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悲しまんと欲すれば 鬼の 叫べるが 聞こえ,
我 哭けば 豺狼 笑ふ。
涙を灑ぎて 雄傑を祭らんとして,
眉を揚げて 剣 鞘より出だす。
※ 灑血祭雄傑: この題は、詩集によって違う。
これは「天安門革命詩抄」のもの。これは第三句の「灑涙祭雄傑」からきているが、
原文は簡体字(現代中国漢字)で、「洒泪祭雄杰」となっている。
特に「泪」と「血」が似かよっているのに注意。また、「文化大革命十年史」では、
「洒酒祭雄杰」となっている。
「泪」をそそぐのか、「血」をそそぐのか、
「酒」をそそぐのか。これらは字が似かよっている。これは、人々がこの詩をメモ帳に移して帰ったものが、その詩が順次書き写され、やがて、いろいろな形の詩句が人口に膾炙されるようになっていったのが、よく分かる。なお、
本ホームページにこの詩の拡大写真を載せているが、正しくは「泪」である。見ていただいて解るとおり、作者は他にも「眉」字の「目」の部分や「鞘」字の「肖」の部分などの字画の横画を、縦に一画引くことで済ませている。それ故、この句は多くのバリエーションを持つようになった。
※ 欲悲聞鬼叫: 最近、日本語に翻訳された文革関係の書物で、ここのくだりを「幽鬼の叫ぶを悲しく聞かんと欲す」と訳しているのがあるが、その訳には少し問題がある。その読み方だと
「欲|悲聞‖鬼叫」
と詩を区切っていることになる。ここは、 やはり
「欲悲‖聞・鬼叫」
と区切るのが普通だろう。現代人の詩では、平仄や押韻に余り気を使わないものの、
五言詩ならば、節奏(句の切り方)は、きっちりと「2+3」字としている。これは二音を単位とする漢語(中国語)自身の性質とも言うべきものからきている。この詩の他の句も全てこのように切れる。また、中国人が実際に朗詠する際も、伝統的な節奏のところで停頓(?)させる。中国人にとっては、詩は強烈なリズム感を伴う。意味も、節奏・韻律と密接不可分で、随意に変更は出来ない。
その訳本の解釈に従うと、「幽鬼(被害者)の嘆きを 悲しく聞くことを欲する」か「幽鬼(四人組)の非道な言動を 悲しく聞くことを欲する」こととなり、
ひどく弱気である。ここは、やはり伝統的な節奏(切り方)で見て、「悲しまんと欲すれば 鬼の叫ぶ声が 聞こえ」、つまり「総理を追悼しようとすれば、四人組が陰謀を巡らし」となって、承句、転句、結句に無理なく続くのではないか。
これは、憤怒の詩である。それ故、四人組から「反革命」の罪証ともされ、その証拠として上掲の写真が残されていたわけである。如何?
※ 鬼: 日本語の「オニ」とちがう。悪い人物や幽鬼等。ここでは前者で、「四人幇」等文革推進派を指す。
※ 哭: 声を出してなく。なお、「泣」は余り声を出さないでなく。すすり泣く。
※ 豺狼: ヤマイヌとオオカミ。残忍非道な悪党の比喩。
※ 雄傑: 逸材。英傑。
※ 揚眉: 決意を固めたときの表情。憤りを表す。目と眉の違いはあるが、眦を決して、という感じか。
※ この詩は、鉄道部第三工程局労働者 王立山の作といわれる(「天安門詩文抄」)。 出身地は山西省で共青団員といわれる。(「葉剣英在1976」)。
◎ 構成について:韻脚は、「叫:jiao4」「笑:xiao4」「鞘:qiao4」ともに嘯韻(仄韻 去声)。平仄は、ほぼ唐詩の形式に合致している。五言絶句の平起式。承句は句中の対になっている。
(1999.7.14) ( 9.10) ( 9.20) ( 9.23) (2000.9. 1補) (2016.9.17) |
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