R2-D2 が駐機場との間で霧を発生させるので、 帝国軍兵士からファルコン号が見えなくなる。 しかし、レイアとランドがファルコン号に乗り込む前にその霧は消える。 R2-D2 自身はまだ半分ほどの距離を残しているときに、 帝国軍兵士が現れてファルコン号を撃つ。 それから、ランドがレイアに「乗れ」とうながし、 しばらくあって離陸だ。 しかし、離陸してから初めて帝国軍兵士が駐機場にはいってくるのはおかしい。 全員が機内に姿を消したら、近寄って撃ってくるのが普通だと思うのだ。
帝国軍兵士たちはファルコン号にしかけられた機関銃の存在を知っていたか、 あるいは、しかけを知っているレイアがそれで帝国軍兵士を撃ったのだと思う。 しかし、 そこは略されている。冒頭のホス脱出と同じになり、くどいと考えたのであろう。
2010-12-15 (3) 20:01:22 +0900
I 〜 IV ではエアカーが登場する。 それなのに、なぜ、 あんな原始的なトーントーンに乗っているのだろう? エアカーは低温に弱いと考えるか?
2010-12-15 (3) 19:53:56 +0900
久しぶりに旧三部作を見て、最初に感じたことがこれだ。 帝国軍の軍艦から打ち出されるところから数えて、 四回カメラが切り替わってやっとホスの地表に激突するシーンとなる。 新三部作では、CGでどんな飛び方もできたから、 かえってリアリティーを欠いたような気がする。
2010-12-15 (3) 19:44:30 +0900
友を助けに行くと言って、ヨーダとオビ=ワンにとめられるところ。 本体に格納されるしくみなのだろうか?
2010-12-15 (3) 19:42:30 +0900
IV で、フォースと一体化したオビ=ワンの声がルークに聞こえると、 その声は映画をみている人にも聞こえる。 リヒャルト・ワーグナーの楽劇「ジークフリート」における森の小鳥の声と同じく、 主人公である青年の目・耳から描かれていると考えて間違いないだろう。
終幕近くで、レイアはルークの声を聞く。 しかし、観客にはその声が聞こえない。 あそこで、レイアがヨーダの言う "another" であることが暗示されているのだが、 あのときレイアが聞いたのはルークの叫びだったのだろうか? そうでなく、 オビ=ワンがレイアにルークの声を聞かせた、 あるいはオビ=ワンが直接レイアによびかけた、 とは解釈できないだろうか?
2010-12-15 (3) 19:36:04 +0900
《朝日新聞>障害 vs 障碍について長々と書いている割にははっきりしない点が》 についてそのあとも考えていて、気づいたこと。 いったい、その人たちの主張は次のどれなのだろう?
最後のものだと、「妨害」「阻害」なども「妨碍」「阻碍」に戻すことになる。
最初のものだと、元々は同じ語であるのに、 漢字のあて方を変えて別の意味をもたせることになる。 「障害」と「障碍」が同じ語であったことはわかりにくくなる。 また、残念なことだとは思うが、おそらく、 「障碍」という表記が差別的に使われる局面が現れると思う。 そのときまた漢字を変えることになるのだろうか。 英語の blind はいろいろに言いかえられてきたと聞いたことがある。 (ただし、これは語の選び方の問題である。)
二番め、三番めのものだと、「通信に障碍が発生した」などの用法から、 やはり「障碍者」にも négatif な印象を感じる人が多いような気がする。
「障害」という熟語の成り立ちを考えることなく、 「害」がつくから「害虫」と同じようなもの、としか考えられない人が多いなら、 障害者という語そのものを別の語に言い換えるほうがよいような気がしてきた。
2010-12-15 (3) 01:54:29 +0900
11日土曜日づけ大阪本社版国際面の小さな記事で、
久しぶりに名前を見た。
その前日、10日金曜日づけにも載っていた。
おお、11日づけの「週刊アジア」面にも載っているではないか。
写真の説明文には《郷写す
》とある。
2010-12-15 (3) 01:04:46 +0900
規則に従えば「あおめ」にはなるが、そこまででは? 単語によっては、 特に固有名詞の場合、簡単な対応では書けない場合がある、ということか。
2010-12-15 (3) 00:15:35 +0900
/to:toumi/ の可能性がある。 広辞苑第五版、第六版によると歴史的かなづかいは「とほたふみ」。
「とほ」は /to:/ で間違いない。(ただし、ローマ字で書くとき tô- とするか too- とするかの問題はある。)
「たふ」の部分だが、「ふ」が現代かなづかいの「う」になる例はある。 しかし、その解釈では「た」が「と」に変わることが説明できない。 「たふ」が「とう」になる例は、「たふとい」→「とうとい」(尊い)がある。 その発音は /to:toi/ である。 よって、/to:to:mi/ が正しく、同じ /to:/ が反復されながら、 現代かなづかいが違う例になっている。
2010-12-15 (3) 00:00:21 +0900
2009年12月4日金曜日づけ朝日新聞大阪本社版社会面
「ニッポン人脈記」は「漢字の森深く」の7回め、
『「碍」の字で社会は変わる』。
《白石明彦
》と署名がある。
よく、常用漢字表の問題について書いている記者である。
この「いろいろ」でも以下の項目でとりあげた。
一面の約三分の一が与えられているにもかかわらず、人が中心のせいか、 肝心なことが書かれていない。
《豊田徳治郎(とよだとくじろう)
》氏は、統合失調症の息子を持つ。
《ボランティアで障害福祉に取り組むうちに、
障害者という表記が気になった。
「害がある人と誤解されかねない。名は体を表しますから」
》。
「害がある」は間違ってはいない。
「害」には“さまたげ”という意味があるからだ。
心身になんらかのさまたげ、すなわち「害」があって、
ほかの多くの人と同じような活動ができない、と解釈すれば、間違ってはいない。
三十数年前のソウル駐在時代の記憶がよみがえる。 日本語がよくできる取引先の部長に尋ねられた。 「韓国では障碍者と書く。日本ではなぜ害なのか」。 答えられなかった。
答えられなかったのは、当用漢字、特に書き換えのことを知らなかったからだろう。
