で死を前にして自己憐憫に浸るアルの内面描写*2もさることながら、それを迎える側のエステルたちが、娘の様子を新聞記事でしか知らずに幻想を抱いているアルが“真実”を知った時の反応を恐れる様子が印象的に描かれています。かくして、ついに英国にやってきたアルたちは、“引き延ばし工作”に焦れながらもようやく“スウィートハート”のもとを訪れるのですが、そこで事件が起きるのはもはや必定といえるでしょう。

 しかして、その事件が何ともとらえどころのない様相を呈しているのが面白いところ。電話による通報をきっかけに事件が発覚するものの、その通報の内容も含めて事件の状況が不可解なものになっている上に、前述の“共犯関係”にある登場人物たちの証言にはいかにもうさんくさいところがあるため*3、“何が起こったのか?”が実に曖昧模糊とした状態となっています。文字通り誰もが疑わしい状況の中で、事件の捜査に当たるチャッキー警部は、丹念に関係者への尋問を重ねながら“一つの物語”を組み立てていくのですが、そこから二転三転する展開が見どころです。

 巧妙なミスリードが仕掛けられてはいるものの、次第に焦点が絞られてくることもあって、真相を見抜くのはさほど難しくはないかもしれません。しかし、それでもその真相はよく考えられたもので、その暴き方も含めてうならされる部分があります。そして最後には、新聞の見出し――いくつかの章の終わりで効果的な“引き”として使われている――を持ってくることで、多くを語ることなく余韻を残す結末に仕立ててあるのが印象的。前述のように、傑作とはいかないまでも、十分に楽しめる作品といえるのではないでしょうか。

*1: 『ジェゼベルの死』『疑惑の霧』ではこの二人が共演しています。
*2: 手違いでの殺人(!)も含めて自らの悪行を振り返るあたりの心情も、なかなか印象深いものがあります。
*3: 他にももう一つ理由があるのですが、ここでは伏せておきます。

2015.07.16読了  [クリスチアナ・ブランド]



誰かの家  三津田信三
 2015年発表 (講談社ノベルス)

[紹介と感想]
 『ついてくるもの』に続いて、三津田信三自身らしき語り手*1が収集した(と思しき)“実話怪談”風の体裁を取ったホラー短編集で、語り手(作者)が怪異体験を聞く形式を基本としつつ、物語の構造――怪異との“距離”など――に少しずつ変化をつけてあるのが興味深いところです。こちらが慣れてきたせいもあるのか、『ついてくるもの』に比べると恐怖感は薄いようにも感じられますが、何ともいえない薄気味の悪さが残るのはさすがというべきでしょう。

「つれていくもの」
 登山の最中、最後尾にいながらたびたび後ろを振り返っていた同僚。その後、キャンプ場で出会った三人組との酒盛りが怪談会となった時、同僚は、山中で何かが後をつけてくる気配を感じたと告白する――やがて三人組の一人が、高校生の頃の体験を語り始めた。時期外れの海に独りで遊びに来た彼に、一人の女性が声をかけてきたのだが……。
 題名とは裏腹に序盤で“ついてくるもの”の存在が匂わされた後、本題の(?)“つれていくもの”の話に転じるのも面白いところですが、山での怪談会の中で“海での怪談会”が語られるというメタ構造(?)が何ともユニークです*2。ややミステリ的といってもよさそうな結末もよくできています。

「あとあとさん」
 文学賞のパーティの四次会の帰路、駅まで同行することになった男の話。幼稚園の頃、一家で祖父母の家に引っ越した彼は、ひょんなことから空想の友達を“あとあとさん”と名づけるが、やがて家の中で、“あとあとさん”が実在しているかのような出来事が起こり始める。そしてある日、厳格な祖父の前で“あとあとさん”のことを口にしてしまったのだが……。
 幼い子供の何気ない一言が次第に実体を備え始めていくような、じわじわした気味悪さ……と思っていると、“畸形鬼欠{きぎょうきけつ}”という凄まじいペンネームで不気味な小説を書いている祖父とのやり取りから、さらに奇妙な方向へ物語が進んでいくのが見どころです。

