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これは井古先生の詩で、読み下しや解説も先生のものです。
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多久聖廟 恭迎洙泗事茫茫、 多久古來傳辨香。 聖廟尊像薫長幼、 金聲玉振説綱常。 顧思現世無仁愛、 此拜先師示義方。 既使遺經涵煦衆、 尋茲不問識丘ク。
洙泗を恭迎する事茫茫 多久は古来弁香を伝う 聖廟尊像は長幼を薫し 金声玉振は綱常を説く 顧みて思う現世は仁愛無く 此に拝す先師の義方説くを 既に遺経を使て衆を涵煦(カンク)せしめ 茲を尋ねて問わずとも丘の郷と識る *************** ・洙泗=洙水泗水。孔子の門人を教えた場所、転じて孔子の学問 ・丘=孔子の名、子は敬称 ・弁香=尊敬し慕う ・薫=薫陶 ・金声玉振=論語の集大成 ・先師=孔子 ・義方=正道 ・遺経=孔子の経書 ・涵煦=ひたしあたためる ※「尊像」の「像」は平仄が合わない辞だが、あえてこの様にした。 ※第八句は佐藤一斎の詩意を借用した。以下に「尊像」と「第八句」の経緯を述べる。この詩については次のような思い出がある。四、五年前、滋賀県の近江聖人記念館に行ったところ、館内に佐藤一斎先生作の七律の一幅があった。 『辛巳中秋作』 「書堂已閲百星霜、私淑吾來進辨香。遺愛藤樹荒倍古、孤標松幹老愈蒼。気常和處春長煖、月正霽時風亦光。今尚士民礼讓敦、入疆不問識君ク。」 〔書堂已に閲す百星霜 私淑して吾来りて弁香を進む 遺愛の藤樹は荒れて倍ます古く 孤標の松幹は老いて愈いよ蒼し 気常に和する処春長しえに煖く 月正に霽るる時風亦光る 今尚士民は礼譲敦く 疆に入りて問わずとも君が郷と識る〕 六句に光風霽月という立派な熟語を詠みこみながら、七句の平仄の乱れが理解出来なかった。それ故、後日再び尋ねることとした。その時に、達筆の読み下しの無い七律を発見したのが以下の詩である。 『松蔭五條 秀麿作』 「余姚同志渡江行、父老怡我讓道迎。藤樹書堂存舊影、玉林寺内護墳塋。コ如比嶽千秋屹、姿似琶湖前世C。先聖誕辰今日會、丹誠奉奠里人情。」 (以下は私の読み下しである)〔余姚の同志江を渡って行く 父老我を怡び道を譲って迎う 藤樹書堂は旧影を存し 玉林寺内に墳塋を護る 徳は比嶽の如く千秋屹し 姿は琶湖に似て前世清し 先聖の誕辰に今日会う 丹誠奉奠す里人の情に〕 庚申年三月七日藤樹先生誕辰三百十三回記念祭恭賦(大正九年) *********** ・余姚=王陽明の出身地 ・同志=松蔭本人か? ・江=安曇川か? ※この二年後、藤樹神社が創建されている。名前から推理すれば、公家若しくは神職では無いかと思われる。律詩なので平仄を推理すれば分かると思ったが、なにしろ達筆なので、くずし辞典を求めて判読したが、第二句の「我」が平仄に 外れていたために、苦心した。 以上双先賢の詩を拝見し、これは近江聖人に対する畏敬若しくは謙譲の表れではないかと、忖度した。この拙詩『多久聖廟』もそれに習い先賢に一歩でも近づきたいと思った。本来ならば秘すべきを、あえて表明したのは他意ある為です。 (関心のあります諸賢は、鈴木先生のHP「漢詩を創ろう」の 2005−123をご覧ください。) |
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2006.10.25掲載 |
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