障害も障碍も戦前から妨げの意で使われていた。 害には災いの意味があり、害毒など否定的なイメージが強い。 なのに障害が使われ、定着した背景には国の漢字政策がある。
イメージで物事を考えてはいけない。
国民がそういう間違ったイメージを持ちやすいなら、
そうではないと国などがよく説明し、また、
「害」には「防ぐによく、攻めるに困難な所
(新字源)」
という意味もあることを知らせるべきではあるまいか。
要害がその例である。
また、「障」の字も、「保障」しか知らない人は知らないだろうが、
「さわり」「じゃま」「さしつかえ」の意味をもち、
イメージのよい漢字ではないはずだし、
「碍」も「さまたげ」「じゃま」の意味を持つので、
「障碍」は「じゃま・じゃま」と曲解することもできる。
一人だけ車いすの人がいて、列がなかなか進まない、
というような状況では、「障」「碍」の意味を知っている人には、
そういう誤解があるかもしれない。
ただ、多くの人は「碍」の字を知らないから、
よいイメージも悪いイメージも今のところは持っていない、
というだけだと思う。
(実際には、「障碍者」は、心身の何らかの機能が病気などによってじゃまされて、
ほかの多くの人と同じように行動できない、というのが語源であろう。)
米国では障害者をチャレンジド (challenged) と呼ぶことがある。 挑戦すべき試練を神から与えられた人。 豊田は日本語でもこんな言葉がほしい。 まずは「障碍」からだ。
障害と障碍が異なる語であるようには、私には思えない。 ここでは語と文字が混同されているように思う。 「ショーガイシャ」と読まれない、別の言い方を考える気はないのか。 (いま気づいたが、「ショー会社」という熟語があれば、これも同じ音である。)
豊田氏のブログに
《最初に応えたのが日本語学者の當山日出夫(とうやまひでお)
》
氏だそうだ。
《立命館大などで教える當山は、
黒板に書くときに赤のチョークを絶対に使わない。
色覚異常のある人は見づらいためだ
》とあるが、
これはいまや教員の間では常識だ。
学校側で赤チョークを用意しないところまである。
これをもって、
同氏が障害者問題についてほかの人よりも深く考えている人だ、
と思わせようとして書いたのなら、
それは全くあたっていない。
おそらく當山氏の主張として、次のように述べられている。
「障害や人権にかかわる漢字には、 使用頻度とは別の判断基準が要ります。 その意味で、障碍の碍は政治的な文字なんです」
そうやって特別視して漢字の数を増やすのと、 「障害者」ということばの正しい意味を教える、 あるいはまったく別のことばを考え出す、などのうち、 どれが最も適切かを考える必要があるのではあるまいか。
企業にも変化がある。 マイクロソフト最高技術責任者の加治佐俊一(かじさしゅんいち)(50) は昨年初め、自治体では「障がい」と表記している例があることに気づいた。 部下で全盲のプログラマーに尋ねてみると、 害を使わない動きが出ているという。
うかつだった。 日本版ウィンドウズ製品の開発責任者を長く務め、 障害者への配慮を心がけてきたのに。 「マイクロソフトはなぜ迷いもなく、 害虫の害を使ってきたのか」。 社内で議論し、製品や文書の表記で障害を障碍と改めることにした。
ここでわからないのは、いま Vista のヘルプで「障害」を検索して見つけた
「システム障害時の自動的な再起動を無効にする
」
の障害も障碍と書き換えるのかどうか、だ。
そもそも同じ語なのだからと、これも書き換えるとすると、
「障碍」全体がよくないイメージを持たれてくるだろう。
書き換えないとすると、
「碍」は一文字で障害者を意味するようになってくると思う。
どちらのつもりなのか、書いてないからわからない。
付)いま、「加治佐」氏の姓は一発で変換できた。 マイクロソフト社の製品だから?
付)英語で似た例を思い出した。六重奏団を意味する語は sextet だが、 sex を避けるため、 六人いるのに quintet と名乗っているグループがあると読んだことがある。 これは、ラテン語では六が sex, セックスは sexus だったのが、 英語にはいるときに six と sex に“ずれた”もの。 ただし、英語の sex は本来は男女・雌雄の別、というだけの意味である。
付) 「被害者」という言い方について、 「害がある人と思われるからやめてくれ」 と主張している人はいないのだろうか? (これは書き換えではないので完全に同じではない。)
付) ローマ字書きで syôgaisya とするか、 カナで「ショゥガイシャ」とすればこの問題は消えるのか? それとも、 妨げの意味の syôgai とは異なる表記をしなければならない、 という主張なのか?
2010-12-13 (1) 02:27:13 +0900
本文ナシ
2010-12-13 (1) 02:17:04 +0900
前に 《回文>「稲垣、気がない」(いながききがない)》 や 《回文>「稲垣足穂、掘る滝がない」(いながきたるほほるたきがない)》 を書いていた。
2010-12-13 (1) 02:12:49 +0900
本文ナシ
2010-12-13 (1) 02:11:48 +0900
死守と趣旨を間違える人はまずいないが、 シミュレーションをシュミレーションと間違える人が多いのはなぜだろう?
2010-12-13 (1) 02:05:57 +0900
本文ナシ
2010-12-13 (1) 02:04:40 +0900
「熟考」に「じゅくこう」という読みはないようである。 字音かなづかいならどちらも「じゅくかうし」となる。
2010-12-13 (1) 01:58:27 +0900
日本式ローマ字による。
2010-12-13 (1) 01:57:18 +0900
気になる。YouTube で「わな」などを視聴していると。
2010-12-13 (1) 01:55:42 +0900
イブは女性名。「はん」は標準語の「さん」にあたる方言。
2010-12-13 (1) 01:49:31 +0900
最初は「磯に愛の死」のつもりだった。
2010-12-13 (1) 01:47:24 +0900
本文ナシ
2010-12-13 (1) 01:46:12 +0900
過去の時点でそのとき起きていたことの推量、 過去のことを現在推量している、 過去の時点でそれより前のことを推量、 であっているかな?
