読者のページ

 これは風散士雅兄の詩で、読みも風散士雅兄のものです。 
******************


西比利亞悲歌

解甲軍兵送凍原、
強勞捕虜背宣言。
望ク念耐流紅涙、
歸國懷欺降赤門。
缺食多年成骨立、
俘囚幾命作幽魂。
難銷筆舌辛酸恨、
憂憤頼誰傳後昆。



軍兵ぐんぴゃう解甲かいかふするも 凍原に送り、
捕虜に労を強ふるは 宣言に背く。  
望郷の念は 紅涙を流すに耐へ、  
帰国のおもひは 赤門に降るとあざむく。
欠食 多年 骨立と成り、  
俘囚 ふ しう 幾命 幽魂と作る。
筆舌につくし難き 辛酸の恨み、
憂憤 誰にか頼りて 後昆に伝へん。  

                 *********

・解甲: 軍装を解く。
・凍原: ツンドラ地帯。
・強労: 強制労働。(働は国字)
・宣言: 捕虜に強制労働をさせてはならないとの国際条約宣言。
・紅涙: ここでは、血涙の方の意。
・望郷: 戦後爆発的に流行した『異国の丘』の歌詞 “今日も暮れゆく 異国の丘に…” の源流を指す
・赤門: 赤化(共産主義)の門。
・骨立: やせ衰えること。
・俘囚: 捕虜を指すが、俘囚でも捕虜でもなく正しくは『不法被抑留者』である。
・幾命: 亡くなられた方は二十万とも三十万ともいわれる。
・後昆: 後世の人。


<解説>
  この詩は律詩の為、文字の使用に制限があり、作者としても隔靴掻痒の感があります。したがって現実に筆舌に尽くし難いご苦労を体験された多くの方々には不満が多々あると思います。
  頷聯の「望郷・帰国」は殆んど同意義ですが、時間(年月)的推移を、不遜にも当事者に成り代わり気持ちを忖度したつもりです。

  作者わたくしは昭和26年ごろ(当時16歳)、H県の土木現場監督の某氏に数回接触したことがあります。彼はシベリアから帰国された方で、当時ソ連の宣伝に来たように、将来日本の赤化を奨励して滔々と話していたことを覚えています。

  昭和20年8月、日本軍が軍装を解いた後、ソ連が国際的にも不法に多くの人々をシベリアに連行して、無償の労働力に利用し、またこれ等の人々が帰国してからの、我国が共産化するための先兵に思想教育したのでは無いかということは、わたくしが成年に達してようやく理解するようになりました。

 詩の第四句 『帰国の懐は 赤門に降ると欺く』 はそのことを意味します。すなわち望郷の念に堪え難く、ソ連の宣伝員になった振りをした方も多くいらっしゃたのでは無いかと思います。

 作詩の意図は尾聯(七八句)に込めました。参照



2008.10.1




xia 1ye次のページ
shang 1ye前のページ
shang ye来信站メニューページ
     ********

辛棄疾詞
李U詞
李清照詞
陸游詩詞
花間集
婉約詞集
碧血の詩篇
抒情詩選
竹枝詞
秋瑾詩詞
毛澤東詩詞
shichao天安門革命詩抄
燦爛陽光之歌
碇豊長自作詩詞
shici gaishuo詩詞概説
唐詩格律 之一
宋詞格律
詞牌・詞譜
詞韻
詩韻
参考文献(詩詞格律)
cankao shumu(Songci)参考文献(宋詞)
cankao shumu(Tangshi)参考文献(唐詩)
本ホームページの構成・他
      

Riyu:zhici
わたしのおもい
トップ アイコン
トップ
サンド