余貞元二十一年爲屯田員外郎時,此觀未有花。是歳出牧連州,尋貶朗州司馬。居十年,召至京師,人人皆言,有道士手植仙桃,滿觀如紅霞,遂有前篇以志一時之事。旋又出牧,今十有四年,復爲主客郞中。重遊玄都觀,蕩然無復一樹,唯兔葵燕麥動搖於春風耳。因再題二十八字,以俟後遊,時太和二年三月。 |
百畝庭中半是苔,
桃花淨盡菜花開。
種桃道士今何歸,
前度劉郞今又來。
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再び 玄都觀に遊ぶ
百畝(せ)の庭中 半(なか)ばは 是(こ)れ 苔,
桃花 淨(ことごと)く盡(つ)き 菜花 開く。
桃を種(う)えし 道士 今 何(いづこ)にか歸る,
前度の劉郞(りうらう) 今 又た 來(きた)る。
◎ 私感註釈 *****************
※劉禹錫:中唐の詩人。772年(大暦七年)~842年(會昌二年)。白居易や柳宗元との詩の応酬も多い。白居易とともに『竹枝詞』や『楊柳枝』
を作る等、前衛的、実験的なことに取り組む。字は夢得。監察御史、太子賓客。
※再遊玄都觀:玄都観に再び訪れた。 *初めて玄都観に訪れたときの詩・『元和十一年(816年)自朗州召至京戲贈看花諸君子』「紫陌紅塵拂面來,無人不道看花回。玄都觀裏桃千樹,盡是劉郎去後栽。」には、「諷刺がある」とされて、そのために、再び地方に出された原因となったいわく付きの詩。それ故、この「玄都観の詩」にも、含みがあると見るかどうか。 ・再遊:二度目の訪問。一度目の訪問とは、以前(元和十一年:816年)に、十年ぶりに都へ帰ってきた作者の耳に、玄都観の桃の花がみごとであるとの評判が入った。それでお花見に行き、『元和十一年(816年)自朗州召至京戲贈看花諸君子』「紫陌紅塵拂面來…」
を作った時。その第一回目の時から数えて、今回(太和二年:828年)が二度目の訪問になる。桃の花はなくなり、すっかりと荒れ果てた道観の姿に、今昔の感を抱いた。 ・玄都觀:長安の朱雀街にあった道教寺院。
※百畝庭中半是苔:百畝の(広い)庭の中の半ばは、苔で(覆われて)おり。 ・百畝:約5.8ヘクタール。1畝≒5.8アール。 ・半是:なかばは…である。半分は…である。
※桃花淨盡菜花開:桃の花の木はすっかり無くなって、野菜の花が咲いている。*この詩の序では「重遊玄都觀,蕩然無復一樹」(あとかたも無く、一本も残っていない)と述べられている。前回の元和十一年(816年)から、この詩が作られた太和二年(828年)までは、十二年間で、通常では千本もの梅の木(「玄都觀裏桃千樹」)が全て枯れてしまうことはあり得ない。「梅の木」に喩えられて諷刺の対象となった官僚が、梅の木を伐ってしまうように命令したのだろうか。 ・淨盡:すっかり無くす。 ・菜花:野菜の花。序に拠れば「兔葵燕麥」(いえにれ、えんばく)等の雑草。
※種桃道士今何歸:桃の樹を植えた(あの)道士は、今はどこに行ったのだろうか。 ・種桃:桃を植える。 ・種:植える。動詞。去声。 ・道士:道教の僧。方士。 ・今何:今はどこに…。 ・歸:本来落ち着くべき場所(自宅・故郷・墓所)にかえる。死ぬ。ここの「歸」字部分は、絶句でなくとも●(仄)字が来ることが多い。
※前度劉郞今又來:前回に(玄都観に、また、天台山奥の仙境に)訪れた劉(劉禹錫であり、仙桃を味わった劉晨)は、今日またしても、やって来た。 ・前度:前回の。元和十一年(816年)に訪れたときのことを謂う。 ・劉郞:作者劉禹錫であり、仙桃を味わった劉晨(中国版・浦島太郎伝説)の浦島太郎に該る人物。 ・今:太和二年:(828年)三月を謂う。 ・又:またしても。またもや。「獨」ともする。その場合は「(阮肇を連れないで、劉晨)ひとりだけで」の意。
◎ 構成について
韻式は「AAA」。韻脚は「苔開來」で、平水韻上平十灰。平仄はこの作品のもの。
●●○○●●○,(韻)
○○●●●○○。(韻)
●○●●○○○,
○●○○○●○。(韻)
2007. 3.26 3.27 3.28完 3.31補 2008.11.30 12. 1 |
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