huanying xinshang Ding Fengzhang de zhuye



LiQingzhao liqingzhao李清照
   臨江仙
歐陽公作「蝶戀花」,有「深深深幾許」之句,予酷愛之。用其語作「庭院深深」數闕,其聲即舊「臨江仙」也。
庭院深深深幾許
雲窗霧閣常扃。
柳梢梅萼漸分明。
春歸秣陵樹,
人老建康城。


感月吟風多少事,
如今老去無成。
誰憐憔悴更雕零。
試燈無意思,
踏雪沒心情。

    **********************


      臨江仙

歐陽公「蝶戀花」を作るに,「深深として 深きこと 幾許ぞ」之句 有り,予 酷く之を愛す。其の語を用ひて「庭院 深深」數闕を作るも,其の聲は即ち舊「臨江仙」也。


庭院 深深として  深きこと 幾許
(いくばく)ぞ,
雲窗 霧閣  常に扃
(とざ)す。
柳梢 梅萼  漸く 分明。
春は歸る  秣陵の樹,
人は老ゆ  建康の城
(まち)


月に感じ 風に吟ずるは  多少の事,
如今 老い去りて  成
(おもひな)すこと 無し。
誰か憐まん  憔悴して 更に 雕零するを。
試燈  意思
(おもしろ)きこと 無く,
雪を踏めども 心情 沒
(な)し。


             ******************

◎私感訳註:

※臨江仙:詞牌の一。詞の形式名。詳しくは「構成について」を参照。

※歐陽公作「蝶戀花」,有「深深深幾許」之句,予酷愛之。用其語作「庭院深深」數闕,其聲即舊「臨江仙」也:歐陽脩公が作った『蝶戀花』 に「深深深幾許」の句が有るが、予(わたし)は酷(ひど)く之(これ)を愛している。其の語を用いて「庭院深深」を數闕作った。(李清照は他にも「庭院深深深幾許」で始まる詞を幾つか作っている)其の聲(詞牌、歌う形式)は舊「臨江仙」に即したものである。実際は欧陽脩ではなくて、馮延巳といわれているが、本サイトでは、李清照に敬意を表して、欧陽脩として取り上げている。

※庭院深深深幾許:(壁で囲まれた)庭が幾重にもなっていて、奥深いさまを歌っている。庭院 深深として  深きこと 幾許(いくばく)ぞ。「庭院深深深幾許」の節奏は、中国語で読むとしても、日本語で理解するとしても節奏は「庭院・深深||深・幾許」となっており意味もそれに従ってくる。「庭院・深深深・幾許」ではない。これは欧陽脩の『蝶戀花』「
庭院深深深幾許?楊柳堆煙,簾幕無重數。玉勒雕鞍遊冶處,樓高不見章臺路。   雨風狂三月暮,門掩黄昏,無計留春住。涙眼問花花不語。亂紅飛過秋千去。」の第一句である。 ・庭院:塀に囲まれたにわ。庭。前庭。 ・院:中庭・奥庭。また、垣で囲まれた宮殿などの建物。 *中国の庭は塀で細かく区切られ、その境の門をくぐると別世界の庭になるそのようなのが幾重にも重なって連なっている。そのさまをいう。日本や西洋の庭園のように開放的な感じではない。 ・深深:ふかい。奥深い。奥深く。形容詞。 ・深幾許:どれほど深いのだろう。 ・深:深まり具合。動詞的な用法であり、そのすぐ前の「深深」とは、意味の上で違いがある。 ・幾許:どれほど。

※雲窗霧閣常扃:雲や霧で包まれた奥深い建物の窓や高殿は常に閉ざされていて(もの寂しい)。また、移ろいゆく春の景色を見るのが怖い、いやだ、という感情も含まれていよう。彼女の「永遇樂(落日熔金 )」の「怕見夜間出去。不如向、簾兒底下,聽人笑語。」の感情の動きである。ここは、韓愈の「華山女」「
雲窗霧閣事恍惚,重重翠幕深金屏。」の奥深さを表す句からきているか。 ・雲窗霧閣:雲や霧で包まれた建物の窓や高殿。庭の奥深さの形容である。 ・扃:(かんぬき。けい;jiong1)とざすもの、かんぬき。転じて、とざす。ここは動詞で、後者の意。韻脚にあたるので、より分かりよい「關」「閉」「鎖」「闔」「閇」などの語は使えない。