2010-12-13 (1) 00:35:32 +0900
本文ナシ
2010-12-13 (1) 00:35:32 +0900
字音かなづかいによる。
2010-12-13 (1) 00:32:52 +0900
本文ナシ
2010-12-13 (1) 00:30:53 +0900
前に 《回文>「するかイカルス」》 を書いた。
2010-12-13 (1) 00:21:01 +0900
本文ナシ
2010-12-13 (1) 00:19:56 +0900
本文ナシ
2010-12-13 (1) 00:16:58 +0900
…歴史的かなづかいでは「男」は「をとこ」だから? と思ったが、 岩波古語辞典を見ると「雨(あま)」にいろいろな名詞が続く。 「雨男」が「あまおとこ」でいけない理由はわからない。
2010-12-13 (1) 00:07:38 +0900
いまは「キティのクリスマス」にしている。 クリスマス当日になるとダニエルが現れるそうで、 ちょっとだけ楽しみにしている。
2010-12-13 (1) 00:03:00 +0900
Ñ は「N の上にチルダ(ティルダ)がついている」と言うので、 数学で「A 〜 B」と使う記号「〜」もチルダ(ティルダ)と呼ぶことがある。 それは、「ば」が「は」に濁点がついた文字だからといって、 濁点と形の似た「”」を「濁点」と呼ぶのと同じぐらい、おかしいのかもしれない。
2010-12-12 (0) 23:56:11 +0900
この「いろいろ」は京大型カードを模しているつもりだが、 その京大型カードでは、 カードを調べているうち同じことを二度発見していることに気づくことがある、 と確か梅棹先生が書いておられた。
2010-12-12 (0) 23:51:53 +0900
そして「四組(よんくみ)」はどちらも訓読みとなる。 ただ、それなら「よくみ」となるような。
いち、に、さん、よん、ご、ろく、なな、はち、きゅう、という読み方があって、 それに「くみ」をつけるのか。 (「ろくくみ」は「ろっくみ」に変わる。)
2010-12-12 (0) 23:48:01 +0900
「ゆとうとうよみ」と読む。 ほかに「湯桶湯読み」「湯湯桶読み」や、 「重箱箱読み」「重重箱読み」「重箱重読み」などがある。 最初が音読みなら「重箱〜読み」。 訓読みなら「湯桶〜読み」とする。
だったら「訓音音読み」と呼べばいいのであって、意味ないか。 実在の単語を名前にしたのが、「重箱読み」「湯桶読み」のよいところなのだから。
2010-12-12 (0) 23:43:52 +0900
「一年生」「二年生」「三年生」「五年生」「六年生」はすべて音読みなのに。 また、何を調べればそれがわかるのか? 広辞苑には載っていないようだ。
2010-12-12 (0) 23:42:30 +0900
サイゼリヤで一杯 --- 厳密には数杯 --- やって帰る途中、 ××橋の上で、後ろから自転車でやってきた某四年生に声をかけられた。 雑談しながら歩いたが、だんだんに、 その学生の下宿のほうへと道を曲がり、 普段の帰宅ルートとは違う交差点に出てしまった。 そこを渡ればすぐにいまの住まいだが、 そこには信号機も横断歩道もない。 少し待って、やや速足で渡った。 その自動車が行ったあとを見ていたら、 完全に自動車の往来が途絶えていた。 そこまで待って渡ればよかった。 あるいは、いつもの帰宅ルートとの分岐点まで戻って、 そこからいつもの帰宅ルートで帰ればよかった。 「いま来た道を帰れ」は危険を避けるときの基本だが、 それを守るのは意外とむずかしい。そう感じた。
2010-12-10 (5) 19:42:18 +0900
同業者のサイトを見ることがあるが、 「『習っていません』との言い訳は認めません」と書いている人がいる。 私はそうではなく、 「習っていないならしかたがないな、説明してやろう」 と思うタイプだが、それは、 相手を初心者とみなした場合に限る。
2010-12-10 (5) 19:39:55 +0900
2009年12月4日金曜日づけ大阪本社版社会面
「奈良時代の役人のメモ?発見」。
《木簡には高官の複数の役職名に順番に数字が振られており
》
とあるが、
写真の説明によれば《順番を示す「四」が記されている
》。
本文中にはほかに
《肩書きの横には一、二、三、四と数字が記されていた
》。
《土居新平
》と署名あり。
2010-12-10 (5) 02:35:50 +0900
2009年12月4日金曜日づけ大阪本社版文化面「検証 昭和報道」163 回は 「高度成長と東京五輪」の2回め。 地の文では「洗濯」だが、引用部分ではすべて「せんたく」。 いや、作家の壺井栄だけは「洗たく」と書いている。
いま使っている変換ソフトによると、 「せんたく」は「洗濯」「選択」「宣託」の三つの語しかない。 「宣託」はまれだろうから、「選択」を漢字で書けば、 「洗濯」は「せんたく」でもよいわけだ。
2010-12-10 (5) 01:28:54 +0900
人の二大能力はシステム化と共感である ---
SQ−EQ理論」
4日土曜日づけ朝日新聞大阪本社版 be on Saturday の b9 面、
「勝間和代の人生を変える『法則』」。
今回の法則は
「人の二大能力はシステム化と共感である --- バロン=コーエン
「SQ−EQ理論」
」。
タイトル行では一部を省略した。
彼はそこで、 空間把握の裏側には入力と出力の間をつなぐ因果関係を理解するシステム化能力 (SQ=Systemizing Quotient)があり、 言語能力の裏側には他人の気持 [sic] を自分のそれのように理解できる共感能力 (EQ=Empathy Quotient)があると考えました。
今回は、この、サイモン・バロン=コーエンの理論を紹介しただけであり、 なぜこの理論が正しいかを読者に訴えることをしていない。 原語を全角文字で紹介したのには、字数稼ぎのような感がある。
《平均的に男性はSQに、女性はEQに秀でる傾向があるようですが
》
とあり、単に「男性的」「女性的」の言い換えにすぎないのでは、
との疑問が残った。
付) systematizing は知っていたが、systemizing は初めて見た語。 Google で前者は約 273,000 件、後者は約 37,500 件。
2010-12-10 (5) 01:01:48 +0900
《日本語は話しことばとしては白黒で、漢字を使って初めて極彩色になる?》 から思いついたこと。
そうだとしたら、白黒映画がカラー映画にとって代わられたように、 話しことばとしての日本語は漢字かなまじり文で書かれた日本語より “劣った”ものなのか。
2010-12-10 (5) 00:33:44 +0900
2009年12月2日水曜日づけ朝日新聞大阪本社版社会面
「ニッポン人脈記」は「漢字の森深く」の第5回。
白川静氏の話。「白川文字学」という言葉があるようだ。
《漢字研究者の伊東信夫(いとう・しのぶ)(83)
》について、
次のように書かれている。
85年ごろ、白川を訪ね、漢字教育の教えを請うた。 「古代文字を書いているとね、文字のつながりが見えてくるんです」。 老学者の言葉に感動した。
「脳の最高の活動で、森羅万象を形にしたのが漢字です。 だから三千数百年生きてきた。 漢字を解明した白川文字学が子供に伝わらなきゃ大損害です」
重要無形文化財とかの伝承に似た感じもする。
2010-12-10 (5) 00:24:00 +0900
2009年12月2日水曜日づけ朝日新聞大阪本社版の、アスパラクラブの面。 発足5周年特別セミナーの基調講演で榊原英資(さかきばら・えいすけ) 氏がこう発言している。
江戸時代は歌舞伎、相撲、浮世絵、読み物、みんな庶民のものでした。 17、18世紀の話です。同じころ、 ヨーロッパでオペラを見られるのは王侯貴族だけでした。
なるほど。 では、江戸時代に、天皇や大名は何を見ていたのだろう? 能かな?