「ドールハウスの怪」
 中学校で同級生だった男が聞かせてくれた話。小学校の頃、裕福な友人の家の蔵でドールハウスを見つけ、友人と遊んでいたが、そのドールハウスにはどこか不気味なところがあった。やがて友人は引っ越していったのだが、三十数年ぶりに突然連絡があり、その後の恐るべき顛末を聞かされたという。何と、引っ越し先の家がドールハウスそっくりで……。
 作中でも言及されている『忌館 ホラー作家の棲む家』にも通じる“ドールハウスもの”で、ドールハウスと現実の相似を発端として悪夢のような事態に突入していくあたりは“お約束”というべきかもしれませんが、終盤の(以下伏せ字)二段構えの(ここまで)展開が秀逸。怪異体験を語り終えた後に(以下伏せ字)“そこ”へ戻る理由が用意されている(ここまで)のもうまいところです。

「湯治場の客」
 肩を痛めて、山奥の寂れた湯治場を訪れた作家。露天風呂に入ってみると、男性の二人連れと見えた先客は、実は女性独りだけだった。うろたえながらも、思いがけず話に花を咲かせることになったが、彼女を残して先に風呂を出ようとした時、後ろから野太い男の声が――同じような怪事がたびたび起こる中、他の客に彼女の境遇を聞かされた作家は……。
 怪談の話者が存在せず、語り手の作家が直接怪異に遭遇する異色の作品。直接の体験であるせいもあってか、語り手が何とか合理的な説明をつけようとするのが目を引きますが、ぎりぎりのところで最後に割り切れないものが残される結末が印象的です。

「御塚様参り」
 行きつけの割烹の女将が語ってくれた話。若い頃、不倫の末に身ごもったことを相手の男に告げると、男は途端に彼女から遠ざかってしまう。男の妻さえいなければ、と思いつめて逆恨みした彼女は、かつて祖母に聞かされた“御塚様参り”という呪法の話を思い出す。田舎の祖母を訪ねて深夜、密かに家を抜け出して“御塚様”へと向かったのだが……。
 丑の刻参りを下敷きにした呪法が扱われた作品ですが、呪法の“結果”よりもその“過程”が、次第にスケールアップしていくような凄まじい怪異体験になっているのが強烈。そして最後は(一応伏せ字)因縁話(ここまで)に変じるところが、何ともいえない後味を残します。

「誰かの家」
 同窓会で数十年ぶりに再会した旧友の話。中学の頃不良少年だった彼は、家出した末に金が底をつき、ついには空き巣を企てることに。不良仲間が目星をつけたのは、幽霊屋敷と呼ばれているらしい街外れの大きな屋敷だった。金網の穴から屋敷に侵入してみると、人ひとり見当たらない屋敷のあちらこちらに、白いシーツをかけられた何かが大量に……。
 家具や調度が整えられながら誰もいない屋敷の中で、白いシーツをかけられた“もの”の不気味なイメージが鮮烈です。ぎりぎりまでためられたものが解き放たれるクライマックスもよくできていますが、思わぬ“手がかり”をもとに“真相”が示唆される結末もお見事。

*1: 語り手の自著として『忌館 ホラー作家の棲む家』に言及されている「ドールハウスの怪」から、語り手を三津田信三に関連づける記述が見当たらない「つれていくもの」まで、様々です。
*2: それにしても、宴会で怪談をするのはそこまで一般的なものなのでしょうか(苦笑)。

2015.07.28読了  [三津田信三]



髑髏の檻 Buried Alive  ジャック・カーリイ
 2010年発表 (三角和代訳 文春文庫 カ10-6)ネタバレ感想

[紹介]
 モビール市警の刑事カーソン・ライダーは休暇を取って、愛犬ミスター・ミックスアップとともにケンタッキーの山奥で過ごしていたが、一本の電話をきっかけに凄惨な連続殺人事件に遭遇することになった。被害者たちの関係は判然としないものの、GPSを利用した宝探しゲームのサイトで“=(8)=”などの奇妙な記号とともに死体の遺棄された場所を告知する手口が共通する上に、発見された死体にはいずれもグロテスクな装飾が施されていたのだ。そして、現地のドナ・チェリー刑事の捜査に協力するカーソンの前に、実の兄にして闘争中の連続殺人犯ジェレミーが現れて……。

[感想]
 もはや安定した人気を確立したシリーズの、邦訳第六弾*1となる最新刊。今回はカーソンがモビール市を離れて休暇中に遭遇した事件がメインとなっている異色作で、そのために相棒ハリーの出番がほとんどないのが少々残念ではありますが、その穴を埋めるかのように、思わぬ形で登場するカーソンの兄ジェレミーが大活躍(?)する*2のをはじめとして、期待に違わず十分に面白い作品となっています。