※柳梢梅萼漸分明:(早春からだんだんと深まって、)柳の梢や梅の萼の緑が、ようやくはっきりとしてきた。 ・柳梢:やなぎのこずえ。 ・梅萼:梅の花のガク。樓萼とするのもある。の草書体は似ているのだろう。 ・漸:ようやく。だんだん。 ・分明:はっきりと明らかなこと。ここでは、緑色になり、木の輪郭がはっきりしてきたことをいう。

※春歸秣陵樹:春が(またも)秣陵の町の樹々から過ぎさろうとしている。(このように、ここで折々の季節を送っていく。) ・春歸:春が戻っていく。春が過ぎようとする。ここから発展して年月を過ごす。日を送る。 ・秣陵:県名。現・南京。江蘇省江寧県の東南にある。秦始皇のとき、金陵を改め秣陵と爲す、とある。

※人老建康城:人は建康の町で老いて(やがては死んで)いく。韋莊の菩薩蠻(人人盡説江南好)とは、雰囲気が大きく違う。あちらは明るく、こちらはしんみりと…。 ・人老:人は老いる。ここの「人」は作者も指している。 ・建康城:建康の町。都市名。当時の南京の呼称。『中国歴史地図集』第六冊 宋・遼・金時期(中国地図出版社)62ページ「南宋 淮南東路 淮南西路」にある。建安城ともする。

※感月吟風多少事:自然に親しみ、風雅吟行をなにかと楽しんだ。 ・感月吟風:詩を作り、自然に親しみ、風流をこととする。=吟風弄月。花鳥風月をめで、詩を誦するること。 ・多少事:多くのこと。いろいろなこと。

※如今老去無成:今となっては、歳老いてしまった上に、なにもする気が無くなってしまった。ここでは、今となっては、歳老いてしまった上に、これというほどの成し遂げた物もない、ではない。 ・如今:今。(過去の出来事と比して)いま。(昔はいろいろあったが)現在では。 ・老去無成:歳を取って、なにもする気が起こらない。 ・老去:年々歳を取る。死ぬ。 ・無成:する気が起こらないの意。作詞する興趣が湧かないの意。なお、ここは、成就したものは無かった、の意はない。

※誰憐憔悴更雕零:誰が一体、やつれ果て、その上、落ちぶれ果てた(わたしを)憐れんでくれようか。ここのくだりも彼女の「永遇樂(落日熔金 )」の「如今憔悴, 風鬟霜鬢」の気持ちと大いに通ずるところである。 ・誰憐:誰が一体憐れんでくれようか。 ・憔悴:やつれる。 ・更:その上。 ・雕零:花がしぼんで落ちること。死ぬこと。=凋零。

※試燈無意思:試燈の行事にも興趣が湧かない。 ・試燈:元宵節になる以前に、予行として灯火をともすこと。現代風に言うと、ルミナリエの予行。 ・無意思:(白話)興趣が湧かない。おもしろいと思わない。 ・有意思:(白話)意味がある。味わいがある。おもしろい。興味がある。蛇足だが、“意思”だけだと日本語と同じ意味になる。

※踏雪沒心情:雪の中へ風雅を求めて、積極的に出ていくような気持ちも湧かなくなった。 ・踏雪:雪の中へ風雅を求めて、積極的に出ていくこと。 ・沒心情:そのような気分でない。興趣が湧かない。 ・沒:白話の用言(虚字)の打ち消しに使う。≒無。文語の「無」に同じ。例えば、前出の「無意思」は現代語では“沒(有)意思”となる。






◎ 構成について

 双調。六十字。平声一韻到底。韻式は「AAA AAA」。韻脚は「明城 成零情」で、第十一部平声八庚。


○○●●,
●○○。(韻)
●●○○。(韻)
○○●●,
●●○○。(韻)



○○●●,
●○○。(韻)
●●○○。(韻)
○○●●,
●●○○。(韻)

 

2001.12.23
     12.24
     12.25完
     12.26補
2004. 1.31
2015. 6.11

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