2010-12-10 (5) 00:17:34 +0900
2009年12月2日水曜日づけ朝日新聞大阪本社版の、
『メダリスト反論 / JOC補助金 事業仕分けで「縮減」』。
《「国際試合に出るのに自己負担があると言うと驚かれる」
(アーチェリー・山本博)
》とあるが、
実際に自己負担があるから驚かれるのか、
それとも、ないから、すなわち冗談だから、驚かれるのか。
驚かれると言っているだけで、自己負担があるのかどうかは言っていない。
私の職場の出張は、食費は一切でないことになっている。 普通の勤務をしていても食事はするから、という考えと聞いた。 これは自己負担と言えるのかな。
2010-12-10 (5) 00:09:56 +0900
2009年12月3日木曜日づけ朝日新聞大阪本社版社会面、 「ニッポン人脈記」は「漢字の森深く」の第6回。 だけど、この回は万葉がなの話なのだ。それも漢字と言えば漢字だが。
2010-12-10 (5) 00:06:02 +0900
2009年12月3日木曜日づけ大阪本社版の、 「明治・大正の記事・広告データベース」の面。 当然、当時の新聞は正字・旧かなづかいで書かれていたはずだが、 記事では全くふれられていない。 そのままデータベース化されたのかどうかを私が知りたいということもあるが、 戦後の文字改革について若い読者に知らせるよい機会だとも思うのだ。
2010-12-09 (4) 23:59:23 +0900
消灯したあと夜ふかしをしてしまうことがある。
2010-12-09 (4) 23:56:31 +0900
デスクトップに、 とりあえずメモを書くためのテキストファイルを置いている。 できるだけ、すぐに処理し、それは空にしておくようにしているのだが、 そうなっているかどうかは、開くか、プロパティを見るか、 あるいはマウスカーソルを置くかしないとわからない。 というわけで、タイトル行に書いたようなことを考えた。 ごみ箱は空かどうかでアイコンが変わる。それと同じようにできないか。
本項も、数日前、 その“とりあえずメモ”に書き込んでおいたものが元になっている。
デスクトップも「詳細」表示にできればいいのか。
2010-12-09 (4) 23:49:39 +0900
Internet Explorer ではこのページは表示できません」がよく出る
電話回線でやっているのがいけないのか、Vista が重いのか。
2010-12-09 (4) 23:47:45 +0900
先週の水曜日だったか、 学生に配るためのコピーをとった際、 よくわからないからという理由でソーター機能を使わなかったので、 終わったあと“人間ソーター”になって分類した。 机の上に十箇所、A4サイズの紙が置けるスペースを確保し、 手に取った十枚の紙(同じもののコピー)を、 下からでも上からでもよいから、 一枚ずつ、そのスペースに置いてゆく。
その際、私は、右手と左手とで配り方が違うことに気がついた。 右手で配るときは、紙は上からとる。 そして、その紙を置いている間に、左手親指で次の一枚を右にずらす。 左手で配るときは、紙は下からとる。 右手は紙の束をつかんでいるだけで、何もしない。
2010-12-09 (4) 23:40:29 +0900
先日、授業の際、学生に数人ずつのグループにわかれるよう指示した。 そのあと、「代表者はいますぐ、メンバー名を書いたメールを私に送るように」 と言ったところ、誰が代表者になるか、ためらっている様子。 そのとき、なぜか、考えるより早く、 「同値類の代表元と同じで、誰でもいいんだから!」 と口から出た。
数学を学んでいる学生たちなので、ちょっと受けた。 そして、すぐにメールが送られてきた。
付) いま、「ためらう」という日本語が出てこなくて、 英和辞典で hesitate をひいた。
2010-12-09 (4) 01:54:30 +0900
むかし買ったボールペンで、ほとんど使っておらず、 インクがはいっているのが見えるのに、出なくなってしまったのがあった。 温めれば出るようになると聞いたことがあるが、試してもだめ。 軸に 94 08 という刻印があるので、1994 年 08 月の製品かもしれない。
一方、いまこの「いろいろ」を書いているのは、 ストーブを後ろに置いて暖まりつつ、であるが、 ときどき、“暖かい”を通り越して、 ジーンズのお尻の部分が“熱い”になってしまうことがある。
では、このボールペンを、 ジーンズのお尻の部分に入れておけば、かなり温まって、 いまに出るようになるのではあるまいか、 これなら、手間がかからない、と思いついた。 実行してみると、 数センチメートルほど書けることがあるが、また書けなくなってしまう。
2010-12-08 (3) 02:25:38 +0900
本人から聞いた話。だから、小雨でも降っていたら必ずかさをさす、とのこと。
(もちろん、「雨にぬれると」の主語は「(その人の)頭」である。 身体のほかの部分ではない。)
2010-12-08 (3) 02:23:48 +0900
6日月曜日放送分で。 この英文を訳すと「〜すると思えそうにない」になりそう。 It doesn't seem to me that I can do ... と言ってしまいそう。
2010-12-08 (3) 02:15:30 +0900
2日木曜日放送分の、Quote ... Unquote で、講師の杉田敏先生が。 テキストにはアルファベットで Mahatma Gandhi とあるのみ。 《NHKラジオ「実践ビジネス英語」>Mahatma Gandhi を日本語式に読まれた》 では「ガンジー」だった。
2010-12-08 (3) 02:09:25 +0900
複合語のしりとり」をやっていた
2日木曜日放送分。 mainland, landscape, scapegoat, goatskin だったが、 いずれも最初の語にアクセントがある、という説明の例。
2010-12-08 (3) 02:03:35 +0900