 物語は、カーソンが凶悪な囚人の催眠術実験に立ち会う一幕に始まり、やがて舞台はカーソンが休暇を過ごすケンタッキーの山奥へと移ります。愛犬とともに自然に触れてリフレッシュしたのも束の間、事件に巻き込まれてしまうカーソンですが、“○○が鼻孔と口から○○○○いた”(一部伏せ字)という描写に思わず目を疑う異様な死体を皮切りに、見立て殺人めいた装飾が施された死体が次々と登場し、死体の所在が“宝探しゲーム”(→「ジオキャッシング - Wikipedia」を参照)のサイトで堂々と告知されるといった具合に、何とも派手で奇怪な事件となっているのが強烈な印象を与えます。

 事件の途中で乗り込んでくるFBIの特別捜査官が捜査の主導権を握ることで、つまはじきにあった現地のドナ・チェリー刑事とカーソンが協力して独自に捜査を行うようになっていくのが、定番とはいえうまいところ。その地道な捜査も、例えば中盤に登場する老婦人との対面や、それとは対照的なエロじじい(苦笑)との“取引”など見どころが多く、楽しめるものになっています。が、被害者たちをつなぐミッシングリンクが容易には見えてこない上に、作者が用意した(読者の視点からすると明らかな*3レッドへリングによって捜査がたびたび脇道にそれるなど、物語は一筋縄ではいきません。

 ところで、“読者の視点”ということでいえば、(当然ながらカーソンら作中の人物にとっては知る由もないことですが)(一応伏せ字)冒頭の一幕がその後の物語に(ここまで)絡んでくることはおそらく誰しも予想できるところで、これまたなかなか明るみに出てこないそのつながり――いわば“もう一つのミッシングリンク”も大きな興味の的となってきます。作者からすればやむを得ないとはいえ、読者の“先読み”によって“ハードルが上げられた”状態ともいえるわけですが、しかしそれをやすやすと超えてみせる*4作者のユニークな企みには、脱帽せざるを得ないところです。

 そしてついに解明される事件の背景――社会の闇を映し出したようなおぞましい真実は実に凄まじく、暗澹たる気分にさせられます。一方、犯行の告知に使われた“=(8)=”の意味もようやく明らかになりますが、こちらは脱力と苦笑を伴うというか、シリーズ第一作『百番目の男』のとんでもない真相に通じる味わいが魅力的です。その後に訪れる壮絶きわまりないクライマックスでも、カーソンの捨て身の作戦がシリアスな中に一抹の笑いを誘うところなど、作者独特のユーモア感覚の発露ということかもしれません。

 凄惨な事件が描かれた作品ではありますが、事件に決着がついた後には“解放”のカタルシスが配置されており、思いのほか後味のいい結末となっています。最後の最後に用意されている、思いがけないちょっとした“真相”も印象的で、ニヤリとさせられます。個人的な好みとしては、シリーズでも上位にくる快作です。

*1: 巻末の千街晶之氏の解説によれば、発表順では第六作の『Little Girls Lost』が“番外編”的な内容であるため、シリーズ第七作である本書が先に邦訳されたようです。
*1: カーソンとジェレミーの関係については、少なくともシリーズ第一作『百番目の男』と第四作の『ブラッド・ブラザー』を先に読んでおくことをおすすめします(できれば第一作から順番に読む方がいいですが……)。
*3: 主に残り分量の問題なので、読者に通じないのは作者も想定済みだと思われます。
*4: もっとも、親切な伏線によってある程度予想しやすくなっている部分もありますが。

2015.08.12読了  [ジャック・カーリイ]
【関連】 『百番目の男』 『デス・コレクターズ』 『毒蛇の園』 『ブラッド・ブラザー』 『イン・ザ・ブラッド』



月世界小説  牧野 修
 2015年発表 (ハヤカワ文庫JA1198)

[紹介]
 友人とゲイパレードを見に来ていた青年・菱屋修介は、晴天に突然アポカリプティック・サウンドが響くのを聞き、天使たちが舞い降りるのを見た。天使たちが繰り広げる惨劇を目の当たりにして絶望した菱屋は、自分が作り出した妄想の月世界へと逃げ込むが、そこでは激しい戦闘が……。/大学で言語学を専攻する院生ヒッシャー・シュスケットは、三十年前の終戦と同時に英語を公用語としたニホンでは誰も知らない、ニホン固有の言語――失われたニホン語が存在する可能性に気づいたことで、米国に占領された国土の奪還を目指す政治運動に、さらには~との戦いに巻き込まれていく……。

