Huanying xinshang Ding Fengzhang de zhuye
登幽州台歌



                    
                          
      登幽州臺歌
              
                 陳子昂
前不見古人,
後不見來者。
念天地之悠悠,
獨愴然而涕下。


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幽州臺に登れる歌
                       
まへに 古人を 見ず,
のちに 來者らいしゃを 見ず。
天地の悠悠いういうたるを  おもひ ,
ひとり 愴然さうぜんとして  なみだ
 くだる。

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◎ 私感註釈

※陳子昂:〔ちんすがう;chen2zi3ang2〕陳子昂 (661年〜702年)初唐の雄渾な写実主義の詩歌を提倡した。少年期は遊んで過ごし、十八歳の時にまだ、文字が読めなかったという。以後機会があって郷校に学び、発憤努力して、進士に及第した。則天武后に認められ、契丹征討に、武攸宜の参謀として従軍する。征討軍は、惨敗を喫するが、貴族出身でない陳子昂の献策は、ことごとく容れてもらえずに、彼は失意の裡にいた。その時の作である。

※登幽州臺歌:契丹征討の前線にある幽州臺・薊北楼に登って鬱懐を晴らす。雑言古詩。 ・幽州:現・北京市大興県一帯。北京から天津への途上。北京の東南部。 ・幽州臺:薊北楼のこと。現・北京市西南にあった。幽も薊も本来はこのあたりの地名。この作品は、『論語』衛子第十八にある『楚狂接輿歌』(「楚狂接輿,歌而過孔子,曰:『鳳兮!何コ之衰?往者不可諫,來者猶可追。 已而!已而!今之從政者殆而!』」)を基にしていないか。その場合は意味が異なってくる。

※前不見古人:さきには、古代の聖賢の徳に会うこともなく。陳子昂は、燕の昭王が天下の賢士を招いて人材を需めた故実を思い、現在はそのような行為が無くなっていることをいう。また、『楚狂接輿歌』を基にして読めば、自分より前に生まれてきて、既に亡くなっている古代の人々に会うことはできない。 ・古人:昔の人。ここでは、幽州臺にちなみ、戦国燕の昭王を比定する。燕の昭王が天下の賢士を招いて富国強兵、人材立国を図ったことを指す。

※後不見來者:後を見れば、将来を担う者の姿がない。『楚狂接輿歌』を基にして読めば、後を見れば、後の世の人にも会うことができない。

※念天地之悠悠:天地の悠悠たるさまを思えば。天地、歴史的時間の悠遠さに比べれば、今の人間のちっぽけなことよ。或いは、天地は、永遠に続き、歴史は長く続いて永遠のものに見えるが、その中にいる人間は、前の時代にも後の時代にも触れることはできない。ただ、今この瞬間を生きているだけなのだ。ここは陶淵明の『帰去来兮辞』や『形贈影』(天地長不沒)と、言葉は似ているものの、言いたいことは全く違う。 ・念:深く心に思う。陶淵明は、しばしば、「念之…」として、心の動き、懊悩を表している。

※獨愴然而涕下:自分独りだけ、愴然として悲しくなり、涙が出てくる。過去や将来とも縁がなく、この世は、ただ自分一人だけなのかと思うと、心が傷んで涙が出てくる。 ・愴然:悲しみいたむ。 ・涕:〔てい;ti4●〕なみだ。


◎以上の解釈のうち、「天地」を叙景、眼前の風景とみるが一般の解釈で、登用されない失意の眼差しに映る風光ととる。
 しかし、わたしは、「天地」を「天地間」歴史的な拡がりを持つ空間の意ととるを持っている。それを強調すれば次のようになろうか。
             -----------------

・「今」という時に生きるわたし(陳子昂)は、過去の時代の古人に会うことが出来るわけがない。

・かといって、後世の者に会える訳でもない。

・「今」という現在は永遠に現在(=天地間)であって、過ぎ去った「過去」とも、まだ来ない「未来」とも隔絶されたものだ。わたしは今を生きているだけであり、これを繋げているものは「天地」である。

・無限の天地間を、一瞬に生まれて滅していくわたし---このことを思うと悲しくなって涙が流れてくる。

               ***********




◎ 構成について

雑言古詩。この作品の節奏は、漢魏六朝以降の詩の主流や他の雑言古詩と、大きく異なっている。普通、詩の節奏は
□□□□□という五言の場合、
□□+□□□となり、更に細かく
□□+□□・□となるか、或いは
□□+□・□□となる。
基本的に、
□□の語の集合体と見てよい。
時代が下って、平仄が論じられるようになってからは、これに平字や仄字を当てはめていき、五言の場合
□□+■■・□となるか、或いは
□□+□・■■となり、
□□+■・■□となる。

或いは
■■+□□・■となるか、或いは
■■+■・□□となるか、
■■+□・□■となる。


ところが、この作品の場合、
□□+□□□とならないで、
□+□□□□となっている。

具体的に見ると、
□+□□・□□,
□+□□・□□。
□+□□・□・□□,
□+□□・□・□□。
となっている。
このような形は、上代では『楚辞』、下っては『宋詞』ではよく見られるが、詩の主流にはない。独特の味わいを持った古詩を思って作られたもの。

仄韻。韻式は、「aa」。韻脚は「者下」で、この作品の平仄は次の通り。


   ○●●●○,
   ●●●○●。(韻)
   ●○●○○○,
   ●○○○●●。(韻)

2003.6. 1完
     9.30補
2007.1.12
2008.8. 7

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