ちょっと苦しいが、「田」のまん中の縦線と、 「力」の二画めはつながっているとする。
######### # # # ######### # # # ######### # ########### # # # # # #すると、奇数本の辺が出ている頂点は次の六つとなる。
####$#### # # # $#######$ # # # ######### # $########## # # # # $ $
それに注意して、次のようにすれば三画で書ける。
%%%%%%%%% % % % %###%###% % % % %%%%%%%%% % $$$$$$$$$$$ % $ % $ % $「三筆書き(みつふでがき)」とでも呼ぶべきか? とあるシンポジウムに 出て、退屈な時間にプリントを見ていて思いついたもの。
2010-12-08 (3) 01:20:37 +0900
本文ナシ
2010-12-08 (3) 01:19:05 +0900
前々項を書くため、 Google で「仲井間」という氏が実在することを確認していて気づいた。
現・沖縄県知事の氏名は「仲井真弘多」だが、 Google で検索すると“本物”が約 1,130,000 件、 「仲井間弘多」は約 7,520 件。 (“本物”と二重引用符つきで書いたのは、 「仲井間弘多」という氏名の人がいるかも知れないから。)
2010-12-08 (3) 01:04:27 +0900
純正律の音楽にはヒーリング力がある、と言い切るのはトンデモだと思う。 一方、よい音楽を聞かせると美しい形の結晶ができるというトンデモもある。 その二つを組み合わせてみたもの。
2010-12-08 (3) 00:56:22 +0900
仲井間は姓。
2010-12-08 (3) 00:43:58 +0900
本文ナシ
2010-12-08 (3) 00:42:20 +0900
終わりまでいったから裏返す、と言ってもわからない世代が出てきつつあるのだ。
オープンリールには片道だけのもあったと聞くが、 私が使ったことがあるのは往復使えるものだけだ。
2010-12-08 (3) 00:30:09 +0900
先日のNHK「ラジオ英会話」で出てきた例は hot chocolate だったが、 これだと t が二カ所にあるので、タイトル行では例を変えた。
こういう現象が起こると、聞き取りがむずかしくなる。 人工言語で、このような音のつながりが起こらないよう工夫してあるのって、 ないのかな? すべての単語が子音+母音のくり返しからなるようにしてあればよさそうだが、 エスペラントはそうなっていない。
2010-12-08 (3) 00:24:02 +0900
本文ナシ
2010-12-08 (3) 00:22:18 +0900
20年前にはあれだけもてはやされていたのにな。
2010-12-08 (3) 00:20:33 +0900
先日、出勤の際のバスでそう言っていた。 後ろのバスもあわせて二重に乗り、二倍の運賃を払え、という意味だろうか、 でもそれは不可能だ。 それとも、降りて後ろのバスに乗り継げ、と言っているのか。 そのとき、まだ車内には乗客の乗れる余地はあった。
2010-12-08 (3) 00:09:09 +0900
前者は、大学において、その運営などが民主的に行なわれるようになること。 後者は、学生が共産主義に賛同するようになること。 「民主」も「共産」も党名だが、「化」がついたときの意味の変わり方は違う。
「国の共産化」という言い方はあるのだろうか? あれば、 それは「大学の民主化」と似た、句の構成法になる。 大学だけが共産化されることはありえないから、 「大学の共産化」は考えにくい。
2010-12-08 (3) 00:03:27 +0900
本文ナシ
2010-12-08 (3) 00:02:23 +0900
ちょっと危機感をおぼえる。
2010-12-08 (3) 00:01:16 +0900
前項に関連。
その放送で、杉田敏先生は、so-called は
「というふうに言われているけれど自分は本当はそう思っていない
」
という感じになる、と説明された。
小さな辞書では「いわゆる」という訳語だけが載っているが、 これでは使うときに相手に対し大変な失礼をしてしまう可能性がある。 ジーニアス英和辞典はきちんとニュアンスを説明している。
確か、私が最初に書いた英文の論文で、指導教官に 「これは失礼にあたる」と言われて直されたのは so-called だったと思う。
2010-12-07 (2) 23:34:27 +0900
3日金曜日放送分に
so-called luxuries という句が出てきたが、
"luxuries" としても同じ意味になるとのこと。
テキストによると、それらを重ねて so-called "..." とはしないそうだ。
また、「会話で話しているときには
」
「ちょうどカニのように、両手の人差し指と中指を見せて、
引用符付きの
」であること示す、と杉田敏先生は説明された。
松下クリスさんが、そのジェスチャーは air quote という名前がある、
と付け足された。
Google で検索すると、Wikipedia のページがトップにきた。
「air quote」という書き方でよいようだ。
ずっと前に、確か、作家の丸谷才一氏が、最近、 引用符付きの「“……”」という書き方が増えてけしからん、 と書いていたような記憶がある。 英語では確立された書き方だったんだ。
2010-12-07 (2) 23:11:36 +0900
……、そのウィンドウ内で“息つぎ”をする分には、何の問題もないのだった。 「息つぎ」は 《タッチパッドでのマウスカーソル移動について、知らなかったことを発見》 で私が“作った”語。
2010-12-07 (2) 23:08:02 +0900
ポイントして選択し、シングルクリックで開く」で使っている
それまでの Windows と同様に、
「シングルクリックで選択し、ダブルクリックで開く
」
ようにもできるのだが。
ただし、