[感想]
 帯に“『神狩り』へのオマージュ”(→山田正紀『神狩り』を参照)と謳われた、牧野修による幻想的な言語SFで、言語を間に挟んで対峙する~*1と人間との攻防がテーマとなっていますが、同時に、言語による“語り”を強く意識したメタフィクション的な構成――作中に登場するジョン・ディー『月世界小説』の装丁を模したカバー装画にもその一端が表れています――も見どころです。

 平穏な日常が降臨した天使たちに蹂躙されて一瞬で崩壊する、黙示録さながらの光景が描かれた冒頭から、主人公・菱屋修介が唐突に妄想の月世界へと転移する、〈世界n〉と題された発端の“つかみ”は十分で、何が起こっていくのかという興味でいやおうなく物語に引き込まれます。ここで物語世界は、菱屋が転移した月世界での〈世界n−1〉と、菱屋の“異本{バリアント}”ヒッシャー・シュスケットが登場する〈世界n+1〉との二つに分岐し、最前線である戦場と(いわば)戦いの背景とが並行して描かれることで、~との戦いの様相が伝わりやすくなっている感があります。

 まず〈世界n+1〉は、1975年のニホン――米軍の占領下で英語が公用語とされた世界が舞台で、歴史改変もののような趣もあります*2し、ヒッシャーが巻き込まれた政治運動を通じて(さらには政治運動に深く関わるヒッシャーの知人ワクート・ソッジス*3の視点で)ニホン政府と米国の思惑、ひいては~の策謀が浮かび上がってくるあたりは謀略小説のようでもあります。その中で目を引くのはやはり、ヒッシャーやワクートが出会った子供たちが操る人工言語“ポリイ”(並行多義言語{ポリフォニー})で、CIAのニホン人研究から生み出され、意味を具現化して“世界を上書きする”力を持つその言語の表現と効果が実に魅力的です。

 一方の〈世界n−1〉では、菱屋はいきなり部隊に加えられて、奇怪な(空は飛ばない)円盤《駆流{ドラフト}》に乗り込み、月の砂漠で得体の知れない《駱駝》などと激しい戦闘を繰り広げます。世界やガジェットの狂気に満ちたイメージも印象的ですが、〈世界n+1〉での“ポリイ”による具現化を一歩進めたような、“記号破壊{セミオクラスム}砲”や“コード解体砲”といった兵器、さらには“アナグラム弾”や“脚注弾”*4などの武器が生み出す、言語によって語られた/記された世界ならではの効果*5が面白いところで、メタフィクション的な言語SFであることをうまく生かしたユニークな戦いになっています。

 〈世界n+1〉のヒッシャーはやがて、記憶をほとんど失ったジョン・ディーなる人物が妄想の月世界の様子をニホン語で綴った『月世界小説』を読むことになり、また〈世界n−1〉では、それまでの菱屋とは異なるところのある“ぼく”あるいは“わたし”――菱屋=ヒッシャーはすなわち(一応伏せ字)“筆者”(ここまで)であるということでしょう――が語り手になるという具合に、分岐した二つの世界が交錯するだけでなく“現実”のレベルまでが入り乱れて混沌とした状態の中、クライマックスを迎える~との戦いの果てに用意されている、静かに余韻を残す結末が見事で、本書にふさわしい幕切れといえるでしょう。傑作です。

 なお、山田正紀作品との関連でいえば『神狩り』の他にも、“生命言語{ランガー}”で作り出された奇怪な戦場を描いた『ジュークボックス』に通じるところがありますし、“ニホン語脳”(138頁)などは『幻象機械』を思い起こさせます。興味がおありの方はぜひ。

*1: 本書ではほぼ一貫して、“神”ではなく“~”という文字が使われています。
*2: 細かいネタでは、超能力者を名乗る“ユーリ・ゲナー”(113頁)や、“クマトゥ・サッキヲが書いた『ニホン流浪』”(276頁)にニヤリとさせられます。
*3: ヒッシャーと同様に、〈世界n−1〉に登場する枠田宗治の“異本”です。
*4: これは実にひどい(苦笑)。
*5: 今にして思えば、柄刀一「言語と密室のコンポジション」『アリア系銀河鉄道』収録)に感じた不満の一端は、この部分の曖昧さ――現象の一部が言語の表記に依存しているにもかかわらず、“世界”がそのように設定されていない――にあったということかもしれません。

2015.08.20読了  [牧野 修]


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