「ブラウザのように、アイコン タイトルに下線を付ける
」は
「ポイントしたときにのみアイコン タイトルに下線を付ける
」
に変えている。下線は、何のために全部につけるのか、わからない。
私が「表示」「詳細」としているため、更新日時、種類、サイズにまで下線がひかれ、
それでしつこく感じているだけだろうか。
付) 《Vista>ポイントして選択、シングルクリックで開く、は既定値ではなかった》 では“ダブルクリックで開く”に設定変更したと書いたが、 《タッチパッドでのマウスカーソル移動について、知らなかったことを発見》 を書いたあと、 シングルクリックでも使える自信がついた。
2010-12-07 (2) 22:31:05 +0900
「書かせる」という行為をさせることができなくなった、の意味なら 「書かせられなくなった」だと思う。 たとえば、去年までは孫に書かせていたが、 ことしは孫は受験をひかえているので書かせるわけにはゆかない、といった場合。 「書かせられなくなった」は「書か+せ+られ+なくなった」だから、 使役、可能の順で助動詞が連結する。 (そのあとの「なくなった」の分解はいまはどうでもよい。)
たぶんその意味で「書けさせなくなった」と書かれているのを、 とある掲示板で見た。 「書ける」は「書く」の可能動詞で、下一段に活用する。 下一段活用の動詞「考える」なら、「考えさせ」とつながるので、 それと混同したものか。 これでは、「書け+させ+なくなった」で、 可能動詞に使役の助動詞が接続されており、 正しい言い方とは“逆順”になっているのがおもしろい。
いまこれを入力するのに使っているカナ漢字変換ソフトでは、 「かけさせなくなった」を変換すると 「掛けさせなくなった」などは出るが、「書け〜」は出ない。 出るのはすべて下一段動詞である。当然か。
《動詞+「せる・させる」+「ということをしなくなった」で活用形を“節約”》 にやや関連。
2010-12-07 (2) 20:08:42 +0900
「早い」と「速い」との書き分けは、時刻が先なのか、かかる時間が短いのか、 で区別できる。これは日本語としても区別できると思う。 「初め」と「始め」は日本語としては区別できるのだろうか? 中国語に訳して初めて、区別できる、という可能性もある。 (「早い」と「速い」もそうではないか、という意見もあろう。 ただ、これは英語で early, rapid と言い分けることもあり、 別の単語と感じられやすい。)
2010-12-06 (1) 20:28:19 +0900
ずっと前者だと思っていた。 それは、「初めてお目にかかります」からの類推だったように思う。 しかし、「会うという行為をこれから始めます」の意味だとすると、 「始めまして」のほうが正しいような気がしてきた。
広辞苑第五版、岩波国語辞典第三版は「初めまして」としている。
後者には、「初めてお目にかかりますの意
」との補足説明あり。
2010-12-06 (1) 20:15:14 +0900
古くなった石けんは、 まるで別の物質に変化してしまったかのように、泡立ちにくいことがある。 職場においておいて、 手が油などで汚れた場合にのみ使う石けんなどがそうだ。 たいてい、ひびがはいってくる。
家で入浴時に使う石けんは、 小さくなると次のを出すが、 そこで新旧の石けんをなんとかして合体させるか、 あるいはそのまま別々に使うか、となる。 いま現在は、別々に使っているが、 どうも、古い、小さな石けんは泡立ちにくいようである。
では、「古い石けんは泡立ちにくいか?」というと、 そうとは言い切れないように思う。 小さい石けんは、新しい石けんと比べて、 面積にして三分の一ぐらいになっている。 同じ回数だけ両手の間でこすりあわせて泡立ちが悪いからといって、 「古い石けんは泡立ちにくい」と結論づけることはできないだろう。 約三倍の回数だけこすりあわせても泡立ちにくい場合に初めて、 そう言えるのではあるまいか。
2010-12-06 (1) 20:09:28 +0900
Google で検索したところ、「豆田」「伊福」とも、 地名・人名にあるようである。
2010-12-06 (1) 19:45:03 +0900
1日づけの新聞でアービン・カーシュナーの死亡記事を見て、 彼が監督した V を、DVD を取り出してきて見た。 それで思い出した。
DVD の音声解説には、彼も登場していた。
2010-12-05 (0) 23:21:55 +0900
前項を書くため携帯電話版広辞苑第六版をひき、 「かぶき」が天正年間に流行した俗語「かぶく」の連用形とあるのを見て。
使われていて不思議はないが。
2010-12-05 (0) 23:18:21 +0900
本文ナシ
2010-12-05 (0) 23:16:49 +0900
土曜日や休日に職場に出て課題の採点をするとき、 ネット上で歌の題名を検索して、動画サイトで聞くことがある。
「わな」は、キャンディーズの曲のうち、 ミキをメインにした最初で最後の曲、 と Wikipedia で読んだが、聞いたことがないと思い込んでいた。 きょう、採点しながら聞いてみたら、聞いたことがある曲だった。 「しーくじったー」の部分が、英語か何かの 「*ー*・*ッター」に聞こえてしまい、 意味がわからなかったので印象に残っている。
2010-12-05 (0) 23:03:19 +0900
漢文で書かれた文章が与えられて、その意味を日本語で書くことと、 日本語から漢文に直すことの、両方の力が問われる。
2010-12-05 (0) 21:22:58 +0900
漢文を学べば筆談ができると考えるのは甘いと私は思っている。 和製漢語がまぎれこんだり、 どの時代に書かれた漢文を規範とするかによって、 同じ表現が違う意味になったりするのでは、 と思うからだ。
だから、特定の時代を選び、その時代の中国語をもって共通語とする。 発音は当時の音を復元する。 当時なくて、いまあるものを、どう呼ぶかは、 しかるべき委員会などで決める。
2010-12-05 (0) 21:15:03 +0900
古文検定など作るとか。
2010-12-05 (0) 21:14:08 +0900
スター・ウォーズ旧三部作の DVD が出てきたので、少しだけ、 と思って見始めたところ、「なんて人間が多く出ているんだ!」と驚いた。 新三部作がCGキャラを多用している、ってことなんだけど。
2010-12-05 (0) 00:20:50 +0900
「敵に塩をおくるようなことをしたな」と言われた場合、 実際に塩をおくっている可能性は限りなくゼロに近い。 「毎晩飲み歩いているような男」の場合は実際に毎晩飲み歩いているのだろう。
2010-12-04 (6) 23:21:54 +0900
ウ段のカナに「ウ」が続くが長音でない例。 (もちろん、まだまだあるだろう。)
「〜け?」は、ここ金沢の周辺で、 標準語の「〜か?」と同じような意味で使われる。
2010-12-04 (6) 23:16:08 +0900
「先延ばしする」「先延ばしにする」などである。 試しに「さきのばす」を変換したら「先のバス」になった。
2010-12-04 (6) 23:09:04 +0900
ここから先はこれからアップロードする。
2010-12-08 (3) 02:37:00 +0900
2010-12-04 (6) 03:30:58 +0900
前項の続き。 漢点字が使い物になるなら、それを使って漢字を直接入力することが可能であろう。
六つの点からなる普通の点字は、全部で 64 通りあり、 普通に打てるキーの個数は 30 から 40 だから、 直接一対一の対応をつけるのは難しいかも知れない。 それと、「『林』は『きき』」のように連想で覚えるのは悪いやり方だ、 と聞いたことがある。
2010-12-03 (5) 23:30:33 +0900
《日本語は話しことばとしては白黒で、漢字を使って初めて極彩色になる?》 の追記部分の続き。
漢字をも表せる漢点字は、六つの点からなる普通の点字を何個か並べ、 その上に漢字であることを示す二つの点を置くものだった。
これで漢字の役目を果たすなら、普通に紙などに書く文字も、
「き」「きき」に漢字ですよという記号をつけるだけで、
漢字の「木」「林」の代用ができるはずである。
《「湘(しょう)」ともなれば3ます分を使う
》とあるところを見ると、
最大でも3ますで済むのだろうか。
(3ますには 18 個の点があるので、218 = 262144 通りのものが表せる。)
これが漢字に代われるなら、字体を覚える苦労がなくなる。 漢字の場合、小学生の段階では、高学年になっても、新しい“部品”が出てくる。 その部品は、一画ずつ、字体を覚えなければならないのである。 (「厳密」の「厳」が、確か6年生のときに習い、 字体を覚えるのが難しかったのを記憶している。)
2010-12-03 (5) 23:24:41 +0900
すなわち、その冪集合とその上の演算「共通部分をとる」の、 ある部分半群に同型である。 《交換法則を満たす冪等な半群は、その上の特性関数全体の集合に埋め込める》 と同じことだが、結論の述べ方を変えてみた。
《演習問題>任意の順序集合はある集合のベキ集合に“埋め込む”ことができる》 の証明に書いたことは、 任意の順序集合 X は、 その元 a に対し 2X の元 { x | x < a } を対応させることで 2X に埋め込むことができ、 最初にあった順序は 2X の包含関係になる、 であった。 一方、 《可換環の冪等元全体に a < b <=> a = ab で順序を入れる》 では、そのタイトルに書いたことに加えて、 inf(a, b) = ab であることも述べた。 (「可換環」となっているが、可換半群でよい。)
この二つを合わせると、 交換法則を満たす冪等な半群は、その冪集合上で、交わりを演算とみたもの、 のある部分半群に同型であることがわかる。 元 a に対応するのは部分集合 { x | x = xa } である。
2010-12-03 (5) 22:18:26 +0900
11月30日づけ毎日新聞大阪本社版第一面「余録」
(朝日新聞の「天声人語」にあたる欄)は、
その日に告示される常用漢字表改定の話題だ。
福沢諭吉の漢字廃止論(をめざした制限論)を紹介した上で、
《情報機器により書けなくても読めたり、
パソコン入力できたりする漢字が増えたためという。
クイズで人々が難しい漢字を楽しむ時代の到来は過去の漢字廃止論者には意外だろう
》
とあるのだが、私はそうは思わない。
その行為をしなくて済むようになったのに、 人々がその行為を楽しんでいる例として、ジョギングなどの「走る」行為がある。 自動車ができて、人間が走る必要はなくなったが、人は走る。 必要がなくなったのに楽しみに行なう行為の例としては、 流鏑馬(やぶさめ)を思いつく。 日常の服装としては和服はほとんど見かけなくなったが、 冠婚葬祭の折には、着用する人がいる。
だから、仮に漢字が全廃されていても、 漢字を楽しむ人は楽しむだろうと私は思う。 日常の読み書きに使わない漢字だけが、 クイズで楽しまれている、とも言えよう。
2010-12-03 (5) 22:04:38 +0900
《和歌は、昔の貴族は詠むことが必須に近かったと思うが、今は趣味で詠むだけ》 に書いた、和歌もその例ではあるまいか。
2011-01-16 (0) 22:33:00 +0900
2009年12月1日火曜日づけ朝日新聞大阪本社版社説、
「ビラ配り有罪 / 合点いかぬ最高裁判決」。
《基本的人権にかかわる重要テーマについて最高裁は、
小法廷でなく大法廷で、
民主主義の大原則と社会環境の変化の双方に応える明確な憲法判断をすべきだった
》
で終わっているが、そう思うなら、
国民審査で今回の判決に賛成した裁判官をやめさせることも視野にいれるべきだ、
などとならないものだろうか?
2010-12-01 (3) 02:31:40 +0900
前項に関連。 たった一音、一文字を省いて「カンテンジ」とする意味があるのだろうか?
2010-12-01 (3) 02:10:51 +0900
2009年12月1日火曜日づけ朝日新聞大阪本社版 「ニッポン人脈記」は「漢字の森深く」の第4回。 漢字をも表せるように拡張された点字、漢点字の開発者、 川上泰一(かわかみたいいち)さんたちの話だ。
鍼灸師の岡田健嗣(おかだたけし)さんの話として、
《子供の時、大人が「ボジョウはいい映画だ」
と話していた。ボジョウって何だ。漢字を知らないことが苦しくてならない
》。
《漢字の豊かな表現力を知って岡田の世界は一変する。
「すべてが白黒から極彩色に変わったようでした。
漢点字を知らなかった時期の記憶が消えちゃったほどです。
ボジョウも、そうか慕うに情けだったのかと」
》
とある。
その通りであるなら、 日本語は、話しことばとしては白黒であり、 漢字を用いて書いて初めて色つきになる、というわけだ。
それともう一つ。 表音文字を使っている言語を、 話せるようになってからかなり経って読み書きを覚えた人の場合、 似た現象は起きないのだろうか。
付)「嗣」の字が入力できず、漢和辞典の総画索引を利用して 「嗣子」という熟語を見つけ、「しし」を変換して入力した。 聖書には「嗣業(しぎょう)」という語があるが、 これは一般に使われる単語ではないらしく、変換しようとしても出ないし、 漢和辞典にも載っていない。 (いまもう一度試したら、「し」を変換して「嗣」を出すことは可能だった。)
「極彩色」が「ごくさいしき」であって「ごくさいしょく」でないことも、 いま知った。
慕情の「情」は情けの意味ではなく、気持ちの意味である。 訓につられると意味を取り違えることがある、の例。
2010-12-01 (3) 01:44:10 +0900
川上点漢字の例として、次が載っている。
き 木 林 ●● ●○○● ●○ ●○ ●○●○ ●○ ●○ ●○●○ ○● ○● ○●○●《
六つの点の上に、漢字であることを示す点を二つ置こう》 というアイディアで作られたと、本文中にある。 これらから大胆に類推すると、漢字「木」は、 カナの「き」に漢字である印の二つの点を置いたものであり、 「林」は、漢字において「木」が二つ並んでいることから、 「木」にあたる漢点字から漢字であることを示す二つの点を取り除いて二つ並べ、 その全体の上に漢字である印の二つの点を置いたもの、と思われる。
すると、これは、漢字の「木」「林」の形を表してはいない。 いわば、「き」「きき」に、漢字ですよという印をつけただけである。 漢字は字形に意味があると考える人には、これは漢字ではない、 と思えるのではあるまいか。 《井上ひさしの日本語ワープロ観》 のような例がある。
2010-12-03 (5) 23:08:59 +0900
10月23日を最後に、新聞が読めずにひと月以上たった。 読みかけだったのは昨年11月30日の新聞で、 きのう、一年分以上を積み上げておくのはまずい、 と読み始めたら、比較的すっと読めた。
一年間分、まったく読まずに置いておいたのではなく、 断続的に読んだものもあるが、そのまま積んである。 続きものの意味がわからなくなるのを避けるため。 そして、それとは別に、かなり大量の、未読の朝日新聞を抱えている。
2010-12-01 (3) 01:11:20 +0900
今月25日木曜日放送分のビニエットに出てきた。 なお、ビニエットで、娘からメールがきた、という箇所があるが、 メールの着信音ははいっていない。 徹底的に効果音を排しているのかも。
2010-11-30 (2) 22:27:18 +0900
今月24日水曜日放送分の Quote ... Unquote は
「Old Testament, Proverbs 29:18
」の
「Where there is no vision, the people perish
」だが、訳文は
「ヴィジョンのないところ、民は滅びる
」となっている。
この原文は欽定訳と一致した。
文語訳は「黙示」、口語訳は「預言」、新共同訳は「幻」と訳している。
いまは、欽定訳の時代とは違う意味で vision が使われているが、 いまの意味で解釈してもおもしろい、という意味なのだろうか。
2010-11-30 (2) 20:52:10 +0900
数日前から考え始めた問題だが、ふっと、前に書いた 《可換環の冪等元全体に a < b <=> a = ab で順序を入れる》 と 《演習問題>任意の順序集合はある集合のベキ集合に“埋め込む”ことができる》 の証明に書いたことを合わせればよいだけ、と気がついた。 前者では「可換環」と書いたが、交換法則を満たす半群であればそこに書いた証明は通用する。
本項だけを読んでわかるように書くと、こうなる。 交換法則を満たし、すべての元が冪等(i.e. aa = a)である半群に対し、 fa(x) を 「x = ax のとき 1, そうでないとき 0」と定義すれば、 a に fa を対応させる写像は、 その半群からその上の特性関数全体の集合への単射となる。
証明: すべての a に対し、fa(a) は定義から 1 である。 b = ab でないとき、 fa(b) = 0 であり、fb(b) = 1 と合わせて fa ≠ fb を得る。 b = ab のとき、fb(a) = 1 と仮定すると a = ba となり、 a = b となる。 そうでないなら、fb(a) = 0 でなくてはならず、 fa(a) = 1 より fa ≠ fb となる。
注意: fc(b) = fb(a) = 1 ならば cb = b かつ ba = a となり、ca = c(ba) = (cb)a = ba = a から fc(a) = 1 となる。 (前に書いた、 順序になっているという事実(の一部であるところの推移律)に対応している。)
さらに、 fab(x) = fa(x) fb(x) がいえる。
証明: fa(x) = fb(x) = 1 なら、 x = ax, x = bx であるから、(ab)x = a(bx) = ax = x となり、 fab(x) = 1 となる。 逆に、fab(x) = 1 と仮定する。 ab = a(ab) なので fa(ab) = 1 である。 同様に fb(ab) = 1 が成り立つ。 上の注意から fa(x) = fb(x) = 1 となる。
《特性関数は、値による積に関して冪等元である》 は、この逆を言っている。
2010-11-30 (2) 20:06:33 +0900
「兼六園下です」が普通だろう。 「こちらラーメンとなります」がここまで広まったか。
2010-11-30 (2) 19:58:45 +0900
…と思う。前に書いたような気もするが。
2010-11-29 (1) 19:56:06 +0900
ここから先はこれからアップロードする。
2010-12-04 (6) 01:07:21 +0900
ボールペンを一日一本つかいきるのは大変だろう。 無理ではあるまいか。 ボールペンで文字を書くのが仕事だった時代の人に聞いてみるとわかるかもしれない。
2010-11-29 (1) 03:28:48 +0900